所有している銀塩一眼レフの名機を紹介するシリーズ記事。
今回は第三世代(AFの時代、世代定義は第1回記事参照)の
MINOLTA α-9(1998年)を紹介する。
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装着レンズは、MINOLTA STF 135mm/f2.8[T4.5]
(ミラーレス・マニアックス第17回、ハイコスパ第17回
特殊レンズ「アポダイゼーション・グランドスラム」記事等)
本シリーズでは紹介銀塩機でのフィルム撮影は行わずに、
デジタルの実写シミュレーター機で代替する。
今回は、SONY α7を使用する。
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以降はシミュレーターでの撮影写真と、本機α-9の機能紹介
写真を交えて記事を進める。
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さて、まずは最初に機種名だが、ミノルタ時代のαの場合は、
機種名にハイフンが入り、SONY時代では入らない。
本機はミノルタ製銀塩AF一眼レフα-9である。
SONY製フルサイズ・ミラーレス機α9では無いので念の為。
ところで、本シリーズ記事では、MINOLTAのAF一眼レフ、
つまり「α」は、初登場である。
私は各社の一眼レフは、だいたいその時代(数年~十年間)
を代表する機体を残しているケースが多いのだが、αに
ついてはちょっと時間が空いてしまった。
私は、この以前のαとしてはα-9000(1985年)を銀塩時代に
愛用していた。
この機種は、唯一の手巻きAF機という個性的な最上位機であり、
この一台があれば初期αとしては十分、という考え方であった。
しかし、2000年あたりから上部液晶パネルの劣化が酷くなり、
ついには使用が難しくなった為、やむなく廃棄してしまって
いたのだ。
その後の時代(1986~1997年)のαは、正直言うとあまり
興味が持てなかった、そのあたりは理由があるのだが、
そこは後述して行こう。
なので、いきなり時代がポンと飛んで、α-9の登場である。
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ミノルタの旗艦(フラッグシップ)機と呼べるものは、
1973年のMF一眼レフ「X-1」(本シリーズ第4回記事)以降、
長らく登場せず、MF機の旗艦は結局X-1で終わりとなる。
(試作機X-9/X-900? は発売されなかった。AF化開発を
優先したのであろう)
AF時代となり、α最上位機を9番機とするルールが確立され、
上記α-9000(1985年)が、最初のα旗艦機である。
確かに高性能ではあるが、まあちょっと雰囲気的には旗艦と
言うほどの迫力は無い。
続くは1992年のα-9xiが、αの二代目の旗艦機なのだが、
でも、このカメラも、なんとなく雰囲気が微妙だ(後述)
やはり本機α-9が、本来の旗艦機としての立場にふさわしい
カメラであろう。
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ではここで、MINOLTA 銀塩αの歴史を振り返ってみよう。
なお、機種が多いので代表的なカメラのみに絞る事とする。
<1985年>
MINOLTA α-7000 世界初の実用的AF一眼レフ
MINOLTA α-9000 高級機、唯一の手巻き式AF一眼(現在未所有)
この年は、いわゆる「αショック」である。
ミノルタが他社に先駆けて実用的AF一眼レフを発売した事は
社会現象ともなり、一眼レフの販売シェアも大きく伸ばした。
他社はいっせいに「αに追従しよう」とAF化戦略に転換したが
数年間はαの独壇場という雰囲気もあったと思う。
この間ミノルタは「AF化で大きくカメラが発達したのであれば、
さらに自動化を進めたら良い事であろう」という戦略を進める
事となる、まあ勿論、悪い発想では無い。
おしりもバブル期前夜のこの時代、世の中に少しづつであるが
「イケイケ・ドンドン」のムードが漂っていた。
この後、ミノルタは時代の波に翻弄される事となる・・
<1988年>
MINOLTA α-7700i
高級機。三点測距、動体予測、6分割測光、カードによる機能
追加システム等、引き続き他社を圧倒する高機能カメラだ。
前のαからはおよそ3年が過ぎてはいるが、逆に言えば、
α-7000等だけで、その間を持たせていた事になる。
他社のAF化追従も、もうこのころには、チラホラとAF機が
発売され始めていたのだが、まだまだ余裕を感じる。
時代はすでにバブル期に突入。ユーザーのニーズも、ともかく
「凄いもの」(高性能や高機能なカメラ)を欲していた時代
でもあった。
<1989年>
MINOLTA α-5700i 中級機、内蔵フラッシュを初搭載
この年、昭和天皇崩御、時代は平成に変わる。
また、消費税(3%)が導入された年でもあったが、消費の縮退
をバブル景気が上回ったように思える。この年の末には株価は
史上最高額(約4万円)を記録した。
<1990年>
MINOLTA α-8700i
高級機、1/8000秒シャッターを初搭載。
分割、中央重点、スポットからなる測光システム、
カードシステムも引き続き搭載。
加えて、αがソ連の宇宙ステーションで使われた事を記念した
MINOLTA α-8700 ミール仕様
が白塗装という珍しい外装で発売(マニア受けはしていた)
バブル経済もピークであり、まさしく「イケイケムード」だ。
<1991年>
MINOLTA α-7xi
高級機。極端に自動化を進めた「xiシリーズ」の初号機だ。
グリップを握り、ファインダーを覗いただけでAFがスタート、
自動ポップアップ型フラッシュ、そして極め付きは、
電動ズームが被写体の距離を検知し、自動的に半身構図に
なるように、ズーム画角を調整してくれる。
私は、この機種そのものは所有していなかったが、同様の自動
ズーム機能を備えるコンパクト機「ミノルタ APEX 90」を
所有していた。オートズームは極めて「おせっかい」と言える
機能であり、そのモードにおいては撮りたい画角にすらならない。
そのカメラを短期間で処分した事は言うまでもないが、勿論、
私のみならず、多くのユーザー層にも不評のカメラであった。
(ただし、それまでのビギナー層の人物撮影では「全身を入れる」
事が普通であったのが、「人物撮影は半身像が基本」という
概念を一般層に伝える意味では役に立ったかも知れない)
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<1992年>
MINOLTA α-9xi
最高級機、1/12000秒シャッター初搭載(世界記録)
不評であった xiシリーズだが、3xiや5xiなど、いくつかの
派生機でラインナップは構成されていた。
自動化が行き着くところまで行ってしまったのが、α-9xi
