本シリーズでは、やや特殊な交換レンズをカテゴリー別に
紹介している。
今回の記事では、「平面マクロ」レンズを4本紹介しよう。
「平面マクロ」とは、「主に銀塩時代における、解像力
を重視した設計で、その反面、ボケ質が固い(汚い)等
の独自性の強い設計思想(コンセプト)のマクロレンズ
である」と、本ブログでは定義している。
(匠の写真用語辞典、第5回記事参照)
----
ではまず、最初のシステム
![_c0032138_18595589.jpg]()
レンズは、NIKON Ai Micro-NIKKOR 55mm/f3.5
(中古購入価格 9,000円)(以下、Ai55/3.5)
カメラは、NIKON D500 (APS-C機)
1977年に発売のMF標準1/2倍マクロ。
Ai仕様、4群5枚、最短撮影距離24.1cmである。
![_c0032138_18595516.jpg]()
この時代、NIKON F2A(1977年、銀塩一眼第2回記事参照)
が発売されていて、レンズ装着の簡略化等の為のAi化が
行われ、その為に本レンズもAi対応となったのだろうが、
レンズ構成は、前モデル「New Micro-NIKKOR 55/3.5」
(1975年)と同じだ。
さらには、前々モデル「Micro-NIKKOR-P C AUTO 55/3.5」
(1973年)とも同じ、ここで型番Pは5枚レンズ構成を示す
ペンタの略で、型番Cは「カラー対応コーテイング」である。
そして、前々々モデルの「Cナシ」版(1963年)とも、
レンズ構成の中身は同じである。
これらから、すなわち、以下が言える
*本Ai版は、55mm/f3.5マクロの最終バージョンである。
*十数年間に渡り、同一のレンズ構成という事実は、
改良の必要性が無かった、という事で、完成度が高い。
*発売期間後期は、2年毎に小改良された新製品が発売され
あわただしく、モデル毎の差異がわかりにくい。
この後だが、1981年には「Ai Micro-NIKKOR 55mm/f2.8S」
となった。これは、NIKON F3(1980年、銀塩一眼第8回
記事参照)の登場に合わせた、と言うよりも・・
まず、型番Sは直後の時代のプログラムAE機(例:NIKON
FG=1982年、NIKON FA=1983年、いずれも過去記事で
紹介済みだが、譲渡により現在未所有、ただし両機種は
「瞬間絞り込み測光」である為、S型レンズでなければ
ならない必然性は無い)・・への対応を主としていて、
さらに後年の純粋なシャッター優先機(例:NIKON F4
1988年、銀塩一眼第16回記事)への対応も可能だ。
マルチモード化の他、F2.8版では、それまでのF3.5版の
「平面マクロ」であった特性を薄めて、汎用的な被写体
の描写傾向に対応できるように設計仕様を変更した。
F2.8版は、5群6枚。最短撮影距離25cmと、本F3.5版と
レンズ構成等も異なる。(注:ただしハーフマクロだ)
設計基準(注:ここでは、どの撮影距離を優先して画質を
高めようとするか?の仕様設定、という意味の俗語。
ただし、「設計」では、あまりに広範囲でアバウトだ。
開発業務の事を知らない人が広めた用語だと思われるので、
今後は、この俗語は使わないようにするつもりだ)は、
F3.5版が近接主体で、F2.8版は無限遠仕様だ。
「平面マクロ」を薄めた理由は、時代背景に関係があるが
そこは本記事ラストの項目で説明する。
![_c0032138_18595576.jpg]()
さて、前述の「数年毎に新モデルが出てややこしい」
という件であるが。この時代、すなわちNIKON F2~F3の
時代は、NIKON銀塩MF機の黄金期であり、70年代から
80年代の当時に、これらの機種に憧れた現代のシニア層、
そして90年代の中古カメラブームにこれらに夢中になった
ベテラン・マニア層(+投機層)においては、この時代の
NIKKORレンズの細かい仕様の差異については、異常な位に
敏感である、すなわちAuto、Cナシ、Cアリ、Ai改、Ai版、
S版、等の差異の話だが・・・
まあ、それはこの時代であれば、例えばNIKON F2でも、
時代により非Ai版とAi対応のバージョンがあったし、
「レンズはS型でないと、NIKON F3では使えるが、F4では
使えない」(誤)など、「真偽入り混じった」情報が
錯綜していて、これらのレンズ仕様を、きちんと理解し、
区分しないと、自身のカメラで使えない、という問題点も
あったからだ。
だが、実際のところは「細かすぎる」と思う。
これらは極めて複雑であるし、これを理解する事が必須の
勉強であるように勘違いするのだろうが、そうでも無い。
例えば、現代のデジタル機(特にミラーレス機)に、
これらFマウントレンズを装着する場合は、細かい仕様の
差を一切意識する必要は無い。
まあ「Fマウントであれば何でも着く」し、それで撮れる。
(勿論、例外があるが、「そういう点が、細かすぎる」と
言っている訳だ)
で、事実、本記事でも、この「細かすぎる差異」の説明に
大半を費やしてしまって、肝心の本レンズAi55/3.5の
紹介説明が全く出来ていない(汗)
まあでも、もう1つだけ重要な点を・・
「細かい差異が気になる層」では、真偽入り混じった
情報が流れている、と書いたが、その中でも私が最も
気になる誤解は、本55mmマイクロの系列において、
「F3.5版は写りが悪い、F2.8版を買え!」という話だ。
これは単純にそうとも言えず、両者は設計仕様(設計思想)
が、まるで異なるのだ。
F2.8版は後年のAF版を過去記事で紹介している。MF版は
一応家にはあるが、知人の所有物なので紹介は控えている。
(=借りて使ったものを評価しない、というルールだ)
F3.5版とF2.8版は、描写傾向が完全な別物であり、
「どちらが優れている」といった視点では語れない。
で、私は、このF3.5版を「指名買い」した。
(実は2回目の購入だ。銀塩時代はこの特性が嫌いだった)
まあ、現代において、こちらのF3.5版にある「平面マクロ」
の特性を必要とした(興味深かった)からだ。
だから、「どちらかを買え」というシニア層やマニア層の
意見は的外れであり、「自身が必要な特性を見極めて選べ」
または「必要ならば両方買え」が適正だと思う。
![_c0032138_18595505.jpg]()
余談が長くなりすぎて、本レンズの描写力等の説明が
出来なくなった。本レンズの長所短所については
「レンズ・マニアックス第16回記事」等で紹介済み
なので、今回はばっさり割愛する。
簡単に言えば本レンズは「典型的な平面マクロ」であり、
背景や前景をボカさない平面被写体の撮影に向く。
または、金属等の精密な質感を必要とする被写体を
選べば概ね適切である、という事だ。
なお、本Ai55/3.5の、この特徴を活かす為に、今回の
母艦は、ピクセルピッチが約4.2μmと狭い目の
NIKON D500を使用、ローパスレスならばさらに良いが
D500はローパス有りの仕様だ。
また、中~大画素からの強い「縮小効果」を出す事で、
さらにカリカリ感を高める事も意図している。
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では、次のシステム
![_c0032138_19000977.jpg]()
レンズは、COSINA (MC) MACRO 100mm/f3.5
(新品購入価格14,000円)(以下、COSINA100/3.5)
カメラは、OLYMPUS OM-D E-M1 (μ4/3機)
恐らくは、1980~1990年代頃のMF中望遠マクロ。
今となっては情報も殆ど無く、詳しい出自は不明である。
多分、複数のMFマウントで発売されていた、と記憶して
いる。本レンズはM42マウント版で購入している。
(注:A/M切換が無い為、使用する母艦やアダプター
によっては、絞りが設定できないケースがある)
![_c0032138_19000907.jpg]()
最短撮影距離は43cm、1/2倍マクロ仕様だ。
等倍撮影用のクローズアップレンズが付属していたと
思うが、画質がかなり悪くなるので、使用しないままで、
紛失してしまっている。
この時代のCOSINAは、大手「OEM」メーカーとして、
カメラメーカー各社の、銀塩カメラ本体や交換レンズを
生産していた。(まあ、有名メーカー製品の一部も、
実はコシナ製であった訳だ)
しかし、自社のブランドバリューが全く無かった為、
それ故に、コシナ銘の交換レンズは、新品定価の7割引き
とかの、とんでも無い値引き戦略で販売していた、という
事は、様々な記事でも説明してきた歴史である。
その後、1999年にはコシナは待望の「フォクトレンダー」
の老舗ブランドを取得し、多数の銀塩カメラや、高性能な
交換レンズ群を発売開始。
さらに、2000年代中頃には、「ツァイス」のブランド
までも取得して、現代では、誰もが知る「高級レンズ
メーカー」となっている。
今時のコシナ製「マクロアポランター110mm/F2.5」
