所有している銀塩一眼レフの名機を紹介するシリーズ記事。
今回は第二世代(自動露出の時代、世代定義は第1回記事参照)
のMINOLTA X-1(1973年)を紹介する。
![c0032138_18313169.jpg]()
装着レンズは、MINOLTA MC ROKKOR PF 58mm/f1.4
(ミラーレス・マニアックス第65回記事で紹介)
なお、X-1付属の標準レンズはMC PG50/1.4であって、
本レンズは、それより少し古い時代又は廉価版レンズだ。
そのPG50/1.4(未所有)は「鷹の目ロッコール」と呼ばれ
賞賛されたPG58/1,2(ミラーレス第46回、補足編1回)の
姉妹レンズであり、レンズ構成が当時の一般的な標準レンズ
よりも1枚多い5群7枚である。
だが、私としては5群6枚(PF)型の標準レンズも、ボケ質等の
面では捨てがたいと思っている。
まあ、PFでもPGでも、いずれにしても、この当時のミノルタ
高性能レンズの雰囲気を良く伝える物だ。
さて、本シリーズでは、例によって、このまま銀塩機での
フィルム撮影は行わず、デジタル実写シミュレータとして、
今回はフルサイズ・ミラーレス機SONY α7を使用する。
![c0032138_18311609.jpg]()
以降はシミュレーターでの撮影写真と、本機X-1の機能紹介
写真を交えて記事を進める、
それと本機の時代(1973年)は、白黒フィルムとカラー
フィルムの混在期であるので、実写は両者を交える。
なお、MINOLTA MC/MDレンズはフランジバックが短く、
ミラーレス機以外の一眼レフ等では基本的には使用は困難だ。
![c0032138_18311669.jpg]()
さて、かつて「化物」と呼ばれた異色のカメラの登場だ。
初期の本ブログで紹介した時には「超弩級戦艦」と称した
事もある。それは「とんでもないもの」を表す言葉だ。
私が所有しているこのX-1は、後期型のシステムかあるいは、
後期型のAEファインダーを装着した状態(詳細不明)
なのだが、これがもし初期型であれば、まるで軍艦の船底の
ような独特な特徴のあるファインダーデザインであり、
特に1976年に発売されたX-1 Motorにおいては、初期型の
AEファインダーを付けた状態でのゴツゴツとした無骨で異様な
雰囲気は存在感が極めて高く、一度見たら忘れようがない。
本機、後期型(?)のX-1においては「船底ファインダー」
では無いので、だいぶ大人しくはなったのだが、それでも
依然、独特のインパクトのあるデザインである事は変わりない。
本シリーズ記事では、ミノルタ製のカメラは初登場である。
本機より以前のミノルタ機も、いくつか所有していたのだが、
デジタル時代になって、あまりに古くて実用価値が無いと
思われるカメラを処分してしまっていた。
なので、本機X-1が現在私が所有する最も古いミノルタ製の
カメラである。
![c0032138_18313199.jpg]()
ミノルタ機は初という事で、ちょっと歴史を振り返ってみよう。
ミノルタは、今から90年近く前の1930年代からカメラを
製造販売していた超老舗メーカーだ。
まあでも、前記事で紹介したコニカの方が、さらに30年近くも
早くからカメラを製造販売していたが・・
で、だからこそ2003年頃のコニカとミノルタの合併、
つまり写真関連事業の統合は、老舗同士のコラボということで
それなりにセンセーショナルな出来事であった。
なお、コニカミノルタは、その後2006年に写真関連事業での
一眼レフのαをSONYに譲渡し、プリント業務をノーリツ鋼機や
カメラのキタムラに移管し、100年以上にも及ぶ写真事業の
歴史を閉じてしまった(注:現代では、さらにプリント業務
が減少し、それら移管先のプリント業務も、プロラボ等で
集中処理されている模様だ)
1930年代前半のミノルタのカメラは、まだ実用的なレベルとは
言い難いし、メーカーとしての組織形態も不定形であった。
1930年代後半には国産初の二眼レフカメラ等を発売、完成度も
上がってきて、この頃からカメラ製品には「ミノルタ」の名を
冠するようになってきた。
「ミノルタ」とは、「稔(みの)る田」という意味だと聞く。
現代の感覚からすると、ちょっと不思議な感じの命名だが
創業者の母が「稔る程首を垂れるように、謙虚であれ」と
言った事から来ているらしい。
一応本来の略語は、機械のM、器具のIN、光学のOL、
田島(創業者)のTA から英語的に付けられたという由来も
ある模様で、二重の意味を持つ。だがまあ、カメラマニアの
間では「稔る田」の話の方が有名であろう。
それと、ミノルタのレンズ名で用いている「ロッコール」は、
創業地の神戸(西宮)の裏手にある「六甲山」からつけられた
模様であるが、この話もカメラマニアには「常識」であろう。
![c0032138_18311517.jpg]()
さて、続くミノルタの歴史だが、1940年代は軍需工場に指定
されていた為、民生用機種の発売は殆ど無い。
戦後、1950年代に入ると、様々なフォーマットのフィルムを
用いた製品展開が始まり、それは1970年代頃まで続く。
具体的には、16mm,ブローニー,110,126フィルム等である。
なお、多種多様のフィルム形式のカメラを発売する事は、
ミノルタだけでは無く他社も同様であり、この時代(戦後)の
特徴であろう(その後、35mm判が標準的になって行く)
そして1950年代には、ライカを真似た、ライカLマウント互換
のカメラが、雨後の筍のように各社から多数発売された。
マニアの間での一説によると「この時代は、AからZまで、
アルファベット頭文字全てのカメラメーカーがあった」とも
言われている。
これらの多数のカメラメーカーが何故無くなったか?と言えば、
1950年代末からの「一眼レフの時代」に対応できなかった
からなのであろう、しかしミノルタは1958年に初の一眼レフ
「SR-2」を発売している。
もっとも「一眼レフだけがカメラだ」と言う訳ではなく、
ミノルタにおいてもレンジファインダー機やコンパクト機等、
様々な形式のカメラをその後も継続して製造販売していた。
さて、ここからはミノルタの「35mm判フィルム用一眼レフ」
の話に集中しよう。
1960年代を通じてミノルタは、SRシリーズを展開していた。
代表的な機種としては、SR-7(1962)や、SR-T101(1966)
があるが、特にSR-T101は、TTLの2分割測光(CLC方式)を
初採用と先進的であり、SR-T Super等の改良版後継機が、
今回記事のX-1の時代(1973)頃まで、新発売が続いていた。
![c0032138_18313091.jpg]()
さてここから、いよいよ本機X-1を含む「Xシリーズ」の時代だ。
Xシリーズの「X」の由来は不明だ。だが、Xの名称はカメラ
製品としては、後年にライカやフジフィルム等も使用していて
型番としてはポピュラーだ(なお、今のところ、名称的に
相互が類似していて区別がややこしい機種名は殆ど無い)
そして本シリーズ記事では、本機の時代1973年からを
一眼レフ第二世代「自動露出(AE)の時代」と定義している。
つまり、それまでの一眼レフは、例えばCANON F-1や
NIKON F2といった高級機であっても、露出計は内蔵していた
ものの、マニュアル露出のカメラでしかなかったのが
自動露出(AE)機では、絞り優先やシャッター優先露出が
可能になった、という事である。
すなわち、X-1はAE機初のフラッグシップ機である。
ここで注意点だが、自動露出は電気(電子)回路が無いと
実現が難しい。この為、殆どの場合で第二世代以降のAEカメラ
は、電源(電池)が無いと露出計が動かないばかりか、
シャッターが切れずに写真が撮れなくなってしまう事がある。
すなわち、それ以前の第一世代の機種では、電池が無くても
カメラの全てが機械動作なので、写真を撮る事が出来るのだが、
第二世代以降の電子制御一眼レフでは「電池が無いとお手上げ」
という意味である。ただし例外的に、マニュアル露出やX接点
速度を使えば、電池が無くても写真が撮れる機種も、いくつか
存在する。
AE化は、この時代の流れであって、どこかのメーカーがそれを
開発して製品化すれば、他のメーカーもそれに追従せざるを
得なくなる。
![c0032138_18311548.jpg]()
前述したように、戦後に沢山の国内メーカーからライカコピー
機が発売されたのは、それらはまあ、機械式カメラであるので
