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カメラの変遷(11) RICOH編

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本シリーズは、各カメラメーカーが発売した銀塩&
デジタルのカメラを、およそ1970年代から、現代
2020年代に至る迄の約50年間の変遷の歴史を辿る
記事である。

今回はRICOH編として、主に1990年代から2010年代の
RICOH機を中心に紹介する。

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まず最初にRICOH(リコー)のカメラの歴史を簡単に
振り返ってみよう。

*1930年代~大戦を挟んで~1950年代 RICOH黎明期

 元々は「国立研究開発法人理化学研究所」で開発された
 感光紙(理研陽画感光紙)の販売の為に、1936年に設立
 された法人が「理研感光紙株式会社」であるが、すぐに
「理研光学工業株式会社」に社名変更をしている。
 その後、戦後の「財閥解体」により、1963年に近代と
 同じ名称の「株式会社リコー(RICOH)」となっていた。

 この時代のRICOHは、主に中判(6x4.5cm、6x6cm)
 や、特殊フォーマット(3x4cm、4x4cm等)のカメラ
(二眼レフやスプリングカメラ等)を多数販売していたが、
 他社製造(OEM品)である物も多かったと聞く。

 中でも、RICOHFLEX(二眼レフ)は1950年代を通じて
 多数の機種が発売され、後年の中古カメラ市場でも
 その多くが流通していた事から、人気機種であった事が
 うかがえる。

 また、中判カメラのみならず35mm判(36mmx24mm)
 のカメラも戦前から戦後にかけて販売を行っている。

 この時代は、他社においてもCANONやOLYMPUS等がカメラ
 の製造販売を開始、国産カメラメーカーの中ではRICOH
(注:当時の理研光学)は、かなりの老舗の部類である。

*1960年代~1970年代 ハーフ判コンパクト機の時代

 市場では既に「オリンパス・ペン」(OLYMPUS-PEN、
 ハイフンの位置に注意)シリーズ(1959~)が
 大衆カメラとして大ヒットしていた世情であるが、
 1962年に、リコーも「オートハーフ」シリーズで、
 このハーフ判市場に参入する。

 当時、何故ハーフ判が人気であったか?は、その当時は
 フィルム代が高価であったからであり、撮影コストが
 低減する効能が一般消費者層に受け入れられたからだ。

「オリンパス・ペン」シリーズは、膨大な累計販売台数
(旧来は1700万台と言われていたが、2018年に800万台
 に下方修正されている。「何故今頃に、そんな昔の話を
 訂正するのか?」と思ったが、恐らく、この発表の頃に
 OLYMPUSはカメラ事業からの撤退を決めたのであろう。
 間違った/水増しした情報を、そのまま残しておく事は、
 色々と、まずい事情があったのかもしれない)
 ・・と、膨大な販売数があったカメラとして著名だが、
「リコー・オートハーフ」シリーズも負けておらず、
 詳しい記録は不明だが、累計600万台という資料もある。

 何故、「オートハーフ」が人気があったか?と言えば
 自動化機能を推し進めていたからであって、例えば
 ゼンマイ機構による自動フィルム巻上げや、固定焦点
(パン・フォーカス)、そして自動露出機構により、
「誰にでも撮れる」という特徴があったからだと思われる。

 なお、レンズは「富岡光学」(ヤシカや京セラCONTAXの
 レンズを製造した事で著名、本シリーズ前回記事参照)
 製のテッサー型を採用、写りにも定評があったと思う。

 オートハーフは1台が実家にあった筈だが、古いカメラ故に
 どこかにしまいこんだのか? 残念ながら所在不明だ。

 また、後年ではフィルムの低価格化が進み、ハーフ判
 カメラのブームも終焉。1970年代頃には、通常の
 35mm判銀塩コンパクト機が市場での主流となっていく。

*1960年代~1970年代 M42マウント一眼レフの時代

 リコーも一眼レフを勿論発売している。1960年代からの
 シングレックスシリーズ等では、主にM42マウントを採用
 して、他社(例えばPENTAX SPシリーズ等)との互換性が
 高かった。
 しかし、本シリーズのPENTAX編(第4回記事)でも述べて
 いるが、本来ユニバーサル(汎用的)なマウントであった
 M42も、開放測光や自動露出(AE)化の市場ニーズが高まり、
 1970年代には各社独自のM42改(M42もどき)のマウント
 となって、互換性が失われてしまった。
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*1970年代後半~1990年代 XRマウント一眼レフの時代

