本シリーズでは、やや特殊な交換レンズを、カテゴリー
別に紹介している。
今回の記事では「RICOH XR RIKENONレンズ」を4本
紹介しよう。
XR RIKENON(リケノン)レンズは、およそ1970年代~
1990年代の銀塩時代に展開された、RICOH製一眼レフ
「XRシリーズ」用のMF交換レンズ群である。
PENTAX Kマウントとは、ほぼ互換性があり、当時でも
現代でも、PENTAXのKマウント一眼レフと同交換レンズで
相互利用ができるが、現代のPENTAXデジタル一眼レフの
一部では、使えないか又は非常に使い難い為、現代での
利用は、ミラーレス機+Kマウントアダプターが簡便だ。
さて、本記事においては、この時代の前後のRICOH製
カメラの歴史の話を通し、並行してXR RIKENONレンズ
を順次紹介していく。
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ではまず、最初のシステム
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レンズは、RICOH XR RIKENON 135mm/f2.8
(中古購入価格 8,000円)(以下、XR135/2.8)
カメラは、OLYMPUS OM-D E-M1 (μ4/3機)
ミラーレス・マニアックス第28回記事で紹介の、
発売年不明(恐らくは1970年代末頃と思われる)
の単焦点MF望遠レンズ。
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さて、RICOHにおけるカメラの歴史であるが、
1930年代後半位から、中判(ブローニー)フィルムを
用いる(スプリング式)カメラを色々と販売していて、
国産カメラメーカーの中では、かなりの老舗である。
まあ、コニカ(1900年代~)には、さすがに負けるが
オリンパスやキヤノンと、ほぼ同時代からの参入開始だ。
この時代(1930年代)は、軍需産業等の世情を受け、
光学機器(全般)のメーカーが色々と創業している。
で、こうした中判カメラは、戦後1950年代位には、
二眼レフ型式が中心となってくる。
私も、RICOHFLEX(1950年代、型番不明、恐らくⅢ型)
を一時期所有して使っていたが、中判(6cm x 6cm)
フィルムは使い勝手が悪く、譲渡してしまっていた。
RICOHFLEX(リコーフレックス)は、大ヒットカメラであり
当時の市場シェアが非常に高かった、とも聞いている。
レンズの名称は色々とあったと思われるが、「RIKENON」
(リケノン)という名称が使われ始めたのも、この頃、
1950年代後半であった。
1960年代からは、フィルムは35mm判(36mmx24mm)が
主流となったが、当時のフィルム代・DPE代が比較的高価
であった事から、「ハーフ判カメラ」が大ヒットする。
ハーフ判の「OLYMPUS-PEN」シリーズはとても有名であるが、
RICOH AUTOHALF(オートハーフ)シリーズも負けていない。
ゼンマイ方式による、フィルムの自動巻上げ機構は、
とてもユニークなギミック(仕掛け)であり、これが
市場に受けて、なかなかのヒット商品となった。
このシリーズは、1970年代後半まで販売が継続される。
この時代のカメラも所有していたと思うが、所在不明で
今となっては型番も不明だ(恐らくは初期型?)
レンズ銘がリケノンであったかどうか?も不明、恐らくは
個別の名称は付いて無かった事であろう(RICOHのみ記載)
また、1960年代からは、リコーは「SINGLEXシリーズ」
の一眼レフの販売も始める、これはM42マウントである。
私はTLS401(1970年)を所有していたが、実用性が低く、
処分してしまっていた。
1970年代に入ると、フィルムの普及および所得の増大に
より撮影コストは相対的に減少し、ハーフ判のみならず、
35mm判(フルサイズ)のコンパクト機も一般的になる。
RICOH AUTOSHOT(オートショット)シリーズが代表的では
あるが、まだまだハーフ判AUTOHALFの人気も衰えない。
(所得の増加に増して、物価が上昇した時代でもあった)
この時代からカラーフィルムも普及し始め、レンズ側では
カラーに対応した発色やコーティング特性の改良が進む。
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さて、RICOHのカメラの歴史の話はまだまだ続くのだが、
今回紹介レンズの話がちっとも出て来ない(汗)
ここで少しだけ、XR135/2.8の紹介をしておく。
当時としては、オーソドックスなスペックの135mm/f2.8
の望遠レンズである。
4群4枚構成とシンプルであり、この手の単純構造の望遠
レンズの特徴としては、画面中央部での解像力に優れるが、
周辺部でやや解像力が悪化する場合がある。
(この課題については、今回の母艦をμ4/3機とする事で
対策としている)
また、最短撮影距離が長くなる。本レンズも1.5mと
やや不満だ。これについても、μ4/3機を使用して、
見かけ上の撮影倍率を上げるのが良いであろう。
それと、本レンズでは、ボケ質破綻が極めて出易い事は
重欠点に近い状況であろう。まあここも、ミラーレス機
の高精細EVFを頼りに、絞り値などの微調整で、かなり
慎重にボケ質をコントロールする必要がある。
4群4枚構成では、設計的に色収差の補正は課題だと
思われるが、意外にも殆ど気にならない。ガラス材質
(屈折率やアッベ数の差)を上手く工夫した設計なので
あろうか?(注:レンズ構成図等が無く詳細不明)
さらには、レンズ全長が長くなってしまう(望遠比が低い)
事も、この構成の弱点であるが、135mm級レンズであれば、
さほどそれは問題とは感じ難い。(4群4枚構成で300mmや
400mmの超望遠レンズともなると、レンズ長は顕著となる)
また、逆光耐性に劣り、多くの撮影状況でフレアぽっく、
コントラストが低まる事も課題だ、が、ここもまあ光線
状態に留意して撮れば良いであろう。
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逆に、このレンズ構成(テレフォト型等と呼ばれる)の
長所としては、レンズの価格が安価に作れる事だ。
この点、当時のリコーは「大衆機」を目指していた訳で
RICOHFLEXもAUTOHALFも、非常に安価なカメラだった
故に大ヒットした訳だ、XR一眼レフでも(後述するが)、
XR500の大ヒットも、価格の安さが所以である。
よって、その交換レンズ群も、ある程度性能を犠牲に
しても、低廉な価格を求めた仕様となっているのであろう。
本レンズの発売時定価は、今となっては残存する資料も
殆どなく、不明であるが、まあ安価であっただろう事は
間違いは無い。
現代において、本XR135/2.8を指名買いするユーザーは
マニア層も含めて、まず居ないとは思うが、まあでも
1000円程度のジャンク価格であるならば、この時代の
レンズの使いこなしのトレーニングの目的に買っても
十分に楽しめるであろう。
トレーニング内容は、上記に記載したような内容では
あるが、ただ単に「レンズの言うがまま」で撮って
しまう初級中級層では意外に難しい練習メニューだと思う。
まあでも、そこを練習する為のツール(教材)として、
こうしたセミオールドの安価なレンズは最適な訳だ。
これでも、これ以前の時代の完全なオールドレンズよりも
若干トレーニングのレベルは低くする事ができると思う。
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では、このあたりでレンズを交換しよう。
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レンズは、RICOH XR RIKENON 28mm/f2.8
(中古購入価格 5,000円)(以下、XR28/2.8)
カメラは、SONY α7 (フルサイズ機)
ミラーレス・マニアックス第42回記事で紹介の、
(発売年不明)恐らくは1970年代末頃と思われる
単焦点MF広角レンズ。
もう、この時代のXR RIKENONの情報は殆ど残っていない
ので、以降も発売年や発売時価格が不明な状態が続く。