「ものづくり」の感覚で、例えば「町工場」であっても生産が
可能であったのだが、この時代の電子制御カメラは、ちゃんと
電気電子部品開発あるいは電子設計が出来るメーカーで無いと
無理である。だからこの時点で「一眼レフの進化」について
いけなくなったメーカーが多数カメラ事業から撤退したので
あろう。(ちなみに、後のAF時代、あるいはデジタル時代でも、
いくつかのメーカーがカメラ(一眼)事業から撤退している)
なお、ここからは想像であるが、雨後の筍のように沢山の
メーカーからライカコピー機が作られたという事は、中には
安価ではあったが粗悪な品質の製品もあったに違い無い。
また、戦後の高度成長期には、カメラのみならず家電製品等も
同様に、それを生産する多数のメーカーが増えた事であろうし、
勿論ここでも、粗悪な品質の、すぐ壊れてしまうような製品も
多々あっただろう。
だから、この時代の消費者(ユーザー)層には「有名なメーカー
の製品でないと買ってはならない」「聞いた事もないメーカー
では性能が不十分だったり、すぐ壊れてしまうような粗悪な物だ」
という「常識」が世間一般に広まったに違い無い。
この「戦後世代」は、勿論シニア層として現代でも存命であり、
このシニア世代等が、現代においても神経質なくらいにまで
メーカー(ブランド)名に拘るのは、こういう時代背景が原因と
なっているのだろうと推測している。
なお、言うまでもなく、その時代と今では、生産体制を始めと
する全ての設計製造システムが異なっている。
現代は有名メーカーであっても、全ての部品を1から十まで
全部自社で作って組み立てる等という事は有り得ないのだ。
だから現代では、メーカー間の品質の差異は殆ど無く、
工業製品のブランド名を強く意識する必要はまったく無い。
なお、そのあたりの「ブランド信奉」は、ユーザー側での
電気電子製品を扱うスキル(知識や技能)も多大に影響があり
「モノを壊さずに長く使える人達」であれば、基本的に、
無名ブランドの製品でもオッケーであろうが、モノの仕組みが
わからず、結果的に上手く使えなかったり、誤った使用法をして
壊してしまうようなユーザー層であれば、サポート体制がしっかり
している有名メーカーの製品の方が、確かに安心な事であろう。
![c0032138_18311507.jpg]()
近年のスマホの爆発的な普及により、およそIT製品に、それまで
全く縁の無かったユーザー層まで、それを使っている。
その結果、スマホの修理専門ショップには、いつ何時に見ても
必ず、数十人が並び、修理待ちをしているのだ。
その全てが機器自身の電気的故障の修理だとは、到底思えない、
今時の電子製品は、普通に使っていれば、まず故障はありえない。
取り扱い方がわからず、不注意で壊してしまうとか、ハード的
では無く、ソフト的な理由で、つまり使い方を誤って、上手く
動作しなくなってしまった事とか、ほぼ100%がユーザー側の
問題であろう。
現代のデジタルカメラも同様で、それは複雑な精密電子機器だ、
だから誤った使い方をしては正しく動作しないし、場合によって
は壊してしまう、そういう不安をいつも抱えているビギナー層
が無意識的に安心できる老舗メーカーに対して「ブランド信奉」
を生じさせるのであろうと思われる。
まあ、ここまではあくまで想像の話だが、あながち間違っては
いるまい。結局の所、技術の進歩についていけないユーザー層
に問題の大半があるし、ユーザーがついてけない程に電子機器
に不要なまでの進化をさせてしまうメーカー側にも責任はあるし、
そういう実用とはかけ離れた無意味な位のスペックにしか魅力を
感じないユーザーの購買行動(論理)にも大きな問題がある。
つまり、これらは無限の連鎖となっていて、どこからどう
やっても断ち切れそうにない、まあ、すなわち悪循環だと思う。
さて、極めて余談が無くなった(汗)
![c0032138_18312239.jpg]()
ミノルタ X-1の話に戻す。
この時代1970年代は「自動露出化」と「フラッグシップ化」
に、各メーカーは血道をあげていたと思われる。
フラッグシップ化というのは、本機X-1の発売の2年前の
1971年にCANON F-1(本シリーズ第1回記事)および
NIKON F2(同第2回記事)という、2つの業務用最高級機が
発売されたが、そういう製品を出すと、ビギナー層に至るまで
企業のブランドイメージを高める事が出来るのだ。
ここでまた余談だが、本機を含め実際にはそれらの最高級機を
プロと呼ばれる人達が使いたがるか(買いたがる)かどうかは
微妙だ。本機であれば、現代の価値感覚で60万円以上もして
しまうシロモノだし、まあ、業務上で使う道具は、収支が黒字に
ならないと意味が無い。あえて使う理由があるとすれば耐久性
とかサポート体制において、最高級機は信頼性が高いからだ。
で、結局の所、収支決済を一切考えずとも趣味に対しては
いくらでもお金をかけられるアマチュア層が、メーカーから見た
最高機種の「真のターゲット」なのであろう、そういう初級中級
層に対しては「プロも使っている」(=だから良いカメラだ)と
いう文言は、宣伝・訴求として抜群の効果があるからだ。
ある意味、こういうシンプルな仕掛けに、初級中級層は簡単に
乗せられてしまうのであるが、それは、その当時のみならず、
現代でもまったく同様だ。
まあだからこそ、メーカーは技術の粋を結集し、湯水のように、
いくら開発費がかかっても構わず、ハイエンド機を作るのだ。
![c0032138_18312260.jpg]()
さて余談はともかく、AE化の方だが、ミノルタは1960年代前半
までの35mm判一眼レフ用の「SRマウント」のまま、TTL測光や
自動露出化を進めた。
それに伴い、それまでの「ロッコール」レンズは、1960年代
後半にはMCレンズとなった。
ここでMCの意味だが、「メーター・カプラー(カップルド)」
(=露出メーター連動)の略語だ。
今回使用の、MC PF 50mm/f1.4もMC型であるが、本機X-1の
登場前からMC型レンズは発売されていた。
なお、レンズ型番のPFは、ペンタ=5と、Aから6番目の文字F
だから、5群6枚構成、という意味だが、こういう話は過去にも
何度も紹介しているので「毎回重複するので、もう説明しない」
とも書いた。他社レンズも含めて型番の意味の推測は難しい
話では無いし、こういう事はマニアの間では常識であろう。
さて、MCレンズに続くMDやNew MDの話は、また別の記事に
譲るとして、とりあえず現代において、MC/MD系のレンズは
デジタル一眼レフには、マウントアダプターを使っても、
そのまま装着は出来ず、出来たとしても色々と制限がある為、
ミラーレス機で使うのが最善であろう。
![c0032138_18313016.jpg]()
ここからやっと本題だが、自動露出化、フラッグシップ化を
同時に進行させた、その「Xシリーズ」の初号機X-1は、
確かにスペック的には凄いが、何だかアンバランスなカメラ
として仕上がった。
前述のように、重厚長大でインパクトがあるデザインで、
値段の高さを考えると、簡単に手が出せるカメラでは無い。
さて、ここで本機X-1の仕様(基本性能)について述べておく、
マニュアルフォーカス、35mm判フィルム使用カメラ
最高シャッター速度:1/2000秒(電子式)
シャッターダイヤル:倍数系列1段刻み、X,B位置あり
フラッシュ:非内蔵、シンクロ速度1/100秒 X,FP接点切替可
アクセサリシュー:無し(巻き上げレバー部に装着可)
ファインダー:交換式(スクリーン交換も可)
AEファインダーの場合、スプリット・マイクロ式
倍率0.78倍 視野率不明
使用可能レンズ:ミノルタSRマウント MC/MD系
絞り込みプビュー:可、(レバーを引き出す方式)
露出制御:AE(絞り優先、AEファインダー使用時)
およびマニュアル露出
露出インジケーター:AEファインダー前期型では追針式
同後期型はLED式だが低速時要切り替え
露出メーター電源:SR44 2個使用 (LR44使用可)
電池チェック:カメラ左部のレバーで可
フィルム感度調整:ASA50弱~400強 1/3段刻み
フィルム巻き上げレバー角:110度(分割巻上げ可、予備角21度)
セルフタイマー:有り(機械式)
本体重量 900g前後(注:付属品により異なる)
![c0032138_18313534.jpg]()
長所は高いシステム性である、交換式ファインダーを始め、
