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【玄人専科】匠の写真用語辞典(26)補足編~アラカルト(2)

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本シリーズでは、写真撮影に係わる用語で、本ブログの範囲
でのみ使われたり、一般的では無い専門用語を解説している。
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現在、本シリーズは「補足編」という事で、これまで
書きそびれていた用語や、新たに使用している独自用語を、
順不同、かつ雑多な「アラカルト」として紹介している。
では早速始めよう。

★横浜写真
 やや専門的な一般用語。

 明治時代の初期(1800年代後半)にあった写真技法。

 モノクロ(又はセピア色)フィルム(乾板)で撮影
 された日本の風景や世俗的写真に、顔料などで絵師が
 彩色を施したものである。(=擬似カラー写真)
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 江戸時代の鎖国が解け、開港された(1859年)横浜港
 に多数訪れた外国人向けの日本土産として好評であった
 事から、後年にこれは「横浜(濱)写真」と呼ばれた。

 しかし、横浜写真は製作に技能が必要で、手間がかかり、
 高価でもあった事から後年には絵葉書等に変わっていく。
 非常に貴重なものであり、土産品でもあったので、特に
 国内においては、現存している数は多くない。

 私は、この横浜写真に興味を持ったが、既存のデジカメ
 には、こうした効果機能は無く、また画像編集(レタッチ)
 で、これを実現するには、手間も技能も必要な為、これを
 自動的に生成するソフトウェア(アプリ)を自作した。
_c0032138_15461458.jpg
 このソフトを用いると、現代で撮影したデジタル写真を
 横浜写真風に自動的に加工(画像処理)する事ができる。
 (1つ上の赤い橋の女性写真も、このソフトで自動生成
 したものである。)

 なお、このソフトウェアには高度な画像処理ノウハウが
 入っているので、他に配布や販売等をする気は無いので
 悪しからず。
 さらなる詳細は「プログラミング・シリーズ」第1回
 記事を参照の事。

★大放出時代
 独自用語。

 2000年代の急激なデジタルカメラの普及により、
 銀塩(フィルム)関連ビジネスは急速に衰退した。 
 2000年代後半には、多くのDPE店(写真屋さん)が
 廃業する事になり、それらの店舗で抱えられていた
 銀塩カメラや銀塩用MFレンズの在庫品が多数余った。
 
 これらは「中央」に集められた。すなわち業者等により
 一箇所に集められ、そこで選別が行われ、程度が優れた
 個体は再整備の後、中古カメラチェーン店などで適価で
 売られ、B級品レンズ(僅かな傷、カビ、ゴミ等がある)は、
 一々再整備するのも手間がかかる為、準ジャンクレンズ
 として非常に安価(概ね1000円~2000円)で、中古店
 の店頭で大量に販売された。
 これを私は「大放出時代」と呼んでいる。
 概ね2010年前後の数年間の話である。

 MF時代の50mm/F1.4や50mm/F1.8等は完成度が高い設計
 であり、現代において使用するのにも何ら問題は無い為、
 当時の中上級マニア等は、こぞってこれらを買い集めた。
 ものの数年間で、これらの「掘り出し物」は売りつくされ
 一掃されてしまい、2010年代前半には、もう殆ど目ぼしい
 ものは残っておらず、不人気なMF標準ズームやMF望遠を
 残すのみであった。
 私は2010年前後では、価値の高い標準レンズや単焦点
 レンズを多数買い集め、それらが無くなった2010年代
 後半では、一部の使えそうなMF望遠ズーム等の購入も
 続けていた。その数は合計数十本にもなるが、それに
 使った予算も、計数万円程度なので、一般的な高性能
 交換レンズの中古価格の1本分にも満たない。
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「大放出時代」のレンズの多くは、MD,FD,OM,ARなど、
 現代のデジタル一眼レフには直接装着する事ができない、
 いわゆるマイナーマウント、または旧マウントではあるが、
 勿論、現代のミラーレス機にマウントアダプターを介して
 装着する事は容易だ。
 
 で、購入したレンズの半数程は「写真を始めたい」という
 周囲のビギナー層に「練習用教材」として譲渡してしまった
 ので、現在では「大放出時代」のレンズは、あまり本数は
 残っていない。手元に残っているものは、レンズ系の過去
 記事で全て紹介済みであり、記事中での購入価格が非常に
 安価(1000円~2000円)なものがそれである。

