本シリーズ記事では、やや特殊な交換レンズを、
カテゴリー別に紹介している。
今回は「100mmクラッシックス」という主旨で
銀塩時代の一眼レフ用の焦点距離100mm(&105mm)
のMF/AFレンズで、本シリーズ記事では未紹介の(又は、
その状態に近い)レンズを8本準備し、順次紹介する。
が、いずれも過去記事で紹介済みレンズの為、個々の
レンズの話は最小限とするが、全体を通して読む事に
より、各時代における100mmレンズの変遷が見えて
来ると思われる。
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ではまず、最初の100mmシステム
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レンズは、CANON FD 100mm/f2.8
(中古購入価格 約5,000円)(以下、FD100/2.8)
カメラは、FUJIFILM X-T1 (APS-C機)
1971年発売のMF中望遠レンズ、CANON F-1(1971年、
銀塩一眼レフ第1回記事)と同時代のレンズである。
ミラーレス・マニアックス名玉編で第19位にランクイン
した優秀なレンズではあるが、その後は数年間、紹介の
機会に恵まれなかった。
後期型として、多層コーティング化されたバージョンが
存在している模様だ。恐らくそちらにはS.S.C.の記載が
あると思う。本レンズは初期型であり、単層コートだ。
この「単層コート」というのが曲者であり、本レンズの
描写はコントラストが低く、いわゆる「ヌケが悪い」と
呼ばれる写りだ。逆光耐性も低い為、光線状況に留意して
撮影する事や、カメラ側の設定も、コントラストや発色を
若干強めにしておく事が望ましい。(今回は、その意味も
あって、発色の良いFUJIFILM X-T1を母艦としている)
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そういう対策を施せば、本レンズは、なかなか写りが良く、
ボケ質破綻も出難く、低廉な中古相場で購入した事もあって、
個人的には、コスパ評価が極めて高く評価されている。
後年(1980年頃)にはCANON FDマウントの100mmは、
F2.8版に加え、F2版の(New)FD100mm/F2(本シリーズ
第46回「CANON FD F2編」参照)が発売されているが、
当該記事でも書いたように、F2版は、ボケ質破綻が酷く、
実用に適さない面もある。
それは大口径化で無理をした設計であったのだと思われる、
ちなみに、本FD100/2.8のレンズ構成は、5群5枚であり、
NFD100/2は4群6枚だ。
(注:NFD100/2は、もっと古い時代の同仕様のレンズ
の復刻版、という可能性もある)
加えて、1970年代には、OLYMPUS OM-1(1973)や、
PENTAX MX(1976)による一眼レフの小型化競争が起こって
いて、CANONにおいても(New)FDレンズの小型化が意図
されたのだと思われる。この結果、1971年の本レンズ
FD100/2.8のフィルター径はφ55mmであったのに、
1980年のNFD100/2ではφ52mmとなった。
本来、大口径化では、有効径を大きく取る為に、前玉は
大型化し、連動してフィルター径も大きくなる筈なのに
むしろ小さくなった。これはやはり、設計に無理がある
状況であろう。ちなみに、このケースのみならず、
この1970年代後半における「小型化競争」で、レンズの
描写性能を落としてしまった例は、他にもいくつかある。
まあ、新しく、開放F値も明るいレンズだからと言って、
常にそれが良い事ばかりでは無い、という典型例であろう。
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では、2本目のシステム
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レンズは、NIKON LENS SERIES E 100mm/f2.8
(中古購入価格 16,000円)(以下、E100/2.8)
カメラは、NIKON Df(フルサイズ機)
1980年代のMF単焦点中望遠レンズ。
ここで「シリーズE」についての説明をしはじめると、
際限なく記事文字数を消費してしまいそうだ(汗)
でも、近年では、これの説明を書いていなかったので、
今回は、最低限は説明せざるを得まい。
「シリーズE(SERIES E)」とは、1979年に海外向けに
発売された、NIKON EM(愛称:「リトル・ニコン」)
のMF一眼レフに向けての、低価格レンズ群の名称だ。
ご存知の通り、NIKONは「高付加価値型」のカメラメーカー
である。これを別の言い方をすれば、「低価格帯の製品は
あまり売りたく無い」という意味である。
でも、時代によって、低価格帯製品を出さざるを得ない
ケースもある。
その1つは、物価上昇が激しかった1970年代であり、
カメラやレンズが高価になりすぎた反動で、1980年
前後には各社から低価格一眼レフ等が多数発売され、
NIKONも対抗上、このNIKON EMを発売したのであろう。
(参考:その後は、AF化が行われた1980年代後半、そして
近い将来のデジタル化を見据えた2000年頃に集中して、
さらにミラーレス機の台頭があった2010年代前半頃に、
NIKONは低価格機を発売している)
ただ、当初はEMは海外向け限定販売であった。
やはり、ここも国内では発売するのを躊躇った形跡が
見受けられる。
(注:安価なNIKON機を発売すると、消費者層はそれを
入手して「NIKONを買った」と満足して、より上位の高価格
帯機種の売り上げに影響が出る。→と、そうNIKONは思う)
だが1980年頃には、例えばMINOLTA X-7(宮崎美子さん
のCMで大ヒット)等の、エントリー機戦略を各社が取って
きている、やむなくNIKONもEMを1980年に国内発売するが
絞り優先専用機であり、評判はイマイチであった。
(消費者が、NIKONと言う名から、高性能を期待しても、
抑えられた仕様であったからだ)
また、1983年には遅ればせながらNIKONもコンパクト
カメラの発売を開始する、しかしこれも不人気だった。
この時代から「NIKONは初級機を作るのが下手だ」という
話がマニア層を中心に広まるが、実はそういう話では無い。
「NIKONは低価格機を売りたく無い」が正解であり、
この為、下位機種における「仕様的差別化」が甚だしい。
これは、その後約40年間、近代に至るまで全く同様である。
現代でもNIKON下位機種は、様々な性能・機能的制限により、
使っていて「何でこの機能が外されている!」と、不愉快に
なる事が多々ある位だ。(注:2010年代末頃からは、
NIKONは、もう低価格機を発売していない)
さて、話がそれてきた。シリーズEは、低価格一眼レフ用の
交換レンズであるから、これもやはり値段を下げなければ
ならない。だから、ここでも「仕様的差別化」が必要だ。
本E100/2.8は、多層コートが常識の時代のレンズなのに
わざわざ単層コートとしている。
「写りが悪い(逆光に弱い)と思ったのなら、ちゃんとした
NIKKORの高級レンズを買って下さい」という戦略だとは
思うが、消費者視点からは、あまり納得はいかない。
又、本レンズはNIKON交換レンズの中で唯一100mm仕様だ
(他は、全てが105mm仕様) もしかすると、ここも
「これはNIKKORではありません」という差別化だろうか?
