本シリーズは、各カメラメーカーが発売した銀塩&
デジタルのカメラを、およそ1970年代から、現代
2020年代に至る迄の約50年間の変遷の歴史を辿る
記事である。
今回はRICOH編として、主に1990年代から2010年代の
RICOH機を中心に紹介する。
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まず最初にRICOH(リコー)のカメラの歴史を簡単に
振り返ってみよう。
*1930年代~大戦を挟んで~1950年代 RICOH黎明期
元々は「国立研究開発法人理化学研究所」で開発された
感光紙(理研陽画感光紙)の販売の為に、1936年に設立
された法人が「理研感光紙株式会社」であるが、すぐに
「理研光学工業株式会社」に社名変更をしている。
その後、戦後の「財閥解体」により、1963年に近代と
同じ名称の「株式会社リコー(RICOH)」となっていた。
この時代のRICOHは、主に中判(6x4.5cm、6x6cm)
や、特殊フォーマット(3x4cm、4x4cm等)のカメラ
(二眼レフやスプリングカメラ等)を多数販売していたが、
他社製造(OEM品)である物も多かったと聞く。
中でも、RICOHFLEX(二眼レフ)は1950年代を通じて
多数の機種が発売され、後年の中古カメラ市場でも
その多くが流通していた事から、人気機種であった事が
うかがえる。
また、中判カメラのみならず35mm判(36mmx24mm)
のカメラも戦前から戦後にかけて販売を行っている。
この時代は、他社においてもCANONやOLYMPUS等がカメラ
の製造販売を開始、国産カメラメーカーの中ではRICOH
(注:当時の理研光学)は、かなりの老舗の部類である。
*1960年代~1970年代 ハーフ判コンパクト機の時代
市場では既に「オリンパス・ペン」(OLYMPUS-PEN、
ハイフンの位置に注意)シリーズ(1959~)が
大衆カメラとして大ヒットしていた世情であるが、
1962年に、リコーも「オートハーフ」シリーズで、
このハーフ判市場に参入する。
当時、何故ハーフ判が人気であったか?は、その当時は
フィルム代が高価であったからであり、撮影コストが
低減する効能が一般消費者層に受け入れられたからだ。
「オリンパス・ペン」シリーズは、膨大な累計販売台数
(旧来は1700万台と言われていたが、2018年に800万台
に下方修正されている。「何故今頃に、そんな昔の話を
訂正するのか?」と思ったが、恐らく、この発表の頃に
OLYMPUSはカメラ事業からの撤退を決めたのであろう。
間違った/水増しした情報を、そのまま残しておく事は、
色々と、まずい事情があったのかもしれない)
・・と、膨大な販売数があったカメラとして著名だが、
「リコー・オートハーフ」シリーズも負けておらず、
詳しい記録は不明だが、累計600万台という資料もある。
何故、「オートハーフ」が人気があったか?と言えば
自動化機能を推し進めていたからであって、例えば
ゼンマイ機構による自動フィルム巻上げや、固定焦点
(パン・フォーカス)、そして自動露出機構により、
「誰にでも撮れる」という特徴があったからだと思われる。
なお、レンズは「富岡光学」(ヤシカや京セラCONTAXの
レンズを製造した事で著名、本シリーズ前回記事参照)
製のテッサー型を採用、写りにも定評があったと思う。
オートハーフは1台が実家にあった筈だが、古いカメラ故に
どこかにしまいこんだのか? 残念ながら所在不明だ。
また、後年ではフィルムの低価格化が進み、ハーフ判
カメラのブームも終焉。1970年代頃には、通常の
35mm判銀塩コンパクト機が市場での主流となっていく。
*1960年代~1970年代 M42マウント一眼レフの時代
リコーも一眼レフを勿論発売している。1960年代からの
シングレックスシリーズ等では、主にM42マウントを採用
して、他社(例えばPENTAX SPシリーズ等)との互換性が
高かった。
しかし、本シリーズのPENTAX編(第4回記事)でも述べて
いるが、本来ユニバーサル(汎用的)なマウントであった
M42も、開放測光や自動露出(AE)化の市場ニーズが高まり、
1970年代には各社独自のM42改(M42もどき)のマウント
となって、互換性が失われてしまった。
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*1970年代後半~1990年代 XRマウント一眼レフの時代
1975年に、PENTAXがM42マウントをついに見限り、
独自のバヨネット(Kマウント)化した事に、RICOHも
追従し、1977年より、Kマウントとほぼ互換性のある
XRマウント一眼レフ、XRシリーズの販売を開始する。
初期のボディは、チノン社やコシナ社によるOEM品
という話も聞くが、まあ、低価格化が出来、耐久性や
信頼性がある、とも言えるだろう。
中でも、1978年発売の「XR500」は、レンズ付きで
39,800円という低価格を実現し、「サンキュッパ」の
TV CMとともに大ヒットした。
だが、リコー・オートハーフシリーズに続く、XR500の
ヒットは、良くも悪くも「RICOH製カメラは大衆機である」
という印象を、強く消費者層に与える事となった。
XR500(注:XRシリーズは名称にハイフンの入る機種と
入らない機種が混在していて、少々わかりにくい)は、
後年に入手したのだが、付属のXR50mm/F2レンズが
欲しかった事からの購入であり、カメラ本体は、すぐに
知人に譲渡してしまった。その最大の理由は、カメラの
型番のように、最高シャッター速度が1/500秒までと
貧弱な性能であり、日中では殆どのレンズを、絞りを
開けて撮影する事が不可能であったからである。
このXRシリーズは、1990年代まで様々なMF一眼レフが
発売されている。私は、XR-7MkⅡとXR-8(いずれも
1993年製、絞り優先機と機械式マニュアル露出機)を
入手し、過酷な環境でも使える消耗機として使用していた。
(酷寒の冬の北海道撮影旅行でも役立った記憶がある)
なお、これら一眼レフは、αショック(1985年)以降も
AF化はされず、まあ、RICOHも銀塩一眼レフのAF化を
見送ったメーカーの1つである。
(注:他社によくある試作機的なAF一眼レフも発売して
いない。ただし勿論コンパクト機では、1980年代より
AF化を実現している。→ほとんど全てのメーカーの
コンパクト機がAF化されていた)
*XR RIKENON(リケノン)レンズ
XRシリーズ用の交換レンズ群(MF)である。
PENTAX Kマウントとは、ほぼ互換性があるが、後年のP型
の場合のみ、XR-P(1984年)以降の、プログラムAE機と
組み合わせる事でプログラムAEが実現する。
まあ、絞り優先やマニュアル露出で使うならば、過去から
現代にかけても、PENTAX製のKマウント一眼レフで相互に
利用できるが、現代のPENTAXデジタル一眼レフの一部では、
使えないか又は非常に使い難い為、Kマウントのアダプター
を使用してミラーレス機に装着する方が簡便であろう。
(なお、前述のように、RICOHの一眼レフ用のAF交換レンズは
存在しないので、現代においてはミラーレス機+MFが
ますます利便性が高い)
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で、これらXRリケノンレンズが、1970年代のように
「富岡光学」製であったかどうかは不明である。
まあ「富岡光学」はヤシカと関係が深く、1975年からは
京セラ(ヤシカ)CONTAX用のツァイスレンズを製造して
いたので、もうRICOHにレンズを供給する事は、できなく
なっていたのではなかろうか?(詳細不明)
ただ、どこ製であったのかはともかく、XR RIKENONの
レンズは比較的高描写力である機種も多く、個人的には
好みである。(特殊レンズ第36回記事参照)
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さて、長々とRICOH製カメラの歴史を述べてきたが、
ここまでの時代では、残念ながらRICOH製カメラを
現有していない。一部所有していた機種はあるが、
デジタル時代に入った頃に、「古すぎて実用価値無し」
とみなし、全て処分してしまっているのだ。
以降は、現有している機体を含めて紹介を続けよう。
*1990年代 銀塩コンパクト機R1/GR1シリーズ
このシリーズについては、個人的に多くの機体を所有
していた。全てを語ると非常に長くなる為、ごく簡単に
紹介しておくが、詳細については、「銀塩コンパクト・
クラッシックス第6回記事、 AF高級コンパクト編Ⅰ」や
「特殊レンズ・超マニアックス第10回RICOH GXR編」
にも詳しいので、適宜参照されたし。
まあ簡単に言えば、RICOHのカメラと言えば、それまでは
「大衆機」のイメージが強かったのを払拭する為、GRという
新たなブランドを立ち上げ、高付加価値型の製品戦略に
転換した、という事である。
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上写真はRICOH GR1s(1998年)、高級コンパクト機の
草分けとしてヒットしたGR1(1996年)の小改良機だ。
まあでも、それまでのR1s(1995年)等が1万円以内の
中古相場で買えていたものが、GR1s等は10万円以上の
高額新品定価となってしまった。
結局、それが「高付加価値型」の戦略の結果であるが、
値段の差ほどには、R1sとGR1s両者の性能差に10倍の
開きがある訳では無い。R1sも十分に良く写る単焦点
コンパクト機であった訳だ。
しかし、時代は、第一次中古カメラブームの真っ最中で
あった。バブリーな高付加価値型商品である事はわかって
はいても、マニア層は、こうした高級コンパクト機に
夢中になっていた時代であった。
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高付加価値型の究極は上写真のRICOH GR21(2000年)
であろうか。異例の超広角単焦点(21mm/F3.5)を
搭載し、13万8000円(+税)!と、高価なカメラだ。
だが、少々やりすぎた様相もあったかも知れない・・
私も、このバブリーなカメラを無理をして新品入手し、
それを使い、冷静に考えてみれば、とてもその値段までの
価値は無い。つまり「コスパが極めて悪い」という評価を
自分自身で下さざるを得なかった。
なにせ、直前の1997年には銀塩普及コンパクトの超名機、
OLYMPUS μ-Ⅱが登場している。
(銀塩コンパクト第3回記事で μ-Ⅱ Limitedを紹介済み)
これは普及機ながら、たいていの各社高級コンパクトと
同等か、あるいは、それらを時には上回る描写力を持ち、
かつ高級コンパクト機の1/3程度の安価な価格である。
μ-Ⅱのコスパに比べたら、高級コンパクトの付加価値とは
いったい何なのか? という点を深く考えるようになって
しまった。
結局、銀塩R/GRシリーズは、GR21の後、中古で1機種
しか購入していない。その1台とは・・
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RICOH ELLE(1999年)、これはR1sの外装変更機だ。
銀塩末期の2000年代初頭の購入だが、中古購入価格は
僅かに4,000円である。
でも、実用上では銀塩コンパクトは、このクラスで
十分である(クラスと言うのは値段では無い、勿論、
描写力の話だ)
μ-ⅡやELLEといった、超ハイコスパ機を何台か入手して、
コスパの事を熟考した結果、私は、もうこれ以降では、
各社銀塩高級コンパクト機の購入をやめてしまった。
*2000年代 デジタル・コンパクト機GRDシリーズ
2000年代初頭より、各社よりデジタル一眼レフの販売
が始まり、2004年には各社の普及版デジタル一眼レフが
出揃った。それまで数十万円と高価であったデジタル一眼
レフは、10万円台と一般層でも買いやすい価格帯となった。
それまででもコンパクト・デジタル機は普及していたが、
デジタル一眼レフは、コンパクト・デジタル機の10倍以上
も高価であったので、初級層などでは、デジタル一眼レフを
「ガンデジ」や「デジイチ」等と呼び、自身の「コンデジ」を
見下げるような表現が流行していた。だが、これらの呼称は
「ガンデジ、いいなあ、オレなんかコンデジだからなあ」と、
卑屈な考え方(差別的、敵視)の要素が大きく、本ブログ
では非推奨としていた用語であったが、この時代からは、
もう誰でもがデジタル一眼レフを入手できるようになった為、
これらの呼称も程なくして絶滅した。(=死語となった)
その後も、例えば専門性の低い雑誌(たまたまカメラの
特集をやったなど)では、依然「コンデジ」等の用語を
用いていたが、時代の変遷を知らないから、平気でそうした
用語で書いたのだろう。こういうのは単なる流行語では無く
その時代特有のユーザーの心理から出てきたものなのだ。
だから時代が変われば、市場心理もユーザー心理も変化する
5年、10年経って雑誌を読み返すと「なんじゃ~ この記事は」
等となってしまう可能性が高く、なんとも「その場しのぎ」
や「何も知らない」という印象が強く、好ましく無い。
・・で、この2004年頃から、各社の銀塩カメラの新発売は
大幅に縮小した。ほんの数年前までは、90年代後半からの
第一次中古カメラブームの余波により、様々な懐古趣味的な
銀塩カメラ(レンジ機やMF一眼等)が発売されていたのにも
係わらずだ。
ここに来て「世の中は完全にデジタル写真時代に突入した」
と、誰もが実感した事であろう。
そして、銀塩時代であれば、新型カメラの開発期間には
余裕があった、たとえばNIKONやCANONの旗艦機は、
およそ10年に1度程度の更新(リニューアル)であったし
一般機でも、数年程度の更新開発期間が許されていた。
(例:NIKON FM→FM2、FE→FE2は、各5年後の発売)
だが、この時代、毎年のように次々と新型デジタル機が
発売されている。デジタル技術の進歩は速いし、他社が
新機能や高性能を搭載したら、すぐさまそれを凌駕する
スペックを提示しない限り、そのメーカーは「時代遅れ」
となり、カメラが売れずに事業の維持が困難となってしまう。
この「超慌しい」時代は、慌しいだけならば良いが、新技術
の導入には、湯水のように莫大な「研究開発費」を費やして
しまう訳だ。これでは事業を続けるには、とてつも無い企業
の運転資金が必要だし、開発力も、銀塩時代の10倍以上も
確保しないとならない。ここで、多くのカメラメーカーは
思った事であろう、「こんな状態で儲かるのか?」と・・・
案の定、京セラCONTAXが、そしてKONICA MINOLTAが、
この時代に(デジタル)カメラ事業から撤退してしまった。
そして、PENTAXやOLYMPUSも厳しい。
(注:その後PENTAXは、HOYAやRICOHに吸収されてしまい、
OLYMPUSも2020年に、カメラ事業を分社化してしまった)
ここはむしろ旧来の銀塩カメラメーカーではなく、デジタル
家電製品などを作っている企業の方が、この事業構造には
マッチするのではなかろうか?そんな事情からか、SONYが、
韓国サムスンが、そしてPanasonicといった家電メーカー群が、
この時代からデジタルカメラ事業に参入を開始している。
さて、RICOHは、この厳しい時代に、どう対応するのか?
RICOHの出した回答は、まず、デジタル一眼レフ市場への
不参入、というところであろう。
そして、銀塩GR1シリーズで自社が開拓した「マニア向け
高級コンパクト」の市場を、デジタルでも展開する事だ。
すなわち「GR DIGITAL」の開発である。
RICOHは、マニア層の「囲い込み」を狙い、GR(デジタル)
ブログを開設したり、ファンミーティングを実施する等の
戦略を取った、これはカメラ界では他に類を見ない先進的な
マーケティング手法であった。
私は、前述のように、銀塩R1/GR1シリーズをほぼ全機種
所有するマニアであったが、銀塩末期には、GR1シリーズ
のコスパの悪さに辟易していて、「もう買わない」とも
思っていた・・
が、やはりデジタル化するGR1(GR DIGITAL) は非常に
気になる。発売前にGRDを予約し、その発売日当日に
75,000円という高額な価格で購入してしまったのだが、
それでも、その時は「銀塩GR1よりも安価になった」と
むしろ喜んでいた(注:高付加価値化戦略に振り回されて
いた為、金銭感覚を狂わされていたのであろう・・汗)
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だが、GR DIGITAL(上写真は初期型、2005年)は
結構気に入っていた。
特に最短撮影距離の短縮(銀塩の30cm台→1cm台)は
