所有している銀塩一眼レフの名機を紹介するシリーズ記事。
今回は第三世代(AFの時代、世代定義は第1回記事参照)の
CONTAX AX(1996年)を紹介する。
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装着レンズは、CONTAX Distagon T* 25mm/f2.8
(ミラーレス・マニアックス第29回)
本シリーズでは紹介銀塩機でのフィルム撮影は行わずに、
デジタルの実写シミュレーター機を使用する。
今回はまず、フルサイズ機CANON EOS 6Dを用いるが、
記事後半ではシミュレーター機もレンズも変える事にする。
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以降はシミュレーターでの撮影写真と、本機AXの機能紹介
写真を交えて記事を進める。
![c0032138_16374182.jpg]()
さて、史上稀に見る「化物カメラ」の登場だ。
「何が”化物”なのか?」と言えば、本機AXでは、どんな
MFレンズを装着しても、それをAFで使えてしまうのだ。
「それは凄いが、そんな事が出来るのか?」という疑問は
当然出て来るであろう。
ここで一般的な一眼レフのAFの仕組みについて簡単に解説
しておく。
普通、一眼レフでのAF(オートフォーカス)という仕組みは、
レンズから直接取り込まれる(Thru The Lens=TTL)映像を
カメラ内部のAFセンサーで解析する。その際の一般的な
手法は分離した映像のズレを判定する「位相差検出」方式だ。
ピントが合っていなければ、一眼レフボデイ内のモーターを
用いてレンズ側に動力を伝え、レンズのピントリングを
カメラが廻す(撮影者が手で回す場合は、勿論MFとなる)
が、この方式ではレンズのピントリングを本体から廻すには
力も速さも少々厳しいので、近年のレンズではレンズ側に
各種のモーター(超音波モーター、ステッピングモーター等)
を内蔵し、カメラボディからの電気信号でレンズ側が自力で
モーターによりピントリングを廻す(=レンズ内モーター仕様)
で、ピント位置が変化し、カメラ内のAF(位相差)センサーが
「ピントが合った」と判定したら、そこでレンズの動きを
止める(注:ぴったり止めるのは、それなりに難しい)
まあ、原理的には、これだけの簡単な仕組みである。
(しかし、実際にこれを作るには、様々なノウハウが必要だ。
だから、銀塩コンパクト機にAFが初搭載されてから、実用的な
AF一眼レフが発売される迄、およそ8年の歳月がかかった)
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なお、近年のデジタル一眼レフでの「ライブビュー」時のAFや、
ミラーレス機においては。この「位相差検出」方式とは異なる
「コントラスト検出」方式が主に使われる。
それから、近年のミラーレス機やデジタル一眼レフの一部では、
「像面位相差AF」(他の呼び方も色々あり)の技術を用いている。
また、銀塩AFコンパクト機等では赤外線や超音波等を発して
反射により距離を測る「アクティブAF方式」も使われている。
これらの他の様々なAF方式を一々説明すると長くなるので
省略するが、まあ現代においては購入するカメラの仕様にも
密接に関連するので、中級者以上ならば基本的知識として
必ず知っている事だと思う(知らないと、むしろ問題だ)
さて、ここまでの説明では、AFのカメラに、AFのレンズを
組み合わせないと、オートフォーカスは実現できない。
しかし、本機AXの場合は、AFのカメラに、MFのレンズを
装着しても、AFが実現してしまう。
いったいそれは、どうやって・・?
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答えを書いてしまうと、本機CONTAX AXでは「レンズの
ピントリングを動かすのではなく、フィルムを機械的に
前後させてピントを合わせる」のだ。
「え~?? そんな事が技術的に可能なのか?」
というのが、ちょっとわかっている人での質問だ。
「可能か?」と言われれば、一応可能である、なにせ
本機AXが実際に1990年代に市販されていた位だ。
ただ、技術的な課題は色々とある。まず「フィルムを若干
動かす程度の範囲で本当にピントが合うのか?」それから
「フィルムを一体どうやって動かすのだ?」さらには
「それは素早く確実に動くのかどうか?」又、レンズ側でも
「レンズのピント位置は? レンズ性能は低下しないのか?」
等である。
その説明をする前に、実は本機AXの他にも、MFレンズを
AF化してしまう、魔法のアタッチメントが存在していた。
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具体的には「NIKON TC-16A」と「PENTAX F AF adapter 1.7X」
の2種類がある。他にもあったかも知れないが記憶に無い(汗)
これらのアタッチメントは、MFレンズとAFカメラの間に装着
するテレコンバーター形式であり、その中に可動するレンズ
群があって、それでレンズのピント位置を動かしているのと
同様な効果が得られる。
この原理は、本機CONTAX AXのフィルム位置を動かしている
事と、まあ似ていると言えば似ているであろう。
NIKON TC-16Aは現代のデジタル一眼では、もう使用ができない
古いアタッチメントではあるが、本ブログの、かなり昔の
記事で使用感を紹介していたと思う。
(注:アタッチメントとは、勿論「付属品」と言う意味だ。
「フィルター径」という意味とは等価では無いので念の為。
そして、そもそも、アタッチメントは、レンズの前部に付ける
だけの物とは限らない→上記TC-16Aがその一例だ)
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余談だが、このテレコン形式のAF実現システムは、近年の
ミラーレス機用のマウントアダプターにおいて、レンズに与える
電気信号の「プロトコル」をアダプター内のCPUで生成する事で、
AFレンズを本来のAF動作をさせる事が出来るようになるという
「電子アダプター」とは、根本的に技術原理が異なっている。
このあたりは、こうした複雑な技術内容を、たった一言で
説明できる用語が存在しないので、まあ色々と混乱しやすい
のはやむを得ないのだが、意味が分からないで間違って製品
を購入した場合、損をするのはユーザー自身であるので、
しっかりと個々の技術の意味を理解するしか無いと思う。
![c0032138_16384132.jpg]()
さてここで、本機CONTAX AXの話に戻るが、
MFレンズを用いてボディ側だけの構造でフィルム面を動かす
為には、フィルム全体を丸々移動させる内部構造が必要だ。
これは「ボディの中に別のボディが入っている」ような構造
であり、複雑怪奇である他、まるで「着ぐるみ」を着ている
ように、とんでもなく太ったカメラとなってしまった。
で、当然の話だがフィルム位置を動かすのは大変だ。
その重量から速度も遅いし力も必要だし、きっちりと止める
精度もだ、全てに技術的なネックがあり、開発難易度が高い。
まあでも、京セラ・コンタックスは持てる技術を結集し、
ついに、これを実現させてしまう。