(本シリーズ第11回記事、マクロアポランター編参照)
であれば、定価が約15万円+税、と極めて高価だが、
本COSINA100/3.5は、類似のスペックながら、なんと
価格は10倍も安い、というイメージである。
ここは約四半世紀の時代の差ではなく、「付加価値」の
差である。メーカー側からすれば、ブランドイメージ
の向上により、「それだけ高価な製品を作って売れる
ようになった」と言う事で、喜ばしい状況なのだろうが、
ユーザー側からすれば、10倍も高価になった新商品を
買わされる事になり、なんとも複雑な心境だ。
1990年代の一般ユーザーの印象では、「コシナ?
聞いた事が無い、どうせ安物を作るメーカーだろう?」
という感覚だったろうが、現代では「この銀塩カメラは
コシナ製だったのか? へ~、それなら安心だ」という
全く逆の印象になる事だろう。
現代のコシナにおいては、高価な高性能レンズを企画し、
堂々とそれを売れる訳だ。
これがまさしく、「ブランドバリュー」の効果である。
(つまり、フォクトレンダーやツァイスのブランドを
取得した費用を、ユーザー層が、せっせと返済している)
![_c0032138_19000955.jpg]()
で、本COSINA100/3.5だが、これもまあ「平面マクロ」の
カテゴリーに分類される要素もあって、高解像力仕様で
ある。(というか、低価格化を目指すと、こういう設計に
なってしまい、その代わりに様々な収差が抑えにくい)
このレンズを、周辺収差が出にくて、ピクセルピッチも
約3.75μmと細かいμ4/3機で使う訳だから、バランスは
適正であり、撮影条件によっては、いかに最新で高性能な
マクロアポランターであっても、その撮った写真だけを
見たら両者の区別は、つきにくいかも知れない。
まあ、結果から見ればそうかもしれないが、いかにも
安っぽく、廉価版仕様丸出しの本レンズで撮影するのと、
作りがとても良く、フルサイズ機でも安心して等倍撮影が
できる「マクロアポランター」では、撮る際の気分が、
全然異なる訳で、そこがまあ「付加価値の差」なのだろう。
![_c0032138_19001751.jpg]()
が、むしろ、「捻くれた感覚」としては、この超安価な
COSINA100/3.5で、そういう「高級レンズ」と、同等の
写りを得る事ができるのであれば、それは「とても痛快な
事になる」訳だ。
実は、まだブランドを入手していなかった時代、つまり
1990年代のコシナ製品に対して、一部の上級マニア層が
非常に注目していたのは、まさしくその要素があったのだ。
つまり「とても安いレンズで、高級レンズと同様な写りを
得る痛快さ」を求めて、上級マニア層はコシナのレンズを
こぞって購入したのだ。
それで、仮に良い写真が撮れたとしたら、その人(Aさん)
は、例えば、マニアの集まりとかに行って、その写真を
他のマニア(Bさん)に見せる。
A「どう、このマクロ撮影、なかなか凄いでしょう?」
B「ほほう、シャープだし、ボケも綺麗だな。
このレンズ、何で撮ったの?
さては”写りが凄い”と噂に聞く、TAMRONの新型の
72E型(注:SP90/2.8初期型)だな?」
A「ブッブー、外れ。これはコシナの100マクロだよ
新品でなんと1万4000円ポッキリ!」
B「ガチョーン! それは”イケてる”なぁ!」
A「そうそう、”メークドラマ”でしょう?(笑)」
・・等と言う会話が、中古カメラブームの1990年代後半
には、いたるところで行われていたかも知れない訳だ。
(注:上の会話は、90年代の流行語を取り入れた架空の
ものだ。まあでも、当たらずとも遠からずだと思う)
![_c0032138_19001724.jpg]()
これは、お金に物を言わせ、高価な新製品ばかりを買う
金満家のビギナー層や初級マニア層を「ブルジョワ主義」
とか言って反発する心理であり、上級マニア層の多くに、
そうした反骨精神が存在する。
で、そういう「捻くれた志向性」は、時代が変わっても、
まだまだ強く生き残っているかも知れない。
現代において10倍も高価な「マクロアポランター110/2.5」
と区別がつかないような写真が、本COSINA100/3.5で
撮れるのであれば、「このうえなく痛快」な事になる。
時代や設計仕様は異なれど、基本は、同じメーカーで、
同じ生産ラインで作られた2種類のマクロレンズだ、
そういう痛快な出来事も、あって欲しいようにも思う。
また、そうなるようにと、本COSINA100/3.5をガンガンに
使いこなそうとする事も、反骨精神としての、高い
モチベーションが得られるだろうから、悪い話では無い。
----
では、3本目のシステム
![_c0032138_19002811.jpg]()
レンズは、SONY E 30mm/f3.5 Macro (SEL30M35)
(中古購入価格14,000円)(以下、E30/3.5)
カメラは、SONY NEX-3 (APS-C機)
2011年発売のミラーレスEマウント(APS-C機)用、
小型軽量AF等倍マクロ。最短撮影距離は9.5cm。
SONYフルサイズ(FE)機でもクロップして使用可能だ。
![_c0032138_19002862.jpg]()
現代マクロレンズとしては珍しい、「カリカリ描写」の
「平面マクロ」である。が、ここまで極端な特性を与えて
しまう事は、写真における汎用的な被写体用途においては
むしろ逆効果なのでは?とも思ってしまうのだが・・
この当時、NEXの時代のSONYのミラーレス機戦略は
まだ固まっておらず、それが本格派志向に転換されるのは、
2013年のα7/Rの発売と、それに伴うブランドの
「α」への統合の時代からだ。
で、様々な実験的なコンセプトの製品群(カメラもレンズも)
が、この時代には発売されていて、マニア的には、むしろ
後年のαの時代よりも興味深い要素が多々ある。
・・さて、あまりにカリカリの「平面マクロ」なので、
本レンズの使いこなしは極めて難しい。
加えて、大きな弱点として、ピント問題がある。
まず、初期NEXのコントラストAF機では、近接~準近接
領域でのAFピント精度が大きく低下し、殆どピントが
合わない事だ。特に準近接領域では、オートマクロ機能
が働いている模様で、そこで距離エンコードテーブルの
切り替え時の狭間でのビット精度が出ていない。
(注:技術的に難解な話だが、詳細説明は割愛する)
なお、本レンズのファームウェアのアップデートを
行うと後期NEXやαでの「ファストハイブリッドAF」に
対応可能だが、劇的に改善されるものでもなく、加えて
本来マクロレンズではMFを主体とする撮影になる訳だが、
その際に、無限回転式ピントリングでは、手指の感触で
最短撮影距離がわからず、正当なMF技法が使えない。
結局「ピント問題」全般が、本レンズの弱点であるが、
その問題はさて置いたとして、次なる課題は、この
特徴的な描写傾向を「いったいどんな被写体に用いる
のが良いか?」という、作画上の問題点である。
ここは難しく、正解は無いかも知れない。
特徴的なカリカリ描写の部分を活用するならば、
精密な質感を持つ被写体に向くのだろうが、事はそう
単純な話ではなく、あえて一般被写体をカリカリ描写
にしてしまうとか、加えて、後年のNEX/αに備わる
エフェクト機能を掛けて使用するための素材とするとか、
または、全く逆に、そのカリカリ描写を出さないように
工夫して撮るとか、実に様々なバリエーションがある。
テクニカル面では面白いレンズと言えるが、そういう
事をやろうとしたら、そのテクニカル水準が高すぎて、
初級中級層ではお手上げになるだろう。
だが、かといって、レンズ言うがままに撮っていたら
「アンコントローラブル」だ。
例えば、初級層が「花をふわりと可憐に描写したい」と
思っているのに。カリッカリな描写の写真が撮れたら、
面食らってしまうし、どう撮ったら自分が望むように
撮れれるかが、全く不明の状態だからだ。
![_c0032138_19002898.jpg]()
まあでも、こういう特性のレンズの存在意義も
それなりにあるだろう。発売当時から流行している
スマホを用いた写真投稿SNSでの掲載写真に対して、
本レンズを用いたNEXシステムにおける
「高画素数+高解像度カリカリ描写+強い縮小効果」
であれば、明確にスマホ系カメラの写真との差別化は
出来るからだ。だが、それが良い事なのか悪い事なの
かは良くわからない、本レンズを使用するユーザー層の
志向のみならず、SNS閲覧層(ギャラリー)における
個々の好みもあるからだ。
SNS映えを狙うとか、こういう考え方は、旧来の時代の
「カメラやレンズはHiFi(高忠実度)であれ」という
思想とは一線を画するものだと思う。
だからまあ「実験的な製品コンセプトだ」とも個人的
には思う訳だ。
しかし、こういう製品は「時代の流れの中の異端児」
になってしまう恐れもある。
過去の様々な時代(およそ50~60年間)のカメラや、
レンズ製品を多数所有して実際に使っている私の目から
すると、ある時代特有の市場背景や世情を受けて
