新劇団「斜彼女」(シャガール)の公演「SODA」の模様より、
今回が、第4回記事(最終回)

政党「甘党」より、女性票獲得の為に擁立された、チョコレート店
店員の「板・千代子」は、選挙活動の過酷さに辟易しつつも、
「ネットアイドル選挙活動」などの斬新な手法を生み出していた。
しかし、斬新な手法はともかく、ネットでの評判はむしろ批判的、
彼女達が思っていた程、盛り上がらない。
そして、選挙まじかの終盤戦、他党との宣伝合戦はエスカレートし
ヒートアップ、ここが最後の踏ん張りどころと、「千代子」が
働いているチョコレート店「チョコ・タベナハーレ」の店長や
店員まで巻き込み、ネットならぬ実世界アイドルとして生足を
披露しながらのお祭り騒ぎの選挙戦に突入した・・

まあ、すなわち、この劇においては、「斜彼女」の脚本(ホン)は
あくまで、「斜め目線」に特化しているのであろう。
「20代女子の日常風景を切り取る」というのが劇団「斜彼女」の
建前であるが、この劇でテーマにしているのは「ネットアイドル」
「スイーツ」「恋愛」「(資格)受験」そして「選挙」である、
しかし、前4つは、20代女子というより、ローティーンの興味の
対象だろうし、最後の選挙は、20代女子は無関係であろう、
だとすると、これは、20代女子の感覚と言いながらも、完全に
世代的や志向的にずれた話を、わざとしていることになる。
それが、いわゆる「斜め目線」という事につながるのだろうし、
もっと、うがった見方をすれば、たとえば、オッサン(中年男性)
に対して「女の子といえばスイーツ。とか、そんな十把一絡げ
(=種類が違うものを、同じものと見なしてしまう)的な視点で
見てもらいたくない」ということで、わざと、自分たちの世代の
世界観と違う世界を、あたかも自分たちの世界のように演じている、
という可能性すら感じられる。
もし実際にそうであれば、それはまさしく「斜め目線」では
なかろうか? 非常に手のこんだ、高度な、アイロニー(皮肉)的
な手法のように思える。
私は、それが「斜彼女」の本質であるような気がしてならない、
脚本(ホン)を読んだ、中年男性(失礼!)の演出家「だんね」氏
が、その点に気がつき、うまくそのあたりの雰囲気を、時に隠し、
時に強調して、まるで、オブラートで包んだような、けど、
そこから苦い薬がチラリとはみ出しているような劇に、
バランス良く仕上げて来たように思う。
「だんね」氏は「最近、わかりやすい劇ばかりになっている」と
嘆いている、まあ、ある意味、どの劇団も”安全策”に走っている
ということを懸念しているのであろう。
あるいは私が危惧しているように、コンテンツの作り手側が、
コンテンツの受け手を下に見た、制作態度を示している、という
事かもしれない、消費者や視聴者はそんなに無知でも鈍感でも
無いと思う。

さて、その演出家「だんね」氏が本舞台で演じるのは、政党「甘党」
の「甘味」氏だ、候補者「板・千代子」の行う選挙活動を応援して
いる立場であるが、実際のところ「若い女性向けの選挙活動」という
門外漢の分野には手も足も出ない模様だ。まあ、現実世界での
「オヤジ」を代表する役柄であるから、若い女性層との接点が
存在しないのは当然だ、で、この舞台はそういう劇なのである。
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さあ、選挙の投票が始まったようだ。