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今回、フルサイズミラーレス機を母艦としているのは
画面周辺描写力などの「限界性能テスト」の目的もある。
そして、この十数年後、RICOHは、高級コンパクトGR1に
より、28mm広角は「RICOHのお家芸」的なレンズとなり、
高描写力広角レンズの代名詞ともなるのだ。
(その「お家芸」は、現代の高級デジタルコンパクト
GRⅢに至るまで、その血脈が続いている)
まあ、それの祖先とも言える、1980年頃のRICOHの
28mmレンズが、どれだけの性能を持っているか?は、
気になる点であろう。
ただ、母艦としているSONY α7は、オールドレンズとの
相性が極めて悪く、センサー面とレンズ後玉間の反射に
よるゴーストが頻繁に発生するという重欠点がある。
(他のフルサイズ一眼レフ等では、ここまで酷くは無い)
よって、あまり真面目に「限界テスト」などは行わない事が
賢明であろう。周辺画質が気になるならば、本レンズの
「広角」という特徴を捨てて、μ4/3機とかで使えば良いし、
別に本レンズを使わなくても、マニア層であれば、良く写る
広角レンズは、他にいくらでも所有している事であろう。
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さて、ここからはRICOHのカメラの歴史の続きである。
1970年代前半まで、RICOHはM42マウントの一眼レフを
作っていたが、この頃「開放測光」及び「自動露出/AE」の
市場ニーズが強くなり、M42陣営以外では、そうした機能を
順次一眼レフに搭載、そしてM42陣営でも、各社まちまちに
M42規格を独自に改良して絞り優先機能等を実現し始める。
(参考:世界初の絞り優先AE搭載機は、M42マウントの
ASAHI PENTAX ES:1971年である)
しかし、M42は元々ユニバーサル(汎用的)なマウント
である。他社機ともレンズ互換性がある事が最大の強みで
あった訳で、それは国内製に留まらず、海外製一眼レフ等
においてもM42マウントを採用する機体はとても多かった。
(参考:最初のM42機は、東独製Pentacon PRAKTICA Ⅳ:
1959年だったと思う。当初「プラクティカ・スクリュー」
(PSマウント)とも呼ばれていたが、国内ではPENTAX機
が普及した為、「PS」を「ペンタックス・スクリュー」の
略語として、使われる/解釈されるケースも多かった)
だが、この時代、M42を各社が独自改良した事により、
その汎用性の特徴が失われたばかりか、「M42もどき」の
レンズが沢山出てきた事で、一見M42に見えるレンズを
他社機に装着しようとすると、装着できない、あるいは
「外れない」(汗)という、大問題が発生した。
この混迷期を終息させる目的もあったのか? 国内での
M42マウント機の最大手とも言えるPENTAXは、それまでの
数百万台というビッグセールスの、(ASAHI) PENTAX SP
シリーズのM42を諦め、1975年には独自バヨネット式の
Kマウントに転換する(このKマウントは、以降、現代に
至るまで、基本的なマウント形状は変わっていない)
親分格(?)のPENTAXが、M42を止めてしまった訳なので、
他社のM42陣営も事実上崩壊。RICOHもM42機をやめて
PENTAXのKマウントと、ほぼ互換性のあるXRマウント機
の発売を始める、それが「XRシリーズ」の初号機の
XR-1/XR-2(いずれも1977年発売、未所有)である。
ここで注目するのは、RICOHは、現在ではPENTAXの
親会社である。・・というかPENTAXという企業は現代では
存在せず、RICOHのカメラのブランド銘でしか無い。
しかし、この1970年代ではPENTAXのマウント変更戦略に
RICOHが追従していた状態であったのだ。
なお、XR-1が機械シャッター式マニュアル露出機であり
XR-2は絞り優先の電子(電気)シャッター方式である。
以降、XR-7/XR-8のように、電気シャッター機とメカ機が
並行して販売が続いていたケースもいくつかあり、
これも又、XRシリーズの特徴だ。
1978年、リコーの「大衆機戦略」がまたヒットを飛ばす。
普及機XR500に、XR50mm/F2レンズ、ケースをセットして、
39,800円という低価格で発売したのだ。
これは、「サンキュッパ」というTV CMまで流れた事でも
話題となり、ヒット商品となった。
この時の、XR500のキット(付属)レンズである
「XR RIKENON 50mm/F2」が後年、マニアの層の間で
ちょっとした話題となるのだが、その話は後述しよう。
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RICOH XRシリーズ一眼レフは、1980年代前半位までは
大衆機として地位を固めていた。また、この時代は海外
向け(専用)輸出機も多く、安価かつ壊れ難い、実用的な
構造である事も海外で人気があった所以であろう。
発売期間も比較的長かった為、機種数は多いのではあるが
1990年代に入ってもAF化はされず、MF機が全てである。
ちなみに、XRシリーズのボディは、チノン製、コシナ製の
ダイキャスト・シャーシーを元に製造したタイプと、
自社製のタイプと、3種類が混在しているとの事。
後年のXR-7MⅡ/8あたりの時代(1990年代)では、「完全な
コシナ製OEM」という噂もマニア間では良く流れてはいたが
もう、その時代では、製造業においては、多メーカーによる
協業での製造となっているので、どこどこ製、という概念も
失われてきていた。つまり、バブル経済期頃からでは、既に、
「ブランド」が意味を持たない、という時代であった。
「コシナ製だ」と騒がれたのは、当時はネガテイブな要因
であり、コシナはそのころから巨大OEMメーカーであったが
世間一般には、まったくの無名であったので、初級マニア等が、
有名メーカー製と言われるカメラが、実は中身がコシナ製で
あった事を嫌った訳だ。(コシナというメーカーを知らない
事や、”安かろう、悪かろう”という誤解)
だが、現代においては、コシナはフォクトレンダーやカール・
ツァイスのブランドを擁する超高級品メーカーであるから
コシナ製と言えば、当時とは全く逆に「物凄く品質が高い」
という印象になるであろう。それがまったく同じ会社の、
同じ生産ラインで製造された製品であってもだ。
まあ、そういう風に、「ブランド」という物に初級中級層が
持つイメージは、現代では、かなり的外れとなっている。
くれぐれも「どこのメーカーのカメラ(レンズ」が
良いのですか?」などとは、誰かには安易に聞くなかれ。
さて、本XR28/2.8 だが、GRシリーズの元祖という程には
スペシャルなレンズでは無い。どこにでもあるごく普通の
性能の28mm広角である。
まあでも、このあたりも、安価に作る為に、あえて性能を
犠牲にしているという設計コンセプトもあるだろう。
上記コシナ社だって、作ろうと思えば売価1万円の安価な
レンズも作れるし、売価60万円の超高額レンズも作れるのだ。
・・で、詳細は良く分からないが、この当時のXR RIKENON
レンズも、RICOHが自社で製造していたかどうかは不明だ、
もしかすると、コシナ社なり、なんなりに委託したOEM製造
であった可能性も捨てがたいのだ。
本レンズXR28/2.8を、現代において「指名買い」をする
必然性は殆ど無い。ごくありふれたスペックのレンズで
あり、代替できる広角レンズは他にいくらでもある。
あえて必要性があるとすれば、前述の「GRの系譜」を
探る上での研究的な要素だけであろう。
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さて、3本目のXRレンズ紹介に移ろう。
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レンズは、RICOH XR RIKENON 50mm/f2 (L型)
(中古購入価格 6,000円)(以下、XR50/2)
カメラは、SONY NEX-7 (APS-C機)
これも発売年不明、恐らくは1970年代末であろうか?
