所有している銀塩一眼レフの名機を紹介するシリーズ記事。
今回は第四世代(趣味の時代、世代定義は第1回記事参照)の
MINOLTA α-SweetⅡ(2001年)を紹介する。
![c0032138_13345101.jpg]()
装着レンズは、MINOLTA AF 20mm/f2.8
(ミラーレス・マニアックス第62回等)
なお、紹介機の発売年と記事の順番が1年程微妙に前後する
場合があるが、同一メーカーの機種を続けて紹介しない為
であり、他意は無い。
本シリーズでは紹介銀塩機でのフィルム撮影は行わずに、
デジタルの実写シミュレーター機で代替する。
今回は、小型軽量のスーパーサブ機という類似点から、
APS-C機のSONY α65を使用するが、画角が狭くなるので、
記事後半ではフルサイズ機に変更しよう。
![c0032138_13350696.jpg]()
以降はシミュレーターでの撮影写真と、本機α-SweetⅡの
機能紹介写真を交えて記事を進める。
![c0032138_13353398.jpg]()
さて、本シリーズ第23回MINOLTA α-9の記事では、
1990年代初頭にミノルタを襲った悲劇について記載した。
しかし、その不運な状況も1990年代後半には持ち直し、
基本に忠実で、写真を撮る為の性能に秀でたα-9(1998年)
を発売した。そのα-9の時代より後、ミノルタは極めて
優秀なAF一眼レフを続けざまに世に送り出してきている。
本機α-SweetⅡも、その内の1台である。
(この時代の開発陣が優秀であったのだろうと推測される)
まず最初に、α-9以降のMINOLTA銀塩α、および関連する
歴史を振り返ってみよう。
<1998年>
MINOLTA α-9 旗艦機(本シリーズ第23回記事)
MINOLTA α-Sweet 初級機(現在未所有)1/4000秒シャッター
<1999年>
MINOLTA α-9Ti 軽量なチタン外装版α-9、限定生産品
MINOLTA α-Sweet S 普及機(α-Sweetの廉価版)
COSINA フォクトレンダーブランドでBESSAシリーズ発売開始
NIKON D1 デジタル一眼レフ旗艦機
<2000年>
MINOLTA α-7 高級機(限定版に買い替えの為、現在未所有)
MINOLTA Dimage 7 28-200mm相当デジタルコンパクト機
NIKON S3 復刻版 MFレンジファインダー機
RICOH GR21 銀塩超広角高級コンパクト(別記事で紹介)
CONTAX N1 銀塩AF一眼新マウント(本シリーズ第24回)
CANON EOS D30 初のデジタル一眼実用機(デジタル一眼第23回)
CANON EOS-1V 銀塩AF一眼レフ旗艦(最終)機
<2001年>
MINOLTA α-SweetⅡ 本機
MINOLTA α-7 Limited 限定仕様のα-7(後日紹介予定)
NIKON FM3A 銀塩MF一眼レフ
RICOH GR1V 銀塩広角高級コンパクト
CONTAX T3 銀塩高級コンパクト(別記事で紹介)
CANON EOS-1D デジタル一眼レフ旗艦機
ここで本機α-SweetⅡの時代に到達した。
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さすがに、この「第四世代」は「趣味の時代」である。
この時代は、銀塩AF一眼レフ、銀塩MF一眼レフ、銀塩レンジ機、
銀塩高級コンパクト、デジタル一眼レフ、デジタルコンパクト機
そして、この年表では紹介していないが、中判カメラや、
APS(IX240)フィルム使用カメラ、MINOX判、レンズ付きフィルム
インスタントカメラ、トイカメラ等・・ およそあらゆる時代の、
あらゆる種類のカメラが混在し、全て新発売された時期だ。
この時期になって、クラッシックな銀塩MF一眼やレンジ機が
新発売された理由だが、勿論1990年代後半の「第一次中古
カメラブーム」が元になっている。
それは一種の社会現象的フィーバーでもあり、一部には
投機的要素もあった為、「カメラのバブル期」と言っても
良いかも知れない。
で、そのカメラ・バブル期に新規企画開発された古今東西の
様々なタイプのカメラが、この時期に発売され始めた訳だ。
しかし、メインストリームの銀塩AF一眼レフを見ると、
(全てのメーカーのものを年表に記載している訳では無いが)
この時期の中高級機は完成度の高い実用的なカメラが多い。
また、初級(普及)一眼レフが各メーカーから沢山発売されて
いる。すなわち、デジタル一眼レフもこの時期から発売が
開始されている為、将来そちらへ誘導する(デジタル一眼に
買い換えて貰う)為に、枯れた技術(=作り慣れて低価格化
している)の銀塩一眼を安価に多数販売したかったのであろう。
で、その「エントリー一眼レフ」(=銀塩またはデジタルの
より高価な一眼レフ機や交換レンズ群の購入に誘導する為、
女性やファミリー層、シニアや学生等の新しいターゲット・
ユーザー層を開拓する目的で作られた一眼レフ。
自動化・単純化されていて誰にでも使え、かつ低価格である)
の話だが・・
![c0032138_13353779.jpg]()
旧来、カメラの型番というものは、アルファベットと数字の
組み合わせによる無味乾燥なものであった。
無味乾燥なだけならば良いが、型番から性能が類推できない。
例えば、ニコンF-601とF70、キヤノンEOS 10とEOS 100、
あるいは、ミノルタXD-sとX-500、これらの型番だけを見て
どこがどう違うのか、わかるだろうか?
当時でも、これを答えるのは一般ユーザー層では絶対不可能だ。
職業写真家・評論家・メーカー関係者・量販店販売員等の
職業系の人でもまず無理、彼らは深い知識や経験を持つが、
あくまで自身の仕事内容に関係している部分だけだ。
答えられる可能性があるのは、上級マニア(ヲタク)か
中古専門店のベテラン店主あたりしか無いのだが、それでも
何かで調べない限りは苦しいと思う、これをスラスラと言える
人は、世の中に数える程か、あるいは皆無(ゼロ人)であろう。
まあ、ともかく「型番」というのはわかりにくいのだ。
こんな状況であるので、カメラに縁遠い新規ユーザー層では
カメラ型番を聞いたところで、何の印象も持たない。
「ニコンからF5が出たぞ!」というニュースが流れれば
カメラをやってる人ならば、誰でも「お!凄いな!」となる
だろうが、カメラの事を全く知らなければ「F5? なにそれ?
昔に流行ったフィンガーファイブの事?」等となってしまう。
あるいは、この時代、少女マンガの「花より男子」が流行して
いて、そこでは「F4」という、イケメン&金持ち男子の4人
グループが登場していたので、「そこに1人追加されて「F5」に
なったのだろうか?」と世間では思うかも知れない。
だから、「エントリー一眼」で新規層を開拓する場合、
