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【音楽専科】第12回 弦楽奉納演奏会

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2018年8月23日(木)に、京都市山科区、アスニー山科で
行われた「第12回 弦楽奉納演奏会」の一部の模様より。
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このイベントは「地蔵盆」の一環である。

「地蔵盆」とは、旧暦での7月24日の近辺の日程
(8月23日~24日頃)で、「辻地蔵」を祀る慣わしであり、
京都府を中心として、近畿圏や長野県にも広まっている。
京都において現代では、このお祭りは子供達が主役であり
「辻地蔵」の前に集まって菓子を食べたりする習慣がある。

地域の行事としては、かなり重要な類であり、例えば、
この祭りがある為に、京都近郊のドラゴンボートチームが、
この時期、大会に出られなかったりメンバーが減ってしまう
事もあるのだ。
あるいは、「京都近郊で、”ハロウイン”の行事があまり
広まらないのは、子供がお菓子を貰う行事は”地蔵盆”が
既にあるからだ」という通説まで聞く事もある。

で、ここ京都の山科地区では、地蔵盆は盛んであり、
これに関連して様々なイベントが行われている模様だ。
この「音楽祭」も、その一環である。
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本イベントには、知人の音楽ユニット「ハクチウム」が
出演する。ハクチウムは以前のライブ撮影記事でも
紹介しているが、元々ポピュラー音楽系のバンドである。

が、パンフレットの内容を見る限り、シニア層を中心とした
「和楽器や民族楽器のミニコンサート」のような様相であり、
ハクチウムの音楽とは全く接点が無い模様に思えるのだが、
「MC(司会)も務める」との話であったので、恐らくは
音楽そのものよりも、地蔵盆としての地域的な繋がりでの
出演となっているのだろう。

まあ、せっかくなので、ちょっと見学しに行ってみよう。
しかし、イベント前日から当日にかけ「ダブル台風」が
襲来した。特に当日は、夜に台風20号が近畿地方を直撃する
との事で、夕方からは関西圏全般でJR等が運休する事が
予告されていた。私はその日は家から一歩も出ないつもり
だったのだが、台風の進行は予報よりも少々遅く、
「まあ、15時位までならばギリギリ行けるかな?」と思い、
家に居ても退屈なので、雨中、会場に向かった。
「ハクチウム」の出演分と、もうひとつ、現地で知り合った
クラッシックギター演奏者の方との、2つを撮影して、
電車が止まる前に早目に帰宅する事としよう。
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「ハクチウム」のギター担当の「JAY」氏。
今日の会場は殆ど会議室のようなものであるのだが、一応
PA(音響)システムはあり、専任のミキサーマンが居る。

ここでは、「エレガット」から「ダイレクトBOX」を
経由して「PA卓」(ミキサー)に送る接続だ。
一応マイクが立っているが、これはボーカル(コーラス)
用の別CH(系統)の指向性マイクであり、ギターの音は
このマイクで拾っている訳では無い。
(注:本記事では、これらの音楽・音響用語の個々の意味
の詳細な説明はしない。この分野に係わる人達においては、
いずれも「常識」の範囲であるからだ)

彼のエレガットはサウンドホールのデザインが独特な
小型のもので、この写真ではわからないが、ネック部に
抜ける方向にもサウンドホールが開いている。

エレガットはナイロン弦を使用する為、エレキギターの
金属弦のように電磁誘導コイルによる「ピックアップ」を
使用しても音を拾えない。なので、圧電式のピエゾ素子
を使ったピックアップで、ギターボディの振動を直接
拾って電気的に音に変える仕組みだ。
(注:ピエゾ素子は、逆に電圧を掛けると変形するので
それを回転運動に変換して、写真用レンズのAFモーターに
応用した例も、TAMRON社製品等で、いくつかある)

その為、エレキ(ソリッド)ギターに比べて、ボディ形状や
サウンドホールの設計でも音が変わってくる。
まあ、JAY氏は、相当に「音にはうるさい人」なので、
そのあたりは十分にわかっていて、音作りを行って
いるだろう。
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「ミュージシャン」が自身の楽器における音作りに
拘るのは当然だ。だが、私が見るかぎり、こうした
インディーズ層(レコード会社などに所属していない、
独自活動をする音楽家)の場合、自分自身の楽器から
出る範囲での音作りまでに留まり、ギター等を改造したり
調整したりし、あるいは「エフェクター」を組み合わせる
程度なのだが、実際の(ライブ)会場では、出音は
PAシステム全体により、大きく左右される。