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この方式を京セラでは、ABF方式(これはオートマチック・
バックフォーカシング・システムの略だったか?)と呼んだ。
実際にこの仕掛けがちゃんと動作するかどうかは後述するが、
そもそも、いったい何故、京セラCONTAXは、こんな
「化物カメラ」を作ったのであろうか・・?
ではここで、京セラCONTAX機を取り巻く、一眼レフ界の
歴史を、関係する時代の部分だけ振り返ってみよう。
<1985年>
MINOLTA α-7000発売、言わずと知れた「αショック」だ。
CONTAX 159MM(本シリーズ第12回記事)
<1987年>
CONTAX 167MT 中級機、世界初のオートブラケット搭載機
KYOCERA(YASHICA) 230AF
京セラ初のAF一眼レフ。CONTAX銘では発売されなかった、
1990年代前半まで数機種が発売されが、Y/C(RTS)マウントと
互換性の無い専用レンズであり、試験的な要素も大きかった
事であろう。海外はともかく、国内市場ではとても不人気で
あった。このシリーズの商業的な失敗もあってか、CONTAXの
一眼レフのAF化は、事実上凍結されてしまった。
<1988年>
NIKON F4(本シリーズ第15回記事) ニコン初のAF旗艦
<1989年>
「昭和天皇崩御」 時代は昭和から平成へ
「消費税導入」
CANON EOS-1/HS(本シリーズ第14回記事)キヤノン初のAF旗艦
<1990年>
CONTAX RTSⅢ
コンタックス初のフラッグシップ級高級機。CONTAX機としては
3年ぶりの新機種だ。しかし、AF機では無くMF機である。
ここにおいて、京セラCONTAXはY/CマウントのAF化を完全に
諦めたかのようにユーザー層は感じた事であろう。
(注:この後、高級コンパクト機Tシリーズや、レンジ機
Gシリーズでは、CONTAXはAF化を難なく実現している)
<1992年>
「バブル景気」崩壊、消費行動の心理・傾向が変化する
CONTAX S2 マニアックな機械式カメラ、チタンボディ
CONTAX ST 旗艦級では無いMF高級機、1/6000秒シャッター搭載
<1993年>
CONTAX S2b S2の黒(灰茶色)仕上げ版(現在未所有)
<1994年>
CONTAX RX 中級機(MF)、フォーカスエイド搭載
<1995年>
「阪神淡路大震災」発生
<1996年>
NIKON F5(本シリーズ第19回記事) ニコン二代目のAF旗艦
CONTAX AX(本機)
ここでやっと本機AXの時代に到達した。
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前記事「NIKON F5」の項目でも書いたが、この時代の
「バブル崩壊」や「阪神淡路大震災」は、大事件であり
消費者の消費行動(心理・傾向・趣向)にも多大な影響を
与えたと思われる。
すなわち、カメラに対しても、表面的なカタログスペック
以外の要素を求めるようになってきたと思われるのだが
残念ながらカメラ側は、高機能化・高性能化による
スペックの増強を推進するばかりであった。
その為、新機能が搭載された新機種(AF一眼レフ)が
次々に登場すると、まだ十分に使える旧機種はすぐに廃れ、
誰も見向きもしなくなった(=仕様老朽化現象)
そうした「バブリーに機能を膨らませた上辺だけのカメラ」や
「家電製品化し、消耗品と化した所有満足度の低いカメラ」は
消費者ニーズとの微妙なズレを段々と広げていき、
本機AXの時代(1990年代後半)あたりから、カメラ界は、
空前の「(第一次)中古カメラブーム」に突入する。
つまりこれは、その時代に発売された新機種(一眼レフ)には
少なくともカメラマニア層は興味を持てず、MF時代の名機等を
追い求めた時代であった。
事実、私もバブル期企画のカメラは、PENTAX Z-1を除き全て
処分し、今は1台も保有していない。その時代の後の最初の
AF一眼のNIKON F5は、フラッグシップ機でありながらも、
バブル期の設計思想を引きついでいて、本シリーズ中、過去
最低点の評価となってしまっていた・・
![c0032138_16374830.jpg]()
ここで、この時代の一眼レフ以外のカメラの様子をCONTAXを
中心に、少しだけ紹介すると・・
<1990年>
CONATX T2 実質的には史上初の「高級AFコンパクトカメラ」
<1993年>
CONATX Tvs 初のズーム付き高級AFコンパクト機
NIKON 35Ti ニコン初の高級コンパクト機
<1994年>
CONATX G1 史上初のAFレンジファインダー機
NIKON 28Ti 28mm広角レンズ搭載高級コンパクト機
<1996年>
CONTAX G2 G1の後継機、完成度が高く人気機種となった
RICOH GR1 高級AFコンパクトカメラブームの火付け役
MINOLTA TC-1 ミノルタ初の高級コンパクト
APS(IX240)フィルムとAPSカメラの発売開始
という状況で、本機AX発売と同じ1996年からの後、一気に
「(銀塩)AF高級コンパクトカメラ」のブームが加速する。
この事実もまた「マニアは新製品のAF一眼レフには興味が
持てない」事を暗に示していて、定価が10万円以上もする
(場合によりAF一眼レフより高価)高級コンパクト機が、
一眼レフよりも「飛ぶように」売れていたのだ(この主な
ユーザー層は中上級マニアだが、波及して女性ユーザーや
ビギナー層にも人気であった)
なお、1975年のCONTAX RTS(本シリーズ第5回記事)は、
まさしく「鳴り物入り」での登場だったのだが、同時期の
ヤシカの経営破綻と、京セラの資本投下等の事情からか、
1980年代前半迄は有力な新製品カメラが作れず、その後
1985年のαショックと、1980年代末のCONTAXのAF化失敗
(見送り)により、結局1980年代のCONTAX一眼レフは
「鳴かず飛ばず」の状況であっただろう。
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が、一眼レフ本体はそうだったかも知れないが、ツァイス銘
のCONTAXレンズは、そこそこ高く評価された。
まあ値段が高いので「良いレンズだ、と勘違いする」大誤解
もある。
その当時では、ビギナー層はもとより、専門の評論家で
すらも、そのように思い込んでしまう場合も多々あった。
それに、CONTAXやツァイスは、旧来から「神格化」されて
いた為、「たいした写りでは無い」等と言おうものなら
「何を馬鹿な!」と、周囲のマニアやユーザーや市場すらも
全て敵に廻してしまう。
だからやはり「さすがツァイス!」等の、ありきたりの
評価をする事しか許されなかった、とも言えるであろう。
ある意味、残念な時代だ。
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ちなみに、現代の視点からすると「1980年代のCONTAXレンズ
は良い物も、そうで無い物も混在する」という感覚だ。
特に、ボケ質破綻が起こるレンズが多く、使いこなしがかなり
困難だ(というか銀塩一眼レフでは、ボケ質破綻回避技法が
原理上無理だ、ミラーレス時代になって、やっとそのあたり
の精密なコントロールが若干だが可能になったと言える)
このあたりの詳細は、本ブログでの過去シリーズ記事の
