本シリーズでは、やや特殊な交換レンズをカテゴリー
別に紹介している。
今回は「TAMRON MF クラッシックス」という主旨で
TAMRON製のアダプトール(2/Ⅱ)対応の、MF単焦点
レンズ(1970年代~1980年代)を5本紹介しよう。
ただし、いずれのレンズも過去記事で紹介済みなので、
本記事では個々のレンズの紹介よりも、もっと全般的
なTAMRON製品や時代背景についての解説が主となる。
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ではまず、最初のシステム
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レンズは、TAMRON SP 17mm/f3.5 (Model 51B)
(中古購入価格 10,000円)(以下、SP17/3.5)
カメラは、NIKON Df (フルサイズ機)
1979年に発売された、MF超広角単焦点レンズ。
アダプトール2仕様である。
(ミラーレス・マニアックス第8回記事等で紹介)
最初期のSP銘が冠されたレンズであるが、あまり良好な
描写力では無い。当初のSPには画質よりも「特殊な仕様」
という意味合いが強かったようにも思える(詳細後述)
![_c0032138_16533852.jpg]()
「アダプトール」とは、「マウント交換システム」である。
銀塩時代から現代に至るまで、ほとんどの写真用交換レンズ
はマウント固定式である。
銀塩MF時代には「マウントアダプター」もまだあまり普及
していなかったし、ごく稀に存在していても、それが使える
(MF)マウントでの組み合わせは限られていた。
その頃、ユーザー側としては、以下の問題点が存在していた。
1)メーカーの異なるカメラに買い換えた際、それまで使って
いた交換レンズが使えなくなる。
2)複数のメーカーの異なるカメラを併用している際、
それぞれのカメラでレンズを共有できない。
TAMRONはこの課題に対応する為、創業初期(1950年代~)
から様々な手法で、交換式マウントを開発/発売していた。
なお、TAMRON以外でも、一部のレンズ・サードパーティの
製品は交換式マウントであった。レンズメーカーとしては
各社のマウント毎に個別に製造をしていたのでは、生産計画
や製造原価、在庫管理等で弊害が多かったからであろう。
加えて、勿論ユーザーメリットがある為、それを付加価値
として、カメラメーカー純正レンズに対抗できる。
カメラメーカー側は、まさか他社マウントのレンズを発売
する事はできないからだ。
(注:とは言うものの、同じメーカー同士の製品で無いと
基本的に使えない、という状況自体、他分野の様々な商品
と比較して、カメラ界は、明らかに異常だ。
例えば、蛍光灯や乾電池、ガソリン等が、他社のものでは
使えないとなったら、消費者層から暴動が起こるであろう。
カメラ界では、「マウントが統一されていない」という
大問題を、もう何十年間も、ほったらかしのままだ。
かつてはM42が、近代ではμ4/3が、ユニバーサル
(=汎用、共通)マウントを目指して提唱されたが、
大半の大メーカーは自社の利益を優先して知らん顔だ。
ユーザー利便性を大きく損なう、こうした措置を、
いつまでも続けているから、消費者層のカメラ離れが
どんどんと顕著になっていくのではあるまいか?
老舗カメラメーカーの数多くが撤退し、もう数える程
しか残っていないので、話はしやすいだろうし、加えて
カメラやレンズが沢山売れている訳でも無いのだから、
ジリ賓にならないようにも、ここらあたりで思い切った
「仕切り直し」が必要なのではなかろうか・・?)
さて、TAMRONの歴史の話に戻ろう。
1970年代以降、開放測光、AE対応、絞り値伝達等、
様々な複雑な新機構が交換式マウント側にも要求された
為、これらを地道に改良しつづけたのは、TAMRONだけ、
という状況になってしまっていた。
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TAMRONの交換マウント方式は、概ね4種類が存在する。
これらは全てユーザー自身で簡便にマウント交換が可能だ。
①Tマウント(1960年前後~)
かなり有名なマウントだが、TAMRONによる開発だ。
天体望遠鏡等で良く使われたので「Tはテレスコープだ」
との誤解も多いが、これは「TAMRONのT」である。
外観はM42と類似だが、ピッチ(ネジの仕様)が異なる為、
無理に両者を混用すると、壊してしまう危険性がある。
(Tマウントは、ピッチ=0.75mm、M42は1mm)
Tマウント対応レンズは、現代でもまれに見かけるので、
使用の際には、そこに注意だ。
なお、ネジピッチをM42マウント互換に仕様変更した物は、
T1マウント、またはPマウントと呼ばれる。これは、現代
でも、KENKO製レンズ(ピンホールやミラーレンズ等)の
現行製品でも見かけるが、Pマウントの場合はM42対応の
マウントアダプターでも問題なく使用できる。
②アダプトマチック(1970年前後)
Tマウントでは、カメラとレンズの間に何ら機械的な
やりとりを持たない為、この当時から市場ニーズが高まった
開放測光やAE(自動露出)への対応(自動絞り)を目論んだ
もの。短期間だけの発売であり、過渡的な機構であろう。
この仕様対応のレンズは、あまり中古市場でも見かけない。
③アダプトール(1970年代~1978年まで)
絞り値を制御する複雑な機構を搭載した為、開放測光での
各社互換性が高まっている。稀にこの仕様のレンズも流通
してはいるが、もはやクラッシックだ。
後述のアダプトール2との互換性だが、まあ、機構的には
嵌る事は嵌る。ただしM露出や絞り優先露出で使う際には、
絞り値の主体がレンズ側となる為に問題無いだろうが、
自動絞りを要求されるMF一眼レフ側のP(プログラム)
露出やシャッター優先露出では、動作する保証は無い。
まあ、2とは完全な互換性があるとは思い難いし、既に
現代ではカメラ側の環境も大きく変わってしまっている。
現代でのデジタル機では、安全を期して、アダプトール
では無く、マウントアダプターを用いて対応するのが賢明だ。
④アダプトール2(Ⅱ)(1979年~1990年代頃)
「2」と一般的に書かれるが、TAMRON社のWEBでは「Ⅱ」の
記載も稀に見受けられる。どちらが正解かは不明だ。
アダプトールを改良したもので、中古市場で流通している
レンズおよび単体のアダプトールは、殆どが「2」仕様だ。
絞り値の伝達を可能とした為、AE対応での各社マウント
互換性が高まっている。
前述のように、初代アダプトールとの互換性は無きにしも
あらずだが、1979年からの「SP銘」レンズでは「2」を
用いる事が推奨されていたと思う。
私は、殆どのマウントのアダプトール2を所有しているが、
レアものとしては、「ライカR」、「EOS」、「α」がある、
ライカR用はなんとか入手したが、EOS(EF)とα対応は
見た事が無い。恐らく、これらはTAMRON SP500/8
のミラーレンズ専用アダプターであろう、そのミラーで
あれば、絞りが無く、ややこしい電子制御は不要だからだ。
また、超レア物ではMAMIYA ZEマウント対応品もあった
模様で、アダプトール側でレンズの開放F値等を設定
できるそうである(→見た事もなく、当然未所有)
そして現代であれば、わざわざレアなアダプトール2を
探さずとも、適当なマウントアダプターで対応できるし、
市販マウントアダプターの中には、アダプトール2対応の
ものもあって、それを用いれば、アダプトール2自体が
不要となり、直接TAMRONレンズから各マウントに
変換できる。
なお、現代のデジタル機でアダプトール2仕様のレンズが
使える環境だが、ミラーレス機では、アダプトール2と
マウントアダプターの組み合わせで全てOK。一眼レフ
では、様々な条件を満たせば何とか使える場合もある。
アダプトールの総括だが、TAMRONは良く頑張って、
各社のMFマウントに対応していたと言えよう。
むしろ責めるべきは、この時代に「マウント統一」という
事を実現できなかったカメラメーカー側にあると思う。
よく引き合いに出す余談だが、楽器の世界では1980年代に
電子化・デジタル化が行われたが、その際に、各社の楽器を
統一する「MIDI規格」が誕生し、その後もずっとその規格は
生きていて、新旧・各社の電子楽器を自由自在に接続でき、
この規格が音楽シーン・音楽業界・制作現場・音楽通信等に
与えた様々な「恩恵」は計り知れない。
このMIDI規格の制定を、全世界の楽器メーカーを廻って交渉
したMIDI規格の立役者「梯(かけはし)郁太郎」氏(故人)
は、この功績でグラミー賞を受賞(2013年)している。
梯氏は個人的にも知る人物であるが、英語がさほど堪能
という様子は無かったのに、圧倒的な行動力と交渉力を
もって、良くこの偉業を成し遂げた。
カメラの世界では、この梯氏のように、あるいは幕末の
坂本竜馬のように、各社(各者)の利害関係を上手く調整
して、「標準化」「統一化」等の偉業を成し遂げる人物や
組織が出て来なかった事は、つくづく残念な話である。
![_c0032138_16533810.jpg]()
さて、ここでもう1つ、「SP」銘の話だが、
これは1979年から使われ始めた、高性能レンズに
与えられる称号である。
まあ、現代での「SP」は、本当に高性能なのではあるが、
1979年時点では、本SP17/3.5や、SP500/8のように、
あまり描写力が優れていない物も、SPと呼ばれていた。
恐らくは描写力よりも、「特殊な仕様のレンズ」という
要素が強かったのかも知れない。
また、1980年代前半には大量のSP銘レンズが発売され、
もはや「SP」の意味も曖昧となっていた。
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さて、次のシステム
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レンズは、TAMRON 24mm/f2.5 (Model 01B)
(中古購入価格 14,000円)(以下、TAMRON24/2.5)
カメラは、NIKON D300(APS-C機)
1979年に発売された、MF広角単焦点レンズ。
こちらもアダプトール2仕様である。
(ミラーレス・マニアックス第20回記事等で紹介)
これも、特筆すべき性能は持たないレンズであるが、
銀塩時代に、何故、本レンズや前述の17mm等の、
こうした広角系のTAMRONレンズが必要とされた
(販売されていた)かの理由であるが・・
それは、マニア等で、多数のMFマウントの一眼レフを
所有している際、各社毎に、超広角やら、マクロやら
超望遠等を個別に揃えていたら大変だからである。
カメラメーカー純正のそうした特殊レンズは高価である。
それは性能が高いから高価なのでは無く、生産数が少ない
から、開発経費や製造関連費用の償却が苦しく、割高と
なってしまう訳だ。
・・でも、マニアであれば、今日はNIKON F3、明日は
CANON New F-1、あさってはPENTAX LX・・等と、
それぞれのマウントのMF名機を使いたい訳であって、
それぞれに広角やマクロが無いと困ってしまうのだ。
![_c0032138_16534819.jpg]()
なので、TAMRONレンズの出番である。アダプトール2
仕様により、NIKON F(Ai)、CANON FD、PENTAX K、
以下、MD、OM、Y/C、AR、AX・・等のアダプトール2を
最低1個づつでも揃えておきさえすれば、その日に使いたい
