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特殊レンズ・スーパーマニアックス(20)平面マクロ

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本シリーズでは、やや特殊な交換レンズをカテゴリー別に
紹介している。
今回の記事では、「平面マクロ」レンズを4本紹介しよう。

「平面マクロ」とは、「主に銀塩時代における、解像力
を重視した設計で、その反面、ボケ質が固い(汚い)等
の独自性の強い設計思想(コンセプト)のマクロレンズ
である」と、本ブログでは定義している。
(匠の写真用語辞典、第5回記事参照)

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ではまず、最初のシステム
_c0032138_18595589.jpg
レンズは、NIKON Ai Micro-NIKKOR 55mm/f3.5
(中古購入価格 9,000円)(以下、Ai55/3.5)
カメラは、NIKON D500 (APS-C機)

1977年に発売のMF標準1/2倍マクロ。
Ai仕様、4群5枚、最短撮影距離24.1cmである。
_c0032138_18595516.jpg
この時代、NIKON F2A(1977年、銀塩一眼第2回記事参照)
が発売されていて、レンズ装着の簡略化等の為のAi化が
行われ、その為に本レンズもAi対応となったのだろうが、
レンズ構成は、前モデル「New Micro-NIKKOR 55/3.5」
(1975年)と同じだ。
さらには、前々モデル「Micro-NIKKOR-P C AUTO 55/3.5」
(1973年)とも同じ、ここで型番Pは5枚レンズ構成を示す
ペンタの略で、型番Cは「カラー対応コーテイング」である。
そして、前々々モデルの「Cナシ」版(1963年)とも、
レンズ構成の中身は同じである。

これらから、すなわち、以下が言える
*本Ai版は、55mm/f3.5マクロの最終バージョンである。
*十数年間に渡り、同一のレンズ構成という事実は、
 改良の必要性が無かった、という事で、完成度が高い。
*発売期間後期は、2年毎に小改良された新製品が発売され
 あわただしく、モデル毎の差異がわかりにくい。

この後だが、1981年には「Ai Micro-NIKKOR 55mm/f2.8S」
となった。これは、NIKON F3(1980年、銀塩一眼第8回
記事参照)の登場に合わせた、と言うよりも・・

まず、型番Sは直後の時代のプログラムAE機(例:NIKON
FG=1982年、NIKON FA=1983年、いずれも過去記事で
紹介済みだが、譲渡により現在未所有、ただし両機種は
「瞬間絞り込み測光」である為、S型レンズでなければ
ならない必然性は無い)・・への対応を主としていて、
さらに後年の純粋なシャッター優先機(例:NIKON F4
1988年、銀塩一眼第16回記事)への対応も可能だ。

マルチモード化の他、F2.8版では、それまでのF3.5版の
「平面マクロ」であった特性を薄めて、汎用的な被写体
の描写傾向に対応できるように設計仕様を変更した。
F2.8版は、5群6枚。最短撮影距離25cmと、本F3.5版と
レンズ構成等も異なる。(注:ただしハーフマクロだ)

設計基準(注:ここでは、どの撮影距離を優先して画質を
高めようとするか?の仕様設定、という意味の俗語。
ただし、「設計」では、あまりに広範囲でアバウトだ。
開発業務の事を知らない人が広めた用語だと思われるので、
今後は、この俗語は使わないようにするつもりだ)は、
F3.5版が近接主体で、F2.8版は無限遠仕様だ。

「平面マクロ」を薄めた理由は、時代背景に関係があるが
そこは本記事ラストの項目で説明する。
_c0032138_18595576.jpg
さて、前述の「数年毎に新モデルが出てややこしい」
という件であるが。この時代、すなわちNIKON F2~F3の
時代は、NIKON銀塩MF機の黄金期であり、70年代から
80年代の当時に、これらの機種に憧れた現代のシニア層、
そして90年代の中古カメラブームにこれらに夢中になった
ベテラン・マニア層(+投機層)においては、この時代の
NIKKORレンズの細かい仕様の差異については、異常な位に
敏感である、すなわちAuto、Cナシ、Cアリ、Ai改、Ai版、
S版、等の差異の話だが・・・

まあ、それはこの時代であれば、例えばNIKON F2でも、
時代により非Ai版とAi対応のバージョンがあったし、
「レンズはS型でないと、NIKON F3では使えるが、F4では
使えない」(誤)など、「真偽入り混じった」情報が
錯綜していて、これらのレンズ仕様を、きちんと理解し、
区分しないと、自身のカメラで使えない、という問題点も
あったからだ。