作られた製品も少なくは無い。それらはカメラ機材の
歴史の中では、異端児であるかも知れないが、歴史的
な価値は高く、それが上手くいった場合は特異な製品
として評価され、あるいは一過性の流行に乗っただけの
製品であると、全くの低評価になってしまうかも知れない。
だからまあ、今すぐに、本レンズがどうである、とかは
なかなか評価が難しいのだ。
いずれ時代が過ぎて、本レンズの特異な描写傾向を
後年において、どう思えるか? そこにつきると思う。
まあでも、直感だが、本レンズのユニークさを冷静に
考えれば、プラス評価には働くと思う。
「かつてこんなコンセプトのマクロもあった」と、
記憶に残るレンズとなるだろう。
ただ、それは、いわゆる「投機的」な意味とは全く
無関係だ。つまり、希少価値とか高名なブランドで
あるから、後年に値上がりする、とか、そういう観点
での話では全く無い。投機的な相場変動と、カメラ
製品の特徴や性能における価値とは、全く無関係だ。
![_c0032138_19002826.jpg]()
個人的には、むしろ、低性能であったり、実用価値が
全く無いようなカメラやレンズが、投機的意味から
高値で取引されていることが不思議ではならない。
「何で、そんなものを高値を出して欲しがるの?」
という感覚である。まあでも、このあたりは需要と
供給のバランスにより「市場」が決めた平衡点であるから、
そうなってしまうのも、やむを得ないが、それでも
「買う側の価値感覚」に対する疑問は大きく残る。
”消費者は、自分自身の強い価値感覚(価値観)を持って、
機材購入をするべきである”と、常々思っている次第だ。
それが出来る人を「マニア」と呼ぶべきであり、
投機的な要素のみで高値になっているモノを欲しがる人は
マニアとは呼び難い。(むしろ「好事家」と呼ぶべきか、
あるいは、単純に転売利益目的の「投機層」であろう)
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では、今回ラストのシステム
![_c0032138_19003522.jpg]()
レンズは、OLYMPUS OM ZUIKO 50mm/f3.5 Macro
(中古購入価格 8,000円)(以下、OM50/3.6)
カメラは、OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡ Limited (μ4/3機)
こちらも銀塩時代を代表する「平面マクロ」だ。
MF、1/2倍仕様。正確な情報は、現代ではもう少ないが、
OM初期の時代の物なので、1970年代の製造であろう。
![_c0032138_20382277.jpg]()
この時代に何があったか?という点だが、それまでの
ビジネスシーンでは「コピー機」がまだ普及して
いなかった。
1960年代には、例えば「リコピー」といった
「ジアゾ式複写機」が使われたが、これは透過式であった
ので一般製本(書籍や資料等)の複写は難しいし、普通紙
への複写も出来ない。
1970年代には、例えば「ゼロックス」といった静電複写
機が登場し、一般製本でも普通紙に複写が可能となった。
この後、1980年代にはコピー機はビジネスシーンに
急速に普及する事となる。
ビジネスシーン以外の専門分野、例えば、医療、研究、
芸術、などにおいては、こうした複写機ではなく、
写真(接写)による複写も、1970年代では、まだまだ
主流といえた。
医療検体、医療画像、古書、遺物、絵画、文献などの
平面被写体において「写真による複写」を行うには
画像の平面域全般での解像力の高さ、像面湾曲の低減、
歪曲収差の低減などのレンズ性能が求められ、そうした
用途に向いたレンズが、本記事冒頭のNIKKOR 55mm系
F3.5マクロレンズであったり、OLYMPUSの本OM50/3.5
や同時期に医療用の特殊用途製品として限定的に販売
されていた様々なベローズマクロ等である。
後年の時代に同等な特性を持つレンズとしては、
「マシンビジョン用レンズ」(本シリーズ第1回)が
存在するが、それの話は様々な記事に詳しいので、
今回は割愛する。
![_c0032138_19004185.jpg]()
平面マクロの長所は、前述のように平面被写体の
描写力にとても優れる点である。
だが、弱点として、たとえばボケ質に劣る、などが
あって平面以外の被写体、つまり一般撮影における
汎用的な被写体には向かない。
よって、1980年代以降、コピー機等の発達により
「写真による複写」という文化が失われると同時に、
これら「平面マクロ」の必要性も失われ、マクロレンズ
全体の特性は、急速に一般被写体に向く形で変革して
いった訳だ。(前述のMicro-NIKKORも、この時代に
設計仕様を近接重視→無限遠重視に、根本的に変更された)
まあでも、1980年代のMFマクロは、個人的にはまだ
「未完成のレベル」だと分析している。マクロレンズが
その描写力を遺憾なく発揮できるようになるのは、
1990年代後半以降の、AF化、等倍化が行われた後
であり、各社とも、その時代より後のマクロレンズは
汎用的な被写体に向き、かつ、近接領域では極めて
高い描写力を持ち、一般レンズとは一線を画している。
まあ、この1990年代のAF単焦点レンズは、その多くが
MF時代の1980年代の設計やレンズ構成を元にして
AF化しただけのものが殆どであり、すなわち、あまり
進化していなかったから、ますますマクロレンズとの
性能差は大きかった。その背景は、当時はズームレンズ
の発展期であり、そちらの開発に注力(優先)したから
であろう。
なお、その後2000年代からのデジタル時代でも、
単焦点レンズは、ほとんど進化しなかったが、やっと
2010年代に入ってから、高解像力化等のコンセプトで
単焦点レンズ群の描写力が大きく変化(進化)した。
2010年代後半からは、一部のメーカーでも単焦点と同様に
マクロレンズを進化させているが、その数はまだ少ない、
一眼レフ用マクロが大きく進化するのは、恐らくは
2020年代中頃以降になる事であろう・・
![_c0032138_19004129.jpg]()
さて、本レンズOM50/3.5は、実は3回目の購入である、
銀塩時代1990年代から、2000年代、2010年代と
入手しては手放す(知人に譲渡)事が繰り返された。
何故そんな事になるか?は、本レンズの描写特性が
嫌いであったり、上手く使いこなせない状況があった
からである、これは「平面マクロ」のレンズ性能の
欠点が見えてしまえば、そういう事になっても、
やむを得ない。
(冒頭のMicro-NIKOR 55/3.5も2回目の購入だ)
しかし、「レンズの欠点を咎めず、逆用する」という
考え方に近年ではシフトしてきている。こうした
「平面マクロ」を、どのようにしたら使いこなす事が
できるのか? そういうテクニカル面に興味が出てきた、
とも言えるかも知れない。
が、SONY E30/3.5の項目でも前述したように、
それは、そう簡単な事ではない。実際の撮影においては
実に様々な被写体状況のバリエーションがあるからだ。
でもまあ、その事を強く意識して撮るのと、逆に
全く意識せず、「レンズの言うがまま」に撮っている
のとは大差があるとも思っている。
簡単なレンズでは無いからこそ、使いこなしが
面白い訳だ。・・それを「修行」や「苦行」と考えて
しまうのか、逆に「エンジョイ度」が高い、楽しい
レンズと思えるか?は、それこそ、利用者側の「意識」
そのものであろう。
過去、これらの平面マクロレンズを「写りが悪い」
とか「難しい」とかと言って、手放したのは、
レンズ側の問題ではなく、完全に利用者側の私の責任だ。
それを思って、再度、これらの、使いこなしが困難な
「平面マクロ」を購入し、ちゃんと向き合ってみよう
と思った次第なのだ。
![_c0032138_20383099.jpg]()
最後に総括だが、これらの「平面マクロ」は、マニア層
必携とも言い難い。また、仮に入手しても使いこなしが
困難であるし、現代的な描写傾向とも言えない。
まあでも、中古市場ではこれらの平面マクロは比較的
豊富に流通しているし、幸いにして投機対象にもなって
おらず、比較的安価だ。
しかし、安価なのは不人気の証拠でもある。これらの
レンズの特性を理解しないままで買ってしまうと、
それこそ「写りが悪い、大口径版を買えば良かった」
等という、表面的な評価に留まってしまうかも知れない。
なかなか難しいレンズ群であり、初級中級層はもとより
初級中級マニア層にも、残念ながら推奨できない。
----
さて、今回の記事「平面マクロ特集」は、このあたり迄で、
次回記事に続く・・
紹介している。
今回の記事では、「平面マクロ」レンズを4本紹介しよう。
「平面マクロ」とは、「主に銀塩時代における、解像力
を重視した設計で、その反面、ボケ質が固い(汚い)等
の独自性の強い設計思想(コンセプト)のマクロレンズ
である」と、本ブログでは定義している。
(匠の写真用語辞典、第5回記事参照)
----
ではまず、最初のシステム

