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【音楽専科】きはらちかこ祭 2017(後編)

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京都・三条木屋町のライブハウス「LIVE SPOT RAG」にて
2017年7月30日に行われた音楽イベント(ライブ演奏)
「きはらちかこ祭」の模様より、後編。

今回の記事では、ライブ後半でのゴスペル・ユニット
「Funky Drops」のステージの模様について紹介する。

こちらのユニットの撮影は2回目であり、本ブログでは
2017年3月の記事でも紹介している。
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今回のライブ撮影は、本番時、すなわちお客さんが満員と
なっている状態で行った。

私は今回撮影スタッフとして入っているので、自由に撮影を行う
事が出来るし、ブログ写真の肖像権についても掲載許可がある。
しかし、もし一般カメラマンの場合は、ライブ等のイベントを
撮影する事は、許可が無いと不可だと思って貰えば良いであろう。

まあでも、家族や知人等がライブ又は様々なステージに出演し
依頼されて、それを撮るという状況は、一般カメラマンでも、
あるかも知れない

しかし、そんな際、お客さんが入っている本番の状況では、
本記事の前編に上げたような様々な注意点(マナーあるいは
制約事項)をきちんと守って撮らないとならない。

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それから、重要な点だが「アート」と言うものは、人真似で
あってはならない事は勿論、自身の言いたい事を主張しないと
ならない。で、それを「表現」と呼ぶ。

音楽は勿論そうだし、絵画とか俳句、演劇、小説など、他の
芸術分野でも全て同様だし、アートでは無いがSNSの記事等も
そうだ。
お店で食べたものを写真で紹介しでも、凄いのは美味しい料理を
作った料理人であって、それをアップした人の主張では無い。

「写真」という分野全般でも、それはまったく同様だ。
飛行機や車や電車の写真を撮っても、格好良いのは、その被写体
そのものであって、撮った人の手柄(表現)では無い。
はたまた、美人モデルのポートレート、綺麗な風景、勇壮なお祭り、
珍しいイベント、可憐な花、変わった動物・・・全て同様だ。

で、こういうのを総括して「被写体の勝ちの写真」と言う。
初級中級者であれば、そういう被写体ばかりに目が行ってしまう
だろうが、それだと、ずっといつまでも被写体が勝った写真を
「撮らされているだけ」の状態だ。

写真を「習い事」のように捉えているならば、それもありだろう。
しかし、今後、自分が写真を撮っていく上で、そうならないように
したいのか否か、そこは十分に良く考える必要がある。

で、ライブの写真もしかりで、あくまで音楽を表現しているのは
ステージ上のアーテイスト(ミュージシャン)であるのだ、

そして勿論、彼らは「表現者」だから被写体としても圧倒的に強い。
だから普通に撮ると、被写体の圧勝の写真になってしまう。
しかし、そうならないように撮る、つまり被写体の力に相当する
ような別の表現を写真に加えていく事が、これまた大変なのだ・・

アーティストの根底にある「表現」そして、それを実現する為の
プレーヤーのテクニックや機材へのこだわり、そういう部分が
私としては特に気になる点であり、それを少しでも理解して
そこから表現を受け止めようとする。

もっと簡単に言えば、私は、アーティストやプレーヤーそのものに
向けた写真が撮りたいと思うようになってきている。
つまり、彼らが表現したい事を写真でも表現したい訳だ。

が、そう言う事は何万枚とか言うレベルで撮影しても困難な話だ、
一生かかっても、その領域にたどり着けるか否か?でも何らかの
目標を持って写真を撮らないと意味が無いとも思っている。
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さて、ライブの本質は「臨場感」だ、という定義は、多くの人が
言っていて、どこででも見かける事ができる。

しかし、最近、その事が個人的には疑問に思えてきている。
そもそも「臨場感」という曖昧な言葉で「わかったような気」に
なってしまう事が問題なのであろう。
「臨場感」って、いったい何なのだろう・・?