それから、外観が極めてチープ(安っぽい)である。
このように性能制限をかける事で、シリーズEにはNIKKOR
銘がついていない。「これは”NIKON LENS”であって、
高性能で高級品の”NIKKOR”と比べて、1ランク低い物だ」
という意識が見て取れて、ここも気分の良い話では無い。
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しかし、天邪鬼の私としては、「シリーズE」は、好みの
レンズ群である。細かい欠点や、作りの安っぽさはあるが、
上手く弱点を回避しながら使いこなせば、コスパが極めて
良いニコン製レンズとなるからである。
それに描写力も悪く無い。(むしろ良い位である)
きっと設計者が「良い仕事をしたい」と思ったのであろう、
それが「技術者の良心」であり、そこは会社の営業戦略とか
方針よりも、技術者にとっては優先すべき事柄なのだ。
弱点は、描写力よりも、むしろ入手性である。
中古カメラブーム時の1990年代ですらセミレア品となって
いた。確かシリーズEの単焦点は4本が存在していたと思うが、
殆どが海外向けであり、国内流通は少ないか未発売であった
事に加えて、前述のようにNIKON EMが不人気であったから、
シリーズEレンズ群もも販売数が少なかったのだ。
この為、私が持っているシリーズE単焦点は2本のみで
(注:別途Ai50/1.8Sも、シリーズE 50/1.8の国内版だ)
しかも、いずれも1万円後半の入手価格と、性能からすると、
やや高目の「希少品相場」になってしまっていた。
後年、デジタル時代には、1万円以下の相場とはなったが、
反面、さらにレア度は増し、中古を見かけるケースは少ない。
(参考:「投機層」がシリーズEに注目して相場吊り上げを
行った事は無い。金満家のコレクター層であっても、作りが
安っぽいシリーズEを欲しいとは思わなかっただろうからだ)
なお、「仕様的差別化」が掛っている事から、私の定義
では「シリーズE」は、「エントリーレンズ」とは見なして
いない。エントリーレンズは、すなわち高性能でないと
「お試し版」にならないからだ。ユーザーがそれを買って
「なんだ、たいした事がないや」と、がっかりしたら、
二度とそのメーカーの高性能レンズを買ってくれなくなる。
初のエントリーレンズ、CANON EF50/1.8Ⅱ(1990年)や、
2000年代以降の各社エントリーレンズは、どれも高性能
であり、コスパに大変優れている。
これが本来の市場戦略であるが、本レンズの時代、
1980年前後においては、そのように「損して得取れ」
といった発想は、どの市場分野においても、誰にも
無かったに違い無い。だからNIKONのシリーズE戦略の
失敗を責めるのは筋違いであろう、当時の時代背景では、
これもまた、やむを得ない事であっただろうからだ。
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さて、3本目のシステム
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レンズは、PENTAX Super-Takumar 105mm/f2.8
(中古購入価格 3,000円)(以下、ST105/2.8)
カメラは、SONY NEX-7(APS-C機)
1960年代のMF単焦点中望遠レンズ、M42マウント版。
SMC銘もまだ付いていない単層コーティング仕様である。
まあでも、現代においては、M42マウントアダプターを
用いて、全てのミラーレス機や、多くの一眼レフで利用
が可能である。
この時代での中望遠は、まだユーザーでの用途が無かった
50mm標準の上は、いきなり135mm望遠となる事が、
当時や少し後の時代での常識であり、一応、この時代でも
85mm、100(105)mm、稀に120mmレンズも存在して
いたが、購入するユーザーの数は少なく、よって販売数が
少ないから割高であり、結果、ますます売れなくなるから、
その後の時代でも殆ど中古流通は無い。だから相場も高目
となり、高値から高性能を期待して購入すると間違いなく
あてが外れる事となる。(これは本記事を通じて、他の
100mm単焦点レンズでも、ほぼ同様の状況である)
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本ST105/2.8だが、かなり古い時代のレンズであり、
これの写りをあれこれと語る方が無粋であろう。
こういうレンズは、Hi-Fi描写にしたければ、弱点回避
技法を用い、Lo-Fi描写としたい場合は、弱点をあえて
強調するようにすれば良い。
両技法とも、そう簡単な話ではないのは確かではあるが
やってはいけない事は「(オールド)レンズの言うがまま」
に撮ってしまう事であろう。
「言うがまま」とは、何の工夫もせず現代レンズと同様に
ごく普通に撮ろうとしてしまう事であり、もしそうすると、
オールドレンズは時には良く写り、時には酷い写りとなる。
よって、その評価が困難となり、偶然でどちらかに振った
状態を見て、ある人は「このレンズは良い」と言い、
別の人は「こりゃあ、ダメだ」と言う。そして、それらの
評価が混在して巷に広まる、場合により、その「風評」とも
言えるものは、何十年たってもおさまらず、単なる思い込み
がずっと伝播し続けるのだ。
これは勿論好ましく無い状態である。正確ではない情報が
世の中に沢山あるのは、結局そういう事が積み重なっての
理由な訳だ。
まあ、オールドレンズはアンコントローラブル(制御不能)
とは言えるであろう。でも、実際にアンコントローラブル
なのは、トイカメラとかの、性能の極めて低いシステムで
あり、本ST105/2.8くらいの性能実力値があれば、決して
アンコントローラブルにはならない。
だから制御不能としてしまうのは、あくまで撮り手側の
問題だと見なす事ができるであろう。よって、前述の通り
「レンズの言うがままに撮るのは、避けなければならない」
という事である。
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さて、4本目のシステム
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レンズは、MINOLTA MC TELE ROKKOR-PF 100mm/f2.5
(中古購入価格 3,000円)(以下、MC100/2.5)
カメラは、PANASONIC DMC-G6(μ4/3機)
詳細不明、恐らくは、1970年代の製品であろうが、
この時代のMC100/2.5は数年毎に数回のモデルチェンジが
あった模様で、その、どのバージョンに当たるかは不明だ。
この時代、MINOLTAのMCレンズは、機種毎により、性能の
ばらつきが大きい。非常に良く写るものもあれば、逆に
「箸にも棒にもかからない」レンズも存在する。
これはつまり、この時代のレンズは完全手動設計であるから、
1人で全ての機種の設計が出来る程の時間的余裕は無く、
複数の人達で分散して仕事をする為、その設計者のスキルや
経験値により、レンズ設計に優劣が出てしまうのであろう。
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で、残念ながら本MC100/2.5はダメな方のレンズである。
まあ、場合により、当時はあまり売れない中望遠レンズだ、
優秀な設計者は、50mm等の「看板レンズ」の設計に
廻されたのかも知れない。
それが原因なのか? だから数回のモデルチェンジを行い、
光学系の変更(改善の努力)を行ったのかも知れない。
一応そのままMDの時代(1980年代前半)迄は、マイナー
チェンジが行われたが、AF(α)の時代(1985年~)
には、綺麗さっぱり、この100mm/F2.5は無くなっている。
そこで「もうこの系統は諦めた」という事なのだろうか?