なのかも知れないが、まあ、バブル期の真っ最中に企画された
カメラであっただろうから、もう途中で止めるわけにもいかない。
同機の発売の1992年には、「バブル崩壊」が起こり、どうにも
ミノルタにとっては、タイミングが悪かった。
さらにここで大きな事件が起きる。
それは通称「ハネウェル訴訟」と呼ばれる特許侵害の訴訟の
判決が出たのである。
ここの詳細はあまり書きたく無い、なんだかドロドロとした
話だからだ。カメラファンが内容を知っても、あまり気分が
良いものでも無い。
で、結果から言うと、この年1992年に、ミノルタは敗訴、
(というか和解)し、ハネウェル社に当時のレートで、およそ
165億円を支払う事になった。
おまけに、「ハネウェル訴訟」で、ミノルタが負けた事は
当時の新聞やTVでも、勿論大きく報道されている。
一般市民は「特許訴訟」なるものに勿論あまり詳しくなく、
また海外(特に米国)等における「訴訟文化」の事も知らない。
報道だけ見れば、まるでミノルタが「人真似」をしたか「技術を
盗んできた悪者」のように思われてしまったかも知れない。
(それと、あまり知られていないが他の殆どの国内カメラメーカー
もハネウェル社にAF特許使用の賠償金を支払っている)
そうであれば不運な話である、技術開発などは、ある時期では
どこでも同じように進展するのだ。その権利を保証してくれるのは
「特許」と言う紙に書かれた、「請求項」というほんの短い文章
でしかない、そのわずかな文字列で、誰に権利がある技術であるか
が判断されてしまうのだ・・
それに、ハネウェル特許はあまりに基本的なもので、日本では
成立していなかったとも聞く(よって、この賠償金の金額は
米国での売り上げに係わる部分だけだ)
まあつまり、この特許訴訟は、国内メーカーが無防備なところに、
いきなり米国から不意打ちを食らったようなものだ。
---
さて、特許訴訟の件は、あまり気分の良い話でも無いので、
このあたりまでにしておこう。
この頃、世の中ではバブルが弾けて、「α-9xi」は、その
高性能を市場にアピールする事ができなかった。
で、結局のところ、「xiシリーズ」は実質的に失敗し、
ミノルタは商業的にも、ブランドイメージ的にも大きな
ダメージを受けた。
ミノルタにとっては、ふんだり蹴ったりの年である。
後年の「第一次中古カメラブーム」の際にも、マニア層は、
この時代のミノルタに何があったか詳しくは知らないまでも
「α-9xiを買うのはやめておけ」と、まるで腫れ物にでも
触るように、あるいは、「呪いのカメラ」でもあったかの
ように扱われていた。
もし、ほんの数年、タイミングが早かったならば・・
例えば、α-7000が市場で、あそこまで大きく注目されずに
ミノルタが早め早めに後継機の開発を進めていれば、α-9xi
は、もう2年ほど早く発売され、バブル景気に乗って大ヒット
したのかも知れないのだ。つくづくタイミングの悪い話だ。
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<1993年>
MINOLTA α-707si
高級機。行き過ぎた自動化を廃し、使いやすさ、すなわち
操作性をコンセプトとしたモデル。
この機種は所有していなかったので、あまり詳しい内容を
知らずに褒める事はできないが、ミノルタでは旧来から
革新的で記念碑的なモデルに「7番」の機種名を与える事
が通例であった。私は、概ねミノルタαの歴史を書く際に
α-7000(1985年),α-7(2000年)の2つだけを「7番機」の
代表的機種として取り上げ、その間のαは、ばっさりと省略する
事が多かったのだが、こうしてαの歴史を良く見ていくと、
α-7700i(1988),α-7xi(1991),α-707si(1993)も
それなりに頑張った、新コンセプトのカメラであったと思う。
それと、「α-xiシリーズ」が不評であった事から、そして
様々な「ふんだり蹴ったり」の状態から、立ち上がる回復が
極めて速かった事も、特筆すべきであろうか・・
まあ、カメラの開発は普通は数年かかってしまう、であれば
「xiシリーズ」は、発売前から、もう時代に合わない事は
予想できていたのかも知れない。けど、開発を止める事は
勿論出来ず、惰性で発売してしまったのだろう・・
ただ、この後、やはり新機種の開発は若干スローペースに
なっている。
1994年では、普及機α-303siのみの発売に留まっている。
<1995年>
1月、「阪神淡路大震災」
この痛ましい大災害は、まさしく大事件であったのだが。
この事が消費者心理に与えた影響も大きい。
カメラあるいは他の製品でも、この年の新発売を控えた例もある。
ミノルタは、この年、ひっそりと3機種を発売している。
MINOLTA α-507si 中級機(現在未所有)
MINOLTA α-303siスーパー 初級機α-303siの小改良版
MINOLTA α-101si 低価格帯の普及機
この中で注目するのは「α-507si」であろう。
操作子毎に機能を固定した仕様は、初歩的だが「操作系」の
考え方を実現していた、ほぼ初めての機種。
ただ、ここもタイミングが悪い、大震災の直後であれば、
誰もが、気分的にも新しいカメラを買うとか、それどころでは
無かったように思う。
私は後年にそれを入手し、短期間だけ使っていた、なかなか良い
カメラだと思った。が、知人が「カメラが欲しい」とのことで
譲渡してしまっていた。
後年、1990年代後半の中古カメラブームや2000年代前半の
女子カメラブームの際には、「α-507si」は、不人気で
かなり安価な中古相場で取引されていた。2000年代に
なって女性の初級者が「カメラを始めたい」等と言った際には
「では、α-507siはどうですか? 安くて使い易いです」と、
勧めた事もあった。
![c0032138_15185648.jpg]()
<1997年>
MINOLTA α-807si 高級機、α-707si(1993)の改良版
また少しだけ時代が飛んだ。
カメラ市場では中古ブームがスタート、つまりはこの時代の
新鋭AF機には、もうマニア層は注目していなかったのだ。
この機種を持って「siシリーズ」も終了。後から考えると
もっと評価されてもよかった機種もありそうな物だが、
「xiシリーズ」の失敗などの印象も強く、損をしている。
つくつくミノルタにとっては、タイミングが悪い時代で
あったのだろう。
この時代における「足踏み」が、数年後にミノルタをさらに
歴史の荒波の中に送り出す事になっていく・・
それと、この時期、もう1つの大きな時代の流れが迫って
きていた。それは「コンパクト・デジタルカメラ」である。
既に1995年には、カシオより「QV-10」が発売されていて、
社会現象ともなり、他社もその流れに追従していく。
ミノルタにおいても、この年1997年に「Dimage V」を
一般向けに発売開始している。
(注:試作機的なMINOLTA RD-175は1995年に発売されている)