「ミラーレス・マニアックス」でも、散々、多数のCONTAX製
レンズの紹介をした際にも出てきた話である。
まあすなわち、銀塩時代の当時としては、CONTAXレンズを
正しく評価できる術(すべ)を誰も持っていなかった、
というのが最も正解に近い話であろう。
仮に、解像度チャート等を撮ったりしてMTFを計測する等と
いった専門的な解析作業を行っても無意味であったのだ、
それらの方法では「ボケ質」等の、特殊な撮影条件が
要求され、かつ経験的・感覚的な評価方法論を盛り込む
事は無理だからだ・・
![c0032138_16385723.jpg]()
余談が長くなった。少しづつ本題に戻して行こう。
で、CONTAXレンズは1980年代末にAF化を見送った為、
時代が進んでも大きく値上げする事が出来なかった。
他社では1980年代後半から、AF化という「付加価値」
(つまり、メーカーから見れば「値上げ」の弁明である)
があった為、新規に発売されたAF用の交換レンズの価格は、
どんどんと上昇。旧来のままのCONTAXのレンズは相対的に
段々と安く感じるようになり、実際に1990年代では他社の
AFレンズよりも、むしろCONTAXレンズは割安であった。
(例:1990年代のCONTAX (RTS)プラナー85mm/f1.4の定価が
10万円弱であった事に対し、他社AFの85mm/f1.4級レンズの
定価は、それよりも遥かに高価な14万円程であった、等)
そう言う訳で、もうこの時点で「値段の高いものは良い物だ」
と言う、ありきたりの価値感覚は意味が無くなっていた。
値段の高い製品は「メーカーが高く売りたい」かつ「高くとも
ユーザーが買いたい」というバランス点により成り立つ訳だ。
AF化や、あるいはNIKONでのD型対応等で、レンズの価格は
どんどん高くなった。つまりそれは「高く売れるからそうした」
というだけであって、一般ユーザー層が思うように「性能が
上がったから高くなった」という意味では決して無いのだ。
(まあ、開発費の償却もあるが、ここでは概要だけを述べる)
そこら辺の事を理解していないユーザー層は、現代においても
いくらでも居るし、むしろそれが大半という残念な状況だ。
本ブログでは昔から何度も何度も繰り返し述べているが
「値段の高いもの、イコール、良いものでは決して無い」
と言うことである。その事がずっと理解できないようでは、
「カメラ業界に、せっせと貢いでいる」状態でしか無い。
しかし、その事は、近年大きく「縮退」しているカメラ業界
にとっては「福音」でもある。その「貢献」がなければ、
各メーカーはカメラ事業を維持・継続する事が出来ない。
が、消費者の立場から見れば、それは「無駄に金を使う行為」
に他ならないのだ。
「じゃあ、どうするのか?」と言えば、それは簡単な話だ、
わかっている人は、自分のやりかたを貫けば良いし、
わかっていない人も、自分の好きに消費行動をすれば良い。
そこはそれぞれの個人の価値観だ。
結果的に損する人も得する人も出てくるだろうが、それはもう
100%、ユーザー(消費者)側の本人の「自己責任」である。
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歴史の話に戻るが、1990年代に入りCONTAX機も盛り返す。
一眼レフではRTSⅢ等、高級コンパクトTシリーズ、および
レンジ機Gシリーズ、これらの好調から、そして「バブル期
の残り香」から、本機AXの「リスキー(危険)な開発」が、
かろうじて許されたのであろう。
(なお、余談だが、京セラ本社(京都市)に併設された美術館
(無料)を訪れてみると、1990年前後のバブル期に収集した、
ピカソ等の有名絵画や、貴重な陶磁器等が沢山展示されている。
まあ、「余裕があった時代だった」という事なのであろう。)
それから、CONTAXのレンズがAF化出来なかった事は、
技術的問題と言うよりも、どちらかと言えば「政治的」な
要因が大きかった事であろう。京セラにAFの技術が無かった
訳では無いし(他シリーズ機で容易に実現している)
「人気の(神格化された)ヤシコン・マウントを変えるべき
では無い」という、大きな方針があったのかも知れない。
だとすれば、技術屋としては、
「じゃあなんとしても、ヤシコンのレンズのまま、AFを
実現してやろう」という強い意志(意地)が芽生えたのかも
知れない。
今まで誰もやった事の無い新たな発想、そして、その開発は
困難を極めたかも知れないが、ついにそれは実現された。
「AFなんて飾りです、偉い人にはそれがわからんのです」
という、アニメの名セリフを思い起させるではないか・・
まあ、本機AXの背景に潜む最大の特徴がその事だ。
![c0032138_16385737.jpg]()
ここで、いつものように本機CONTAX AXの仕様について
述べておきたいのだが、以前にもチラリと書いたが、この
時代のカメラについての情報は、現在では極めて少ない。
京セラのWEBサイトからも、銀塩カメラの説明書などは全て
「削除」されてしまっている。カメラ事業から撤退して
既に10年を軽く超え「もうそれは過去の話、今さら無関係」
というスタンスなのであろう。
ネット上でも本機AXの仕様の詳細などは殆ど見当たらなく、
検索でも過去の本ブログの記事が出てくるだけだ(汗)
それは自分で書いた記事なのだから、読む必要は無い(笑)
それ以上の詳しい情報や、公式情報等は、もう無いという事だ。
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なので今回は、本機AXの仕様は必要最小限の私が理解して
いる範囲だけで留めておこう。
CONATX AX(1986年)
バックフォーカス(ABF)方式、35mm判フィルム使用AEカメラ
最高シャッター速度:1/6000秒(AE時、電子制御式)
シャッターダイヤル:有り(4秒~1/4000秒)
フラッシュ:非内蔵、シンクロ速度1/200秒(?) X接点
ホットシュー:ペンタプリズム部に固定
ファインダー:固定式、スクリーン交換可能。
倍率0.7倍 視野率95%
使用可能レンズ:ヤシカ・コンタックス マウント
絞り込みプビュー:有り
AF測距点数:1点
AFモード:シングル(S)、コンティニュアス(C)、マニュアル(M)
マクロモード:ABF機構を10mm繰り出してレンズをマクロ化
AF開始:専用ボタンによる(AFL兼用)
露出制御:PSAM方式
測光方式:中央重点平均(?)、スポット
露出補正:±2EV,1/3段ステップ(専用ダイヤル)
AEロック:電源スイッチ部で可
ファインダー内表示:撮影枚数、測光モード、バックフォーカス
フォーカスエイド、絞り値、シャッター速度
視度補正:専用ダイヤルで可
露出ブラケット:可(レバーで1/2段/1段切り替え可)
ミラーアップ:不可
ドライブ:単写、高速、低速、露出ブラケット、
セルフタイマー2秒、10秒
連写速度:CH高速時 秒5コマ
CL低速時 ??コマ
多重露光:不可(?)
電源:リチウム電池 2CR5 1個使用
カスタムファンクション:露出モードレバーを変えて設定可
フィルム感度調整:手動ISO6~6400、DXコード対応
フィルム巻き戻し:Rレバーの操作による
データバック:別売D-8 装着可
本体重量:1080g(電池除く)
発売時定価:250,000円(税抜き)