(注:後継のAF100mm/F2は、本記事で後述する)
前のST105/2.8の所で「レンズの弱点を回避して使う」と
書いたが、このMC100/2.5の場合は、少々それも難しい。
物事には「限度」という要素もある。元々レンズが持つ
性能を超えてまで良く写るようにする事は不可能だ。
で、本レンズにおいては、解像感等やボケ質の回避に
限界を感じたら、潔くHi-Fi描写は諦めて、Lo-Fi用途専用
レンズとして使う(つまり、トイレンズ相当としてしまう)
のも有りかも知れない。
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さて、5本目のシステム
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レンズは、smc PENTAX-M 100mm/f2.8
(中古購入価格 12,000円)(以下、M100/2.8)
カメラは、SONY α7(フルサイズ機)
恐らくは1970年代後半の発売と思われるMF中望遠
レンズ、PENTAX Kマウント仕様である。
M型番なので、当然、「小型軽量シリーズ」である。
1972年の世界最小&最軽量一眼レフOLYMPUS M-1
(OM-1)に対抗し、PENTAXが4年の歳月を掛けて、
世界最小のPENTAX MX(1976年、注:最軽量では無い)
および、小型化交換レンズ群「Mシリーズ」を発売した、
という歴史である。
で、「この時代、小型化により性能を落としたレンズも
多い」と、本ブログでは何度も書いているが・・
残念ながら本レンズM100/2.8も、その口である。
フィルター径がφ49mmしか無い。さすがにこれは小さ過ぎる
のではなかろうか? 一応5群5枚と、オーソドックスな設計
かつ、鏡筒長を短くできる(小型化)要素は持っている。
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しかし・・
本レンズは優秀なsmcコーティングを施しているにも係わらず
コントラストが低い「ヌケの悪い」描写だ。解像感も、やや
甘い、諸収差の関係なのか? その描写力は絞り値や撮影
距離、背景距離などに影響されて安定せず、良く写ったり
酷い写りになるという、ややアンコントローラブルな要素が
ある、これの回避は非常に困難である。
本M100/2.8をどうしてもHi-Fi用途に使いたいのであれば、
手動での各種ブラケットが必須となる。すなわち、絞り値
や撮影距離、アングル等を段階的に変えながら撮影し、
その大量の写真の中から、解像感、コントラスト、ボケ質
などに優れるものを選ぶという「下手な鉄砲、数撃てば
当たる」方式を用いるしか無い。
勿論、ものすごく手間がかかる撮影技法となる。
正直言えば、1970年代後半~1980年代前半における
各社の「小型化レンズ」は、描写力的な側面からは、あまり
推奨できないものになる。それ以前の時代の大柄なレンズや、
それ以降のガラス材質等の進化のあった時代のレンズの方が
良く写る、という事になるだろう。
すなわち、本M100/2.8よりも、二世代も古い(前述の)
Super-Takumar 105/2.8の方が、両者同様に弱点を回避
しながら使うのであれば、良く写る確率が高いとも言える。
ちなみに、同じPENTAXのMF中望遠でも、120mm/F2.8版
は、個人的には気にいっているレンズである、100mmとの
詳細の比較分析は行ってはいないが、まあ、120mmの方が
設計が優秀である事は確かだと思う。
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さて、6本目のシステム
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レンズは、KONICA MACRO HEXANON AR 105mm/f4
(中古購入価格 9,000円)(以下、AR105/4)
カメラは、PANASONIC DMC-G1 (μ4/3機)
レンズマニアックス第19回記事、本シリーズ第34回
「HEXANON AR編」で紹介の、1970年台後半の発売と
思われる、MF小口径中望遠「ベローズ」マクロレンズ。
レンズ単体では使用できず、ベローズ(蛇腹状の延長鏡筒)
または専用ヘリコイド(未所有)を使用しないと、ピント
調節が出来ない。
かなり大掛かりで面倒なシステムである。一応近接撮影では
概算だが、フルサイズ換算時、約3倍弱の撮影倍率となる。
これは相当大きい撮影倍率であり、かつ他の高倍率マクロは
多くが近接撮影専用であるのに、本AR105/4は、そのまま
無限遠撮影までも可能である。
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現代において、この手の機材を使う用途や理由は殆ど無い。
だから希少品にも係わらず、安価な「捨て値」の中古相場
となっていた。私は研究用途として本レンズを購入したが、
その描写傾向は、NIKON Ai Micro-NIKKOR 105mm/f4
(1977年、本シリーズ第50回記事等で紹介済み)と
だいたいそっくりである。なので、一般撮影においては、
そちらのAi105/4の方が(1/2倍までではあるが)、
ごく普通のマクロレンズとして、遥かに使い勝手が良い。
(しかも、入手価格も、ほぼ両者同等であった)
研究用など、極めて特殊な目的以外には、現代における
一般的な実用性はゼロに近いレンズである。
ただ、幸いな事に描写力は悪く無い。やや「平面マクロ」
の様相はあるが、解像感はそこそこ高い。
だがまあ、私に言わせれば「まんま、Ai105/4じゃん!」
という感じなのだが・・ まさか発売時期からして、NIKON版
をコピーする期間は無かっただろうから、NIKONから設計を
買ったのだろうか?という想像までしてしまったレンズである。
(注:3群5枚ヘリアー型は、比較的普遍的な設計だ)
(参考:KONICA製のマクロレンズは、極めて機種数が少ない、
他にAR55/3.5があると思うが、レア品で入手困難であり、
収差発生による緩い写りのレンズと聞く。すなわち、マクロ
レンズ設計のノウハウをKONICAは殆ど持っていなかった事で
あろう事が想像され、他社に設計を依頼する事もあり得るか?)