ミラーレス・マニアックス第71回記事等で紹介の
小口径MF標準レンズである。
この小口径標準レンズには、いくつかのバージョンが
あると思われるが、それぞれを所有している訳では無い
ので差異の詳細は不明だ。
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本レンズは、恐らくは、RICOH XR500(1978年)との
セットで発売された初期バージョンであり、購入時には
XR500に装着した状態で11,000円の中古価格であった。
ボディとレンズの詳細価格は不明。一応レンズは6000円
相当としている。なお、XR500ボディは、最高シャッター
速度が1/500秒と貧弱な性能であったので、殆ど使わずに、
知人に譲渡している。
ただ、XR500は「サンキュッパ」(レンズ付き新品価格
が39,800円という、当時最も安価な一眼レフセット)
というキャッチフレーズによるTVコマーシャルにより、
当時(1978年~)での一眼レフ販売数の記録を樹立した
歴史的な機体である。
で、付属レンズ本XR50/2(注:いくつかバージョン有り)
は、ありふれたレンズとして、後年の中古市場に単体又は
XR500とのセットで良く流通していた。
XR500は、その名の通り最高シャッター速度が1/500秒
と貧弱な性能である。ここでの課題はISO100のフィルム
を使っても、快晴時には、およそF8より明るい絞り値が
シャター速度オーバーになって使えない事だ。
(注:マニュアル露出機である)
1970年代初頭の旗艦F2やF-1でさえも、1/2000秒を
搭載していて、他の中級機でも概ね1/1000秒であった
から、カタログスペック(だけ)を重視するマニア層や
中上級者層には不人気であった機体だ。
ただ、この仕様ゆえに付属レンズXR50/2は、たいていの
場合、ある程度絞って使用する事となる。そしてXR50/2
の絞った際の描写力は決して悪くは無い。
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恐らく当時であれば「安い割りに非常に良く写るカメラだ」
という評価になったと思われ(注:当時のビギナー層は
交換レンズは、まず購入しないで、カメラの付属レンズ
のみを使う状況である)その評判が、また販売数の増加に
貢献した事であろう。
しかし、とは言うものの、あくまでXR500とXR50/2は
ビギナー向けセットである。後継機の1980年代前半の
XRシリーズはXR500のような爆発的ヒットは記録せず、
1985年の「αショック」以降では、消費者層の関心は、
全て、新鋭の「AF一眼レフ」に向いてしまった。
その前後から、XRシリーズ一眼レフは国内販売はもう
厳しく、海外向けの商品展開が主体となっていく。
1990年代前半には、XR-7(MⅡ)やXR-8等、実用性が
高く、安価で頑丈な機体が発売されるが、既にAF時代
であった為、一般層はこれらのMF機には注目しない。
私はXR-7(MⅡ)/8の両機体を入手し、機嫌よく使っていた。
1990年代末頃の厳寒の北海道への撮影旅行では、これらを
「壊しても良い消耗機体」として持ち込んだのだが、
シャッターの凍結(鳴き)や、暖所での結露が発生し、
やはり、かなり機体にとって厳しい状態ではあったが、
まあ、それでも故障する事は無かった。
1990年代前半、中古市場では、XRシリーズ一眼レフや、
XRリケノンレンズの事は、もう忘れ去られていた。
しかし、この時代、「銀塩一眼レフ・クラッシックス」
等の記事でも何度も書いたように、バブル崩壊や阪神
淡路大震災による、「消費者ニーズの激変」が起こり、
華美なスペックを並べ立てた新鋭の銀塩AF一眼レフの
バブリーな雰囲気に、多くの消費者層はついていけず
上級マニア層の一部は、クラッシックなMF一眼レフや、
ぼちぼち発売が始まっていた高級コンパクト機に興味の
対象を移す状況であった。
上級マニアの間で話題となったのはリコーのコンパクト機
R1(1994年)/R1s(1995年)であった。
これらの小型単焦点広角(30mm/F3.5)コンパクト機は、
「小さく軽く安価なのに良く写る」と、急速にマニア間の
口コミで広まった。又、これらのカメラのパノラマ機構を
簡単な改造によって動作を止めて、(画質低下はさておき)
24mm/F8との二焦点カメラとして使える事も、マニアック
な使い方として広まっていった。
このムーブメントは非常に大きく、1996年には、R1sの
筐体を流用して高性能レンズを搭載した、高級コンパクト
の草分けとも言える歴史的名機「RICOH GR1」が誕生した。
最初からマニア向けの企画製品であり、勿論、R1/R1sの
マニア層人気を受けての開発である。
ここから空前の「高級コンパクト機ブーム」が起こり、
そして、20数年経った現在でも脈々と続く「GR DIGITAL」
シリーズの系譜に繋がる訳である。
私も、R1(1994)から初代GR DIGITAL(2005)までの
約10年間は、このシリーズに夢中になり、殆ど全ての
銀塩R/GRシリーズを所有していたのだが、GRD以降は
熱が冷め、それ以降のGR(D)を購入していない。
で、「リコーのレンズが良く写るならば・・・」という
理由から、一部の上級マニアは、中古市場に豊富にあった
XR500と、その交換レンズ本XR50/2に注目した。
中古玉数が豊富で、安価に購入できたからだろうが、
実のところ、それ以外のセットは入手のしようが無い。
前述のように、XR500を安価に新品購入した初級層が
XRリケノンレンズを、ずらりと揃えるなど、有り得ない
話だから、XR交換レンズは殆ど流通していなかったのだ。
で、XR500とXR50/2の組み合わせでは、前述のように
晴天時ではF8以上に絞らないと使えない。
ところが、この時代の小口径標準レンズ、特に5群6枚
の変形ダブルガウス構成のレンズは大変良く写るし、
F8程度まで絞って諸収差を低減すれば、なおさらだ。
他社の同等のスペックの小口径MF標準レンズも、どれも
良く写り、一部はAF時代やデジタル時代になっても、
その完成度の高いレンズ構成のまま、AF化と外観を
変更して、販売を(数十年間も)続けていた位だ。
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当時は上級マニアといえども、小口径の標準レンズなど
「安かろう、悪かろう」と見なしていた人が殆どで
あったが、初めてこの小口径標準を目にしたマニアは
驚きを隠せない。このXR50/2を「和製ズミクロンだ!」
(注:ズミクロンとは、ライカ社の(主に)レンジ
ファインダー機用レンズの中で、特に開放F2級のものを
差す。価格が高いので初級マニアに「神格化」されている)
と、マニアの誰かが称した事で、他のマニア層も一斉に、
本XR50/2に注目する。
1990年代後半の中古カメラブーム時代を通じ、本XR50/2
は非常に良く写るレンズとして、マニア層全般に「神格化」
される程となった。当然中古市場からは一掃され、値段も
プレミアム価格化して2万円以上の高額相場もざらだった。
ただ、これはマニア層が「小口径標準」の真の実力値を
知らなかっただけ、という話である。開放F1.4やF1.2
の大口径標準レンズばかりを探して使っていたりすれば、
F1.7~F2級標準に目が向く筈も無いが、実際の描写力は
小口径版の方が概ね諸収差の補正が行き届いているから、
とても良く写る訳だ。
その件で初級マニア層にも良くわかる実例を上げれば
PENTAX SMC TAKUMAR 55/1.8(通称:銀のタクマー)や、
CANON EF50/1.8Ⅱは、非常に良く写るレンズである事は
周知の事実だ。
だが、他社の同等仕様の小口径標準も、これらに負ける
事はない、単に「持っていないから知らない」だけである。
私は、1990年代後半当時、前述のXR-7(MⅡ)や、XR-8の
機体を使っていて、XRリケノンレンズを必要とする状況で
あったが、XR50/2の「神格化」による中古市場での玉数
不足で、XRの標準レンズが入手不能になってしまった。
(注:XR45/2.8パンケーキは所有していたが、これは
描写力に優れたものでは無い。50mmではF1.4/F1.7版
も存在した模様だが、中古市場ではまず見ないレア物だ)
とりあえず、マウント互換性のあるPENTAX Kマウント用
レンズを代用していたが、やはりRICOHのカメラには
RICOHのレンズを付けたいのがマニア心理だ。
