所有している銀塩一眼レフの名機を紹介するシリーズ記事。
今回は第三世代(AFの時代、世代定義は第1回記事参照)の
YASHICA FX-3 Super 2000(1993年)を紹介する。
(名称が長い為、以下FX-3と省略するが、その型番の
カメラはYASHICAでは既に存在している。型番が被るが、
まあ記載の利便性を優先しよう)
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装着レンズは、YASHICA ML50mm/f1.7
(ミラーレス・マニアックス第57回記事)
本シリーズでは紹介銀塩機でのフィルム撮影は行わずに、
デジタル実写シミュレーター機を使用する。
今回は、まずフルサイズ機CANON EOS 6Dを使用する。
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以降はシミュレーターでの撮影写真と、本機FX-3の機能紹介
写真を交えて記事を進めるが、記事後半では、使用レンズ
及びシミュレーター機を他のものに変えてみよう。
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まず最初に述べておくが、本シリーズ記事で「第三世代」と
呼んでいる時代は、1985年のα-7000から1999年までであり、
この時代を「AFの時代」と定義している。
しかし、AFの時代であっても、稀にMF一眼レフが新規に発売
された事がある、本機FX-3(Super 2000)もその中の1台だ。
それと、本機は、実は1986年に発売されていたカメラである。
ただし、それは輸出専用機としてであり、国内発売は1993年
まで実に7年も遅れている。
----
さて、本シリーズ記事では、YASHICA(ヤシカ)の一眼レフは
初登場だ。ヤシカは比較的古くから一眼レフを作っていて
私も古いヤシカ一眼レフを数台所有していたのだが、デジタル
時代に入って「もう使わないであろう」と処分してしまっていた。
まあ、1975年以降のヤシカ銘の一眼レフは、CONTAX機と同一
マウント(Y/C)であるので「CONTAX機を持っておけばヤシカは
不要」という考えもあり、それ以前のM42時代のヤシカ一眼は、
既に古すぎで実用価値が全く無かった。M42のオリジナル機体
が無いと困るのではあるが、その点は、なんと2003年になって
新規発売されたM42マウントの新機種「ベッサフレックスTM」
を所有していたので、古いM42機は不要と見た訳だ。
だがまあ、本機FX-3 Super2000はヤシカの最終モデルである。
歴史的価値を考慮し、本機は処分せずに残す事にした次第だ。
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ここで、ヤシカの一眼レフの歴史を述べておこう。
まず、ヤシカは1950年代~1960年代には、多数の「二眼レフ」
を発売しているが、これらについての紹介は割愛する。
同様に、1960年代より1970年代では、ライカLマウントの
レンジ機や、コンパクト機、ハーブ判コンパクト機を多数販売
しているが、これらも説明しだすと、きりが無く、残念ながら
紹介を見送る。
以下、ヤシカの一眼レフの歴史だ。
<1960年頃>
ペンタマチックシリーズ
ヤシカ初の一眼レフ、専用マウント。
<1960年代~>
ペンタJシリーズ(現在未所有)
他社互換性の高いM42マウントを採用、露出計搭載モデルもある。
<1970年頃>
TLエレクトロシリーズ(現在未所有)
M42マウント、電子化シャッターを搭載、表示等にもLEDが使用
されたが、まだ絞り優先等のAE機能は実現されていない。
<1975年>
CONTAX RTS(本シリーズ第5回記事)
独ツァイスと提携し、CONTAXブランドのカメラの発売を開始、
しかし、この年、ヤシカは経営破綻してしまい、京セラの
資本提携を受ける。後に京セラの完全子会社化となる。
RTSから始まった新バヨネットマウントは「ヤシカ・コンタックス」
と呼ばれた。(=Y/C、他にRTSマウントとも呼ばれる)
この後のヤシカ一眼レフもY/Cマウントを採用する。
<1970年代後半>
FRシリーズ(現在未所有)
Y/Cマウント、いくつか機種があるが、絞り優先AE搭載機が主力。
<1979年>
FX-3
CONTAX 139をベースとした機体、1/1000秒シャッター
外部生産(OEM品)、輸出版としてFX-7(銀色ボディ)有り。
このころの時代から、輸出専用機のバリエーションが増え出す、
当時のヤシカは、海外におけるブランド・ネームバリューが高く
国内よりも海外を主力ターゲットにしたのかも知れない。
すなわち、1975年に「CONTAX RTS」一眼レフをヤシカが生産
した事で、そのカメラメーカーとしての実力値を海外では評価した
のであろう、まあ極めて論理的(ロジカル)な考え方ではある。
しかし、日本国内では逆に「ヤシカはCONTAXの廉価版」という
製品イメージが初級中級ユーザー層に広まってしまっていた。
(注:例えば、腕時計では、SEIKOが廉価版ラインナップの
ALBAを始めた事で、同一メーカーでも複数の価格帯ブランドが
並存している等は、当時でも常識として一般層に広まっていた。
ヤシカとCONTAXの関係も世間は同様に捉えていたかも知れない)
で、この話は非常に興味深く、ブランド名よりも実質を優先する
海外ユーザーの思考パターンと、ブランド・ネームバリューに弱く
モノの本質を理解できにくい日本人との差異が極めて明確だ。
(それまでの日本の工業製品が、海外ブランド製品の性能品質に
「追いつけ、追い越せ」と発達してきた時代背景が主因であろう。
つまり、1950年代後半~1970年代前半の「高度成長期」を
経験してきた人達による、その時代特有の考え方・価値観だ)
・・とは言え、さほど捨てた物でもなく、後年の国内上級マニア
の間では、海外ユーザー層と全く同様の思考パターンにより、
「ヤシカはツァイスと同等」という認識が広まり、ヤシカや
その製造元の「富岡光学」製のレンズが、一気に人気が出て
中には「神格化」する程にまて入れ込むマニア層も出て来た。
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<1985年>
FX-3 Super
ヤシカが1983年に京セラの完全子会社となった後の初の一眼。
機械式シャッター機であり、電池が無くても写真は撮れる。
そして、当然タフでもある事から、海外での様々な(不便な)
地域でも使用可能であり、海外での人気があったのであろう。
本機あたりから、COSINAのOEM製品となっている可能性が高い。
前記FX-3と同様に、FX-7銘が銀色ボディで輸出専用機である。
<1986年>