 なお「ジャンク品」として扱われているケースも多い
 これらのレンズだが、「ジャンク」は、本来であれば
 何らかの瑕疵(欠陥)があるものなのだが、これらの
「放出品」では、瑕疵が殆ど無いものも多い。
 それを見分けるのは「目利き」が必要な状態である。

★放射能レンズ
 マニア用語。

 写真用レンズに用いるガラスの素材(硝材)では、
 様々な特性(屈折率、色分散等)を持つ物を組み合わせる
 事が必須である。何故ならば、異なる特性のガラスを用いて
 様々な収差を補正して高画質を得るような設計を行うから
 である。例えば、光の波長ごとに屈折率が異なる状態では、
 全部の色が同じ焦点に集まらない「色収差」が発生して
 しまう事が避けられないのだが、それを打ち消す特性の
 レンズを組み合わせれば色収差を減らす事が出来る訳だ。
(関連参考用語:色消しダブレット、アクロマート、
 アポクロマート(APO)等)

 で、設計上、特に屈折率や色分散が異なるガラスが必要に
 なったとする。概ね1970年代以降では、「異常低分散」
「特殊低分散」といった新素材(硝材)が使えるようになった。
(参考:ED,LD,AD等と、近代までの交換レンズの型番にも、
 これらを使っている事が示されていたが、現代においては
 これらの新素材を用いるのは常識となった為、もうこうした
 型番は用いられていない)

 ところが、1960年代くらいまでは、こうした新素材は
 まだ開発されていなかったため、屈折率や色分散が
 一般的なガラス素材と大きく異なるものを要求する設計に
 しようとすると、ガラス素材に特殊な原料を加えて、
 そういう特性を出すか、蛍石等の特殊素材を用いるしか
 なかった。前者の典型例としては、ウラニウム、トリウム
 等の放射性元素を用いる(加える)事である。
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 上写真は、大阪の博物館に展示してあった、その当時の
 ウランガラス。ここでは屈折率を変える目的ではなく
「(黄色の)着色を行う為」と、用途が記載されていた。
 なお、この展示は、ガイガー計数管で、「放射線量」を
 測る事ができる、ここでの「放射能」はごく微量であり、
 他の一般食品素材の方が、むしろ高い放射能があった。
(注:そういう説明意図を持った展示である可能性も高い)

 で、こうした放射性元素を含むガラス素材が写真用
 レンズで使用された事例もいくつかあって、マニア間
 においては、そうしたレンズは「放射能レンズ」または
「アトムレンズ」や「トリウムレンズ」等と呼ばれている
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 上写真の、PENTAX Super Takumar 50mm/f1.4も
 そうした「放射能レンズ」であると言われている。

 これらの「放射能レンズ」は、技術分野に詳しい上級
 マニア層においては、「ああ、そうか」と受け入れられて
 いるが、たとえば「放射線」と「放射能」の意味の差も
 良く分からない初級マニア層などでは、異常なまでに
 怖がったり、逆に強い興味を持ったりしてしまう。

 また、中上級マニア層等では「放射能レンズは良く写る」
 といった噂も、まことしやかに流され続けている。
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 まあ「放射能レンズ」が良く写るのは、ある意味当たり前
 である。収差の補正を行う設計上で、あえて、人体に危険
 かもしれない放射性元素を含む特殊な特性のガラス素材が
 必要になったからだ。つまり当時の技術では、そうした
 素材を使わないと優れた設計を行う事が無理であったのだ。
 だから、危険とも思われる素材を持って来て(まあ勿論
 人体に影響や危険性が無い事は調べての上だと思われるが)
 そういうレンズを作って販売した訳だ。

 ただし、「良く写る」という事実は1960年代において
 他の一般ガラス素材のレンズと比較した場合での話であり
 特にこの時代はコーティング技術がまだ未発達であった為、
 まあ、解像感やボケ質は確かに良いが、逆光耐性とか
 コントラスト特性が低く感じてしまうのはやむを得ない。

 特にPENTAXにおいては、1970年代より「SMC」型の多層
 コーティング技術が発達した為、その時代以降のレンズ
 を使用した方が、全般的な描写力は勿論高くなる。

 また、前述の「異常低分散ガラス」を利用した設計が
 1970年代以降、望遠レンズから広まっていったので、
 放射性元素を含む素材の必要性も無くなってきたのであろう。