余談だが、職業写真家のような高い技術や経験値を持っている人が
稀にライブを撮影する場合、被写体の強さに負けじと、極度に
癖のある独自の撮り方をしようとするケースを良く見る。
例えば、スタッフで無いと許されないような極端なローアングルの
撮影とか、プレーヤーに非常に近接して遠近感を誇張した表現とか、
大口径レンズを使ってピンポイントしか焦点を当てないとか、
あるいはプレーヤーの派手な動きの瞬間を連写で抑えるとか、まあ、
そう言うテクニカルな事を色々考えて撮るのであろう、そうすれば
アマチュア写真家との「差別化」にもなるからだ。

ところが、そういう写真を見て「ライブの臨場感がありますねえ」
と言ったところで、実際は、そういう写真はテクニカル面で
優れていたとしても、音楽表現の本質的なものを写真として
納めようとしているかどうかは、かなり疑問だ。

つまり、アーティストによる音楽そのものを理解しようとして、
そこに入り込まない限りは、どんなに写真を撮る技術があっても
意味が無いと思っている。
簡単に言えば、「被写体(音楽)を知らないと写真は撮れない」
という事になるだろう。

それと、演奏者の集中力を殺ぐような撮り方をしてはならない
近接したり、下から撮ったり、フラッシュを焚いたりは禁物だ。
そういう撮影技法をするのは、ステージで楽器の演奏をした事が
無い人だ、プレーヤーは単なる「被写体」では無いのは勿論だ、
「表現者」の心理がわからずにライブ写真を撮る事は出来ない。
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で、もっと別の側面の話をするならば、その写真はいったい
誰に見せるものなのか?

まあ、例えば「宣材写真」とかいうジャンルはあるだろうが、
それはつまり、アーテイストのファン層に向けた写真だ。
あるいは、ポスター写真というのも、ほぼ同じだと思う。
宣材写真は、オーデイションとかプレゼンテーションに使われる
場合もあるが、その場合はファン層というものが対象では無い。

職業写真家であれば、「クライアントが誰か?」というのは
常に意識している、つまり、誰が何の為にカメラマンを雇うのか?
という点だ、その雇用主の意図に沿わない写真を撮った場合は、
どんなに綺麗に、あるいは格好良く、はたまた珍しい瞬間を
撮ったとしても写真としての価値が無い。 

音楽でもそうだが、アマチュアとプロの差は、一般人が考える
ように「それでお金を貰っているか否か?」では無い。

例えばアマチュアだとしても有料のライブをやるでは無いか、
それは出演料が出る事になる。だから報酬の有無では識別できない。

また、その行為を主な収入として、食べていけているかどうか?
でも区別できない、プロのミュージシャンだって売れない人は
居るし、アマチュアでも儲けている人はもちろん居る。
副業があるとか無いとか、そこも話をややこしくするだけで
意味の無い分類手法だ、人の財布を気にしてどうするのだ・・
では、演奏や歌唱が上手か下手か?・・それも勿論意味が無い。

正解を言ってしまえば、「誰がお客さんだかわかっている人」が
プロであり、そのお客さんあるいは雇用主が求める「結果」を
ちゃんと「質の良い仕事」(顧客満足度)として出せる事が条件だ。

それがわからない、全く意識していない、または意識する必要が
無い人達はアマチュアなのだ。それで全て説明がつく。
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さて、余談が長くなってしまった。
でも、こういう事はとても重要な「一次情報」だ、「何かを
表現したい、伝えたい」と考える事は、ミュージシャンでも
ブロガーでも全く同じであろう。
何も伝わってこないSNS等は、見る必要も全く無いものだ。

余談ばかりになって、メンバー紹介を忘れていた(汗)

上のプレーヤー達の3枚の写真は、「Funky Drops」の
DsのK氏、BsのI氏、PのGさん、となっている。
既に以前の「Funky Drops」の記事でも、それぞれ紹介している。