驚異的であり、あらゆる場所にGR DIGITALを持って
行き、機嫌良く使っていた。
その後、GR DIGITALは、約2年毎にリニューアル。
まあ、依然慌しいが、それでも他社の普及コンパクト機は
数ヶ月毎に新製品が出る状態であったので、それを良しとは
思わないマニア層に向けては、2年というのはギリギリの
妥協点であったのだろう。また、旧機種であっても、頻繁な
ファームウェアのアップデートにより、どんどんと新機能が
追加される事も、銀塩時代には無かった大きな利点であった。
しかし私は、またここで銀塩時代のように、GR Digitalを
後継機も含めて全部欲しい、とは、もう思わなかった。
まあ、「懲りていた」とも言えるかも知れない・・
すなわちメーカーの高付加価値戦略に振り回される事は、
消費者側の購買行動としては「負け」の状態である事を
よく認識したからである。
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以降15年強、依然、初代GR DIGITALは現役で使用続行中で
ある。総撮影枚数は5万枚を超え、外観はボロボロ、修理
にも3回も出し、バッテリーも3回交換しているが、新型機に
買い換える気にも、あまりなっていない。
*2009年 ミラーレス機GXR
2009年、特異なコンセプトのミラーレス機RICOH GXR
システムが登場。すでに前年に、Panasonicより初の
μ4/3機のDMC-G1が発売されていたが、このGXRは大型の
APS-C型センサーを搭載した専用ユニットが2種類もある。
おまけにGR1/GRDの流れを汲む28mm(相当)単焦点広角に
加えて、小型軽量の50mm単焦点マクロユニットが存在する。
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私は、かなり興味を持ったが、問題はその価格であった。
欲しいユニットを全部揃えると軽く20万円を超えてしまう。
「危ない、危ない、また高付加価値戦略に乗せられてしまう
ところであった」と、一旦冷静に見送る事とした。
まあ、高付加価値戦略は当然だ。RICOHは、その路線で
走る事を、1996年のGR1で宣言した事と等価である。
マニア向けの高額商品を次々に出して来るのは順当であり、
結局、私も、それに乗せられて、それまで多くのRICOHの
新製品を買ってしまった訳である。
私は、GXRを「見なかった事」とした。
翌年2010年には、SONYよりAPS-C型センサーを搭載した
NEX-3/5が発売、このカメラは急速に中古相場が下落した
ので、私は、それらを無事入手。合わせて入手していた
Panasonic DMC-G1と共に、その頃から市場に流通し始めた
マウントアダプターを多数入手し、これで銀塩時代から
しばらくの間休眠していた、FD、MD、ARなどのマイナー
マウントの所有レンズ群を自在に活用できるようになった。
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私は、2010年代前半を通じ、それらのオールドレンズの
復活と再評価に夢中になり、GXRの事はすっかり忘れて
しまっていた。
当時の300本を超える全所有レンズを、全てミラーレス
機で実写し、その模様を、本ブログの記事「ミラーレス・
マニアックス」で、2015年~2017年にかけ、80を超える
記事で紹介している。
で、その2010年代初頭の数年間では、私の他でも勿論
ミラーレス機は大人気であった。オールドレンズを
見直す「第二次中古(レンズ)ブーム」も起こった程だ。
そして、ミラーレス機の急速な普及は、デジタル一眼レフ
陣営を慌てさせ、フルサイズ化や超絶性能の搭載など、
新たな市場戦略(しかし、これらも当然ながら高付加価値
化戦略である)が始まった。
RICOH GXRは、ユニット交換式という特異な構造故に、
システムの改良が困難であった。その為か、GXRシステムは
最初期の1機種と、数本の交換レンズを持って凍結された。
今後「GXR Ⅱ」等が出る可能性が無いと見た、ユーザー層
や市場では、GXRの中古相場は大幅に下落していく。
2015年位に、ふとGXRの相場を見ると、発売時の数分の1
程度に暴落していた。私は「買い頃か?」とみて、およそ
7万円の予算で、GXR本体と3本のユニットを買いそろえた。
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入手したGXRは、さすがに「仕様老朽化寿命」が酷かった。
すなわちミラーレス最初期の「コントラストAF」のみの搭載
であり、AFが全く合わず、かと言ってMFの操作性も劣悪だ。
つまり、何をしてもピントが合わない。
他社でも、当然このミラーレス機のAF問題は認識しており、
2013年~2014年にかけて、像面位相差AF機能の新搭載で
これへの対策としていた、だが、GXRは古いままである。
なお、コントラストAFのみの2008年~2012年の各社
ミラーレス機であっても、マウントアダプターを介して
オールドレンズをMFで使う上では何ら問題は無いし、
純正AFレンズでも、広角単焦点または、開放F値の暗い
(=被写界深度が深い)標準ズームでは問題は無かった。
まあつまり、大口径、マクロ、超望遠、等の被写界深度の
浅いAFレンズで問題になっただけである、それらを使わない
という前提であれば、コントラストAFのみのミラーレス機
でも全く問題は無いし、もう数年もすれば像面位相差AF
搭載の新鋭機も中古相場が下落して入手しやすくなる為、
それらを買って、目的(レンズ)により、ミラーレス機を
使い分ければ良いだけである。
でもGXRのピント問題は、オールドレンズの母艦とする訳
にも行かず、致命的に近い状態であった。私は即時、この
GXRを使い潰すつもりとしたが・・
意外な副産物として、A12 50mm/F2.5 Macroユニットの
描写力が異様に優れている事を発見した。
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この高い描写力が何を起因としているかは良くわからない、
「ユニット一体型の専用設計だから」という一般的な説明だけ
では技術派マニアは納得しない、どこをどう工夫したから
高描写力が得られた、という具体的な理由が欲しいのだ。
・・まあ、その事は良い、ともかくMacroユニットは優れた
レンズである、「これを使う為にGXRがある」と言っても
過言では無いだろう。
以降数年間、合わないピントにイライラしながらも、依然
GXRのマクロは魅力的なシステムとして使用を続けていた。
しかし、2018年頃、このMacroユニットは電気的な故障に
見舞われてしまった。修理は効かない可能性が高く、かつ
あまりお金をかけて直す気にもなれない。
再度中古市場を見ると、GXR+Macroのセットが2万円台後半
という、数年前より、さらに下落した相場となっている。
結局、これを追加購入する事とした。GXR本体が2台と
なってしまったが、それぞれに別のユニットを装着して
依然、使用を継続している。
*2010年代 PENTAXの吸収合併の時代
少し前述したが、デジタルカメラの開発経費の増大や、
スマホやミラーレス機の急速な台頭により、2010年代より
デジタル一眼レフの市場(事業)は大きく縮退し始めた。
各社とも、2013年頃よりデジタル一眼レフやその交換レンズ
群の価格を大幅にアップ。しかし、ただ単に値上げをしたら
ユーザーが離れてしまう。だから新機種では、不要なまでの
「超絶性能」を与える戦略とした。
例えば、カメラ側では、フルサイズ化、超高画素、超高感度、
超高速連写、AFの高性能化、動画機能強化、WiFi、エフェクト
搭載、連写合成、瞳AF等である。
レンズ側では、高解像力化、超音波モーター搭載、手ブレ補正
内蔵、大口径化、ズーム比の拡張、最短撮影距離の短縮、
特殊仕様の搭載、等が代表的であろう。
この結果、新鋭カメラやレンズの新品価格や中古相場は、
旧来の数倍程度までに高額となった。
中上級層やマニア層では、新品離れの風潮が当然起こったが
新規のエントリー層やビギナー層のユーザーが、これらの
カタログ上の高スペックに魅かれて購入。何故そんな高い
(=コスパが悪い)商品を買うのか? と言えば、まずは
経験的な価値感覚を持っていない事(=高価かどうかも
良くわかっていない)そして、高性能な製品を買わないと
自身の撮影技術に自信が持てないからである。
(例:手ブレ補正機能が入っていないと、手ブレが怖い)
まあ、という事で、高付加価値型の新製品を買うのは
初級中級層のみ、という、極めて不自然な市場構造になって
しまった。
でもまあ、それはやむを得ない、ビギナー層がせっせと
高価な新製品を買ってくれない限り、各社はカメラ事業を
継続できなくなってしまう訳だ。
さて、こんな状況の中、PENTAXのカメラ事業が苦しくなって
きていた。PENTAXは銀塩時代よりコスパの良い中級機を
主力とした商品戦略を実施するメーカーであり、高付加価値
型戦略を得意とするメーカーでは無い。そういう戦略は、
メーカーとしてのブランド力も伴わないとならないから、
NIKON,CANON,SONYといった(カメラを知らない)一般層
でも高額な商品を買ってくれるような有名メーカーで無いと、
それを実施できない。つまり「PENTAXなのに、何故そんなに
高いのだ?」と、ビギナー層等は思ってしまうからだ。
まあでも、PENTAXでもマニア向けの戦略も実施している、
Limitedレンズとか、Hyper操作系などがそうであるが、
これらは、ビギナー層が欲しいと思ったり、効能を理解
できるようなものでも無いであろう。
PENTAXは、2000年代より、カメラやその他の光学関連
事業の提携先を求め、セイコーや韓国サムスンとの
提携話があったのだが、結局HOYAと合併する事となった。
しかし、その実施は色々とあって、大きく揉めた模様で、
2008年頃に、やっと合併が実現した。
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以降、HOYA時代の戦略は、カメラ初級層をターゲットとし、
普及機の高機能化、オーダーカラー制などによる
ファッショナブル化、超小型ミラーレス機のPENTAX Q
シリーズの発売、アニメやその他の分野とのコラボ商品など
先進的なマーケティング手法を展開、そして大幅なリストラ
や製品ラインナップの見直し(例:コンパクト機の廃止)
を行い、ついにPENTAXのカメラ事業を黒字化する事に
成功した。
まあ、HOYAは元々ガラスメーカーであり、カメラ市場の
事は知らない(経験が無い)から、むしろ、このような
大胆で現代的な事業構造改革を行えたのであろうが・・
しかし、外から見ていても、これらの戦略は、おそよ
50年間のPENTAX機の歴史を知る上で、ずいぶんと違和感の
あるやりかたであったし、当然、社内外的にも色々と賛否が
あって、きっと誰もが仕事がやりにくかった事であろう。
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やはり、ずいぶんとやりにくかったのだろうか・・?
HOYAは、2011年にカメラ事業をRICOHに譲渡する契約を
締結した。この年、PENTAXはRICOHの完全子会社として
「ペンタックスリコーイメージング株式会社」が誕生。
さらに2013年には、ペンタックスの社名がついに消えて、
「リコーイメージング株式会社」となり、この時点でカメラ
メーカーとしてのPENTAXは消滅、以降「PENTAX」は、
RICOHのカメラの「ブランド銘」として存続する事となった。
・・まあ、このあたりの歴史は、なんだかドロドロとした
要素もあって、PENTAXファン的、あるいはカメラマニア的
には、あまり気持ちの良い話では無い。
ここからは単純に、RICOH時代のPENTAX機の戦略について
紹介していく事としよう。
まずは、HOYA時代に改善の手が入れられらなかった
PENTAX上級機に改革の手が入れられた。具体的には、
RICOHは技術主導の企業であり、リアルレゾリューション
などの高度な新技術を高級機に搭載、そして遅れていた
「超絶性能化」や、フルサイズ化、高度な操作系の搭載など
の措置を行う。
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上写真は、PENTAX KP(2017年)、超絶性能と超高度な
操作系が特徴であり、そしてコスパが極めて良い。
(デジタル一眼レフ第22回記事参照)
ここにおいて、旧来の50年間以上のPENTAX一眼レフの
歴史をまた復活させるコンセプトとなり、それはつまり
高性能でありながらも高価ではなく、かつマニア層にも
受け入れられる要素を持つ、本来のPENTAX機と同等の
イメージを持つ製品群が出揃ってきている。
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また、中途半端な立ち位置となっていた、PENTAX銘の
ミラーレス機(K-01、Qシリーズ)も凍結、コンパクト機
も防水機や業務機を除いては廃止。
そしてPENTAX銘の機体はコスパの良い一眼レフと中判機が
あるだけだ。
RICOHブランドでは、旧来通りのGRDシリーズと、それに
加えて、新分野である、全周カメラ(THETAシリーズ)に
ラインナップが絞られている。
また、産業用途として、監視カメラや、近赤外線カメラ、
熱赤外線(サーモ)カメラ等、特殊カメラも残している。
まあつまり、売れるラインナップだけ残しているという
事となるが、旧来のPENTAXファン層もちゃんと意識して
それらのファン層・マニア層でも違和感を感じ難い
丁寧なラインナップ戦略と各機種の仕様を実現している。
すなわち「マニア層の心理」をちゃんとわかっているし
そうしたマニア層が市場に与える影響力や、マニア層の
購買(消費)行動もよく分析して自社の事業にちゃんと
結びつけている、という事だと思う。
まあ、そうであれば、NIKON,CANON,SONYのブランド
戦略とはバッティングしないし、独自の路線で事業を
続ける事が出来る訳だ。
ただまあ、今後の事は良くわからない。
マニア層、中級層、特殊用途、だけでカメラ事業が
継続できるのか?(=黒字となるのか?)は、メーカー側
の内部事情であるし、それを判断するのもRICOHである。
(PENTAX KP以降の新規一眼レフの発売は凍結されていた
状況であったが、2020年に新型APS-C機 K-3 MarkⅢ
の開発が発表された)
しかし、個人的には、デジタル時代に入って、次々と
個性的なカメラメーカーが脱落(事業廃止)していく中で、
残ったメーカーは、できるだけ個性的な商品戦略を展開
しつづけて貰いたいようにも願っている。
さも無いと、ある意味、市場には個性も無く高価なだけの、
デジタルカメラばかりが残ってしまい、全く魅力を感じなく
なってしまうからだ。(→既に、その状態である)
そして、この感覚は既視感(デジャビュ)がある、
1990年代、銀塩AF一眼レフが進化の限界を迎えて
新機種に全く魅力を感じなかった時代である。
この時、マニア層は、全員が古い中古カメラに傾倒し
大規模な「第一次中古カメラブーム」が起こった訳だ。
もし中古カメラしか売れないならば、当時のカメラメーカー
も存続が危ぶまれた状況であったが、幸いにして、新分野の
銀塩高級コンパクト機、APSフィルム機がその窮状を救い、
さらには数年後のデジタルへの移行期に、ちょうど当たって
なんとか各社のカメラ事業は崩壊を免れた。
現代、同様にデジタル一眼レフは進化のピークの段階と
なり、新製品の魅力は失われてきている。
(そもそも2010年代末からは新製品の一眼レフが無い)
当面はフルサイズミラーレス機などで、ユーザーの視線を
そちらに向ける事は出来るかも知れないのだが、それとて
高付加価値型商品であるから、もう一部のマニア層等では
コスパの面で許容しがたい要素も大きい状態だ。
このままでは、また「第三次中古(デジタル)カメラ
ブーム」が起こって、カメラ市場が混迷してしまうかも
知れない。別に私は個人的には、この業界とは何ら関係が
無いが、ユーザーとして、及びマニアとしては、魅力的な
カメラが全く出て来なくなる状況は非常に困る。
RICOH(PENTAX)あたりには、今後においても、マニアック
で魅力的なカメラを作り続けて欲しいと願う次第である。
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さて、今回のRICOH編記事は、このあたりまでで・・
次回記事に続く。
デジタルのカメラを、およそ1970年代から、現代
2020年代に至る迄の約50年間の変遷の歴史を辿る
記事である。
今回はRICOH編として、主に1990年代から2010年代の
RICOH機を中心に紹介する。