 ただし、標準レンズに関しては、変形ダブルガウス型の
 6群7枚および5群6枚構成の完成度が高まり、これが
 デファクトの設計となり、放射能ガラスも、異常低分散も、
 非球面も必要とはされなかった(=それ故、安価に作れる)
 この設計手法は、AF、デジタル時代を通じ、2010年代初頭
 まで継続されたし、現代でも一部継続中であるが、
 2010年代後半より、異常低分散、非球面などを用いた
 全くの新設計の標準レンズが多数発売されている。

(参考:2010年代末に普及の安価な中国製交換レンズでは
 一眼レフ用の変形ダブルガウス等の古いが完成度の高い設計を
 ミラーレス機用に転用し、ダウンサイジングによる広角化や
 大口径化を図り、設計コストを減らして低価格化した物が多い。
 一部の中国メーカーでは「特殊低分散ガラス」等を使用して
 いるが、まだ「非球面レンズ」の採用例は無い模様だ。
 だが、「あるメーカーが非球面研磨機を導入した」という
 情報もあるので、中国製レンズの非球面搭載は近いうちに
 一般的となるだろう)

 まあ、放射能レンズは、あくまで特有の時代背景での
「変り種」レンズであろう。
 無理して、これを探して入手する必然性は全く無い。

★コーティング
 やや専門的な一般用語。

 レンズの表面反射を防ぐ為に、レンズガラスの表面に
 金属質等の薄い膜を塗布(蒸着)する技術。

 なにかモノを塗るのに透過する光が増える・・というのは、
 なんとも不思議な技術なのだが、もし何も塗っていない
 ガラスの場合、表面反射で数%の光が失われてしまうのだ。
 ここでレンズの枚数が増えると・・・

 例えばレンズ構成が6枚の場合、表裏で合計して12面が
 あるから、反射率(光のロス)を4%と仮定すると・・
 0.96^12=約61% となり、すなわち4割の光が失われて
 しまう事となる。

 現代の多層コーティングの場合、光線透過率は可視光域で
 99.9%と言われていて、こうした技術を用いれば、レンズ
 構成が複雑化しても、光が十分に透過するとともに、
 逆光時等でも、コントラストの高い、いわゆる「ヌケの良い」
 画質が得られる事になる。
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 写真用交換レンズにおける「コーティング処理」は
 古くから、単層、あるいは二層等で行われていた。
 光源の広い波長域に対応する、という実用的な「多層
(マルチ)コーティング」技術は、カールツァイス社等に
 より原理的に発明はされていたのだが、製造上の理由も
 あったのか、実際にそうした多層コーティングの商品が
 多く出回るのは、概ね1970年代であり、上写真のPENTAX
 SMC(Super-Multi-Coated)や、NIKON製レンズ「C」型番
 や、CANON製FDレンズでの「S.S.C.」型番のタイプが良く
 知られている。また、本家とも言えるカール・ツァイスも、
 1975年からのCONTAX RTSシリーズ用交換レンズ群に向け
 T* (テイースター)コーティング技術の供与を始める。

 余談だが、2000年代前半頃にSONYがビデオカメラと
 コンパクトデジタル機で、カールツァイス社から
 ライセンス(商標)の供与を受け、例えば、ツァイス
「バリオ・テッサー」等の名称を用い始めた際、レンズには
 「T*」の名称は冠されていなかった。(下写真)
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 しかし、2006年 KONICA MINOTAよりカメラ事業「α」
 をSONYに移管されるようになると、最初に作ったツァイス
 ブランドの交換レンズ3本には、T*が記されている。
(例: Sonnar T* 135mm F1.8 ZA 2006年)
 まあ、このあたりは、単に「商標」の使用権が取れたか
 取れないか、といった話なので、ユーザー側からは、その
 性能差などは、あまり気にする必要は無い。

 前述のように多層コーティング技術は、1970年代位から
 実用化されていて、今時の各社のレンズは、ほぼ全てが
 多層コーティング化されていて、性能差は殆ど無い。


 まあ、そんな中でもPENTAXでは、2000年代後半には、
 エアロブライトコーテイング、2010年代前半には、
 HDコーティング等、細かい技術改良を続けているが、
 仮に、それがある時期において優秀であったとしても、
 他社も、そうした新技術のレベルに追従しようとする為、
 少し時間がたてば、また各社レンズの性能は同等になる。