 1975年に、PENTAXがM42マウントをついに見限り、
 独自のバヨネット(Kマウント)化した事に、RICOHも
 追従し、1977年より、Kマウントとほぼ互換性のある
 XRマウント一眼レフ、XRシリーズの販売を開始する。

 初期のボディは、チノン社やコシナ社によるOEM品
 という話も聞くが、まあ、低価格化が出来、耐久性や
 信頼性がある、とも言えるだろう。


 中でも、1978年発売の「XR500」は、レンズ付きで
 39,800円という低価格を実現し、「サンキュッパ」の
 TV CMとともに大ヒットした。
 だが、リコー・オートハーフシリーズに続く、XR500の
 ヒットは、良くも悪くも「RICOH製カメラは大衆機である」
 という印象を、強く消費者層に与える事となった。

 XR500(注:XRシリーズは名称にハイフンの入る機種と
 入らない機種が混在していて、少々わかりにくい)は、
 後年に入手したのだが、付属のXR50mm/F2レンズが
 欲しかった事からの購入であり、カメラ本体は、すぐに
 知人に譲渡してしまった。その最大の理由は、カメラの
 型番のように、最高シャッター速度が1/500秒までと
 貧弱な性能であり、日中では殆どのレンズを、絞りを
 開けて撮影する事が不可能であったからである。

 このXRシリーズは、1990年代まで様々なMF一眼レフが
 発売されている。私は、XR-7MkⅡとXR-8(いずれも
 1993年製、絞り優先機と機械式マニュアル露出機)を
 入手し、過酷な環境でも使える消耗機として使用していた。
(酷寒の冬の北海道撮影旅行でも役立った記憶がある)

 なお、これら一眼レフは、αショック(1985年)以降も
 AF化はされず、まあ、RICOHも銀塩一眼レフのAF化を
 見送ったメーカーの1つである。
(注:他社によくある試作機的なAF一眼レフも発売して
 いない。ただし勿論コンパクト機では、1980年代より
 AF化を実現している。→ほとんど全てのメーカーの
 コンパクト機がAF化されていた)
 
*XR RIKENON(リケノン)レンズ

 XRシリーズ用の交換レンズ群(MF)である。
 PENTAX Kマウントとは、ほぼ互換性があるが、後年のP型
 の場合のみ、XR-P(1984年)以降の、プログラムAE機と
 組み合わせる事でプログラムAEが実現する。

 まあ、絞り優先やマニュアル露出で使うならば、過去から
 現代にかけても、PENTAX製のKマウント一眼レフで相互に
 利用できるが、現代のPENTAXデジタル一眼レフの一部では、
 使えないか又は非常に使い難い為、Kマウントのアダプター
 を使用してミラーレス機に装着する方が簡便であろう。
(なお、前述のように、RICOHの一眼レフ用のAF交換レンズは
 存在しないので、現代においてはミラーレス機+MFが
 ますます利便性が高い)
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 で、これらXRリケノンレンズが、1970年代のように
「富岡光学」製であったかどうかは不明である。
 まあ「富岡光学」はヤシカと関係が深く、1975年からは
 京セラ(ヤシカ)CONTAX用のツァイスレンズを製造して
 いたので、もうRICOHにレンズを供給する事は、できなく
 なっていたのではなかろうか?(詳細不明)

 ただ、どこ製であったのかはともかく、XR RIKENONの
 レンズは比較的高描写力である機種も多く、個人的には
 好みである。(特殊レンズ第36回記事参照)
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さて、長々とRICOH製カメラの歴史を述べてきたが、
ここまでの時代では、残念ながらRICOH製カメラを
現有していない。一部所有していた機種はあるが、
デジタル時代に入った頃に、「古すぎて実用価値無し」
とみなし、全て処分してしまっているのだ。