他のバックバンドのメンバーは、本記事の「前編」と変化無しだ。

前編にも書いたように、それぞれ「個性的」ではあるが、
ゴスペルの場合は、あくまで「クワイア」(コーラス隊)が
主役である、あまりバンド側が表に出すぎると、バランスが
崩れてしまう、そういう点では、前編でのユニットよりも、
こちらのバンドメンバーは少し個性を抑えた編成になっているの
かも知れない。
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まあ、彼らはプロであるから、状況に応じて、どこまでが
自分達の仕事であるかは、十分わかっているのであろう。

ただ単にバックバンドとして演奏(伴奏)を無難にこなしていれば
良い、というものではなく、時にはクワイアよりも目立たなければ
ならない、そこをどうバランスするか?と言えば、全体の音楽の
構成によりけりだ。

例えば、オーケストラで言えば指揮者の立場の人が必要だ、
同じクラッシックの曲を演奏しても、同じオーケストラであっても
指揮者が違えば音楽そのものまで変わってしまう。それは指揮者の
勝手な解釈とかではなく、指揮者がどんな音楽を表現したいか?
言葉を変えれば「観衆に何を伝えたいか」で変化する訳だ。

ポピュラー音楽では「指揮者」は勿論いないのであるが、
普通はバンドのリーダーあるいはアレンジの担当者、はたまた
よりシステマチックな方法論であれば、音楽プロデューサー等の
ポジションの人が、どんな音楽として、どんな表現にするかを
決めていく。
「Funky Drops」の場合は、重鎮「木原千賀子」氏の存在が
この点では大きいと思う。

近年、TVの深夜番組で、こうした音楽系の専門職の仕事の内容を
紹介する番組があって興味深い。
ごく普通の音楽ファンや視聴者は、歌手(またはユニット)が
その音楽の全てを決めて作っているのだ、と思う事であろうから、
その誤解を解くには、とても良い番組だと思う。

1980年代以降の音楽(またはステージ)というものは、あまりに
複雑であり、ミュージシャンだけの力で曲を作ったりライブが
出来たりする訳では無いのだ。
おまけに楽器やサウンド/映像システムも非常に高度かつ複雑化
している為、様々な専門職で分業しないと、とても手に負えない。

今回の記事、特に前編では、様々な音楽・楽器系の専門用語が
出てきているが、記事群ではそれらを詳しく、又は誰にでも
わかるように平易に解説はしていない。
そんな事をしていたら、いくら文字数があっても足りないからだ。

音楽や楽器、音響の分野は、今ではものすごく高度に専門的な
分野にまでなってしまった。
まあ、フォークギターが1本あれば音楽が作れていたのは、
1970年代までの古き良き時代の話であろう・・
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さて、前編でも紹介したキーボード担当のM嬢であるが、
今回、彼女の使うキーボードを良く見ると前回のライブ時とは
異なっている。

匠「あれ~? キーボード、新型に変えましたか?」

M「あっ! カメラマンさん、良く気が付きましたねえ
  そうなんですよ! 誰も気付いてくれなくて・・」

なんだか急に饒舌になった、どうやら彼女のツボに入ったらしい。

匠「以前はノードエレクトロの3・・ いや、4Dでしたね。
  今日のはノードエレクトロ5D,最新型ですね?」

M「はい、その通りです、半額で売っていたので買いました、
  見かけは前のとほとんど同じなのですけどね。
  以前の3型や4型では、音色を選んだ際に数字でしか表示が
  出なかったのですが、5型は音色名が表示されるのです」

匠「ほほう、それはステージでは(ミスが減って)使い易いですね。
  で、ドローバーは健在、勿論、奇数次倍音も出ますよね。
  それと、多分音色のバリエーションが増えているのでは?
  先ほども何か変わった音色を選んで使ってましたね」

M「はい、そうなんです。
  もっとも、音色に関しては4型の方が良いものもありました 
  キー・スプリットが使い難くなってしまったのも弱点です。
  けれど、私は赤いキーボードが好きなのですよ」
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私も、そのキーボードが欲しいと思った。価格は20万円位と
ちょっと高価なのだが、彼女は「半額で買った」と言っていたな、
中古という事かな?10万円ならばコスパは良いであろう。