カメラ本体に合わせて、マウントを交換して同じレンズが
出動できる訳である、これは非常に大きなメリットであった。
だからまあ、TAMRONのアダプトール2のレンズはマニア
必携であったのだ。しかし、この市場原理から、メーカー
純正のレンズが普及しているタイプのレンズは作っても
売れない。それは例えば50mm/F1.4の標準レンズ等であり、
これは皆が純正レンズを持っているし、各メーカー固有の
「贔屓」もあるから(注:実際には銀塩時代の標準レンズは、
どのメーカーの製品を買っても、同じ時代であれば性能も
ほぼ一緒であった→最強50mm選手権シリーズ記事参照)
・・・贔屓もあるから、個々のメーカーの標準レンズを
マニア層等は使いたい訳だ。
この結果、TAMRONは銀塩時代を通じて標準レンズを1本も
発売せず、やっとそれが発売されたのはTAMRON創業から
60年以上も経過した2015年のSP45/1.8(F013)である。
(しかし、ポリシーがあるのか? 50mmの焦点距離では無い)
![_c0032138_16534814.jpg]()
まあ、銀塩時代のTAMRONは、超広角、広角、マクロ、
望遠ズーム、高倍率ズーム、大口径ズーム、超望遠レンズ、
ミラーレンズ等の、やや特殊な仕様に特化したメーカーで
あり、それらのレンズを揃える事がマニアの基本であった。
(注:CCTV用レンズ等の特殊な市場分野の話は割愛する)
今回紹介のレンズ群の価格が、全て現代の中古相場から
比較して割高なのは、いずれも銀塩時代での購入であった
からである。また当時は、これらに加えてさらに数本の
TAMRON単焦点を保有していた。すなわち必携のレンズ
群であった訳である。
![_c0032138_16534929.jpg]()
ところで、アダプトール2仕様は便利なのではあるが、
不思議な制限事項がある。それは、本ブログでは昔から
「F2.5の壁(謎)」と呼んでいるものであり、TAMRON
の銀塩時代の各レンズにおいて、開放F値がF2.5を下回る
レンズは存在していなかった。
この正確な理由は不明、恐らくは、アダプトール(2)の
仕様上で、各マウントで共用できる為の口径比(F値)の
限界値をF2.5に留めて制定したのだと思われる。
以前、TAMRON本社を訪れて、主要技術陣と話す機会が
あり、そこでこの質問をしようとしていたのだが・・
様々な名レンズの談義に花が咲き、「F2.5の謎」に
ついて質問する事を、すっかり忘れてしまっていた(汗)
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では、3本目のレンズ
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レンズは、TAMRON 105mm/f2.5 (Model CT-105)
(中古購入価格 12,000円)
カメラは、SONY NEX-7 (APS-C機)
1976年に発売された、MF中望遠レンズ。
アダプトール2以前の「アダプトール」仕様である。
4群4枚のシンプルな構成、小型軽量で使い易い仕様だ。
最短撮影距離は1.3mと、焦点距離10倍則を満たして
いない。
鏡筒デザインは少々古臭く、あまり高級感は無い。
また、本レンズも「F2.5の壁」がある模様だ。
本レンズは、経年劣化で絞りが故障してしまっている、
「粘り」が発生していて、開放でしか撮れないのだ。
現在においては、もう実用的には使用できない為、
過去のミラーレス・マニアックスで掲載した写真のみ
挙げておこう。なお、この時は「アダプター重ね」の
裏技を用い「視野絞り」で撮影していた。
![_c0032138_16535835.jpg]()
まあ、2000年頃に、1960年代迄のレンズの多くを
「古すぎて実用価値無し」と処分してしまっていたのだが
そろそろ1970年代のレンズも、経年劣化や性能的未成熟
で実用的には厳しい。すなわち、「レンズの実用寿命は、
およそ40年~50年間」という事が、経験上でわかって
来ている状況だ。
さて、ここからはTAMRON旧レンズの話をしておこう。
まず、TAMRONは1960年頃から写真用交換レンズを販売
しているように思えるが、2010年にTAMRON SP70-300
(Model A005、レンズ・マニアックス第6回記事参照)が
発売された際、「創立60周年記念」と謳っていたので、
1950年前後の創業という事であろう。
様々な点で大きく変化したのは、1979年であり、この年
に何があったか?は定かでは無いが、経営陣の刷新などが
推測される。具体的な変化としては、「SP銘の誕生」が
あるし、「アダプトール2(Ⅱ)の採用」もこの1979年だ。
そして、ここからはTAMRONレンズのModel名の変遷に
ついて時代を追って紹介しておく。
1960年代、#680、#870など、数字三桁のランダムな番号
1970年代前半、PFH-28Auなど、複雑なランダムな型番
1970年代後半、CZ-210、CT-105等、整理された型番。
凡例:Z=ズーム、T=テレ(望遠)、W=ワイド(広角)
1980年代、52B、03Aなどのランダムな型番が復活。
改良機では、52BBや、103A等となる場合が
あって、ますます複雑怪奇だ。
1990年代、AF時代に突入しても、71Dや72E等、ランダムだ。
2000年代、デジタル時代に入っても、依然、A03やB003等
複雑な型番体系が続いている。
2010年代、ミラーレス機用のレンズも、B011やC001等の
同様なランダムな型番体系である。
まあ、これらのModel名は、個々のレンズを特定できる為に
必要な措置ではあろう、さもないと改良型等との区別が
ユーザーや流通において付かないからだ。
例えば、クルマ(乗用車)や、バイクの世界では、エンジン
形式や車体形式で、個々の車種を特定する為に、マニア間
では、良くこうした形式名が用いられる(例:AE86、Z2等)
だが、カメラ(レンズ)の世界では、特にこのTAMRONの
複雑な型番を全て暗記しているマニアは皆無だと思われる。
だから、マニア間でも、まずTAMRONのModel名での会話は
行われない。これはマニア層に限らず、中古店等のベテラン
店員等との会話でも同様だ。ちなみに、TAMRON社自身でも、
同様であり、以前、TAMRON本社で技術陣と話をする機会が
あったと書いたが、その際、古い機種の話をModel名で
言っても通じなかった事がある(汗)
まあ、これが使われるのは、中古販売の際に、機種を特定
する場合くらいであり、中古品にはModel名が併記されて
いる場合が殆どだ。後は、流通業務においても伝票等には
書かれていると思われるが、そこまでは見た事が無い。
なお、TAMRON以外では、SONY製、PANASONIC製等の
レンズにもModel名が併用されている場合があるが、
Model名を持たないメーカーも多い。
また、近年のSIGMAでは「エディションナンバー」と
呼ばれるサブ名称が存在するが、これはカテゴリー名と
発売年を示しているので、同一のサブ名称のレンズが
複数並存している。(注:SIGMAのレンズの中古品を
購入する場合、発売年がレンズ上に書いてあるので、
「どれくらい古いか?」がわかって、便利ではある)
「Model名なし」による弊害だが、ユーザー側のWeb等での
レンズ紹介や評価の際に、正確な機種型番をフルネームで
記載しないと、レンズ機種が特定できない場合がある。
つまり、モデルチェンジ等で、極めて似ている機種名が
ある等の場合だ。どの機種の話か?良くわからなくなって
しまう。(例:「タムキュー」と言ってもわからない)
これについては、残念ながら、殆どのWebにおいて機種名
の正確性は期待できない状況である。公式情報に近い
立場のサイトでさえも、その状態である為、正確な型番が
不明な場合も多々ある。また、いわゆる「まとめサイト」
等では、それらの実際の製品を所有しておらず、見た事も
無い状態で情報提供をしている事も多々あるので、
そういった不正確なケースも非常に良くあるわけだ。
また、「まとめサイト」等で元にした古い雑誌や資料等の
引用文献にしても、それが正確である保証は残念ながら
全く無い状態だ。特に、古い文献や資料では、機種名等の
正確性に欠ける場合が良く見受けられる。(各々の
ライターでの思い込みや、記載の便宜上で書かれている)
またメーカー側の公式サイトですらも古い機種は情報が
載っていないか、あるいはサイトでの記載内容そのものも
間違っている場合すらある。
さらに言えば、Webリニューアルの際に、昔から一般的で
あった名称が、何故か変わってしまっている例すらある。
(例:NIKON Ai→AI)
まあ、WEB製作者は、カメラマニアでは無いだろうから
そういうケースも十分に有り得るし、それをチェックする
広報業務担当者等も、同様にカメラマニアでは無い人の
可能性も高い。だから誰もチェックできず、特に古い機種
名に関しては、メーカーWEBですらも信用できない状況だ。
では実際の製品(例えばレンズ等)を見れば、最も正確性
が得られるのか? と思って実物を見るのだが、ここでも
問題があり、意匠デザイン等の都合で、型番が部分的に
分割されて書かれていたり、ハイフンや大文字小文字や
空白(スペース)の差異が曖昧だったりする事がよくある。
また開放F値の記載方法も、レンズ上と型番上では異なる
場合があって、ますます複雑かつ混迷している状態だ。
実製品の銘板(めいばん、製品に取り付けられた製品名や
製造番号を示す部品)か、それに類するものを見れば正確か
と思ったが、それが無い製品も大半であるし、代わりに印字
がされていても、何と、製品本体に書かれている型番とは
異なるケースもあった(汗)
もしかすると「取扱説明書」が最も正確か? と思って
それを見ても、これもまた実物上に書かれている記載と、
説明書での記載が変わっている事すらもある。
もう、何がなんだかわからない(汗)
こうした状況を鑑み、本ブログでも、近年においては、
できるだけ正確性の高い記載をしたい、と心がけては
いるのだが、調べれば調べるほど「正解が存在しない」
という事がわかってきていて、困っている。
結局、少し前述したように、「カメラ界では標準化とか
統一化がなされていない」という大きな課題の、それ以前に、
たとえ同じメーカー内でも、その各時代での担当者レベルに
おいて、あるいは、各担当部署の差異によって、型番の
ルールやらが異なり、最悪なのは、書かれている事自体が
個々に違ったりする状況が多々見受けられる。
この話はTAMRONだけの問題では無く、むしろTAMRON
以外の多数の有名メーカーの方が、そうした問題を抱えて
いる場合が多い状況だ。そして、それらを調べてまとめる
「二次情報提供者」もまた混乱してしまっている訳だから、
結局、どこにある情報も正確性に欠け、信用できない状況と
なってしまっている。
こういう事は「ビッグデーター解析」とか「AI」を使っても
解決不可能であろう、巷に存在する殆どの情報自体が
間違って書かれている状況が多々あるので、それらを解析
しても、まったく無意味な結果が出てきてしまう訳だ。
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さて、余談が長くなったが、次のシステムに進もう。
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レンズは、TAMRON SP 90mm/f2.5 (Model 52BB)
(中古購入価格 20,000円)(以下、SP90/2.5)