以降は、現有している機体を含めて紹介を続けよう。

*1990年代 銀塩コンパクト機R1/GR1シリーズ

 このシリーズについては、個人的に多くの機体を所有
 していた。全てを語ると非常に長くなる為、ごく簡単に
 紹介しておくが、詳細については、「銀塩コンパクト・
 クラッシックス第6回記事、 AF高級コンパクト編Ⅰ」や
「特殊レンズ・超マニアックス第10回RICOH GXR編」
 にも詳しいので、適宜参照されたし。

 まあ簡単に言えば、RICOHのカメラと言えば、それまでは
「大衆機」のイメージが強かったのを払拭する為、GRという
 新たなブランドを立ち上げ、高付加価値型の製品戦略に
 転換した、という事である。
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 上写真はRICOH GR1s(1998年)、高級コンパクト機の
 草分けとしてヒットしたGR1(1996年)の小改良機だ。

 まあでも、それまでのR1s(1995年)等が1万円以内の
 中古相場で買えていたものが、GR1s等は10万円以上の
 高額新品定価となってしまった。
 結局、それが「高付加価値型」の戦略の結果であるが、
 値段の差ほどには、R1sとGR1s両者の性能差に10倍の
 開きがある訳では無い。R1sも十分に良く写る単焦点
 コンパクト機であった訳だ。

 しかし、時代は、第一次中古カメラブームの真っ最中で
 あった。バブリーな高付加価値型商品である事はわかって
 はいても、マニア層は、こうした高級コンパクト機に
 夢中になっていた時代であった。
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 高付加価値型の究極は上写真のRICOH GR21(2000年)
 であろうか。異例の超広角単焦点(21mm/F3.5)を
 搭載し、13万8000円(+税)!と、高価なカメラだ。

 だが、少々やりすぎた様相もあったかも知れない・・ 
 私も、このバブリーなカメラを無理をして新品入手し、
 それを使い、冷静に考えてみれば、とてもその値段までの
 価値は無い。つまり「コスパが極めて悪い」という評価を
 自分自身で下さざるを得なかった。

 なにせ、直前の1997年には銀塩普及コンパクトの超名機、
 OLYMPUS μ-Ⅱが登場している。
(銀塩コンパクト第3回記事で μ-Ⅱ Limitedを紹介済み)
 これは普及機ながら、たいていの各社高級コンパクトと
 同等か、あるいは、それらを時には上回る描写力を持ち、
 かつ高級コンパクト機の1/3程度の安価な価格である。
 μ-Ⅱのコスパに比べたら、高級コンパクトの付加価値とは
 いったい何なのか? という点を深く考えるようになって
 しまった。
 結局、銀塩R/GRシリーズは、GR21の後、中古で1機種
 しか購入していない。その1台とは・・

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 RICOH ELLE(1999年)、これはR1sの外装変更機だ。
 銀塩末期の2000年代初頭の購入だが、中古購入価格は
 僅かに4,000円である。
 でも、実用上では銀塩コンパクトは、このクラスで
 十分である(クラスと言うのは値段では無い、勿論、
 描写力の話だ)

 μ-ⅡやELLEといった、超ハイコスパ機を何台か入手して、
 コスパの事を熟考した結果、私は、もうこれ以降では、
 各社銀塩高級コンパクト機の購入をやめてしまった。

*2000年代 デジタル・コンパクト機GRDシリーズ

 2000年代初頭より、各社よりデジタル一眼レフの販売
 が始まり、2004年には各社の普及版デジタル一眼レフが
 出揃った。それまで数十万円と高価であったデジタル一眼
 レフは、10万円台と一般層でも買いやすい価格帯となった。

 それまででもコンパクト・デジタル機は普及していたが、
 デジタル一眼レフは、コンパクト・デジタル機の10倍以上
 も高価であったので、初級層などでは、デジタル一眼レフを
「ガンデジ」や「デジイチ」等と呼び、自身の「コンデジ」を
 見下げるような表現が流行していた。だが、これらの呼称は
「ガンデジ、いいなあ、オレなんかコンデジだからなあ」と、
 卑屈な考え方(差別的、敵視)の要素が大きく、本ブログ
 では非推奨としていた用語であったが、この時代からは、
 もう誰でもがデジタル一眼レフを入手できるようになった為、
 これらの呼称も程なくして絶滅した。(=死語となった)