つまり、マイクの特性や配置、又は電気楽器の場合には
接続方法(インピーダンス変換、アンプのプリアウト等)、
ミキサー上の設定、PA側エフェクターの設定、PAアンプの
設定、PAスピーカーの特性と配置、会場自体の音響(反響)
特性と、それにかかわるGEQ(音響イコライザー)の設定、
聴衆の混雑度、などの多くの要素により出音が変わって
しまう。

よってギターやベース自体の音色を多少いじくったからと
言って、PAや会場状況全体を見渡して出音を決定して
いかないと、そのせっかくの拘りの音は、オーディエンス
(聴衆)には、まったく伝わらない訳だ。

だが、そこまでわかっていて、かつ、それができる
ミュージシャンは、メジャー層を含め、ごくごく僅かの
比率でしか無い。
結局、ミュージシャン自身が、これらPAシステムや音響に
対する知識やノウハウが無いのが最大の問題点な訳だ。

だから、こういう場合、たいてい責任転嫁してしまう。
ミュ「この会場のPA/ミキサーは、優秀だ/良くない」
という感じである。

だが、これは大きな間違いだ、ミュージシャンが
PAに対して、指示や設定の希望を何も言わなければ、
PA側は、何をどうセッテイングしたら良いかわからない。

したがって、本来ならば、ライブハウス等においては、
リハの時に一部のメンバー等が観客側から音を聞いて
チェックして、課題があれば、その時点で調整を行って
おくのが必須な訳だ。
しかし、インディーズ層では、そこまでのプロセスを
行う事は殆ど無いし、メンバーも演奏者だけなので、
音響プロデューサー等が付いている事もまず無い。
でも、そこで出音のクオリティが大きく変わってくる為、
アマチュアのバンド等で、そのあたりがいい加減だと、
聞いていられない程の酷い音(やバランス)となる。

特に目立つのがビギナーのロックバンド等で、リハの際
ボーカルやギターの(返しモニター)音が聞こえ難い
からと「オレの音をもっと大きくしてください」等と
ミキサーに希望を出す。(注:返しモニターの音量と
PAから会場への音量(比)は、本来無関係である)

そして、その楽器音が大きくなると、他が聞こえ難く
なる為、結局、メンバー皆が「オレも、私も」となって、
客席側から聞いた全体の音のバランスが無茶苦茶に
なってしまう、などのケースが多々ある。

まあ、今日の場合は、イベントでのミニコンサートで
あるから、殆ど「PAにおまかせ」である。
どの出演者も何も希望を言わないし、リハすらも無いので、
個別のセッティングなど、しようも無い。

また、会議室なので、音の反響も強いし、勿論あまり
大音量を出す訳にも行かない。まあつまり、こうした
会場では、殆ど音に拘ることは出来ない、という事だ。
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マンドリン担当の「ナカムーチョ」氏。

マンドリンは8弦であるが、2本づつをユニゾン(同音程)
としてチューニングする。
G-D-A-Eの、5度チューニングであり、バイオリンと
同じだ。(バイオリン曲で「G線上のアリア」は有名で
あろう)なお、このマンドリンの場合の譜面は、
「ト音記号譜」を使用する。(注:他種のマンドリン、
例えばマンドチェロ等では、ヘ音記号譜の場合もある)

マンドリンの奏法は、ほとんどの場合ピックを使用しての
「トレモロ」(連続反復演奏)となる。

この楽器はイタリア製の「Calace」(カラーチェ)という
メーカーのもので高級品だ(数十万円する・汗)
当然、アコースティック(生)仕様として作られていて、
エレクトリックに改造して使うようなものでは無いので、
これの出音を拾う為には、オンマイクの設定を行う、
すなわち楽器に非常に近接して指向性マイクを配置する。
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音響(PA)的にはこれで正解なのだが、写真的には苦しい。
演奏の様子をとらえようとするとマイクが邪魔になるのだ。
他のアングルを選ぼうとしても、彼は「譜面台」を立てて
いるので、その点でも撮影アングルは制限されてしまう。