集計結果に注目する「甘党:板千代子」の陣営。
で、結果が発表になった。

・・・まあ、そうなるよね、そうでないとストーリーが成り立たない。
それに、仮にこのシナリオで「千代子」が当選したとしても、
「千代子」が、その世界での実際の政治活動で有益な貢献が出来る
はずもない、バーチャル世界はあくまでバーチャルで、リアルとは
そう簡単にまじわる事はないのだ。
ところで、あえて、この劇に「選挙」というテーマを「斜彼女」が
選んだのはどういう訳だろうか?
私が思うに「斜彼女」は、ここ大阪の平野区という土地にかなり
根付いているように思う。
平野は、「平野郷」という集落として、はるか昔から存在していた、
一説によると、弥生時代から集落が存在していた可能性があるが、
実際には平安時代くらいから発展した模様だ。
勿論、この成り立ちの歴史は、現在の大阪市の区域よりも古い。
戦国時代になると独立した環濠自治都市としての様相を見せる、
これは、要するに、他者の侵略を防ぐために、その集落を丸ごと
要塞化してしまう、という事だ、その設備の1つが、環濠、つまり
町を取り巻く濠(ほり)であったり、土塁であったり・・これらは
現在でも、平野の街の周辺で遺構を見ることができる。
また、自治都市には、強大な寺や神社が内包されている事が殆どだ
神社は宗教の中心であるが、寺は、実は軍事施設だ、城の代わりと
言っても差し支えない。そこに僧兵や農民が集まって集落を防御
するのだ。寺の立場(勢力)が強力な場合は、その集落を「寺内町」と
呼ぶこともある、今でも大阪や奈良の各地にそれらは残っている。
平野は、こうした成り立ちから、大阪市の一部でありながらも、
大阪や他の地区には無い、独特な雰囲気や文化が残っている。
私も、平野という町が好きで、過去、何十回も訪れている。
勿論ヨソモノ扱いであるから、平野の文化の真髄に触れることは
できない。でも、なんとなく、平野に行くと、それは肌でわかる。
恐らく、平野という土地に住み着くと、そうした文化に溶け込む事
ができるのであろう、「斜彼女」の団員や関係者の多くは、この
平野に住み、仕事をし、地域との連携を深めている。その中には
政治的な活動もあるし、他で言う福娘に相当する「あかる姫」に
選ばれた栄誉もある、劇団の公演には多数の地元後援者がつき、
観光客向けの平野紹介マップにも、イベントの1つとして、この
「SODA」の公演が紹介されているくらいだ(これは異例だ)
こうした、平野という地区と、劇団員との強い結びつきが高じて
もっと地域を良くしたいという願望から、選挙という劇のテーマが
出来てきたのではなかろうか・・まあ、あくまでこちらの想像だが。
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さて、劇のテーマの1つ、選挙のカタがついたのだが、まだいくつか
残っている。ネットアイドルや、スイーツは、もうだいたい完了と
いう事であろう。あと残り、恋愛と資格受験はどうなったのか?
選挙落選の報を受けて、ちょっと沈滞ムードになっていた
チョコレート店「チョコ・タベナハーレ」に、常連客の「軽亜」氏
が訪れてくる、「軽亜」氏の手には手紙が、「豆子」宛だという。
「それはもしかして、ラブレター?」と、自ら開発したホレチョコの
効果により、軽亜氏に恋をしている「豆子」は、色めきたつ。
しかし、手紙を手にすると、豆子は、それがチョコレート資格試験の
合否通知であることに気がつく、この件はチョコレート店の店員達も
気になっていたので、皆が豆子のもとに集まってくる。

恐る恐る中身を見る「豆子」、しかし、ここでも、結果は「不合格」
であった。

落ち込む「豆子」、まあ、このシナリオは、「豆子」を演じる
明日香嬢自身の書いた脚本だ、「斜彼女」の斜め目線においては、
主人公はあくまで、何をやってもうまくいかない等身大の20代
女性なのであろう、先ほどの「豆子」のセリフで「リア充」と、
「千代子」に言い捨てるものがあった、あえてそういうセリフが出る
ということは、役柄の豆子の実世界は、何ひとつ充実していない訳だ。
ただ、「豆子」には、残る最後の望み「恋愛」が残っている。
「ホレチョコ」の思わぬ効果とは言え、密かに恋する「軽亜」氏に
思いを伝え、結ばれれば、それだけで「リア充」となるだろう。

「豆子」は、勇気を振り絞って「軽亜」氏に、思いを告白する。

「軽亜」氏が、「豆子」にキスしそうになる、これは恋愛成就か?
と思いきや、寸前のところで、「やっぱ無理」という事になって
しまった・・
「豆子」は、フラれてしまった、彼女の望みはこれで全て絶たれた。
だが、思うに、ホレチョコというのは、やはり恋愛における非現実性
というものが、このテーマに含まれているのであろう、
実際の恋愛はそういうものではない、これは、「斜彼女」の持つ、
「斜め目線」の観点の最たる例であり、「恋に恋する」状況への
皮肉であるようにも思えるのだ。

豆「選挙も落ちるし(注:まあ、これは自分では無いが、手伝った)
試験にも落ちるし、失恋するし、これでは三重苦だよね・・」
と悲嘆に暮れる「豆子」
・・ん?もしかして、と、私は、ここで別の展開を予想していた、
三重苦といえばヘレンケラー、ヘレンケラーといえば「奇跡のシーン」
これは、名作演劇漫画「ガラスの仮面」での重要なストーリーだ、
演劇をやる人のバイブルとも言える「ガラスの仮面」のプロットが
もしここで出てくるのであれば、「斜彼女」の前身である劇団
舞台処女(まちかどおとめ)が得意としていた「大仕掛け」が
何かここで炸裂するのかも知れない。
舞台処女は、劇のたびに、ここぞというシーンで、ステージ上に
無数のスーパーボールやトランプを降らせたりした事があった、
以下はその例

↑写真は舞台処女の2014年公演「看板BOY」の1シーン。

↑写真は舞台処女の2010年公演「地下鉄ジプシー」での、
天上が落ちるという大仕掛け。
本公演においても、なにかここで「奇跡」が起きて、舞台の上や
横から、とんでも無いものが飛び出してくるのではなかろうか?
私は、ちょっと緊張し、どこから何が出てきても撮れるようにと、
広角レンズのついたカメラを手に握りしめる・・
だが、ここでその大仕掛けは無かった、代わりに、「豆子」が持つ
唯一の充実した世界「ネットアイドル」の世界が、スクリーンに
華やかに投影される。