(中古購入価格 9,000円)(以下、Ai55/3.5)
カメラは、NIKON D500 (APS-C機)
1977年に発売のMF標準1/2倍マクロ。
Ai仕様、4群5枚、最短撮影距離24.1cmである。

が発売されていて、レンズ装着の簡略化等の為のAi化が
行われ、その為に本レンズもAi対応となったのだろうが、
レンズ構成は、前モデル「New Micro-NIKKOR 55/3.5」
(1975年)と同じだ。
さらには、前々モデル「Micro-NIKKOR-P C AUTO 55/3.5」
(1973年)とも同じ、ここで型番Pは5枚レンズ構成を示す
ペンタの略で、型番Cは「カラー対応コーテイング」である。
そして、前々々モデルの「Cナシ」版(1963年)とも、
レンズ構成の中身は同じである。
これらから、すなわち、以下が言える
*本Ai版は、55mm/f3.5マクロの最終バージョンである。
*十数年間に渡り、同一のレンズ構成という事実は、
改良の必要性が無かった、という事で、完成度が高い。
*発売期間後期は、2年毎に小改良された新製品が発売され
あわただしく、モデル毎の差異がわかりにくい。
この後だが、1981年には「Ai Micro-NIKKOR 55mm/f2.8S」
となった。これは、NIKON F3(1980年、銀塩一眼第8回
記事参照)の登場に合わせた、と言うよりも・・
まず、型番Sは直後の時代のプログラムAE機(例:NIKON
FG=1982年、NIKON FA=1983年、いずれも過去記事で
紹介済みだが、譲渡により現在未所有、ただし両機種は
「瞬間絞り込み測光」である為、S型レンズでなければ
ならない必然性は無い)・・への対応を主としていて、
さらに後年の純粋なシャッター優先機(例:NIKON F4
1988年、銀塩一眼第16回記事)への対応も可能だ。
マルチモード化の他、F2.8版では、それまでのF3.5版の
「平面マクロ」であった特性を薄めて、汎用的な被写体
の描写傾向に対応できるように設計仕様を変更した。
F2.8版は、5群6枚。最短撮影距離25cmと、本F3.5版と
レンズ構成等も異なる。(注:ただしハーフマクロだ)
設計基準(注:ここでは、どの撮影距離を優先して画質を
高めようとするか?の仕様設定、という意味の俗語。
ただし、「設計」では、あまりに広範囲でアバウトだ。
開発業務の事を知らない人が広めた用語だと思われるので、
今後は、この俗語は使わないようにするつもりだ)は、
F3.5版が近接主体で、F2.8版は無限遠仕様だ。
「平面マクロ」を薄めた理由は、時代背景に関係があるが
そこは本記事ラストの項目で説明する。