・・まあ、そんな事もあろうかと、今日は大口径の望遠
レンズを持参して来ている。
とは言え、ライブ撮影には、フルサイズ換算200~300mm
あたりとなる明るい望遠レンズの使用は常に必須である。

大きなハコ(ホールなどの会場)の場合はもとより、
小さいライブハウスとか、本会場のような会議室程度の
広さ(狭さ)の場合であってもだ。

旧来は、200mm/F2.8単焦点を良く使っていたが、
近年では、135mm/F1.8級の方が明るくて使い易い事と、
カメラ側でも、デジタルテレコン機能や画素数向上による
トリミングの容易性等の面から、望遠画角を仕様上より
伸ばせ、そちらの135mm級が主力となって来ている。

本日は、SIGMA Art 135mm/F1.8がメインのレンズだ。
ちなみに「大きく重く高価」な典型的「三重苦レンズ」だ。
ステージ撮影の他には、殆ど他の用途も無いという特殊な
レンズであり、ユーザー層も殆ど居ないであろう。

ライブ会場で、135mm/F1.8や200mm/F2.8などの大型の
大口径単焦点をバッグから取り出すと、他の職業写真家層
とか上級者層から「いったい、それで何を撮るのですか?」
と聞かれる事がある。

まあつまり、ライブステージでは様々な障害物が存在する、
ので、それらを避けたり、ボカして目立たなくする為には
大口径望遠レンズの使用が必須なのだ。

そして「いったい、何を撮るのか」という質問も無粋な
話であろう。
こちらは、元々音楽畑の出身だ、元音響エンジニアであり、
楽器、音響、音楽、演奏、そして、写真、撮影技法、カメラ、
レンズ、光学、デジタルの全ての分野に十分に精通している。
ライブ撮影自体も長期間の経験とノウハウを持っている。

そこらへんの音楽や楽器の事が何もわからない写真家が
来て、余計な事や的外れな事を言われる筋合いは無い。
勿論、そうしたノウハウを教える義理も無いし、そもそも
上級者レベルであれば、どのような撮影機材を使っても、
それぞれに適した撮影技法がある事は十分わかっている筈だ。
何も勉強をしていない職業写真家等は褒められたものでは
無いし、それでお金を貰うなどの状況は、最も格好が悪い。

仕事として撮影するならば、その被写体分野には他の誰より
も詳しくなくてはならないし、そうでなかったら、
そうなろうとしなければならない。それが出来ないとか、

しないのであれば、そこらへんのビギナー層と同じである。
(沢山、そういう人達を見てきた。ただ不勉強なだけならば
良いが、写真を撮る大義名分を「われ先に」と優先する為、
非常に困ったものだ)

まあ、幸いにして、本日の、この地域イベントにそうした
不勉強な写真家やら報道関係者等が来る事はなかったが・・

それと、初級中級者から「ライブ撮影にはどんな機材を
使ったら良いのですか?」という質問もよく受ける。
けど、それに答えるのは難しい、会場毎の環境差が大きいし、
どんな音楽ジャンルなのか、撮影者がどう撮りたいかとか
どれくらい音楽に詳しいのか、等の様々な要因が関係する。
そもそも、公式カメラマンでは無い場合、ビギナー層が
勝手にライブを撮影する事は許されていない。それが可能
なのは、地域イベントとかの限られた状況だけだし、
そうであっても、知人とかでは無い限り、出演者毎には
個別に撮影・掲載許可を得る必要がある。
いくらSNS時代だからといって、肖像権を無視して勝手に
イベント出演者等の写真を撮ってアップするのは違法である。

本記事でも、今回の撮影機材についての詳細は割愛しよう、
同じ機材を使ったからと言って、同じ写真が撮れる筈も無く
撮影環境や撮影者によって、様々になるだろうからだ。