振り返ってみよう。
*1930年代~大戦を挟んで~1950年代 RICOH黎明期
元々は「国立研究開発法人理化学研究所」で開発された
感光紙(理研陽画感光紙)の販売の為に、1936年に設立
された法人が「理研感光紙株式会社」であるが、すぐに
「理研光学工業株式会社」に社名変更をしている。
その後、戦後の「財閥解体」により、1963年に近代と
同じ名称の「株式会社リコー(RICOH)」となっていた。
この時代のRICOHは、主に中判(6x4.5cm、6x6cm)
や、特殊フォーマット(3x4cm、4x4cm等)のカメラ
(二眼レフやスプリングカメラ等)を多数販売していたが、
他社製造(OEM品)である物も多かったと聞く。
中でも、RICOHFLEX(二眼レフ)は1950年代を通じて
多数の機種が発売され、後年の中古カメラ市場でも
その多くが流通していた事から、人気機種であった事が
うかがえる。
また、中判カメラのみならず35mm判(36mmx24mm)
のカメラも戦前から戦後にかけて販売を行っている。
この時代は、他社においてもCANONやOLYMPUS等がカメラ
の製造販売を開始、国産カメラメーカーの中ではRICOH
(注:当時の理研光学)は、かなりの老舗の部類である。
*1960年代~1970年代 ハーフ判コンパクト機の時代
市場では既に「オリンパス・ペン」(OLYMPUS-PEN、
ハイフンの位置に注意)シリーズ(1959~)が
大衆カメラとして大ヒットしていた世情であるが、
1962年に、リコーも「オートハーフ」シリーズで、
このハーフ判市場に参入する。
当時、何故ハーフ判が人気であったか?は、その当時は
フィルム代が高価であったからであり、撮影コストが
低減する効能が一般消費者層に受け入れられたからだ。
「オリンパス・ペン」シリーズは、膨大な累計販売台数
(旧来は1700万台と言われていたが、2018年に800万台
に下方修正されている。「何故今頃に、そんな昔の話を
訂正するのか?」と思ったが、恐らく、この発表の頃に
OLYMPUSはカメラ事業からの撤退を決めたのであろう。
間違った/水増しした情報を、そのまま残しておく事は、
色々と、まずい事情があったのかもしれない)
・・と、膨大な販売数があったカメラとして著名だが、
「リコー・オートハーフ」シリーズも負けておらず、
詳しい記録は不明だが、累計600万台という資料もある。
何故、「オートハーフ」が人気があったか?と言えば
自動化機能を推し進めていたからであって、例えば
ゼンマイ機構による自動フィルム巻上げや、固定焦点
(パン・フォーカス)、そして自動露出機構により、
「誰にでも撮れる」という特徴があったからだと思われる。
なお、レンズは「富岡光学」(ヤシカや京セラCONTAXの
レンズを製造した事で著名、本シリーズ前回記事参照)
製のテッサー型を採用、写りにも定評があったと思う。
オートハーフは1台が実家にあった筈だが、古いカメラ故に
どこかにしまいこんだのか? 残念ながら所在不明だ。
また、後年ではフィルムの低価格化が進み、ハーフ判
カメラのブームも終焉。1970年代頃には、通常の
35mm判銀塩コンパクト機が市場での主流となっていく。
*1960年代~1970年代 M42マウント一眼レフの時代
リコーも一眼レフを勿論発売している。1960年代からの
シングレックスシリーズ等では、主にM42マウントを採用
して、他社(例えばPENTAX SPシリーズ等)との互換性が
高かった。
しかし、本シリーズのPENTAX編(第4回記事)でも述べて
いるが、本来ユニバーサル(汎用的)なマウントであった
M42も、開放測光や自動露出(AE)化の市場ニーズが高まり、
1970年代には各社独自のM42改(M42もどき)のマウント
となって、互換性が失われてしまった。