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さて、このあたりでシミュレーター機のEOS 6Dの使用を
やめる。レンズもCONTAX Tessar T* 45mm/f2.8としよう。
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銀塩時代、ファットな(太い)AXと、パンケーキ(薄い)の
テッサーの組み合わせは、なかなかユニークで面白かった。
(RTSⅢ等でも起こる、この「大小効果」は、マニア受けして、
同時代からの一大「パンケーキブーム」に繋がったと思われる)
以降のシミュレータ機もSONY α7に交換しよう。
![c0032138_16380541.jpg]()
なお、当然の話だがCONTAX機でのY/Cマウントは、京セラが
2005年にカメラ事業から撤退以降使われて(作られて)おらず、
(注:例外的にKENKOより銀塩MF一眼レフKF-3YC 2007年
が、ヤシコンマウントレンズ救済の目的で発売されている)
現行のデジタル一眼レフには、Y/Cレンズはそのまま装着は
出来ず、必ずマウントアダプターを介する必要がある。
(注:ただし、フルサイズ機EOS 6Dと、Y/Cレンズの一部
(大半?)では、アダプターで装着できてもミラーが干渉して
(当たって)使用出来ない。このTessar45/2.8も同様である。
この状態で無理やり撮影するとカメラを壊すリスクがある為、
安全を期すならば、今回使用のα7といったミラーレス機で
使用するのが良いだろう。しかしα7ではオールドレンズ使用
時に内面反射によるゴーストが大きな問題だ。結局なかなか良い
組み合わせが存在しないが、そこは色々試してみるしか無い)
![c0032138_16380533.jpg]()
本機CONTAX AXの特徴だが、
まず、「到底そんな事は無理だ」と思われるような、
フィルム面を動かすシステム(ABF)を、執念で実現して
しまった事にある。
ボディの中のボディという重たい質量をスムースに動かす為、
親会社「京セラ」の、セラミック製レールを採用したとの事。
勿論、それだけではなく、この前代未聞・前人未到の構造を
実現する為に様々な精密技術や新技術が使われている。
まあ普通はこういう開発は、やりたくても金も時間もかかる
為に出来ない。が、バブル期の企業資産価値上昇や、前述の
一眼レフ以外の他シリーズCONTAX機の好調などの理由で
かろうじて開発にGOサインが出たのかも知れない。
結果、極めて「歴史的価値」が高いカメラとなった。
価格も高く、商業的には成功したとは言えないカメラだが、
それはそれだ、この困難な開発を実現したという事自体が、
価値のある事であり、その宣伝効果や波及効果は大きかった
と思う。
現に発売から20余年を経過したデジタル時代の今なお、
本機は「伝説」であり、実際に現代に本機を購入して楽しむ
マニアも居ると聞く・・
(注:銀塩末期の2000年代初頭、一度本機を売却処分しよう
として中古店と話をしたが「不人気で相場が安い」との事で
見送った。本機AXを残した理由は、そこにもあったのだが、
今から考えると、歴史的価値が高く、残しておいて良かった)
他の長所だが、実の所、あまり見当たらない(汗)
(注:マクロ機能については後述する)
![c0032138_16380563.jpg]()
さて、本機AXの弱点であるが、
まずは、苦労して実現したABF機構が、どうにも実用レベル
には程遠い事だ。AF駆動は極めて遅く、精度も低い。
(注:この事が、銀塩時代のユーザー層には嫌われていた)
![c0032138_16391173.jpg]()
それと、MFレンズ側のピント位置やピント方式にも複雑な
関連があって、例えばピント無限遠でAF駆動(ABF)させれば
画質は比較的保たれるが、近接撮影のピント位置でABFを
したり、IF(インナーフォーカス)仕様のレンズでは、
レンズ設計時の限界画質を下回る可能性がある。
(つまり、マクロでは無い通常レンズは、無限遠距離で
最良の画質となるような設計基準がある為だ)
しかしAF速度については、巷の評価は分かれていた。
「遅くて使い物にならない」という人と、「意外に速い」
という人だ。・・が、ここは明確な理由が考えられる。
「遅い」と言った人は、本機AXの内部構造や技術を理解して
おらず、単純にEOS-1NやF5等と比較した人だ。
(まあ、こちらが大半の評価であったのは前述の通り)
「速い」と言った人は、本機AXの動作原理を完全に理解して
いて、その技術的な困難さが想像できる人だ。
だから、「到底無理だろう」と事前に思ったレベルよりも、
ずっと速くて正確な事に驚く訳だ。
まあ、そうした評価はどうでも良く、実質的には本機AXを
AF機として使うには少々無理がある。
それよりも、裏技の方が実用的には大きな魅力であったのだ。
それはつまり、ABFを「マクロモード」に切り替えて
「全てのツァイスレンズをマクロ化する事!」である。
![c0032138_16391153.jpg]()
プラナーがマクロプラナーに、テッサーがマクロテッサー(?)
になる事は、画質低下とかはさておき、大きな魅力であった。
なお、ABFやマクロ機能は、マウントアダプター使用時での
他社レンズでも有効だ(例:M42マウントレンズ等を使い
AFジュピターやマクロタクマーとする事が出来た!)
本機の他の弱点は、重さ、大きさ等色々とあるが、もう
そこは不問としよう。
ともかく、この特殊機を完成させた事に敬意を払いたい。
![c0032138_16380535.jpg]()
さて、最後に本機CONTAX AXの総合評価をしてみよう。
評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
-----
CONTAX AX(1996年)
【基本・付加性能】★★★☆
【操作性・操作系】★★★
【ファインダー 】★★☆
【感触性能全般 】★★☆
【質感・高級感 】★★☆
【マニアック度 】★★★★★
【エンジョイ度 】★★★
【購入時コスパ 】★☆ (中古購入価格:80,000円)
【完成度(当時)】★★☆
【歴史的価値 】★★★★★
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】3.1点
突出した評価は、マニアック度と歴史的価値だけだ。
他の項目は、平均点か、それ以下でしかない
だが、苦心して実現した特殊なABF機構は、非実用的で
あったとしても、副次的産物であるマクロ機能は十分に
実用的で魅力的であったし、大きく重い事を除いては、
カメラとしての基本性能は決して低くは無い機体だ。
発売当初は相当に話題になったが、後年1990年代後半の
第一次中古カメラブームの時代ですら、不人気であった。
(しかし、この時代、他のAF機は、もっと人気が無かった
ので、むしろ注目されていた方だ、とも言える)
![c0032138_16380508.jpg]()
現代においては、実用価値はゼロに近いカメラではあるが、
まあでも、マニアック度満点という評価点から分かるように
それなりに「そそられる」上級マニアも多い事であろう・・
次回記事では、引き続き第三世代の銀塩一眼レフを紹介する。
今回は第三世代(AFの時代、世代定義は第1回記事参照)の
CONTAX AX(1996年)を紹介する。