それに、ビギナー層がライブ等を好き勝手に撮っていたら、
お客さんや、公式・報道系の他のカメラマンの邪魔になる。
(この問題は深刻だ、ビギナー層はまったく周囲が見えて
いないので、ステージ前に立ちはだかって撮ったりする。
もっともビギナー層に限らず、たとえ職業写真家層等でも
観客や周囲を無視したそういう撮り方を「大義名分」だと
勘違いしていて、顰蹙ものとなっているケースも多々ある)

余談が長くなった(汗)、コンサートの模様に戻ろう。
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こちらは、メインボーカルの「NIZZY」さん。
彼女は、極めて独特な「世界観」を持っている。

恐らく、周囲の彼女の友人達には「不思議ちゃん」の
ように思われているかもしれない(汗)
でも、「世界観」は、アーティストに必須の感性である。
これを持っていないアーティストなんて有り得ない。

むしろ、一般人からは理解できない「不思議ちゃん」の
方が、アーティストとしての才能は高い、と見るべきだ、
昔から私の廻りにも多数の様々な分野のアーティストが
居たから、それは良くわかっている。

ハクチウムのキャッチフレーズは「虹色ファンタジー楽団」
である、それは何か?とは問うまい。
そういう「雰囲気」である、と思えば、それで良い訳だ。

アートとは、それを受ける(見る、聞く、感じる)側に
よって、どうとでも解釈できる。送り出す側でも明白な
意図(表現)があり、受ける側でも意識(感受性)がある、
それらがマッチすれば「共感」や「感動」が得られる。

この為、アート分野では、数字や論理といった方法論では
語れない。でも、その「感覚」は、文字や文章や言葉では
伝え難いから、いまだに、楽器では、例えば音色数とか、
カメラでは画素数とか、そういうアートの本質とは全く
関係の無い「ただの数字」で、機材の良し悪し等が語られて
しまう(=客観的に目に見える要素でしか、物事を語る
事が出来ない)

馬鹿馬鹿しい話だが、まあ、そういう事を気にする人は
元々アート分野には無縁の人達である、とも言えるだろう。
(音楽の場合は、だいぶマシであるが、写真の分野では
大半がそんな感じだ、写真の本質とは無関係な数値性能
の話とか、そうした情報ばかりが流れている)
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さて、この会場は会議室ゆえに照明効果が無い。
ライブで照明が無いというのは、写真的には非常に困難な
状況となる、つまり、会議室等で普通に撮っていたのでは、
ライブという「非日常」は写真的にも演出できなくなる訳だ。
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上下の写真は、同じNIZZYさんを、照明効果のあるライブ
会場で撮ったものである。
日常感、非日常感が雲泥の差となる。
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照明が無い場合の対策だが、まず1つは、あまり全体の
状況をいれず、楽器の演奏状況のアップ撮影に特化する
などである。
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あるいは、背景を入れるとしても、窓などが入ると
明暗差が大きくなってしまうので、壁などをバックと
する事だ。

結局、大口径望遠レンズが、こういう場合にも有効となる。

こういう場所で広角レンズで全体を入れようとすると、
単なる「説明写真」にしかならない。勿論それは「アート」
では無いので、アートを「表現」しようとする演奏者側と、
それを撮る側、さらには(写真を介して)見る人の間の
それぞれに、意識の大きなズレが生じる。

だから、ライブのポスター等でも、本来ならば、会場の
「非日常性」を見る側に意識させる写真でなくてはならない、
さも無いと、わざわざ「会場に足を運んで見たい」などと
誰も思わないでは無いか・・
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さて、ここでは、なぜ「メガホン」を持っているのだ?
とかは、明白な理由がある訳でも無いと思うので、
あまり安易には聞くなかれ。

まあ、ハクチウムの曲は殆どがオリジナルなのだが、
いずれも強い「世界観」を持つ。
そして、この状況だが、「パッフェルベルのカノン」に
とても不思議な歌詞をつけた曲の演奏中である。

パッフェルベルのカノンは、 山下達郎の「クリスマス・イブ」
の間奏部に使われた事からも良く知られている曲であろう。
(注、単なる「カノン」では無い。カノンは音楽の形式で
あるので、カノンと名が付く曲はいくらでもあるのだ)