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さて、7本目のシステム
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レンズは、MINOLTA AF 100mm/f2
(中古購入価格 20,000円)(以下、AF100/2)
カメラは、KONICA MINOLA α-7 DIGITAL(APS-C機)
本ブログでは、ずいぶんと久しぶりの登場だ。
発売年不明、恐らくは1980年代後半と思われる。
MINOLTA AF(α)初期の時代の、大口径AF中望遠である。
前述のMC100/2.5とは、まったく別の系統であろう。
しかし、本AF100/2の系譜も、その後途絶えてしまっていて、
MINOLTAのAF100mm単焦点系列は、マクロ(後述)と、
ソフト(他記事で紹介済み)の特殊用途品に変遷していく。
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個人的に、本レンズが最も活躍したのは、2000年代前半、
デジタル時代に入った直後での、暗所での撮影だ。
(ステージ系のライブや舞台演劇等)
この時代、KONICA MINOLA製のデジタル一眼レフのみが
ボディ内手ブレ補正を搭載していた。(注:PENTAXでの
その搭載は、K10D(2006年、デジタル一眼第6回記事)の
時代からであった)
NIKONやCANONで、手ブレ補正内蔵レンズが存在していたが、
その最大口径はF2.8止まりであって、当時の低感度デジタル
一眼レフにおいては、F2.0やF1.4の大口径レンズで、かつ
手ブレ補正可能なシステムを組まないと暗所では厳しい。
それが唯一実現できたのは、当時私が「夜間戦闘機」と
呼んでいた、今回使用のKONICA MINOLTA α-7 DIGITAL
および、同社レンズラインナップ上の最大口径レンズ群、
具体的には、28mm/F2、35mm/F1.4、50mm/F1.4、
85mm/F1.4、100mm/F2 の5本である。
これらを使った場合のみ、2000年代前半当時としては
最も暗所に強いシステムに成り得た訳だ。
で、望遠系は、このAF100/2の1本しか存在しないのだ。
まあ、たまにAF200/2.8を持ち出す事もあったが、F2.8と
小口径だし、大きく重い(100mm/F2の4倍、手ブレし易い)
後年、2006年には、αを引き継いだSONYより、ZA135/1.8
という、このステージ撮影用途に適正なレンズが発売された
のだが、定価20万円のブルジョアレンズであり、私がやっと
それを購入できたのは、中古相場が9万円程度に下落した
2010年代半ばの話であった。
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本AF100/2の描写力だが、前述のMC100/2.5の所でも
述べたように、MINOLTAにとって100mmは「鬼門」である。
どこをどう間違えたのか? ずっと課題のある焦点距離と
なってしまていた。
まあでも、本AF100/2は、そこまでダメダメの写りでは
無く、そこそこまともには写る。けど、大きな優位点には
繋がらず、まあ、ステージ系の「記録撮影」に特化する
という用途以外には、趣味撮影に持ち出して撮りたいと
思った事は、残念ながら殆ど無いレンズである。
(それ故に、本ブログでも、滅多に紹介される事は無い)
現代では前述の暗所での用途も、より明るい135mm/F1.8級
レンズや、高性能化された手ブレ補正、そして、なによりも
カメラの(超)高感度化により、どうとでも適正システムを
組む事が可能となっている。
本レンズは、現代においては殆ど実用価値を見い出せず、かつ
販売本数が少ないレア品となっている。わざわざ本AF100/2
を現代において「指名買い」をする理由は、殆ど無いであろう。
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では、今回ラストのシステム
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レンズは、MINOLTA AF Macro 100mm/f2.8 (NEW)
(中古購入価格 18,000円)
カメラは、SONY α77Ⅱ (APS-C機)
既に、本シリーズでも第50回「中望遠マクロレジェンド編」
で紹介済みなので簡単に・・
1990年代のAF中望遠等倍マクロレンズである。
MINOTAのAFレンズ群は、時代に応じ、「旧型(初期型)」
「NEW型」「D型」と、マニアや中古市場では区分されている。
旧型は、ピントリングの幅が約4mmと狭い、これはα-7000
(1985年)の登場で、「MF操作は時代遅れ」と、MFを
軽視した世情による仕様であった。
しかし、当然AFは万能では無かったので、1990年頃から
NEW型となって、ピントリング幅を約8mmまで広げた。
だが、NEW型のゴムのピントリングは正直言ってデザイン的
に格好悪いし、それによりMF操作性が格段に向上している
訳でも無い。したがって、旧型を好むマニアも多く、私も
その口である。
1990年代後半からはD型(距離エンコーダー内蔵)となって、
マクロは勿論、多くのレンズのピントリング幅は、だいぶ
広くなって改善された。
だが、MINOLTA時代の多くのレンズは、旧→NEW→Dの
各型によっても、中身のレンズ構成は同一である。
したがって、例えば1990年代後半の中古カメラブームの際も、
単に新しく外観等が変わっただけで高価になり、中古相場
も高額なD型の購入は、マニア層は見送っていた。
中古買いの殆どが、旧型かNEW型の二択であった訳だ。
私も本レンズの旧型を持っていたが、銀塩末期に譲渡して
しまい、TAMRON SP90/2.8に置き換えた。しかし近年になって
本レンズも相場が安価となった為、再購入する事とした。
旧型とNEW型で迷って、NEW型を選んだ次第である。
なお、D型の多くは2006年のKONICA MINOLTAからSONYへの
「α」の譲渡の際、そのままSONY銘として引き継がれている。
現在、SONYでのα一眼レフ(Aマウント)は、ミラーレス機に
主軸を移した為に元気が無いが、その交換レンズの中には
ミノルタの最初期のAFレンズ(1980年代後半)のままの
光学系のものもいくつかある。ただ、30年以上も前のもの
だから、古くてダメか、というとそうでもなく、例えば
AF50mm/f2.8 Macro(初期型)は、ハイコスパ名玉編記事
で堂々のランキング第1位となった、完成度の高い銘玉だ。
その高い完成度であるが故、NEW→D→SONYと引き継がれた
訳である。で、あれば最も古い初期型は、ほぼ同じ写りで
しかも安価な中古相場だから、最もコスパが良くなる道理だ。
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さて、本100/2.8Macroだが、こちらは50mmマクロの
ように、手放しで褒める事はできないレンズである。
銀塩時代に初期型を使っていた際は、もっと比較的良く写る
レンズだ、と思ってはいたのだが、それでも、あまり気に
入らずに、TAMRONの90マクロに買い換えていた次第だ。
で、デジタル時代の現代で、もっと厳密に評価してみると
やはりちょっと問題ありだ。具体的には解像感がかなり低く
感じてしまい、これを回避するのは、被写体を選ぶしか無い。
まあ、MINOLTAの100mmが、どうも「鬼門」であるように
思えてならない、どの100mmも、あまり褒められた性能では
無いのだ。まさか100mmというのがマイナーな焦点距離だから
新人の設計者が割り当てられたとか、そんな理由では無いと
思うのだが・・(しかしながらMF時代であれば、有り得るか?