FX-3 Super 2000(本機の海外版)
最高シャッター速度1/2000秒を追加。
海外モデルもFX-3 Super 2000となったのだが、国内発売は
されず(恐らくは、FX-3 Superの製品寿命が尽きた頃の)
1993年まで7年も遅れた事となる。
<1990年頃>
108マルチプログラム等の、プログラム露出を加えた
AE機がいくつか発売されているが、海外(中国)向け製品も
多い(それらは香港製もあるとの事だ)
<1993年>
FX-3 Super 2000(本機)の国内発売。
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さて、ここまでがヤシカの一眼レフの歴史である、
AF一眼レフが1台も出てきていないのだが、AF一眼は1980年代
後半から1990年代前半まで、主に「京セラ」のブランド名で
展開されていたのが(海外向けはヤシカ銘)、国内では商業的に
成功したとは言えず、これらの機種の説明は割愛する。
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本機を紹介する際に、巷では、よく「コシナ製である」と
言われている。しかし、元々ヤシカは様々な外注工場でカメラ
の機体を生産していたし、1990年代には世の中一般的にも
生産体制の分業化が進み、どのようなカメラや工業製品で
あっても国内や海外を含めて様々なメーカーや提携工場が
連携しながら製品が出来上がるようになってきている。
すなわち「昭和の時代」のように、1つのメーカーで製品を完成
させるような事はもう有りえず、また同時に製造品質も向上して
いる為、メーカー間の品質の差異等も、ほぼ消滅している。
だから、戦後の昭和の時代によくあった「このメーカーの製品
は壊れやすい」などの状況では全く無くなっている。
いつまでも「三丁目の夕日」の時代では無いという事だ。
この事実に関連し、昭和の時代にあったような「ブランド信奉」
は既に成り立たなくなっている。・・と言うのも結局、どんな
カメラでも様々なメーカーの部品が連携して、組み立てすらも
様々な工場で行われているので、一般ユーザー層の考える
「ブランド」や「品質」という意味が、もはや無いと言う事だ。
しかし「昭和の時代」を生きてきたユーザー層は、よほど
製造現場の実情に詳しくない限り、そうした事実は知らない。
だから、未だに「どこのメーカーのカメラが良いのですか?」
等と言うトンチンカンな質問をして来るユーザーが後を絶たない。
勿論、機種毎の仕様の差はあるにせよ、基本的には
どのメーカーのカメラを買っても品質は同等なのだ。
そして、仕様あるいは性能の差についても、あるメーカーが
新機能を付ければ、他社も同様の機能を追加せざるを得ない、
さも無いと他社機にスペックで負けて、売れなくなるからだ。
そうやってメーカー間の差異はどんどん無くなっていく、
もはや違うのはマウント形状と、カメラに書いてあるメーカー
名だけ、という状況だ・・
製造の方法論に関しては、メーカーがそれを公言してしまうと、
古い時代のユーザー層には懸念を持たれてしまうかも知れない。
その事により、メーカー側としては何十年もかけて作り上げた
ブランドイメージが失われるリスクもある。よってどのメーカー
に聞いても「ウチの社内で作っていますよ」と言い張る訳だ。
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さて、「コシナ」もOEMメーカーとしては、「GOKO」社等と
並んで国内最大手である為、昔から各社用のカメラやレンズ
製品を多数製造している。
現代でこそ「フォクトレンダー」や「ツァイス」のブランドを
取得し、高級品メーカーとして知られた「コシナ」ではあるが、
1990年代迄は、世に企業名が知られる事が無い、単なるOEM
(他社ブランドの製品を製造する)メーカーでしか無かった。
中古カメラブームが始まりかけていた1990年代中頃では、世に
名前があまり出ない「コシナ」という企業名や製品名に対して、
当時の初級ユーザー層は「聞いた事が無い、三流メーカーか?」
という風に解釈した。
よって、コシナ自社ブランドの新品レンズ等は、なんと定価の
7割引とかの酷い値付けになっていた。ここまで値引きしないと
誰も買ってくれないのである。同じコシナで作った有名メーカー
の名前が入ったレンズは、その数倍、十数倍の値段で売れるの
にもかかわらずだ・・
だからコシナは「ブランド」を強く欲した。結果1999年に
「フォクトレンダー」を取得し、2006年には「ツァイス」も
取得できたのだが、ブランドを売る側も、あまり技術力の無い
メーカーには売りたくない、もし変な低品質の製品を出され
たら、ブランドの価値が下がってしまうからだ。
(仮に買い戻しても、もう二度と高値では売れなくなる)
つまり、コシナは、海外等からも「高い技術力を持つ」と
評価されたメーカーという事になる。これは、コシナ製でも
製品の品質は何ら問題無いどころか、高品質・高性能である
という事が保証されている、という意味と等価になる。
旧来、巷に出ていたコシナ自社製品の性能が低く感じたのは、
定価の7割引等の無茶な価格で売る事を最初から想定していた為、
その価格に見合う性能・部品設計しか出来なかったからである。
だからブランドを取得した後のコシナは、思い切り贅沢な設計で
最高性能を発揮する高価なレンズを、堂々と作れるようになった
訳だ。
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余談だが、この話は過去のヤシカのケースにも類似している。
すなわち、ビッグブランドである「CONTAX」を日本で生産する際
そのメーカーとして選ばれたのが「ヤシカ」であった訳だ。
京セラは、あくまで経営破綻を起こしたヤシカを救ったのであり
カメラの製造力を認められていた訳では無かったのだ。
で、本機FX-3が「コシナ製」であると騒がれたのは、
その1990年代、コシナがまだ無名で、初級中級ユーザー層から
「安かろう、悪かろう」と思われて(嫌われて)いたからである。
確かに本機の価格は安い、しかし、それは本機のベースとなった
金型等が存在し、共用できる部品も極めて多く、製造コストが
限りなく下がっていたからである。
そして、さらにうがった見方をすれば、本機と同様の構造でも
ブランド力があれば高価に販売する事ができる。それは例えば
コシナが1999年頃から展開した、フォクトレンダーのベッサ
シリーズがある、それは高い物では、本機の4~5倍の定価でも
売れたのだ。
この話はつまり、初級中級ユーザー層において、カメラやレンズ
の価格や価値を判断する為の「ブランド」や「品質」という物に
対する意識が、まるっきり的外れとなっている事を示している。