問題は置き場所だ、カメラならば1台や2台増えても大丈夫だが、
キーボードは場所を取る、正直言えば最近はほとんど弾いて
いないにもかかわらず、家にはアレンジャー内蔵大型シンセと
ドローバー型オルガン、アナログコントロール式デジタルシンセの
「3段積み」が置いてある、これ以上キーボードを増やしても
同時には弾けないし、だいいちドローバー型オルガンはノードを
買わなくとも、すでに持っているじゃあないか・・

危ない危ない、彼女の話を聞いているうちに、半分くらいは
買う気になっていたのだ・・(汗)
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さて、前置きが長くなったが、いよいよ「Funky Drops」のメイン
であるクワイア(コーラス隊)の紹介だ。

上写真はゴスペルシンガーそしてゴスペル教室の講師である
「木原千賀子」氏である。

前回のライブではクワイアの人達の衣装はバラバラであったが
今回は白を基調に青のスカーフをワンポイントとして統一している、
しかし、そこは皆女性だ、全く同じ格好とする訳ではなく、
スカーフの使い方等、メンバーによってそれぞれ個性が出てくる。
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クアイアの人数は6名、前回より1名減っている。
どうやら出産・子育て等の理由でお休み中のメンバーが多い模様だ。

クワイア以外にも、前回前面で演奏していたサックスのゲスト
プレーヤーの方が今回はお休みなので、さらに1名減っている。

この結果、左右の幅がちょっと狭くなり、僅かだが写真が撮り
易くなっている。

具体的には、ステージ全体のプレーヤーを撮ろうとした場合に、
広角でも適正なポジションが得られ難い点があるのと
本会場のステージ照明は左右端まで広くカバーしきれないので
左端および右端のプレーヤーは光が当たらず、暗い事に加えて
光源の青味が強く、ホワイトバランスやコントラストが不自然に
なる点がある。

写真にも影響が出るが、これは会場の都合なのでしかたが無い。
ちなみに、あまりに横幅が広いと、ライブハウスのモニターにも
左右端のプレーヤーが映らない。

一般にライブハウス会場というのは、柱の配置で、どうしても
ステージが見えない死角ができる、そうした場所に座った
お客さんの為に、ステージ全体をビデオカメラ(監視カメラ)
で撮影し、それを死角に設置したモニター(TV)に映像を出す
「CCTVシステム」がある場合が多い。

今回ちょっと問題があったのは、ビデオカメラのピントが
僅かにずれていた事だ、これではモニターを見ても見え難いと
思ったのだが、不思議な事にお客さんの誰からもその指摘が
無かった・・
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さて、クワイア隊は、どういう音楽表現を目指しているだろうか?
そして、それをどう写真的に捉えていくのが良いのだろうか?

実は、そのあたりは良くわからない(汗)

元々「ゴスペル音楽」という定義そのものが曖昧だ。
音楽上の特徴は「コール&レスポンス」があるとか「ブルーノート」
を使うとか、色々とあるかとは思うが、それらが必須では無いし、
何をどうしなさい、というルールも無い自由な音楽ジャンルなのだ。

これもまた、前述の「プロとは何か?」とか「臨場感とは?」
と言った物と同じで、定義をする事自体に意味が無いと思う。

何でも定義をしないと安心できないのは、日本人の悪い癖だ。
というか、欧米人に比べて自分自身の固有の絶対的価値観とか、
そういうものが少ない国民性だから、文字や数字で定義したり、
誰か別の人が、それを決めないと安心できないのであろう・・
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写真の世界でも似たような話がある、
それは「構図」という曖昧な要素だ。