旧来のカメラの型番命名方式では無理なのだ。
最初にその事に気がついたのはキヤノンである。
EOSはその1987年の発売開始から、620,650,750,850,
630,1,10,700,1000,100,5・・等と、たとえ上級マニア
ですら、それらの機種毎の性能の差異が、さっぱり分からない
程に、複雑かつ法則性も無い型番で機種展開をしていた。
まあ、これを整理したかった事もあったのだとは思うが
新規ユーザー層開拓の為には「数字以外の覚えやすい名前」
を必要としたのであろう。
こうして生まれた名前が「EOS Kiss」(1993年)である。
わかりやすい命名法で女性やファミリー層(パパママ層)に
大ヒットした。「Kiss」の名称は、その後四半世紀を越えて
今なお、デジタル一眼レフやミラーレスのエントリー機に
付けられている。
なお、EOS Kiss系は、操作系・操作性の概念からすると、
決して初級者が使い易いカメラであるとは言えない。
しかしエントリー層は、元々他の一眼レフ等も使っては
いなかった訳だから、他機と比べてどうのこうの、という
評価を下す事は出来ない。
だから「なんとなく使いやすそう、お店の人もそう言ってた」
等の極めて曖昧な根拠、又は完全なる誤解(注:販売員の話を
鵜呑みにしてはならない、彼らは店側が売りたいカメラを
優先的に売るのだ)によって、その機種の購買に繋がった
のであろう。
でもまあ、ある意味「イメージ戦略の勝利」だろうと思う。
で「EOS Kiss」の成功を見て、他社も新規ターゲット層への
普及についての重要性を知る事となる。
しかし普及機(初級機)の開発は難しい。全くのビギナーが
何がわかっていて、何がわからないのか? その事自体が、
企画や開発側ではわからないのだ。
各メーカーは、だいぶ悩んだと思う。想像だが、連日のように
エントリー機についての企画会議が行われていたに違い無い。
でも実は、仕様とか、そのあたりは、あまり重要な事では
無かったのだ、今までのカメラの常識や用語や原理や使い方を
すべて新しくする事など、そもそも無理な話だ。
だから、そのあたりは、あまり新規ユーザー層を
「何もわからないから」と「下に」は見ずに、普通に
使い易いカメラを作れば良かっただけの話だ。
でも、ここで恐らくは丸々数年を費やしてしまったであろう。
![c0032138_13350652.jpg]()
そして、仕様はまあ、どうでも良いのだが、型番に関しては
やはり数字はまずい。何か、親しみがあり、かつ一発で覚えて
もらえる個性的又はインパクトのある名称を考えなければらない。
キヤノンはKissに引き続き、当時から普及が始まった
APS(IX240)フィルム使用カメラの分野で、「IXY」(イクシ)
(1996)のブランディング戦略(製品名でイメージを作り出す)
を実施、これも見事に成功させる(こちらの「IXY」も、現代に
至るまで、デジタルコンパクト機の名称で使われている)
遅ればせながら、この戦略に追従したのが、ミノルタだ。
本機α-SweetⅡの前機種、α-Sweet(1998年)がその走りだ、
だが、α-9の記事でも書いた通り、この時代直前までの
ミノルタ一眼レフは様々な不運で、市場から見放されていた。
α-Sweetは高性能で、悪いカメラでは無かったが、残念ながら
殆ど注目されなかった。その後に発売されたα-9、そして
α-7が、その高性能で注目されてから、ようやく次機種の
α-SweetⅡも一般カメラユーザーの目に止まるように
なったのだ。
しかしエントリーユーザーを引き込む目的は達成できたのか?
それは疑問だ、そもそもミノルタのカメラは、この20年位前の
1980年の宮崎美子さん(現:女優)のCMで有名な「X-7」と、
「αショック」の1985年の「α-7000」位が世間一般に
知られていたに過ぎない、
しかも世間では、それらのカメラ型番を言える人は皆無だ。
「宮崎美子のカメラを下さい」と、皆は買っていた事であろう。
それ以降の時代は、ネガティブなニュースばかりであり、
世間はミノルタを知ってはいても、Sweet(Ⅱ)を指名買い
する人は居ない。
まあ、作る側もそれは承知であろう、だから、SweetⅡには
初級機と言う見掛けからは考えられない程の高性能・高機能
を詰め込んだ極めて稀な立ち位置のカメラとなった訳だ。
「もしも、ユーザーが他社の普及機と、この機種とを比較した
ならば、その圧倒的な性能差に、きっと驚く事であろう・・」
という、ちょっと受身な企画戦略であったのかも知れない。
![c0032138_13355646.jpg]()
さて、続くブランディング戦略を取ったのはニコンだ、
NIKON u(2001年)である。私はこのクラスでは「u2」を
所有していたが、これも悪いカメラでは無い。
しかし、このシリーズは商業的には失敗したように思える。
まあ、もう銀塩末期であったので、単純に「出遅れた」ので
あろう。
旧来から「ニコンは初級機を作るのが下手」と巷では言われて
いた。しかし、私から言うと、それはちょっと違うと思う。
基本的にニコンは「高付加価値」戦略を取っている。
この手法を簡単に言えば「ブランドの知名度に物を言わせ、
高性能な機種を、高価格で販売し、高い利益を得る」
と言う意味である。
こう書くと、なんだか悪どいやり方に見えるが、そうでは無い
これは、例えば海外製の服飾ブランド(服やバッグ等)や
精密工芸製品(時計や万年筆等)では、こく当たり前に
行われている販売戦略だ。で、カメラは元々精密工業製品
だったのだ(ライカ、コンタックス、ハッセル、ローライ等)
しかし、その後の時代のカメラは、電化製品(AE/AF)や
デジタル電子機器となった事に、技術分野の変化に無頓着な
ユーザー層は、まるで気がついていない。
だから未だに「カメラは精密工業製品だ」と思い込んでいて
はるか昔のブランド銘をありがたがる訳だ。
話がそれた・・ ニコンはつまり高級品メーカーであるから、
安いカメラを作って、それが売れたら、本来儲けを出すべき
高級カメラが売れなくなる。だから、初級機にあまり力を
入れるのは、メーカーの戦略上は矛盾して、まずい事になる。
よって「初級機を作るのが下手」では無い、
「ニコンは初級機は売りたくない」が正解だ。
この事は、他の服飾ブランドや精密工芸製品に、安価な商品が
1つも無い事からも容易に理解する事ができるであろう。
安い物を売るのは、儲けが出ないばかりか、ブランドの
イメージを落とすので、そうしたメーカーにとっては何の
得も無いのだ。
これは、ニコンが銀塩コンパクト機に参入するのが極端に
遅かった(1983年より)事や、近年においては、ミラーレス
機市場への参入が、キヤノンと共に最も遅い部類であった
事も同様の理由である、つまり高価な一眼レフを売りたい
のに、コンパクト機や安価なミラーレス機を売っていたら、