多数のオプション(交換)パーツが別売で用意されていて、
フラッグシップ機としての用件を備えているが、まあ、本機の
2年前に発売された、CANON F-1とNIKON F2も同等なので、
それらの性能や仕様を大幅に参考にしていた事であろう。
ただ、勿論、現代ではX-1の各種オプションパーツ類は、
ほぼ入手不可能と思われる。
年月が経ってしまっている事が主な理由だが、それ以外にも
本機が極めて高価なカメラであり、ユーザー数が少なく、
さらに、その状態で、交換パーツの購入者はもっと少ないで
あろうから、そもそも絶対数が非常に少ないと思われる。
他の長所としては、最高シャッター速度1/2000秒を始め、
勿論AEの搭載があり、そして絞り込みプレビューや,
X/FP接点の切り替え、ボディ低面のフィルム種記憶用ダイヤル
等、高性能かつ高機能だ。
が、他にはあまり長所と言える点は無い。
MF銀塩時代であるから、トータルの機能は勿論少ないが
それにしても、ここが凄いという点はあまり見当たらない。
![c0032138_18312162.jpg]()
短所は、まず重量である、さすがに1kg近くは重すぎる。
そして高価な事、これは付属システムによって価格は変わるが
標準的な「AEファインダー付き、MC PG50mm/f1.4付き」での
定価は13万円台であり、カメラの最高価格記録を更新した。
(これは、現在の貨幣価値では、60万円以上に相当する)
ちなみに、本機より3年後の1976年に発売されたX-1 Mortorは、
さらに高価で、28万円以上もしていた模様だ、勿論その当時の
カメラ最高価格を更新している。
さらには、操作性や操作系も良く無い。
悪い操作系の例を挙げれば、後期型AEファインダーにおいては、
絞り優先モードは、シャッターダイヤルをAUTO位置に設定する
事で行うのだが、まず、シャッターダイヤルの位置が高すぎる。
交換ファインダーの仕様上、やむなくこうなったのだろうが、
それにしても、煙突の上にシャッターダイヤルがあるみたいで
操作性的に廻し難いし、格好悪いとも思う。
![c0032138_18313536.jpg]()
それと、ATUTO位置を外して、マニュアル露出にしたい時、
なんと、このシャッターダイヤルは、AUTOの下の1/2000秒の
方向に廻らない。廻せるのは、X接点およびB(バルブ)方向
のみであり、つまり、X,B,1,2,4,8,16・・・と、ずっと順に
廻さない限り、例えば、1/250秒や1/500秒といった
使用頻度の高い常用シャッター速度になかなか到達できない。
AUTOモードに入れて絞り優先露出に切り替える際も同様で、
そこまで1/1000秒等を使っていて、ちょっと廻したらAUTO位置
に簡単に入るのに、1/2000秒で止まって、それ以上は廻らず、
やむなく、1000,500,250,・・・2,1,B,Xと順次戻して廻して
やっとAUTO位置に廻し入れる事が出来る。
それと、後期AEファインダー内のシャッター速度表示は
1/2000秒から1/30秒までの表示の横に、赤色LEDが点灯する
(注:1段刻みであるが、中間値では2個のLEDが同時点灯)
という仕様であるが、1/30秒以下のスローシャッター時は、
LEDが▼(低速を示す)表示になったままである。
で、スローシャッター時には後期AEファインダーの前部左手
にあるボタンを押して「低速シャッター速度表示モード」に
手動で切り替える必要がある。なお、この切り替えボタンは
「押しながら」でないと動作しないので不便だ。
それから、マニュアル露出で1秒以下のスローシャッターを使う
時には、いったんシャッターダイヤルをB位置にセットする。
そうすると、シャッターダイヤルの煙突の最下部のスロー
シャッター専用ダイヤル(注:作りが悪い)を動かす事が出来る
ようになり、そこでは、2秒、4秒・・16秒、B(バルブ)を
選ぶ事が可能となる。
そこで例えば、4秒のスローシャッターを使ってから、その後に
絞り優先のAUTOモードに戻したいと思っても、シャッター
ダイヤルが全く廻らない。これは、スロー用シャッターダイヤル
をB(バルブ)位置に設定を戻してからでないと、上部シャッター
ダイヤルが廻せない仕組みなのだ。
![c0032138_18313514.jpg]()
また、シャッターダイヤルの下部にある露出補正ダイヤルは
レバーを一度上に跳ね上げてからでないと、±0位置から
動かす事が出来ない。これは不用意に露出補正をかけ無いように
する安全対策の仕様だとは思うが、使い難い事は事実だ。
シャッターダイヤル周りを見ただけでも、このように操作性は
練れていない。この他にも全般的に操作性・操作系の問題点は
色々とあるカメラなのだが、まあ、いまさら本機X-1を実用
目的で使うユーザーは居ないだろうから、もうこれ以上の
詳細を弱点として述べる事はやめておこう。
そして本機X-1(あるいはX-1モーターも含めて)は、結局
初のAF機ミノルタα-7000の登場(1985年)まで、10年以上も
フラッグシップとして生産が継続された模様であるが、
それでも国内での流通数は、さほど多くは無かった模様である
(つまり、商業的には成功したとは言い難い)
それでも海外には輸出されていて、米国向けでは「XK」
欧州向けが「XM」というネーミングになっていた模様だ。
それらの海外向けX-1は、その後1990年代の国内の中古市場でも
流通していた事が良くあった。それらは逆輸入品であったのか、
海外向け製品の在庫品だったのかは良くわからない。
ちなみに、マニアの間では「XKはX-1の韓国向けバージョン」と
良く言われていたが、どうやらその情報は間違っていたと思う。
この後の「Xシリーズ」等の歴史については、また別の記事に
譲るとするが、ミノルタのカメラは、この後の時代は、なかなか
面白い事になっていく・・
![c0032138_18312160.jpg]()
さて、最後に本機X-1の総合評価をしてみよう。
評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
なお、本機には後期型と思われるAEファインダーが装着されて
いるのだが、ボディそのものが、後期型がどうかは不明だ。
不明な理由は、現在、本機X-1に係わる情報はかなり少なく、
カメラボディ本体に前期型と後期型のようなものが
あったのかどうかも不明だし、あったとしても、その詳しい
仕様上の差異もわからない。
-----
MINOLTA X-1 (1973年)
【基本・付加性能】★★★★
【操作性・操作系】★☆
【ファインダー 】★★
【感触性能全般 】★★★
【質感・高級感 】★★★★☆
【マニアック度 】★★★★★
【エンジョイ度 】★☆
【購入時コスパ 】★☆ (中古購入価格:55,000円)
【完成度(当時)】★★★☆
【歴史的価値 】★★★★☆
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】3.1点
デコボコの激しい評価点となったが、事前に予想していた
よりも高得点だ。
ミノルタMF機では唯一と言えるフラッグシップ機であるが、
なにせ、ゲテモノ(化物)的であり、マニアックすぎる。
ボロボロの点数になるのでは無いか?と思っていたのだが、
意外に平均的な評価点になったのは、良い意味での存在感の
強さと、歴史的価値の高さからだと思う。
値段が高いのは、その発売時定価のみならず、後の中古市場
においても同様であり、私の購入時価格55000円は、これでも
だいぶ安い方であり、これは、購入時期が、時代が下って、
2000年代に入った頃だったからだ。
遅く購入せざるを得なかったのは、なにせ、1990年代の
第一次中古カメラブームの際は、本機が欲しくとも、中古でも
高価すぎて全く手が出なかったのだ。
![c0032138_18313592.jpg]()
基本性能は高いと思うが、使い易いかどうかは、かなり疑問だ、
本機独自の奇異な操作性・操作系も多々ありすぎる。
本機購入時は銀塩末期だった事と、重く、使い難いカメラの為
あまり持ち出して撮る事が無かったカメラである。
勿論、現代における実用価値はゼロに等しいので、
あくまで、高い歴史的価値からのコレクターズアイテムだ。
次回記事では、引き続き第二世代の銀塩一眼レフを紹介する。
今回は第二世代(自動露出の時代、世代定義は第1回記事参照)
のMINOLTA X-1(1973年)を紹介する。

