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銀塩一眼レフ・クラッシックス(5)CONTAX RTS

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所有している銀塩一眼レフの名機を紹介するシリーズ記事。
今回は第二世代(自動露出の時代、世代定義は第1回記事参照)
のCONTAX RTS(1975年)を紹介する。
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装着レンズは、CONTAX Sonnar T* 85mm/f2.8
(ミラーレス・マニアックス第27回記事)を使用する。

本シリーズでは、このまま紹介機でのフィルム撮影は行わず、
デジタル実写シミュレータ機を用いる事にしているが、
今回はフルサイズデジタル一眼レフCANON EOS 6D(2012年)
を使用する。
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以降はシミュレーターでの撮影写真と、本機RTSの機能紹介
写真を交えて記事を進めるが、本機の時代(1975年)は、
まだ白黒フィルムとカラーフィルムの混在期であるので、
実写は両者を交える。
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さて(京セラ)コンタックスの初号機RTSの登場である。

まず最初に本家CONTAX(ツァイス)の歴史を述べておこう。

今から170年以上も前の1846年、独カール・ツァイス社
(イエナ)が創業、当時は顕微鏡等を製造販売していた。
1800年代後半には優れた研究者エルンスト・アッベを加え、
新技術により業績は向上、さらに、優秀な人材パウル・ルドルフ
(プラナーやテッサーを発明)を加え、1800年代末には
カール・ツァイス財団を設立、近代的な光学関連大企業となる。

1900年代初頭には、プラネタリウム等迄も含めた、様々な光学
機器を手がけ販売する。労働や生産の方法論もよく考えられて
いて品質も高く、すでに一流の評価を世界中で得ていた。

1926年にはカメラを開発製造する「ツァイス・イコン」社を
財団の参加に加えた。

第二次世界大戦前の1932年、ツァイス・イコン社の社内公募
ブランド銘として「CONTAX」が誕生した。
この時代にはまだ一眼レフは存在せず、レンジファインダー機
の CONTAX Ⅰ(1932)、Ⅱ/Ⅲ(1936)等が発売されていた。
これらは、ツァイス製交換レンズの優秀さもあいまって、
独ライカと共に高く評価されていた(高価でもあった)

しかし、ここで大戦が起こり、戦後、ドイツは東西に分断され、
ツァイス(イコン)も同様に東西に分かれてしまった。

戦後、西独側のツァイス・イコンではCONTAX Ⅱa(1950)や
Ⅲa(1951)を発売するが、これらは戦前の機種の改良版だ。

東独でもツァイス・イコン(イエナ)よりCONTAX機が発売され、
また、旧ソ連(ウクライナ)においてもCONTAX Ⅱ/Ⅲのデッド
コピー機である「キエフ」(KIEV)が発売されていた。

余談だが、戦前の初期CONTAXは日本にも輸入されていたが、
非常に高価なカメラであった模様だ。

具体的には1935年頃でのCONTAXの販売価格は、およそ1000円
という記録がある。当時の大卒初任給は90円位であり、
他の商品の価格等から現代の貨幣価値に換算するならば、
およそ3000倍となる。すなわち戦前CONTAXの価格は、
300万円という事になる。

マニアの間で伝説となっている
「戦前はCONTAXで家が一軒買えた」という話は、
現代では300万円で家は買えないので若干オーバーな表現で
あるようには感じるが、実の所、その時代の文化住宅等であれば
1000円位でも買えたようなので、あながちオーバーでは無いので
あろう。

しかし「コンタックス=家一軒」は、非常にインパクトのある
話であり、戦後は勿論、1975年の国産CONTAX復活以降や、
その後の1990年代の中古カメラブームの時代においても、
まことしやかにマニアの間で囁かれ続けていた。

ツァイスは戦後、東西ドイツでどちらも成長したが、商標権の
訴訟が起こってしまう。が、このあたりの話は非常にややこしく
ずいぶんとドロドロとした話なので、詳細は省略する。
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1960年代には、世界的にレンジ機に代わり一眼レフが発達した。
一眼レフ分野でも「コンタレックス」(西)や、
「ペンタコン」(東)、後には「プラクティカ」(東)という
製品群があったのだが、ここも実は色々ややこしい。