2000年を過ぎたころ、ようやく本XR50/2をXR500との
セットで中古入手する事ができた。レンズは、しばらく
機嫌よく使っていたが、すぐにデジタル時代が到来。
PENTAXデジタル一眼レフでも、XR50/2は無理をすれば
使えない訳では無い(注:露出測定や絞り操作が煩雑)
だが、この時点で私は少々がっかりした。
XR50/2の描写力が銀塩時代に「神格化」された程に
優れたものではなかった事が判明したからだ。
本レンズの設計思想だが、他社と同じ5群6枚構成でも
球面収差や色収差の補正に主眼を置き、解像力を高めた
コンセプトである。反面、像面湾曲や非点収差の発生で
ボケ質が悪くなり、これを嫌う為に、最短撮影距離を
60cmと長くし、口径比も開放F2に留め、本体XR500の
1/500秒シャッターとあいまって「背景をボケさせない
ようにする」という、制限された仕様であった。
まあ、設計コンセプト的には矛盾は無く、優れている。
技術的に、どこかを優先すれば、どこかが犠牲となるのは
やむを得ないからだ。そこで優先すべき内容や性能の
設計基準が「適正な選択であった」という訳である。
(いや、むしろ様々な仕様・性能バランスを意識した、
「確信犯」ともいえる、手馴れた設計であろう)
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だが、デジタル機でシャッター速度や絞り値を自由に
設定できるようになると、本XR50/2は、ボケ質破綻が
頻繁に発生する事が課題となった。
2000年代の初期の本ブログでは、本レンズを、依然
「神格化」するアニア層が多かったので、このボケ質を
「特徴のある絵画的なボケ」と婉曲的に表現したが、
まあ要は「ボケが汚い」という事と等価である。
現代においては、ミラーレス機等で高度な技法を用いれば
ボケ質破綻は、ある程度回避が可能であり、かつ、仮に
ボケが汚くても、それを活かせる作風を摘要する事も
写真表現的には可能であろう。最短撮影距離の長さも
デジタル拡大機能や小型センサー機で仮想的に解消できる。
だから、これらの問題は重欠点には成り得ない。
しかし、銀塩時代のマニア層が、いかに狭い視点、かつ
思い込みで機材評価をしていたのかも、如実に分かる
結果となってしまった。
いまだなお「和製ズミクロンだから良く写る」と言って
いるようなマニア等が居るとすれば、他社の同時代の
小口径標準レンズをいくつか入手して撮り比べてみたら、
本XR50/2の長所も短所も、はっきりと分かると思う。
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では、今回ラストのシステム
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レンズは、RICOH XR RIKENON 200mm/f4
(中古購入価格 7,000円)(以下、XR200/4)
カメラは、OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡ Limited(μ4/3機)
ミラーレス・マニアックス第43回記事で紹介の、
発売年不明、これも恐らくは1970年代末頃と思われる
単焦点MF望遠レンズ。
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これもまた、ありふれたスペックのレンズだ、
5群5枚構成というオーソドックスな設計である。
4群4枚や、この方式では、解像力は高まると思うが、
色収差等が若干残るであろう。他の課題としては
望遠率(比)が低い(つまり、レンズの全長をあまり
短くする事はできない)事や、最短撮影距離が長くなる
事が言える。(前述のXR135/2.8と同様の課題)
ただ、本XR200/4は、レンズ全長は確かに長いものの
我慢できないレベルでは無く、最短撮影距離も2mと、
一応「焦点距離10倍の法則」をクリアしている。
(しかし、実使用上では最短2mは、かなり長く感じる)
描写力は可も無く不可も無し。今回は、周辺収差や周辺
減光を解消する目的で、μ4/3機のOM-D E-M5Ⅱを使って
いるため、レンズの弱点は殆ど出にくい使用法だ。
こういう使い方をすれば、本XR200/4は良く写るレンズ
に変貌する。
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なお、撮影技法も要注意だ。
まず、μ4/3機で換算400mm(又は、デジタルテレコン
使用で800mm)ともなると、手ブレリスクが大きい。
E-M5Ⅱには優秀な手ブレ補正機能が内蔵されてはいるが
換算800mmともなれば、まともに動作しない(精度不足)
それと、ISO切り替え低速限界の設定がE-M5Ⅱでは不能だ、
手動ISO設定とすると、感度を少し上げただけでE-M5Ⅱ
は、連写可能枚数が減ってしまう重欠点を持っている。
それから、色収差の発生を嫌うならば、白い鳥など、
輪郭線での色ズレが発生しやすい被写体を避ける事だ。
逆光耐性の低さによるフレアや、コントラストの低下を
避けるには、太陽光線状況に留意する必要があるが、
本レンズのような枚数の少ないレンズ構成の場合は、
逆光の問題は多少緩和されるので、あまり意識する
必要はなく、完全逆光時の内面反射のゴーストに注意
する程度であるが、それ(ゴースト)もまた、写真
表現の一種として「暑い、都会的、荘厳な・・」等の
表現要素に取り入れてしまう方法もある。
まあ、つまりレンズは使いようであり、40年も前の
レンズだからといって、常に酷い写りという訳でも無い。
しかし何も考えず、工夫もせずに「レンズの言うがまま」
に使っていたら、オールドレンズの様々な欠点がモロに
出てしまう。これを「オールドレンズには味がある」と
称する初級中級マニアも多いのだが、ちょっと違うで
あろう・・
で、マニア道を極めるのであれば、そんな所で満足は
せずに、もう1歩そこからステップアップし・・
1)オールドレンズの弱点を出さない方法論を開発する
2)オールドレンズの弱点をあえて個性として利用する
の、いずれかの技能・技法、あるいは写真表現手法を、
ノウハウとして身につけていく事が望ましい。
さて、こうしてXR RIKENONレンズを4本見ていくと、
どれも非常に、オーソドックスかつベーシックな設計に
思える。奇をてらっていない、と言えば聞こえは良いが
「無個性」である事は、ある意味弱点であろう。
つまり「マニアック度」や「エンジョイ度」が少ない
レンズ群ではある。
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ただ、前述のようにXR50/2等は、その設計コンセプト
が、かなり「確信犯」的である。廉価なXR500の機体と
組み合わせた際に、最高の性能を発揮できる設計だ。
他のXRレンズも、より深く考察すれば、様々な仕様的
な「確信犯」が見られるかも知れない。
マニア層が、レンズの事をあれこれと語る事は、いつの
世の中でも、それが普通であるが、それは、ある意味
ユーザーという、製品を使う側から見た発言だ。
製品を作る側からすれば、マニア層をはるかに越える
様々な「考察」や「コンセプト」があって、その製品が
生まれてくる訳だ。それが市場に受け入れられなければ
当然「責任」も発生する。つまり、製品に賭ける重みが
まるで違う訳だ。
その「製品コンセプト」においては、開発側が全て
満足できるようなものは出来ない、どれかを優先すれば
他の何かが犠牲になるのだ。勿論、安くて小さくて良く
写るレンズが出来れば理想的だが、現実はそう簡単では無い。
だとすれば、その製品の何処に重点を置くかは、ある意味
設計者や開発者の個性が出る。が、多分、現代においては、
そうした技術者個々の考え方に依存するような製品開発は
出来ないであろう。その考え方が「世間からズレていて」
メーカー全体のブランドイメージにダメージがあっては
ならないからだ。だから企画会議や仕様検討会議が重ね
られて、そういう製品コンセプトそのものも、メーカーの
「色」(=考え方)がついた形となる。
だけど、たいていの場合、現代の製品は「遊び心」や
「冒険心」に欠けている場合が大半なのだ。
まあ、それもその筈、一眼レフの市場が大幅に縮退した
近代においては、あまり珍妙な製品を発売して、それが
市場で受け入れられかったり、賛否両論ともなれば、
メーカーとしては膨大な開発費が無駄になり、致命的だ。
だから、何処も「安全策」をとらざるを得ない訳だ。