昔も今もそうだが、「CONTAXは一流ブランドだ、だから性能も
良いし、だから高価なのだ」という誤った論理が、一般ユーザー
の大半の認識である。そう信じ込む前に、全ての歴史をもう一度
振り返って勉強をしなおし、かつ、そこまで信じたならば、
CONTAXの製品を多数購入し、同等の多社製品と厳密に比較して
みればよい。それらを何もやらずしての意見であれば、もう
それは完全な「思い込み」に過ぎない。
ちなみに、後期の京セラ「CONTAX」のカメラも一部はコシナ製で
あったという話も聞いている。
1990年代当時の高級品である「CONTAX」ユーザーからしたら
がっかりした話かも知れないが、逆に、今からしてみれば、
「コシナ製だったならば品質が安定しているから問題ない。
むしろ初期のRTS等は、色々な不良もあったので心配だ・・」
のような正反対な感覚も個人的には出てきてしまう位だ。
なお、コシナCT系のカメラ(1980年代頃)をベースにした各社の
(OEM)カメラ製品は非常に多数ある。
前述の理由で、どこまで作れば、そのメーカー製である、と言い
切れるか否かは、その定義が不明なので、なんとも言えないが、
ヤシカ以外では、1990年代のニコン、オリンパス、リコー等に、
ベーシックな仕様のMF一眼レフ製品を見る事ができる。
まだ他にもある可能性も高いが、これらのOEM色が強い製品は
有名メーカー側でもブランドイメージの低下を嫌って、
詳しい情報を提供する事が無く、また、現存する製品も少なく、
ネット時代以前の製品であった為、詳しい真相は闇の中だ・・
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さて、ここで本機FX-3 Super 2000の仕様について述べておく、
YASHICA FX-3 Super 2000(1986/1993年)
マニュアルフォーカス、35mm判フィルム使用カメラ
最高シャッター速度:1/2000秒(機械式)金属縦走り
フラッシュ:非内蔵、シンクロ速度1/125秒 X接点
ホットシュー:ペンタプリズム部に固定
ファインダー:固定式、スクリーン交換不可
水平スプリット+マイクロプリズム型
倍率0.91倍 視野率92%
ファインダー内照明:無し(LED方式なので不要)
使用可能レンズ:ヤシカ・コンタックス(Y/C,RTS)マウント系
絞り込みプビュー:無し
露出制御:マニュアル露出のみ
測光方式:TTL中央重点平均測光(SPD素子)
露出補正:無し(マニュアル露出なので不要)
ファインダー内表示:+○ーの三点合致式露出表示
ストロボ充電完了表示
巻き上げ角:130度、予備角20度、分割巻上げ可
セルフタイマー:有り(機械式)
電源:SR44/LR44型 2個
電池チェック:シャッター半押しで露出計動作
フィルム感度調整:手動ISO25~3200、DXコード非対応
本体重量:445g(ボディのみ)
発売時定価:24,800円(ボディのみ)
---
このあたりで、シミュレーター機とレンズを交換しよう。
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カメラ CANON EOS 6D→SONY α7
レンズ YASHICA ML50mm/r1.7→YASHICA ML50mm/f1.4
とする。
(注:ML50/1.4は、ミラーレス・マニアックス第25回及び
ハイコスパ第2回記事で紹介)
なお、本機FX-3 Super 2000の標準レンズキットは、詳細
情報は不明だが、ML50mm/f1.9だったかも知れない(?)
(ML50/1.9は未所有だが、前モデルのYASHICA DSB50/1.9は、
ミラーレス第24回記事で紹介済)
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ヤシカの50mm標準レンズは種類が多く、旧M42マウント版を
含め、ミラーレス・マニアックス記事等で多数紹介している
ので興味があれば参照されたし。
多数所有している理由は、どれも写りが良く、コスパが良い
からであって、見かけるとついつい買ってしまった次第だ。
まあ、実用的にはヤシカ標準は、どれか1本あれば十分であり、
本記事での紹介範囲で言えば、小口径のML50/1.7の方が、
ML50/1.4より、やや使い易く写りも若干良いかも知れない。
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本機FX-3の長所だが、
まずは、「写真を撮る」という点について、最小限の機能のみ
を搭載した極めてシンプルなカメラであるという、スペック上
の割り切りがある。カメラを構成する主要部品である、
シャーシー、シャッター、巻き上げ機構、露出計等は汎用性の
高い共用部品で構成されている為、容易に製造でき、価格も
極めて安価となる。
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この汎用性は、同時に信頼性や耐久性にも繋がり、およそ
本機が壊れるという事態を想像できない。
例えば本機の基本性能は1970年代のNIKON F2やCANON F-1と
ほぼ同等だ、それが、貨幣価値も換算すると20年後には、
およそ数十分の1の価格帯で購入できたのであるから、
写真を撮る為の道具としては、何も文句が無い。
本機のようなシンプルなマニュアルフォーカス&マニュアル
露出機を(1990年代に)使うと、それまでの時代の、自動露出
やAF化のための競争は、いったいなんだったのだろう?とも
思えてしまう。「このカメラで十分では無いか・・」と。
カメラの機構は極めてシンプルで、操作子もごく基本的な
シャッターダイヤル(兼ISO感度)、シャッターボタン、
巻き上げレバー、巻き戻しクランク、しか上部には無い。
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カメラや露出についての基本的な知識があるユーザーならば、
操作に迷う事は全く無い。
こうしたシンプルなカメラであるが故「操作系」という概念も
まったく不要だ。本ブログで言う「操作系」というのは、
増えすぎた機能を、いかに使いやすくまとめるか、という
設計手法(設計思想)であるから、そもそも機能が単純な
場合には、そういう考え方は不要なのだ。
安価な機体ではあるが、シャッター音、巻き上げ感触なども
さほど悪くなく、プラスチッキーな点も目立たない為に、
感触性能や高級感に酷く劣るという訳でもない。
軽量コンパクトであるのも良く、Y/Cマウント機であるので、
マニア的に言えば、「本機とヤシカレンズで、ブルジョアな
CONTAX機とツァイスレンズと同等の写りが得られる」という
ひねくれた楽しみ方もある。1990年代のカメラブームの際での、