で、1970年代に入ると「ツァイス・イコン」(西)は、なんと
カメラ事業から撤退してしまう。

西独ツァイスのような大メーカーが何故カメラ事業から撤退か?
の詳細は不明だが、本シリーズ前記事X-1の所でも書いたように、
それ以前のカメラ産業は「精密機械工業」であったのが、
この時代からは「電子機器工業」と変化してしまった為、
新規分野への戦略的転換を嫌ったのか?そして日本製カメラの
台頭による売り上げ悪化もあった。
結局、ツァイス(イコン)は「光学分野」に特化する選択を
したのだろう。

で1972年には「CONTAX」のブランドも宙に浮いてしまった事で、
当時のツァイス(西)は、商標の売却先を日本のカメラメーカー
に求めた様子だ。
当初、ペンタックス(旭光学)との協業の可能性があったが、
結局それは成立しなかった。
そして1974年にヤシカと提携して、翌年の本機RTSの発売に
繋がる。
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結局、第二次大戦を主因として「CONTAX」のブランドは二転三転
して数奇な運命をたどり、あまり気持ち良い歴史では無いのだが、
日本の初級マニア層では、そういう詳しい話は知らない。

実際にはCONTAXは前述のように色々あったし、レンズに関しては
さらにややこしい変遷もあったのだが、それらはおかまい無しに
「CONTAXやカール・ツァイスは一流品だ」という常識が、国内の
一般ユーザー層に浸透していった。
まあ確かに一流ではあるのだが、時代背景や、より細かい時代
毎での状況を良く認識する必要はあるだろう。

この「神格化」は、日本国内においては銀塩時代を通して続き、
それが京セラ・コンタックス製品であっても、強力なブランド
付加価値を持ち続けた。

1974年のカール・ツァイスとヤシカの提携には、ヤシカが
子会社化していた「富岡光学」の優秀なレンズ製造技術が、
カール・ツァイス財団側にも高く評価されたと聞く。
この事実はマニア間では比較的有名で、その後の中古カメラ
ブームの際、上級マニアでは、富岡光学製(ヤシカ銘含む)の
レンズを、カール・ツァイス製と同等の性能品質とみなして、
これらは「知る人ぞ知る」ハイコスパなレンズ群として
位置づけられていた。
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さて、CONTAX銘はヤシカが買い取ったはずなのに、何故ここで
「京セラ」が出てくるか?と言えば、ここにも複雑な背景が
あって、本機RTSの発売と前後した1975年に、なんとヤシカは
経営破綻してしまっていたのだ、その理由は色々とあるの
だろうが、ここでは省略する。
まあ、そこで京セラが資本投下したという訳だ。

で、1975年時点のCONTAX RTSは、
「ヤシカ社のカメラ・レンズ製造技術」
「カール・ツァイス社のレンズ設計技術」
「ポルシェデザイン社のボディデザイン」
という、とても国際的でキャッチーなセールストークと
有名ブランドが並ぶ事で、これまでの紆余曲折した暗い歴史を
知らない一般ユーザー層にも市場にも、大きなインパクトを
与え、注目されるカメラとなった。
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さあ、前置きが長くなったが、実際の本機CONTAX RTSの
実力値はどうだろうか? ここで仕様を述べておこう。

マニュアルフォーカス、35mm判フィルム使用AEカメラ
最高シャッター速度:1/2000秒、電子式
シャッターダイヤル:倍数系列1段刻み,B,4~1/2000
フラッシュ:非内蔵、シンクロ速度1/60秒(X接点)
ホットシュー:ペンタ部に固定
ファインダー:マイクロプリズム式 倍率0.87倍 視野率93%
使用可能レンズ:ヤシカ・コンタックスマウント用レンズ
露出制御:絞り優先AE,マニュアル露出
露出補正:X4,X2式表示ダイヤル、±2段
露出メーター:AE時LED式、マニュアル露出時追針式
電源:4SR44型 1個、(4LR44使用可)
電池チェック:露出チェックボタンで動作確認可
フィルム感度調整:ASA12~3200、DIN表記併用
フィルム巻き上げレバー角:142度(予備角20度)
セルフタイマー:有り(機械式)
ミラーアップ:可(機械レバー式)
本体重量:728g
発売時定価:14万5000円(?諸説あり 本体のみ)