また、AF時代でも、カメラやレンズのAF化に、とても忙しい
時代だっただろうから、そういうケースも有り得たかも)
まあ、MF時代から4本(実質5本)のMINOLTA 100mm単焦点
レンズを使ってきて、今にして思う印象である。
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総括だが、本AF100/2.8Macroも「指名買い」の必然性は
殆ど無いレンズであろう、実用的にα(A)マウントでの
中望遠マクロが必要ならば、TAMRON SP90/2.8 で十分
だと思う。本レンズを買う理由とすれば、MINOLTAに
おける中望遠マクロの性能を確認する為の研究用途
くらいとなるであろうか・・
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では、今回の「100mmクラッシックス編」は、
このあたり迄で。次回記事に続く。
カテゴリー別に紹介している。
今回は「100mmクラッシックス」という主旨で
銀塩時代の一眼レフ用の焦点距離100mm(&105mm)
のMF/AFレンズで、本シリーズ記事では未紹介の(又は、
その状態に近い)レンズを8本準備し、順次紹介する。
が、いずれも過去記事で紹介済みレンズの為、個々の
レンズの話は最小限とするが、全体を通して読む事に
より、各時代における100mmレンズの変遷が見えて
来ると思われる。
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ではまず、最初の100mmシステム
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(中古購入価格 約5,000円)(以下、FD100/2.8)
カメラは、FUJIFILM X-T1 (APS-C機)
1971年発売のMF中望遠レンズ、CANON F-1(1971年、
銀塩一眼レフ第1回記事)と同時代のレンズである。
ミラーレス・マニアックス名玉編で第19位にランクイン
した優秀なレンズではあるが、その後は数年間、紹介の
機会に恵まれなかった。
後期型として、多層コーティング化されたバージョンが
存在している模様だ。恐らくそちらにはS.S.C.の記載が
あると思う。本レンズは初期型であり、単層コートだ。
この「単層コート」というのが曲者であり、本レンズの
描写はコントラストが低く、いわゆる「ヌケが悪い」と
呼ばれる写りだ。逆光耐性も低い為、光線状況に留意して
撮影する事や、カメラ側の設定も、コントラストや発色を
若干強めにしておく事が望ましい。(今回は、その意味も
あって、発色の良いFUJIFILM X-T1を母艦としている)
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ボケ質破綻も出難く、低廉な中古相場で購入した事もあって、
個人的には、コスパ評価が極めて高く評価されている。
後年(1980年頃)にはCANON FDマウントの100mmは、
F2.8版に加え、F2版の(New)FD100mm/F2(本シリーズ
第46回「CANON FD F2編」参照)が発売されているが、
当該記事でも書いたように、F2版は、ボケ質破綻が酷く、
実用に適さない面もある。
それは大口径化で無理をした設計であったのだと思われる、
ちなみに、本FD100/2.8のレンズ構成は、5群5枚であり、
NFD100/2は4群6枚だ。
(注:NFD100/2は、もっと古い時代の同仕様のレンズ
の復刻版、という可能性もある)
加えて、1970年代には、OLYMPUS OM-1(1973)や、
PENTAX MX(1976)による一眼レフの小型化競争が起こって
いて、CANONにおいても(New)FDレンズの小型化が意図
されたのだと思われる。この結果、1971年の本レンズ
FD100/2.8のフィルター径はφ55mmであったのに、
1980年のNFD100/2ではφ52mmとなった。
本来、大口径化では、有効径を大きく取る為に、前玉は
大型化し、連動してフィルター径も大きくなる筈なのに
むしろ小さくなった。これはやはり、設計に無理がある
状況であろう。ちなみに、このケースのみならず、
この1970年代後半における「小型化競争」で、レンズの
描写性能を落としてしまった例は、他にもいくつかある。
まあ、新しく、開放F値も明るいレンズだからと言って、
常にそれが良い事ばかりでは無い、という典型例であろう。
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では、2本目のシステム
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(中古購入価格 16,000円)(以下、E100/2.8)
カメラは、NIKON Df(フルサイズ機)
1980年代のMF単焦点中望遠レンズ。
ここで「シリーズE」についての説明をしはじめると、
際限なく記事文字数を消費してしまいそうだ(汗)
でも、近年では、これの説明を書いていなかったので、
今回は、最低限は説明せざるを得まい。
「シリーズE(SERIES E)」とは、1979年に海外向けに
発売された、NIKON EM(愛称:「リトル・ニコン」)
のMF一眼レフに向けての、低価格レンズ群の名称だ。
ご存知の通り、NIKONは「高付加価値型」のカメラメーカー
である。これを別の言い方をすれば、「低価格帯の製品は
あまり売りたく無い」という意味である。
でも、時代によって、低価格帯製品を出さざるを得ない
ケースもある。
その1つは、物価上昇が激しかった1970年代であり、
カメラやレンズが高価になりすぎた反動で、1980年
前後には各社から低価格一眼レフ等が多数発売され、
NIKONも対抗上、このNIKON EMを発売したのであろう。
(参考:その後は、AF化が行われた1980年代後半、そして
近い将来のデジタル化を見据えた2000年頃に集中して、
さらにミラーレス機の台頭があった2010年代前半頃に、
NIKONは低価格機を発売している)
ただ、当初はEMは海外向け限定販売であった。
やはり、ここも国内では発売するのを躊躇った形跡が
見受けられる。
(注:安価なNIKON機を発売すると、消費者層はそれを
入手して「NIKONを買った」と満足して、より上位の高価格
帯機種の売り上げに影響が出る。→と、そうNIKONは思う)
だが1980年頃には、例えばMINOLTA X-7(宮崎美子さん
のCMで大ヒット)等の、エントリー機戦略を各社が取って
きている、やむなくNIKONもEMを1980年に国内発売するが
絞り優先専用機であり、評判はイマイチであった。
(消費者が、NIKONと言う名から、高性能を期待しても、
抑えられた仕様であったからだ)
また、1983年には遅ればせながらNIKONもコンパクト
カメラの発売を開始する、しかしこれも不人気だった。
この時代から「NIKONは初級機を作るのが下手だ」という
話がマニア層を中心に広まるが、実はそういう話では無い。
「NIKONは低価格機を売りたく無い」が正解であり、
この為、下位機種における「仕様的差別化」が甚だしい。
これは、その後約40年間、近代に至るまで全く同様である。
現代でもNIKON下位機種は、様々な性能・機能的制限により、
使っていて「何でこの機能が外されている!」と、不愉快に
なる事が多々ある位だ。(注:2010年代末頃からは、
NIKONは、もう低価格機を発売していない)
さて、話がそれてきた。シリーズEは、低価格一眼レフ用の
交換レンズであるから、これもやはり値段を下げなければ
ならない。だから、ここでも「仕様的差別化」が必要だ。
本E100/2.8は、多層コートが常識の時代のレンズなのに
わざわざ単層コートとしている。
「写りが悪い(逆光に弱い)と思ったのなら、ちゃんとした
NIKKORの高級レンズを買って下さい」という戦略だとは
思うが、消費者視点からは、あまり納得はいかない。
又、本レンズはNIKON交換レンズの中で唯一100mm仕様だ
(他は、全てが105mm仕様) もしかすると、ここも
「これはNIKKORではありません」という差別化だろうか?