(ミラーレス・マニアックス第65回記事で紹介)
なお、X-1付属の標準レンズはMC PG50/1.4であって、
本レンズは、それより少し古い時代又は廉価版レンズだ。
そのPG50/1.4(未所有)は「鷹の目ロッコール」と呼ばれ
賞賛されたPG58/1,2(ミラーレス第46回、補足編1回)の
姉妹レンズであり、レンズ構成が当時の一般的な標準レンズ
よりも1枚多い5群7枚である。
だが、私としては5群6枚(PF)型の標準レンズも、ボケ質等の
面では捨てがたいと思っている。
まあ、PFでもPGでも、いずれにしても、この当時のミノルタ
高性能レンズの雰囲気を良く伝える物だ。
さて、本シリーズでは、例によって、このまま銀塩機での
フィルム撮影は行わず、デジタル実写シミュレータとして、
今回はフルサイズ・ミラーレス機SONY α7を使用する。

写真を交えて記事を進める、
それと本機の時代(1973年)は、白黒フィルムとカラー
フィルムの混在期であるので、実写は両者を交える。
なお、MINOLTA MC/MDレンズはフランジバックが短く、
ミラーレス機以外の一眼レフ等では基本的には使用は困難だ。

初期の本ブログで紹介した時には「超弩級戦艦」と称した
事もある。それは「とんでもないもの」を表す言葉だ。
私が所有しているこのX-1は、後期型のシステムかあるいは、
後期型のAEファインダーを装着した状態(詳細不明)
なのだが、これがもし初期型であれば、まるで軍艦の船底の
ような独特な特徴のあるファインダーデザインであり、
特に1976年に発売されたX-1 Motorにおいては、初期型の
AEファインダーを付けた状態でのゴツゴツとした無骨で異様な
雰囲気は存在感が極めて高く、一度見たら忘れようがない。
本機、後期型(?)のX-1においては「船底ファインダー」
では無いので、だいぶ大人しくはなったのだが、それでも
依然、独特のインパクトのあるデザインである事は変わりない。
本シリーズ記事では、ミノルタ製のカメラは初登場である。
本機より以前のミノルタ機も、いくつか所有していたのだが、
デジタル時代になって、あまりに古くて実用価値が無いと
思われるカメラを処分してしまっていた。
なので、本機X-1が現在私が所有する最も古いミノルタ製の
カメラである。