だが、実際のところは「細かすぎる」と思う。
これらは極めて複雑であるし、これを理解する事が必須の
勉強であるように勘違いするのだろうが、そうでも無い。
例えば、現代のデジタル機(特にミラーレス機)に、
これらFマウントレンズを装着する場合は、細かい仕様の
差を一切意識する必要は無い。
まあ「Fマウントであれば何でも着く」し、それで撮れる。
(勿論、例外があるが、「そういう点が、細かすぎる」と
言っている訳だ)

で、事実、本記事でも、この「細かすぎる差異」の説明に
大半を費やしてしまって、肝心の本レンズAi55/3.5の
紹介説明が全く出来ていない(汗)

まあでも、もう1つだけ重要な点を・・
「細かい差異が気になる層」では、真偽入り混じった
情報が流れている、と書いたが、その中でも私が最も
気になる誤解は、本55mmマイクロの系列において、
「F3.5版は写りが悪い、F2.8版を買え!」という話だ。

これは単純にそうとも言えず、両者は設計仕様(設計思想)
が、まるで異なるのだ。
F2.8版は後年のAF版を過去記事で紹介している。MF版は
一応家にはあるが、知人の所有物なので紹介は控えている。
(=借りて使ったものを評価しない、というルールだ)
F3.5版とF2.8版は、描写傾向が完全な別物であり、
「どちらが優れている」といった視点では語れない。

で、私は、このF3.5版を「指名買い」した。
(実は2回目の購入だ。銀塩時代はこの特性が嫌いだった)
まあ、現代において、こちらのF3.5版にある「平面マクロ」
の特性を必要とした(興味深かった)からだ。
だから、「どちらかを買え」というシニア層やマニア層の
意見は的外れであり、「自身が必要な特性を見極めて選べ」
または「必要ならば両方買え」が適正だと思う。
_c0032138_18595505.jpg
余談が長くなりすぎて、本レンズの描写力等の説明が
出来なくなった。本レンズの長所短所については
「レンズ・マニアックス第16回記事」等で紹介済み
なので、今回はばっさり割愛する。

簡単に言えば本レンズは「典型的な平面マクロ」であり、
背景や前景をボカさない平面被写体の撮影に向く。
または、金属等の精密な質感を必要とする被写体を
選べば概ね適切である、という事だ。

なお、本Ai55/3.5の、この特徴を活かす為に、今回の
母艦は、ピクセルピッチが約4.2μmと狭い目の
NIKON D500を使用、ローパスレスならばさらに良いが
D500はローパス有りの仕様だ。
また、中~大画素からの強い「縮小効果」を出す事で、
さらにカリカリ感を高める事も意図している。


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では、次のシステム
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レンズは、COSINA (MC) MACRO 100mm/f3.5
(新品購入価格14,000円)(以下、COSINA100/3.5)
カメラは、OLYMPUS OM-D E-M1 (μ4/3機)

恐らくは、1980~1990年代頃のMF中望遠マクロ。
今となっては情報も殆ど無く、詳しい出自は不明である。

多分、複数のMFマウントで発売されていた、と記憶して
いる。本レンズはM42マウント版で購入している。
(注:A/M切換が無い為、使用する母艦やアダプター
によっては、絞りが設定できないケースがある)
_c0032138_19000907.jpg
最短撮影距離は43cm、1/2倍マクロ仕様だ。
等倍撮影用のクローズアップレンズが付属していたと
思うが、画質がかなり悪くなるので、使用しないままで、
紛失してしまっている。

この時代のCOSINAは、大手「OEM」メーカーとして、
カメラメーカー各社の、銀塩カメラ本体や交換レンズを
生産していた。(まあ、有名メーカー製品の一部も、
実はコシナ製であった訳だ)


しかし、自社のブランドバリューが全く無かった為、
それ故に、コシナ銘の交換レンズは、新品定価の7割引き
とかの、とんでも無い値引き戦略で販売していた、という
事は、様々な記事でも説明してきた歴史である。

その後、1999年にはコシナは待望の「フォクトレンダー」
の老舗ブランドを取得し、多数の銀塩カメラや、高性能な
交換レンズ群を発売開始。
さらに、2000年代中頃には、「ツァイス」のブランド
までも取得して、現代では、誰もが知る「高級レンズ
メーカー」となっている。