しかし、この銀塩時代は違う。1960年代~1990年代
は一眼レフが発達しつづけた時代である、そこでは
様々な「冒険」が許された時代であったから、非常に
個性的な製品(カメラやレンズ)も多々存在する。
現代のデジタル時代で、無個性で優等生的な製品が
ズラリと並び、どれも同じようなスペックで、違うのは
カメラやレンズに書かれたメーカーの名前だけ、という
時代のユーザーには、良く分からない事かもしれないが、
「開発者の意思や意図が垣間見られる」という事実は
とても面白い。これを理解し、共感したり、あるいは
反発したりすることも、現代のマニア道においては
とても興味深いテーマとなりうるであろう。
もっとも、そこに至る迄には、一般常識的には考え
られない程の多数の機材所有や試写を繰り返し、そして
非常に長期間の分析や研究を行わないと、見えてこない
事ばかりであろう。
たとえば、数種類の機材を短期間だけしか使わずに、
「和製ズミクロン」だとか「ヘキサノンは良く写る」やら
「銀のタクマーは凄い」等と言う評価は意味が無い。
もっと広く、この時代の製品群を見ていかないと、その
あたりの真実は、決してわからないと思う。
----
さて、今回の記事「ROCOH XR RIKENONレンズ特集」は、
このあたり迄で、次回記事に続く・・
別に紹介している。
今回の記事では「RICOH XR RIKENONレンズ」を4本
紹介しよう。
XR RIKENON(リケノン)レンズは、およそ1970年代~
1990年代の銀塩時代に展開された、RICOH製一眼レフ
「XRシリーズ」用のMF交換レンズ群である。
PENTAX Kマウントとは、ほぼ互換性があり、当時でも
現代でも、PENTAXのKマウント一眼レフと同交換レンズで
相互利用ができるが、現代のPENTAXデジタル一眼レフの
一部では、使えないか又は非常に使い難い為、現代での
利用は、ミラーレス機+Kマウントアダプターが簡便だ。
さて、本記事においては、この時代の前後のRICOH製
カメラの歴史の話を通し、並行してXR RIKENONレンズ
を順次紹介していく。
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ではまず、最初のシステム
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(中古購入価格 8,000円)(以下、XR135/2.8)
カメラは、OLYMPUS OM-D E-M1 (μ4/3機)
ミラーレス・マニアックス第28回記事で紹介の、
発売年不明(恐らくは1970年代末頃と思われる)
の単焦点MF望遠レンズ。
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1930年代後半位から、中判(ブローニー)フィルムを
用いる(スプリング式)カメラを色々と販売していて、
国産カメラメーカーの中では、かなりの老舗である。
まあ、コニカ(1900年代~)には、さすがに負けるが
オリンパスやキヤノンと、ほぼ同時代からの参入開始だ。
この時代(1930年代)は、軍需産業等の世情を受け、
光学機器(全般)のメーカーが色々と創業している。
で、こうした中判カメラは、戦後1950年代位には、
二眼レフ型式が中心となってくる。
私も、RICOHFLEX(1950年代、型番不明、恐らくⅢ型)
を一時期所有して使っていたが、中判(6cm x 6cm)
フィルムは使い勝手が悪く、譲渡してしまっていた。
RICOHFLEX(リコーフレックス)は、大ヒットカメラであり
当時の市場シェアが非常に高かった、とも聞いている。
レンズの名称は色々とあったと思われるが、「RIKENON」
(リケノン)という名称が使われ始めたのも、この頃、
1950年代後半であった。
1960年代からは、フィルムは35mm判(36mmx24mm)が
主流となったが、当時のフィルム代・DPE代が比較的高価
であった事から、「ハーフ判カメラ」が大ヒットする。
ハーフ判の「OLYMPUS-PEN」シリーズはとても有名であるが、
RICOH AUTOHALF(オートハーフ)シリーズも負けていない。
ゼンマイ方式による、フィルムの自動巻上げ機構は、
とてもユニークなギミック(仕掛け)であり、これが
市場に受けて、なかなかのヒット商品となった。
このシリーズは、1970年代後半まで販売が継続される。
この時代のカメラも所有していたと思うが、所在不明で
今となっては型番も不明だ(恐らくは初期型?)
レンズ銘がリケノンであったかどうか?も不明、恐らくは
個別の名称は付いて無かった事であろう(RICOHのみ記載)
また、1960年代からは、リコーは「SINGLEXシリーズ」
の一眼レフの販売も始める、これはM42マウントである。
私はTLS401(1970年)を所有していたが、実用性が低く、
処分してしまっていた。
1970年代に入ると、フィルムの普及および所得の増大に
より撮影コストは相対的に減少し、ハーフ判のみならず、
35mm判(フルサイズ)のコンパクト機も一般的になる。
RICOH AUTOSHOT(オートショット)シリーズが代表的では
あるが、まだまだハーフ判AUTOHALFの人気も衰えない。
(所得の増加に増して、物価が上昇した時代でもあった)
この時代からカラーフィルムも普及し始め、レンズ側では
カラーに対応した発色やコーティング特性の改良が進む。
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今回紹介レンズの話がちっとも出て来ない(汗)
ここで少しだけ、XR135/2.8の紹介をしておく。
当時としては、オーソドックスなスペックの135mm/f2.8
の望遠レンズである。
4群4枚構成とシンプルであり、この手の単純構造の望遠
レンズの特徴としては、画面中央部での解像力に優れるが、
周辺部でやや解像力が悪化する場合がある。
(この課題については、今回の母艦をμ4/3機とする事で
対策としている)
また、最短撮影距離が長くなる。本レンズも1.5mと
やや不満だ。これについても、μ4/3機を使用して、
見かけ上の撮影倍率を上げるのが良いであろう。
それと、本レンズでは、ボケ質破綻が極めて出易い事は
重欠点に近い状況であろう。まあここも、ミラーレス機
の高精細EVFを頼りに、絞り値などの微調整で、かなり
慎重にボケ質をコントロールする必要がある。
4群4枚構成では、設計的に色収差の補正は課題だと
思われるが、意外にも殆ど気にならない。ガラス材質
(屈折率やアッベ数の差)を上手く工夫した設計なので
あろうか?(注:レンズ構成図等が無く詳細不明)
さらには、レンズ全長が長くなってしまう(望遠比が低い)
事も、この構成の弱点であるが、135mm級レンズであれば、
さほどそれは問題とは感じ難い。(4群4枚構成で300mmや
400mmの超望遠レンズともなると、レンズ長は顕著となる)
また、逆光耐性に劣り、多くの撮影状況でフレアぽっく、
コントラストが低まる事も課題だ、が、ここもまあ光線
状態に留意して撮れば良いであろう。
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長所としては、レンズの価格が安価に作れる事だ。
この点、当時のリコーは「大衆機」を目指していた訳で
RICOHFLEXもAUTOHALFも、非常に安価なカメラだった
故に大ヒットした訳だ、XR一眼レフでも(後述するが)、
XR500の大ヒットも、価格の安さが所以である。
よって、その交換レンズ群も、ある程度性能を犠牲に
しても、低廉な価格を求めた仕様となっているのであろう。
本レンズの発売時定価は、今となっては残存する資料も
殆どなく、不明であるが、まあ安価であっただろう事は
間違いは無い。
現代において、本XR135/2.8を指名買いするユーザーは
マニア層も含めて、まず居ないとは思うが、まあでも
1000円程度のジャンク価格であるならば、この時代の
レンズの使いこなしのトレーニングの目的に買っても
十分に楽しめるであろう。
トレーニング内容は、上記に記載したような内容では
あるが、ただ単に「レンズの言うがまま」で撮って
しまう初級中級層では意外に難しい練習メニューだと思う。
まあでも、そこを練習する為のツール(教材)として、
こうしたセミオールドの安価なレンズは最適な訳だ。
これでも、これ以前の時代の完全なオールドレンズよりも
若干トレーニングのレベルは低くする事ができると思う。