(ミラーレス・マニアックス第29回)
本シリーズでは紹介銀塩機でのフィルム撮影は行わずに、
デジタルの実写シミュレーター機を使用する。
今回はまず、フルサイズ機CANON EOS 6Dを用いるが、
記事後半ではシミュレーター機もレンズも変える事にする。

写真を交えて記事を進める。

「何が”化物”なのか?」と言えば、本機AXでは、どんな
MFレンズを装着しても、それをAFで使えてしまうのだ。
「それは凄いが、そんな事が出来るのか?」という疑問は
当然出て来るであろう。
ここで一般的な一眼レフのAFの仕組みについて簡単に解説
しておく。
普通、一眼レフでのAF(オートフォーカス)という仕組みは、
レンズから直接取り込まれる(Thru The Lens=TTL)映像を
カメラ内部のAFセンサーで解析する。その際の一般的な
手法は分離した映像のズレを判定する「位相差検出」方式だ。
ピントが合っていなければ、一眼レフボデイ内のモーターを
用いてレンズ側に動力を伝え、レンズのピントリングを
カメラが廻す(撮影者が手で回す場合は、勿論MFとなる)
が、この方式ではレンズのピントリングを本体から廻すには
力も速さも少々厳しいので、近年のレンズではレンズ側に
各種のモーター(超音波モーター、ステッピングモーター等)
を内蔵し、カメラボディからの電気信号でレンズ側が自力で
モーターによりピントリングを廻す(=レンズ内モーター仕様)
で、ピント位置が変化し、カメラ内のAF(位相差)センサーが
「ピントが合った」と判定したら、そこでレンズの動きを
止める(注:ぴったり止めるのは、それなりに難しい)
まあ、原理的には、これだけの簡単な仕組みである。
(しかし、実際にこれを作るには、様々なノウハウが必要だ。
だから、銀塩コンパクト機にAFが初搭載されてから、実用的な
AF一眼レフが発売される迄、およそ8年の歳月がかかった)

ミラーレス機においては。この「位相差検出」方式とは異なる
「コントラスト検出」方式が主に使われる。
それから、近年のミラーレス機やデジタル一眼レフの一部では、
「像面位相差AF」(他の呼び方も色々あり)の技術を用いている。
また、銀塩AFコンパクト機等では赤外線や超音波等を発して
反射により距離を測る「アクティブAF方式」も使われている。
これらの他の様々なAF方式を一々説明すると長くなるので
省略するが、まあ現代においては購入するカメラの仕様にも
密接に関連するので、中級者以上ならば基本的知識として
必ず知っている事だと思う(知らないと、むしろ問題だ)
さて、ここまでの説明では、AFのカメラに、AFのレンズを
組み合わせないと、オートフォーカスは実現できない。
しかし、本機AXの場合は、AFのカメラに、MFのレンズを
装着しても、AFが実現してしまう。
いったいそれは、どうやって・・?

ピントリングを動かすのではなく、フィルムを機械的に
前後させてピントを合わせる」のだ。
「え~?? そんな事が技術的に可能なのか?」
というのが、ちょっとわかっている人での質問だ。
「可能か?」と言われれば、一応可能である、なにせ
本機AXが実際に1990年代に市販されていた位だ。
ただ、技術的な課題は色々とある。まず「フィルムを若干
動かす程度の範囲で本当にピントが合うのか?」それから
「フィルムを一体どうやって動かすのだ?」さらには
「それは素早く確実に動くのかどうか?」又、レンズ側でも
「レンズのピント位置は? レンズ性能は低下しないのか?」
等である。
その説明をする前に、実は本機AXの他にも、MFレンズを
AF化してしまう、魔法のアタッチメントが存在していた。

の2種類がある。他にもあったかも知れないが記憶に無い(汗)
これらのアタッチメントは、MFレンズとAFカメラの間に装着
するテレコンバーター形式であり、その中に可動するレンズ
群があって、それでレンズのピント位置を動かしているのと
同様な効果が得られる。
この原理は、本機CONTAX AXのフィルム位置を動かしている
事と、まあ似ていると言えば似ているであろう。
NIKON TC-16Aは現代のデジタル一眼では、もう使用ができない
古いアタッチメントではあるが、本ブログの、かなり昔の
記事で使用感を紹介していたと思う。
(注:アタッチメントとは、勿論「付属品」と言う意味だ。
「フィルター径」という意味とは等価では無いので念の為。
そして、そもそも、アタッチメントは、レンズの前部に付ける
だけの物とは限らない→上記TC-16Aがその一例だ)

ミラーレス機用のマウントアダプターにおいて、レンズに与える
電気信号の「プロトコル」をアダプター内のCPUで生成する事で、
AFレンズを本来のAF動作をさせる事が出来るようになるという
「電子アダプター」とは、根本的に技術原理が異なっている。
このあたりは、こうした複雑な技術内容を、たった一言で
説明できる用語が存在しないので、まあ色々と混乱しやすい
のはやむを得ないのだが、意味が分からないで間違って製品
を購入した場合、損をするのはユーザー自身であるので、
しっかりと個々の技術の意味を理解するしか無いと思う。