ご存知のように8つのコードからなる循環コード進行であり、
メロディなどを乗せて、曲を無限に続ける事もできる。

(漫画の「ハチミツとクローバー」では、登場人物が、
ゴダイゴの「ガンダーラ」(循環コード曲)を歌い続けて
”止まらなくなった”というエピソードがある)

反面、循環コード、あるいは繰り返しが多い曲は、
単調になってしまう危険性もある。

だから、こういう場合は「バリエーション」を行う事が
音楽的なセオリーだ(場合により「変奏曲」とも言う)

音楽に詳しくない人でも、見た事や聞いた事のある例を
上げるならば、モーツァルトの「きらきら星変奏曲」
がある。TVドラマ/アニメの「のだめカンタービレ」でも
サン・マロのリサイタルで「のだめ」がこれを弾いている。
この曲は、誰でも知っている「きらきら星」の主題を
16種類の異なる奏法でバリーエション(変奏)を行う曲だ。

他の例をあげれば、オーケストラでの「ラヴェルのボレロ」
では、単調な固定3拍子リズムが繰り返される上で、様々な
種類の楽器による、2つの主題が繰り返し演奏される。

これらのキラキラ星もボレロも、延々と繰り返される曲で
あっても退屈はしない、これがまあ「バリエーション」の
効果である。(まあ、様々に「変奏」したい意図があって
結果、繰り返しの曲になっている、とも言えるであろう)

音楽以外でも、たとえば「大食い」の分野でも「味変」
という技があり、単調に同じ味が続くと食欲が無くなるのを
調味料などを加えて、素材の味を大きく変化させる訳だ。
調味料の分だけ余分に食べなくてはならないが、それでも
また食べる気になるので、大食いでは効果的な技であろう。

まあつまり、こうした変奏効果を狙って、NIZZYさんも
この「カノン」の曲では、途中で普通のマイクから、
こうしたメガホンに持ち替えて音色の変化を狙っている。

メガホンの音は、「Hi-Fi」(高忠実性)な音では無いので、
「Lo-Fi」(汚い音)で、聴衆に与える印象を大きく変える
事ができる。

このような「Lo-Fi」音色の使用は現代の音楽シーンでは
当たり前であるが、たとえば、古くは、1969年の
キング・クリムゾンの「21st Century Schizoid Man」でも、
極端に再生周波数帯域を制限したイコライザーと、
デイストーションをかけたボーカルにより極めて印象的な
雰囲気を出している。この曲は初出よりおよそ50年が過ぎた
現在でも、TVドラマ・TV番組のBGMとして頻繁に使われている。

なお、その曲が収録されている「クリムゾン・キングの宮殿」
は、1969年当時「ビートルズ」を抑えて売り上げNo1になった
名盤であり、音楽ファン層であれば聞いた事が無い筈も無い
だろうし、特にプログレファンであれば、これを持っていない
事は有り得ない、というアルバムだ。

音楽においては、「音色」のみならず、和音、メロディ等
で様々な「不安定感」を演出できる。その不安定感は、後で
「解消できる」(例:Sus4和音からMaj和音に進行する)
ので、聴衆に、強い安心感・安定化を与える事が出来る。

まあ、つまり、音楽とかアートの世界では、必ずしも常に
良い音でなくてはならないという理由は無い。むしろ様々な
音色とかメロディとか和音とかリズムを対比させて、そうした
独自の「世界観」を作り上げていく必要がある訳だ。
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ちなみに、ハクチウムの今日のセットリスト(曲順)
であるが「幻色」「微風雨」「音会」「蛹化の女」
となっている。いずれも、かなり変わったタイトルであり、
曲調も歌詞も不思議な感じで、大半がオリジナル曲だ。

こうしたアート性の強い分野の音楽が、「地域イベント」
にマッチするかは甚だ疑問ではあるが、まあ「シニア層が
観客だから感性が無い」などと決め付けてしまうのも、
良く無いし、そういう感覚で演奏者側も選曲していたら、
いずれ、そうした、誰でも知っているような退屈な曲
ばかりの演奏会になってしまい、面白味も新鮮味も無い。