1975年に、PENTAXがM42マウントをついに見限り、
独自のバヨネット(Kマウント)化した事に、RICOHも
追従し、1977年より、Kマウントとほぼ互換性のある
XRマウント一眼レフ、XRシリーズの販売を開始する。
初期のボディは、チノン社やコシナ社によるOEM品
という話も聞くが、まあ、低価格化が出来、耐久性や
信頼性がある、とも言えるだろう。
中でも、1978年発売の「XR500」は、レンズ付きで
39,800円という低価格を実現し、「サンキュッパ」の
TV CMとともに大ヒットした。
だが、リコー・オートハーフシリーズに続く、XR500の
ヒットは、良くも悪くも「RICOH製カメラは大衆機である」
という印象を、強く消費者層に与える事となった。
XR500(注:XRシリーズは名称にハイフンの入る機種と
入らない機種が混在していて、少々わかりにくい)は、
後年に入手したのだが、付属のXR50mm/F2レンズが
欲しかった事からの購入であり、カメラ本体は、すぐに
知人に譲渡してしまった。その最大の理由は、カメラの
型番のように、最高シャッター速度が1/500秒までと
貧弱な性能であり、日中では殆どのレンズを、絞りを
開けて撮影する事が不可能であったからである。
このXRシリーズは、1990年代まで様々なMF一眼レフが
発売されている。私は、XR-7MkⅡとXR-8(いずれも
1993年製、絞り優先機と機械式マニュアル露出機)を
入手し、過酷な環境でも使える消耗機として使用していた。
(酷寒の冬の北海道撮影旅行でも役立った記憶がある)
なお、これら一眼レフは、αショック(1985年)以降も
AF化はされず、まあ、RICOHも銀塩一眼レフのAF化を
見送ったメーカーの1つである。
(注:他社によくある試作機的なAF一眼レフも発売して
いない。ただし勿論コンパクト機では、1980年代より
AF化を実現している。→ほとんど全てのメーカーの
コンパクト機がAF化されていた)
*XR RIKENON(リケノン)レンズ
XRシリーズ用の交換レンズ群(MF)である。
PENTAX Kマウントとは、ほぼ互換性があるが、後年のP型
の場合のみ、XR-P(1984年)以降の、プログラムAE機と
組み合わせる事でプログラムAEが実現する。
まあ、絞り優先やマニュアル露出で使うならば、過去から
現代にかけても、PENTAX製のKマウント一眼レフで相互に
利用できるが、現代のPENTAXデジタル一眼レフの一部では、
使えないか又は非常に使い難い為、Kマウントのアダプター
を使用してミラーレス機に装着する方が簡便であろう。
(なお、前述のように、RICOHの一眼レフ用のAF交換レンズは
存在しないので、現代においてはミラーレス機+MFが
ますます利便性が高い)