デジタルカメラのその後の進歩については、話を始めると
きりが無いので本記事では割愛するが、まあ、また機会が
あれば・・
<1998年>
MINOLTA α-Sweet 初級機
MINOLTA α-9 最上位機
歴史の話が極めて長くなったが、ここでやっと本機α-9の
時代に到達した。
![c0032138_15175156.jpg]()
α-9は、これまで低迷していたαの印象をがらりと変える
機体であった、ただし、突出したスペックは持たず、
例えば、AFは最上位機らしくなく、僅かに3点測距でしか無い。
同時代の、例えばNIKON F5(本シリーズ第19回記事)の
5点測距+高速連写とか、CANON EOS-3(1998年、未所有)の
45点測距などの派手なスペックと比べると大きく見劣りする。
それに、当時のマニア層はもとより、一般カメラユーザー
ですらも、この頃はカメラの事をよく勉強していた。
何故ならば、この時代、中古カメラブームが起こった事で
多数の雑誌等が刊行され、ユーザー側に大量の情報が入って
いたからである。また、インターネットも旧来の「パソコン
通信」と置き換わるように、この時代から普及しつつあった。
マニアの間では、「αは買うな」といったような、暗黙の
合言葉があった模様であり(まあ前述のような歴史背景だ)
結局、α-9に至るまでの間に、影でαがどれだけ「操作系」や
「AF精度」等の、スペック的には目に見えにくい点で進化
していたかは、ぽっかりと見落とされていたかも知れない。
私も同様だ、α-9000を使ってはいたが、それ以降のαには
全く興味が持てなかった。α-9が出たと聞いても、25万円も
する高価なカメラが故に、「ふ~ん」と、自分とは関係ない
話だと思っていた。
![c0032138_15175003.jpg]()
しかし1999年頃の、ある時、中古カメラ店で店主から
店「α-9が入ったよ、展示品だったので安くしておくよ」
と見せられ、それを触ってみて、まさしく仰天した。
匠「なんじゃこりゃ~!? 凄いカメラじゃあないか!!」
私は、即決でα-9を購入決定、銀行のATMコーナーに走った。
大枚16万円は、かなり痛かったが、まあやむを得ない、
もしこれを逃したら、次の機会はいつになるかわからない。
こういう即断は中古買いの鉄則だ。
現代のように、新品カメラは量販店の店頭や通販でいつでも
買えるから、お金が溜まった頃に買う、そして価格も段々と
落ちてくるので、買い頃になったら買う、といった訳には
中古買いでは行かないのだ。
α-9の何が凄かったか?と言えば、カタログの性能表には
全く記載されていない部分の全てが一級品であったのだ。
私も一応、新機種のスペックくらいはチェックしてあったので、
匠「3点測距?ふ~ん、少ないな。秒5.5コマの連写?ふ~ん、
10年前のEOS-1HSと同じだね」くらいの調子でしか、
本機α-9の事を評価していなかったのだ。
それまで、カタログ上に現れない性能など、ある筈も無いと
思っていたが、それは大きな間違いであった。
これはある意味、大きなカルチャーショック、いや、もう少し
格好良い言葉を使えば「パラダイム・シフト」だ。
(=今まで当然の事だと考えていた価値観が劇的に変化する事)
何が凄かったのか?そのあたりの詳細は、後述していくとしよう。
![c0032138_15185615.jpg]()
ここで、本機MINOLTA α-9の仕様について述べておこう。
オートフォーカス方式、35mm判フィルム使用AEカメラ
最高シャッター速度:1/12000秒(世界最速)
フラッシュ:内蔵、シンクロ速度1/300秒 X接点
ホットシュー:ペンタプリズム部に固定
ファインダー:固定式、スクリーン交換可能(MF用2タイプ)
倍率0.73倍 視野率100%
使用可能レンズ:ミノルタαマウント
絞り込みプビュー:有り
AF測距点数:3点(中央は強力なクロスセンサー)
AFモード:ワンショット(S)、コンティニュアス(C)、
自動切換え(A)、マニュアル(M)
露出制御:PSAM方式
測光方式:14分割ハニカム、中央重点、スポット
露出補正:±2EV,1/3段ステップ
AEロック:可(自動スポット変更とメーター差分表示)
ファインダー内表示:フルスペック
視度補正:専用ダイヤルで可
露出ブラケット:可(コマ毎、連続)
ミラーアップ:可
ドライブ:単写、高速、低速、セルフタイマー10秒
連写速度:高速時 秒5.5コマ(AF追従秒4.5コマ)
低速時 秒2コマ
多重露光:可
電源:リチウム電池 CR123A 2個使用
カスタムファンクション:有り
フィルム感度調整:手動ISO6~6400、DXコード対応
データバック:装着可
本体重量:945g(電池除く)
発売時定価:250,000円(税抜き)
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カタログスペックだけでは、この時代の標準的な一眼レフだ。
それでいて25万円は高すぎるように一見思えるが・・
![c0032138_15180869.jpg]()
このあたりで、シミュレーター機をSONY α65(APS-C機)
に交換しよう。
![c0032138_15190941.jpg]()
さて、ここで本機α-9の長所だが、
・・沢山ある、そしてこれらが殆ど数値(カタログ)スペック
からは読み取れないのだ。
![c0032138_15180884.jpg]()
まずはファインダーが凄い。視野率100%とかの数値はどうでも
良く、実際にMFでも素晴らしくピントが合わせやすいのだ。
特に私のα-9は、サービスセンターのみで交換可能な
M2型(MⅡ型)スクリーンに換装してあり、これは若干暗く
なるので開放F2.8未満のレンズ推奨だが、これをつけると
まさしく最強、AF/デジタル一眼レフ中トップのMF性能で
ある事は疑いの余地もなく、より優秀であったMF時代の
一眼レフを含めても、CANON New F-1,PENTAX LXと並んで
ベスト3に入る。
![c0032138_15180852.jpg]()
おまけにフラッシュを内蔵している。
従来、旗艦機にはフラッシュは内蔵されておらず、
「フラッシュを入れるとファインダー性能が低下する」
という話が市場での常識であった。
しかしこの常識が、ひっくり返ってしまう、
匠「なんだ、作ろうと思えば、フラッシュ内蔵でもちゃんと
優れたファインダーを作れるのではないか・・」
うがった見方をすれば、別売フラッシュを買わせる為に、
あるいは旗艦機がそれ以上重くならない為の、メーカー側の
言い訳であったようにも思えてしまった。
匠「MF性能は完璧だな! さて・・AFは3点だったな」
と思い、手持ちの大口径のAFレンズをつけてみる。
左右の測距点ではピントが合い難い、しかし、設定を変更して
中央のみにすると、これが恐ろしく精度が高い!
「クロスセンサーだから」とか、そういう俄か仕込みの技術的