カメラは、OLYMPUS OM-D E-M1 (μ4/3機)
1988年に発売されたMF中望遠単焦点1/2倍マクロレンズ。
アダプトール2仕様である。
(ハイコスパレンズ・マニアックス第15回記事等で紹介)
これは初期型(52B)では無く、改良型(52BB)だ。
初期型とは外観が異なる程度で、光学系は共通だ。
現代でも非常に著名な「90マクロ」の系列機種ではあるが、
機種名には不思議な事に「MACRO」の文字は付いていない。
あまり著名なレンズであり、過去記事でも何度も紹介
しているので、詳細な説明は割愛し、発売当時の市場の
状況の話を主体にしよう・・
![_c0032138_16540786.jpg]()
後継のF2.8型(等倍仕様)とは、光学系が異なる他、
設計基準(設計コンセプト)も大きく異なり、F2.5版は
通常レンズと同様の無限遠基準だと思われ、中遠距離での
描写力に優れるが、近接撮影になるほど画質的に厳しくなる。
F2.8版では近接設計基準であり、中遠距離になるほど
描写力が苦しくなる、という差異がある。
(注:特定の撮影距離を優先して画質を決定する、という
この状況を表すのに、「設計基準」という市場用語が存在
するが、「設計基準」という言葉は、あまりに曖昧すぎる。
「設計」という業務においては、普通は何十や何百もの
「基準を決める要素がある」という事実を知らないで
作られた用語だと思われ、あまり推奨できない。)
まあ、つまり、被写体の状況に合わせて、F2.5版も
F2.8版も、両者必携のレンズであった訳だ。
この特徴から、本レンズSP90/2.5(系列)は、当時では
「ポートレートマクロ」と呼ばれていた。
TAMRON社自身でもそう言っていたように思えるし、
市場でも、だいたいその呼び名が通っていた。
前述の「誰でも持っている焦点距離のレンズは、TAMRON
では作っていなかった」という視点においては、本レンズは、
銀塩時代当時のユーザー層では、あまり持たない焦点距離や
仕様である。
つまり銀塩時代では、まず50mmを買って、その上の焦点距離
は135mmを購入するのが普通だ。これは当時のユーザーには
「望遠レンズに対する憧れ」があった為であり、さらにそれに
加えて200mmを買う人も多かった(注:300mm以上のニーズも
あったが、ハンドリング性能が悪い為、実用上では難儀する)
TAMRONではこれに応えて、MF時代では望遠ズームレンズ
のラインナップがとても多かったし・・
(注:それらも沢山所有しているが、今回の記事では
割愛し、単焦点のMFレンズに特化して紹介している)
その望遠ズームは後に、標準域までを含んだ「高倍率ズーム」
に進化していく歴史だ。
(例:AF28-200mm/f3.8-5.6,Model 71D,1992年発売)
![_c0032138_16541662.jpg]()
で、50mmと135mmの間が抜けている。
この焦点距離を欲しがるユーザーは当時(1970年代~
1980年代)では少なかった訳だ。
メーカーや流通市場では、この中間焦点域(中望遠)を
売る為に「85mmレンズは人物撮影に最適」という常識を
広めようと努力する。
当時も、(現代と同様に)交換レンズを買う消費者層は
少なかった為に、こういう「レンズの用途」を広める
という戦略に、各社や市場関係者は走った訳である。
具体的には、
28mm=風景、35mm=スナップ、85mm=人物・・
といった「常識」を、新たに消費者層に「刷り込み」、
それで交換レンズの販売を促進しようとした訳だ。
これは不条理なやりかたでは無く、むしろ、褒めるべき、
わかりやすい市場戦略だ。
ただ、これの効果は、過剰な迄に大きすぎたとも思える。
その後の時代にまで、ずっとこの「常識」が「思い込み」の
レベルでユーザー層全般に浸透してしまい、現代においても
なお「85mmレンズはポートレート専用である」と固定観念
を持ってしまっている初級中級層が殆どである。
(又、レンズ評価者にも問題があり、85mmレンズのレビュー
記事は、いすれも職業モデルを雇ってのポートレートばかり
となってしまっている。それでは美しいモデルさんに気を
取られ、レンズの性能自体までは良くわからない。
まあ、そういう作例を上げれば読者が納得するからだとは
思うのだが、それにしても、ワンパターンすぎる状態だ)
勿論、現代のデジタル時代において、そうした「思い込み」
は禁物である。85mmでスナップ撮影をしても良いし、
風景を切り取っても良いし、自然撮影をしても良いし、
使い方は様々であり、そこはユーザー個々に自由だ。
ちなみに、1990年代後半の中古カメラブームの際には、
その時代、ユーザー全般のカメラ知識が大きく向上した為、
そうした「焦点距離毎の用途の呪縛」に疑問を持ったマニア
層も多く存在し、「85mmでスナップを撮ってみたよ」等の、
常識を打ち破ろうとしていたマニア等も確かに多数居た。
また業務写真(ファッション界)でも同様に、その90年代
においては、ポートレート写真の殆どが85mmレンズでの
撮影になってしまった為、他との差別化が出来ず(目立たない)
その為に85/1.4と同等のボケ量を得られる、300mm/F2.8
(サンニッパ)を用いたポートレート写真が大流行した
事があった。こちらは常識を打ち破る、というよりも、
広告宣伝写真において、他との差別化を図る為の措置では
あったのだが、今度は、皆がこぞってサンニッパを使った
為に、そこでまた差別化が出来なくなってしまい、ほどなく
してブームは沈静化した。まあ、大きく重く高価なレンズ
でもあったから、85mmを使った方が、結局手っ取り早い
という要素も大きかった事であろう。
が、それらは後年の話だ。本SP90/2.5の時代(1980年代)
では、ユーザー層に「85mm~100mmは人物用レンズ」
という新たな常識は、よく浸透していった。
各メーカーの純正品でも、それらの中望遠レンズが売れ
始めたのだが、中には85mm/F1.4という強力なスペックを
持つレンズも多い。(もう既に1975年には、あの有名な
CONTAX (RTS) Planar T* 85mm/f1.4が存在している)
で、ビギナー層では、開放F値の明るいレンズの方が高性能で
高描写力だ、と信じて疑わない(注:勿論、そうとは限らない)
訳だから、それらのF1.4級レンズは「憧れ」だ。
だが、TAMRONでは、前述の「F2.5の壁」により、大口径
中望遠レンズの販売が出来ない。
![_c0032138_16541603.jpg]()
なのでTAMRONの取った方策は、「人物撮影と近接撮影を
共用する」というコンセプトなのであろう。
それまでも他社に「マクロ」は存在していたが、業務用や
学術用、医療用などの特殊用途のものばかりであったのだ。
このコンセプトは見事に当たり、SP90/2.5系列はヒット
商品となった。まあ、ユーザーからしてみれば、この1本
を買っておけば、ポートレートにも近接撮影にも使える訳
だから、それは絶対に欲しいレンズであろう。
以降、その時代から40年以上が経過した現代においても、
「TAMRON 90マクロ(シリーズ)」は、定番中の定番の
レンズとなっていて、マニア層で「90マクロ」を持って
いない人などは考えられない程の状況である。
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では、今回ラストのシステム
![_c0032138_16542431.jpg]()
レンズは、TAMRON SP 500mm/f8 (Model 55B)
(中古購入価格 23,000円)(以下、SP500/8)
カメラは、FUJIFILM X-T1 (APS-C機)
1979年に発売された、MF超望遠単焦点ミラーレンズ。
アダプトール2仕様である。
(本シリーズ第18回「ミラーレンズ編」記事等で紹介)
![_c0032138_16542425.jpg]()
1983年の後継型(55BB)が存在してて、外観デザインが
変更されている。実は、当初は後継型を所有して
いたのだが、そちらは譲渡してしまっていて、後年に
こちらの初期型を買いなおした。光学系や仕様は両者
同等と思われたので、こちの初期型が「TAMRON初の
超望遠ミラーとしての歴史的価値が高い」と踏んだ次第だ。
使いこなしは困難なレンズである。レンズ・マニアックス
第11回「使いこなしが難しいレンズ特集」記事では、
ワースト第7位となってしまっている。
ただ、このワースト・ランキングは、性能が低いという
意味ではない。「使いたいレンズであるが、使いこなしが
困難である」という理由でのランキングであるから、
本レンズそのものの性能については、殆ど不満は無い。
難しいのは、その特異な仕様からだ。500mmの単焦点、
しかもフルサイズでは無いミラーレス機等で使用すると
750mm~1000mmという超々望遠画角となってしまい、
「いったいそれで何を撮るのだ?」という被写体選びが
まず困難であるし、仮に遠距離の野鳥等を見つけても、
1000mmの画角ともなれば、そこにレンズを向けても
視野が狭すぎて、まず求める被写体はファインダー内に
入ってこない。
「ゴルゴ13」ばりの、超人的なテクニックを持たない
限りは、超遠距離のターゲット(被写体)をズバズバと
正確に撮る事など、まず無理な話なのだ。
ではフルサイズ機で使えば良い、と思うかも知れないが、
まあそれも1つの解決策であろう。でも画角が広くなると
面白味や特色が減ってしまう事も、また事実である。
(持論では、望遠系レンズは、非フルサイズ機で使うのが
特徴を強調する為、つまりシステム効率からは基本である)
![_c0032138_16543156.jpg]()
そして、現代においては、500mm級レンズであれば、
超望遠ズームのカバー範囲であるから、それらを使えば
手ブレ補正や超音波モーターで快適に撮影できるし、
おまけに画質もミラーレンズよりも、それらの超望遠
ズームの方が格段に高い。
ただ、それらは、大きく重く高価な「三重苦」レンズで
ある事も確かだ。本SP500/8のように小型軽量で安価な
レンズが必要なシーンとは用途が根本的に異なっている。
まあ、本レンズの話は、このあたりまでで留めておこう。
ミラーレンズは銀塩時代のユーザー層での「超望遠への憧れ」
も、その誕生の背景にあったと思われるが、その後の時代では
ミラーレンズの弱点(AF無し、絞り無し、画質が悪い等)が
時代に色々と合わなくなってしまい、現代ではメーカー純正
ミラーレンズは存在せず、「絶滅危惧種」といった状態でも
あるからだ。
![_c0032138_16543107.jpg]()
「用途開発」も「使いこなし」も難しいミラーレンズでは
あるが、まあ、マニア層であれば、「こういうレンズも存在
している」という事実や使用感は把握しておく必要がある
だろう・・
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では、今回の「TAMRON MF クラッシックス編」は、
このあたり迄で。次回記事に続く。
別に紹介している。
今回は「TAMRON MF クラッシックス」という主旨で
TAMRON製のアダプトール(2/Ⅱ)対応の、MF単焦点
レンズ(1970年代~1980年代)を5本紹介しよう。
ただし、いずれのレンズも過去記事で紹介済みなので、
本記事では個々のレンズの紹介よりも、もっと全般的
なTAMRON製品や時代背景についての解説が主となる。
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ではまず、最初のシステム