現代のシニア層は、「ビートルズ」を聞いて育った世代だ、
民謡や演歌や童謡や映画音楽だけを聞いていた訳では無い。
これくらいの「冒険」は、あっても良いのではなかろうか。
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さて、「ハクチウム」の次は、ギタリストの「中西精一」氏
によるクラッシックシター演奏だ。
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私は「クラッシックギター」に詳しいので、興味があり、
会場で直接彼に交渉して撮影・掲載許可を貰っている。

彼は、演奏家というよりも、本業はギターの製作者であり、
京都市山科区で「音楽工房」という名前でギターの製作
を営んでいる、今回使用のギターも彼の自作品である。

発注する場合は、ネックの長さ(弦長)、ネック材質
ボディ形状、塗装、指板などを自由にリクエストできる
模様である。
まあ、発注側にも、よほどの演奏経験が無いと、好みを
リクエストするのは難しいかも知れないが、そのあたりは
様々な作例で試してみて、相談して決める手もあるだろう。

今回、ギター演奏を撮影する事となったのは、
勿論、私自身が興味があるからだ。
いや、クラッシックギターは、事実かなり練習していた、
学生時代は、日に6時間は練習していたし、非常に多数の
ギター楽譜を所有していて、ポピュラーな曲から最高難度の
曲あたりまでは(弾けるかどうかはともかく・汗)一応
全て練習して来ている。

でも、最近8年間くらいは全く弾いていない(汗)
まあ「時間が無い」という言い訳は出来るが、それは
この件に限らず、全て同様な「単なる言い訳」であろう。

つまり、興味やモチベーションが下がっているのだ。
何故ならば、クラッシックギターは、意外に狭い音楽分野
であり、数百曲程度の楽譜を集めて、それらを練習したら、
「もう弾く曲が無くなってしまう」訳だ。

それは今回の演奏者の中西氏も、まったく同じコメントを
MCで言っていたので、私は大きく同意した。

だが、せっかくある程度弾けるのに、やめてしまうのは
勿体無い。そこで、たまに、こういう演奏会等を見学して、
また、自身へのモチベーションを取り戻そうとする訳だ。

彼の今回の演奏曲のセットリストだが、以下となる。

・祈り(自作曲)
(京都をイメージした、日本音階(ヨナ抜き)を多用した
 曲であり、タンボーラ奏法等を含む技巧的な曲)

・フェステ ラリアーネ
(トレモロを含む基礎的技巧練習曲、中西氏のMCでも
 「ギターを始めた人が、アルハンブラの想い出を
  弾く前にこの曲で練習をする」とコメントしている。
 ハクチウムのギタリストJAY氏は「初級曲と言う割りに、
 どこをどう見ても難しそうだ」と感想を言っていた)

・愛のロマンス
(ご存知、映画「禁じられた遊び」のテーマ曲。
 クラッシックギターを練習する人で、この曲を弾かない
 人は居ない。前半後半の短調部は比較的簡単であるが、
 中間の長調部は、かなり難易度が高い。
 よって、この曲を完全に演奏できる人は意外に少ない)

・ラグリマ
(ギターの巨匠、タレガ(タルレガ)の小品の名曲。
 TV CMでの、焼酎「二階堂」は同じタレガの小品
「アデリータ」の長調展開部をBGMに使っている。
 ラグリマとアデリータは、普通、セットで練習・演奏を
 行う。ただ弾くだけなら初級レベルであるが、情感を
 含めて演奏するとなると中上級レベルの曲となる)

・アルハンブラの想い出(思い出)
(同じくタレガ作曲のトレモロ奏法による超有名曲。
 クラッシックギターを弾く人で、この曲に憧れない
 人はいない。難易度はかなり高め。
 私も、この曲が弾きたくてギターをはじめ、およそ
 2年間くらいは、繰り返しこの曲ばかり練習していた。
 1曲は長く、丸々演奏すると右手の動く回数は2万回
 にも達する・汗)

・アストゥリアス(レイエンダ=伝説)
(スペインの巨匠、イサーク・アルベニスによる
「スペイン組曲」(未完)の中の1曲。
 元々はピアノ曲で、近年では「大和ハウス」の
 TV CMで、竹野内豊氏の「本当は天井が低い方が好き」
 というやりとりでのBGMに使われている曲だ。
 ギタリストの巨匠「アンドレス・セゴビア」により
 ギター曲に編曲されたが、非常に高難易度な曲と
 なっている。これも前述の「アルハンブラ」と合わせて
 クラッシックギターを学ぶ人の憧れの曲であろう)