お話にならないのだ・・
(あまり売りたく無い商品だから仕様も魅力的では無い。
私もニコンの1型ミラーレス機は1台も購入していない。
結局、現在ではニコンの1型ミラーレス機は絶滅して、
高付加価値型のZシリーズに戦略転換している)
なお、2010年代後半、デジタル一眼レフ市場が縮退し、
カメラ販売数が激減したが、ニコンは高付加価値化戦略を
さらに進めて、販売台数の減少を利益(率)でカバーし、
黒字転換した事もあった。(ただ、私の購買論理からすると
そういう風にメーカーが儲かる機種は、コスパが悪いので
買いたくは無いのだが・・)
---
さて「ブランデイング」の話だが、その後はPENTAXが追従、
しかし、PENTAXはこの時代、事業構造の大改革が行われ、
そのブランド銘の「*ist」での展開は、2003年まで
だいぶ遅れる(銀塩機PENTAX *ist、続くデジタル機*istD)
事となり、残念ながらユーザー層に注目される事は無かった。
![c0032138_13345198.jpg]()
ミノルタの話に戻るが、α-9,α-7,α-SweetⅡと、優れた
カメラが続けて発売された物の、エントリー層への普及効果は
少なく、初級中級層にもウケが悪い。結局、注目するのは
マニア層だけ、という状況になってしまっていた。
まあ、デジタルコンパクト機の販売は既に始まっていたが、
それもミノルタは他社に比べると、やや後発気味である。
(注:試作機RD-175(一眼レフ型)が1995年にあったが、
高価な上、一般的には全く知られていない機種だ)
事業構造の大規模な変革の必要性に迫られたのであろう。
このあたりで、コニカとの合併計画が水面下では進んでいた
と思われる。
ただ、「α-7」の存在が、ちょっと微妙な位置づけだ、
この超名機は、2000年のカメラ関連の賞を総なめとした。
マニア以外の層にも注目された久々のミノルタα機となったの
だが、これがコニカとの合併に影響があったのか否か?
ミノルタは単独でもやっていけるかも、と思いなおすべき
なのが?あるいは時すでに遅し・・であったのか。
はたまた、合併時の企業資産価値を判定する上で、α-7の
技術力と、その評価が合併条件にプラスに働いたのか?
それか、コニカとミノルタの合併は、カメラ部門だけを
見れば結構ショッキングだが、事務用機器や現像関連業務等、
カメラ以外の事業全般を総合的に見渡せば必然的であって、
たかがカメラの事など、どうでも良い状態であったのか?
そのあたりの詳細は良くわからない。まあ、当事者で無いと
真相は決してわからない事なのであろう・・
![c0032138_13360024.jpg]()
余談が長くなった。本機α-SweetⅡは本来与えられた指命で
あろう「新規カメラユーザー層の開拓」という方向性とは
少しずれてしまったカメラである。
この「カメラ混迷期」に、メーカーの価格別ラインナップは
崩れ、その結果、ミノルタαの低価格機帯を、ほぼこの
Sweet系シリーズのみで支える事となった。
現代のデジタル一眼での、例えばPENTAX KP(2017年、
デジタル一眼レフ・クラッシックス第22回)やK-70が、
クラスをはるかに超えた超高性能を与えられたように、
本機α-SweetⅡも高級機並みの高性能を詰め込まれた。
これらはユーザー側にとっては「福音」である、
「超お買い得」の高コスパのカメラが入手できるからだ。
前述の「高付加価値型商品」とは、まるで逆の状態である。
しかし、ビジネスの世界は、常に売り手と買い手の両者の
バランスのせめぎあいだ。
ユーザー側が、こんなに有利になっていると言う事は、
メーカー側にとっては、かなり厳しい状態だ。
この「出血大サービス」は、サービスで済んでいるうちは
良いのだが、メーカーにとって出血が酷くなってくると、
本当に破綻に繋がってしまう。
この数年後、「α」と言うカメラに、またしても大きな
波乱が訪れてしまう事は、この時点でのユーザー層は、
まだ誰も知らない・・
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このあたりでシミュレーター機を SONY α7に交替する。
ご存知のように、その後、αはSONYに譲渡されたのだ。
![c0032138_13362067.jpg]()
ここで本機MINOLTA α-SweetⅡの仕様について述べておこう。
オートフォーカス方式、35mm判フィルム使用AEカメラ
最高シャッター速度:1/4000秒
フラッシュ:内蔵(GN12)、シンクロ速度1/125秒 X接点
赤目軽減可、ワイヤレス制御可
ホットシュー:ペンタプリズム部に固定
ファインダー:固定式、スクリーン交換不可
倍率0.75倍 視野率90%
使用可能レンズ:ミノルタαマウント
絞り込みプビュー:有り
AF測距点数:7点(中央はクロスセンサー)
(シングル、ワイド、測距点選択可)
AFモード:動体予測可、ワンショット(S)、コンティニュアス(C)
自動切換え(A)、マニュアル(M)、合焦音ON/OFF可
露出制御:PSAM方式+プログラムシフト+絵文字モード
測光方式:14分割ハニカム、スポット
露出補正:±3EV,1/2段ステップ(±ボタン&ダイヤル操作)
AEロック:自動スポット変更とメーター差分表示
ファインダー内表示:フルスペック
M露出時は露出スケール可、スポット測光時は露出差分表示可
視度補正:無し(-1dpt固定)
アイスタート:可(グリップ&アイセンサー)
露出ブラケット:可(1/3,1/2,2/3,1段) 単写/連続切替可
ミラーアップ:不可
ドライブ:単写、連続、セルフタイマー10秒
連写速度:毎秒3コマ
多重露光:可
パノラマ撮影:可
日付写しこみ:可
電源:リチウム電池 CR2 2個使用
カスタムファンクション:有り(14項目)
フィルム感度調整:手動ISO6~6400、DXコード対応
本体重量:335g(電池除く)(恐らくAF一眼レフ最軽量)
発売時定価:67,000円(税抜き)
----
初級機とは思えない程の、驚くべきハイスペック機である。
他社機であれば「高級機」と言っても差し支えないであろう。
例えば、前回第26回記事の中高級機CANON EOS 7に劣っている
点は、連写速度が秒1コマ遅いのみで、他の仕様は全て同等
又は本機α-SweetⅡの勝利だ。
EOS 7もまた「スーパーサブ機」なのだが、本機はそれすらも
上回るという感じだ。
それでいて、重量も価格もEOS 7のおよそ3分の2だ。
こんなに「お買い得」なカメラはかつて存在していなかった。
まあもっとも、EOS 7は操作系に優れるという長所を持ち、
その点から考えると、本格的に写真を撮る上ではEOS 7が
使い易いかも知れない。
しかし、下位機種が上級機を喰う「下克上」も、ここまで