今時のコシナ製「マクロアポランター110mm/F2.5」
(本シリーズ第11回記事、マクロアポランター編参照)
であれば、定価が約15万円+税、と極めて高価だが、
本COSINA100/3.5は、類似のスペックながら、なんと
価格は10倍も安い、というイメージである。

ここは約四半世紀の時代の差ではなく、「付加価値」の
差である。メーカー側からすれば、ブランドイメージ
の向上により、「それだけ高価な製品を作って売れる
ようになった」と言う事で、喜ばしい状況なのだろうが、
ユーザー側からすれば、10倍も高価になった新商品を
買わされる事になり、なんとも複雑な心境だ。

1990年代の一般ユーザーの印象では、「コシナ?
聞いた事が無い、どうせ安物を作るメーカーだろう?」
という感覚だったろうが、現代では「この銀塩カメラは
コシナ製だったのか? へ~、それなら安心だ」という
全く逆の印象になる事だろう。

現代のコシナにおいては、高価な高性能レンズを企画し、
堂々とそれを売れる訳だ。
これがまさしく、「ブランドバリュー」の効果である。
(つまり、フォクトレンダーやツァイスのブランドを
取得した費用を、ユーザー層が、せっせと返済している)
_c0032138_19000955.jpg
で、本COSINA100/3.5だが、これもまあ「平面マクロ」の
カテゴリーに分類される要素もあって、高解像力仕様で
ある。(というか、低価格化を目指すと、こういう設計に
なってしまい、その代わりに様々な収差が抑えにくい)

このレンズを、周辺収差が出にくて、ピクセルピッチも
約3.75μmと細かいμ4/3機で使う訳だから、バランスは
適正であり、撮影条件によっては、いかに最新で高性能な
マクロアポランターであっても、その撮った写真だけを
見たら両者の区別は、つきにくいかも知れない。

まあ、結果から見ればそうかもしれないが、いかにも
安っぽく、廉価版仕様丸出しの本レンズで撮影するのと、
作りがとても良く、フルサイズ機でも安心して等倍撮影が
できる「マクロアポランター」では、撮る際の気分が、
全然異なる訳で、そこがまあ「付加価値の差」なのだろう。
_c0032138_19001751.jpg
が、むしろ、「捻くれた感覚」としては、この超安価な
COSINA100/3.5で、そういう「高級レンズ」と、同等の
写りを得る事ができるのであれば、それは「とても痛快な
事になる」訳だ。

実は、まだブランドを入手していなかった時代、つまり
1990年代のコシナ製品に対して、一部の上級マニア層が
非常に注目していたのは、まさしくその要素があったのだ。

つまり「とても安いレンズで、高級レンズと同様な写りを
得る痛快さ」を求めて、上級マニア層はコシナのレンズを
こぞって購入したのだ。

それで、仮に良い写真が撮れたとしたら、その人(Aさん)
は、例えば、マニアの集まりとかに行って、その写真を
他のマニア(Bさん)に見せる。

A「どう、このマクロ撮影、なかなか凄いでしょう?」
B「ほほう、シャープだし、ボケも綺麗だな。
  このレンズ、何で撮ったの? 
  さては”写りが凄い”と噂に聞く、TAMRONの新型の
  72E型(注:SP90/2.8初期型)だな?」

A「ブッブー、外れ。これはコシナの100マクロだよ
  新品でなんと1万4000円ポッキリ!」
B「ガチョーン! それは”イケてる”なぁ!」
A「そうそう、”メークドラマ”でしょう?(笑)」

・・等と言う会話が、中古カメラブームの1990年代後半
には、いたるところで行われていたかも知れない訳だ。
(注:上の会話は、90年代の流行語を取り入れた架空の
ものだ。まあでも、当たらずとも遠からずだと思う)
_c0032138_19001724.jpg
これは、お金に物を言わせ、高価な新製品ばかりを買う
金満家のビギナー層や初級マニア層を「ブルジョワ主義」
とか言って反発する心理であり、上級マニア層の多くに、

そうした反骨精神が存在する。

で、そういう「捻くれた志向性」は、時代が変わっても、
まだまだ強く生き残っているかも知れない。
現代において10倍も高価な「マクロアポランター110/2.5」
と区別がつかないような写真が、本COSINA100/3.5で
撮れるのであれば、「このうえなく痛快」な事になる。