(中古購入価格 10,000円)(以下、SP17/3.5)
カメラは、NIKON Df (フルサイズ機)
1979年に発売された、MF超広角単焦点レンズ。
アダプトール2仕様である。
(ミラーレス・マニアックス第8回記事等で紹介)
最初期のSP銘が冠されたレンズであるが、あまり良好な
描写力では無い。当初のSPには画質よりも「特殊な仕様」
という意味合いが強かったようにも思える(詳細後述)

銀塩時代から現代に至るまで、ほとんどの写真用交換レンズ
はマウント固定式である。
銀塩MF時代には「マウントアダプター」もまだあまり普及
していなかったし、ごく稀に存在していても、それが使える
(MF)マウントでの組み合わせは限られていた。
その頃、ユーザー側としては、以下の問題点が存在していた。
1)メーカーの異なるカメラに買い換えた際、それまで使って
いた交換レンズが使えなくなる。
2)複数のメーカーの異なるカメラを併用している際、
それぞれのカメラでレンズを共有できない。
TAMRONはこの課題に対応する為、創業初期(1950年代~)
から様々な手法で、交換式マウントを開発/発売していた。
なお、TAMRON以外でも、一部のレンズ・サードパーティの
製品は交換式マウントであった。レンズメーカーとしては
各社のマウント毎に個別に製造をしていたのでは、生産計画
や製造原価、在庫管理等で弊害が多かったからであろう。
加えて、勿論ユーザーメリットがある為、それを付加価値
として、カメラメーカー純正レンズに対抗できる。
カメラメーカー側は、まさか他社マウントのレンズを発売
する事はできないからだ。
(注:とは言うものの、同じメーカー同士の製品で無いと
基本的に使えない、という状況自体、他分野の様々な商品
と比較して、カメラ界は、明らかに異常だ。
例えば、蛍光灯や乾電池、ガソリン等が、他社のものでは
使えないとなったら、消費者層から暴動が起こるであろう。
カメラ界では、「マウントが統一されていない」という
大問題を、もう何十年間も、ほったらかしのままだ。
かつてはM42が、近代ではμ4/3が、ユニバーサル
(=汎用、共通)マウントを目指して提唱されたが、
大半の大メーカーは自社の利益を優先して知らん顔だ。
ユーザー利便性を大きく損なう、こうした措置を、
いつまでも続けているから、消費者層のカメラ離れが
どんどんと顕著になっていくのではあるまいか?
老舗カメラメーカーの数多くが撤退し、もう数える程
しか残っていないので、話はしやすいだろうし、加えて
カメラやレンズが沢山売れている訳でも無いのだから、
ジリ賓にならないようにも、ここらあたりで思い切った
「仕切り直し」が必要なのではなかろうか・・?)
さて、TAMRONの歴史の話に戻ろう。
1970年代以降、開放測光、AE対応、絞り値伝達等、
様々な複雑な新機構が交換式マウント側にも要求された
為、これらを地道に改良しつづけたのは、TAMRONだけ、
という状況になってしまっていた。