やると、やりすぎ感もあり、同時期のミノルタの旗艦α-9
ですら、カタログスペックだけ見れば最高シャッター速度
以外は本機α-SweetⅡの方が優れる点が大多数だ(汗)
が、勿論写真を撮る上ではα-9の方が・・ いや、もう
やめておこう、ともかく本機が凄いのは明らかな事実である。
なお、本機より少し後の時代のPENTAX *ist(2003年)や
CANON EOS Kiss 7(2004年)は、それぞれ銀塩一眼レフ
最終機であり、本機と同様の「スーパーサブ機」であると
思われるのだが、既にデジタル時代に入っていた為、
購入しておらず、その実用性能は残念ながらわからない。
![c0032138_13362064.jpg]()
ここで本機α-Sweet Ⅱの長所だが、
前述のように、通常では考えられない程の高性能を、
史上最軽量の小型ボディに詰め込んでいる事だ。
こうなると操作系が心配になってくるが・・
あまり役に立たないPSAMダイヤルやらを思い切って廃し、
必要な機能を呼び出して調整するFUNCTIONダイヤルを
装備した事で救われている(前述のPENTAX KPと類似)
![c0032138_13345137.jpg]()
前回EOS 7の操作系の階層構造の基本概念と似ているが、
本機の方が、慣れると、やや使い易い面もある。
また、名機α-7ともまったく異なる考え方であり、これは
本機ではα-7のように操作子を沢山配置するボディ面積の
余裕を持たなかったからであろう。
まあつまり、本機の操作系は及第点あるいは「良好」だ。
そして軽くて安価、という事は、機動力やハンドリングの
利点の他、壊しても惜しくない、という意味から、過酷な
環境での使用にも適する、というメリットに繋がる。
最軽量ボディに高級機並みのスペック。史上稀なコンセプト
の名機であり、まさしく「スーパーサブ機」である。
加えて、この時代のミノルタαレンズが全般的に、かなり
優秀な描写性能を持ち、かつ安価な事も長所にあげておこう。
他社システムと比較した場合にその利点は大きい。
![c0032138_13362002.jpg]()
さて、本機α-Sweet Ⅱの弱点であるが
最大の課題は「1ダイヤル操作系」である事だろう。
つまり、設定変更の為のダイヤルが1つしか無い為、
直接の露出補正が出来ない、とか各種設定操作がやや煩雑な
課題に繋がる。ただし、別の見方をすれば操作に迷いは無い、
なにせ廻すダイヤルは1つしか無いのだ、変えたい項目さえ
上手く呼び出してしまえば、いつも同じダイヤルで設定変更
できる。
それから、安価な機体である上に、各所のコストダウンが
目立つ。安っぽく、感触性能も高くなく、スクリーン等の
交換も出来ない。
しかし、もともと本機は(近々のデジタル時代を見据えた)
「使い捨て」の普及機というコンセプトである。
であれば、実用上では高級感や所有感は不要だし、ボロボロ
になるまで使い込んで、万が一壊れたら、また中古ででも
買い直しても値段は知れている。
カメラを複数台所有して、個々のカメラにそういう割り切り
や用途別での意味を持たせるのであれば、本機の存在意義は
極めて高い、そういう目的で私は本機を購入しているのだ。
その他の弱点は無い。「中央重点測光が無い」とか重箱の
隅をつつく事は出来るが、14分割ハニカムとスポット測光が
あれば十分すぎる程だ。
![c0032138_13345185.jpg]()
さて、最後に本機α-Sweet Ⅱの総合評価をしてみよう。
評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
-----
MINOLTA α-Sweet Ⅱ(2001年)
【基本・付加性能】★★★★★
【操作性・操作系】★★★★
【ファインダー 】★★☆
【感触性能全般 】★★☆
【質感・高級感 】★★
【マニアック度 】★★★★
【エンジョイ度 】★★★★☆
【購入時コスパ 】★★☆ (中古購入価格:32,000円)
【完成度(当時)】★★★★☆
【歴史的価値 】★★★☆
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】3.5点
本機が「名機」である事は明白なのに、事前に予想して
いた程には評価点は伸びなかった。
初級機というクラスを遥かに超越した高性能、高機能は
「基本・付加性能」での本シリーズ初の満点をマークした。
また、操作系は独特ではあるが、まあ使い易い方であろう。
そして抜群に軽い、恐らくは本機がAF一眼レフ最軽量機だ。
(この点において「歴史的価値」を少しだけ加点した)
これらの、軽くて高性能という特徴から、実際に撮影に
使った場合の「エンジョイ度」も極めて高い。
事実、本機購入後の2002~2008年あたりまでの期間で、
フィルム撮影をしていた際の、本機の使用頻度は最も高く、
他のカメラを主力とした場合でも、必ずと言って良い程、
本機をサブに持って行った。
小型の単焦点レンズでも着けておけば、軽量なので全く
負担にならない訳である。
元々がその使用法を意識して購入した機体であり、まさしく
「スーパーサブ機」とは本機の為にあるような言葉だ。
評価点があまり伸びなかったのは、まず発売後すぐの中古
購入で相場が高く、コスパ点がやや減点された事。そして
カメラとしての「作り」や「出来」に係わる部分が全て
平均値以下であったからであり、つまり「安っぽいカメラ」
な訳だ。
ただ、まあ、写真を撮るという実用上では、安っぽさは
あまり関係が無い、むしろ雨天等でも「壊れても良いから」
と平気で本機を外に持ち出して撮っていた事は、逆に思えば
大きなメリットであったのだろうと思う。
![c0032138_13362095.jpg]()
もし、現代において、本機を購入しようと思った場合は
相場は二束三文だ(3000円程度)高性能銀塩機を最も安価に
購入したい場合は、唯一と言って良い選択肢であろう。
注意する点は、似た名前の機種が色々ある事だ、具体的には
α-Sweet,α-Sweet S,α-Sweet ⅡLである、それらは本機
α-Sweet Ⅱほどの高性能機では無いので間違わないように。
ただ、本当にフィルム撮影をやりたいのであれば、加えて
ミノルタαを選択したいのであれば・・
(例えば、現代のSONY αのデジタル一眼レフを使用していて、
レンズの共通使用を重視する等=両者は互換性がある)
その場合、α-SweetⅡも決して悪い選択肢では無いが、
若干予算を追加して銀塩AF最強の名機α-7(中古1万円程度)
を入手した方が満足度が高い事であろう。
銀塩機α-7については、本シリーズ記事で追って紹介する。
次回記事は、引き続き第四世代の銀塩カメラを紹介する。
今回は第四世代(趣味の時代、世代定義は第1回記事参照)の
MINOLTA α-SweetⅡ(2001年)を紹介する。