それから、外観が極めてチープ(安っぽい)である。
このように性能制限をかける事で、シリーズEにはNIKKOR
銘がついていない。「これは”NIKON LENS”であって、
高性能で高級品の”NIKKOR”と比べて、1ランク低い物だ」
という意識が見て取れて、ここも気分の良い話では無い。
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レンズ群である。細かい欠点や、作りの安っぽさはあるが、
上手く弱点を回避しながら使いこなせば、コスパが極めて
良いニコン製レンズとなるからである。
それに描写力も悪く無い。(むしろ良い位である)
きっと設計者が「良い仕事をしたい」と思ったのであろう、
それが「技術者の良心」であり、そこは会社の営業戦略とか
方針よりも、技術者にとっては優先すべき事柄なのだ。
弱点は、描写力よりも、むしろ入手性である。
中古カメラブーム時の1990年代ですらセミレア品となって
いた。確かシリーズEの単焦点は4本が存在していたと思うが、
殆どが海外向けであり、国内流通は少ないか未発売であった
事に加えて、前述のようにNIKON EMが不人気であったから、
シリーズEレンズ群もも販売数が少なかったのだ。
この為、私が持っているシリーズE単焦点は2本のみで
(注:別途Ai50/1.8Sも、シリーズE 50/1.8の国内版だ)
しかも、いずれも1万円後半の入手価格と、性能からすると、
やや高目の「希少品相場」になってしまっていた。
後年、デジタル時代には、1万円以下の相場とはなったが、
反面、さらにレア度は増し、中古を見かけるケースは少ない。
(参考:「投機層」がシリーズEに注目して相場吊り上げを
行った事は無い。金満家のコレクター層であっても、作りが
安っぽいシリーズEを欲しいとは思わなかっただろうからだ)
なお、「仕様的差別化」が掛っている事から、私の定義
では「シリーズE」は、「エントリーレンズ」とは見なして
いない。エントリーレンズは、すなわち高性能でないと
「お試し版」にならないからだ。ユーザーがそれを買って
「なんだ、たいした事がないや」と、がっかりしたら、
二度とそのメーカーの高性能レンズを買ってくれなくなる。
初のエントリーレンズ、CANON EF50/1.8Ⅱ(1990年)や、
2000年代以降の各社エントリーレンズは、どれも高性能
であり、コスパに大変優れている。
これが本来の市場戦略であるが、本レンズの時代、
1980年前後においては、そのように「損して得取れ」
といった発想は、どの市場分野においても、誰にも
無かったに違い無い。だからNIKONのシリーズE戦略の
失敗を責めるのは筋違いであろう、当時の時代背景では、
これもまた、やむを得ない事であっただろうからだ。
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さて、3本目のシステム
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(中古購入価格 3,000円)(以下、ST105/2.8)
カメラは、SONY NEX-7(APS-C機)
1960年代のMF単焦点中望遠レンズ、M42マウント版。
SMC銘もまだ付いていない単層コーティング仕様である。
まあでも、現代においては、M42マウントアダプターを
用いて、全てのミラーレス機や、多くの一眼レフで利用
が可能である。
この時代での中望遠は、まだユーザーでの用途が無かった
50mm標準の上は、いきなり135mm望遠となる事が、
当時や少し後の時代での常識であり、一応、この時代でも
85mm、100(105)mm、稀に120mmレンズも存在して
いたが、購入するユーザーの数は少なく、よって販売数が
少ないから割高であり、結果、ますます売れなくなるから、
その後の時代でも殆ど中古流通は無い。だから相場も高目
となり、高値から高性能を期待して購入すると間違いなく
あてが外れる事となる。(これは本記事を通じて、他の
100mm単焦点レンズでも、ほぼ同様の状況である)
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これの写りをあれこれと語る方が無粋であろう。
こういうレンズは、Hi-Fi描写にしたければ、弱点回避
技法を用い、Lo-Fi描写としたい場合は、弱点をあえて
強調するようにすれば良い。
両技法とも、そう簡単な話ではないのは確かではあるが
やってはいけない事は「(オールド)レンズの言うがまま」
に撮ってしまう事であろう。
「言うがまま」とは、何の工夫もせず現代レンズと同様に
ごく普通に撮ろうとしてしまう事であり、もしそうすると、
オールドレンズは時には良く写り、時には酷い写りとなる。
よって、その評価が困難となり、偶然でどちらかに振った
状態を見て、ある人は「このレンズは良い」と言い、
別の人は「こりゃあ、ダメだ」と言う。そして、それらの
評価が混在して巷に広まる、場合により、その「風評」とも
言えるものは、何十年たってもおさまらず、単なる思い込み
がずっと伝播し続けるのだ。
これは勿論好ましく無い状態である。正確ではない情報が
世の中に沢山あるのは、結局そういう事が積み重なっての
理由な訳だ。
まあ、オールドレンズはアンコントローラブル(制御不能)
とは言えるであろう。でも、実際にアンコントローラブル
なのは、トイカメラとかの、性能の極めて低いシステムで
あり、本ST105/2.8くらいの性能実力値があれば、決して
アンコントローラブルにはならない。
だから制御不能としてしまうのは、あくまで撮り手側の
問題だと見なす事ができるであろう。よって、前述の通り
「レンズの言うがままに撮るのは、避けなければならない」
という事である。
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さて、4本目のシステム
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(中古購入価格 3,000円)(以下、MC100/2.5)
カメラは、PANASONIC DMC-G6(μ4/3機)
詳細不明、恐らくは、1970年代の製品であろうが、
この時代のMC100/2.5は数年毎に数回のモデルチェンジが
あった模様で、その、どのバージョンに当たるかは不明だ。
この時代、MINOLTAのMCレンズは、機種毎により、性能の
ばらつきが大きい。非常に良く写るものもあれば、逆に
「箸にも棒にもかからない」レンズも存在する。
これはつまり、この時代のレンズは完全手動設計であるから、
1人で全ての機種の設計が出来る程の時間的余裕は無く、
複数の人達で分散して仕事をする為、その設計者のスキルや
経験値により、レンズ設計に優劣が出てしまうのであろう。
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まあ、場合により、当時はあまり売れない中望遠レンズだ、
優秀な設計者は、50mm等の「看板レンズ」の設計に
廻されたのかも知れない。
それが原因なのか? だから数回のモデルチェンジを行い、
光学系の変更(改善の努力)を行ったのかも知れない。
一応そのままMDの時代(1980年代前半)迄は、マイナー
チェンジが行われたが、AF(α)の時代(1985年~)
には、綺麗さっぱり、この100mm/F2.5は無くなっている。
そこで「もうこの系統は諦めた」という事なのだろうか?