 その後も、例えば専門性の低い雑誌(たまたまカメラの
 特集をやったなど)では、依然「コンデジ」等の用語を
 用いていたが、時代の変遷を知らないから、平気でそうした
 用語で書いたのだろう。こういうのは単なる流行語では無く
 その時代特有のユーザーの心理から出てきたものなのだ。

 だから時代が変われば、市場心理もユーザー心理も変化する
 5年、10年経って雑誌を読み返すと「なんじゃ~ この記事は」
 等となってしまう可能性が高く、なんとも「その場しのぎ」
 や「何も知らない」という印象が強く、好ましく無い。
 
 ・・で、この2004年頃から、各社の銀塩カメラの新発売は
 大幅に縮小した。ほんの数年前までは、90年代後半からの
 第一次中古カメラブームの余波により、様々な懐古趣味的な
 銀塩カメラ(レンジ機やMF一眼等)が発売されていたのにも
 係わらずだ。
 ここに来て「世の中は完全にデジタル写真時代に突入した」
 と、誰もが実感した事であろう。

 そして、銀塩時代であれば、新型カメラの開発期間には
 余裕があった、たとえばNIKONやCANONの旗艦機は、
 およそ10年に1度程度の更新(リニューアル)であったし
 一般機でも、数年程度の更新開発期間が許されていた。
(例:NIKON FM→FM2、FE→FE2は、各5年後の発売)

 だが、この時代、毎年のように次々と新型デジタル機が
 発売されている。デジタル技術の進歩は速いし、他社が
 新機能や高性能を搭載したら、すぐさまそれを凌駕する
 スペックを提示しない限り、そのメーカーは「時代遅れ」
 となり、カメラが売れずに事業の維持が困難となってしまう。
 
 この「超慌しい」時代は、慌しいだけならば良いが、新技術
 の導入には、湯水のように莫大な「研究開発費」を費やして
 しまう訳だ。これでは事業を続けるには、とてつも無い企業
 の運転資金が必要だし、開発力も、銀塩時代の10倍以上も
 確保しないとならない。ここで、多くのカメラメーカーは
 思った事であろう、「こんな状態で儲かるのか?」と・・・

 
 案の定、京セラCONTAXが、そしてKONICA MINOLTAが、
 この時代に(デジタル)カメラ事業から撤退してしまった。
 そして、PENTAXやOLYMPUSも厳しい。
(注:その後PENTAXは、HOYAやRICOHに吸収されてしまい、
 OLYMPUSも2020年に、カメラ事業を分社化してしまった)

 ここはむしろ旧来の銀塩カメラメーカーではなく、デジタル
 家電製品などを作っている企業の方が、この事業構造には
 マッチするのではなかろうか?そんな事情からか、SONYが、
 韓国サムスンが、そしてPanasonicといった家電メーカー群が、
 この時代からデジタルカメラ事業に参入を開始している。

 さて、RICOHは、この厳しい時代に、どう対応するのか?
 RICOHの出した回答は、まず、デジタル一眼レフ市場への
 不参入、というところであろう。
 そして、銀塩GR1シリーズで自社が開拓した「マニア向け
 高級コンパクト」の市場を、デジタルでも展開する事だ。

 すなわち「GR DIGITAL」の開発である。
 RICOHは、マニア層の「囲い込み」を狙い、GR(デジタル)
 ブログを開設したり、ファンミーティングを実施する等の
 戦略を取った、これはカメラ界では他に類を見ない先進的な
 マーケティング手法であった。

 私は、前述のように、銀塩R1/GR1シリーズをほぼ全機種
 所有するマニアであったが、銀塩末期には、GR1シリーズ
 のコスパの悪さに辟易していて、「もう買わない」とも
 思っていた・・
 が、やはりデジタル化するGR1(GR DIGITAL) は非常に
 気になる。発売前にGRDを予約し、その発売日当日に