時代や設計仕様は異なれど、基本は、同じメーカーで、
同じ生産ラインで作られた2種類のマクロレンズだ、
そういう痛快な出来事も、あって欲しいようにも思う。
また、そうなるようにと、本COSINA100/3.5をガンガンに
使いこなそうとする事も、反骨精神としての、高い
モチベーションが得られるだろうから、悪い話では無い。

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では、3本目のシステム
_c0032138_19002811.jpg
レンズは、SONY E 30mm/f3.5 Macro (SEL30M35)
(中古購入価格14,000円)(以下、E30/3.5)
カメラは、SONY NEX-3 (APS-C機)

2011年発売のミラーレスEマウント(APS-C機)用、
小型軽量AF等倍マクロ。最短撮影距離は9.5cm。
SONYフルサイズ(FE)機でもクロップして使用可能だ。
_c0032138_19002862.jpg
現代マクロレンズとしては珍しい、「カリカリ描写」の
「平面マクロ」である。が、ここまで極端な特性を与えて
しまう事は、写真における汎用的な被写体用途においては
むしろ逆効果なのでは?とも思ってしまうのだが・・

この当時、NEXの時代のSONYのミラーレス機戦略は
まだ固まっておらず、それが本格派志向に転換されるのは、
2013年のα7/Rの発売と、それに伴うブランドの
「α」への統合の時代からだ。


で、様々な実験的なコンセプトの製品群(カメラもレンズも)
が、この時代には発売されていて、マニア的には、むしろ
後年のαの時代よりも興味深い要素が多々ある。

・・さて、あまりにカリカリの「平面マクロ」なので、
本レンズの使いこなしは極めて難しい。

加えて、大きな弱点として、ピント問題がある。
まず、初期NEXのコントラストAF機では、近接~準近接
領域でのAFピント精度が大きく低下し、殆どピントが
合わない事だ。特に準近接領域では、オートマクロ機能
が働いている模様で、そこで距離エンコードテーブルの
切り替え時の狭間でのビット精度が出ていない。
(注:技術的に難解な話だが、詳細説明は割愛する)

なお、本レンズのファームウェアのアップデートを
行うと後期NEXやαでの「ファストハイブリッドAF」に
対応可能だが、劇的に改善されるものでもなく、加えて
本来マクロレンズではMFを主体とする撮影になる訳だが、
その際に、無限回転式ピントリングでは、手指の感触で
最短撮影距離がわからず、正当なMF技法が使えない。

結局「ピント問題」全般が、本レンズの弱点であるが、
その問題はさて置いたとして、次なる課題は、この
特徴的な描写傾向を「いったいどんな被写体に用いる
のが良いか?」という、作画上の問題点である。

ここは難しく、正解は無いかも知れない。
特徴的なカリカリ描写の部分を活用するならば、
精密な質感を持つ被写体に向くのだろうが、事はそう
単純な話ではなく、あえて一般被写体をカリカリ描写
にしてしまうとか、加えて、後年のNEX/αに備わる
エフェクト機能を掛けて使用するための素材とするとか、
または、全く逆に、そのカリカリ描写を出さないように
工夫して撮るとか、実に様々なバリエーションがある。

テクニカル面では面白いレンズと言えるが、そういう
事をやろうとしたら、そのテクニカル水準が高すぎて、
初級中級層ではお手上げになるだろう。

だが、かといって、レンズ言うがままに撮っていたら
「アンコントローラブル」だ。
例えば、初級層が「花をふわりと可憐に描写したい」と
思っているのに。カリッカリな描写の写真が撮れたら、
面食らってしまうし、どう撮ったら自分が望むように
撮れれるかが、全く不明の状態だからだ。
_c0032138_19002898.jpg
まあでも、こういう特性のレンズの存在意義も
それなりにあるだろう。発売当時から流行している
スマホを用いた写真投稿SNSでの掲載写真に対して、
本レンズを用いたNEXシステムにおける
「高画素数+高解像度カリカリ描写+強い縮小効果」
であれば、明確にスマホ系カメラの写真との差別化は
出来るからだ。だが、それが良い事なのか悪い事なの
かは良くわからない、本レンズを使用するユーザー層の
志向のみならず、SNS閲覧層(ギャラリー)における
個々の好みもあるからだ。