(注:後継のAF100mm/F2は、本記事で後述する)
前のST105/2.8の所で「レンズの弱点を回避して使う」と
書いたが、このMC100/2.5の場合は、少々それも難しい。
物事には「限度」という要素もある。元々レンズが持つ
性能を超えてまで良く写るようにする事は不可能だ。
で、本レンズにおいては、解像感等やボケ質の回避に
限界を感じたら、潔くHi-Fi描写は諦めて、Lo-Fi用途専用
レンズとして使う(つまり、トイレンズ相当としてしまう)
のも有りかも知れない。
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さて、5本目のシステム
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(中古購入価格 12,000円)(以下、M100/2.8)
カメラは、SONY α7(フルサイズ機)
恐らくは1970年代後半の発売と思われるMF中望遠
レンズ、PENTAX Kマウント仕様である。
M型番なので、当然、「小型軽量シリーズ」である。
1972年の世界最小&最軽量一眼レフOLYMPUS M-1
(OM-1)に対抗し、PENTAXが4年の歳月を掛けて、
世界最小のPENTAX MX(1976年、注:最軽量では無い)
および、小型化交換レンズ群「Mシリーズ」を発売した、
という歴史である。
で、「この時代、小型化により性能を落としたレンズも
多い」と、本ブログでは何度も書いているが・・
残念ながら本レンズM100/2.8も、その口である。
フィルター径がφ49mmしか無い。さすがにこれは小さ過ぎる
のではなかろうか? 一応5群5枚と、オーソドックスな設計
かつ、鏡筒長を短くできる(小型化)要素は持っている。
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本レンズは優秀なsmcコーティングを施しているにも係わらず
コントラストが低い「ヌケの悪い」描写だ。解像感も、やや
甘い、諸収差の関係なのか? その描写力は絞り値や撮影
距離、背景距離などに影響されて安定せず、良く写ったり
酷い写りになるという、ややアンコントローラブルな要素が
ある、これの回避は非常に困難である。
本M100/2.8をどうしてもHi-Fi用途に使いたいのであれば、
手動での各種ブラケットが必須となる。すなわち、絞り値
や撮影距離、アングル等を段階的に変えながら撮影し、
その大量の写真の中から、解像感、コントラスト、ボケ質
などに優れるものを選ぶという「下手な鉄砲、数撃てば
当たる」方式を用いるしか無い。
勿論、ものすごく手間がかかる撮影技法となる。
正直言えば、1970年代後半~1980年代前半における
各社の「小型化レンズ」は、描写力的な側面からは、あまり
推奨できないものになる。それ以前の時代の大柄なレンズや、
それ以降のガラス材質等の進化のあった時代のレンズの方が
良く写る、という事になるだろう。
すなわち、本M100/2.8よりも、二世代も古い(前述の)
Super-Takumar 105/2.8の方が、両者同様に弱点を回避
しながら使うのであれば、良く写る確率が高いとも言える。
ちなみに、同じPENTAXのMF中望遠でも、120mm/F2.8版
は、個人的には気にいっているレンズである、100mmとの
詳細の比較分析は行ってはいないが、まあ、120mmの方が
設計が優秀である事は確かだと思う。
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さて、6本目のシステム
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(中古購入価格 9,000円)(以下、AR105/4)
カメラは、PANASONIC DMC-G1 (μ4/3機)
レンズマニアックス第19回記事、本シリーズ第34回
「HEXANON AR編」で紹介の、1970年台後半の発売と
思われる、MF小口径中望遠「ベローズ」マクロレンズ。
レンズ単体では使用できず、ベローズ(蛇腹状の延長鏡筒)
または専用ヘリコイド(未所有)を使用しないと、ピント
調節が出来ない。
かなり大掛かりで面倒なシステムである。一応近接撮影では
概算だが、フルサイズ換算時、約3倍弱の撮影倍率となる。
これは相当大きい撮影倍率であり、かつ他の高倍率マクロは
多くが近接撮影専用であるのに、本AR105/4は、そのまま
無限遠撮影までも可能である。
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だから希少品にも係わらず、安価な「捨て値」の中古相場
となっていた。私は研究用途として本レンズを購入したが、
その描写傾向は、NIKON Ai Micro-NIKKOR 105mm/f4
(1977年、本シリーズ第50回記事等で紹介済み)と
だいたいそっくりである。なので、一般撮影においては、
そちらのAi105/4の方が(1/2倍までではあるが)、
ごく普通のマクロレンズとして、遥かに使い勝手が良い。
(しかも、入手価格も、ほぼ両者同等であった)
研究用など、極めて特殊な目的以外には、現代における
一般的な実用性はゼロに近いレンズである。
ただ、幸いな事に描写力は悪く無い。やや「平面マクロ」
の様相はあるが、解像感はそこそこ高い。
だがまあ、私に言わせれば「まんま、Ai105/4じゃん!」
という感じなのだが・・ まさか発売時期からして、NIKON版
をコピーする期間は無かっただろうから、NIKONから設計を
買ったのだろうか?という想像までしてしまったレンズである。
(注:3群5枚ヘリアー型は、比較的普遍的な設計だ)
(参考:KONICA製のマクロレンズは、極めて機種数が少ない、
他にAR55/3.5があると思うが、レア品で入手困難であり、
収差発生による緩い写りのレンズと聞く。すなわち、マクロ
レンズ設計のノウハウをKONICAは殆ど持っていなかった事で
あろう事が想像され、他社に設計を依頼する事もあり得るか?)