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では、このあたりでレンズを交換しよう。
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(中古購入価格 5,000円)(以下、XR28/2.8)
カメラは、SONY α7 (フルサイズ機)
ミラーレス・マニアックス第42回記事で紹介の、
(発売年不明)恐らくは1970年代末頃と思われる
単焦点MF広角レンズ。
もう、この時代のXR RIKENONの情報は殆ど残っていない
ので、以降も発売年や発売時価格が不明な状態が続く。
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画面周辺描写力などの「限界性能テスト」の目的もある。
そして、この十数年後、RICOHは、高級コンパクトGR1に
より、28mm広角は「RICOHのお家芸」的なレンズとなり、
高描写力広角レンズの代名詞ともなるのだ。
(その「お家芸」は、現代の高級デジタルコンパクト
GRⅢに至るまで、その血脈が続いている)
まあ、それの祖先とも言える、1980年頃のRICOHの
28mmレンズが、どれだけの性能を持っているか?は、
気になる点であろう。
ただ、母艦としているSONY α7は、オールドレンズとの
相性が極めて悪く、センサー面とレンズ後玉間の反射に
よるゴーストが頻繁に発生するという重欠点がある。
(他のフルサイズ一眼レフ等では、ここまで酷くは無い)
よって、あまり真面目に「限界テスト」などは行わない事が
賢明であろう。周辺画質が気になるならば、本レンズの
「広角」という特徴を捨てて、μ4/3機とかで使えば良いし、
別に本レンズを使わなくても、マニア層であれば、良く写る
広角レンズは、他にいくらでも所有している事であろう。
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1970年代前半まで、RICOHはM42マウントの一眼レフを
作っていたが、この頃「開放測光」及び「自動露出/AE」の
市場ニーズが強くなり、M42陣営以外では、そうした機能を
順次一眼レフに搭載、そしてM42陣営でも、各社まちまちに
M42規格を独自に改良して絞り優先機能等を実現し始める。
(参考:世界初の絞り優先AE搭載機は、M42マウントの
ASAHI PENTAX ES:1971年である)
しかし、M42は元々ユニバーサル(汎用的)なマウント
である。他社機ともレンズ互換性がある事が最大の強みで
あった訳で、それは国内製に留まらず、海外製一眼レフ等
においてもM42マウントを採用する機体はとても多かった。
(参考:最初のM42機は、東独製Pentacon PRAKTICA Ⅳ:
1959年だったと思う。当初「プラクティカ・スクリュー」
(PSマウント)とも呼ばれていたが、国内ではPENTAX機
が普及した為、「PS」を「ペンタックス・スクリュー」の
略語として、使われる/解釈されるケースも多かった)
だが、この時代、M42を各社が独自改良した事により、
その汎用性の特徴が失われたばかりか、「M42もどき」の
レンズが沢山出てきた事で、一見M42に見えるレンズを
他社機に装着しようとすると、装着できない、あるいは
「外れない」(汗)という、大問題が発生した。
この混迷期を終息させる目的もあったのか? 国内での
M42マウント機の最大手とも言えるPENTAXは、それまでの
数百万台というビッグセールスの、(ASAHI) PENTAX SP
シリーズのM42を諦め、1975年には独自バヨネット式の
Kマウントに転換する(このKマウントは、以降、現代に
至るまで、基本的なマウント形状は変わっていない)
親分格(?)のPENTAXが、M42を止めてしまった訳なので、
他社のM42陣営も事実上崩壊。RICOHもM42機をやめて
PENTAXのKマウントと、ほぼ互換性のあるXRマウント機
の発売を始める、それが「XRシリーズ」の初号機の
XR-1/XR-2(いずれも1977年発売、未所有)である。
ここで注目するのは、RICOHは、現在ではPENTAXの
親会社である。・・というかPENTAXという企業は現代では
存在せず、RICOHのカメラのブランド銘でしか無い。
しかし、この1970年代ではPENTAXのマウント変更戦略に
RICOHが追従していた状態であったのだ。
なお、XR-1が機械シャッター式マニュアル露出機であり
XR-2は絞り優先の電子(電気)シャッター方式である。
以降、XR-7/XR-8のように、電気シャッター機とメカ機が
並行して販売が続いていたケースもいくつかあり、
これも又、XRシリーズの特徴だ。
1978年、リコーの「大衆機戦略」がまたヒットを飛ばす。
普及機XR500に、XR50mm/F2レンズ、ケースをセットして、
39,800円という低価格で発売したのだ。
これは、「サンキュッパ」というTV CMまで流れた事でも
話題となり、ヒット商品となった。
この時の、XR500のキット(付属)レンズである
「XR RIKENON 50mm/F2」が後年、マニアの層の間で
ちょっとした話題となるのだが、その話は後述しよう。
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大衆機として地位を固めていた。また、この時代は海外
向け(専用)輸出機も多く、安価かつ壊れ難い、実用的な
構造である事も海外で人気があった所以であろう。
発売期間も比較的長かった為、機種数は多いのではあるが
1990年代に入ってもAF化はされず、MF機が全てである。
ちなみに、XRシリーズのボディは、チノン製、コシナ製の
ダイキャスト・シャーシーを元に製造したタイプと、
自社製のタイプと、3種類が混在しているとの事。
後年のXR-7MⅡ/8あたりの時代(1990年代)では、「完全な
コシナ製OEM」という噂もマニア間では良く流れてはいたが
もう、その時代では、製造業においては、多メーカーによる
協業での製造となっているので、どこどこ製、という概念も
失われてきていた。つまり、バブル経済期頃からでは、既に、
「ブランド」が意味を持たない、という時代であった。
「コシナ製だ」と騒がれたのは、当時はネガテイブな要因
であり、コシナはそのころから巨大OEMメーカーであったが
世間一般には、まったくの無名であったので、初級マニア等が、
有名メーカー製と言われるカメラが、実は中身がコシナ製で
あった事を嫌った訳だ。(コシナというメーカーを知らない
事や、”安かろう、悪かろう”という誤解)
だが、現代においては、コシナはフォクトレンダーやカール・
ツァイスのブランドを擁する超高級品メーカーであるから
コシナ製と言えば、当時とは全く逆に「物凄く品質が高い」
という印象になるであろう。それがまったく同じ会社の、
同じ生産ラインで製造された製品であってもだ。
まあ、そういう風に、「ブランド」という物に初級中級層が
持つイメージは、現代では、かなり的外れとなっている。
くれぐれも「どこのメーカーのカメラ(レンズ」が
良いのですか?」などとは、誰かには安易に聞くなかれ。
さて、本XR28/2.8 だが、GRシリーズの元祖という程には
スペシャルなレンズでは無い。どこにでもあるごく普通の
性能の28mm広角である。
まあでも、このあたりも、安価に作る為に、あえて性能を
犠牲にしているという設計コンセプトもあるだろう。
上記コシナ社だって、作ろうと思えば売価1万円の安価な
レンズも作れるし、売価60万円の超高額レンズも作れるのだ。
・・で、詳細は良く分からないが、この当時のXR RIKENON
レンズも、RICOHが自社で製造していたかどうかは不明だ、
もしかすると、コシナ社なり、なんなりに委託したOEM製造
であった可能性も捨てがたいのだ。
本レンズXR28/2.8を、現代において「指名買い」をする
必然性は殆ど無い。ごくありふれたスペックのレンズで
あり、代替できる広角レンズは他にいくらでもある。
あえて必要性があるとすれば、前述の「GRの系譜」を
探る上での研究的な要素だけであろう。
----
さて、3本目のXRレンズ紹介に移ろう。
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(中古購入価格 6,000円)(以下、XR50/2)
カメラは、SONY NEX-7 (APS-C機)
これも発売年不明、恐らくは1970年代末であろうか?