用語知識は意味が無い。これは恐らく判断アルゴリズムなどの
目には見えてこない部分で、細かい熟成が重ねられていたので
あろう。なにせ最初の実用AF機、α-7000を作ったのはミノルタ
であったのだ。(注:ハネウェルの基本AF特許に書かれている
技術では、原理的にピント合わせの精度が全く出ない模様だ。
ミノルタはここを解決し、初めて実用的なAF一眼レフを作った)
![c0032138_15180833.jpg]()
私は、ミノルタα機をこれまで敬遠してきた事を後悔した。
いったい、どの機種で、どう進化したのかは良くわからないが、
これは他社機のAF精度より、ずっとマシでは無いか・・と。
それと、おそろしくタフである、雨天での撮影とかもあったし
落下させてしまった事もあったが(汗)ビクともしなかった。
後年、私は姉妹機α-7の方を主に愛用する事になるのだが、
その際「α-9も持っているのでしょう? 何処が違うのか?」
という質問を知人等から受ける事もあった。その時の答えだが、
匠「α-9は頑丈なα-7だよ、厳しい環境で使っても問題なし!」
と良く言っていた。
他には操作性、操作系に対する配慮も凄い、もっとも、この点に
ついては後年のα-7には一歩譲ってしまうが、まあそのあたりの
話は、また後日、α-7の記事で紹介しよう。
それに、MFとAFがしっかりしているのであれば、他の性能等は
基本的には実用上あまり関係無い。αは元々、絞り制御等は
ダイヤル操作子であったし、この時代ではそれがスタンダード
である、今更「絞り環がついてなくちゃ嫌だ」等と言っても
意味が無い。
この時代に考慮するべきは、そうした単純な「操作性」の話
ではなく、多機能化したAF一眼レフを、どのように合理的に
操作すべきか、という「操作系」の考え方が、はるかに重要に
なってきているのだ。
しかし、市場やユーザー層のほとんどは、まだ、この時代では
その事に気がついていない、だから、α-9は評価されにくい。
雑誌等のレビューでさえも、恐らくは「3点測距は不満」等と
カタログスペックを見ただけで記事を書いていた事であろう・・
![c0032138_15180800.jpg]()
他の特徴としては、さすがに旗艦機だけあって、感触性能
全般が高い。また、高級感もあり、所有満足度も高いであろう。
連写時のミラー消失時間は短く、秒5.5コマというスペックが
より高速に感じられる。まるで後年のデジタル高速連写機の
NIKON D2H(2003年、デジタル一眼第1回記事)や
NIKON D500(2016年、デジタル一眼第20回)と同様に
「連写中のMFによるピント合わせ」の離れワザも、
本機α-9でも出来てしまう(フィルム代がかかるが・・汗)
![c0032138_15190919.jpg]()
特徴をもう1つだけ、これは本機α-9の長所とは言えないが、
ミノルタのAFレンズは、個性的かつ描写力に優れるものが
多い、というメリットがある。
特に今回の記事で使用しているSTF135/2.8は、ちょうど
本機と同じ1998年に発売された屈指の銘レンズである。
まあ過去の様々な記事でも紹介しているので説明は不要であろう。
ミラーレス・マニアックスでは、名玉編第6位相当にノミネート
されていたが、特徴が被るレンズがあり、あえてランクインは
見送った。だが、トップクラスの名玉である事は確かだ。
他にもいくらでも、ミノルタの名レンズがあるが、そのあたり
は過去のレンズ関係記事で多数紹介して来たので割愛する。
![c0032138_15190954.jpg]()
さて、本機α-9の弱点であるが、
まずは重い事だ、945gもある。
後年、限定販売でα-9Tiというチタン外装派生機が発売された。
それは百数十gも軽くなっていて、かなり欲しかったので
あるが、中古でも30万円弱という高額なカメラで、とても
買えるものでは無かった。
ただ、これでもNIKON F5よりだいぶマシだ。
電池が一般的なCR123Aである事も幸いしていて、
F5に乾電池8本を入れて約1400gという状況よりも体感的には
半分程度の重さに感じる(実際には、およそ400g差だ)
それと、値段が高い事だ。
だがこの点についても、NIKON F5よりも、かなり安価であり、
EOS-1NやCONTAX AXとほぼ同等の25万円だ。
びっくりする程高いという訳では無い、高く感じたのは
展示品を新古品扱いで16万円で買ってしまったからであり、
もう少し時代が下がって中古で買えば、より安価に購入できた
事であろう。
その他、気になる弱点は特に無い、繰り返すが、カタログ
スペック等は、もうどうでも良い、本機α-9の場合は、もう
そうした数値性能比較とは次元が異なる領域になっている。
まあ、極めて優秀なカメラであると思う。
![c0032138_15190936.jpg]()
さて、最後に本機α-9の総合評価をしてみよう。
評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
-----
MINOLTA α-9(1998年)
【基本・付加性能】★★★★
【操作性・操作系】★★★★
【ファインダー 】★★★★★
【感触性能全般 】★★★☆
【質感・高級感 】★★★★
【マニアック度 】★★★★
【エンジョイ度 】★★★★
【購入時コスパ 】★ (新古購入価格:160,000円)
【完成度(当時)】★★★★☆
【歴史的価値 】★★★
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】3.7点
かなりの好評価点だ。
劣っていたのはコスパの項目だけであり、他はすべて平均以上。
そして「ファインダー満点」が、やはり突出している。
弱点は重たい事くらいであり、それを差し引いても
「エンジョイ度」が高い、これは、AFでもMFでも、どちらでも
極めて快適に撮影できる本機の最大の長所があるからだ。
現代においても、若干中古相場が高価な本機ではあるが、
まあフィルムを入れて使うAF一眼が欲しい、というニーズが
あるとすれば、旗艦級クラスにおいては、NIKON F4と肩を
並べて最大のおすすめ機種かも知れない。
ちなみに、F4のAF性能は本機とは比較にならないほど低いが
その分、MF機として使う上での基本性能に優れる。
本機α-9であれば、MFとAFの両方でトップクラスの性能を
持つのでお買い得か(?)まあ、使用するレンズ(マウント)
によりけりだと思うが・・
あえてライバルを上げるとすれば、むしろ姉妹機である
MINOLTA α-7であろう、その機種はまだ本機よりも後の
時代なので、いずれ続く記事で紹介する。
さて、ここまでで第三世代(AFの時代)の銀塩一眼レフの
話は終わりである、次回記事からは、第四世代(趣味の時代)
の銀塩一眼レフ(および関連カメラ)を紹介する。
今回は第三世代(AFの時代、世代定義は第1回記事参照)の
MINOLTA α-9(1998年)を紹介する。