マニアの間では、むしろ、それが「格好良い事」であったのだ。
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本機FX-3の弱点であるが、
最大の問題は、+○ー三点式の露出インジケーターであろう。
他の記事でも述べたが、マニュアル露出機では露出計が伝える
露出値との差分が、メーター上の絶対値でわからないと、
ちょっと苦しいのだ。
三点式では露出差分がわからないままで撮らざるを得ない。
ただ、それはポジ(リバーサル)フィルムを使う際では
シビアであるが、ラティチュードが広く露出設定がラフで良い
ネガフィルムの場合では、まあ問題無しとも言えよう。
ファインダー内表示は、三点LEDの、たったそれだけであり、
絞り値もシャッター速度も表示されない、まあでも、これは
本機の仕様コンセプト上ではやむを得ない、これ以上複雑な
構造にしてしまうと、価格をはじめ、他社OEM時での互換性等、
様々な問題点が出てくる。
ファインダーに関しては、それよりむしろ、ファインダー内
情報表示が殆ど無い事からも、倍率が0.91倍と極めて高く、
他の銀塩一眼レフ全体を見渡してもトップクラス(注:
OLYMPUS OM-1系が0.92倍という記録があるが、見えは
機体にもよりけりである、いずれにしてもかなり高い)
であり、ファインダー画面が、かなり広く感じて素晴らしい。
スクリーンのマット部のMF精度は高く無いが、水平スプリット
とマイクロプリズムにより、中央に被写体を置く構図であれば
カバーは出きるであろう。
また、実用時には「絞り優先AE」が欲しい気もするが、それは
無い物ねだりだ。必要ならば、AEがあるカメラを使えば良い。
本機は「マニュアル(露出)で撮りたい気分」の際に持ち出す
カメラな訳だ。
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Clik here to view.![c0032138_18093033.jpg]()
なお、絞り環よりもシャッターダイヤルの方が廻し難い事と、
最高シャッター速度が1/2000秒止まりである事(=日中では
大口径レンズで絞りを開けられない)を理由として
マニュアル露出時には、シャッター優先的な使い方になるのが
基本であろう、つまり、シャッター速度を先に決めてから、
絞り環で露出を調整する訳だ。
しかし、CONTAXやヤシカレンズの、絞りを開けた際での
描写力の特性(ボケ質の良さなど)を期待する撮影技法には
若干向かず、それを狙うのであれば、他のCONTAX等の絞り優先
機を使う事が望ましい。
また、先に「高級感は無い訳では無い」とは書いたが、
シャッターボタンがプラスチックの筒のような部分だけは、
いかにも安っぽく、ここはちょっと減点である。
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それと、シャッター音は悪く無いとも書いたが、本機の機械式
シャッターのミラーショックは結構大きい。プラスチック製の
シャターボタンの「押し込みにくさ」(力も必要だ)とも
あいまって、ブレやすい状態になっていると思われるので、
手持ち撮影時には、余りスローシャッターにしない方が
安全であろう。
ここは撮影者のスキルにもよるが、50mm標準レンズを付けた
場合では、1/60秒以上のシャッター速度をキープするのが
良いと思う。なお、本機で三脚を使うのは論外だ、せっかくの
軽快なカメラなのに、余分な荷物が増えて機動力が低下する。
それと「AF時代のまっただ中に機械式カメラなんて・・」
と、時代的な錯誤を感じるかも知れないが、この当時は、
第一次中古カメラブームでもあったのだ、そこではNIKON F2や
CANON F-1などの完全機械式カメラも結構人気があり、実際に
それらで撮影するマニアや中級層も当然のように多く居たので
あまり時代錯誤感はない。
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Clik here to view.![c0032138_18093057.jpg]()
それよりむしろ、この時代(1990年代前半)の、他社の
AF機に魅力的な製品が極めて少ない事を、むしろ問題にする
べきではなかろうか?
つまりこの時代は、「バブル崩壊」の直後である。カメラの
開発というのは時間がかかるものであり、バブル期の考え方で
企画・開発されたカメラは、その発売時期には、ユーザー層の
「モノ」(製品)に対する考え方が大きく変わってしまっていて
その時代のユーザーのニーズとのアンバランスが生じていたのだ。
(この事を「バブリーなカメラ」と本ブログでは呼んでいる)
で、そのアンバランスが、その時代の新鋭カメラに魅力を
感じないユーザー層によって、むしろ昔のカメラを欲しがる
「第一次中古カメラブーム」に繋がったのではなかろうか?と
推察している。
本シリーズ記事においても、前記事第17回のPENTAX Z-1
(1991年)以降、実は、次の記事のAF一眼レフは1990年代
後半の製品まで出て来ない予定だ。
つまり、1990年代前半のAF一眼を、私は現在ほとんど持って
いないと言う事だ。各時代の代表機を欲しがる私のような
マニアとしては珍しい現象だが、結局、製品の魅力が無い
時代だったと言う事なのであろう。
そう言えば2010年代初頭のデジタル一眼レフにおいても同様に
魅力的な製品が無い事を、今、改めて認識した次第である。
私は、その時代のデジタル一眼も、あまり所有していない。
だからまあ、2010年代前半に、ミラーレス機による
「第二次オールドレンズブーム」が起こったのであろう・・
本機FX-3 であるが、他には、あまり目に見える欠点は無い、
シンプルすぎて性能的には不足とは言えるが、完成度は高い
カメラであると思う。
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さて、最後に本機FX-3の総合評価をしてみよう。
評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
-----
YASHICA FX-3 Super2000(1993年)
【基本・付加性能】★★
【操作性・操作系】★★★
【ファインダー 】★★
【感触性能全般 】★★☆
【質感・高級感 】★★
【マニアック度 】★★★★☆
【エンジョイ度 】★★★
【購入時コスパ 】★★★★☆ (中古購入価格:13,000円)
【完成度(当時)】★★★★
【歴史的価値 】★★★
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】3.0点
突出した評価は、マニアック度とコスパである。