 余談だが、2000年代に、コシナ社はフォクトレンダー
 ブランドで、あえて「単層コーティング仕様」とした
 レンズを販売した事があった(例:NOKTON Classic
 40mm/f1.4 S.C.(シングルコート)バージョン)
 ちなみにこのレンズでは、非球面レンズも不採用だ。
 オールドレンズの特性には近いが、あえて性能の劣る
 レンズを発売するというコンセプトは非常にマニアック
 であり、これに過敏に反応し、共感した上級マニアも
 多かったと思われる(私も欲しかったのだが、未購入だ。
 何故ならば、非球面ガラスモールド金型の不採用等で
 コストダウンした事を、逆に付加価値とされてしまう事が、
 ちょっと、ひっかかったからだ→ユーザーの負け状態)

★なりきり
 独自概念。

 初級者のうちは、自身が好きな著名な写真家などの作風を
 真似る練習を行う事も有益だとは思うが、中級者以上への
 ステップアップを目指すならば自身の「作風」を創り上げて
 いく事が必要とされる。

 この事を初級層等にわかりやすく説明する際には、
「写真仲間などに配る名刺を作る際、そこにどんな写真を
 入れますか?」と伝える事にしてる、まあそれが自身の
 作風を表す代表的な写真になるだろうからだ。
 
 だが、自身の作風を作って(創って)いくことは難しい。
 何をどうしたら良いか、さっぱりわからないだろうからだ。
 上の「名刺の写真」の件も、その難しさを実感してもらう
 為の話である。

 そんな際、有効な手段の1つといて「なりきり」があると
 思っている。
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「なりきり」とは「プロファイリング」の一種であり、
 仮想的な人格・性格を仮定する。例えば、30代、男性、
 正統派のスナップシューター、であるとか・・
 20代、女性、感覚派で自己主張の強いタイプ、とかで
 あるが、さらには使用機材なども仮定してしまうと良い。

 次いで、被写体を探し作品を撮る目線を、そうした
 仮想的なキャラクターに「なりきって」の撮影を行う。
 1つの”プロファイリング”でしばらく練習しても良いし、
 複数のプロファイリングによる異なる目線を並行して
 撮影をしても良い。
 まあ、そんな練習を繰り返す事で、自身の作風として
 どういうものが合っているのかを探る訳である。
 初級層と中級層の狭間くらいに居る人達には、非常に
 オススメの練習技法である。

★非日常
 一般および独自概念。

 他の様々な記事でも書いているが、数十年前の銀塩時代の
 カメラの一般層への普及期においては、機材もフィルムも
 現像代も、所得水準から見て高価であり、その為、1枚の
 写真を撮るには、それなりの決意が必要な時代であった。

 そんな時代の主要被写体としては、「ハレの日」と呼ばれる
 冠婚葬祭や重要なイベント、旅行等が基本であった。
 まあつまり、日常の生活では無い「非日常」である。

 この考え方は、銀塩時代を通じて続いたのだが、2000年代
 にカメラがデジタル化されて、撮影に係わるコストが
 限りなくゼロに近づいた現代においても、依然残っている。
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 まあ、下手をすれば同じ人物が数十年前も今も写真を撮り
 続けているかも知れないし、そうでなくても後輩などに
 そうした考え方を伝えていく事もあるだろうからだ。

 ただ、別のムーブメントとしては、携帯電話にカメラが
 搭載された2000年前後あたりから、写真は「日常を撮る」
 という文化が発達してきている事も確かであり、これは
 携帯電話カメラに限らず、簡易銀塩カメラ(レンズ付き
 フィルム、「写ルンです」等)も、定期的に若年層に
 おいてブームを繰り返している。
(例:1990年代、2000年代前半、2010年代後半)
 もちろん、これらの主要被写体は「日常」であり、
 日常の記録中から周囲との「映像コミュニケーション」
 を目指そうとする訳だ。
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 この話は、どちらの文化が良いとか悪いとかの話では
 なく、「写真には様々な側面がある」という事を言いたい
 訳であり、あまり1つの価値観に拘ってしまいすぎる
 のも良く無い、という事が言いたい訳だ。

 特に気になるのは、「非日常」を求めて、同じ場所や
 同じイベントに大挙して群がってしまうビギナー
 カメラマン達である。これにより混雑やマナー低下や
 周囲の一般層などとのトラブルの問題が続出している。

 これはもう、「非日常であるから、どうしても撮りたい」
 という意識が強すぎる為であり、ある意味不幸な状態だ。
 いつでも日常的に写真を撮っていれば、そのような偏った
 拘りを持つ事も少なくなるのではなかろうか?