(ミラーレス・マニアックス第17回、ハイコスパ第17回
特殊レンズ「アポダイゼーション・グランドスラム」記事等)
本シリーズでは紹介銀塩機でのフィルム撮影は行わずに、
デジタルの実写シミュレーター機で代替する。
今回は、SONY α7を使用する。

写真を交えて記事を進める。

機種名にハイフンが入り、SONY時代では入らない。
本機はミノルタ製銀塩AF一眼レフα-9である。
SONY製フルサイズ・ミラーレス機α9では無いので念の為。
ところで、本シリーズ記事では、MINOLTAのAF一眼レフ、
つまり「α」は、初登場である。
私は各社の一眼レフは、だいたいその時代(数年~十年間)
を代表する機体を残しているケースが多いのだが、αに
ついてはちょっと時間が空いてしまった。
私は、この以前のαとしてはα-9000(1985年)を銀塩時代に
愛用していた。
この機種は、唯一の手巻きAF機という個性的な最上位機であり、
この一台があれば初期αとしては十分、という考え方であった。
しかし、2000年あたりから上部液晶パネルの劣化が酷くなり、
ついには使用が難しくなった為、やむなく廃棄してしまって
いたのだ。
その後の時代(1986~1997年)のαは、正直言うとあまり
興味が持てなかった、そのあたりは理由があるのだが、
そこは後述して行こう。
なので、いきなり時代がポンと飛んで、α-9の登場である。

1973年のMF一眼レフ「X-1」(本シリーズ第4回記事)以降、
長らく登場せず、MF機の旗艦は結局X-1で終わりとなる。
(試作機X-9/X-900? は発売されなかった。AF化開発を
優先したのであろう)
AF時代となり、α最上位機を9番機とするルールが確立され、
上記α-9000(1985年)が、最初のα旗艦機である。
確かに高性能ではあるが、まあちょっと雰囲気的には旗艦と
言うほどの迫力は無い。
続くは1992年のα-9xiが、αの二代目の旗艦機なのだが、
でも、このカメラも、なんとなく雰囲気が微妙だ(後述)
やはり本機α-9が、本来の旗艦機としての立場にふさわしい
カメラであろう。

なお、機種が多いので代表的なカメラのみに絞る事とする。
<1985年>
MINOLTA α-7000 世界初の実用的AF一眼レフ
MINOLTA α-9000 高級機、唯一の手巻き式AF一眼(現在未所有)
この年は、いわゆる「αショック」である。
ミノルタが他社に先駆けて実用的AF一眼レフを発売した事は
社会現象ともなり、一眼レフの販売シェアも大きく伸ばした。
他社はいっせいに「αに追従しよう」とAF化戦略に転換したが
数年間はαの独壇場という雰囲気もあったと思う。
この間ミノルタは「AF化で大きくカメラが発達したのであれば、
さらに自動化を進めたら良い事であろう」という戦略を進める
事となる、まあ勿論、悪い発想では無い。
おしりもバブル期前夜のこの時代、世の中に少しづつであるが
「イケイケ・ドンドン」のムードが漂っていた。
この後、ミノルタは時代の波に翻弄される事となる・・
<1988年>
MINOLTA α-7700i
高級機。三点測距、動体予測、6分割測光、カードによる機能
追加システム等、引き続き他社を圧倒する高機能カメラだ。
前のαからはおよそ3年が過ぎてはいるが、逆に言えば、
α-7000等だけで、その間を持たせていた事になる。
他社のAF化追従も、もうこのころには、チラホラとAF機が
発売され始めていたのだが、まだまだ余裕を感じる。
時代はすでにバブル期に突入。ユーザーのニーズも、ともかく
「凄いもの」(高性能や高機能なカメラ)を欲していた時代
でもあった。
<1989年>
MINOLTA α-5700i 中級機、内蔵フラッシュを初搭載
この年、昭和天皇崩御、時代は平成に変わる。
また、消費税(3%)が導入された年でもあったが、消費の縮退
をバブル景気が上回ったように思える。この年の末には株価は
史上最高額(約4万円)を記録した。
<1990年>
MINOLTA α-8700i
高級機、1/8000秒シャッターを初搭載。
分割、中央重点、スポットからなる測光システム、
カードシステムも引き続き搭載。
加えて、αがソ連の宇宙ステーションで使われた事を記念した
MINOLTA α-8700 ミール仕様
が白塗装という珍しい外装で発売(マニア受けはしていた)
バブル経済もピークであり、まさしく「イケイケムード」だ。
<1991年>
MINOLTA α-7xi
高級機。極端に自動化を進めた「xiシリーズ」の初号機だ。
グリップを握り、ファインダーを覗いただけでAFがスタート、
自動ポップアップ型フラッシュ、そして極め付きは、
電動ズームが被写体の距離を検知し、自動的に半身構図に
なるように、ズーム画角を調整してくれる。
私は、この機種そのものは所有していなかったが、同様の自動
ズーム機能を備えるコンパクト機「ミノルタ APEX 90」を
所有していた。オートズームは極めて「おせっかい」と言える
機能であり、そのモードにおいては撮りたい画角にすらならない。
そのカメラを短期間で処分した事は言うまでもないが、勿論、
私のみならず、多くのユーザー層にも不評のカメラであった。
(ただし、それまでのビギナー層の人物撮影では「全身を入れる」
事が普通であったのが、「人物撮影は半身像が基本」という
概念を一般層に伝える意味では役に立ったかも知れない)