という件であるが。この時代、すなわちNIKON F2~F3の
時代は、NIKON銀塩MF機の黄金期であり、70年代から
80年代の当時に、これらの機種に憧れた現代のシニア層、
そして90年代の中古カメラブームにこれらに夢中になった
ベテラン・マニア層(+投機層)においては、この時代の
NIKKORレンズの細かい仕様の差異については、異常な位に
敏感である、すなわちAuto、Cナシ、Cアリ、Ai改、Ai版、
S版、等の差異の話だが・・・
まあ、それはこの時代であれば、例えばNIKON F2でも、
時代により非Ai版とAi対応のバージョンがあったし、
「レンズはS型でないと、NIKON F3では使えるが、F4では
使えない」(誤)など、「真偽入り混じった」情報が
錯綜していて、これらのレンズ仕様を、きちんと理解し、
区分しないと、自身のカメラで使えない、という問題点も
あったからだ。
だが、実際のところは「細かすぎる」と思う。
これらは極めて複雑であるし、これを理解する事が必須の
勉強であるように勘違いするのだろうが、そうでも無い。
例えば、現代のデジタル機(特にミラーレス機)に、
これらFマウントレンズを装着する場合は、細かい仕様の
差を一切意識する必要は無い。
まあ「Fマウントであれば何でも着く」し、それで撮れる。
(勿論、例外があるが、「そういう点が、細かすぎる」と
言っている訳だ)
で、事実、本記事でも、この「細かすぎる差異」の説明に
大半を費やしてしまって、肝心の本レンズAi55/3.5の
紹介説明が全く出来ていない(汗)
まあでも、もう1つだけ重要な点を・・
「細かい差異が気になる層」では、真偽入り混じった
情報が流れている、と書いたが、その中でも私が最も
気になる誤解は、本55mmマイクロの系列において、
「F3.5版は写りが悪い、F2.8版を買え!」という話だ。
これは単純にそうとも言えず、両者は設計仕様(設計思想)
が、まるで異なるのだ。
F2.8版は後年のAF版を過去記事で紹介している。MF版は
一応家にはあるが、知人の所有物なので紹介は控えている。
(=借りて使ったものを評価しない、というルールだ)
F3.5版とF2.8版は、描写傾向が完全な別物であり、
「どちらが優れている」といった視点では語れない。
で、私は、このF3.5版を「指名買い」した。
(実は2回目の購入だ。銀塩時代はこの特性が嫌いだった)
まあ、現代において、こちらのF3.5版にある「平面マクロ」
の特性を必要とした(興味深かった)からだ。
だから、「どちらかを買え」というシニア層やマニア層の
意見は的外れであり、「自身が必要な特性を見極めて選べ」
または「必要ならば両方買え」が適正だと思う。