ミノルタは、今から90年近く前の1930年代からカメラを
製造販売していた超老舗メーカーだ。
まあでも、前記事で紹介したコニカの方が、さらに30年近くも
早くからカメラを製造販売していたが・・
で、だからこそ2003年頃のコニカとミノルタの合併、
つまり写真関連事業の統合は、老舗同士のコラボということで
それなりにセンセーショナルな出来事であった。
なお、コニカミノルタは、その後2006年に写真関連事業での
一眼レフのαをSONYに譲渡し、プリント業務をノーリツ鋼機や
カメラのキタムラに移管し、100年以上にも及ぶ写真事業の
歴史を閉じてしまった(注:現代では、さらにプリント業務
が減少し、それら移管先のプリント業務も、プロラボ等で
集中処理されている模様だ)
1930年代前半のミノルタのカメラは、まだ実用的なレベルとは
言い難いし、メーカーとしての組織形態も不定形であった。
1930年代後半には国産初の二眼レフカメラ等を発売、完成度も
上がってきて、この頃からカメラ製品には「ミノルタ」の名を
冠するようになってきた。
「ミノルタ」とは、「稔(みの)る田」という意味だと聞く。
現代の感覚からすると、ちょっと不思議な感じの命名だが
創業者の母が「稔る程首を垂れるように、謙虚であれ」と
言った事から来ているらしい。
一応本来の略語は、機械のM、器具のIN、光学のOL、
田島(創業者)のTA から英語的に付けられたという由来も
ある模様で、二重の意味を持つ。だがまあ、カメラマニアの
間では「稔る田」の話の方が有名であろう。
それと、ミノルタのレンズ名で用いている「ロッコール」は、
創業地の神戸(西宮)の裏手にある「六甲山」からつけられた
模様であるが、この話もカメラマニアには「常識」であろう。