 75,000円という高額な価格で購入してしまったのだが、
 それでも、その時は「銀塩GR1よりも安価になった」と
 むしろ喜んでいた(注:高付加価値化戦略に振り回されて
 いた為、金銭感覚を狂わされていたのであろう・・汗)
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 だが、GR DIGITAL(上写真は初期型、2005年)は
 結構気に入っていた。
 特に最短撮影距離の短縮(銀塩の30cm台→1cm台)は
 驚異的であり、あらゆる場所にGR DIGITALを持って
 行き、機嫌良く使っていた。

 
 その後、GR DIGITALは、約2年毎にリニューアル。
 まあ、依然慌しいが、それでも他社の普及コンパクト機は
 数ヶ月毎に新製品が出る状態であったので、それを良しとは
 思わないマニア層に向けては、2年というのはギリギリの
 妥協点であったのだろう。また、旧機種であっても、頻繁な
 ファームウェアのアップデートにより、どんどんと新機能が
 追加される事も、銀塩時代には無かった大きな利点であった。

 しかし私は、またここで銀塩時代のように、GR Digitalを
 後継機も含めて全部欲しい、とは、もう思わなかった。
 まあ、「懲りていた」とも言えるかも知れない・・
 すなわちメーカーの高付加価値戦略に振り回される事は、
 消費者側の購買行動としては「負け」の状態である事を
 よく認識したからである。
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 以降15年強、依然、初代GR DIGITALは現役で使用続行中で
 ある。総撮影枚数は5万枚を超え、外観はボロボロ、修理
 にも3回も出し、バッテリーも3回交換しているが、新型機に
 買い換える気にも、あまりなっていない。

*2009年 ミラーレス機GXR

 2009年、特異なコンセプトのミラーレス機RICOH GXR
 システムが登場。すでに前年に、Panasonicより初の
 μ4/3機のDMC-G1が発売されていたが、このGXRは大型の
 APS-C型センサーを搭載した専用ユニットが2種類もある。
 おまけにGR1/GRDの流れを汲む28mm(相当)単焦点広角に
 加えて、小型軽量の50mm単焦点マクロユニットが存在する。

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 私は、かなり興味を持ったが、問題はその価格であった。
 欲しいユニットを全部揃えると軽く20万円を超えてしまう。


「危ない、危ない、また高付加価値戦略に乗せられてしまう
 ところであった」と、一旦冷静に見送る事とした。

 まあ、高付加価値戦略は当然だ。RICOHは、その路線で
 走る事を、1996年のGR1で宣言した事と等価である。
 マニア向けの高額商品を次々に出して来るのは順当であり、
 結局、私も、それに乗せられて、それまで多くのRICOHの
 新製品を買ってしまった訳である。

 私は、GXRを「見なかった事」とした。

 翌年2010年には、SONYよりAPS-C型センサーを搭載した
 NEX-3/5が発売、このカメラは急速に中古相場が下落した
 ので、私は、それらを無事入手。合わせて入手していた
 Panasonic DMC-G1と共に、その頃から市場に流通し始めた
 マウントアダプターを多数入手し、これで銀塩時代から
 しばらくの間休眠していた、FD、MD、ARなどのマイナー
 マウントの所有レンズ群を自在に活用できるようになった。
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 私は、2010年代前半を通じ、それらのオールドレンズの
 復活と再評価に夢中になり、GXRの事はすっかり忘れて
 しまっていた。
 当時の300本を超える全所有レンズを、全てミラーレス
 機で実写し、その模様を、本ブログの記事「ミラーレス・
 マニアックス」で、2015年~2017年にかけ、80を超える
 記事で紹介している。

 で、その2010年代初頭の数年間では、私の他でも勿論
 ミラーレス機は大人気であった。オールドレンズを
 見直す「第二次中古(レンズ)ブーム」も起こった程だ。
 そして、ミラーレス機の急速な普及は、デジタル一眼レフ
 陣営を慌てさせ、フルサイズ化や超絶性能の搭載など、
 新たな市場戦略(しかし、これらも当然ながら高付加価値
 化戦略である)が始まった。

 RICOH GXRは、ユニット交換式という特異な構造故に、
 システムの改良が困難であった。その為か、GXRシステムは
 最初期の1機種と、数本の交換レンズを持って凍結された。
 今後「GXR Ⅱ」等が出る可能性が無いと見た、ユーザー層
 や市場では、GXRの中古相場は大幅に下落していく。