---
カタログスペックだけ見ても、あまり良くわからない事であろう、
この時代の銀塩AE一眼レフ機は、こういう数値性能だけ見ても、
殆ど同じになってしまう。というか、挙げるべき項目が少ないし、
各社共通の部品もあった為、そのあたりの性能差はつきにくい。
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まずRTS本体の方から特徴を探していこう

RTSの最大の特徴は、シャッター(レリーズボタン)にあると
思う、このカメラには「シャッター半押し」動作が無い。
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もっとも、それ以前の機械式カメラの多くは「半押し」が無い。
AE(自動露出)カメラや、後のAFカメラにおいては、露出値を
知る動作やピントを合わせる動作を撮影前に行う事が必須となり
シャッター半押し動作が一般的になった。

しかし本機RTSには半押しが無い。じゃあ、どうやって
露出値を撮影前に知るか?と言うと、カメラ前面にある
露出チェックボタンを押さないと、それがわからないのだ。
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そのボタンを押すと、絞り優先AEモードの場合には、
ファインダー内のシャッター速度インジケーターに赤色LEDが
点灯し、これから撮るシャッター速度を教えてくれる。

しかし、露出チェックボタンを押さない場合は、レリーズの
ほんの一瞬だけしか赤色LEDが光らない。
おまけに、レリーズボタンのストロークは僅か0.7mmしか無く
かつ、遊びが殆ど無い。ストロークは軽く、「フェザータッチ」
といった状態であり、ボタンに軽く触れるだけで、瞬時に
電磁シャッターが切れてしまう。

これは、他機種から持ち替えた時に顕著であり、のんびりと
「シャッター速度でも見るかあ・・」等と、半押しするだけで
「バシャッ」という、他機種より大きい音がして、写真を
撮ってしまうのだ。

下手すると、ピントを合わせる前だったり、暗くてシャッター
速度が遅い状態だったかも知れず、意図せず撮った写真が
ピンボケになったり手ブレを起こすようなことが頻発した。

マニアの間では、これを「RTSの暴発」と呼び、RTSやRTSⅡを
使う場合の注意事項であったのだが、反面、そこまでレリーズ
のレスポンスが良いと言う事の裏返しでもあり、それを自慢
するような要素もあったかも知れない。

なお、実際のレリーズタイムラグについては、公称値は無いが
ニコンF2の3割増し程度遅い、との検証データもあったようで、
「とても速いように錯覚する」と言うのが正解であろう。

まあ、扱い難いのは確かだが、本当に気持ちよくシャッターが
切れるので、私は銀塩時代末期まで愛用したカメラだ。
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また、本機RTSはフィルム装填の方法が独特である。
普通、フィルムの穴をガイドのリールに噛ませて、巻き上げ
軸のスリットに下から通すのだが、本機ではそれが逆で、
スリットに上から通す。この方式のカメラは、後年の自動装填
以外の機種では極めて少なく、本機以前の時代では、ちょっと
構造は異なるが、キヤノン製のQL(クイック・ローディング)
という型番の付くカメラ(キヤノネットQLやFTb QL等)しか
記憶に無い。
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で、本機RTSはシャッターレリーズの構造やフィルム装填の方法
等の即応性から、Real Time Systemというコンセプトが与えられ、
その頭文字を取って「RTS」と名づけられたとの事だ。

当時1975年は、ビル・ゲイツ氏がマイクロソフト社を創立した
年であり、インテル社はi8080の8bit CPUを発売済み、
OSもCP/Mが登場済みで、また、世界初かもしれないパーソナル
コンピュータのAltair 8800が発売された年だ。

翌1976年には、NECよりマイクロコンピュータ(マイコン)
キットの「TK-80」が発売され、「マイコン」ブームが起こる。

この時代以前にもコンピュータは存在したが、IBMなどの
大型のものであり、それらは殆どがバッチ処理で動作した。
バッチ処理とは、コンピュータが計算する仕事(ジョブ/タスク)
を順番にこなしていく形式のものであり、前の計算が終わらない
限り、次の処理を行う事ができないし、ジョブの順序を予め
指定する必要がある。

これでは不便なので、今時のWindowsやMacとかスマホのように
好きな時に好きな順番でプログラムを起動したり(優先度の指定)
決められた時間にタスクを行う(割り込み処理)等の特徴を持つ
「リアルタイム・システム」や、その機能を搭載したOSである
「RTOS」(リアルタイム・オペレーティング・システム)の
概念設計や試作が流行していた時代だ。
(注:RTOS搭載の製品は、まだ殆ど無い。UNIXは既に存在したが
一般化されておらず、OS-9は1980年のリリースだし、最初期の
Windows 1.0は本機RTSの10年後の1985年だ)