されていた為、民生用機種の発売は殆ど無い。
戦後、1950年代に入ると、様々なフォーマットのフィルムを
用いた製品展開が始まり、それは1970年代頃まで続く。
具体的には、16mm,ブローニー,110,126フィルム等である。
なお、多種多様のフィルム形式のカメラを発売する事は、
ミノルタだけでは無く他社も同様であり、この時代(戦後)の
特徴であろう(その後、35mm判が標準的になって行く)
そして1950年代には、ライカを真似た、ライカLマウント互換
のカメラが、雨後の筍のように各社から多数発売された。
マニアの間での一説によると「この時代は、AからZまで、
アルファベット頭文字全てのカメラメーカーがあった」とも
言われている。
これらの多数のカメラメーカーが何故無くなったか?と言えば、
1950年代末からの「一眼レフの時代」に対応できなかった
からなのであろう、しかしミノルタは1958年に初の一眼レフ
「SR-2」を発売している。
もっとも「一眼レフだけがカメラだ」と言う訳ではなく、
ミノルタにおいてもレンジファインダー機やコンパクト機等、
様々な形式のカメラをその後も継続して製造販売していた。
さて、ここからはミノルタの「35mm判フィルム用一眼レフ」
の話に集中しよう。
1960年代を通じてミノルタは、SRシリーズを展開していた。
代表的な機種としては、SR-7(1962)や、SR-T101(1966)
があるが、特にSR-T101は、TTLの2分割測光(CLC方式)を
初採用と先進的であり、SR-T Super等の改良版後継機が、
今回記事のX-1の時代(1973)頃まで、新発売が続いていた。

Xシリーズの「X」の由来は不明だ。だが、Xの名称はカメラ
製品としては、後年にライカやフジフィルム等も使用していて
型番としてはポピュラーだ(なお、今のところ、名称的に
相互が類似していて区別がややこしい機種名は殆ど無い)
そして本シリーズ記事では、本機の時代1973年からを
一眼レフ第二世代「自動露出(AE)の時代」と定義している。
つまり、それまでの一眼レフは、例えばCANON F-1や
NIKON F2といった高級機であっても、露出計は内蔵していた
ものの、マニュアル露出のカメラでしかなかったのが
自動露出(AE)機では、絞り優先やシャッター優先露出が
可能になった、という事である。
すなわち、X-1はAE機初のフラッグシップ機である。
ここで注意点だが、自動露出は電気(電子)回路が無いと
実現が難しい。この為、殆どの場合で第二世代以降のAEカメラ
は、電源(電池)が無いと露出計が動かないばかりか、
シャッターが切れずに写真が撮れなくなってしまう事がある。
すなわち、それ以前の第一世代の機種では、電池が無くても
カメラの全てが機械動作なので、写真を撮る事が出来るのだが、
第二世代以降の電子制御一眼レフでは「電池が無いとお手上げ」
という意味である。ただし例外的に、マニュアル露出やX接点
速度を使えば、電池が無くても写真が撮れる機種も、いくつか
存在する。
AE化は、この時代の流れであって、どこかのメーカーがそれを
開発して製品化すれば、他のメーカーもそれに追従せざるを
得なくなる。

機が発売されたのは、それらはまあ、機械式カメラであるので
「ものづくり」の感覚で、例えば「町工場」であっても生産が
可能であったのだが、この時代の電子制御カメラは、ちゃんと
電気電子部品開発あるいは電子設計が出来るメーカーで無いと
無理である。だからこの時点で「一眼レフの進化」について
いけなくなったメーカーが多数カメラ事業から撤退したので
あろう。(ちなみに、後のAF時代、あるいはデジタル時代でも、
いくつかのメーカーがカメラ(一眼)事業から撤退している)
なお、ここからは想像であるが、雨後の筍のように沢山の
メーカーからライカコピー機が作られたという事は、中には
安価ではあったが粗悪な品質の製品もあったに違い無い。
また、戦後の高度成長期には、カメラのみならず家電製品等も
同様に、それを生産する多数のメーカーが増えた事であろうし、
勿論ここでも、粗悪な品質の、すぐ壊れてしまうような製品も
多々あっただろう。
だから、この時代の消費者(ユーザー)層には「有名なメーカー
の製品でないと買ってはならない」「聞いた事もないメーカー
では性能が不十分だったり、すぐ壊れてしまうような粗悪な物だ」
という「常識」が世間一般に広まったに違い無い。
この「戦後世代」は、勿論シニア層として現代でも存命であり、
このシニア世代等が、現代においても神経質なくらいにまで
メーカー(ブランド)名に拘るのは、こういう時代背景が原因と
なっているのだろうと推測している。
なお、言うまでもなく、その時代と今では、生産体制を始めと
する全ての設計製造システムが異なっている。
現代は有名メーカーであっても、全ての部品を1から十まで
全部自社で作って組み立てる等という事は有り得ないのだ。
だから現代では、メーカー間の品質の差異は殆ど無く、
工業製品のブランド名を強く意識する必要はまったく無い。
なお、そのあたりの「ブランド信奉」は、ユーザー側での
電気電子製品を扱うスキル(知識や技能)も多大に影響があり
「モノを壊さずに長く使える人達」であれば、基本的に、
無名ブランドの製品でもオッケーであろうが、モノの仕組みが
わからず、結果的に上手く使えなかったり、誤った使用法をして
壊してしまうようなユーザー層であれば、サポート体制がしっかり
している有名メーカーの製品の方が、確かに安心な事であろう。

全く縁の無かったユーザー層まで、それを使っている。
その結果、スマホの修理専門ショップには、いつ何時に見ても
必ず、数十人が並び、修理待ちをしているのだ。
その全てが機器自身の電気的故障の修理だとは、到底思えない、
今時の電子製品は、普通に使っていれば、まず故障はありえない。
取り扱い方がわからず、不注意で壊してしまうとか、ハード的
では無く、ソフト的な理由で、つまり使い方を誤って、上手く
動作しなくなってしまった事とか、ほぼ100%がユーザー側の
問題であろう。
現代のデジタルカメラも同様で、それは複雑な精密電子機器だ、
だから誤った使い方をしては正しく動作しないし、場合によって
は壊してしまう、そういう不安をいつも抱えているビギナー層
が無意識的に安心できる老舗メーカーに対して「ブランド信奉」
を生じさせるのであろうと思われる。
まあ、ここまではあくまで想像の話だが、あながち間違っては
いるまい。結局の所、技術の進歩についていけないユーザー層
に問題の大半があるし、ユーザーがついてけない程に電子機器
に不要なまでの進化をさせてしまうメーカー側にも責任はあるし、
そういう実用とはかけ離れた無意味な位のスペックにしか魅力を
感じないユーザーの購買行動(論理)にも大きな問題がある。
つまり、これらは無限の連鎖となっていて、どこからどう
やっても断ち切れそうにない、まあ、すなわち悪循環だと思う。
さて、極めて余談が無くなった(汗)