新品同様の、程度が良い個体であったので、中古購入価格は
これでも高目の相場の方であった。
性能や仕様的に僅かづつ評価点が下がっているが、割り切った
スペックの機体であるが故に、そこは、やむを得ないであろう。
トータルでは、ほぼ平均点のカメラとなった。
現代において、あえて入手する価値は無いとは思うが、
フィルム撮影のビギナーであれば、使い道はあるかもしれない。
なお、露出メーターが無い為、写真教育用の「教材カメラ」と
しては適していない事は、注意点として述べておく。
次回記事では、引き続き第三世代の銀塩一眼レフを紹介する。
今回は第三世代(AFの時代、世代定義は第1回記事参照)の
YASHICA FX-3 Super 2000(1993年)を紹介する。
(名称が長い為、以下FX-3と省略するが、その型番の
カメラはYASHICAでは既に存在している。型番が被るが、
まあ記載の利便性を優先しよう)
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(ミラーレス・マニアックス第57回記事)
本シリーズでは紹介銀塩機でのフィルム撮影は行わずに、
デジタル実写シミュレーター機を使用する。
今回は、まずフルサイズ機CANON EOS 6Dを使用する。
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写真を交えて記事を進めるが、記事後半では、使用レンズ
及びシミュレーター機を他のものに変えてみよう。
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呼んでいる時代は、1985年のα-7000から1999年までであり、
この時代を「AFの時代」と定義している。
しかし、AFの時代であっても、稀にMF一眼レフが新規に発売
された事がある、本機FX-3(Super 2000)もその中の1台だ。
それと、本機は、実は1986年に発売されていたカメラである。
ただし、それは輸出専用機としてであり、国内発売は1993年
まで実に7年も遅れている。
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さて、本シリーズ記事では、YASHICA(ヤシカ)の一眼レフは
初登場だ。ヤシカは比較的古くから一眼レフを作っていて
私も古いヤシカ一眼レフを数台所有していたのだが、デジタル
時代に入って「もう使わないであろう」と処分してしまっていた。
まあ、1975年以降のヤシカ銘の一眼レフは、CONTAX機と同一
マウント(Y/C)であるので「CONTAX機を持っておけばヤシカは
不要」という考えもあり、それ以前のM42時代のヤシカ一眼は、
既に古すぎで実用価値が全く無かった。M42のオリジナル機体
が無いと困るのではあるが、その点は、なんと2003年になって
新規発売されたM42マウントの新機種「ベッサフレックスTM」
を所有していたので、古いM42機は不要と見た訳だ。
だがまあ、本機FX-3 Super2000はヤシカの最終モデルである。
歴史的価値を考慮し、本機は処分せずに残す事にした次第だ。
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まず、ヤシカは1950年代~1960年代には、多数の「二眼レフ」
を発売しているが、これらについての紹介は割愛する。
同様に、1960年代より1970年代では、ライカLマウントの
レンジ機や、コンパクト機、ハーブ判コンパクト機を多数販売
しているが、これらも説明しだすと、きりが無く、残念ながら
紹介を見送る。
以下、ヤシカの一眼レフの歴史だ。
<1960年頃>
ペンタマチックシリーズ
ヤシカ初の一眼レフ、専用マウント。
<1960年代~>
ペンタJシリーズ(現在未所有)
他社互換性の高いM42マウントを採用、露出計搭載モデルもある。
<1970年頃>
TLエレクトロシリーズ(現在未所有)
M42マウント、電子化シャッターを搭載、表示等にもLEDが使用
されたが、まだ絞り優先等のAE機能は実現されていない。
<1975年>
CONTAX RTS(本シリーズ第5回記事)
独ツァイスと提携し、CONTAXブランドのカメラの発売を開始、
しかし、この年、ヤシカは経営破綻してしまい、京セラの
資本提携を受ける。後に京セラの完全子会社化となる。
RTSから始まった新バヨネットマウントは「ヤシカ・コンタックス」
と呼ばれた。(=Y/C、他にRTSマウントとも呼ばれる)
この後のヤシカ一眼レフもY/Cマウントを採用する。
<1970年代後半>
FRシリーズ(現在未所有)
Y/Cマウント、いくつか機種があるが、絞り優先AE搭載機が主力。
<1979年>
FX-3
CONTAX 139をベースとした機体、1/1000秒シャッター
外部生産(OEM品)、輸出版としてFX-7(銀色ボディ)有り。
このころの時代から、輸出専用機のバリエーションが増え出す、
当時のヤシカは、海外におけるブランド・ネームバリューが高く
国内よりも海外を主力ターゲットにしたのかも知れない。
すなわち、1975年に「CONTAX RTS」一眼レフをヤシカが生産
した事で、そのカメラメーカーとしての実力値を海外では評価した
のであろう、まあ極めて論理的(ロジカル)な考え方ではある。
しかし、日本国内では逆に「ヤシカはCONTAXの廉価版」という
製品イメージが初級中級ユーザー層に広まってしまっていた。
(注:例えば、腕時計では、SEIKOが廉価版ラインナップの
ALBAを始めた事で、同一メーカーでも複数の価格帯ブランドが
並存している等は、当時でも常識として一般層に広まっていた。
ヤシカとCONTAXの関係も世間は同様に捉えていたかも知れない)
で、この話は非常に興味深く、ブランド名よりも実質を優先する
海外ユーザーの思考パターンと、ブランド・ネームバリューに弱く
モノの本質を理解できにくい日本人との差異が極めて明確だ。
(それまでの日本の工業製品が、海外ブランド製品の性能品質に
「追いつけ、追い越せ」と発達してきた時代背景が主因であろう。
つまり、1950年代後半~1970年代前半の「高度成長期」を
経験してきた人達による、その時代特有の考え方・価値観だ)
・・とは言え、さほど捨てた物でもなく、後年の国内上級マニア
の間では、海外ユーザー層と全く同様の思考パターンにより、
「ヤシカはツァイスと同等」という認識が広まり、ヤシカや
その製造元の「富岡光学」製のレンズが、一気に人気が出て
中には「神格化」する程にまて入れ込むマニア層も出て来た。
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FX-3 Super
ヤシカが1983年に京セラの完全子会社となった後の初の一眼。