これらは全てユーザー自身で簡便にマウント交換が可能だ。
①Tマウント(1960年前後~)
かなり有名なマウントだが、TAMRONによる開発だ。
天体望遠鏡等で良く使われたので「Tはテレスコープだ」
との誤解も多いが、これは「TAMRONのT」である。
外観はM42と類似だが、ピッチ(ネジの仕様)が異なる為、
無理に両者を混用すると、壊してしまう危険性がある。
(Tマウントは、ピッチ=0.75mm、M42は1mm)
Tマウント対応レンズは、現代でもまれに見かけるので、
使用の際には、そこに注意だ。
なお、ネジピッチをM42マウント互換に仕様変更した物は、
T1マウント、またはPマウントと呼ばれる。これは、現代
でも、KENKO製レンズ(ピンホールやミラーレンズ等)の
現行製品でも見かけるが、Pマウントの場合はM42対応の
マウントアダプターでも問題なく使用できる。
②アダプトマチック(1970年前後)
Tマウントでは、カメラとレンズの間に何ら機械的な
やりとりを持たない為、この当時から市場ニーズが高まった
開放測光やAE(自動露出)への対応(自動絞り)を目論んだ
もの。短期間だけの発売であり、過渡的な機構であろう。
この仕様対応のレンズは、あまり中古市場でも見かけない。
③アダプトール(1970年代~1978年まで)
絞り値を制御する複雑な機構を搭載した為、開放測光での
各社互換性が高まっている。稀にこの仕様のレンズも流通
してはいるが、もはやクラッシックだ。
後述のアダプトール2との互換性だが、まあ、機構的には
嵌る事は嵌る。ただしM露出や絞り優先露出で使う際には、
絞り値の主体がレンズ側となる為に問題無いだろうが、
自動絞りを要求されるMF一眼レフ側のP(プログラム)
露出やシャッター優先露出では、動作する保証は無い。
まあ、2とは完全な互換性があるとは思い難いし、既に
現代ではカメラ側の環境も大きく変わってしまっている。
現代でのデジタル機では、安全を期して、アダプトール
では無く、マウントアダプターを用いて対応するのが賢明だ。
④アダプトール2(Ⅱ)(1979年~1990年代頃)
「2」と一般的に書かれるが、TAMRON社のWEBでは「Ⅱ」の
記載も稀に見受けられる。どちらが正解かは不明だ。
アダプトールを改良したもので、中古市場で流通している
レンズおよび単体のアダプトールは、殆どが「2」仕様だ。
絞り値の伝達を可能とした為、AE対応での各社マウント
互換性が高まっている。
前述のように、初代アダプトールとの互換性は無きにしも
あらずだが、1979年からの「SP銘」レンズでは「2」を
用いる事が推奨されていたと思う。
私は、殆どのマウントのアダプトール2を所有しているが、
レアものとしては、「ライカR」、「EOS」、「α」がある、
ライカR用はなんとか入手したが、EOS(EF)とα対応は
見た事が無い。恐らく、これらはTAMRON SP500/8
のミラーレンズ専用アダプターであろう、そのミラーで
あれば、絞りが無く、ややこしい電子制御は不要だからだ。
また、超レア物ではMAMIYA ZEマウント対応品もあった
模様で、アダプトール側でレンズの開放F値等を設定
できるそうである(→見た事もなく、当然未所有)
そして現代であれば、わざわざレアなアダプトール2を
探さずとも、適当なマウントアダプターで対応できるし、
市販マウントアダプターの中には、アダプトール2対応の
ものもあって、それを用いれば、アダプトール2自体が
不要となり、直接TAMRONレンズから各マウントに
変換できる。
なお、現代のデジタル機でアダプトール2仕様のレンズが
使える環境だが、ミラーレス機では、アダプトール2と
マウントアダプターの組み合わせで全てOK。一眼レフ
では、様々な条件を満たせば何とか使える場合もある。
アダプトールの総括だが、TAMRONは良く頑張って、
各社のMFマウントに対応していたと言えよう。
むしろ責めるべきは、この時代に「マウント統一」という
事を実現できなかったカメラメーカー側にあると思う。
よく引き合いに出す余談だが、楽器の世界では1980年代に
電子化・デジタル化が行われたが、その際に、各社の楽器を
統一する「MIDI規格」が誕生し、その後もずっとその規格は
生きていて、新旧・各社の電子楽器を自由自在に接続でき、
この規格が音楽シーン・音楽業界・制作現場・音楽通信等に
与えた様々な「恩恵」は計り知れない。
このMIDI規格の制定を、全世界の楽器メーカーを廻って交渉
したMIDI規格の立役者「梯(かけはし)郁太郎」氏(故人)
は、この功績でグラミー賞を受賞(2013年)している。
梯氏は個人的にも知る人物であるが、英語がさほど堪能
という様子は無かったのに、圧倒的な行動力と交渉力を
もって、良くこの偉業を成し遂げた。
カメラの世界では、この梯氏のように、あるいは幕末の
坂本竜馬のように、各社(各者)の利害関係を上手く調整
して、「標準化」「統一化」等の偉業を成し遂げる人物や
組織が出て来なかった事は、つくづく残念な話である。