(ミラーレス・マニアックス第62回等)
なお、紹介機の発売年と記事の順番が1年程微妙に前後する
場合があるが、同一メーカーの機種を続けて紹介しない為
であり、他意は無い。
本シリーズでは紹介銀塩機でのフィルム撮影は行わずに、
デジタルの実写シミュレーター機で代替する。
今回は、小型軽量のスーパーサブ機という類似点から、
APS-C機のSONY α65を使用するが、画角が狭くなるので、
記事後半ではフルサイズ機に変更しよう。

機能紹介写真を交えて記事を進める。

1990年代初頭にミノルタを襲った悲劇について記載した。
しかし、その不運な状況も1990年代後半には持ち直し、
基本に忠実で、写真を撮る為の性能に秀でたα-9(1998年)
を発売した。そのα-9の時代より後、ミノルタは極めて
優秀なAF一眼レフを続けざまに世に送り出してきている。
本機α-SweetⅡも、その内の1台である。
(この時代の開発陣が優秀であったのだろうと推測される)
まず最初に、α-9以降のMINOLTA銀塩α、および関連する
歴史を振り返ってみよう。
<1998年>
MINOLTA α-9 旗艦機(本シリーズ第23回記事)
MINOLTA α-Sweet 初級機(現在未所有)1/4000秒シャッター
<1999年>
MINOLTA α-9Ti 軽量なチタン外装版α-9、限定生産品
MINOLTA α-Sweet S 普及機(α-Sweetの廉価版)
COSINA フォクトレンダーブランドでBESSAシリーズ発売開始
NIKON D1 デジタル一眼レフ旗艦機
<2000年>
MINOLTA α-7 高級機(限定版に買い替えの為、現在未所有)
MINOLTA Dimage 7 28-200mm相当デジタルコンパクト機
NIKON S3 復刻版 MFレンジファインダー機
RICOH GR21 銀塩超広角高級コンパクト(別記事で紹介)
CONTAX N1 銀塩AF一眼新マウント(本シリーズ第24回)
CANON EOS D30 初のデジタル一眼実用機(デジタル一眼第23回)
CANON EOS-1V 銀塩AF一眼レフ旗艦(最終)機
<2001年>
MINOLTA α-SweetⅡ 本機
MINOLTA α-7 Limited 限定仕様のα-7(後日紹介予定)
NIKON FM3A 銀塩MF一眼レフ
RICOH GR1V 銀塩広角高級コンパクト
CONTAX T3 銀塩高級コンパクト(別記事で紹介)
CANON EOS-1D デジタル一眼レフ旗艦機
ここで本機α-SweetⅡの時代に到達した。

この時代は、銀塩AF一眼レフ、銀塩MF一眼レフ、銀塩レンジ機、
銀塩高級コンパクト、デジタル一眼レフ、デジタルコンパクト機
そして、この年表では紹介していないが、中判カメラや、
APS(IX240)フィルム使用カメラ、MINOX判、レンズ付きフィルム
インスタントカメラ、トイカメラ等・・ およそあらゆる時代の、
あらゆる種類のカメラが混在し、全て新発売された時期だ。
この時期になって、クラッシックな銀塩MF一眼やレンジ機が
新発売された理由だが、勿論1990年代後半の「第一次中古
カメラブーム」が元になっている。
それは一種の社会現象的フィーバーでもあり、一部には
投機的要素もあった為、「カメラのバブル期」と言っても
良いかも知れない。
で、そのカメラ・バブル期に新規企画開発された古今東西の
様々なタイプのカメラが、この時期に発売され始めた訳だ。
しかし、メインストリームの銀塩AF一眼レフを見ると、
(全てのメーカーのものを年表に記載している訳では無いが)
この時期の中高級機は完成度の高い実用的なカメラが多い。
また、初級(普及)一眼レフが各メーカーから沢山発売されて
いる。すなわち、デジタル一眼レフもこの時期から発売が
開始されている為、将来そちらへ誘導する(デジタル一眼に
買い換えて貰う)為に、枯れた技術(=作り慣れて低価格化
している)の銀塩一眼を安価に多数販売したかったのであろう。
で、その「エントリー一眼レフ」(=銀塩またはデジタルの
より高価な一眼レフ機や交換レンズ群の購入に誘導する為、
女性やファミリー層、シニアや学生等の新しいターゲット・
ユーザー層を開拓する目的で作られた一眼レフ。
自動化・単純化されていて誰にでも使え、かつ低価格である)
の話だが・・