MINOLTA α-9xi
最高級機、1/12000秒シャッター初搭載(世界記録)
不評であった xiシリーズだが、3xiや5xiなど、いくつかの
派生機でラインナップは構成されていた。
自動化が行き着くところまで行ってしまったのが、α-9xi
なのかも知れないが、まあ、バブル期の真っ最中に企画された
カメラであっただろうから、もう途中で止めるわけにもいかない。
同機の発売の1992年には、「バブル崩壊」が起こり、どうにも
ミノルタにとっては、タイミングが悪かった。
さらにここで大きな事件が起きる。
それは通称「ハネウェル訴訟」と呼ばれる特許侵害の訴訟の
判決が出たのである。
ここの詳細はあまり書きたく無い、なんだかドロドロとした
話だからだ。カメラファンが内容を知っても、あまり気分が
良いものでも無い。
で、結果から言うと、この年1992年に、ミノルタは敗訴、
(というか和解)し、ハネウェル社に当時のレートで、およそ
165億円を支払う事になった。
おまけに、「ハネウェル訴訟」で、ミノルタが負けた事は
当時の新聞やTVでも、勿論大きく報道されている。
一般市民は「特許訴訟」なるものに勿論あまり詳しくなく、
また海外(特に米国)等における「訴訟文化」の事も知らない。
報道だけ見れば、まるでミノルタが「人真似」をしたか「技術を
盗んできた悪者」のように思われてしまったかも知れない。
(それと、あまり知られていないが他の殆どの国内カメラメーカー
もハネウェル社にAF特許使用の賠償金を支払っている)
そうであれば不運な話である、技術開発などは、ある時期では
どこでも同じように進展するのだ。その権利を保証してくれるのは
「特許」と言う紙に書かれた、「請求項」というほんの短い文章
でしかない、そのわずかな文字列で、誰に権利がある技術であるか
が判断されてしまうのだ・・
それに、ハネウェル特許はあまりに基本的なもので、日本では
成立していなかったとも聞く(よって、この賠償金の金額は
米国での売り上げに係わる部分だけだ)
まあつまり、この特許訴訟は、国内メーカーが無防備なところに、
いきなり米国から不意打ちを食らったようなものだ。
---
さて、特許訴訟の件は、あまり気分の良い話でも無いので、
このあたりまでにしておこう。
この頃、世の中ではバブルが弾けて、「α-9xi」は、その
高性能を市場にアピールする事ができなかった。
で、結局のところ、「xiシリーズ」は実質的に失敗し、
ミノルタは商業的にも、ブランドイメージ的にも大きな
ダメージを受けた。
ミノルタにとっては、ふんだり蹴ったりの年である。
後年の「第一次中古カメラブーム」の際にも、マニア層は、
この時代のミノルタに何があったか詳しくは知らないまでも
「α-9xiを買うのはやめておけ」と、まるで腫れ物にでも
触るように、あるいは、「呪いのカメラ」でもあったかの
ように扱われていた。
もし、ほんの数年、タイミングが早かったならば・・
例えば、α-7000が市場で、あそこまで大きく注目されずに
ミノルタが早め早めに後継機の開発を進めていれば、α-9xi
は、もう2年ほど早く発売され、バブル景気に乗って大ヒット
したのかも知れないのだ。つくづくタイミングの悪い話だ。

MINOLTA α-707si
高級機。行き過ぎた自動化を廃し、使いやすさ、すなわち
操作性をコンセプトとしたモデル。
この機種は所有していなかったので、あまり詳しい内容を
知らずに褒める事はできないが、ミノルタでは旧来から
革新的で記念碑的なモデルに「7番」の機種名を与える事
が通例であった。私は、概ねミノルタαの歴史を書く際に
α-7000(1985年),α-7(2000年)の2つだけを「7番機」の
代表的機種として取り上げ、その間のαは、ばっさりと省略する
事が多かったのだが、こうしてαの歴史を良く見ていくと、
α-7700i(1988),α-7xi(1991),α-707si(1993)も
それなりに頑張った、新コンセプトのカメラであったと思う。
それと、「α-xiシリーズ」が不評であった事から、そして
様々な「ふんだり蹴ったり」の状態から、立ち上がる回復が
極めて速かった事も、特筆すべきであろうか・・
まあ、カメラの開発は普通は数年かかってしまう、であれば
「xiシリーズ」は、発売前から、もう時代に合わない事は
予想できていたのかも知れない。けど、開発を止める事は
勿論出来ず、惰性で発売してしまったのだろう・・
ただ、この後、やはり新機種の開発は若干スローペースに
なっている。
1994年では、普及機α-303siのみの発売に留まっている。
<1995年>
1月、「阪神淡路大震災」
この痛ましい大災害は、まさしく大事件であったのだが。
この事が消費者心理に与えた影響も大きい。
カメラあるいは他の製品でも、この年の新発売を控えた例もある。
ミノルタは、この年、ひっそりと3機種を発売している。
MINOLTA α-507si 中級機(現在未所有)
MINOLTA α-303siスーパー 初級機α-303siの小改良版
MINOLTA α-101si 低価格帯の普及機
この中で注目するのは「α-507si」であろう。
操作子毎に機能を固定した仕様は、初歩的だが「操作系」の
考え方を実現していた、ほぼ初めての機種。
ただ、ここもタイミングが悪い、大震災の直後であれば、
誰もが、気分的にも新しいカメラを買うとか、それどころでは
無かったように思う。
私は後年にそれを入手し、短期間だけ使っていた、なかなか良い
カメラだと思った。が、知人が「カメラが欲しい」とのことで
譲渡してしまっていた。
後年、1990年代後半の中古カメラブームや2000年代前半の
女子カメラブームの際には、「α-507si」は、不人気で
かなり安価な中古相場で取引されていた。2000年代に
なって女性の初級者が「カメラを始めたい」等と言った際には
「では、α-507siはどうですか? 安くて使い易いです」と、
勧めた事もあった。