 そもそも、撮影経験をもっと沢山積んでいかないと、
「滅多に写真は撮らないから、余計に、この「非日常」は
 なんとしても撮りたい」となってしまう、つまりは写真を
 撮る事自体も、その初級者にとって「非日常」な訳だ。

 なんとも情けない状態だが、それが現状であり、さらには
 一眼レフ等の本格機材ではなく、スマホ等の簡易撮影機材の
 普及により、一般層や低年齢層における写真撮影のマナーや
 モラルが、どんどんと低下していく、という酷い状況もある。

★傍観者的
 独自概念。

 写真を撮る際、どのように撮影者が被写体との間で、
 物理的または精神的なコミュニケーションを取るか?
 という話である。

「コミュニケーション」と言うと、一般的には、「では
 被写体の人物と話をするのか?」という概念になるの
 かも知れないが、勿論それはあるが、もっと広く捉えれば、
 例えば綺麗な風景を見てどう感じたか? 等も、被写体との
 コミュニケーションの一環であると思う。すなわち
 その風景は、懐かしいのか? 神々しいのか? 何らかの
 自身の思い出や経験に関連するのか? それらの感覚や
 感情は全て被写体とのコミュニケーションだと思う。

 そうした被写体との「有形無形のやりとり」を通じて、
 撮影者自身は、「だったら、どのように撮ろうか?」と
 考える訳だ。
 こうした方向性は「被写体に入れ込む」と言い換える事も
 できるかも知れない、これは多かれ少なかれ、被写体を
 撮る上で必須の感覚、感情であろう。
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 そして、その正反対な状況が「傍観者的」である。
 こちらは、被写体との広い意味での物理的または精神的な
 コミュニケーションが無い状態で写真を撮っている。
 そう、まるで舞台の上で勝手に進んでいる物語を、何も
 感じずに ただ見ているだけ(傍観)のような状態だ。

 そういう状況で撮った写真は、後で見ても、または他の
 人が見ても、「撮影者がどのような心理状態で、写真を
 撮影したのか?」が、さっぱり見えてこない。
 なんらかの思うところがあって撮影したのであれば、画角、
 構図、視点、露出、被写界深度、動感、エフェクトの種類
 などの何処かに、その撮影者の主張(言いたいところ、
 または見ている視点、考えの内容、表現)が出てくる。
 
 それが全く無い、ただ撮っただけと思われる写真を
「傍観者的」と称している。勿論あまり好ましく無い状況だが
 初級中級層の撮る写真の多くは、そういった傍観者的だ。
 
 ここはとても重要な点だが、残念ながら、かなり難解な
 概念になると思う、勿論撮影者側でも、そんなに容易に
 それを実践できる訳でも無い、しかしながら、例えライフ
 ワークに近い時間スパンを想定しても、そういう事を
 目指していく事は大事ではなかろうか?
 
★絶対非演出
 専門的な写真用語。

 元々は、昭和時代の著名な写真家である「土門拳」氏が
 1950年代頃に広めた用語および概念である。
「リアリズム」とも呼ばれていて、つまり簡単に言えば、
「写真における被写体には意図的に細工や演出を加えては
 ならない」という考え方だ。

 当時、写真は、それまでの時代の「映像記録」から、
 1つの芸術分野として発展を続けている時代であった。
 芸術であるならば、様々な「表現」や「コンセプト」
 が存在して当然であろう。「絶対非演出」は、1つの
 方向性として有り得る話だし、彼が指導していた多数の
 若手のカメラマン等に、「モラル」や今時の言葉で言えば
「コンプライアンス」を教育していたのだろうとも思う。
_c0032138_15470220.jpg
 しかし、それはもう今から70年も前の話である、その後
 映像文化は芸術としても記録や商業としても大きく発達し、
 様々な映像(写真)の用途、目的が発生している。

 例えば今時の商業写真において「絶対非演出」などと
 言っていたら、何も創れなくなってしまう。


 こうした後年の「演出写真」においては、その元祖と
 なったのは、恐らくは写真家の「植田正治」氏であろうか、
 鳥取砂丘に、人物を様々に配置する作品群のコンセプトは
 その後の芸術/商業写真にも強い影響を与えたと思われる。