MFレンズを用いてボディ側だけの構造でフィルム面を動かす
為には、フィルム全体を丸々移動させる内部構造が必要だ。
これは「ボディの中に別のボディが入っている」ような構造
であり、複雑怪奇である他、まるで「着ぐるみ」を着ている
ように、とんでもなく太ったカメラとなってしまった。
で、当然の話だがフィルム位置を動かすのは大変だ。
その重量から速度も遅いし力も必要だし、きっちりと止める
精度もだ、全てに技術的なネックがあり、開発難易度が高い。
まあでも、京セラ・コンタックスは持てる技術を結集し、
ついに、これを実現させてしまう。

バックフォーカシング・システムの略だったか?)と呼んだ。
実際にこの仕掛けがちゃんと動作するかどうかは後述するが、
そもそも、いったい何故、京セラCONTAXは、こんな
「化物カメラ」を作ったのであろうか・・?
ではここで、京セラCONTAX機を取り巻く、一眼レフ界の
歴史を、関係する時代の部分だけ振り返ってみよう。
<1985年>
MINOLTA α-7000発売、言わずと知れた「αショック」だ。
CONTAX 159MM(本シリーズ第12回記事)
<1987年>
CONTAX 167MT 中級機、世界初のオートブラケット搭載機
KYOCERA(YASHICA) 230AF
京セラ初のAF一眼レフ。CONTAX銘では発売されなかった、
1990年代前半まで数機種が発売されが、Y/C(RTS)マウントと
互換性の無い専用レンズであり、試験的な要素も大きかった
事であろう。海外はともかく、国内市場ではとても不人気で
あった。このシリーズの商業的な失敗もあってか、CONTAXの
一眼レフのAF化は、事実上凍結されてしまった。
<1988年>
NIKON F4(本シリーズ第15回記事) ニコン初のAF旗艦
<1989年>
「昭和天皇崩御」 時代は昭和から平成へ
「消費税導入」
CANON EOS-1/HS(本シリーズ第14回記事)キヤノン初のAF旗艦
<1990年>
CONTAX RTSⅢ
コンタックス初のフラッグシップ級高級機。CONTAX機としては
3年ぶりの新機種だ。しかし、AF機では無くMF機である。
ここにおいて、京セラCONTAXはY/CマウントのAF化を完全に
諦めたかのようにユーザー層は感じた事であろう。
(注:この後、高級コンパクト機Tシリーズや、レンジ機
Gシリーズでは、CONTAXはAF化を難なく実現している)
<1992年>
「バブル景気」崩壊、消費行動の心理・傾向が変化する
CONTAX S2 マニアックな機械式カメラ、チタンボディ
CONTAX ST 旗艦級では無いMF高級機、1/6000秒シャッター搭載
<1993年>
CONTAX S2b S2の黒(灰茶色)仕上げ版(現在未所有)
<1994年>
CONTAX RX 中級機(MF)、フォーカスエイド搭載
<1995年>
「阪神淡路大震災」発生
<1996年>
NIKON F5(本シリーズ第19回記事) ニコン二代目のAF旗艦
CONTAX AX(本機)
ここでやっと本機AXの時代に到達した。

「バブル崩壊」や「阪神淡路大震災」は、大事件であり
消費者の消費行動(心理・傾向・趣向)にも多大な影響を
与えたと思われる。
すなわち、カメラに対しても、表面的なカタログスペック
以外の要素を求めるようになってきたと思われるのだが
残念ながらカメラ側は、高機能化・高性能化による
スペックの増強を推進するばかりであった。
その為、新機能が搭載された新機種(AF一眼レフ)が
次々に登場すると、まだ十分に使える旧機種はすぐに廃れ、
誰も見向きもしなくなった(=仕様老朽化現象)
そうした「バブリーに機能を膨らませた上辺だけのカメラ」や
「家電製品化し、消耗品と化した所有満足度の低いカメラ」は
消費者ニーズとの微妙なズレを段々と広げていき、
本機AXの時代(1990年代後半)あたりから、カメラ界は、
空前の「(第一次)中古カメラブーム」に突入する。
つまりこれは、その時代に発売された新機種(一眼レフ)には
少なくともカメラマニア層は興味を持てず、MF時代の名機等を
追い求めた時代であった。
事実、私もバブル期企画のカメラは、PENTAX Z-1を除き全て
処分し、今は1台も保有していない。その時代の後の最初の
AF一眼のNIKON F5は、フラッグシップ機でありながらも、
バブル期の設計思想を引きついでいて、本シリーズ中、過去
最低点の評価となってしまっていた・・

中心に、少しだけ紹介すると・・
<1990年>
CONATX T2 実質的には史上初の「高級AFコンパクトカメラ」
<1993年>
CONATX Tvs 初のズーム付き高級AFコンパクト機
NIKON 35Ti ニコン初の高級コンパクト機
<1994年>
CONATX G1 史上初のAFレンジファインダー機
NIKON 28Ti 28mm広角レンズ搭載高級コンパクト機
<1996年>
CONTAX G2 G1の後継機、完成度が高く人気機種となった
RICOH GR1 高級AFコンパクトカメラブームの火付け役
MINOLTA TC-1 ミノルタ初の高級コンパクト
APS(IX240)フィルムとAPSカメラの発売開始
という状況で、本機AX発売と同じ1996年からの後、一気に
「(銀塩)AF高級コンパクトカメラ」のブームが加速する。
この事実もまた「マニアは新製品のAF一眼レフには興味が
持てない」事を暗に示していて、定価が10万円以上もする
(場合によりAF一眼レフより高価)高級コンパクト機が、
一眼レフよりも「飛ぶように」売れていたのだ(この主な
ユーザー層は中上級マニアだが、波及して女性ユーザーや
ビギナー層にも人気であった)
なお、1975年のCONTAX RTS(本シリーズ第5回記事)は、
まさしく「鳴り物入り」での登場だったのだが、同時期の
ヤシカの経営破綻と、京セラの資本投下等の事情からか、
1980年代前半迄は有力な新製品カメラが作れず、その後
1985年のαショックと、1980年代末のCONTAXのAF化失敗
(見送り)により、結局1980年代のCONTAX一眼レフは
「鳴かず飛ばず」の状況であっただろう。

のCONTAXレンズは、そこそこ高く評価された。
まあ値段が高いので「良いレンズだ、と勘違いする」大誤解
もある。
その当時では、ビギナー層はもとより、専門の評論家で
すらも、そのように思い込んでしまう場合も多々あった。
それに、CONTAXやツァイスは、旧来から「神格化」されて
いた為、「たいした写りでは無い」等と言おうものなら
「何を馬鹿な!」と、周囲のマニアやユーザーや市場すらも
全て敵に廻してしまう。
だからやはり「さすがツァイス!」等の、ありきたりの
評価をする事しか許されなかった、とも言えるであろう。
ある意味、残念な時代だ。