これは1979年から使われ始めた、高性能レンズに
与えられる称号である。
まあ、現代での「SP」は、本当に高性能なのではあるが、
1979年時点では、本SP17/3.5や、SP500/8のように、
あまり描写力が優れていない物も、SPと呼ばれていた。
恐らくは描写力よりも、「特殊な仕様のレンズ」という
要素が強かったのかも知れない。
また、1980年代前半には大量のSP銘レンズが発売され、
もはや「SP」の意味も曖昧となっていた。
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さて、次のシステム

(中古購入価格 14,000円)(以下、TAMRON24/2.5)
カメラは、NIKON D300(APS-C機)
1979年に発売された、MF広角単焦点レンズ。
こちらもアダプトール2仕様である。
(ミラーレス・マニアックス第20回記事等で紹介)
これも、特筆すべき性能は持たないレンズであるが、
銀塩時代に、何故、本レンズや前述の17mm等の、
こうした広角系のTAMRONレンズが必要とされた
(販売されていた)かの理由であるが・・
それは、マニア等で、多数のMFマウントの一眼レフを
所有している際、各社毎に、超広角やら、マクロやら
超望遠等を個別に揃えていたら大変だからである。
カメラメーカー純正のそうした特殊レンズは高価である。
それは性能が高いから高価なのでは無く、生産数が少ない
から、開発経費や製造関連費用の償却が苦しく、割高と
なってしまう訳だ。
・・でも、マニアであれば、今日はNIKON F3、明日は
CANON New F-1、あさってはPENTAX LX・・等と、
それぞれのマウントのMF名機を使いたい訳であって、
それぞれに広角やマクロが無いと困ってしまうのだ。

仕様により、NIKON F(Ai)、CANON FD、PENTAX K、
以下、MD、OM、Y/C、AR、AX・・等のアダプトール2を
最低1個づつでも揃えておきさえすれば、その日に使いたい
カメラ本体に合わせて、マウントを交換して同じレンズが
出動できる訳である、これは非常に大きなメリットであった。
だからまあ、TAMRONのアダプトール2のレンズはマニア
必携であったのだ。しかし、この市場原理から、メーカー
純正のレンズが普及しているタイプのレンズは作っても
売れない。それは例えば50mm/F1.4の標準レンズ等であり、
これは皆が純正レンズを持っているし、各メーカー固有の
「贔屓」もあるから(注:実際には銀塩時代の標準レンズは、
どのメーカーの製品を買っても、同じ時代であれば性能も
ほぼ一緒であった→最強50mm選手権シリーズ記事参照)
・・・贔屓もあるから、個々のメーカーの標準レンズを
マニア層等は使いたい訳だ。
この結果、TAMRONは銀塩時代を通じて標準レンズを1本も
発売せず、やっとそれが発売されたのはTAMRON創業から
60年以上も経過した2015年のSP45/1.8(F013)である。
(しかし、ポリシーがあるのか? 50mmの焦点距離では無い)

望遠ズーム、高倍率ズーム、大口径ズーム、超望遠レンズ、
ミラーレンズ等の、やや特殊な仕様に特化したメーカーで
あり、それらのレンズを揃える事がマニアの基本であった。
(注:CCTV用レンズ等の特殊な市場分野の話は割愛する)
今回紹介のレンズ群の価格が、全て現代の中古相場から
比較して割高なのは、いずれも銀塩時代での購入であった
からである。また当時は、これらに加えてさらに数本の
TAMRON単焦点を保有していた。すなわち必携のレンズ
群であった訳である。

不思議な制限事項がある。それは、本ブログでは昔から
「F2.5の壁(謎)」と呼んでいるものであり、TAMRON
の銀塩時代の各レンズにおいて、開放F値がF2.5を下回る
レンズは存在していなかった。
この正確な理由は不明、恐らくは、アダプトール(2)の
仕様上で、各マウントで共用できる為の口径比(F値)の
限界値をF2.5に留めて制定したのだと思われる。
以前、TAMRON本社を訪れて、主要技術陣と話す機会が
あり、そこでこの質問をしようとしていたのだが・・
様々な名レンズの談義に花が咲き、「F2.5の謎」に
ついて質問する事を、すっかり忘れてしまっていた(汗)
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では、3本目のレンズ

(中古購入価格 12,000円)
カメラは、SONY NEX-7 (APS-C機)
1976年に発売された、MF中望遠レンズ。
アダプトール2以前の「アダプトール」仕様である。
4群4枚のシンプルな構成、小型軽量で使い易い仕様だ。
最短撮影距離は1.3mと、焦点距離10倍則を満たして
いない。
鏡筒デザインは少々古臭く、あまり高級感は無い。
また、本レンズも「F2.5の壁」がある模様だ。
本レンズは、経年劣化で絞りが故障してしまっている、
「粘り」が発生していて、開放でしか撮れないのだ。
現在においては、もう実用的には使用できない為、
過去のミラーレス・マニアックスで掲載した写真のみ
挙げておこう。なお、この時は「アダプター重ね」の
裏技を用い「視野絞り」で撮影していた。