良く初級者が言うのは「どういう構図で撮れば良いのですか?」
という質問である、しかし、それには答えは無い。
どう撮りたいかは撮影者各々の表現そのものだ。

悪い構図(つまり意味が無かったり、合理的では無い物)は
あるかもしれないが、良い構図という定義は有り得ないのだ。

余談だが、初級者が両手の親指と人差し指を四角に組んで
「構図を見るふり」をする事が良くある。
しかし、その「ふり」は全く効能が無い事だ。
そんな事をして何がわかるのであるう? その四角の指の
画角は何度(何ミリ)のレンズに相当するのか?
中遠距離被写体を平面的に切り出す事で、写真になるのか?
そもそも、アスペクト(縦横比)が違うじゃあないか・・

プロゴルファーがグリーン上で芝目を読む所作は、ちゃんと根拠が
あるので、ビギナーが真似をする事は、それが本当に出来るか
出来ないかはさておき、かろうじて意味はある。

しかし、指を四角に組んで構図を見るのは、殆ど意味が無い、
ちなみに、上級者でそんな事をやっているのは一人も居ない。
単に格好をつけてそうしているならば、超初心者である事が
モロばれで、逆に格好悪い。
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ここでライブ撮影上のノウハウをもう1つ。

基本的に、ユニット(バンド)においては、プレーヤーは単一
(一人づつ)で撮る事が望ましい。

これは、ユニットのメンバーは不定であり、次回のライブに
その方が参加するかどうかは不明だからだ。
よって、2人や3人を単位として撮影した写真は、そのライブの
記録としては望ましいが、次回のライブ公演のポスターや
フライヤーやパンフレット、宣材写真等には適さないのだ。
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さて、後、ステージで気になるのは曲目数だ。
前回のライブでは「Funky Drops」だけで16曲と多かった。

年に数回のステージなので、できるだけ多くの曲を発表したい
(表現したい、伝えたい)という気持ちは大変良くわかるのだが、
これでは、クアイア隊やバンドメンバーが曲を覚えるのが大変で、
お客さんも長時間の緊張を強いられて疲れる、お店側に飲食の
注文がしにくい、と、全てにあまり良い傾向では無い。

今回もトータルで17曲と多い。ただし2つのユニットであるし、
ステージ入れ替え時間もある為、曲が多すぎるという問題は
若干だが解消されている。
まあでも、依然、多いのは確かだと思うので、2曲位減らして、
MC(しゃべり、ト-ク)の時間を前後半の途中で混ぜていく
くらいが良いのではなかろうか・・?

選曲だが、「Funky Drops」に関しては、「聖者の行進」等
誰もが知っている曲は僅かで、多くはゴスペル音楽における
スタンダードナンバー、それもちょっとマニアックな曲が多く、
なかなか「通」向けの本格的な選曲となっている。

観客も固定客が多い模様なので、この選曲は適切であろう、
より広い場所で、より多種多様の観客層が想定される場合は、
もう少し誰もが知っている曲がメインになるという感じだ。
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先ほどのユニットで独特の存在感を見せたギタリストY氏も
ここでまた参加、ただし、先のユニットほどには前に出る
ことはなく、こちらでは、あくまでバックバンドに徹している。
さすが・・ 全体構成が良くわかっているという事であろう。
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前回ライブより前面のクアイア隊の人数が減っているので、
人の隙間から、かろうじてドラマー等バックバンドの人達を
撮影する事も出来る。ただし、クアイア隊は歌いながら激しく
動く為、その隙間が出来るのはほんの一瞬だ。

ずっと待ち構えていれば撮影は出来るが、それが長時間になると
後ろの観客の方々の邪魔になる、許される時間はほんの数秒だ、
その間に一瞬を狙う為、かなり高度な撮影となるが、その割に
普通の写真にしかならず、(撮影の)効率が良く無い。
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キーボードも同様に、適切な撮影ポジションが得られない。
彼女の場合、前バンドでも演奏しているので、その写真を
使い廻せば良いかと思ったが、この後半ステージでは衣装が
違うのだ(汗)よって、またここも超困難な撮影だ・・