SNS映えを狙うとか、こういう考え方は、旧来の時代の
「カメラやレンズはHiFi(高忠実度)であれ」という
思想とは一線を画するものだと思う。
だからまあ「実験的な製品コンセプトだ」とも個人的
には思う訳だ。

しかし、こういう製品は「時代の流れの中の異端児」
になってしまう恐れもある。
過去の様々な時代(およそ50~60年間)のカメラや、
レンズ製品を多数所有して実際に使っている私の目から
すると、ある時代特有の市場背景や世情を受けて
作られた製品も少なくは無い。それらはカメラ機材の
歴史の中では、異端児であるかも知れないが、歴史的
な価値は高く、それが上手くいった場合は特異な製品
として評価され、あるいは一過性の流行に乗っただけの
製品であると、全くの低評価になってしまうかも知れない。
だからまあ、今すぐに、本レンズがどうである、とかは
なかなか評価が難しいのだ。

いずれ時代が過ぎて、本レンズの特異な描写傾向を
後年において、どう思えるか? そこにつきると思う。
まあでも、直感だが、本レンズのユニークさを冷静に
考えれば、プラス評価には働くと思う。
「かつてこんなコンセプトのマクロもあった」と、
記憶に残るレンズとなるだろう。

ただ、それは、いわゆる「投機的」な意味とは全く
無関係だ。つまり、希少価値とか高名なブランドで
あるから、後年に値上がりする、とか、そういう観点
での話では全く無い。投機的な相場変動と、カメラ
製品の特徴や性能における価値とは、全く無関係だ。
_c0032138_19002826.jpg
個人的には、むしろ、低性能であったり、実用価値が
全く無いようなカメラやレンズが、投機的意味から
高値で取引されていることが不思議ではならない。


「何で、そんなものを高値を出して欲しがるの?」
という感覚である。まあでも、このあたりは需要と
供給のバランスにより「市場」が決めた平衡点であるから、
そうなってしまうのも、やむを得ないが、それでも
「買う側の価値感覚」に対する疑問は大きく残る。

”消費者は、自分自身の強い価値感覚(価値観)を持って、
機材購入をするべきである”と、常々思っている次第だ。
それが出来る人を「マニア」と呼ぶべきであり、
投機的な要素のみで高値になっているモノを欲しがる人は
マニアとは呼び難い。(むしろ「好事家」と呼ぶべきか、
あるいは、単純に転売利益目的の「投機層」であろう)

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では、今回ラストのシステム
_c0032138_19003522.jpg
レンズは、OLYMPUS OM ZUIKO 50mm/f3.5 Macro
(中古購入価格 8,000円)(以下、OM50/3.6)
カメラは、OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡ Limited (μ4/3機)

こちらも銀塩時代を代表する「平面マクロ」だ。
MF、1/2倍仕様。正確な情報は、現代ではもう少ないが、
OM初期の時代の物なので、1970年代の製造であろう。
_c0032138_20382277.jpg
この時代に何があったか?という点だが、それまでの
ビジネスシーンでは「コピー機」がまだ普及して
いなかった。

1960年代には、例えば「リコピー」といった
「ジアゾ式複写機」が使われたが、これは透過式であった
ので一般製本(書籍や資料等)の複写は難しいし、普通紙

への複写も出来ない。

1970年代には、例えば「ゼロックス」といった静電複写
機が登場し、一般製本でも普通紙に複写が可能となった。
この後、1980年代にはコピー機はビジネスシーンに
急速に普及する事となる。

ビジネスシーン以外の専門分野、例えば、医療、研究、
芸術、などにおいては、こうした複写機ではなく、
写真(接写)による複写も、1970年代では、まだまだ
主流といえた。

医療検体、医療画像、古書、遺物、絵画、文献などの
平面被写体において「写真による複写」を行うには
画像の平面域全般での解像力の高さ、像面湾曲の低減、
歪曲収差の低減などのレンズ性能が求められ、そうした
用途に向いたレンズが、本記事冒頭のNIKKOR 55mm系
F3.5マクロレンズであったり、OLYMPUSの本OM50/3.5
や同時期に医療用の特殊用途製品として限定的に販売

されていた様々なベローズマクロ等である。

後年の時代に同等な特性を持つレンズとしては、
「マシンビジョン用レンズ」(本シリーズ第1回)が
存在するが、それの話は様々な記事に詳しいので、
今回は割愛する。
_c0032138_19004185.jpg
平面マクロの長所は、前述のように平面被写体の
描写力にとても優れる点である。
だが、弱点として、たとえばボケ質に劣る、などが
あって平面以外の被写体、つまり一般撮影における
汎用的な被写体には向かない。