「古すぎて実用価値無し」と処分してしまっていたのだが
そろそろ1970年代のレンズも、経年劣化や性能的未成熟
で実用的には厳しい。すなわち、「レンズの実用寿命は、
およそ40年~50年間」という事が、経験上でわかって
来ている状況だ。
さて、ここからはTAMRON旧レンズの話をしておこう。
まず、TAMRONは1960年頃から写真用交換レンズを販売
しているように思えるが、2010年にTAMRON SP70-300
(Model A005、レンズ・マニアックス第6回記事参照)が
発売された際、「創立60周年記念」と謳っていたので、
1950年前後の創業という事であろう。
様々な点で大きく変化したのは、1979年であり、この年
に何があったか?は定かでは無いが、経営陣の刷新などが
推測される。具体的な変化としては、「SP銘の誕生」が
あるし、「アダプトール2(Ⅱ)の採用」もこの1979年だ。
そして、ここからはTAMRONレンズのModel名の変遷に
ついて時代を追って紹介しておく。
1960年代、#680、#870など、数字三桁のランダムな番号
1970年代前半、PFH-28Auなど、複雑なランダムな型番
1970年代後半、CZ-210、CT-105等、整理された型番。
凡例:Z=ズーム、T=テレ(望遠)、W=ワイド(広角)
1980年代、52B、03Aなどのランダムな型番が復活。
改良機では、52BBや、103A等となる場合が
あって、ますます複雑怪奇だ。
1990年代、AF時代に突入しても、71Dや72E等、ランダムだ。
2000年代、デジタル時代に入っても、依然、A03やB003等
複雑な型番体系が続いている。
2010年代、ミラーレス機用のレンズも、B011やC001等の
同様なランダムな型番体系である。
まあ、これらのModel名は、個々のレンズを特定できる為に
必要な措置ではあろう、さもないと改良型等との区別が
ユーザーや流通において付かないからだ。
例えば、クルマ(乗用車)や、バイクの世界では、エンジン
形式や車体形式で、個々の車種を特定する為に、マニア間
では、良くこうした形式名が用いられる(例:AE86、Z2等)
だが、カメラ(レンズ)の世界では、特にこのTAMRONの
複雑な型番を全て暗記しているマニアは皆無だと思われる。
だから、マニア間でも、まずTAMRONのModel名での会話は
行われない。これはマニア層に限らず、中古店等のベテラン
店員等との会話でも同様だ。ちなみに、TAMRON社自身でも、
同様であり、以前、TAMRON本社で技術陣と話をする機会が
あったと書いたが、その際、古い機種の話をModel名で
言っても通じなかった事がある(汗)
まあ、これが使われるのは、中古販売の際に、機種を特定
する場合くらいであり、中古品にはModel名が併記されて
いる場合が殆どだ。後は、流通業務においても伝票等には
書かれていると思われるが、そこまでは見た事が無い。
なお、TAMRON以外では、SONY製、PANASONIC製等の
レンズにもModel名が併用されている場合があるが、
Model名を持たないメーカーも多い。
また、近年のSIGMAでは「エディションナンバー」と
呼ばれるサブ名称が存在するが、これはカテゴリー名と
発売年を示しているので、同一のサブ名称のレンズが
複数並存している。(注:SIGMAのレンズの中古品を
購入する場合、発売年がレンズ上に書いてあるので、
「どれくらい古いか?」がわかって、便利ではある)
「Model名なし」による弊害だが、ユーザー側のWeb等での
レンズ紹介や評価の際に、正確な機種型番をフルネームで
記載しないと、レンズ機種が特定できない場合がある。
つまり、モデルチェンジ等で、極めて似ている機種名が
ある等の場合だ。どの機種の話か?良くわからなくなって
しまう。(例:「タムキュー」と言ってもわからない)
これについては、残念ながら、殆どのWebにおいて機種名
の正確性は期待できない状況である。公式情報に近い
立場のサイトでさえも、その状態である為、正確な型番が
不明な場合も多々ある。また、いわゆる「まとめサイト」
等では、それらの実際の製品を所有しておらず、見た事も
無い状態で情報提供をしている事も多々あるので、
そういった不正確なケースも非常に良くあるわけだ。
また、「まとめサイト」等で元にした古い雑誌や資料等の
引用文献にしても、それが正確である保証は残念ながら
全く無い状態だ。特に、古い文献や資料では、機種名等の
正確性に欠ける場合が良く見受けられる。(各々の
ライターでの思い込みや、記載の便宜上で書かれている)
またメーカー側の公式サイトですらも古い機種は情報が
載っていないか、あるいはサイトでの記載内容そのものも
間違っている場合すらある。
さらに言えば、Webリニューアルの際に、昔から一般的で
あった名称が、何故か変わってしまっている例すらある。
(例:NIKON Ai→AI)
まあ、WEB製作者は、カメラマニアでは無いだろうから
そういうケースも十分に有り得るし、それをチェックする
広報業務担当者等も、同様にカメラマニアでは無い人の
可能性も高い。だから誰もチェックできず、特に古い機種
名に関しては、メーカーWEBですらも信用できない状況だ。
では実際の製品(例えばレンズ等)を見れば、最も正確性
が得られるのか? と思って実物を見るのだが、ここでも
問題があり、意匠デザイン等の都合で、型番が部分的に
分割されて書かれていたり、ハイフンや大文字小文字や
空白(スペース)の差異が曖昧だったりする事がよくある。
また開放F値の記載方法も、レンズ上と型番上では異なる
場合があって、ますます複雑かつ混迷している状態だ。
実製品の銘板(めいばん、製品に取り付けられた製品名や
製造番号を示す部品)か、それに類するものを見れば正確か
と思ったが、それが無い製品も大半であるし、代わりに印字
がされていても、何と、製品本体に書かれている型番とは
異なるケースもあった(汗)
もしかすると「取扱説明書」が最も正確か? と思って
それを見ても、これもまた実物上に書かれている記載と、
説明書での記載が変わっている事すらもある。
もう、何がなんだかわからない(汗)
こうした状況を鑑み、本ブログでも、近年においては、
できるだけ正確性の高い記載をしたい、と心がけては
いるのだが、調べれば調べるほど「正解が存在しない」
という事がわかってきていて、困っている。
結局、少し前述したように、「カメラ界では標準化とか
統一化がなされていない」という大きな課題の、それ以前に、
たとえ同じメーカー内でも、その各時代での担当者レベルに
おいて、あるいは、各担当部署の差異によって、型番の
ルールやらが異なり、最悪なのは、書かれている事自体が
個々に違ったりする状況が多々見受けられる。
この話はTAMRONだけの問題では無く、むしろTAMRON
以外の多数の有名メーカーの方が、そうした問題を抱えて
いる場合が多い状況だ。そして、それらを調べてまとめる
「二次情報提供者」もまた混乱してしまっている訳だから、
結局、どこにある情報も正確性に欠け、信用できない状況と
なってしまっている。
こういう事は「ビッグデーター解析」とか「AI」を使っても
解決不可能であろう、巷に存在する殆どの情報自体が
間違って書かれている状況が多々あるので、それらを解析
しても、まったく無意味な結果が出てきてしまう訳だ。
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さて、余談が長くなったが、次のシステムに進もう。

(中古購入価格 20,000円)(以下、SP90/2.5)
カメラは、OLYMPUS OM-D E-M1 (μ4/3機)
1988年に発売されたMF中望遠単焦点1/2倍マクロレンズ。
アダプトール2仕様である。
(ハイコスパレンズ・マニアックス第15回記事等で紹介)
これは初期型(52B)では無く、改良型(52BB)だ。
初期型とは外観が異なる程度で、光学系は共通だ。
現代でも非常に著名な「90マクロ」の系列機種ではあるが、
機種名には不思議な事に「MACRO」の文字は付いていない。
あまり著名なレンズであり、過去記事でも何度も紹介
しているので、詳細な説明は割愛し、発売当時の市場の
状況の話を主体にしよう・・

設計基準(設計コンセプト)も大きく異なり、F2.5版は
通常レンズと同様の無限遠基準だと思われ、中遠距離での
描写力に優れるが、近接撮影になるほど画質的に厳しくなる。
F2.8版では近接設計基準であり、中遠距離になるほど
描写力が苦しくなる、という差異がある。
(注:特定の撮影距離を優先して画質を決定する、という
この状況を表すのに、「設計基準」という市場用語が存在
するが、「設計基準」という言葉は、あまりに曖昧すぎる。
「設計」という業務においては、普通は何十や何百もの
「基準を決める要素がある」という事実を知らないで
作られた用語だと思われ、あまり推奨できない。)
まあ、つまり、被写体の状況に合わせて、F2.5版も
F2.8版も、両者必携のレンズであった訳だ。
この特徴から、本レンズSP90/2.5(系列)は、当時では
「ポートレートマクロ」と呼ばれていた。
TAMRON社自身でもそう言っていたように思えるし、
市場でも、だいたいその呼び名が通っていた。
前述の「誰でも持っている焦点距離のレンズは、TAMRON
では作っていなかった」という視点においては、本レンズは、
銀塩時代当時のユーザー層では、あまり持たない焦点距離や
仕様である。
つまり銀塩時代では、まず50mmを買って、その上の焦点距離
は135mmを購入するのが普通だ。これは当時のユーザーには
「望遠レンズに対する憧れ」があった為であり、さらにそれに
加えて200mmを買う人も多かった(注:300mm以上のニーズも
あったが、ハンドリング性能が悪い為、実用上では難儀する)
TAMRONではこれに応えて、MF時代では望遠ズームレンズ
のラインナップがとても多かったし・・
(注:それらも沢山所有しているが、今回の記事では
割愛し、単焦点のMFレンズに特化して紹介している)
その望遠ズームは後に、標準域までを含んだ「高倍率ズーム」
に進化していく歴史だ。
(例:AF28-200mm/f3.8-5.6,Model 71D,1992年発売)