は良い物も、そうで無い物も混在する」という感覚だ。
特に、ボケ質破綻が起こるレンズが多く、使いこなしがかなり
困難だ(というか銀塩一眼レフでは、ボケ質破綻回避技法が
原理上無理だ、ミラーレス時代になって、やっとそのあたり
の精密なコントロールが若干だが可能になったと言える)
このあたりの詳細は、本ブログでの過去シリーズ記事の
「ミラーレス・マニアックス」でも、散々、多数のCONTAX製
レンズの紹介をした際にも出てきた話である。
まあすなわち、銀塩時代の当時としては、CONTAXレンズを
正しく評価できる術(すべ)を誰も持っていなかった、
というのが最も正解に近い話であろう。
仮に、解像度チャート等を撮ったりしてMTFを計測する等と
いった専門的な解析作業を行っても無意味であったのだ、
それらの方法では「ボケ質」等の、特殊な撮影条件が
要求され、かつ経験的・感覚的な評価方法論を盛り込む
事は無理だからだ・・

で、CONTAXレンズは1980年代末にAF化を見送った為、
時代が進んでも大きく値上げする事が出来なかった。
他社では1980年代後半から、AF化という「付加価値」
(つまり、メーカーから見れば「値上げ」の弁明である)
があった為、新規に発売されたAF用の交換レンズの価格は、
どんどんと上昇。旧来のままのCONTAXのレンズは相対的に
段々と安く感じるようになり、実際に1990年代では他社の
AFレンズよりも、むしろCONTAXレンズは割安であった。
(例:1990年代のCONTAX (RTS)プラナー85mm/f1.4の定価が
10万円弱であった事に対し、他社AFの85mm/f1.4級レンズの
定価は、それよりも遥かに高価な14万円程であった、等)
そう言う訳で、もうこの時点で「値段の高いものは良い物だ」
と言う、ありきたりの価値感覚は意味が無くなっていた。
値段の高い製品は「メーカーが高く売りたい」かつ「高くとも
ユーザーが買いたい」というバランス点により成り立つ訳だ。
AF化や、あるいはNIKONでのD型対応等で、レンズの価格は
どんどん高くなった。つまりそれは「高く売れるからそうした」
というだけであって、一般ユーザー層が思うように「性能が
上がったから高くなった」という意味では決して無いのだ。
(まあ、開発費の償却もあるが、ここでは概要だけを述べる)
そこら辺の事を理解していないユーザー層は、現代においても
いくらでも居るし、むしろそれが大半という残念な状況だ。
本ブログでは昔から何度も何度も繰り返し述べているが
「値段の高いもの、イコール、良いものでは決して無い」
と言うことである。その事がずっと理解できないようでは、
「カメラ業界に、せっせと貢いでいる」状態でしか無い。
しかし、その事は、近年大きく「縮退」しているカメラ業界
にとっては「福音」でもある。その「貢献」がなければ、
各メーカーはカメラ事業を維持・継続する事が出来ない。
が、消費者の立場から見れば、それは「無駄に金を使う行為」
に他ならないのだ。
「じゃあ、どうするのか?」と言えば、それは簡単な話だ、
わかっている人は、自分のやりかたを貫けば良いし、
わかっていない人も、自分の好きに消費行動をすれば良い。
そこはそれぞれの個人の価値観だ。
結果的に損する人も得する人も出てくるだろうが、それはもう
100%、ユーザー(消費者)側の本人の「自己責任」である。

一眼レフではRTSⅢ等、高級コンパクトTシリーズ、および
レンジ機Gシリーズ、これらの好調から、そして「バブル期
の残り香」から、本機AXの「リスキー(危険)な開発」が、
かろうじて許されたのであろう。
(なお、余談だが、京セラ本社(京都市)に併設された美術館
(無料)を訪れてみると、1990年前後のバブル期に収集した、
ピカソ等の有名絵画や、貴重な陶磁器等が沢山展示されている。
まあ、「余裕があった時代だった」という事なのであろう。)
それから、CONTAXのレンズがAF化出来なかった事は、
技術的問題と言うよりも、どちらかと言えば「政治的」な
要因が大きかった事であろう。京セラにAFの技術が無かった
訳では無いし(他シリーズ機で容易に実現している)
「人気の(神格化された)ヤシコン・マウントを変えるべき
では無い」という、大きな方針があったのかも知れない。
だとすれば、技術屋としては、
「じゃあなんとしても、ヤシコンのレンズのまま、AFを
実現してやろう」という強い意志(意地)が芽生えたのかも
知れない。
今まで誰もやった事の無い新たな発想、そして、その開発は
困難を極めたかも知れないが、ついにそれは実現された。
「AFなんて飾りです、偉い人にはそれがわからんのです」
という、アニメの名セリフを思い起させるではないか・・
まあ、本機AXの背景に潜む最大の特徴がその事だ。

述べておきたいのだが、以前にもチラリと書いたが、この
時代のカメラについての情報は、現在では極めて少ない。
京セラのWEBサイトからも、銀塩カメラの説明書などは全て
「削除」されてしまっている。カメラ事業から撤退して
既に10年を軽く超え「もうそれは過去の話、今さら無関係」
というスタンスなのであろう。
ネット上でも本機AXの仕様の詳細などは殆ど見当たらなく、
検索でも過去の本ブログの記事が出てくるだけだ(汗)
それは自分で書いた記事なのだから、読む必要は無い(笑)
それ以上の詳しい情報や、公式情報等は、もう無いという事だ。

いる範囲だけで留めておこう。
CONATX AX(1986年)
バックフォーカス(ABF)方式、35mm判フィルム使用AEカメラ
最高シャッター速度:1/6000秒(AE時、電子制御式)
シャッターダイヤル:有り(4秒~1/4000秒)
フラッシュ:非内蔵、シンクロ速度1/200秒(?) X接点
ホットシュー:ペンタプリズム部に固定
ファインダー:固定式、スクリーン交換可能。
倍率0.7倍 視野率95%
使用可能レンズ:ヤシカ・コンタックス マウント
絞り込みプビュー:有り
AF測距点数:1点
AFモード:シングル(S)、コンティニュアス(C)、マニュアル(M)
マクロモード:ABF機構を10mm繰り出してレンズをマクロ化
AF開始:専用ボタンによる(AFL兼用)
露出制御:PSAM方式
測光方式:中央重点平均(?)、スポット
露出補正:±2EV,1/3段ステップ(専用ダイヤル)
AEロック:電源スイッチ部で可
ファインダー内表示:撮影枚数、測光モード、バックフォーカス
フォーカスエイド、絞り値、シャッター速度
視度補正:専用ダイヤルで可
露出ブラケット:可(レバーで1/2段/1段切り替え可)
ミラーアップ:不可
ドライブ:単写、高速、低速、露出ブラケット、
セルフタイマー2秒、10秒
連写速度:CH高速時 秒5コマ
CL低速時 ??コマ
多重露光:不可(?)
電源:リチウム電池 2CR5 1個使用
カスタムファンクション:露出モードレバーを変えて設定可
フィルム感度調整:手動ISO6~6400、DXコード対応
フィルム巻き戻し:Rレバーの操作による
データバック:別売D-8 装着可
本体重量:1080g(電池除く)
発売時定価:250,000円(税抜き)
----
さて、このあたりでシミュレーター機のEOS 6Dの使用を
やめる。レンズもCONTAX Tessar T* 45mm/f2.8としよう。