もう「グリッサンド奏法」がどうした、等と言ってられない
(とは言え、かろうじてグリッサンドを捉えたが・・)
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ギターのK氏が、自慢の改造テレキャスターを使う。
「ハムバッカー」モードの音となっているので、ソロ奏法による
ロングトーンでの表現力重視の演奏技法となる。
この際に、左手位置がポイントとなり、もっとハイポジションで
チョーキングを絡めた奏法になっている瞬間がシャッターチャンス
(=予め想定している撮りたい写真のイメージ)だ。

だがここも撮影アングルの制約で、数秒間しか撮影ポジションが
得られず、そうしたフレーズが演奏上に出てくるのを待てない・・
曲の構成を読んで、このあたりでソロが出そうだな、という事は
勿論、さらにその中でどんなアドリブフレーズを、どう弾くか
まで予想していかないと、とうていそのタイミングは得られない。

つくづく、本番撮影の困難さを実感する次第だ。
(リハを見ておけば、この問題は若干解消できる)

なお、ゴスペル曲のキー(調)は、クアイア隊の歌唱キーにも
依存する事が多く、ギターで弾きやすいEやAの調ばかりとは限らず
ギターでは困難なE♭やD♭というキーとか、頻繁な転調等もあって、
演奏は、なかなか大変そうだ。ただ、B♭Maj7やdim7等の複雑な
コードフォームを抑える左手の指使いは、アコーステイック系
ギターでの重要な撮影ポイントにはなる。
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そうこうしているうちに、ステージはエンディングに近くなり
クアイア隊は盛り上がりを見せている。

「これがライブだ!」と言うのは確かに言えるであろう、
ステージと会場の観客との間の双方向での一体感、それによる
盛り上がり、そうした事が「臨場感」の一部であるとも言えるかも
知れない、
それはライブ会場に行かないと味わう事が出来ない雰囲気だ、
この為にライブに行く、と言う理由も確かにある。

「ライブ撮影は楽しいか?」と聞かれたら、間違いなくYesと答える。
写真を撮りながらも、音楽をちゃんと聴いているし、楽器の演奏も
ちゃんと見ている。
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でも、もし、ライブ撮影に慣れないカメラマンであれば、
まずは撮る事に必死で、音楽を聴く余裕なんて何も無い。

ライブ撮影は高難易度であって、撮影機材の性能が進化した
現代であっても、そんなに簡単に撮れるものでは無いから、
なおさら撮影の方に集中する必要性が出てくる。

ただ、それでは「仕事で(依頼で)撮っています」というような
スタンスになって、何も楽しめないし、そもそも撮影者も音楽に
入り込まない限りは、写真は撮れない。

で、今回の記事群で書いているように、ライブ撮影には高度な
音楽や楽器の知識が必要となる。これはカメラを扱う技術が
優れていても、あるいは高性能な機材を持っていても無理だ、
すなわち「被写体を知る事」これが撮影における基本中の基本だ。
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アンコール曲では、クアイア隊の元メンバー(産休中)等も
何人かがステージに上がってきて、皆、ゴスペルを楽しんでいた。

ゴスペル音楽は、元々は「スピリチュアル」であり、これの意味を
説明すると長くなるが、その背景には様々な「差別」や「弾圧」
への反抗の精神があって、あまり気持ちの良い歴史では無いのだ。
そこは興味があれば各自調べていただくとして、まあともかく
現代におけるゴスペル音楽は、そうした元々の精神論とは
全く異なる「楽しい音楽」として発展している。

女性の「習い事」として人気のジャンルではあるが、
ただ単に日常の様々な不満を「歌って発散する」という事に
留まらず、是非、この歴史のある音楽を、そして、ともかく
見た目に「格好良い」ステージを、木原先生も、メンバーの
方々も、しっかり続けていっていただきたいと期待する次第だ。
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午後9時半、全ステージ終了。
開始から2時間半の長丁場だった、メンバーの皆さん、
そして観客やスタッフの皆さんも、大変お疲れ様でした。

今回の記事はこのあたりまで、また次のステージが楽しみだ。


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