出来なくなった。本レンズの長所短所については
「レンズ・マニアックス第16回記事」等で紹介済み
なので、今回はばっさり割愛する。
簡単に言えば本レンズは「典型的な平面マクロ」であり、
背景や前景をボカさない平面被写体の撮影に向く。
または、金属等の精密な質感を必要とする被写体を
選べば概ね適切である、という事だ。
なお、本Ai55/3.5の、この特徴を活かす為に、今回の
母艦は、ピクセルピッチが約4.2μmと狭い目の
NIKON D500を使用、ローパスレスならばさらに良いが
D500はローパス有りの仕様だ。
また、中~大画素からの強い「縮小効果」を出す事で、
さらにカリカリ感を高める事も意図している。
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では、次のシステム

(新品購入価格14,000円)(以下、COSINA100/3.5)
カメラは、OLYMPUS OM-D E-M1 (μ4/3機)
恐らくは、1980~1990年代頃のMF中望遠マクロ。
今となっては情報も殆ど無く、詳しい出自は不明である。
多分、複数のMFマウントで発売されていた、と記憶して
いる。本レンズはM42マウント版で購入している。
(注:A/M切換が無い為、使用する母艦やアダプター
によっては、絞りが設定できないケースがある)

等倍撮影用のクローズアップレンズが付属していたと
思うが、画質がかなり悪くなるので、使用しないままで、
紛失してしまっている。
この時代のCOSINAは、大手「OEM」メーカーとして、
カメラメーカー各社の、銀塩カメラ本体や交換レンズを
生産していた。(まあ、有名メーカー製品の一部も、
実はコシナ製であった訳だ)
しかし、自社のブランドバリューが全く無かった為、
それ故に、コシナ銘の交換レンズは、新品定価の7割引き
とかの、とんでも無い値引き戦略で販売していた、という
事は、様々な記事でも説明してきた歴史である。
その後、1999年にはコシナは待望の「フォクトレンダー」
の老舗ブランドを取得し、多数の銀塩カメラや、高性能な
交換レンズ群を発売開始。
さらに、2000年代中頃には、「ツァイス」のブランド
までも取得して、現代では、誰もが知る「高級レンズ
メーカー」となっている。
今時のコシナ製「マクロアポランター110mm/F2.5」
(本シリーズ第11回記事、マクロアポランター編参照)
であれば、定価が約15万円+税、と極めて高価だが、
本COSINA100/3.5は、類似のスペックながら、なんと
価格は10倍も安い、というイメージである。
ここは約四半世紀の時代の差ではなく、「付加価値」の
差である。メーカー側からすれば、ブランドイメージ
の向上により、「それだけ高価な製品を作って売れる
ようになった」と言う事で、喜ばしい状況なのだろうが、
ユーザー側からすれば、10倍も高価になった新商品を
買わされる事になり、なんとも複雑な心境だ。
1990年代の一般ユーザーの印象では、「コシナ?
聞いた事が無い、どうせ安物を作るメーカーだろう?」
という感覚だったろうが、現代では「この銀塩カメラは
コシナ製だったのか? へ~、それなら安心だ」という
全く逆の印象になる事だろう。
現代のコシナにおいては、高価な高性能レンズを企画し、
堂々とそれを売れる訳だ。
これがまさしく、「ブランドバリュー」の効果である。
(つまり、フォクトレンダーやツァイスのブランドを
取得した費用を、ユーザー層が、せっせと返済している)

カテゴリーに分類される要素もあって、高解像力仕様で
ある。(というか、低価格化を目指すと、こういう設計に
なってしまい、その代わりに様々な収差が抑えにくい)
このレンズを、周辺収差が出にくて、ピクセルピッチも
約3.75μmと細かいμ4/3機で使う訳だから、バランスは
適正であり、撮影条件によっては、いかに最新で高性能な
マクロアポランターであっても、その撮った写真だけを
見たら両者の区別は、つきにくいかも知れない。
まあ、結果から見ればそうかもしれないが、いかにも
安っぽく、廉価版仕様丸出しの本レンズで撮影するのと、
作りがとても良く、フルサイズ機でも安心して等倍撮影が
できる「マクロアポランター」では、撮る際の気分が、
全然異なる訳で、そこがまあ「付加価値の差」なのだろう。

COSINA100/3.5で、そういう「高級レンズ」と、同等の
写りを得る事ができるのであれば、それは「とても痛快な
事になる」訳だ。
実は、まだブランドを入手していなかった時代、つまり
1990年代のコシナ製品に対して、一部の上級マニア層が
非常に注目していたのは、まさしくその要素があったのだ。
つまり「とても安いレンズで、高級レンズと同様な写りを
得る痛快さ」を求めて、上級マニア層はコシナのレンズを
こぞって購入したのだ。
それで、仮に良い写真が撮れたとしたら、その人(Aさん)
は、例えば、マニアの集まりとかに行って、その写真を
他のマニア(Bさん)に見せる。
A「どう、このマクロ撮影、なかなか凄いでしょう?」
B「ほほう、シャープだし、ボケも綺麗だな。
このレンズ、何で撮ったの?
さては”写りが凄い”と噂に聞く、TAMRONの新型の
72E型(注:SP90/2.8初期型)だな?」
A「ブッブー、外れ。これはコシナの100マクロだよ
新品でなんと1万4000円ポッキリ!」
B「ガチョーン! それは”イケてる”なぁ!」
A「そうそう、”メークドラマ”でしょう?(笑)」
・・等と言う会話が、中古カメラブームの1990年代後半
には、いたるところで行われていたかも知れない訳だ。
(注:上の会話は、90年代の流行語を取り入れた架空の
ものだ。まあでも、当たらずとも遠からずだと思う)