テッサーの組み合わせは、なかなかユニークで面白かった。
(RTSⅢ等でも起こる、この「大小効果」は、マニア受けして、
同時代からの一大「パンケーキブーム」に繋がったと思われる)
以降のシミュレータ機もSONY α7に交換しよう。

2005年にカメラ事業から撤退以降使われて(作られて)おらず、
(注:例外的にKENKOより銀塩MF一眼レフKF-3YC 2007年
が、ヤシコンマウントレンズ救済の目的で発売されている)
現行のデジタル一眼レフには、Y/Cレンズはそのまま装着は
出来ず、必ずマウントアダプターを介する必要がある。
(注:ただし、フルサイズ機EOS 6Dと、Y/Cレンズの一部
(大半?)では、アダプターで装着できてもミラーが干渉して
(当たって)使用出来ない。このTessar45/2.8も同様である。
この状態で無理やり撮影するとカメラを壊すリスクがある為、
安全を期すならば、今回使用のα7といったミラーレス機で
使用するのが良いだろう。しかしα7ではオールドレンズ使用
時に内面反射によるゴーストが大きな問題だ。結局なかなか良い
組み合わせが存在しないが、そこは色々試してみるしか無い)

まず、「到底そんな事は無理だ」と思われるような、
フィルム面を動かすシステム(ABF)を、執念で実現して
しまった事にある。
ボディの中のボディという重たい質量をスムースに動かす為、
親会社「京セラ」の、セラミック製レールを採用したとの事。
勿論、それだけではなく、この前代未聞・前人未到の構造を
実現する為に様々な精密技術や新技術が使われている。
まあ普通はこういう開発は、やりたくても金も時間もかかる
為に出来ない。が、バブル期の企業資産価値上昇や、前述の
一眼レフ以外の他シリーズCONTAX機の好調などの理由で
かろうじて開発にGOサインが出たのかも知れない。
結果、極めて「歴史的価値」が高いカメラとなった。
価格も高く、商業的には成功したとは言えないカメラだが、
それはそれだ、この困難な開発を実現したという事自体が、
価値のある事であり、その宣伝効果や波及効果は大きかった
と思う。
現に発売から20余年を経過したデジタル時代の今なお、
本機は「伝説」であり、実際に現代に本機を購入して楽しむ
マニアも居ると聞く・・
(注:銀塩末期の2000年代初頭、一度本機を売却処分しよう
として中古店と話をしたが「不人気で相場が安い」との事で
見送った。本機AXを残した理由は、そこにもあったのだが、
今から考えると、歴史的価値が高く、残しておいて良かった)
他の長所だが、実の所、あまり見当たらない(汗)
(注:マクロ機能については後述する)

まずは、苦労して実現したABF機構が、どうにも実用レベル
には程遠い事だ。AF駆動は極めて遅く、精度も低い。
(注:この事が、銀塩時代のユーザー層には嫌われていた)

関連があって、例えばピント無限遠でAF駆動(ABF)させれば
画質は比較的保たれるが、近接撮影のピント位置でABFを
したり、IF(インナーフォーカス)仕様のレンズでは、
レンズ設計時の限界画質を下回る可能性がある。
(つまり、マクロでは無い通常レンズは、無限遠距離で
最良の画質となるような設計基準がある為だ)
しかしAF速度については、巷の評価は分かれていた。
「遅くて使い物にならない」という人と、「意外に速い」
という人だ。・・が、ここは明確な理由が考えられる。
「遅い」と言った人は、本機AXの内部構造や技術を理解して
おらず、単純にEOS-1NやF5等と比較した人だ。
(まあ、こちらが大半の評価であったのは前述の通り)
「速い」と言った人は、本機AXの動作原理を完全に理解して
いて、その技術的な困難さが想像できる人だ。
だから、「到底無理だろう」と事前に思ったレベルよりも、
ずっと速くて正確な事に驚く訳だ。
まあ、そうした評価はどうでも良く、実質的には本機AXを
AF機として使うには少々無理がある。
それよりも、裏技の方が実用的には大きな魅力であったのだ。
それはつまり、ABFを「マクロモード」に切り替えて
「全てのツァイスレンズをマクロ化する事!」である。

になる事は、画質低下とかはさておき、大きな魅力であった。
なお、ABFやマクロ機能は、マウントアダプター使用時での
他社レンズでも有効だ(例:M42マウントレンズ等を使い
AFジュピターやマクロタクマーとする事が出来た!)
本機の他の弱点は、重さ、大きさ等色々とあるが、もう
そこは不問としよう。
ともかく、この特殊機を完成させた事に敬意を払いたい。

評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
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CONTAX AX(1996年)
【基本・付加性能】★★★☆
【操作性・操作系】★★★
【ファインダー 】★★☆
【感触性能全般 】★★☆
【質感・高級感 】★★☆
【マニアック度 】★★★★★
【エンジョイ度 】★★★
【購入時コスパ 】★☆ (中古購入価格:80,000円)
【完成度(当時)】★★☆
【歴史的価値 】★★★★★
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】3.1点
突出した評価は、マニアック度と歴史的価値だけだ。
他の項目は、平均点か、それ以下でしかない
だが、苦心して実現した特殊なABF機構は、非実用的で
あったとしても、副次的産物であるマクロ機能は十分に
実用的で魅力的であったし、大きく重い事を除いては、
カメラとしての基本性能は決して低くは無い機体だ。
発売当初は相当に話題になったが、後年1990年代後半の
第一次中古カメラブームの時代ですら、不人気であった。
(しかし、この時代、他のAF機は、もっと人気が無かった
ので、むしろ注目されていた方だ、とも言える)

まあでも、マニアック度満点という評価点から分かるように
それなりに「そそられる」上級マニアも多い事であろう・・
次回記事では、引き続き第三世代の銀塩一眼レフを紹介する。