「富岡光学」製であったかどうかは不明である。
まあ「富岡光学」はヤシカと関係が深く、1975年からは
京セラ(ヤシカ)CONTAX用のツァイスレンズを製造して
いたので、もうRICOHにレンズを供給する事は、できなく
なっていたのではなかろうか?(詳細不明)
ただ、どこ製であったのかはともかく、XR RIKENONの
レンズは比較的高描写力である機種も多く、個人的には
好みである。(特殊レンズ第36回記事参照)

ここまでの時代では、残念ながらRICOH製カメラを
現有していない。一部所有していた機種はあるが、
デジタル時代に入った頃に、「古すぎて実用価値無し」
とみなし、全て処分してしまっているのだ。
以降は、現有している機体を含めて紹介を続けよう。
*1990年代 銀塩コンパクト機R1/GR1シリーズ
このシリーズについては、個人的に多くの機体を所有
していた。全てを語ると非常に長くなる為、ごく簡単に
紹介しておくが、詳細については、「銀塩コンパクト・
クラッシックス第6回記事、 AF高級コンパクト編Ⅰ」や
「特殊レンズ・超マニアックス第10回RICOH GXR編」
にも詳しいので、適宜参照されたし。
まあ簡単に言えば、RICOHのカメラと言えば、それまでは
「大衆機」のイメージが強かったのを払拭する為、GRという
新たなブランドを立ち上げ、高付加価値型の製品戦略に
転換した、という事である。