機械式シャッター機であり、電池が無くても写真は撮れる。
そして、当然タフでもある事から、海外での様々な(不便な)
地域でも使用可能であり、海外での人気があったのであろう。
本機あたりから、COSINAのOEM製品となっている可能性が高い。
前記FX-3と同様に、FX-7銘が銀色ボディで輸出専用機である。
<1986年>
FX-3 Super 2000(本機の海外版)
最高シャッター速度1/2000秒を追加。
海外モデルもFX-3 Super 2000となったのだが、国内発売は
されず(恐らくは、FX-3 Superの製品寿命が尽きた頃の)
1993年まで7年も遅れた事となる。
<1990年頃>
108マルチプログラム等の、プログラム露出を加えた
AE機がいくつか発売されているが、海外(中国)向け製品も
多い(それらは香港製もあるとの事だ)
<1993年>
FX-3 Super 2000(本機)の国内発売。
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AF一眼レフが1台も出てきていないのだが、AF一眼は1980年代
後半から1990年代前半まで、主に「京セラ」のブランド名で
展開されていたのが(海外向けはヤシカ銘)、国内では商業的に
成功したとは言えず、これらの機種の説明は割愛する。
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言われている。しかし、元々ヤシカは様々な外注工場でカメラ
の機体を生産していたし、1990年代には世の中一般的にも
生産体制の分業化が進み、どのようなカメラや工業製品で
あっても国内や海外を含めて様々なメーカーや提携工場が
連携しながら製品が出来上がるようになってきている。
すなわち「昭和の時代」のように、1つのメーカーで製品を完成
させるような事はもう有りえず、また同時に製造品質も向上して
いる為、メーカー間の品質の差異等も、ほぼ消滅している。
だから、戦後の昭和の時代によくあった「このメーカーの製品
は壊れやすい」などの状況では全く無くなっている。
いつまでも「三丁目の夕日」の時代では無いという事だ。
この事実に関連し、昭和の時代にあったような「ブランド信奉」
は既に成り立たなくなっている。・・と言うのも結局、どんな
カメラでも様々なメーカーの部品が連携して、組み立てすらも
様々な工場で行われているので、一般ユーザー層の考える
「ブランド」や「品質」という意味が、もはや無いと言う事だ。
しかし「昭和の時代」を生きてきたユーザー層は、よほど
製造現場の実情に詳しくない限り、そうした事実は知らない。
だから、未だに「どこのメーカーのカメラが良いのですか?」
等と言うトンチンカンな質問をして来るユーザーが後を絶たない。
勿論、機種毎の仕様の差はあるにせよ、基本的には
どのメーカーのカメラを買っても品質は同等なのだ。
そして、仕様あるいは性能の差についても、あるメーカーが
新機能を付ければ、他社も同様の機能を追加せざるを得ない、
さも無いと他社機にスペックで負けて、売れなくなるからだ。
そうやってメーカー間の差異はどんどん無くなっていく、
もはや違うのはマウント形状と、カメラに書いてあるメーカー
名だけ、という状況だ・・
製造の方法論に関しては、メーカーがそれを公言してしまうと、
古い時代のユーザー層には懸念を持たれてしまうかも知れない。
その事により、メーカー側としては何十年もかけて作り上げた
ブランドイメージが失われるリスクもある。よってどのメーカー
に聞いても「ウチの社内で作っていますよ」と言い張る訳だ。
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並んで国内最大手である為、昔から各社用のカメラやレンズ
製品を多数製造している。
現代でこそ「フォクトレンダー」や「ツァイス」のブランドを
取得し、高級品メーカーとして知られた「コシナ」ではあるが、
1990年代迄は、世に企業名が知られる事が無い、単なるOEM
(他社ブランドの製品を製造する)メーカーでしか無かった。
中古カメラブームが始まりかけていた1990年代中頃では、世に
名前があまり出ない「コシナ」という企業名や製品名に対して、
当時の初級ユーザー層は「聞いた事が無い、三流メーカーか?」
という風に解釈した。
よって、コシナ自社ブランドの新品レンズ等は、なんと定価の
7割引とかの酷い値付けになっていた。ここまで値引きしないと
誰も買ってくれないのである。同じコシナで作った有名メーカー
の名前が入ったレンズは、その数倍、十数倍の値段で売れるの
にもかかわらずだ・・
だからコシナは「ブランド」を強く欲した。結果1999年に
「フォクトレンダー」を取得し、2006年には「ツァイス」も
取得できたのだが、ブランドを売る側も、あまり技術力の無い
メーカーには売りたくない、もし変な低品質の製品を出され
たら、ブランドの価値が下がってしまうからだ。
(仮に買い戻しても、もう二度と高値では売れなくなる)
つまり、コシナは、海外等からも「高い技術力を持つ」と
評価されたメーカーという事になる。これは、コシナ製でも
製品の品質は何ら問題無いどころか、高品質・高性能である
という事が保証されている、という意味と等価になる。
旧来、巷に出ていたコシナ自社製品の性能が低く感じたのは、
定価の7割引等の無茶な価格で売る事を最初から想定していた為、
その価格に見合う性能・部品設計しか出来なかったからである。
だからブランドを取得した後のコシナは、思い切り贅沢な設計で
最高性能を発揮する高価なレンズを、堂々と作れるようになった
訳だ。
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すなわち、ビッグブランドである「CONTAX」を日本で生産する際
そのメーカーとして選ばれたのが「ヤシカ」であった訳だ。
京セラは、あくまで経営破綻を起こしたヤシカを救ったのであり
カメラの製造力を認められていた訳では無かったのだ。
で、本機FX-3が「コシナ製」であると騒がれたのは、
その1990年代、コシナがまだ無名で、初級中級ユーザー層から
「安かろう、悪かろう」と思われて(嫌われて)いたからである。
確かに本機の価格は安い、しかし、それは本機のベースとなった
金型等が存在し、共用できる部品も極めて多く、製造コストが
限りなく下がっていたからである。
そして、さらにうがった見方をすれば、本機と同様の構造でも
ブランド力があれば高価に販売する事ができる。それは例えば
コシナが1999年頃から展開した、フォクトレンダーのベッサ
シリーズがある、それは高い物では、本機の4~5倍の定価でも
売れたのだ。
この話はつまり、初級中級ユーザー層において、カメラやレンズ