組み合わせによる無味乾燥なものであった。
無味乾燥なだけならば良いが、型番から性能が類推できない。
例えば、ニコンF-601とF70、キヤノンEOS 10とEOS 100、
あるいは、ミノルタXD-sとX-500、これらの型番だけを見て
どこがどう違うのか、わかるだろうか?
当時でも、これを答えるのは一般ユーザー層では絶対不可能だ。
職業写真家・評論家・メーカー関係者・量販店販売員等の
職業系の人でもまず無理、彼らは深い知識や経験を持つが、
あくまで自身の仕事内容に関係している部分だけだ。
答えられる可能性があるのは、上級マニア(ヲタク)か
中古専門店のベテラン店主あたりしか無いのだが、それでも
何かで調べない限りは苦しいと思う、これをスラスラと言える
人は、世の中に数える程か、あるいは皆無(ゼロ人)であろう。
まあ、ともかく「型番」というのはわかりにくいのだ。
こんな状況であるので、カメラに縁遠い新規ユーザー層では
カメラ型番を聞いたところで、何の印象も持たない。
「ニコンからF5が出たぞ!」というニュースが流れれば
カメラをやってる人ならば、誰でも「お!凄いな!」となる
だろうが、カメラの事を全く知らなければ「F5? なにそれ?
昔に流行ったフィンガーファイブの事?」等となってしまう。
あるいは、この時代、少女マンガの「花より男子」が流行して
いて、そこでは「F4」という、イケメン&金持ち男子の4人
グループが登場していたので、「そこに1人追加されて「F5」に
なったのだろうか?」と世間では思うかも知れない。
だから、「エントリー一眼」で新規層を開拓する場合、
旧来のカメラの型番命名方式では無理なのだ。
最初にその事に気がついたのはキヤノンである。
EOSはその1987年の発売開始から、620,650,750,850,
630,1,10,700,1000,100,5・・等と、たとえ上級マニア
ですら、それらの機種毎の性能の差異が、さっぱり分からない
程に、複雑かつ法則性も無い型番で機種展開をしていた。
まあ、これを整理したかった事もあったのだとは思うが
新規ユーザー層開拓の為には「数字以外の覚えやすい名前」
を必要としたのであろう。
こうして生まれた名前が「EOS Kiss」(1993年)である。
わかりやすい命名法で女性やファミリー層(パパママ層)に
大ヒットした。「Kiss」の名称は、その後四半世紀を越えて
今なお、デジタル一眼レフやミラーレスのエントリー機に
付けられている。
なお、EOS Kiss系は、操作系・操作性の概念からすると、
決して初級者が使い易いカメラであるとは言えない。
しかしエントリー層は、元々他の一眼レフ等も使っては
いなかった訳だから、他機と比べてどうのこうの、という
評価を下す事は出来ない。
だから「なんとなく使いやすそう、お店の人もそう言ってた」
等の極めて曖昧な根拠、又は完全なる誤解(注:販売員の話を
鵜呑みにしてはならない、彼らは店側が売りたいカメラを
優先的に売るのだ)によって、その機種の購買に繋がった
のであろう。
でもまあ、ある意味「イメージ戦略の勝利」だろうと思う。
で「EOS Kiss」の成功を見て、他社も新規ターゲット層への
普及についての重要性を知る事となる。
しかし普及機(初級機)の開発は難しい。全くのビギナーが
何がわかっていて、何がわからないのか? その事自体が、
企画や開発側ではわからないのだ。
各メーカーは、だいぶ悩んだと思う。想像だが、連日のように
エントリー機についての企画会議が行われていたに違い無い。
でも実は、仕様とか、そのあたりは、あまり重要な事では
無かったのだ、今までのカメラの常識や用語や原理や使い方を
すべて新しくする事など、そもそも無理な話だ。
だから、そのあたりは、あまり新規ユーザー層を
「何もわからないから」と「下に」は見ずに、普通に
使い易いカメラを作れば良かっただけの話だ。
でも、ここで恐らくは丸々数年を費やしてしまったであろう。

やはり数字はまずい。何か、親しみがあり、かつ一発で覚えて
もらえる個性的又はインパクトのある名称を考えなければらない。
キヤノンはKissに引き続き、当時から普及が始まった
APS(IX240)フィルム使用カメラの分野で、「IXY」(イクシ)
(1996)のブランディング戦略(製品名でイメージを作り出す)
を実施、これも見事に成功させる(こちらの「IXY」も、現代に
至るまで、デジタルコンパクト機の名称で使われている)
遅ればせながら、この戦略に追従したのが、ミノルタだ。
本機α-SweetⅡの前機種、α-Sweet(1998年)がその走りだ、
だが、α-9の記事でも書いた通り、この時代直前までの
ミノルタ一眼レフは様々な不運で、市場から見放されていた。
α-Sweetは高性能で、悪いカメラでは無かったが、残念ながら
殆ど注目されなかった。その後に発売されたα-9、そして
α-7が、その高性能で注目されてから、ようやく次機種の
α-SweetⅡも一般カメラユーザーの目に止まるように
なったのだ。
しかしエントリーユーザーを引き込む目的は達成できたのか?
それは疑問だ、そもそもミノルタのカメラは、この20年位前の
1980年の宮崎美子さん(現:女優)のCMで有名な「X-7」と、
「αショック」の1985年の「α-7000」位が世間一般に
知られていたに過ぎない、
しかも世間では、それらのカメラ型番を言える人は皆無だ。
「宮崎美子のカメラを下さい」と、皆は買っていた事であろう。
それ以降の時代は、ネガティブなニュースばかりであり、
世間はミノルタを知ってはいても、Sweet(Ⅱ)を指名買い
する人は居ない。
まあ、作る側もそれは承知であろう、だから、SweetⅡには
初級機と言う見掛けからは考えられない程の高性能・高機能
を詰め込んだ極めて稀な立ち位置のカメラとなった訳だ。
「もしも、ユーザーが他社の普及機と、この機種とを比較した
ならば、その圧倒的な性能差に、きっと驚く事であろう・・」
という、ちょっと受身な企画戦略であったのかも知れない。