草分けとしてヒットしたGR1(1996年)の小改良機だ。
まあでも、それまでのR1s(1995年)等が1万円以内の
中古相場で買えていたものが、GR1s等は10万円以上の
高額新品定価となってしまった。
結局、それが「高付加価値型」の戦略の結果であるが、
値段の差ほどには、R1sとGR1s両者の性能差に10倍の
開きがある訳では無い。R1sも十分に良く写る単焦点
コンパクト機であった訳だ。
しかし、時代は、第一次中古カメラブームの真っ最中で
あった。バブリーな高付加価値型商品である事はわかって
はいても、マニア層は、こうした高級コンパクト機に
夢中になっていた時代であった。

であろうか。異例の超広角単焦点(21mm/F3.5)を
搭載し、13万8000円(+税)!と、高価なカメラだ。
だが、少々やりすぎた様相もあったかも知れない・・
私も、このバブリーなカメラを無理をして新品入手し、
それを使い、冷静に考えてみれば、とてもその値段までの
価値は無い。つまり「コスパが極めて悪い」という評価を
自分自身で下さざるを得なかった。
なにせ、直前の1997年には銀塩普及コンパクトの超名機、
OLYMPUS μ-Ⅱが登場している。
(銀塩コンパクト第3回記事で μ-Ⅱ Limitedを紹介済み)
これは普及機ながら、たいていの各社高級コンパクトと
同等か、あるいは、それらを時には上回る描写力を持ち、
かつ高級コンパクト機の1/3程度の安価な価格である。
μ-Ⅱのコスパに比べたら、高級コンパクトの付加価値とは
いったい何なのか? という点を深く考えるようになって
しまった。
結局、銀塩R/GRシリーズは、GR21の後、中古で1機種
しか購入していない。その1台とは・・

銀塩末期の2000年代初頭の購入だが、中古購入価格は
僅かに4,000円である。
でも、実用上では銀塩コンパクトは、このクラスで
十分である(クラスと言うのは値段では無い、勿論、
描写力の話だ)
μ-ⅡやELLEといった、超ハイコスパ機を何台か入手して、
コスパの事を熟考した結果、私は、もうこれ以降では、
各社銀塩高級コンパクト機の購入をやめてしまった。
*2000年代 デジタル・コンパクト機GRDシリーズ
2000年代初頭より、各社よりデジタル一眼レフの販売
が始まり、2004年には各社の普及版デジタル一眼レフが
出揃った。それまで数十万円と高価であったデジタル一眼
レフは、10万円台と一般層でも買いやすい価格帯となった。
それまででもコンパクト・デジタル機は普及していたが、
デジタル一眼レフは、コンパクト・デジタル機の10倍以上
も高価であったので、初級層などでは、デジタル一眼レフを
「ガンデジ」や「デジイチ」等と呼び、自身の「コンデジ」を
見下げるような表現が流行していた。だが、これらの呼称は
「ガンデジ、いいなあ、オレなんかコンデジだからなあ」と、
卑屈な考え方(差別的、敵視)の要素が大きく、本ブログ
では非推奨としていた用語であったが、この時代からは、
もう誰でもがデジタル一眼レフを入手できるようになった為、
これらの呼称も程なくして絶滅した。(=死語となった)
その後も、例えば専門性の低い雑誌(たまたまカメラの
特集をやったなど)では、依然「コンデジ」等の用語を
用いていたが、時代の変遷を知らないから、平気でそうした
用語で書いたのだろう。こういうのは単なる流行語では無く
その時代特有のユーザーの心理から出てきたものなのだ。
だから時代が変われば、市場心理もユーザー心理も変化する
5年、10年経って雑誌を読み返すと「なんじゃ~ この記事は」
等となってしまう可能性が高く、なんとも「その場しのぎ」
や「何も知らない」という印象が強く、好ましく無い。
・・で、この2004年頃から、各社の銀塩カメラの新発売は
大幅に縮小した。ほんの数年前までは、90年代後半からの
第一次中古カメラブームの余波により、様々な懐古趣味的な
銀塩カメラ(レンジ機やMF一眼等)が発売されていたのにも
係わらずだ。
ここに来て「世の中は完全にデジタル写真時代に突入した」
と、誰もが実感した事であろう。
そして、銀塩時代であれば、新型カメラの開発期間には
余裕があった、たとえばNIKONやCANONの旗艦機は、
およそ10年に1度程度の更新(リニューアル)であったし
一般機でも、数年程度の更新開発期間が許されていた。
(例:NIKON FM→FM2、FE→FE2は、各5年後の発売)
だが、この時代、毎年のように次々と新型デジタル機が
発売されている。デジタル技術の進歩は速いし、他社が
新機能や高性能を搭載したら、すぐさまそれを凌駕する
スペックを提示しない限り、そのメーカーは「時代遅れ」
となり、カメラが売れずに事業の維持が困難となってしまう。
この「超慌しい」時代は、慌しいだけならば良いが、新技術
の導入には、湯水のように莫大な「研究開発費」を費やして
しまう訳だ。これでは事業を続けるには、とてつも無い企業
の運転資金が必要だし、開発力も、銀塩時代の10倍以上も
確保しないとならない。ここで、多くのカメラメーカーは
思った事であろう、「こんな状態で儲かるのか?」と・・・
案の定、京セラCONTAXが、そしてKONICA MINOLTAが、
この時代に(デジタル)カメラ事業から撤退してしまった。
そして、PENTAXやOLYMPUSも厳しい。
(注:その後PENTAXは、HOYAやRICOHに吸収されてしまい、
OLYMPUSも2020年に、カメラ事業を分社化してしまった)
ここはむしろ旧来の銀塩カメラメーカーではなく、デジタル
家電製品などを作っている企業の方が、この事業構造には
マッチするのではなかろうか?そんな事情からか、SONYが、
韓国サムスンが、そしてPanasonicといった家電メーカー群が、
この時代からデジタルカメラ事業に参入を開始している。
さて、RICOHは、この厳しい時代に、どう対応するのか?
RICOHの出した回答は、まず、デジタル一眼レフ市場への
不参入、というところであろう。
そして、銀塩GR1シリーズで自社が開拓した「マニア向け
高級コンパクト」の市場を、デジタルでも展開する事だ。
すなわち「GR DIGITAL」の開発である。
RICOHは、マニア層の「囲い込み」を狙い、GR(デジタル)
ブログを開設したり、ファンミーティングを実施する等の
戦略を取った、これはカメラ界では他に類を見ない先進的な
マーケティング手法であった。
私は、前述のように、銀塩R1/GR1シリーズをほぼ全機種
所有するマニアであったが、銀塩末期には、GR1シリーズ
のコスパの悪さに辟易していて、「もう買わない」とも
思っていた・・
が、やはりデジタル化するGR1(GR DIGITAL) は非常に
気になる。発売前にGRDを予約し、その発売日当日に
75,000円という高額な価格で購入してしまったのだが、
それでも、その時は「銀塩GR1よりも安価になった」と
むしろ喜んでいた(注:高付加価値化戦略に振り回されて
いた為、金銭感覚を狂わされていたのであろう・・汗)