 2015年位に、ふとGXRの相場を見ると、発売時の数分の1
 程度に暴落していた。私は「買い頃か?」とみて、およそ
 7万円の予算で、GXR本体と3本のユニットを買いそろえた。
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 入手したGXRは、さすがに「仕様老朽化寿命」が酷かった。
 すなわちミラーレス最初期の「コントラストAF」のみの搭載
 であり、AFが全く合わず、かと言ってMFの操作性も劣悪だ。
 つまり、何をしてもピントが合わない。
 他社でも、当然このミラーレス機のAF問題は認識しており、
 2013年~2014年にかけて、像面位相差AF機能の新搭載で
 これへの対策としていた、だが、GXRは古いままである。

 なお、コントラストAFのみの2008年~2012年の各社
 ミラーレス機であっても、マウントアダプターを介して
 オールドレンズをMFで使う上では何ら問題は無いし、
 純正AFレンズでも、広角単焦点または、開放F値の暗い
(=被写界深度が深い)標準ズームでは問題は無かった。

 まあつまり、大口径、マクロ、超望遠、等の被写界深度の
 浅いAFレンズで問題になっただけである、それらを使わない
 という前提であれば、コントラストAFのみのミラーレス機
 でも全く問題は無いし、もう数年もすれば像面位相差AF
 搭載の新鋭機も中古相場が下落して入手しやすくなる為、
 それらを買って、目的(レンズ)により、ミラーレス機を
 使い分ければ良いだけである。

 でもGXRのピント問題は、オールドレンズの母艦とする訳
 にも行かず、致命的に近い状態であった。私は即時、この
 GXRを使い潰すつもりとしたが・・
 意外な副産物として、A12 50mm/F2.5 Macroユニットの
 描写力が異様に優れている事を発見した。
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 この高い描写力が何を起因としているかは良くわからない、
「ユニット一体型の専用設計だから」という一般的な説明だけ
 では技術派マニアは納得しない、どこをどう工夫したから
 高描写力が得られた、という具体的な理由が欲しいのだ。
 ・・まあ、その事は良い、ともかくMacroユニットは優れた
 レンズである、「これを使う為にGXRがある」と言っても
 過言では無いだろう。


 以降数年間、合わないピントにイライラしながらも、依然
 GXRのマクロは魅力的なシステムとして使用を続けていた。
 しかし、2018年頃、このMacroユニットは電気的な故障に
 見舞われてしまった。修理は効かない可能性が高く、かつ
 あまりお金をかけて直す気にもなれない。
 再度中古市場を見ると、GXR+Macroのセットが2万円台後半
 という、数年前より、さらに下落した相場となっている。
 結局、これを追加購入する事とした。GXR本体が2台と
 なってしまったが、それぞれに別のユニットを装着して
 依然、使用を継続している。

*2010年代 PENTAXの吸収合併の時代

 少し前述したが、デジタルカメラの開発経費の増大や、
 スマホやミラーレス機の急速な台頭により、2010年代より
 デジタル一眼レフの市場(事業)は大きく縮退し始めた。

 各社とも、2013年頃よりデジタル一眼レフやその交換レンズ
 群の価格を大幅にアップ。しかし、ただ単に値上げをしたら
 ユーザーが離れてしまう。だから新機種では、不要なまでの
「超絶性能」を与える戦略とした。

 例えば、カメラ側では、フルサイズ化、超高画素、超高感度、
 超高速連写、AFの高性能化、動画機能強化、WiFi、エフェクト
 搭載、連写合成、瞳AF等である。
 レンズ側では、高解像力化、超音波モーター搭載、手ブレ補正
 内蔵、大口径化、ズーム比の拡張、最短撮影距離の短縮、
 特殊仕様の搭載、等が代表的であろう。

 この結果、新鋭カメラやレンズの新品価格や中古相場は、
 旧来の数倍程度までに高額となった。
 中上級層やマニア層では、新品離れの風潮が当然起こったが
 新規のエントリー層やビギナー層のユーザーが、これらの
 カタログ上の高スペックに魅かれて購入。何故そんな高い
(=コスパが悪い)商品を買うのか? と言えば、まずは
 経験的な価値感覚を持っていない事(=高価かどうかも
 良くわかっていない)そして、高性能な製品を買わないと
 自身の撮影技術に自信が持てないからである。
(例:手ブレ補正機能が入っていないと、手ブレが怖い)