この時代1970年代は「自動露出化」と「フラッグシップ化」
に、各メーカーは血道をあげていたと思われる。
フラッグシップ化というのは、本機X-1の発売の2年前の
1971年にCANON F-1(本シリーズ第1回記事)および
NIKON F2(同第2回記事)という、2つの業務用最高級機が
発売されたが、そういう製品を出すと、ビギナー層に至るまで
企業のブランドイメージを高める事が出来るのだ。
ここでまた余談だが、本機を含め実際にはそれらの最高級機を
プロと呼ばれる人達が使いたがるか(買いたがる)かどうかは
微妙だ。本機であれば、現代の価値感覚で60万円以上もして
しまうシロモノだし、まあ、業務上で使う道具は、収支が黒字に
ならないと意味が無い。あえて使う理由があるとすれば耐久性
とかサポート体制において、最高級機は信頼性が高いからだ。
で、結局の所、収支決済を一切考えずとも趣味に対しては
いくらでもお金をかけられるアマチュア層が、メーカーから見た
最高機種の「真のターゲット」なのであろう、そういう初級中級
層に対しては「プロも使っている」(=だから良いカメラだ)と
いう文言は、宣伝・訴求として抜群の効果があるからだ。
ある意味、こういうシンプルな仕掛けに、初級中級層は簡単に
乗せられてしまうのであるが、それは、その当時のみならず、
現代でもまったく同様だ。
まあだからこそ、メーカーは技術の粋を結集し、湯水のように、
いくら開発費がかかっても構わず、ハイエンド機を作るのだ。

までの35mm判一眼レフ用の「SRマウント」のまま、TTL測光や
自動露出化を進めた。
それに伴い、それまでの「ロッコール」レンズは、1960年代
後半にはMCレンズとなった。
ここでMCの意味だが、「メーター・カプラー(カップルド)」
(=露出メーター連動)の略語だ。
今回使用の、MC PF 50mm/f1.4もMC型であるが、本機X-1の
登場前からMC型レンズは発売されていた。
なお、レンズ型番のPFは、ペンタ=5と、Aから6番目の文字F
だから、5群6枚構成、という意味だが、こういう話は過去にも
何度も紹介しているので「毎回重複するので、もう説明しない」
とも書いた。他社レンズも含めて型番の意味の推測は難しい
話では無いし、こういう事はマニアの間では常識であろう。
さて、MCレンズに続くMDやNew MDの話は、また別の記事に
譲るとして、とりあえず現代において、MC/MD系のレンズは
デジタル一眼レフには、マウントアダプターを使っても、
そのまま装着は出来ず、出来たとしても色々と制限がある為、
ミラーレス機で使うのが最善であろう。

同時に進行させた、その「Xシリーズ」の初号機X-1は、
確かにスペック的には凄いが、何だかアンバランスなカメラ
として仕上がった。
前述のように、重厚長大でインパクトがあるデザインで、
値段の高さを考えると、簡単に手が出せるカメラでは無い。
さて、ここで本機X-1の仕様(基本性能)について述べておく、
マニュアルフォーカス、35mm判フィルム使用カメラ
最高シャッター速度:1/2000秒(電子式)
シャッターダイヤル:倍数系列1段刻み、X,B位置あり
フラッシュ:非内蔵、シンクロ速度1/100秒 X,FP接点切替可
アクセサリシュー:無し(巻き上げレバー部に装着可)
ファインダー:交換式(スクリーン交換も可)
AEファインダーの場合、スプリット・マイクロ式
倍率0.78倍 視野率不明
使用可能レンズ:ミノルタSRマウント MC/MD系
絞り込みプビュー:可、(レバーを引き出す方式)
露出制御:AE(絞り優先、AEファインダー使用時)
およびマニュアル露出
露出インジケーター:AEファインダー前期型では追針式
同後期型はLED式だが低速時要切り替え
露出メーター電源:SR44 2個使用 (LR44使用可)
電池チェック:カメラ左部のレバーで可
フィルム感度調整:ASA50弱~400強 1/3段刻み
フィルム巻き上げレバー角:110度(分割巻上げ可、予備角21度)
セルフタイマー:有り(機械式)
本体重量 900g前後(注:付属品により異なる)

多数のオプション(交換)パーツが別売で用意されていて、
フラッグシップ機としての用件を備えているが、まあ、本機の
2年前に発売された、CANON F-1とNIKON F2も同等なので、
それらの性能や仕様を大幅に参考にしていた事であろう。
ただ、勿論、現代ではX-1の各種オプションパーツ類は、
ほぼ入手不可能と思われる。
年月が経ってしまっている事が主な理由だが、それ以外にも
本機が極めて高価なカメラであり、ユーザー数が少なく、
さらに、その状態で、交換パーツの購入者はもっと少ないで
あろうから、そもそも絶対数が非常に少ないと思われる。
他の長所としては、最高シャッター速度1/2000秒を始め、
勿論AEの搭載があり、そして絞り込みプレビューや,
X/FP接点の切り替え、ボディ低面のフィルム種記憶用ダイヤル
等、高性能かつ高機能だ。
が、他にはあまり長所と言える点は無い。
MF銀塩時代であるから、トータルの機能は勿論少ないが
それにしても、ここが凄いという点はあまり見当たらない。

そして高価な事、これは付属システムによって価格は変わるが
標準的な「AEファインダー付き、MC PG50mm/f1.4付き」での
定価は13万円台であり、カメラの最高価格記録を更新した。
(これは、現在の貨幣価値では、60万円以上に相当する)
ちなみに、本機より3年後の1976年に発売されたX-1 Mortorは、
さらに高価で、28万円以上もしていた模様だ、勿論その当時の
カメラ最高価格を更新している。
さらには、操作性や操作系も良く無い。
悪い操作系の例を挙げれば、後期型AEファインダーにおいては、
絞り優先モードは、シャッターダイヤルをAUTO位置に設定する
事で行うのだが、まず、シャッターダイヤルの位置が高すぎる。
交換ファインダーの仕様上、やむなくこうなったのだろうが、
それにしても、煙突の上にシャッターダイヤルがあるみたいで
操作性的に廻し難いし、格好悪いとも思う。