中西氏は、他にも(大)バッハ等も演奏したかった模様だが、
持ち時間の都合(25分間)で、ここまでで留めたとの事。

本番前の中西氏は練習中にJ.S.バッハの一節を弾き出した。
匠「お、バッハの無伴奏バイオリン・パルティータ第3番、
  BWV1006ですね!」と言うと、
中「よくご存知ですねぇ! 相当ギターをやってますね」

まあ、それもその筈、私はギター曲やその他の楽器の
曲も含め、家には2万曲以上の楽譜を所有している。

勿論その全曲で練習をした訳では無いが、買って来た
楽譜の大半の曲は、少なくとも1度は弾いてる。
特に好きな曲は、ギターやキーボードで繰り返し練習を
する他、以前は、PC等へデータを「打ち込み」、MIDI等
で多数のシンセサイザー等を連動させて、1つの曲を
作り上げる事(=DTM)も非常に良く行っていたのだ。
バッハのBWV1006も、練習や打ち込みで、何度も何度も
弾いて(聞いて)いる曲なのだ。

ちなみに、BWVとは、「J.S.バッハ作品番号」の事で、
後の時代の(大)ハッハ研究者がつけた番号で、バッハ
自身のものでは無いが、わかりやすい為に一般化している。

で、ポイントであるが、今回の中西氏の演奏曲は、
最初のオリジナル曲を除いて、全て私も楽譜を所有していて
しかも自身で繰り返し演奏(練習)した名曲ばかりだ。

当然、運指なども、ほとんど全て記憶している。
次の瞬間に、どんなメロディになるかはもとより、
ギターで、どのように弾くかも熟知しているのだ。
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ライブ撮影において、この「知っている」というメリット
は、一般カメラマンでは想像ができないほどに大きい。
つまり、楽器の演奏者の右手や左手の指が、次に何処に
どのように動くかを、ほぼ100%事前に予測ができる訳だ。

だから、曲中の非常に難しい箇所(指が大きく動くとか、
大きく開くとか、音が出にくいとか)も、自分で弾いて
いて、全て承知しているから、曲がそういうポイントに
差し掛かる2~3秒前に、予め、そのアングルに望遠レンズ
等を向けて待機できる。

その「見せ場」に差し掛かったら、あとはシャッターを
切るだけだ。

なお、これが、真の意味の「シャッターチャンス」であり、
ビギナーカメラマンが想像するような「ただ待っていて
偶然良い瞬間が訪れる」というものはシャッターチャンス
では無い。というか、急にそうした撮影機会が出来ても
撮影が間に合うはずも無い。だから、ビギナー層では
彼らの思う「シャッターチャンス」は、残念ながら永久に
訪れる事は無いのだ。
被写体を熟知し、かつ、どのように撮りたいかを意識
しない限り、「シャッターチャンス」は絶対に巡って来ない。

また、演奏者の側からすれば、そうした「難しい見せ場」
を撮ってもらえれば、嬉しい訳である。
(今回の演奏者の中西氏からは、後日、「写真を見て
(見せ場での)演奏フォーム上の課題が、とても良くわかって
参考になった」というコメントもいただいている。
なるほど、そういう効果もあるか、と納得)

前述したが、いくら職業写真家とか上級者とか、
高価な高性能機材を持っている裕福なカメラマンであっても、
「音楽や楽器について理解していない限り、撮れる筈が無い」
というのは、こういう事である。

なお、これは音楽演奏(ライブ)に限らない。ステージ系
の演劇とかイベントであっても、必ず「見せ場」がある。
あるいは、ドラゴンボートとかスポーツ関連であっても
やはり「見せ場」や「ドラマ」が存在している。
それを理解したり、予想したり、あるいは撮りたいシーンを
創造して演出することで、やっと「写真」になる。

「臨場感」とか「アート性」とか、色々な概念はあるかも
知れないが、そういうのは極めて曖昧な用語で意味不明だ。
要は、被写体の側の心理や状況を全く理解せずに、
「記録写真的に、高画質(Hi-Fi)な写真を撮るだけでは
全く意味が無い」という事だ。