この焦点距離を欲しがるユーザーは当時(1970年代~
1980年代)では少なかった訳だ。
メーカーや流通市場では、この中間焦点域(中望遠)を
売る為に「85mmレンズは人物撮影に最適」という常識を
広めようと努力する。
当時も、(現代と同様に)交換レンズを買う消費者層は
少なかった為に、こういう「レンズの用途」を広める
という戦略に、各社や市場関係者は走った訳である。
具体的には、
28mm=風景、35mm=スナップ、85mm=人物・・
といった「常識」を、新たに消費者層に「刷り込み」、
それで交換レンズの販売を促進しようとした訳だ。
これは不条理なやりかたでは無く、むしろ、褒めるべき、
わかりやすい市場戦略だ。
ただ、これの効果は、過剰な迄に大きすぎたとも思える。
その後の時代にまで、ずっとこの「常識」が「思い込み」の
レベルでユーザー層全般に浸透してしまい、現代においても
なお「85mmレンズはポートレート専用である」と固定観念
を持ってしまっている初級中級層が殆どである。
(又、レンズ評価者にも問題があり、85mmレンズのレビュー
記事は、いすれも職業モデルを雇ってのポートレートばかり
となってしまっている。それでは美しいモデルさんに気を
取られ、レンズの性能自体までは良くわからない。
まあ、そういう作例を上げれば読者が納得するからだとは
思うのだが、それにしても、ワンパターンすぎる状態だ)
勿論、現代のデジタル時代において、そうした「思い込み」
は禁物である。85mmでスナップ撮影をしても良いし、
風景を切り取っても良いし、自然撮影をしても良いし、
使い方は様々であり、そこはユーザー個々に自由だ。
ちなみに、1990年代後半の中古カメラブームの際には、
その時代、ユーザー全般のカメラ知識が大きく向上した為、
そうした「焦点距離毎の用途の呪縛」に疑問を持ったマニア
層も多く存在し、「85mmでスナップを撮ってみたよ」等の、
常識を打ち破ろうとしていたマニア等も確かに多数居た。
また業務写真(ファッション界)でも同様に、その90年代
においては、ポートレート写真の殆どが85mmレンズでの
撮影になってしまった為、他との差別化が出来ず(目立たない)
その為に85/1.4と同等のボケ量を得られる、300mm/F2.8
(サンニッパ)を用いたポートレート写真が大流行した
事があった。こちらは常識を打ち破る、というよりも、
広告宣伝写真において、他との差別化を図る為の措置では
あったのだが、今度は、皆がこぞってサンニッパを使った
為に、そこでまた差別化が出来なくなってしまい、ほどなく
してブームは沈静化した。まあ、大きく重く高価なレンズ
でもあったから、85mmを使った方が、結局手っ取り早い
という要素も大きかった事であろう。
が、それらは後年の話だ。本SP90/2.5の時代(1980年代)
では、ユーザー層に「85mm~100mmは人物用レンズ」
という新たな常識は、よく浸透していった。
各メーカーの純正品でも、それらの中望遠レンズが売れ
始めたのだが、中には85mm/F1.4という強力なスペックを
持つレンズも多い。(もう既に1975年には、あの有名な
CONTAX (RTS) Planar T* 85mm/f1.4が存在している)
で、ビギナー層では、開放F値の明るいレンズの方が高性能で
高描写力だ、と信じて疑わない(注:勿論、そうとは限らない)
訳だから、それらのF1.4級レンズは「憧れ」だ。
だが、TAMRONでは、前述の「F2.5の壁」により、大口径
中望遠レンズの販売が出来ない。

共用する」というコンセプトなのであろう。
それまでも他社に「マクロ」は存在していたが、業務用や
学術用、医療用などの特殊用途のものばかりであったのだ。
このコンセプトは見事に当たり、SP90/2.5系列はヒット
商品となった。まあ、ユーザーからしてみれば、この1本
を買っておけば、ポートレートにも近接撮影にも使える訳
だから、それは絶対に欲しいレンズであろう。
以降、その時代から40年以上が経過した現代においても、
「TAMRON 90マクロ(シリーズ)」は、定番中の定番の
レンズとなっていて、マニア層で「90マクロ」を持って
いない人などは考えられない程の状況である。
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では、今回ラストのシステム

(中古購入価格 23,000円)(以下、SP500/8)
カメラは、FUJIFILM X-T1 (APS-C機)
1979年に発売された、MF超望遠単焦点ミラーレンズ。
アダプトール2仕様である。
(本シリーズ第18回「ミラーレンズ編」記事等で紹介)

変更されている。実は、当初は後継型を所有して
いたのだが、そちらは譲渡してしまっていて、後年に
こちらの初期型を買いなおした。光学系や仕様は両者
同等と思われたので、こちの初期型が「TAMRON初の
超望遠ミラーとしての歴史的価値が高い」と踏んだ次第だ。
使いこなしは困難なレンズである。レンズ・マニアックス
第11回「使いこなしが難しいレンズ特集」記事では、
ワースト第7位となってしまっている。
ただ、このワースト・ランキングは、性能が低いという
意味ではない。「使いたいレンズであるが、使いこなしが
困難である」という理由でのランキングであるから、
本レンズそのものの性能については、殆ど不満は無い。
難しいのは、その特異な仕様からだ。500mmの単焦点、
しかもフルサイズでは無いミラーレス機等で使用すると
750mm~1000mmという超々望遠画角となってしまい、
「いったいそれで何を撮るのだ?」という被写体選びが
まず困難であるし、仮に遠距離の野鳥等を見つけても、
1000mmの画角ともなれば、そこにレンズを向けても
視野が狭すぎて、まず求める被写体はファインダー内に
入ってこない。
「ゴルゴ13」ばりの、超人的なテクニックを持たない
限りは、超遠距離のターゲット(被写体)をズバズバと
正確に撮る事など、まず無理な話なのだ。
ではフルサイズ機で使えば良い、と思うかも知れないが、
まあそれも1つの解決策であろう。でも画角が広くなると
面白味や特色が減ってしまう事も、また事実である。
(持論では、望遠系レンズは、非フルサイズ機で使うのが
特徴を強調する為、つまりシステム効率からは基本である)

超望遠ズームのカバー範囲であるから、それらを使えば
手ブレ補正や超音波モーターで快適に撮影できるし、
おまけに画質もミラーレンズよりも、それらの超望遠
ズームの方が格段に高い。
ただ、それらは、大きく重く高価な「三重苦」レンズで
ある事も確かだ。本SP500/8のように小型軽量で安価な
レンズが必要なシーンとは用途が根本的に異なっている。
まあ、本レンズの話は、このあたりまでで留めておこう。
ミラーレンズは銀塩時代のユーザー層での「超望遠への憧れ」
も、その誕生の背景にあったと思われるが、その後の時代では
ミラーレンズの弱点(AF無し、絞り無し、画質が悪い等)が
時代に色々と合わなくなってしまい、現代ではメーカー純正
ミラーレンズは存在せず、「絶滅危惧種」といった状態でも
あるからだ。

あるが、まあ、マニア層であれば、「こういうレンズも存在
している」という事実や使用感は把握しておく必要がある
だろう・・
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では、今回の「TAMRON MF クラッシックス編」は、
このあたり迄で。次回記事に続く。