金満家のビギナー層や初級マニア層を「ブルジョワ主義」
とか言って反発する心理であり、上級マニア層の多くに、
そうした反骨精神が存在する。
で、そういう「捻くれた志向性」は、時代が変わっても、
まだまだ強く生き残っているかも知れない。
現代において10倍も高価な「マクロアポランター110/2.5」
と区別がつかないような写真が、本COSINA100/3.5で
撮れるのであれば、「このうえなく痛快」な事になる。
時代や設計仕様は異なれど、基本は、同じメーカーで、
同じ生産ラインで作られた2種類のマクロレンズだ、
そういう痛快な出来事も、あって欲しいようにも思う。
また、そうなるようにと、本COSINA100/3.5をガンガンに
使いこなそうとする事も、反骨精神としての、高い
モチベーションが得られるだろうから、悪い話では無い。
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では、3本目のシステム

(中古購入価格14,000円)(以下、E30/3.5)
カメラは、SONY NEX-3 (APS-C機)
2011年発売のミラーレスEマウント(APS-C機)用、
小型軽量AF等倍マクロ。最短撮影距離は9.5cm。
SONYフルサイズ(FE)機でもクロップして使用可能だ。

「平面マクロ」である。が、ここまで極端な特性を与えて
しまう事は、写真における汎用的な被写体用途においては
むしろ逆効果なのでは?とも思ってしまうのだが・・
この当時、NEXの時代のSONYのミラーレス機戦略は
まだ固まっておらず、それが本格派志向に転換されるのは、
2013年のα7/Rの発売と、それに伴うブランドの
「α」への統合の時代からだ。
で、様々な実験的なコンセプトの製品群(カメラもレンズも)
が、この時代には発売されていて、マニア的には、むしろ
後年のαの時代よりも興味深い要素が多々ある。
・・さて、あまりにカリカリの「平面マクロ」なので、
本レンズの使いこなしは極めて難しい。
加えて、大きな弱点として、ピント問題がある。
まず、初期NEXのコントラストAF機では、近接~準近接
領域でのAFピント精度が大きく低下し、殆どピントが
合わない事だ。特に準近接領域では、オートマクロ機能
が働いている模様で、そこで距離エンコードテーブルの
切り替え時の狭間でのビット精度が出ていない。
(注:技術的に難解な話だが、詳細説明は割愛する)
なお、本レンズのファームウェアのアップデートを
行うと後期NEXやαでの「ファストハイブリッドAF」に
対応可能だが、劇的に改善されるものでもなく、加えて
本来マクロレンズではMFを主体とする撮影になる訳だが、
その際に、無限回転式ピントリングでは、手指の感触で
最短撮影距離がわからず、正当なMF技法が使えない。
結局「ピント問題」全般が、本レンズの弱点であるが、
その問題はさて置いたとして、次なる課題は、この
特徴的な描写傾向を「いったいどんな被写体に用いる
のが良いか?」という、作画上の問題点である。
ここは難しく、正解は無いかも知れない。
特徴的なカリカリ描写の部分を活用するならば、
精密な質感を持つ被写体に向くのだろうが、事はそう
単純な話ではなく、あえて一般被写体をカリカリ描写
にしてしまうとか、加えて、後年のNEX/αに備わる
エフェクト機能を掛けて使用するための素材とするとか、
または、全く逆に、そのカリカリ描写を出さないように
工夫して撮るとか、実に様々なバリエーションがある。
テクニカル面では面白いレンズと言えるが、そういう
事をやろうとしたら、そのテクニカル水準が高すぎて、
初級中級層ではお手上げになるだろう。
だが、かといって、レンズ言うがままに撮っていたら
「アンコントローラブル」だ。
例えば、初級層が「花をふわりと可憐に描写したい」と
思っているのに。カリッカリな描写の写真が撮れたら、
面食らってしまうし、どう撮ったら自分が望むように
撮れれるかが、全く不明の状態だからだ。

それなりにあるだろう。発売当時から流行している
スマホを用いた写真投稿SNSでの掲載写真に対して、
本レンズを用いたNEXシステムにおける
「高画素数+高解像度カリカリ描写+強い縮小効果」
であれば、明確にスマホ系カメラの写真との差別化は
出来るからだ。だが、それが良い事なのか悪い事なの
かは良くわからない、本レンズを使用するユーザー層の
志向のみならず、SNS閲覧層(ギャラリー)における
個々の好みもあるからだ。
SNS映えを狙うとか、こういう考え方は、旧来の時代の
「カメラやレンズはHiFi(高忠実度)であれ」という
思想とは一線を画するものだと思う。
だからまあ「実験的な製品コンセプトだ」とも個人的
には思う訳だ。
しかし、こういう製品は「時代の流れの中の異端児」
になってしまう恐れもある。
過去の様々な時代(およそ50~60年間)のカメラや、
レンズ製品を多数所有して実際に使っている私の目から
すると、ある時代特有の市場背景や世情を受けて
作られた製品も少なくは無い。それらはカメラ機材の
歴史の中では、異端児であるかも知れないが、歴史的
な価値は高く、それが上手くいった場合は特異な製品
として評価され、あるいは一過性の流行に乗っただけの
製品であると、全くの低評価になってしまうかも知れない。
だからまあ、今すぐに、本レンズがどうである、とかは
なかなか評価が難しいのだ。
いずれ時代が過ぎて、本レンズの特異な描写傾向を
後年において、どう思えるか? そこにつきると思う。
まあでも、直感だが、本レンズのユニークさを冷静に
考えれば、プラス評価には働くと思う。
「かつてこんなコンセプトのマクロもあった」と、
記憶に残るレンズとなるだろう。
ただ、それは、いわゆる「投機的」な意味とは全く
無関係だ。つまり、希少価値とか高名なブランドで
あるから、後年に値上がりする、とか、そういう観点
での話では全く無い。投機的な相場変動と、カメラ
製品の特徴や性能における価値とは、全く無関係だ。