MINOLTA α-807si 高級機、α-707si(1993)の改良版
また少しだけ時代が飛んだ。
カメラ市場では中古ブームがスタート、つまりはこの時代の
新鋭AF機には、もうマニア層は注目していなかったのだ。
この機種を持って「siシリーズ」も終了。後から考えると
もっと評価されてもよかった機種もありそうな物だが、
「xiシリーズ」の失敗などの印象も強く、損をしている。
つくつくミノルタにとっては、タイミングが悪い時代で
あったのだろう。
この時代における「足踏み」が、数年後にミノルタをさらに
歴史の荒波の中に送り出す事になっていく・・
それと、この時期、もう1つの大きな時代の流れが迫って
きていた。それは「コンパクト・デジタルカメラ」である。
既に1995年には、カシオより「QV-10」が発売されていて、
社会現象ともなり、他社もその流れに追従していく。
ミノルタにおいても、この年1997年に「Dimage V」を
一般向けに発売開始している。
(注:試作機的なMINOLTA RD-175は1995年に発売されている)
デジタルカメラのその後の進歩については、話を始めると
きりが無いので本記事では割愛するが、まあ、また機会が
あれば・・
<1998年>
MINOLTA α-Sweet 初級機
MINOLTA α-9 最上位機
歴史の話が極めて長くなったが、ここでやっと本機α-9の
時代に到達した。

機体であった、ただし、突出したスペックは持たず、
例えば、AFは最上位機らしくなく、僅かに3点測距でしか無い。
同時代の、例えばNIKON F5(本シリーズ第19回記事)の
5点測距+高速連写とか、CANON EOS-3(1998年、未所有)の
45点測距などの派手なスペックと比べると大きく見劣りする。
それに、当時のマニア層はもとより、一般カメラユーザー
ですらも、この頃はカメラの事をよく勉強していた。
何故ならば、この時代、中古カメラブームが起こった事で
多数の雑誌等が刊行され、ユーザー側に大量の情報が入って
いたからである。また、インターネットも旧来の「パソコン
通信」と置き換わるように、この時代から普及しつつあった。
マニアの間では、「αは買うな」といったような、暗黙の
合言葉があった模様であり(まあ前述のような歴史背景だ)
結局、α-9に至るまでの間に、影でαがどれだけ「操作系」や
「AF精度」等の、スペック的には目に見えにくい点で進化
していたかは、ぽっかりと見落とされていたかも知れない。
私も同様だ、α-9000を使ってはいたが、それ以降のαには
全く興味が持てなかった。α-9が出たと聞いても、25万円も
する高価なカメラが故に、「ふ~ん」と、自分とは関係ない
話だと思っていた。

店「α-9が入ったよ、展示品だったので安くしておくよ」
と見せられ、それを触ってみて、まさしく仰天した。
匠「なんじゃこりゃ~!? 凄いカメラじゃあないか!!」
私は、即決でα-9を購入決定、銀行のATMコーナーに走った。
大枚16万円は、かなり痛かったが、まあやむを得ない、
もしこれを逃したら、次の機会はいつになるかわからない。
こういう即断は中古買いの鉄則だ。
現代のように、新品カメラは量販店の店頭や通販でいつでも
買えるから、お金が溜まった頃に買う、そして価格も段々と
落ちてくるので、買い頃になったら買う、といった訳には
中古買いでは行かないのだ。
α-9の何が凄かったか?と言えば、カタログの性能表には
全く記載されていない部分の全てが一級品であったのだ。
私も一応、新機種のスペックくらいはチェックしてあったので、
匠「3点測距?ふ~ん、少ないな。秒5.5コマの連写?ふ~ん、
10年前のEOS-1HSと同じだね」くらいの調子でしか、
本機α-9の事を評価していなかったのだ。
それまで、カタログ上に現れない性能など、ある筈も無いと
思っていたが、それは大きな間違いであった。
これはある意味、大きなカルチャーショック、いや、もう少し
格好良い言葉を使えば「パラダイム・シフト」だ。
(=今まで当然の事だと考えていた価値観が劇的に変化する事)
何が凄かったのか?そのあたりの詳細は、後述していくとしよう。

オートフォーカス方式、35mm判フィルム使用AEカメラ
最高シャッター速度:1/12000秒(世界最速)
フラッシュ:内蔵、シンクロ速度1/300秒 X接点
ホットシュー:ペンタプリズム部に固定
ファインダー:固定式、スクリーン交換可能(MF用2タイプ)
倍率0.73倍 視野率100%
使用可能レンズ:ミノルタαマウント
絞り込みプビュー:有り
AF測距点数:3点(中央は強力なクロスセンサー)
AFモード:ワンショット(S)、コンティニュアス(C)、
自動切換え(A)、マニュアル(M)
露出制御:PSAM方式
測光方式:14分割ハニカム、中央重点、スポット
露出補正:±2EV,1/3段ステップ
AEロック:可(自動スポット変更とメーター差分表示)
ファインダー内表示:フルスペック
視度補正:専用ダイヤルで可
露出ブラケット:可(コマ毎、連続)
ミラーアップ:可
ドライブ:単写、高速、低速、セルフタイマー10秒
連写速度:高速時 秒5.5コマ(AF追従秒4.5コマ)
低速時 秒2コマ
多重露光:可
電源:リチウム電池 CR123A 2個使用
カスタムファンクション:有り
フィルム感度調整:手動ISO6~6400、DXコード対応
データバック:装着可
本体重量:945g(電池除く)
発売時定価:250,000円(税抜き)
----
カタログスペックだけでは、この時代の標準的な一眼レフだ。
それでいて25万円は高すぎるように一見思えるが・・

に交換しよう。

・・沢山ある、そしてこれらが殆ど数値(カタログ)スペック
からは読み取れないのだ。

良く、実際にMFでも素晴らしくピントが合わせやすいのだ。
特に私のα-9は、サービスセンターのみで交換可能な
M2型(MⅡ型)スクリーンに換装してあり、これは若干暗く
なるので開放F2.8未満のレンズ推奨だが、これをつけると
まさしく最強、AF/デジタル一眼レフ中トップのMF性能で
ある事は疑いの余地もなく、より優秀であったMF時代の
一眼レフを含めても、CANON New F-1,PENTAX LXと並んで
ベスト3に入る。