だが、残念ながら、殆ど全ての初級中級層は、その事は
理解できず、上級層や職業写真家であっても、それが理解
できたとしても、実践する事は極めて難しい。

「高級な機材が欲しい」と志向するよりも、「被写体の世界に
入り込み」それにより「被写体を表現する」事が、
むしろ写真においては、不可欠かつ非常に重要な事なのだ。

加えて、演奏とかステージといったアート分野においては、
演者(パフォーマー)自身が求める、彼らの「表現」が
存在する。それをどう受け止め、どう写真で具現化するかが
ここも重要なポイントだ。
そこが最終的には「臨場感」などに繋がっていく。

勿論、そう簡単な話では無い、ただ、こういう事は、
ライフワーク的に、ずっと続ければよい事でもある。
そして、演者(パフォーマー)側も、それは基本的には
ライフワークとなる、「ここで完成」などは有り得ない、
一生続けて、とことん独自の「表現」や「世界観」を
高めていかなければならない、そしてそれが無ければ
もはや「アーティスト」でも何でも無い訳だ。
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「アルハンブラの想い出」の一節、中間部で長調に転調
してから、ローポジションから大きくハイボジションに
移動する瞬間だ、この曲の演奏中では最も緊張する一瞬
であるが、逆に、ここは難しい事が明白なので、誰でも
繰り返し練習するから、ミスはむしろ起こり難い。

ミスするとすれば、むしろ、なんでもない一節が多いのだ。

ちなみに、クラッシックギター演奏は、極めて複雑かつ
高難易度であるので、どんな一流の演奏家であっても、
ミスは日常茶飯事である。私も何人かの高名なギタリスト
のコンサートを見た事があるが、彼らでもミスしていた
ので「安心」した。だって、どうやってもミスなしで
完璧に演奏することは出来ないし、演奏家のCDを聞いたら
(当然だが)ミスは無い、「どうやったら、こんな完璧な
演奏が出来るのか?」と私は悩んでしまっていたのが、
実際に高名な方の演奏を見ると、ミスをしていたので、
「ああ、実際にはこんな感じでも良いのか」と、むしろ
ほっとしたのだ。

ちなみに、ビギナー層のソロ演奏会等では、ミスをすると
そこで曲が止まってしまったり、繰り返してやり直し
する等の状況が良く見られる。だが、ミスは上級者でも
防げないし、曲が止まったら聴衆側は「興醒め」である。
まあ、ミスをしても、「しれっと」続けたら良い訳だ。
一般聴衆では気づかないだろうし、逆にそれがわかっても
弾ける人であればある程、そのミスを咎めようとはしない。
そこは「アート」における本質では無いからだ。

ごちゃごちゃと小さいミス等を、あれこれ指摘する人ほど
その分野の真理を何もわかっていない、という事になる。

---
さて、短い時間であったが、ギター演奏を満喫できた。
加えて、写真を撮る上での「被写体を知る事」の重要性も
再認識した。
まあつまり「知らない被写体は撮れない」訳である。
であれば、自身が求める被写体ジャンルについては、
練習や勉強を繰り返し、知識や経験を積んでいって
スキルアップするしか無いでは無いか。

楽器の演奏でも同様だ、だが、写真を撮るのですら
それだけ難しい訳だから、楽器の演奏は実はさらに難しい、
他人の演奏を見れば見るほど、自分でもやっていただけに
その難しさの感覚が助長されてしまう。

う~ん、「ギター練習のモチベージョンを上げる」と
いう算段はあったが、むしろ逆効果であったようにも
思えてしまった(汗)

家に帰ると、部屋には、錆びて切れている弦が張られた
ギターが2本立てかけてあって、外では台風がびゅうびゅう
と吹き荒れている。
なんとも複雑な心境になった・・

が、これもまた「感性」であろう、アーティストであれば
この状況から作詞作曲なども出来るかも知れない。
問題なのは、「何を見ても何も感じなくなってしまう」
事であろう、もしそうなったら、もはや演奏も、写真も、
あるいは全てのアートも、何も出来なくなってしまう。


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