ミラーレス・マニアックス第71回記事等で紹介の
小口径MF標準レンズである。
この小口径標準レンズには、いくつかのバージョンが
あると思われるが、それぞれを所有している訳では無い
ので差異の詳細は不明だ。
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セットで発売された初期バージョンであり、購入時には
XR500に装着した状態で11,000円の中古価格であった。
ボディとレンズの詳細価格は不明。一応レンズは6000円
相当としている。なお、XR500ボディは、最高シャッター
速度が1/500秒と貧弱な性能であったので、殆ど使わずに、
知人に譲渡している。
ただ、XR500は「サンキュッパ」(レンズ付き新品価格
が39,800円という、当時最も安価な一眼レフセット)
というキャッチフレーズによるTVコマーシャルにより、
当時(1978年~)での一眼レフ販売数の記録を樹立した
歴史的な機体である。
で、付属レンズ本XR50/2(注:いくつかバージョン有り)
は、ありふれたレンズとして、後年の中古市場に単体又は
XR500とのセットで良く流通していた。
XR500は、その名の通り最高シャッター速度が1/500秒
と貧弱な性能である。ここでの課題はISO100のフィルム
を使っても、快晴時には、およそF8より明るい絞り値が
シャター速度オーバーになって使えない事だ。
(注:マニュアル露出機である)
1970年代初頭の旗艦F2やF-1でさえも、1/2000秒を
搭載していて、他の中級機でも概ね1/1000秒であった
から、カタログスペック(だけ)を重視するマニア層や
中上級者層には不人気であった機体だ。
ただ、この仕様ゆえに付属レンズXR50/2は、たいていの
場合、ある程度絞って使用する事となる。そしてXR50/2
の絞った際の描写力は決して悪くは無い。
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という評価になったと思われ(注:当時のビギナー層は
交換レンズは、まず購入しないで、カメラの付属レンズ
のみを使う状況である)その評判が、また販売数の増加に
貢献した事であろう。
しかし、とは言うものの、あくまでXR500とXR50/2は
ビギナー向けセットである。後継機の1980年代前半の
XRシリーズはXR500のような爆発的ヒットは記録せず、
1985年の「αショック」以降では、消費者層の関心は、
全て、新鋭の「AF一眼レフ」に向いてしまった。
その前後から、XRシリーズ一眼レフは国内販売はもう
厳しく、海外向けの商品展開が主体となっていく。
1990年代前半には、XR-7(MⅡ)やXR-8等、実用性が
高く、安価で頑丈な機体が発売されるが、既にAF時代
であった為、一般層はこれらのMF機には注目しない。
私はXR-7(MⅡ)/8の両機体を入手し、機嫌よく使っていた。
1990年代末頃の厳寒の北海道への撮影旅行では、これらを
「壊しても良い消耗機体」として持ち込んだのだが、
シャッターの凍結(鳴き)や、暖所での結露が発生し、
やはり、かなり機体にとって厳しい状態ではあったが、
まあ、それでも故障する事は無かった。
1990年代前半、中古市場では、XRシリーズ一眼レフや、
XRリケノンレンズの事は、もう忘れ去られていた。
しかし、この時代、「銀塩一眼レフ・クラッシックス」
等の記事でも何度も書いたように、バブル崩壊や阪神
淡路大震災による、「消費者ニーズの激変」が起こり、
華美なスペックを並べ立てた新鋭の銀塩AF一眼レフの
バブリーな雰囲気に、多くの消費者層はついていけず
上級マニア層の一部は、クラッシックなMF一眼レフや、
ぼちぼち発売が始まっていた高級コンパクト機に興味の
対象を移す状況であった。
上級マニアの間で話題となったのはリコーのコンパクト機
R1(1994年)/R1s(1995年)であった。
これらの小型単焦点広角(30mm/F3.5)コンパクト機は、
「小さく軽く安価なのに良く写る」と、急速にマニア間の
口コミで広まった。又、これらのカメラのパノラマ機構を
簡単な改造によって動作を止めて、(画質低下はさておき)
24mm/F8との二焦点カメラとして使える事も、マニアック
な使い方として広まっていった。
このムーブメントは非常に大きく、1996年には、R1sの
筐体を流用して高性能レンズを搭載した、高級コンパクト
の草分けとも言える歴史的名機「RICOH GR1」が誕生した。
最初からマニア向けの企画製品であり、勿論、R1/R1sの
マニア層人気を受けての開発である。
ここから空前の「高級コンパクト機ブーム」が起こり、
そして、20数年経った現在でも脈々と続く「GR DIGITAL」
シリーズの系譜に繋がる訳である。
私も、R1(1994)から初代GR DIGITAL(2005)までの
約10年間は、このシリーズに夢中になり、殆ど全ての
銀塩R/GRシリーズを所有していたのだが、GRD以降は
熱が冷め、それ以降のGR(D)を購入していない。
で、「リコーのレンズが良く写るならば・・・」という
理由から、一部の上級マニアは、中古市場に豊富にあった
XR500と、その交換レンズ本XR50/2に注目した。
中古玉数が豊富で、安価に購入できたからだろうが、
実のところ、それ以外のセットは入手のしようが無い。
前述のように、XR500を安価に新品購入した初級層が
XRリケノンレンズを、ずらりと揃えるなど、有り得ない
話だから、XR交換レンズは殆ど流通していなかったのだ。
で、XR500とXR50/2の組み合わせでは、前述のように
晴天時ではF8以上に絞らないと使えない。
ところが、この時代の小口径標準レンズ、特に5群6枚
の変形ダブルガウス構成のレンズは大変良く写るし、
F8程度まで絞って諸収差を低減すれば、なおさらだ。
他社の同等のスペックの小口径MF標準レンズも、どれも
良く写り、一部はAF時代やデジタル時代になっても、
その完成度の高いレンズ構成のまま、AF化と外観を
変更して、販売を(数十年間も)続けていた位だ。
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「安かろう、悪かろう」と見なしていた人が殆どで
あったが、初めてこの小口径標準を目にしたマニアは
驚きを隠せない。このXR50/2を「和製ズミクロンだ!」
(注:ズミクロンとは、ライカ社の(主に)レンジ
ファインダー機用レンズの中で、特に開放F2級のものを
差す。価格が高いので初級マニアに「神格化」されている)
と、マニアの誰かが称した事で、他のマニア層も一斉に、
本XR50/2に注目する。
1990年代後半の中古カメラブーム時代を通じ、本XR50/2
は非常に良く写るレンズとして、マニア層全般に「神格化」
される程となった。当然中古市場からは一掃され、値段も
プレミアム価格化して2万円以上の高額相場もざらだった。
ただ、これはマニア層が「小口径標準」の真の実力値を
知らなかっただけ、という話である。開放F1.4やF1.2
の大口径標準レンズばかりを探して使っていたりすれば、
F1.7~F2級標準に目が向く筈も無いが、実際の描写力は
小口径版の方が概ね諸収差の補正が行き届いているから、
とても良く写る訳だ。
その件で初級マニア層にも良くわかる実例を上げれば
PENTAX SMC TAKUMAR 55/1.8(通称:銀のタクマー)や、
CANON EF50/1.8Ⅱは、非常に良く写るレンズである事は
周知の事実だ。
だが、他社の同等仕様の小口径標準も、これらに負ける
事はない、単に「持っていないから知らない」だけである。
私は、1990年代後半当時、前述のXR-7(MⅡ)や、XR-8の
機体を使っていて、XRリケノンレンズを必要とする状況で
あったが、XR50/2の「神格化」による中古市場での玉数
不足で、XRの標準レンズが入手不能になってしまった。
(注:XR45/2.8パンケーキは所有していたが、これは
描写力に優れたものでは無い。50mmではF1.4/F1.7版
も存在した模様だが、中古市場ではまず見ないレア物だ)
とりあえず、マウント互換性のあるPENTAX Kマウント用
レンズを代用していたが、やはりRICOHのカメラには
RICOHのレンズを付けたいのがマニア心理だ。
2000年を過ぎたころ、ようやく本XR50/2をXR500との
セットで中古入手する事ができた。レンズは、しばらく
機嫌よく使っていたが、すぐにデジタル時代が到来。
PENTAXデジタル一眼レフでも、XR50/2は無理をすれば
使えない訳では無い(注:露出測定や絞り操作が煩雑)
だが、この時点で私は少々がっかりした。
XR50/2の描写力が銀塩時代に「神格化」された程に
優れたものではなかった事が判明したからだ。
本レンズの設計思想だが、他社と同じ5群6枚構成でも
球面収差や色収差の補正に主眼を置き、解像力を高めた
コンセプトである。反面、像面湾曲や非点収差の発生で