NIKON u(2001年)である。私はこのクラスでは「u2」を
所有していたが、これも悪いカメラでは無い。
しかし、このシリーズは商業的には失敗したように思える。
まあ、もう銀塩末期であったので、単純に「出遅れた」ので
あろう。
旧来から「ニコンは初級機を作るのが下手」と巷では言われて
いた。しかし、私から言うと、それはちょっと違うと思う。
基本的にニコンは「高付加価値」戦略を取っている。
この手法を簡単に言えば「ブランドの知名度に物を言わせ、
高性能な機種を、高価格で販売し、高い利益を得る」
と言う意味である。
こう書くと、なんだか悪どいやり方に見えるが、そうでは無い
これは、例えば海外製の服飾ブランド(服やバッグ等)や
精密工芸製品(時計や万年筆等)では、こく当たり前に
行われている販売戦略だ。で、カメラは元々精密工業製品
だったのだ(ライカ、コンタックス、ハッセル、ローライ等)
しかし、その後の時代のカメラは、電化製品(AE/AF)や
デジタル電子機器となった事に、技術分野の変化に無頓着な
ユーザー層は、まるで気がついていない。
だから未だに「カメラは精密工業製品だ」と思い込んでいて
はるか昔のブランド銘をありがたがる訳だ。
話がそれた・・ ニコンはつまり高級品メーカーであるから、
安いカメラを作って、それが売れたら、本来儲けを出すべき
高級カメラが売れなくなる。だから、初級機にあまり力を
入れるのは、メーカーの戦略上は矛盾して、まずい事になる。
よって「初級機を作るのが下手」では無い、
「ニコンは初級機は売りたくない」が正解だ。
この事は、他の服飾ブランドや精密工芸製品に、安価な商品が
1つも無い事からも容易に理解する事ができるであろう。
安い物を売るのは、儲けが出ないばかりか、ブランドの
イメージを落とすので、そうしたメーカーにとっては何の
得も無いのだ。
これは、ニコンが銀塩コンパクト機に参入するのが極端に
遅かった(1983年より)事や、近年においては、ミラーレス
機市場への参入が、キヤノンと共に最も遅い部類であった
事も同様の理由である、つまり高価な一眼レフを売りたい
のに、コンパクト機や安価なミラーレス機を売っていたら、
お話にならないのだ・・
(あまり売りたく無い商品だから仕様も魅力的では無い。
私もニコンの1型ミラーレス機は1台も購入していない。
結局、現在ではニコンの1型ミラーレス機は絶滅して、
高付加価値型のZシリーズに戦略転換している)
なお、2010年代後半、デジタル一眼レフ市場が縮退し、
カメラ販売数が激減したが、ニコンは高付加価値化戦略を
さらに進めて、販売台数の減少を利益(率)でカバーし、
黒字転換した事もあった。(ただ、私の購買論理からすると
そういう風にメーカーが儲かる機種は、コスパが悪いので
買いたくは無いのだが・・)
---
さて「ブランデイング」の話だが、その後はPENTAXが追従、
しかし、PENTAXはこの時代、事業構造の大改革が行われ、
そのブランド銘の「*ist」での展開は、2003年まで
だいぶ遅れる(銀塩機PENTAX *ist、続くデジタル機*istD)
事となり、残念ながらユーザー層に注目される事は無かった。

カメラが続けて発売された物の、エントリー層への普及効果は
少なく、初級中級層にもウケが悪い。結局、注目するのは
マニア層だけ、という状況になってしまっていた。
まあ、デジタルコンパクト機の販売は既に始まっていたが、
それもミノルタは他社に比べると、やや後発気味である。
(注:試作機RD-175(一眼レフ型)が1995年にあったが、
高価な上、一般的には全く知られていない機種だ)
事業構造の大規模な変革の必要性に迫られたのであろう。
このあたりで、コニカとの合併計画が水面下では進んでいた
と思われる。
ただ、「α-7」の存在が、ちょっと微妙な位置づけだ、
この超名機は、2000年のカメラ関連の賞を総なめとした。
マニア以外の層にも注目された久々のミノルタα機となったの
だが、これがコニカとの合併に影響があったのか否か?
ミノルタは単独でもやっていけるかも、と思いなおすべき
なのが?あるいは時すでに遅し・・であったのか。
はたまた、合併時の企業資産価値を判定する上で、α-7の
技術力と、その評価が合併条件にプラスに働いたのか?
それか、コニカとミノルタの合併は、カメラ部門だけを
見れば結構ショッキングだが、事務用機器や現像関連業務等、
カメラ以外の事業全般を総合的に見渡せば必然的であって、
たかがカメラの事など、どうでも良い状態であったのか?
そのあたりの詳細は良くわからない。まあ、当事者で無いと
真相は決してわからない事なのであろう・・

あろう「新規カメラユーザー層の開拓」という方向性とは
少しずれてしまったカメラである。
この「カメラ混迷期」に、メーカーの価格別ラインナップは
崩れ、その結果、ミノルタαの低価格機帯を、ほぼこの
Sweet系シリーズのみで支える事となった。
現代のデジタル一眼での、例えばPENTAX KP(2017年、
デジタル一眼レフ・クラッシックス第22回)やK-70が、
クラスをはるかに超えた超高性能を与えられたように、
本機α-SweetⅡも高級機並みの高性能を詰め込まれた。
これらはユーザー側にとっては「福音」である、
「超お買い得」の高コスパのカメラが入手できるからだ。
前述の「高付加価値型商品」とは、まるで逆の状態である。
しかし、ビジネスの世界は、常に売り手と買い手の両者の
バランスのせめぎあいだ。
ユーザー側が、こんなに有利になっていると言う事は、
メーカー側にとっては、かなり厳しい状態だ。
この「出血大サービス」は、サービスで済んでいるうちは
良いのだが、メーカーにとって出血が酷くなってくると、
本当に破綻に繋がってしまう。
この数年後、「α」と言うカメラに、またしても大きな
波乱が訪れてしまう事は、この時点でのユーザー層は、
まだ誰も知らない・・

ご存知のように、その後、αはSONYに譲渡されたのだ。

オートフォーカス方式、35mm判フィルム使用AEカメラ
最高シャッター速度:1/4000秒
フラッシュ:内蔵(GN12)、シンクロ速度1/125秒 X接点
赤目軽減可、ワイヤレス制御可
ホットシュー:ペンタプリズム部に固定
ファインダー:固定式、スクリーン交換不可
倍率0.75倍 視野率90%
使用可能レンズ:ミノルタαマウント
絞り込みプビュー:有り
AF測距点数:7点(中央はクロスセンサー)
(シングル、ワイド、測距点選択可)
AFモード:動体予測可、ワンショット(S)、コンティニュアス(C)
自動切換え(A)、マニュアル(M)、合焦音ON/OFF可
露出制御:PSAM方式+プログラムシフト+絵文字モード
測光方式:14分割ハニカム、スポット
露出補正:±3EV,1/2段ステップ(±ボタン&ダイヤル操作)
AEロック:自動スポット変更とメーター差分表示
ファインダー内表示:フルスペック
M露出時は露出スケール可、スポット測光時は露出差分表示可
視度補正:無し(-1dpt固定)
アイスタート:可(グリップ&アイセンサー)
露出ブラケット:可(1/3,1/2,2/3,1段) 単写/連続切替可
ミラーアップ:不可
ドライブ:単写、連続、セルフタイマー10秒
連写速度:毎秒3コマ
多重露光:可
パノラマ撮影:可
日付写しこみ:可
電源:リチウム電池 CR2 2個使用
カスタムファンクション:有り(14項目)
フィルム感度調整:手動ISO6~6400、DXコード対応
本体重量:335g(電池除く)(恐らくAF一眼レフ最軽量)
発売時定価:67,000円(税抜き)
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初級機とは思えない程の、驚くべきハイスペック機である。
他社機であれば「高級機」と言っても差し支えないであろう。
例えば、前回第26回記事の中高級機CANON EOS 7に劣っている
点は、連写速度が秒1コマ遅いのみで、他の仕様は全て同等
又は本機α-SweetⅡの勝利だ。
EOS 7もまた「スーパーサブ機」なのだが、本機はそれすらも
上回るという感じだ。
それでいて、重量も価格もEOS 7のおよそ3分の2だ。
こんなに「お買い得」なカメラはかつて存在していなかった。
まあもっとも、EOS 7は操作系に優れるという長所を持ち、
その点から考えると、本格的に写真を撮る上ではEOS 7が
使い易いかも知れない。
しかし、下位機種が上級機を喰う「下克上」も、ここまで
やると、やりすぎ感もあり、同時期のミノルタの旗艦α-9
ですら、カタログスペックだけ見れば最高シャッター速度
以外は本機α-SweetⅡの方が優れる点が大多数だ(汗)
が、勿論写真を撮る上ではα-9の方が・・ いや、もう
やめておこう、ともかく本機が凄いのは明らかな事実である。
なお、本機より少し後の時代のPENTAX *ist(2003年)や
CANON EOS Kiss 7(2004年)は、それぞれ銀塩一眼レフ
最終機であり、本機と同様の「スーパーサブ機」であると
思われるのだが、既にデジタル時代に入っていた為、
購入しておらず、その実用性能は残念ながらわからない。