つまり、コンピュータの世界では最先端である「リアルタイム」
をカメラの製品名に転用し、先進的なイメージ戦略を行ったのが
本機CONTAX RTSである訳だ。
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ただ、技術面から言えば、CONTAX RTSにはRTOS等の先進機能が
搭載されていた訳では無いし、技術用語の解釈も微妙に
間違っている。なので、RTSという名前はどうか?と思うのだが、
まあ、おおらかな時代であったのであろう。

ちなみに、その後の時代の商品では、何でもかんでも「デジタル」
という名前を付けるのが流行った事もあり、およそどこから見ても
「アナログ」な製品にもデジタルというネーミングで、失笑もの
であった。
まあでも、今時でも、ごく普通のアナログのオーディオ機器を
「ハイレゾ対応」と言えば、音響の原理がわからないユーザーは
ありがたがってそれを買うので、いつの時代も同じか・・
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さて本機RTSの他の長所だが、ポルシェによる流麗なデザインも
あると思う。シャッターボタン等も僅かに位置が高くなっていて
押しやすいし、全体のシェイプも面取りされていて、角(かど)
が殆ど無く、綺麗で格好良いデザインだ。
このデザインから、一見、小型に見えるのだが、実際には結構
大きく、しかも重量も700g台で、そこそこ重い。

その他のRTSの長所は、残念ながらあまり見当たらない。
まあ、この時代以前で1/2000秒シャッターを搭載していたのは、
F-1やF2等の業務用の最高機種であったのが、本機RTSも、
それらに肩を並べたCONTAXのフラッグシップである、という
感じであろうが・・
モータードライブ等のシステム性は高い(ファインダー交換は
不可)ただまあ、これらは高級機なら「当たり前」とも言えるが。
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本機RTSの弱点だが、
まずは故障しやすい事、しかしこれは理由もあり、後年に
判明した事なので、本記事では省略し、後日説明する。

それと、感触性能があまり高く無い事だ。
シャッター音は前述のようにうるさく、カラランと鳴るので
安っぽい。それと、巻き上げ感触は、いわゆる「ゴリゴリ」で
スムースとは言いがたい。
ただまあ、フェザータッチシャッターは気持ちが良いので、
他の感触性能の弱点はあまり気にならない。

ファインダースクリーンは標準の物はマイクロプリズム式
だが、あまり見えは良く無い。もっとも、この時代のカメラは
だいたいこんなものであろうし、これでもCONTAX機の中では
マシな方だ。
ファインダー内情報表示は不足している印象がある。

電源スイッチが無く、電池切れも怖いし電源の4SR44は高価だ。
また、電池切れになった場合、他機種のように非常用の機械式
シャッターは搭載されておらず、シャッターが全く切れなくなる。
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それとマニュアル露出モードが可能だが、シャッターダイヤル
を廻すと、ファインダーインジケーターの針(機械式)が動く。
絞り値を手動でセットし、カメラ前部の露出計ボタンを押すと
LEDが点灯するので針とLEDを合わせるという、いわゆる「追針式」
の一種だが、この操作中、カメラ左上のシャッターダイヤルを
左手で廻し、持ち替えて絞り環も左手で廻し同時に右手の中指で
露出計ボタンを押すのだが、これではカメラをホールドする力が
不足してしまう(持ちきれない)本機は小型カメラに見えるが、
前述の通り重いカメラだし、交換レンズも皆大口径で重い為、
マニュアル露出撮影は、カメラの操作性上、NGとなってしまう。

まあ、「ツァイスレンズは絞り優先で使え」というのが当時から
推奨される撮影技法であったので、「マニュアル露出は使うな」
という事であろうか?なお、絞りを開けると高速シャッターに
なるので三脚使用の必要性は無い。
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で、本機RTSの場合、交換レンズの話を抜きに、長所や短所は
語れない。CONTAXシステムを使う上で「カール・ツァイス」
レンズの占めるポジションは非常に大きいし、むしろCONTAX機
本体よりも遥かにレンズの方が重要であろう。
CONTAXのカメラはツァイスのレンズを使う母艦でしか無いのだ。