結構気に入っていた。
特に最短撮影距離の短縮(銀塩の30cm台→1cm台)は
驚異的であり、あらゆる場所にGR DIGITALを持って
行き、機嫌良く使っていた。
その後、GR DIGITALは、約2年毎にリニューアル。
まあ、依然慌しいが、それでも他社の普及コンパクト機は
数ヶ月毎に新製品が出る状態であったので、それを良しとは
思わないマニア層に向けては、2年というのはギリギリの
妥協点であったのだろう。また、旧機種であっても、頻繁な
ファームウェアのアップデートにより、どんどんと新機能が
追加される事も、銀塩時代には無かった大きな利点であった。
しかし私は、またここで銀塩時代のように、GR Digitalを
後継機も含めて全部欲しい、とは、もう思わなかった。
まあ、「懲りていた」とも言えるかも知れない・・
すなわちメーカーの高付加価値戦略に振り回される事は、
消費者側の購買行動としては「負け」の状態である事を
よく認識したからである。

ある。総撮影枚数は5万枚を超え、外観はボロボロ、修理
にも3回も出し、バッテリーも3回交換しているが、新型機に
買い換える気にも、あまりなっていない。
*2009年 ミラーレス機GXR
2009年、特異なコンセプトのミラーレス機RICOH GXR
システムが登場。すでに前年に、Panasonicより初の
μ4/3機のDMC-G1が発売されていたが、このGXRは大型の
APS-C型センサーを搭載した専用ユニットが2種類もある。
おまけにGR1/GRDの流れを汲む28mm(相当)単焦点広角に
加えて、小型軽量の50mm単焦点マクロユニットが存在する。

欲しいユニットを全部揃えると軽く20万円を超えてしまう。
「危ない、危ない、また高付加価値戦略に乗せられてしまう
ところであった」と、一旦冷静に見送る事とした。
まあ、高付加価値戦略は当然だ。RICOHは、その路線で
走る事を、1996年のGR1で宣言した事と等価である。
マニア向けの高額商品を次々に出して来るのは順当であり、
結局、私も、それに乗せられて、それまで多くのRICOHの
新製品を買ってしまった訳である。
私は、GXRを「見なかった事」とした。
翌年2010年には、SONYよりAPS-C型センサーを搭載した
NEX-3/5が発売、このカメラは急速に中古相場が下落した
ので、私は、それらを無事入手。合わせて入手していた
Panasonic DMC-G1と共に、その頃から市場に流通し始めた
マウントアダプターを多数入手し、これで銀塩時代から
しばらくの間休眠していた、FD、MD、ARなどのマイナー
マウントの所有レンズ群を自在に活用できるようになった。

復活と再評価に夢中になり、GXRの事はすっかり忘れて
しまっていた。
当時の300本を超える全所有レンズを、全てミラーレス
機で実写し、その模様を、本ブログの記事「ミラーレス・
マニアックス」で、2015年~2017年にかけ、80を超える
記事で紹介している。
で、その2010年代初頭の数年間では、私の他でも勿論
ミラーレス機は大人気であった。オールドレンズを
見直す「第二次中古(レンズ)ブーム」も起こった程だ。
そして、ミラーレス機の急速な普及は、デジタル一眼レフ
陣営を慌てさせ、フルサイズ化や超絶性能の搭載など、
新たな市場戦略(しかし、これらも当然ながら高付加価値
化戦略である)が始まった。
RICOH GXRは、ユニット交換式という特異な構造故に、
システムの改良が困難であった。その為か、GXRシステムは
最初期の1機種と、数本の交換レンズを持って凍結された。
今後「GXR Ⅱ」等が出る可能性が無いと見た、ユーザー層
や市場では、GXRの中古相場は大幅に下落していく。
2015年位に、ふとGXRの相場を見ると、発売時の数分の1
程度に暴落していた。私は「買い頃か?」とみて、およそ
7万円の予算で、GXR本体と3本のユニットを買いそろえた。

すなわちミラーレス最初期の「コントラストAF」のみの搭載
であり、AFが全く合わず、かと言ってMFの操作性も劣悪だ。
つまり、何をしてもピントが合わない。
他社でも、当然このミラーレス機のAF問題は認識しており、
2013年~2014年にかけて、像面位相差AF機能の新搭載で
これへの対策としていた、だが、GXRは古いままである。
なお、コントラストAFのみの2008年~2012年の各社
ミラーレス機であっても、マウントアダプターを介して
オールドレンズをMFで使う上では何ら問題は無いし、
純正AFレンズでも、広角単焦点または、開放F値の暗い
(=被写界深度が深い)標準ズームでは問題は無かった。
まあつまり、大口径、マクロ、超望遠、等の被写界深度の
浅いAFレンズで問題になっただけである、それらを使わない
という前提であれば、コントラストAFのみのミラーレス機
でも全く問題は無いし、もう数年もすれば像面位相差AF
搭載の新鋭機も中古相場が下落して入手しやすくなる為、
それらを買って、目的(レンズ)により、ミラーレス機を
使い分ければ良いだけである。
でもGXRのピント問題は、オールドレンズの母艦とする訳
にも行かず、致命的に近い状態であった。私は即時、この
GXRを使い潰すつもりとしたが・・
意外な副産物として、A12 50mm/F2.5 Macroユニットの
描写力が異様に優れている事を発見した。

この高い描写力が何を起因としているかは良くわからない、
「ユニット一体型の専用設計だから」という一般的な説明だけ
では技術派マニアは納得しない、どこをどう工夫したから
高描写力が得られた、という具体的な理由が欲しいのだ。
・・まあ、その事は良い、ともかくMacroユニットは優れた
レンズである、「これを使う為にGXRがある」と言っても
過言では無いだろう。
以降数年間、合わないピントにイライラしながらも、依然
GXRのマクロは魅力的なシステムとして使用を続けていた。
しかし、2018年頃、このMacroユニットは電気的な故障に
見舞われてしまった。修理は効かない可能性が高く、かつ
あまりお金をかけて直す気にもなれない。
再度中古市場を見ると、GXR+Macroのセットが2万円台後半
という、数年前より、さらに下落した相場となっている。
結局、これを追加購入する事とした。GXR本体が2台と
なってしまったが、それぞれに別のユニットを装着して
依然、使用を継続している。
*2010年代 PENTAXの吸収合併の時代
少し前述したが、デジタルカメラの開発経費の増大や、
スマホやミラーレス機の急速な台頭により、2010年代より
デジタル一眼レフの市場(事業)は大きく縮退し始めた。
各社とも、2013年頃よりデジタル一眼レフやその交換レンズ
群の価格を大幅にアップ。しかし、ただ単に値上げをしたら
ユーザーが離れてしまう。だから新機種では、不要なまでの
「超絶性能」を与える戦略とした。
例えば、カメラ側では、フルサイズ化、超高画素、超高感度、
超高速連写、AFの高性能化、動画機能強化、WiFi、エフェクト
搭載、連写合成、瞳AF等である。
レンズ側では、高解像力化、超音波モーター搭載、手ブレ補正
内蔵、大口径化、ズーム比の拡張、最短撮影距離の短縮、
特殊仕様の搭載、等が代表的であろう。
この結果、新鋭カメラやレンズの新品価格や中古相場は、
旧来の数倍程度までに高額となった。
中上級層やマニア層では、新品離れの風潮が当然起こったが
新規のエントリー層やビギナー層のユーザーが、これらの
カタログ上の高スペックに魅かれて購入。何故そんな高い
(=コスパが悪い)商品を買うのか? と言えば、まずは
経験的な価値感覚を持っていない事(=高価かどうかも
良くわかっていない)そして、高性能な製品を買わないと
自身の撮影技術に自信が持てないからである。
(例:手ブレ補正機能が入っていないと、手ブレが怖い)
まあ、という事で、高付加価値型の新製品を買うのは
初級中級層のみ、という、極めて不自然な市場構造になって
しまった。
でもまあ、それはやむを得ない、ビギナー層がせっせと
高価な新製品を買ってくれない限り、各社はカメラ事業を
継続できなくなってしまう訳だ。
さて、こんな状況の中、PENTAXのカメラ事業が苦しくなって
きていた。PENTAXは銀塩時代よりコスパの良い中級機を
主力とした商品戦略を実施するメーカーであり、高付加価値
型戦略を得意とするメーカーでは無い。そういう戦略は、
メーカーとしてのブランド力も伴わないとならないから、
NIKON,CANON,SONYといった(カメラを知らない)一般層
でも高額な商品を買ってくれるような有名メーカーで無いと、
それを実施できない。つまり「PENTAXなのに、何故そんなに
高いのだ?」と、ビギナー層等は思ってしまうからだ。
まあでも、PENTAXでもマニア向けの戦略も実施している、
Limitedレンズとか、Hyper操作系などがそうであるが、
これらは、ビギナー層が欲しいと思ったり、効能を理解
できるようなものでも無いであろう。
PENTAXは、2000年代より、カメラやその他の光学関連
事業の提携先を求め、セイコーや韓国サムスンとの
提携話があったのだが、結局HOYAと合併する事となった。
しかし、その実施は色々とあって、大きく揉めた模様で、
2008年頃に、やっと合併が実現した。