 まあ、という事で、高付加価値型の新製品を買うのは
 初級中級層のみ、という、極めて不自然な市場構造になって
 しまった。
 でもまあ、それはやむを得ない、ビギナー層がせっせと
 高価な新製品を買ってくれない限り、各社はカメラ事業を
 継続できなくなってしまう訳だ。

 さて、こんな状況の中、PENTAXのカメラ事業が苦しくなって
 きていた。PENTAXは銀塩時代よりコスパの良い中級機を
 主力とした商品戦略を実施するメーカーであり、高付加価値
 型戦略を得意とするメーカーでは無い。そういう戦略は、
 メーカーとしてのブランド力も伴わないとならないから、
 NIKON,CANON,SONYといった(カメラを知らない)一般層
 でも高額な商品を買ってくれるような有名メーカーで無いと、

 それを実施できない。つまり「PENTAXなのに、何故そんなに
 高いのだ?」と、ビギナー層等は思ってしまうからだ。
 まあでも、PENTAXでもマニア向けの戦略も実施している、
 Limitedレンズとか、Hyper操作系などがそうであるが、
 これらは、ビギナー層が欲しいと思ったり、効能を理解
 できるようなものでも無いであろう。

 PENTAXは、2000年代より、カメラやその他の光学関連
 事業の提携先を求め、セイコーや韓国サムスンとの
 提携話があったのだが、結局HOYAと合併する事となった。
 しかし、その実施は色々とあって、大きく揉めた模様で、
 2008年頃に、やっと合併が実現した。
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 以降、HOYA時代の戦略は、カメラ初級層をターゲットとし、
 普及機の高機能化、オーダーカラー制などによる
 ファッショナブル化、超小型ミラーレス機のPENTAX Q
 シリーズの発売、アニメやその他の分野とのコラボ商品など
 先進的なマーケティング手法を展開、そして大幅なリストラ
 や製品ラインナップの見直し(例:コンパクト機の廃止)
 を行い、ついにPENTAXのカメラ事業を黒字化する事に
 成功した。

 まあ、HOYAは元々ガラスメーカーであり、カメラ市場の
 事は知らない(経験が無い)から、むしろ、このような
 大胆で現代的な事業構造改革を行えたのであろうが・・
 しかし、外から見ていても、これらの戦略は、おそよ
 50年間のPENTAX機の歴史を知る上で、ずいぶんと違和感の
 あるやりかたであったし、当然、社内外的にも色々と賛否が
 あって、きっと誰もが仕事がやりにくかった事であろう。
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 やはり、ずいぶんとやりにくかったのだろうか・・? 
 HOYAは、2011年にカメラ事業をRICOHに譲渡する契約を
 締結した。この年、PENTAXはRICOHの完全子会社として
「ペンタックスリコーイメージング株式会社」が誕生。


 さらに2013年には、ペンタックスの社名がついに消えて、
「リコーイメージング株式会社」となり、この時点でカメラ
 メーカーとしてのPENTAXは消滅、以降「PENTAX」は、
 RICOHのカメラの「ブランド銘」として存続する事となった。

 ・・まあ、このあたりの歴史は、なんだかドロドロとした
 要素もあって、PENTAXファン的、あるいはカメラマニア的
 には、あまり気持ちの良い話では無い。
 ここからは単純に、RICOH時代のPENTAX機の戦略について
 紹介していく事としよう。

 まずは、HOYA時代に改善の手が入れられらなかった
 PENTAX上級機に改革の手が入れられた。具体的には、
 RICOHは技術主導の企業であり、リアルレゾリューション
 などの高度な新技術を高級機に搭載、そして遅れていた
「超絶性能化」や、フルサイズ化、高度な操作系の搭載など
 の措置を行う。
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 上写真は、PENTAX KP(2017年)、超絶性能と超高度な
 操作系が特徴であり、そしてコスパが極めて良い。
(デジタル一眼レフ第22回記事参照)