それはCONTAXに限らずとも私個人の持論でもあり、本ブログで
さんざん述べて来た事なのだが、CONTAXのシステムにおいては、
私に限らず、誰が見てもレンズの方を重要視するに違い無い。

で、RTSの交換レンズは、独ツァイス製ではなくヤシカ製造だ、
ただ、そうなるとツァイス神話が崩れてしまいかねない。なので、
レンズは「カール・ツァイス社設計」という名目であったし、
中には、独ツァイスで製造されたレンズも「ジャーマニー版」と
して流通していた。

しかし、ドイツ製だから良く写る、という訳でもなく、市場では
やや高価なドイツ版を購入したユーザー層が「やはりドイツ版は
日本版よりずっと良く写る」と自慢げに主張した可能性も高く、
もしかすると、これらは「製造国」という概念すら、あまり
はっきりしていなかったかも知れない。つまり現代の製造業の
仕組みと同様、組み立て等は各国で分散・分業して行われ
最終的に製品となった国を生産国・製造国とするから、中身が
すべて外国製部品であっても、日本で最終組立てしたら日本製と
言う事ができる。その逆に、全部日本製の部品でも、ドイツで
組み立てをしたら、それはドイツ製となる訳だ。

製造のこうした国際分業化は、1970年代~1980年代では既に
一般的となりつつあり、「Made In・・」の意味は、すでに
殆ど無い状態であったのだ。

だが、一般ビギナー層に対しては、やはりメイドインは重要な
要素であり、当時の多くの家電製品等は「メイドインジャパン」
が海外で持てはやされたが、カメラやブランド・バッグ等の、
趣味性の高い嗜好品では、そのジャンルでのブランド力のある
国名が重要で、カメラではやはりドイツ製という点に、
ユーザーは皆、憧れや幻想を抱いていた時代だ。

だが、実際のところ、このAE一眼レフの時代では、日本以外の
メーカーは、ほぼ全滅であり、カール・ツァイス自身も、
前述のようにカメラ事業から撤退してしまっていた状況なのだ。

さて、余談が長くなったが、当時のRTS用交換レンズ群は、
他の国産メーカー品よりも高価だったと思う。
まあそれはそうだ、ヤシカは、せっかく高いお金を出して
CONTAXという強力なブランドを買ったのに、レンズを安く
売っていたら、お話にならない。
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後年のコシナが、自社ブランド力が無い為、フォクトレンダーや
ツァイス等の商標を次々と取得したのも、全く同じ理由であり、
つまり、そういう名前をつければ、高く売る事が出来る訳だ。

ただ、当然、ブランド銘に恥じない良質の製品を出さないと、
ユーザーの期待を裏切ってしまって逆効果だ。だから、製品に
おける、部品、素材、設計、全体の作り等、いずれも多少は
高品質に仕上げたのかもしれないが、だからと言って、部品代が
少々違っても、その結果価格が2倍も3倍にも跳ね上がる筈は無い。
すなわち値段が高い分は、CONTAXという新しい事業を始める為に
使った様々な経費を回収する為であったのだろう。

まあでも、1970年代から1980年代を通じて、CONTAXのレンズは
他社交換レンズよりも若干高価だったのかも知れないが、
あいにく、1980年代後半からAF化の時代になった。

その際、CONTAXは様々な事情で、AF化に乗り遅れてしまった。
よって、1990年代を通じて旧来のMFのCONTAX交換レンズを
販売していたのだが、周囲が皆、AF化したレンズを出してきて
(=すなわち、新しい物なので値上げも出来た)いる中で、
古いMFレンズの価格をむやみに上げる訳にはいかない。
もし、そんな事をしたら「便乗値上げだ」と、ユーザー層から
反感を買ってしまう。

とう訳で、1990年代にもCONTAXレンズは、あまり値上げする事が
出来なかった。この結果、当初、高価すぎたCONTAXレンズ群は
他社に比べて、相対的にどんどん安価になっていく。

例えば、有名なRTSプラナー85mm/f1.4は1990年代でも10万円弱
位であって、他社のAF版85mm/f1.4が既に10万円以上する
定価であったから、むしろCONTAXのプラナーが最も安価な
類の85/1.4であったと思う。