 植田氏タイプの「演出写真」は、土門氏の「絶対非演出」
 と対立したという話も聞いているが、今となっては何十年
 も昔の話なので、真偽は定かでは無い
_c0032138_15470706.jpg
 後年、写真を勉強する「学生」カメラマン等の間でも、
「絶対非演出か? 演出写真か?」という議論が良く
 行われていたと聞く。そういう議論を聞きかじった
 一般アマチュア層などでも「写真は絶対非演出でなくては
 ならない」という風に、さらに聞きかじった内容を信条と
 する人達も多かった。

 だが、いくつかの「主義」について討論できるとかは、
 まあ、「大学生的」な状況だ、と私は思っている。
 それぞれの主義主張は、ある側面やある目的分野については
 正しい訳であり、その優劣を比較する事はできないのは
 当然だろう。


 大学生時代、私の周囲にも、哲学などをかじっていて、
 そういう主義主張の議論をふっかけて来るようなインテリ
 学生も多かったのだが、そういう場合、たいてい私は、
「まあ、どんな主義でもいいじゃあないか、大切な事は、
 大人になって、そういう自分特有の主義を創れるように
 なる事ではないのかな?」と、毎回答えていた。

 その裏には「他人の考えを引用してどうなる? 自分の
 考え方を強く持て」というメッセージも込められていたのだ。

★ハマカク
 マニア用語。

 海外(ドイツ)の写真用品のブランド「hama」(ハマ)
 製の「角型レンズフード」の事を指して「ハマカク」と呼ぶ。
(=hama角、”hama製角型フード”の略)
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 現在、「hama」ブランドの製品は、総合写真用品商社の
 ETSUMI(エツミ)が一部扱っている模様なのだが、
 残念ながらこの「ハマカク」はHP上には見当たらない、
 生産中止になったのであろうか?
 私が上写真の「ハマカク」を入手したのは、2000年前後、
 まだ銀塩時代だったと記憶している。

 この「ハマカク」には、恐らくだがφ49mm、φ52mm、
 φ55mmといった、数種類の口径のものが販売されていた
 と思う、私は2種類を所有している。

「ハマカク」は、通常の「汎用レンズフード」のように
 ねじ込みで装着するのではない、それでは取り付け角度が
 一定にならないからだ。そこで、レンズ周囲に対して
 リング状の部品で締め付ける構造になっている。
(注:レンズによっては、嵌らない場合も勿論ある。
 沢山のレンズを所有していて、「このフードが取り付け
 られるレンズを選べる」という上級マニア向きの商品だ。

 また、使用中に脱落したり、角度が曲がって写真が
 ケラれてしまう場合もあるので、その点は要注意である)

 その個性的な仕様と、角型フードの見た目の格好良さから、
 マニアの間では「ハマカク」と呼ばれ、重宝された。
 値段もさほど高価ではなく、1000円台だったと記憶している。
(まあ、プラスチックス製なので、さほどの高級感は無い)

 残念ながら現在では「ハマカク」が販売されている状況は
 見られなく、入手性が悪くなってしまったが、他には
 カメラ用品の「UN」社等からも類似の構造の汎用角型フード
 が発売されている。
 また、特定のレンズ機種専用のメーカー純正角型フード
 が別売アクセサリーとして発売されている場合もある。
 ただし、これら現代で入手可能な物は3000円~10000円
 と、比較的高価である事が課題だが、その中には金属製で
 高級感のある物も存在する。

 いずれにしても、「角型フード」は、フード本来の効能
 である「遮光効果」も、「レンズ保護効果」もあまり
 期待できない、それらの実用性を意識するのであれば、
 特に現代のズームレンズの場合は、専用のバヨネット式の
 花形フードを使った方が簡便だし実用的であろう。
 また、角型フードは、構造上、単焦点レンズ専用になる。

 なので、角型フードは、マニアック度の高いアクセサリー
 ではあるが、希少である事もあいまって、ファッション的
 な「主張」という意味では面白いアイテムかも知れない。
 
---
さて、今回の用語辞典記事はここまでで、
次回補足編の掲載は、また説明が必要な用語がいくつか
溜まった頃とし、そのタイミングは「不定期」としておく。


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