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さて、7本目のシステム
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(中古購入価格 20,000円)(以下、AF100/2)
カメラは、KONICA MINOLA α-7 DIGITAL(APS-C機)
本ブログでは、ずいぶんと久しぶりの登場だ。
発売年不明、恐らくは1980年代後半と思われる。
MINOLTA AF(α)初期の時代の、大口径AF中望遠である。
前述のMC100/2.5とは、まったく別の系統であろう。
しかし、本AF100/2の系譜も、その後途絶えてしまっていて、
MINOLTAのAF100mm単焦点系列は、マクロ(後述)と、
ソフト(他記事で紹介済み)の特殊用途品に変遷していく。
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デジタル時代に入った直後での、暗所での撮影だ。
(ステージ系のライブや舞台演劇等)
この時代、KONICA MINOLA製のデジタル一眼レフのみが
ボディ内手ブレ補正を搭載していた。(注:PENTAXでの
その搭載は、K10D(2006年、デジタル一眼第6回記事)の
時代からであった)
NIKONやCANONで、手ブレ補正内蔵レンズが存在していたが、
その最大口径はF2.8止まりであって、当時の低感度デジタル
一眼レフにおいては、F2.0やF1.4の大口径レンズで、かつ
手ブレ補正可能なシステムを組まないと暗所では厳しい。
それが唯一実現できたのは、当時私が「夜間戦闘機」と
呼んでいた、今回使用のKONICA MINOLTA α-7 DIGITAL
および、同社レンズラインナップ上の最大口径レンズ群、
具体的には、28mm/F2、35mm/F1.4、50mm/F1.4、
85mm/F1.4、100mm/F2 の5本である。
これらを使った場合のみ、2000年代前半当時としては
最も暗所に強いシステムに成り得た訳だ。
で、望遠系は、このAF100/2の1本しか存在しないのだ。
まあ、たまにAF200/2.8を持ち出す事もあったが、F2.8と
小口径だし、大きく重い(100mm/F2の4倍、手ブレし易い)
後年、2006年には、αを引き継いだSONYより、ZA135/1.8
という、このステージ撮影用途に適正なレンズが発売された
のだが、定価20万円のブルジョアレンズであり、私がやっと
それを購入できたのは、中古相場が9万円程度に下落した
2010年代半ばの話であった。
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述べたように、MINOLTAにとって100mmは「鬼門」である。
どこをどう間違えたのか? ずっと課題のある焦点距離と
なってしまていた。
まあでも、本AF100/2は、そこまでダメダメの写りでは
無く、そこそこまともには写る。けど、大きな優位点には
繋がらず、まあ、ステージ系の「記録撮影」に特化する
という用途以外には、趣味撮影に持ち出して撮りたいと
思った事は、残念ながら殆ど無いレンズである。
(それ故に、本ブログでも、滅多に紹介される事は無い)
現代では前述の暗所での用途も、より明るい135mm/F1.8級
レンズや、高性能化された手ブレ補正、そして、なによりも
カメラの(超)高感度化により、どうとでも適正システムを
組む事が可能となっている。
本レンズは、現代においては殆ど実用価値を見い出せず、かつ
販売本数が少ないレア品となっている。わざわざ本AF100/2
を現代において「指名買い」をする理由は、殆ど無いであろう。
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では、今回ラストのシステム
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(中古購入価格 18,000円)
カメラは、SONY α77Ⅱ (APS-C機)
既に、本シリーズでも第50回「中望遠マクロレジェンド編」
で紹介済みなので簡単に・・
1990年代のAF中望遠等倍マクロレンズである。
MINOTAのAFレンズ群は、時代に応じ、「旧型(初期型)」
「NEW型」「D型」と、マニアや中古市場では区分されている。
旧型は、ピントリングの幅が約4mmと狭い、これはα-7000
(1985年)の登場で、「MF操作は時代遅れ」と、MFを
軽視した世情による仕様であった。
しかし、当然AFは万能では無かったので、1990年頃から
NEW型となって、ピントリング幅を約8mmまで広げた。
だが、NEW型のゴムのピントリングは正直言ってデザイン的
に格好悪いし、それによりMF操作性が格段に向上している
訳でも無い。したがって、旧型を好むマニアも多く、私も
その口である。
1990年代後半からはD型(距離エンコーダー内蔵)となって、
マクロは勿論、多くのレンズのピントリング幅は、だいぶ
広くなって改善された。
だが、MINOLTA時代の多くのレンズは、旧→NEW→Dの
各型によっても、中身のレンズ構成は同一である。
したがって、例えば1990年代後半の中古カメラブームの際も、
単に新しく外観等が変わっただけで高価になり、中古相場
も高額なD型の購入は、マニア層は見送っていた。
中古買いの殆どが、旧型かNEW型の二択であった訳だ。
私も本レンズの旧型を持っていたが、銀塩末期に譲渡して
しまい、TAMRON SP90/2.8に置き換えた。しかし近年になって
本レンズも相場が安価となった為、再購入する事とした。
旧型とNEW型で迷って、NEW型を選んだ次第である。
なお、D型の多くは2006年のKONICA MINOLTAからSONYへの
「α」の譲渡の際、そのままSONY銘として引き継がれている。
現在、SONYでのα一眼レフ(Aマウント)は、ミラーレス機に
主軸を移した為に元気が無いが、その交換レンズの中には
ミノルタの最初期のAFレンズ(1980年代後半)のままの
光学系のものもいくつかある。ただ、30年以上も前のもの
だから、古くてダメか、というとそうでもなく、例えば
AF50mm/f2.8 Macro(初期型)は、ハイコスパ名玉編記事
で堂々のランキング第1位となった、完成度の高い銘玉だ。
その高い完成度であるが故、NEW→D→SONYと引き継がれた
訳である。で、あれば最も古い初期型は、ほぼ同じ写りで
しかも安価な中古相場だから、最もコスパが良くなる道理だ。
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ように、手放しで褒める事はできないレンズである。
銀塩時代に初期型を使っていた際は、もっと比較的良く写る
レンズだ、と思ってはいたのだが、それでも、あまり気に
入らずに、TAMRONの90マクロに買い換えていた次第だ。
で、デジタル時代の現代で、もっと厳密に評価してみると
やはりちょっと問題ありだ。具体的には解像感がかなり低く
感じてしまい、これを回避するのは、被写体を選ぶしか無い。
まあ、MINOLTAの100mmが、どうも「鬼門」であるように
思えてならない、どの100mmも、あまり褒められた性能では
無いのだ。まさか100mmというのがマイナーな焦点距離だから
新人の設計者が割り当てられたとか、そんな理由では無いと
思うのだが・・(しかしながらMF時代であれば、有り得るか?
また、AF時代でも、カメラやレンズのAF化に、とても忙しい
時代だっただろうから、そういうケースも有り得たかも)
まあ、MF時代から4本(実質5本)のMINOLTA 100mm単焦点
レンズを使ってきて、今にして思う印象である。
Clik here to view.

殆ど無いレンズであろう、実用的にα(A)マウントでの
中望遠マクロが必要ならば、TAMRON SP90/2.8 で十分
だと思う。本レンズを買う理由とすれば、MINOLTAに
おける中望遠マクロの性能を確認する為の研究用途
くらいとなるであろうか・・
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では、今回の「100mmクラッシックス編」は、
このあたり迄で。次回記事に続く。