また、RTS系レンズには、初期のAE型(絞り優先対応)と、
後期のMM型(マルチモード、つまりプログラムAEやシャッター
優先に対応した物)があったのだが、前述のように、CONTAX
のユーザー層は、絞り優先で撮る事が普通であったので、MM型
の意味はあまりなく、それが付加価値(つまり、ユーザーから
見れば特徴であり、メーカーから見れば、値段を上げる理由)
にはならなかった。
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何故CONTAXを絞り優先で撮るか、と言えば、CONTAXのレンズは
ボケ質に優れる為(注:実際にはボケ質破綻が多発するが、
それをコントロールする事は極めて難しい)
メーカー側もまた、ユーザーに対して、絞りを開け気味で、
ボケ味を楽しむような撮り方を推奨していた節もある。
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1970年代までの一眼レフ初級ユーザー層の撮影技法は、
本シリーズの従前の記事でも書いたように、絞りを絞った
パンフォーカス的で中遠距離被写体を撮る事が普通であった。
カメラやレンズの性能の限界の面からも、そういう撮り方しか
出来なかった、というのが正しいであろう。

しかし本機RTSの時代から、ついに、絞りを開けて背景ボケを
生かす撮り方が一般的になり始める。それをする事でCONTAXに
おいても同社のレンズの長所を遺憾なく発揮する事が出来るし、
「アンダー露出気味で撮る方がコントラストが綺麗」と言うのも
日中屋外ではまだ本機RTSのシャッター性能では絞りを開ける事が
不可能なので「暗所での撮影」をほのめかしていた事であろう。
(注:実際には”アンダー露出”と”暗所での撮影”の意味は
全く異なるが、当時のユーザースキルでは、その差を一々説明
するのは困難だ。”暗所で撮れ”と言った方が簡便であろう)

でも、そうやって「新しい時代の撮影技法の創生」に本機RTSの
存在が関与した事は高く評価できる。

そして、そうやってボケを生かした撮影技法は、これまで、
50mmレンズをf8やf11まで絞って撮らざるを得なかったユーザー
層に対しても「今まで見た事の無い、ボケが綺麗な写真」を
見せ付ける事となり、その真の理由を正しく分析・理解する
事が出来ない初級ユーザー層においては、
「やはりツァイスのレンズは凄いな!昔から一流品と言われて
値段が高いだけの事はある、いつか憧れのツァイスを買おう!」
という風に、刷り込まれてしまう訳だ。

まあでも、確かにブランド銘に恥じない設計や製造をした事で、
この時代(1970年代後半~1980年代)の、CONTAX(ツァイス)
レンズは他社の同時代のレンズに対して、若干の性能の優位性は
あるのは確かだ。しかしそれも「全体的に見た」場合の話であり、
個々のCONTAXレンズを見ていくと、イマイチの物も中には
あるし、他社レンズの中にも、前後の時代まで広く見れば
CONTAXを上回る物も、勿論存在している。

それと、この後のAF時代に差し掛かるにあたって、CONTAXレンズ
の他社レンズとの関係性は微妙に変化する。ここでそれを書いて
いくと際限なく記事が長くなるので、また続くCONTAX機の記事に
譲るとしよう。

ともかく(京セラ)コンタックス機を語る上で、ツァイス
レンズを無視する事はできない。

ただまあ、現代において、非常に古いレンジ機用のレンズや、
京セラ時代の古いMFレンズが、CONTAXという名前だけで、依然
高価な相場で取引されている事実は、個人的には、どうにも
納得の行く話では無いが・・
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さて、最後に本機RTSの総合評価をしてみよう。
評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)

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KYOCERA CONTAX RTS (1975年)

【基本・付加性能】★★★☆
【操作性・操作系】★★★
【ファインダー 】★★☆
【感触性能全般 】★★★
【質感・高級感 】★★★☆
【マニアック度 】★★★★☆
【エンジョイ度 】★★★
【購入時コスパ 】★★★ (中古購入価格:33,000円)
【完成度(当時)】★★☆
【歴史的価値  】★★★★★
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】3.3点

非常にクセのあるカメラであるが、予想したよりも好評価点だ。

マニアックで歴史的価値が高いが、古い電子カメラで、かつ故障
しやすい構造故に、現存している個体でまともに動作するものは
少ないであろう。
結果、中古流通もセミレアであり、勿論もう修理も効かないし、
現代での実用的価値は、残念ながら殆どゼロに等しい。

次回記事では、引き続き第二世代の銀塩一眼レフを紹介する。


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