よって、1980年代以降、コピー機等の発達により
「写真による複写」という文化が失われると同時に、
これら「平面マクロ」の必要性も失われ、マクロレンズ
全体の特性は、急速に一般被写体に向く形で変革して
いった訳だ。(前述のMicro-NIKKORも、この時代に
設計仕様を近接重視→無限遠重視に、根本的に変更された)

まあでも、1980年代のMFマクロは、個人的にはまだ
「未完成のレベル」だと分析している。マクロレンズが
その描写力を遺憾なく発揮できるようになるのは、
1990年代後半以降の、AF化、等倍化が行われた後
であり、各社とも、その時代より後のマクロレンズは
汎用的な被写体に向き、かつ、近接領域では極めて
高い描写力を持ち、一般レンズとは一線を画している。

まあ、この1990年代のAF単焦点レンズは、その多くが
MF時代の1980年代の設計やレンズ構成を元にして
AF化しただけのものが殆どであり、すなわち、あまり
進化していなかったから、ますますマクロレンズとの
性能差は大きかった。その背景は、当時はズームレンズ
の発展期であり、そちらの開発に注力(優先)したから
であろう。

なお、その後2000年代からのデジタル時代でも、
単焦点レンズは、ほとんど進化しなかったが、やっと
2010年代に入ってから、高解像力化等のコンセプトで
単焦点レンズ群の描写力が大きく変化(進化)した。
2010年代後半からは、一部のメーカーでも単焦点と同様に
マクロレンズを進化させているが、その数はまだ少ない、
一眼レフ用マクロが大きく進化するのは、恐らくは
2020年代中頃以降になる事であろう・・
_c0032138_19004129.jpg
さて、本レンズOM50/3.5は、実は3回目の購入である、
銀塩時代1990年代から、2000年代、2010年代と
入手しては手放す(知人に譲渡)事が繰り返された。
何故そんな事になるか?は、本レンズの描写特性が
嫌いであったり、上手く使いこなせない状況があった
からである、これは「平面マクロ」のレンズ性能の
欠点が見えてしまえば、そういう事になっても、
やむを得ない。
(冒頭のMicro-NIKOR 55/3.5も2回目の購入だ)

しかし、「レンズの欠点を咎めず、逆用する」という
考え方に近年ではシフトしてきている。こうした
「平面マクロ」を、どのようにしたら使いこなす事が
できるのか? そういうテクニカル面に興味が出てきた、
とも言えるかも知れない。


が、SONY E30/3.5の項目でも前述したように、
それは、そう簡単な事ではない。実際の撮影においては
実に様々な被写体状況のバリエーションがあるからだ。
でもまあ、その事を強く意識して撮るのと、逆に
全く意識せず、「レンズの言うがまま」に撮っている
のとは大差があるとも思っている。

簡単なレンズでは無いからこそ、使いこなしが
面白い訳だ。・・それを「修行」や「苦行」と考えて
しまうのか、逆に「エンジョイ度」が高い、楽しい
レンズと思えるか?は、それこそ、利用者側の「意識」
そのものであろう。

過去、これらの平面マクロレンズを「写りが悪い」
とか「難しい」とかと言って、手放したのは、
レンズ側の問題ではなく、完全に利用者側の私の責任だ。
それを思って、再度、これらの、使いこなしが困難な
「平面マクロ」を購入し、ちゃんと向き合ってみよう
と思った次第なのだ。
_c0032138_20383099.jpg
最後に総括だが、これらの「平面マクロ」は、マニア層
必携とも言い難い。また、仮に入手しても使いこなしが
困難であるし、現代的な描写傾向とも言えない。
まあでも、中古市場ではこれらの平面マクロは比較的
豊富に流通しているし、幸いにして投機対象にもなって
おらず、比較的安価だ。

しかし、安価なのは不人気の証拠でもある。これらの
レンズの特性を理解しないままで買ってしまうと、
それこそ「写りが悪い、大口径版を買えば良かった」
等という、表面的な評価に留まってしまうかも知れない。
なかなか難しいレンズ群であり、初級中級層はもとより
初級中級マニア層にも、残念ながら推奨できない。

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さて、今回の記事「平面マクロ特集」は、このあたり迄で、
次回記事に続く・・


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