前述のように、通常では考えられない程の高性能を、
史上最軽量の小型ボディに詰め込んでいる事だ。
こうなると操作系が心配になってくるが・・
あまり役に立たないPSAMダイヤルやらを思い切って廃し、
必要な機能を呼び出して調整するFUNCTIONダイヤルを
装備した事で救われている(前述のPENTAX KPと類似)

本機の方が、慣れると、やや使い易い面もある。
また、名機α-7ともまったく異なる考え方であり、これは
本機ではα-7のように操作子を沢山配置するボディ面積の
余裕を持たなかったからであろう。
まあつまり、本機の操作系は及第点あるいは「良好」だ。
そして軽くて安価、という事は、機動力やハンドリングの
利点の他、壊しても惜しくない、という意味から、過酷な
環境での使用にも適する、というメリットに繋がる。
最軽量ボディに高級機並みのスペック。史上稀なコンセプト
の名機であり、まさしく「スーパーサブ機」である。
加えて、この時代のミノルタαレンズが全般的に、かなり
優秀な描写性能を持ち、かつ安価な事も長所にあげておこう。
他社システムと比較した場合にその利点は大きい。

最大の課題は「1ダイヤル操作系」である事だろう。
つまり、設定変更の為のダイヤルが1つしか無い為、
直接の露出補正が出来ない、とか各種設定操作がやや煩雑な
課題に繋がる。ただし、別の見方をすれば操作に迷いは無い、
なにせ廻すダイヤルは1つしか無いのだ、変えたい項目さえ
上手く呼び出してしまえば、いつも同じダイヤルで設定変更
できる。
それから、安価な機体である上に、各所のコストダウンが
目立つ。安っぽく、感触性能も高くなく、スクリーン等の
交換も出来ない。
しかし、もともと本機は(近々のデジタル時代を見据えた)
「使い捨て」の普及機というコンセプトである。
であれば、実用上では高級感や所有感は不要だし、ボロボロ
になるまで使い込んで、万が一壊れたら、また中古ででも
買い直しても値段は知れている。
カメラを複数台所有して、個々のカメラにそういう割り切り
や用途別での意味を持たせるのであれば、本機の存在意義は
極めて高い、そういう目的で私は本機を購入しているのだ。
その他の弱点は無い。「中央重点測光が無い」とか重箱の
隅をつつく事は出来るが、14分割ハニカムとスポット測光が
あれば十分すぎる程だ。

評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
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MINOLTA α-Sweet Ⅱ(2001年)
【基本・付加性能】★★★★★
【操作性・操作系】★★★★
【ファインダー 】★★☆
【感触性能全般 】★★☆
【質感・高級感 】★★
【マニアック度 】★★★★
【エンジョイ度 】★★★★☆
【購入時コスパ 】★★☆ (中古購入価格:32,000円)
【完成度(当時)】★★★★☆
【歴史的価値 】★★★☆
★は1点、☆は0.5点 5点満点
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【総合点(平均)】3.5点
本機が「名機」である事は明白なのに、事前に予想して
いた程には評価点は伸びなかった。
初級機というクラスを遥かに超越した高性能、高機能は
「基本・付加性能」での本シリーズ初の満点をマークした。
また、操作系は独特ではあるが、まあ使い易い方であろう。
そして抜群に軽い、恐らくは本機がAF一眼レフ最軽量機だ。
(この点において「歴史的価値」を少しだけ加点した)
これらの、軽くて高性能という特徴から、実際に撮影に
使った場合の「エンジョイ度」も極めて高い。
事実、本機購入後の2002~2008年あたりまでの期間で、
フィルム撮影をしていた際の、本機の使用頻度は最も高く、
他のカメラを主力とした場合でも、必ずと言って良い程、
本機をサブに持って行った。
小型の単焦点レンズでも着けておけば、軽量なので全く
負担にならない訳である。
元々がその使用法を意識して購入した機体であり、まさしく
「スーパーサブ機」とは本機の為にあるような言葉だ。
評価点があまり伸びなかったのは、まず発売後すぐの中古
購入で相場が高く、コスパ点がやや減点された事。そして
カメラとしての「作り」や「出来」に係わる部分が全て
平均値以下であったからであり、つまり「安っぽいカメラ」
な訳だ。
ただ、まあ、写真を撮るという実用上では、安っぽさは
あまり関係が無い、むしろ雨天等でも「壊れても良いから」
と平気で本機を外に持ち出して撮っていた事は、逆に思えば
大きなメリットであったのだろうと思う。

相場は二束三文だ(3000円程度)高性能銀塩機を最も安価に
購入したい場合は、唯一と言って良い選択肢であろう。
注意する点は、似た名前の機種が色々ある事だ、具体的には
α-Sweet,α-Sweet S,α-Sweet ⅡLである、それらは本機
α-Sweet Ⅱほどの高性能機では無いので間違わないように。
ただ、本当にフィルム撮影をやりたいのであれば、加えて
ミノルタαを選択したいのであれば・・
(例えば、現代のSONY αのデジタル一眼レフを使用していて、
レンズの共通使用を重視する等=両者は互換性がある)
その場合、α-SweetⅡも決して悪い選択肢では無いが、
若干予算を追加して銀塩AF最強の名機α-7(中古1万円程度)
を入手した方が満足度が高い事であろう。
銀塩機α-7については、本シリーズ記事で追って紹介する。
次回記事は、引き続き第四世代の銀塩カメラを紹介する。