全く無いようなカメラやレンズが、投機的意味から
高値で取引されていることが不思議ではならない。
「何で、そんなものを高値を出して欲しがるの?」
という感覚である。まあでも、このあたりは需要と
供給のバランスにより「市場」が決めた平衡点であるから、
そうなってしまうのも、やむを得ないが、それでも
「買う側の価値感覚」に対する疑問は大きく残る。
”消費者は、自分自身の強い価値感覚(価値観)を持って、
機材購入をするべきである”と、常々思っている次第だ。
それが出来る人を「マニア」と呼ぶべきであり、
投機的な要素のみで高値になっているモノを欲しがる人は
マニアとは呼び難い。(むしろ「好事家」と呼ぶべきか、
あるいは、単純に転売利益目的の「投機層」であろう)
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では、今回ラストのシステム

(中古購入価格 8,000円)(以下、OM50/3.6)
カメラは、OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡ Limited (μ4/3機)
こちらも銀塩時代を代表する「平面マクロ」だ。
MF、1/2倍仕様。正確な情報は、現代ではもう少ないが、
OM初期の時代の物なので、1970年代の製造であろう。

ビジネスシーンでは「コピー機」がまだ普及して
いなかった。
1960年代には、例えば「リコピー」といった
「ジアゾ式複写機」が使われたが、これは透過式であった
ので一般製本(書籍や資料等)の複写は難しいし、普通紙
への複写も出来ない。
1970年代には、例えば「ゼロックス」といった静電複写
機が登場し、一般製本でも普通紙に複写が可能となった。
この後、1980年代にはコピー機はビジネスシーンに
急速に普及する事となる。
ビジネスシーン以外の専門分野、例えば、医療、研究、
芸術、などにおいては、こうした複写機ではなく、
写真(接写)による複写も、1970年代では、まだまだ
主流といえた。
医療検体、医療画像、古書、遺物、絵画、文献などの
平面被写体において「写真による複写」を行うには
画像の平面域全般での解像力の高さ、像面湾曲の低減、
歪曲収差の低減などのレンズ性能が求められ、そうした
用途に向いたレンズが、本記事冒頭のNIKKOR 55mm系
F3.5マクロレンズであったり、OLYMPUSの本OM50/3.5
や同時期に医療用の特殊用途製品として限定的に販売
されていた様々なベローズマクロ等である。
後年の時代に同等な特性を持つレンズとしては、
「マシンビジョン用レンズ」(本シリーズ第1回)が
存在するが、それの話は様々な記事に詳しいので、
今回は割愛する。

描写力にとても優れる点である。
だが、弱点として、たとえばボケ質に劣る、などが
あって平面以外の被写体、つまり一般撮影における
汎用的な被写体には向かない。
よって、1980年代以降、コピー機等の発達により
「写真による複写」という文化が失われると同時に、
これら「平面マクロ」の必要性も失われ、マクロレンズ
全体の特性は、急速に一般被写体に向く形で変革して
いった訳だ。(前述のMicro-NIKKORも、この時代に
設計仕様を近接重視→無限遠重視に、根本的に変更された)
まあでも、1980年代のMFマクロは、個人的にはまだ
「未完成のレベル」だと分析している。マクロレンズが
その描写力を遺憾なく発揮できるようになるのは、
1990年代後半以降の、AF化、等倍化が行われた後
であり、各社とも、その時代より後のマクロレンズは
汎用的な被写体に向き、かつ、近接領域では極めて
高い描写力を持ち、一般レンズとは一線を画している。
まあ、この1990年代のAF単焦点レンズは、その多くが
MF時代の1980年代の設計やレンズ構成を元にして
AF化しただけのものが殆どであり、すなわち、あまり
進化していなかったから、ますますマクロレンズとの
性能差は大きかった。その背景は、当時はズームレンズ
の発展期であり、そちらの開発に注力(優先)したから
であろう。
なお、その後2000年代からのデジタル時代でも、
単焦点レンズは、ほとんど進化しなかったが、やっと
2010年代に入ってから、高解像力化等のコンセプトで
単焦点レンズ群の描写力が大きく変化(進化)した。
2010年代後半からは、一部のメーカーでも単焦点と同様に
マクロレンズを進化させているが、その数はまだ少ない、
一眼レフ用マクロが大きく進化するのは、恐らくは
2020年代中頃以降になる事であろう・・

銀塩時代1990年代から、2000年代、2010年代と
入手しては手放す(知人に譲渡)事が繰り返された。
何故そんな事になるか?は、本レンズの描写特性が
嫌いであったり、上手く使いこなせない状況があった
からである、これは「平面マクロ」のレンズ性能の
欠点が見えてしまえば、そういう事になっても、
やむを得ない。
(冒頭のMicro-NIKOR 55/3.5も2回目の購入だ)
しかし、「レンズの欠点を咎めず、逆用する」という
考え方に近年ではシフトしてきている。こうした
「平面マクロ」を、どのようにしたら使いこなす事が
できるのか? そういうテクニカル面に興味が出てきた、
とも言えるかも知れない。
が、SONY E30/3.5の項目でも前述したように、
それは、そう簡単な事ではない。実際の撮影においては
実に様々な被写体状況のバリエーションがあるからだ。
でもまあ、その事を強く意識して撮るのと、逆に
全く意識せず、「レンズの言うがまま」に撮っている
のとは大差があるとも思っている。
簡単なレンズでは無いからこそ、使いこなしが
面白い訳だ。・・それを「修行」や「苦行」と考えて
しまうのか、逆に「エンジョイ度」が高い、楽しい
レンズと思えるか?は、それこそ、利用者側の「意識」
そのものであろう。
過去、これらの平面マクロレンズを「写りが悪い」
とか「難しい」とかと言って、手放したのは、
レンズ側の問題ではなく、完全に利用者側の私の責任だ。
それを思って、再度、これらの、使いこなしが困難な
「平面マクロ」を購入し、ちゃんと向き合ってみよう
と思った次第なのだ。

必携とも言い難い。また、仮に入手しても使いこなしが
困難であるし、現代的な描写傾向とも言えない。
まあでも、中古市場ではこれらの平面マクロは比較的
豊富に流通しているし、幸いにして投機対象にもなって
おらず、比較的安価だ。
しかし、安価なのは不人気の証拠でもある。これらの
レンズの特性を理解しないままで買ってしまうと、
それこそ「写りが悪い、大口径版を買えば良かった」
等という、表面的な評価に留まってしまうかも知れない。
なかなか難しいレンズ群であり、初級中級層はもとより
初級中級マニア層にも、残念ながら推奨できない。
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さて、今回の記事「平面マクロ特集」は、このあたり迄で、
次回記事に続く・・