なんと、このシャッターダイヤルは、AUTOの下の1/2000秒の
方向に廻らない。廻せるのは、X接点およびB(バルブ)方向
のみであり、つまり、X,B,1,2,4,8,16・・・と、ずっと順に
廻さない限り、例えば、1/250秒や1/500秒といった
使用頻度の高い常用シャッター速度になかなか到達できない。
AUTOモードに入れて絞り優先露出に切り替える際も同様で、
そこまで1/1000秒等を使っていて、ちょっと廻したらAUTO位置
に簡単に入るのに、1/2000秒で止まって、それ以上は廻らず、
やむなく、1000,500,250,・・・2,1,B,Xと順次戻して廻して
やっとAUTO位置に廻し入れる事が出来る。
それと、後期AEファインダー内のシャッター速度表示は
1/2000秒から1/30秒までの表示の横に、赤色LEDが点灯する
(注:1段刻みであるが、中間値では2個のLEDが同時点灯)
という仕様であるが、1/30秒以下のスローシャッター時は、
LEDが▼(低速を示す)表示になったままである。
で、スローシャッター時には後期AEファインダーの前部左手
にあるボタンを押して「低速シャッター速度表示モード」に
手動で切り替える必要がある。なお、この切り替えボタンは
「押しながら」でないと動作しないので不便だ。
それから、マニュアル露出で1秒以下のスローシャッターを使う
時には、いったんシャッターダイヤルをB位置にセットする。
そうすると、シャッターダイヤルの煙突の最下部のスロー
シャッター専用ダイヤル(注:作りが悪い)を動かす事が出来る
ようになり、そこでは、2秒、4秒・・16秒、B(バルブ)を
選ぶ事が可能となる。
そこで例えば、4秒のスローシャッターを使ってから、その後に
絞り優先のAUTOモードに戻したいと思っても、シャッター
ダイヤルが全く廻らない。これは、スロー用シャッターダイヤル
をB(バルブ)位置に設定を戻してからでないと、上部シャッター
ダイヤルが廻せない仕組みなのだ。

レバーを一度上に跳ね上げてからでないと、±0位置から
動かす事が出来ない。これは不用意に露出補正をかけ無いように
する安全対策の仕様だとは思うが、使い難い事は事実だ。
シャッターダイヤル周りを見ただけでも、このように操作性は
練れていない。この他にも全般的に操作性・操作系の問題点は
色々とあるカメラなのだが、まあ、いまさら本機X-1を実用
目的で使うユーザーは居ないだろうから、もうこれ以上の
詳細を弱点として述べる事はやめておこう。
そして本機X-1(あるいはX-1モーターも含めて)は、結局
初のAF機ミノルタα-7000の登場(1985年)まで、10年以上も
フラッグシップとして生産が継続された模様であるが、
それでも国内での流通数は、さほど多くは無かった模様である
(つまり、商業的には成功したとは言い難い)
それでも海外には輸出されていて、米国向けでは「XK」
欧州向けが「XM」というネーミングになっていた模様だ。
それらの海外向けX-1は、その後1990年代の国内の中古市場でも
流通していた事が良くあった。それらは逆輸入品であったのか、
海外向け製品の在庫品だったのかは良くわからない。
ちなみに、マニアの間では「XKはX-1の韓国向けバージョン」と
良く言われていたが、どうやらその情報は間違っていたと思う。
この後の「Xシリーズ」等の歴史については、また別の記事に
譲るとするが、ミノルタのカメラは、この後の時代は、なかなか
面白い事になっていく・・

評価項目は10項目だ(項目の意味は本シリーズ第1回記事参照)
なお、本機には後期型と思われるAEファインダーが装着されて
いるのだが、ボディそのものが、後期型がどうかは不明だ。
不明な理由は、現在、本機X-1に係わる情報はかなり少なく、
カメラボディ本体に前期型と後期型のようなものが
あったのかどうかも不明だし、あったとしても、その詳しい
仕様上の差異もわからない。
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MINOLTA X-1 (1973年)
【基本・付加性能】★★★★
【操作性・操作系】★☆
【ファインダー 】★★
【感触性能全般 】★★★
【質感・高級感 】★★★★☆
【マニアック度 】★★★★★
【エンジョイ度 】★☆
【購入時コスパ 】★☆ (中古購入価格:55,000円)
【完成度(当時)】★★★☆
【歴史的価値 】★★★★☆
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】3.1点
デコボコの激しい評価点となったが、事前に予想していた
よりも高得点だ。
ミノルタMF機では唯一と言えるフラッグシップ機であるが、
なにせ、ゲテモノ(化物)的であり、マニアックすぎる。
ボロボロの点数になるのでは無いか?と思っていたのだが、
意外に平均的な評価点になったのは、良い意味での存在感の
強さと、歴史的価値の高さからだと思う。
値段が高いのは、その発売時定価のみならず、後の中古市場
においても同様であり、私の購入時価格55000円は、これでも
だいぶ安い方であり、これは、購入時期が、時代が下って、
2000年代に入った頃だったからだ。
遅く購入せざるを得なかったのは、なにせ、1990年代の
第一次中古カメラブームの際は、本機が欲しくとも、中古でも
高価すぎて全く手が出なかったのだ。

本機独自の奇異な操作性・操作系も多々ありすぎる。
本機購入時は銀塩末期だった事と、重く、使い難いカメラの為
あまり持ち出して撮る事が無かったカメラである。
勿論、現代における実用価値はゼロに等しいので、
あくまで、高い歴史的価値からのコレクターズアイテムだ。
次回記事では、引き続き第二世代の銀塩一眼レフを紹介する。