 ここにおいて、旧来の50年間以上のPENTAX一眼レフの
 歴史をまた復活させるコンセプトとなり、それはつまり
 高性能でありながらも高価ではなく、かつマニア層にも
 受け入れられる要素を持つ、本来のPENTAX機と同等の
 イメージを持つ製品群が出揃ってきている。
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 また、中途半端な立ち位置となっていた、PENTAX銘の
 ミラーレス機(K-01、Qシリーズ)も凍結、コンパクト機
 も防水機や業務機を除いては廃止。
 そしてPENTAX銘の機体はコスパの良い一眼レフと中判機が
 あるだけだ。
 RICOHブランドでは、旧来通りのGRDシリーズと、それに
 加えて、新分野である、全周カメラ(THETAシリーズ)に
 ラインナップが絞られている。
 また、産業用途として、監視カメラや、近赤外線カメラ、
 熱赤外線(サーモ)カメラ等、特殊カメラも残している。

 まあつまり、売れるラインナップだけ残しているという
 事となるが、旧来のPENTAXファン層もちゃんと意識して
 それらのファン層・マニア層でも違和感を感じ難い
 丁寧なラインナップ戦略と各機種の仕様を実現している。

 すなわち「マニア層の心理」をちゃんとわかっているし
 そうしたマニア層が市場に与える影響力や、マニア層の
 購買(消費)行動もよく分析して自社の事業にちゃんと
 結びつけている、という事だと思う。
 まあ、そうであれば、NIKON,CANON,SONYのブランド
 戦略とはバッティングしないし、独自の路線で事業を
 続ける事が出来る訳だ。


 ただまあ、今後の事は良くわからない。 
 マニア層、中級層、特殊用途、だけでカメラ事業が
 継続できるのか?(=黒字となるのか?)は、メーカー側
 の内部事情であるし、それを判断するのもRICOHである。
(PENTAX KP以降の新規一眼レフの発売は凍結されていた
 状況であったが、2020年に新型APS-C機 K-3 MarkⅢ
 の開発が発表された)
 
 しかし、個人的には、デジタル時代に入って、次々と
 個性的なカメラメーカーが脱落(事業廃止)していく中で、
 残ったメーカーは、できるだけ個性的な商品戦略を展開
 しつづけて貰いたいようにも願っている。
 さも無いと、ある意味、市場には個性も無く高価なだけの、
 デジタルカメラばかりが残ってしまい、全く魅力を感じなく
 なってしまうからだ。(→既に、その状態である)

 そして、この感覚は既視感(デジャビュ)がある、
 1990年代、銀塩AF一眼レフが進化の限界を迎えて
 新機種に全く魅力を感じなかった時代である。
 この時、マニア層は、全員が古い中古カメラに傾倒し
 大規模な「第一次中古カメラブーム」が起こった訳だ。

 もし中古カメラしか売れないならば、当時のカメラメーカー
 も存続が危ぶまれた状況であったが、幸いにして、新分野の
 銀塩高級コンパクト機、APSフィルム機がその窮状を救い、
 さらには数年後のデジタルへの移行期に、ちょうど当たって
 なんとか各社のカメラ事業は崩壊を免れた。

 現代、同様にデジタル一眼レフは進化のピークの段階と
 なり、新製品の魅力は失われてきている。
(そもそも2010年代末からは新製品の一眼レフが無い)

 当面はフルサイズミラーレス機などで、ユーザーの視線を
 そちらに向ける事は出来るかも知れないのだが、それとて
 高付加価値型商品であるから、もう一部のマニア層等では
 コスパの面で許容しがたい要素も大きい状態だ。

 このままでは、また「第三次中古(デジタル)カメラ
 ブーム」が起こって、カメラ市場が混迷してしまうかも
 知れない。別に私は個人的には、この業界とは何ら関係が
 無いが、ユーザーとして、及びマニアとしては、魅力的な
 カメラが全く出て来なくなる状況は非常に困る。

 RICOH(PENTAX)あたりには、今後においても、マニアック
 で魅力的なカメラを作り続けて欲しいと願う次第である。

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さて、今回のRICOH編記事は、このあたりまでで・・
次回記事に続く。


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