の価格や価値を判断する為の「ブランド」や「品質」という物に
対する意識が、まるっきり的外れとなっている事を示している。
昔も今もそうだが、「CONTAXは一流ブランドだ、だから性能も
良いし、だから高価なのだ」という誤った論理が、一般ユーザー
の大半の認識である。そう信じ込む前に、全ての歴史をもう一度
振り返って勉強をしなおし、かつ、そこまで信じたならば、
CONTAXの製品を多数購入し、同等の多社製品と厳密に比較して
みればよい。それらを何もやらずしての意見であれば、もう
それは完全な「思い込み」に過ぎない。
ちなみに、後期の京セラ「CONTAX」のカメラも一部はコシナ製で
あったという話も聞いている。
1990年代当時の高級品である「CONTAX」ユーザーからしたら
がっかりした話かも知れないが、逆に、今からしてみれば、
「コシナ製だったならば品質が安定しているから問題ない。
むしろ初期のRTS等は、色々な不良もあったので心配だ・・」
のような正反対な感覚も個人的には出てきてしまう位だ。
なお、コシナCT系のカメラ(1980年代頃)をベースにした各社の
(OEM)カメラ製品は非常に多数ある。
前述の理由で、どこまで作れば、そのメーカー製である、と言い
切れるか否かは、その定義が不明なので、なんとも言えないが、
ヤシカ以外では、1990年代のニコン、オリンパス、リコー等に、
ベーシックな仕様のMF一眼レフ製品を見る事ができる。
まだ他にもある可能性も高いが、これらのOEM色が強い製品は
有名メーカー側でもブランドイメージの低下を嫌って、
詳しい情報を提供する事が無く、また、現存する製品も少なく、
ネット時代以前の製品であった為、詳しい真相は闇の中だ・・
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YASHICA FX-3 Super 2000(1986/1993年)
マニュアルフォーカス、35mm判フィルム使用カメラ
最高シャッター速度:1/2000秒(機械式)金属縦走り
フラッシュ:非内蔵、シンクロ速度1/125秒 X接点
ホットシュー:ペンタプリズム部に固定
ファインダー:固定式、スクリーン交換不可
水平スプリット+マイクロプリズム型
倍率0.91倍 視野率92%
ファインダー内照明:無し(LED方式なので不要)
使用可能レンズ:ヤシカ・コンタックス(Y/C,RTS)マウント系
絞り込みプビュー:無し
露出制御:マニュアル露出のみ
測光方式:TTL中央重点平均測光(SPD素子)
露出補正:無し(マニュアル露出なので不要)
ファインダー内表示:+○ーの三点合致式露出表示
ストロボ充電完了表示
巻き上げ角:130度、予備角20度、分割巻上げ可
セルフタイマー:有り(機械式)
電源:SR44/LR44型 2個
電池チェック:シャッター半押しで露出計動作
フィルム感度調整:手動ISO25~3200、DXコード非対応
本体重量:445g(ボディのみ)
発売時定価:24,800円(ボディのみ)
---
このあたりで、シミュレーター機とレンズを交換しよう。
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レンズ YASHICA ML50mm/r1.7→YASHICA ML50mm/f1.4
とする。
(注:ML50/1.4は、ミラーレス・マニアックス第25回及び
ハイコスパ第2回記事で紹介)
なお、本機FX-3 Super 2000の標準レンズキットは、詳細
情報は不明だが、ML50mm/f1.9だったかも知れない(?)
(ML50/1.9は未所有だが、前モデルのYASHICA DSB50/1.9は、
ミラーレス第24回記事で紹介済)
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含め、ミラーレス・マニアックス記事等で多数紹介している
ので興味があれば参照されたし。
多数所有している理由は、どれも写りが良く、コスパが良い
からであって、見かけるとついつい買ってしまった次第だ。
まあ、実用的にはヤシカ標準は、どれか1本あれば十分であり、
本記事での紹介範囲で言えば、小口径のML50/1.7の方が、
ML50/1.4より、やや使い易く写りも若干良いかも知れない。
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まずは、「写真を撮る」という点について、最小限の機能のみ
を搭載した極めてシンプルなカメラであるという、スペック上
の割り切りがある。カメラを構成する主要部品である、
シャーシー、シャッター、巻き上げ機構、露出計等は汎用性の
高い共用部品で構成されている為、容易に製造でき、価格も
極めて安価となる。
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本機が壊れるという事態を想像できない。
例えば本機の基本性能は1970年代のNIKON F2やCANON F-1と
ほぼ同等だ、それが、貨幣価値も換算すると20年後には、
およそ数十分の1の価格帯で購入できたのであるから、
写真を撮る為の道具としては、何も文句が無い。
本機のようなシンプルなマニュアルフォーカス&マニュアル
露出機を(1990年代に)使うと、それまでの時代の、自動露出
やAF化のための競争は、いったいなんだったのだろう?とも
思えてしまう。「このカメラで十分では無いか・・」と。
カメラの機構は極めてシンプルで、操作子もごく基本的な
シャッターダイヤル(兼ISO感度)、シャッターボタン、
巻き上げレバー、巻き戻しクランク、しか上部には無い。
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操作に迷う事は全く無い。
こうしたシンプルなカメラであるが故「操作系」という概念も
まったく不要だ。本ブログで言う「操作系」というのは、
増えすぎた機能を、いかに使いやすくまとめるか、という
設計手法(設計思想)であるから、そもそも機能が単純な
場合には、そういう考え方は不要なのだ。
安価な機体ではあるが、シャッター音、巻き上げ感触なども
さほど悪くなく、プラスチッキーな点も目立たない為に、
感触性能や高級感に酷く劣るという訳でもない。
軽量コンパクトであるのも良く、Y/Cマウント機であるので、
マニア的に言えば、「本機とヤシカレンズで、ブルジョアな
CONTAX機とツァイスレンズと同等の写りが得られる」という
ひねくれた楽しみ方もある。1990年代のカメラブームの際での、
マニアの間では、むしろ、それが「格好良い事」であったのだ。
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最大の問題は、+○ー三点式の露出インジケーターであろう。