ボケ質が悪くなり、これを嫌う為に、最短撮影距離を
60cmと長くし、口径比も開放F2に留め、本体XR500の
1/500秒シャッターとあいまって「背景をボケさせない
ようにする」という、制限された仕様であった。
まあ、設計コンセプト的には矛盾は無く、優れている。
技術的に、どこかを優先すれば、どこかが犠牲となるのは
やむを得ないからだ。そこで優先すべき内容や性能の
設計基準が「適正な選択であった」という訳である。
(いや、むしろ様々な仕様・性能バランスを意識した、
「確信犯」ともいえる、手馴れた設計であろう)
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設定できるようになると、本XR50/2は、ボケ質破綻が
頻繁に発生する事が課題となった。
2000年代の初期の本ブログでは、本レンズを、依然
「神格化」するアニア層が多かったので、このボケ質を
「特徴のある絵画的なボケ」と婉曲的に表現したが、
まあ要は「ボケが汚い」という事と等価である。
現代においては、ミラーレス機等で高度な技法を用いれば
ボケ質破綻は、ある程度回避が可能であり、かつ、仮に
ボケが汚くても、それを活かせる作風を摘要する事も
写真表現的には可能であろう。最短撮影距離の長さも
デジタル拡大機能や小型センサー機で仮想的に解消できる。
だから、これらの問題は重欠点には成り得ない。
しかし、銀塩時代のマニア層が、いかに狭い視点、かつ
思い込みで機材評価をしていたのかも、如実に分かる
結果となってしまった。
いまだなお「和製ズミクロンだから良く写る」と言って
いるようなマニア等が居るとすれば、他社の同時代の
小口径標準レンズをいくつか入手して撮り比べてみたら、
本XR50/2の長所も短所も、はっきりと分かると思う。
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では、今回ラストのシステム
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(中古購入価格 7,000円)(以下、XR200/4)
カメラは、OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡ Limited(μ4/3機)
ミラーレス・マニアックス第43回記事で紹介の、
発売年不明、これも恐らくは1970年代末頃と思われる
単焦点MF望遠レンズ。
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5群5枚構成というオーソドックスな設計である。
4群4枚や、この方式では、解像力は高まると思うが、
色収差等が若干残るであろう。他の課題としては
望遠率(比)が低い(つまり、レンズの全長をあまり
短くする事はできない)事や、最短撮影距離が長くなる
事が言える。(前述のXR135/2.8と同様の課題)
ただ、本XR200/4は、レンズ全長は確かに長いものの
我慢できないレベルでは無く、最短撮影距離も2mと、
一応「焦点距離10倍の法則」をクリアしている。
(しかし、実使用上では最短2mは、かなり長く感じる)
描写力は可も無く不可も無し。今回は、周辺収差や周辺
減光を解消する目的で、μ4/3機のOM-D E-M5Ⅱを使って
いるため、レンズの弱点は殆ど出にくい使用法だ。
こういう使い方をすれば、本XR200/4は良く写るレンズ
に変貌する。
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まず、μ4/3機で換算400mm(又は、デジタルテレコン
使用で800mm)ともなると、手ブレリスクが大きい。
E-M5Ⅱには優秀な手ブレ補正機能が内蔵されてはいるが
換算800mmともなれば、まともに動作しない(精度不足)
それと、ISO切り替え低速限界の設定がE-M5Ⅱでは不能だ、
手動ISO設定とすると、感度を少し上げただけでE-M5Ⅱ
は、連写可能枚数が減ってしまう重欠点を持っている。
それから、色収差の発生を嫌うならば、白い鳥など、
輪郭線での色ズレが発生しやすい被写体を避ける事だ。
逆光耐性の低さによるフレアや、コントラストの低下を
避けるには、太陽光線状況に留意する必要があるが、
本レンズのような枚数の少ないレンズ構成の場合は、
逆光の問題は多少緩和されるので、あまり意識する
必要はなく、完全逆光時の内面反射のゴーストに注意
する程度であるが、それ(ゴースト)もまた、写真
表現の一種として「暑い、都会的、荘厳な・・」等の
表現要素に取り入れてしまう方法もある。
まあ、つまりレンズは使いようであり、40年も前の
レンズだからといって、常に酷い写りという訳でも無い。
しかし何も考えず、工夫もせずに「レンズの言うがまま」
に使っていたら、オールドレンズの様々な欠点がモロに
出てしまう。これを「オールドレンズには味がある」と
称する初級中級マニアも多いのだが、ちょっと違うで
あろう・・
で、マニア道を極めるのであれば、そんな所で満足は
せずに、もう1歩そこからステップアップし・・
1)オールドレンズの弱点を出さない方法論を開発する
2)オールドレンズの弱点をあえて個性として利用する
の、いずれかの技能・技法、あるいは写真表現手法を、
ノウハウとして身につけていく事が望ましい。
さて、こうしてXR RIKENONレンズを4本見ていくと、
どれも非常に、オーソドックスかつベーシックな設計に
思える。奇をてらっていない、と言えば聞こえは良いが
「無個性」である事は、ある意味弱点であろう。
つまり「マニアック度」や「エンジョイ度」が少ない
レンズ群ではある。
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が、かなり「確信犯」的である。廉価なXR500の機体と
組み合わせた際に、最高の性能を発揮できる設計だ。
他のXRレンズも、より深く考察すれば、様々な仕様的
な「確信犯」が見られるかも知れない。
マニア層が、レンズの事をあれこれと語る事は、いつの
世の中でも、それが普通であるが、それは、ある意味
ユーザーという、製品を使う側から見た発言だ。
製品を作る側からすれば、マニア層をはるかに越える
様々な「考察」や「コンセプト」があって、その製品が
生まれてくる訳だ。それが市場に受け入れられなければ
当然「責任」も発生する。つまり、製品に賭ける重みが
まるで違う訳だ。
その「製品コンセプト」においては、開発側が全て
満足できるようなものは出来ない、どれかを優先すれば
他の何かが犠牲になるのだ。勿論、安くて小さくて良く
写るレンズが出来れば理想的だが、現実はそう簡単では無い。
だとすれば、その製品の何処に重点を置くかは、ある意味
設計者や開発者の個性が出る。が、多分、現代においては、
そうした技術者個々の考え方に依存するような製品開発は
出来ないであろう。その考え方が「世間からズレていて」
メーカー全体のブランドイメージにダメージがあっては
ならないからだ。だから企画会議や仕様検討会議が重ね
られて、そういう製品コンセプトそのものも、メーカーの
「色」(=考え方)がついた形となる。
だけど、たいていの場合、現代の製品は「遊び心」や
「冒険心」に欠けている場合が大半なのだ。
まあ、それもその筈、一眼レフの市場が大幅に縮退した
近代においては、あまり珍妙な製品を発売して、それが
市場で受け入れられかったり、賛否両論ともなれば、
メーカーとしては膨大な開発費が無駄になり、致命的だ。
だから、何処も「安全策」をとらざるを得ない訳だ。
しかし、この銀塩時代は違う。1960年代~1990年代
は一眼レフが発達しつづけた時代である、そこでは
様々な「冒険」が許された時代であったから、非常に
個性的な製品(カメラやレンズ)も多々存在する。
現代のデジタル時代で、無個性で優等生的な製品が
ズラリと並び、どれも同じようなスペックで、違うのは
カメラやレンズに書かれたメーカーの名前だけ、という
時代のユーザーには、良く分からない事かもしれないが、
「開発者の意思や意図が垣間見られる」という事実は
とても面白い。これを理解し、共感したり、あるいは
反発したりすることも、現代のマニア道においては
とても興味深いテーマとなりうるであろう。
もっとも、そこに至る迄には、一般常識的には考え
られない程の多数の機材所有や試写を繰り返し、そして
非常に長期間の分析や研究を行わないと、見えてこない
事ばかりであろう。
たとえば、数種類の機材を短期間だけしか使わずに、
「和製ズミクロン」だとか「ヘキサノンは良く写る」やら
「銀のタクマーは凄い」等と言う評価は意味が無い。
もっと広く、この時代の製品群を見ていかないと、その
あたりの真実は、決してわからないと思う。
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さて、今回の記事「ROCOH XR RIKENONレンズ特集」は、
このあたり迄で、次回記事に続く・・