従来、旗艦機にはフラッシュは内蔵されておらず、
「フラッシュを入れるとファインダー性能が低下する」
という話が市場での常識であった。
しかしこの常識が、ひっくり返ってしまう、
匠「なんだ、作ろうと思えば、フラッシュ内蔵でもちゃんと
優れたファインダーを作れるのではないか・・」
うがった見方をすれば、別売フラッシュを買わせる為に、
あるいは旗艦機がそれ以上重くならない為の、メーカー側の
言い訳であったようにも思えてしまった。
匠「MF性能は完璧だな! さて・・AFは3点だったな」
と思い、手持ちの大口径のAFレンズをつけてみる。
左右の測距点ではピントが合い難い、しかし、設定を変更して
中央のみにすると、これが恐ろしく精度が高い!
「クロスセンサーだから」とか、そういう俄か仕込みの技術的
用語知識は意味が無い。これは恐らく判断アルゴリズムなどの
目には見えてこない部分で、細かい熟成が重ねられていたので
あろう。なにせ最初の実用AF機、α-7000を作ったのはミノルタ
であったのだ。(注:ハネウェルの基本AF特許に書かれている
技術では、原理的にピント合わせの精度が全く出ない模様だ。
ミノルタはここを解決し、初めて実用的なAF一眼レフを作った)

いったい、どの機種で、どう進化したのかは良くわからないが、
これは他社機のAF精度より、ずっとマシでは無いか・・と。
それと、おそろしくタフである、雨天での撮影とかもあったし
落下させてしまった事もあったが(汗)ビクともしなかった。
後年、私は姉妹機α-7の方を主に愛用する事になるのだが、
その際「α-9も持っているのでしょう? 何処が違うのか?」
という質問を知人等から受ける事もあった。その時の答えだが、
匠「α-9は頑丈なα-7だよ、厳しい環境で使っても問題なし!」
と良く言っていた。
他には操作性、操作系に対する配慮も凄い、もっとも、この点に
ついては後年のα-7には一歩譲ってしまうが、まあそのあたりの
話は、また後日、α-7の記事で紹介しよう。
それに、MFとAFがしっかりしているのであれば、他の性能等は
基本的には実用上あまり関係無い。αは元々、絞り制御等は
ダイヤル操作子であったし、この時代ではそれがスタンダード
である、今更「絞り環がついてなくちゃ嫌だ」等と言っても
意味が無い。
この時代に考慮するべきは、そうした単純な「操作性」の話
ではなく、多機能化したAF一眼レフを、どのように合理的に
操作すべきか、という「操作系」の考え方が、はるかに重要に
なってきているのだ。
しかし、市場やユーザー層のほとんどは、まだ、この時代では
その事に気がついていない、だから、α-9は評価されにくい。
雑誌等のレビューでさえも、恐らくは「3点測距は不満」等と
カタログスペックを見ただけで記事を書いていた事であろう・・

全般が高い。また、高級感もあり、所有満足度も高いであろう。
連写時のミラー消失時間は短く、秒5.5コマというスペックが
より高速に感じられる。まるで後年のデジタル高速連写機の
NIKON D2H(2003年、デジタル一眼第1回記事)や
NIKON D500(2016年、デジタル一眼第20回)と同様に
「連写中のMFによるピント合わせ」の離れワザも、
本機α-9でも出来てしまう(フィルム代がかかるが・・汗)

ミノルタのAFレンズは、個性的かつ描写力に優れるものが
多い、というメリットがある。
特に今回の記事で使用しているSTF135/2.8は、ちょうど
本機と同じ1998年に発売された屈指の銘レンズである。
まあ過去の様々な記事でも紹介しているので説明は不要であろう。
ミラーレス・マニアックスでは、名玉編第6位相当にノミネート
されていたが、特徴が被るレンズがあり、あえてランクインは
見送った。だが、トップクラスの名玉である事は確かだ。
他にもいくらでも、ミノルタの名レンズがあるが、そのあたり
は過去のレンズ関係記事で多数紹介して来たので割愛する。

まずは重い事だ、945gもある。
後年、限定販売でα-9Tiというチタン外装派生機が発売された。
それは百数十gも軽くなっていて、かなり欲しかったので
あるが、中古でも30万円弱という高額なカメラで、とても
買えるものでは無かった。
ただ、これでもNIKON F5よりだいぶマシだ。
電池が一般的なCR123Aである事も幸いしていて、
F5に乾電池8本を入れて約1400gという状況よりも体感的には
半分程度の重さに感じる(実際には、およそ400g差だ)
それと、値段が高い事だ。
だがこの点についても、NIKON F5よりも、かなり安価であり、
EOS-1NやCONTAX AXとほぼ同等の25万円だ。
びっくりする程高いという訳では無い、高く感じたのは
展示品を新古品扱いで16万円で買ってしまったからであり、
もう少し時代が下がって中古で買えば、より安価に購入できた
事であろう。
その他、気になる弱点は特に無い、繰り返すが、カタログ
スペック等は、もうどうでも良い、本機α-9の場合は、もう
そうした数値性能比較とは次元が異なる領域になっている。
まあ、極めて優秀なカメラであると思う。

評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
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MINOLTA α-9(1998年)
【基本・付加性能】★★★★
【操作性・操作系】★★★★
【ファインダー 】★★★★★
【感触性能全般 】★★★☆
【質感・高級感 】★★★★
【マニアック度 】★★★★
【エンジョイ度 】★★★★
【購入時コスパ 】★ (新古購入価格:160,000円)
【完成度(当時)】★★★★☆
【歴史的価値 】★★★
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】3.7点
かなりの好評価点だ。
劣っていたのはコスパの項目だけであり、他はすべて平均以上。
そして「ファインダー満点」が、やはり突出している。
弱点は重たい事くらいであり、それを差し引いても
「エンジョイ度」が高い、これは、AFでもMFでも、どちらでも
極めて快適に撮影できる本機の最大の長所があるからだ。
現代においても、若干中古相場が高価な本機ではあるが、
まあフィルムを入れて使うAF一眼が欲しい、というニーズが
あるとすれば、旗艦級クラスにおいては、NIKON F4と肩を
並べて最大のおすすめ機種かも知れない。
ちなみに、F4のAF性能は本機とは比較にならないほど低いが
その分、MF機として使う上での基本性能に優れる。
本機α-9であれば、MFとAFの両方でトップクラスの性能を
持つのでお買い得か(?)まあ、使用するレンズ(マウント)
によりけりだと思うが・・
あえてライバルを上げるとすれば、むしろ姉妹機である
MINOLTA α-7であろう、その機種はまだ本機よりも後の
時代なので、いずれ続く記事で紹介する。
さて、ここまでで第三世代(AFの時代)の銀塩一眼レフの
話は終わりである、次回記事からは、第四世代(趣味の時代)
の銀塩一眼レフ(および関連カメラ)を紹介する。