他の記事でも述べたが、マニュアル露出機では露出計が伝える
露出値との差分が、メーター上の絶対値でわからないと、
ちょっと苦しいのだ。
三点式では露出差分がわからないままで撮らざるを得ない。
ただ、それはポジ(リバーサル)フィルムを使う際では
シビアであるが、ラティチュードが広く露出設定がラフで良い
ネガフィルムの場合では、まあ問題無しとも言えよう。
ファインダー内表示は、三点LEDの、たったそれだけであり、
絞り値もシャッター速度も表示されない、まあでも、これは
本機の仕様コンセプト上ではやむを得ない、これ以上複雑な
構造にしてしまうと、価格をはじめ、他社OEM時での互換性等、
様々な問題点が出てくる。
ファインダーに関しては、それよりむしろ、ファインダー内
情報表示が殆ど無い事からも、倍率が0.91倍と極めて高く、
他の銀塩一眼レフ全体を見渡してもトップクラス(注:
OLYMPUS OM-1系が0.92倍という記録があるが、見えは
機体にもよりけりである、いずれにしてもかなり高い)
であり、ファインダー画面が、かなり広く感じて素晴らしい。
スクリーンのマット部のMF精度は高く無いが、水平スプリット
とマイクロプリズムにより、中央に被写体を置く構図であれば
カバーは出きるであろう。
また、実用時には「絞り優先AE」が欲しい気もするが、それは
無い物ねだりだ。必要ならば、AEがあるカメラを使えば良い。
本機は「マニュアル(露出)で撮りたい気分」の際に持ち出す
カメラな訳だ。
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最高シャッター速度が1/2000秒止まりである事(=日中では
大口径レンズで絞りを開けられない)を理由として
マニュアル露出時には、シャッター優先的な使い方になるのが
基本であろう、つまり、シャッター速度を先に決めてから、
絞り環で露出を調整する訳だ。
しかし、CONTAXやヤシカレンズの、絞りを開けた際での
描写力の特性(ボケ質の良さなど)を期待する撮影技法には
若干向かず、それを狙うのであれば、他のCONTAX等の絞り優先
機を使う事が望ましい。
また、先に「高級感は無い訳では無い」とは書いたが、
シャッターボタンがプラスチックの筒のような部分だけは、
いかにも安っぽく、ここはちょっと減点である。
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シャッターのミラーショックは結構大きい。プラスチック製の
シャターボタンの「押し込みにくさ」(力も必要だ)とも
あいまって、ブレやすい状態になっていると思われるので、
手持ち撮影時には、余りスローシャッターにしない方が
安全であろう。
ここは撮影者のスキルにもよるが、50mm標準レンズを付けた
場合では、1/60秒以上のシャッター速度をキープするのが
良いと思う。なお、本機で三脚を使うのは論外だ、せっかくの
軽快なカメラなのに、余分な荷物が増えて機動力が低下する。
それと「AF時代のまっただ中に機械式カメラなんて・・」
と、時代的な錯誤を感じるかも知れないが、この当時は、
第一次中古カメラブームでもあったのだ、そこではNIKON F2や
CANON F-1などの完全機械式カメラも結構人気があり、実際に
それらで撮影するマニアや中級層も当然のように多く居たので
あまり時代錯誤感はない。
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AF機に魅力的な製品が極めて少ない事を、むしろ問題にする
べきではなかろうか?
つまりこの時代は、「バブル崩壊」の直後である。カメラの
開発というのは時間がかかるものであり、バブル期の考え方で
企画・開発されたカメラは、その発売時期には、ユーザー層の
「モノ」(製品)に対する考え方が大きく変わってしまっていて
その時代のユーザーのニーズとのアンバランスが生じていたのだ。
(この事を「バブリーなカメラ」と本ブログでは呼んでいる)
で、そのアンバランスが、その時代の新鋭カメラに魅力を
感じないユーザー層によって、むしろ昔のカメラを欲しがる
「第一次中古カメラブーム」に繋がったのではなかろうか?と
推察している。
本シリーズ記事においても、前記事第17回のPENTAX Z-1
(1991年)以降、実は、次の記事のAF一眼レフは1990年代
後半の製品まで出て来ない予定だ。
つまり、1990年代前半のAF一眼を、私は現在ほとんど持って
いないと言う事だ。各時代の代表機を欲しがる私のような
マニアとしては珍しい現象だが、結局、製品の魅力が無い
時代だったと言う事なのであろう。
そう言えば2010年代初頭のデジタル一眼レフにおいても同様に
魅力的な製品が無い事を、今、改めて認識した次第である。
私は、その時代のデジタル一眼も、あまり所有していない。
だからまあ、2010年代前半に、ミラーレス機による
「第二次オールドレンズブーム」が起こったのであろう・・
本機FX-3 であるが、他には、あまり目に見える欠点は無い、
シンプルすぎて性能的には不足とは言えるが、完成度は高い
カメラであると思う。
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評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
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YASHICA FX-3 Super2000(1993年)
【基本・付加性能】★★
【操作性・操作系】★★★
【ファインダー 】★★
【感触性能全般 】★★☆
【質感・高級感 】★★
【マニアック度 】★★★★☆
【エンジョイ度 】★★★
【購入時コスパ 】★★★★☆ (中古購入価格:13,000円)
【完成度(当時)】★★★★
【歴史的価値 】★★★
★は1点、☆は0.5点 5点満点
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【総合点(平均)】3.0点
突出した評価は、マニアック度とコスパである。
新品同様の、程度が良い個体であったので、中古購入価格は
これでも高目の相場の方であった。
性能や仕様的に僅かづつ評価点が下がっているが、割り切った
スペックの機体であるが故に、そこは、やむを得ないであろう。
トータルでは、ほぼ平均点のカメラとなった。
現代において、あえて入手する価値は無いとは思うが、
フィルム撮影のビギナーであれば、使い道はあるかもしれない。
なお、露出メーターが無い為、写真教育用の「教材カメラ」と
しては適していない事は、注意点として述べておく。
次回記事では、引き続き第三世代の銀塩一眼レフを紹介する。