普及機の高機能化、オーダーカラー制などによる
ファッショナブル化、超小型ミラーレス機のPENTAX Q
シリーズの発売、アニメやその他の分野とのコラボ商品など
先進的なマーケティング手法を展開、そして大幅なリストラ
や製品ラインナップの見直し(例:コンパクト機の廃止)
を行い、ついにPENTAXのカメラ事業を黒字化する事に
成功した。
まあ、HOYAは元々ガラスメーカーであり、カメラ市場の
事は知らない(経験が無い)から、むしろ、このような
大胆で現代的な事業構造改革を行えたのであろうが・・
しかし、外から見ていても、これらの戦略は、おそよ
50年間のPENTAX機の歴史を知る上で、ずいぶんと違和感の
あるやりかたであったし、当然、社内外的にも色々と賛否が
あって、きっと誰もが仕事がやりにくかった事であろう。

HOYAは、2011年にカメラ事業をRICOHに譲渡する契約を
締結した。この年、PENTAXはRICOHの完全子会社として
「ペンタックスリコーイメージング株式会社」が誕生。
さらに2013年には、ペンタックスの社名がついに消えて、
「リコーイメージング株式会社」となり、この時点でカメラ
メーカーとしてのPENTAXは消滅、以降「PENTAX」は、
RICOHのカメラの「ブランド銘」として存続する事となった。
・・まあ、このあたりの歴史は、なんだかドロドロとした
要素もあって、PENTAXファン的、あるいはカメラマニア的
には、あまり気持ちの良い話では無い。
ここからは単純に、RICOH時代のPENTAX機の戦略について
紹介していく事としよう。
まずは、HOYA時代に改善の手が入れられらなかった
PENTAX上級機に改革の手が入れられた。具体的には、
RICOHは技術主導の企業であり、リアルレゾリューション
などの高度な新技術を高級機に搭載、そして遅れていた
「超絶性能化」や、フルサイズ化、高度な操作系の搭載など
の措置を行う。

上写真は、PENTAX KP(2017年)、超絶性能と超高度な
操作系が特徴であり、そしてコスパが極めて良い。
(デジタル一眼レフ第22回記事参照)
ここにおいて、旧来の50年間以上のPENTAX一眼レフの
歴史をまた復活させるコンセプトとなり、それはつまり
高性能でありながらも高価ではなく、かつマニア層にも
受け入れられる要素を持つ、本来のPENTAX機と同等の
イメージを持つ製品群が出揃ってきている。

ミラーレス機(K-01、Qシリーズ)も凍結、コンパクト機
も防水機や業務機を除いては廃止。
そしてPENTAX銘の機体はコスパの良い一眼レフと中判機が
あるだけだ。
RICOHブランドでは、旧来通りのGRDシリーズと、それに
加えて、新分野である、全周カメラ(THETAシリーズ)に
ラインナップが絞られている。
また、産業用途として、監視カメラや、近赤外線カメラ、
熱赤外線(サーモ)カメラ等、特殊カメラも残している。
まあつまり、売れるラインナップだけ残しているという
事となるが、旧来のPENTAXファン層もちゃんと意識して
それらのファン層・マニア層でも違和感を感じ難い
丁寧なラインナップ戦略と各機種の仕様を実現している。
すなわち「マニア層の心理」をちゃんとわかっているし
そうしたマニア層が市場に与える影響力や、マニア層の
購買(消費)行動もよく分析して自社の事業にちゃんと
結びつけている、という事だと思う。
まあ、そうであれば、NIKON,CANON,SONYのブランド
戦略とはバッティングしないし、独自の路線で事業を
続ける事が出来る訳だ。
ただまあ、今後の事は良くわからない。
マニア層、中級層、特殊用途、だけでカメラ事業が
継続できるのか?(=黒字となるのか?)は、メーカー側
の内部事情であるし、それを判断するのもRICOHである。
(PENTAX KP以降の新規一眼レフの発売は凍結されていた
状況であったが、2020年に新型APS-C機 K-3 MarkⅢ
の開発が発表された)
しかし、個人的には、デジタル時代に入って、次々と
個性的なカメラメーカーが脱落(事業廃止)していく中で、
残ったメーカーは、できるだけ個性的な商品戦略を展開
しつづけて貰いたいようにも願っている。
さも無いと、ある意味、市場には個性も無く高価なだけの、
デジタルカメラばかりが残ってしまい、全く魅力を感じなく
なってしまうからだ。(→既に、その状態である)
そして、この感覚は既視感(デジャビュ)がある、
1990年代、銀塩AF一眼レフが進化の限界を迎えて
新機種に全く魅力を感じなかった時代である。
この時、マニア層は、全員が古い中古カメラに傾倒し
大規模な「第一次中古カメラブーム」が起こった訳だ。
もし中古カメラしか売れないならば、当時のカメラメーカー
も存続が危ぶまれた状況であったが、幸いにして、新分野の
銀塩高級コンパクト機、APSフィルム機がその窮状を救い、
さらには数年後のデジタルへの移行期に、ちょうど当たって
なんとか各社のカメラ事業は崩壊を免れた。
現代、同様にデジタル一眼レフは進化のピークの段階と
なり、新製品の魅力は失われてきている。
(そもそも2010年代末からは新製品の一眼レフが無い)
当面はフルサイズミラーレス機などで、ユーザーの視線を
そちらに向ける事は出来るかも知れないのだが、それとて
高付加価値型商品であるから、もう一部のマニア層等では
コスパの面で許容しがたい要素も大きい状態だ。
このままでは、また「第三次中古(デジタル)カメラ
ブーム」が起こって、カメラ市場が混迷してしまうかも
知れない。別に私は個人的には、この業界とは何ら関係が
無いが、ユーザーとして、及びマニアとしては、魅力的な
カメラが全く出て来なくなる状況は非常に困る。
RICOH(PENTAX)あたりには、今後においても、マニアック
で魅力的なカメラを作り続けて欲しいと願う次第である。
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さて、今回のRICOH編記事は、このあたりまでで・・
次回記事に続く。