私はここで時計を見る、時間はすでに開演から1時間10分を
経過したところ。開始前に、公演時間は1時間15~20分くらいと
聞いていたので、もう、これでエンディングに近い状態となるので
あろう。
う~ん、しかし、これはちょっとシニカル(冷笑的)なエンディング
だよね、結局、「豆子」は、ネットの世界だけでしか自らの存在
意義を主張できなかった、ということなのだろうか?
突如、私の頭の中に、ミュージシャン、マイクオールドフィールドの
「AMAROK」という曲の中での英語のセリフが思い浮かぶ。
Now, endings normally happen at the end.
But as we all know, endings are just beginnings.
この会場に来るまでに、得意のポータブル・オーディオで聞いていた
曲だ。で、こういうシンプルな英語は、感覚的には、あえて日本語に
訳することなく、そのまま英語で理解してしまった方が良い。
音楽の中の一節であればなおさらだ、日本語に直すのは、
ニュアンスが変わったりするので、あまり好ましくない。
けど、まあ、簡単に言えば
「これで終わることなく、ここから始まる」
といった風に解釈してもらえれば良いのではなかろうか。
「舞台は終わるが、そこからまだ舞台は始まるのだ・・」
さらに余談だが、この曲、「AMAROK](邦題=アマロック)で
思い出したが、兵庫県尼崎市に、通称「尼ロック」と呼ばれる
尼崎運河に船を出入りするための「尼崎閘門」が存在している。

運河を通る船が出入りする様子を見たいと思っている、
かなり行きにくい場所にある閘門なので、そうそうチャンスは
無いが、いつか見たいものだ。
勿論、曲とこの尼崎閘門とは無関係であろう、
本来の「AMAROCK」の意味は、イヌイットの方言で
「オオカミ」とい事だそうだ。
しかし、マイクオールドフィールドのこの曲にちなんで
「AMAROCK」というPC用のメディアプレーヤーも存在して
いるなので、なかなか興味深い。
さてまた余談が長くなってきたので(汗)、舞台に戻ろう。

突如踊りだす出演者の皆さん、しかし、ここは私的にはちょっと
意味不明だ。まあ、踊って終わり、というパターンになりそうだが、
インド映画等と同様、視覚的には華やかなものの、何を表現したい
のか、わかりにくい。
可能であれば、選挙活動期間からの衣装を、別の衣装にチェンジして
このエンディングの踊りをやれば、別表現である事が明確になった
のかもしれないが、舞台上での「早着替え」はなかなか実際には
難しい。まあ、今回の劇中ではチョコレート店のシーンから、
選挙活動のシーンに転換する際に、着替えを一度やっているのだが、
現実的には、それで精一杯という感じであろう。
これは、時間が無制限にシーンテイクを行える、ノンリアルタイムの
(TV,映画、自主ビデオ、CGなど)とは違い、舞台やライブ演奏
は、あくまで、リアルタイムの世界なのだから・・

でも、さすがに皆さん、若手役者だけあって、タフだよね、
「豆子」などは、ほとんど全編に出演しているし、相当動いてもいる、
それに加えて、ラストシーンでのこの動きだ、しかも、今日はこの後
実公演が2本、明日の公演では、この劇を3時間おきに3回も連続
でやるのだ(汗) かつ、夜は前日から3日連続で飲み会だそうだ、
いったいどんな強靭な体力なのだ(笑)

公演(ゲネプロ)終了、良い意味で「若さ」と「斜め目線」が光った
劇であった、前身の「舞台処女(まちかどおとめ)」とはまったく違う。
同じような人達が演じていても、劇団のコンセプトが変わるだけで、
こうも違うものなのか・・
ゲネ終了直後、さっそく演出家の「だんね」氏にたずねられる
だ「匠さん、どうでしたか・・」
匠「う~ん・・」(考えがまとまらない、というか、一口では言えない)
まあ、彼ら劇団員にとってみれば、初めて、部外者が劇を見ている
わけだ、おまけに、あれやこれや細かい(汗)私の意見ともなれば
重要であることは確かであろう。 けど、説明しずらいのだ・・
さらに追い討ちをかけるように、脚本兼、劇団団長の明日香嬢にも
聞かれる。
明「どうでしたか? 何か良くする点はありますか?」
匠「そうねえ・・ もう一山欲しかったかな?」
明「舞台が短い、ということですか?」
匠「いや、時間はこれでも良いんだけど、ストーリー上の展開で
起承転結というか、なんというか、ポイントとなる見所が
もう1つくらいあっても良かったかなあ・・
ああ、たとえば、なにか”大仕掛け”が爆発するとか、
そういうのでも良いかも」
やりとりを横で聞いていた、演出の「だんね」氏が助け舟を出す
だ「あはは、匠さん、この劇団は、”まちかど”ではなくて
”シャガール”ですよ、大仕掛けは無しです」
匠「なるほど、斜彼女には斜彼女のやりかたがあるという訳ですね」
私の頭の中に、また、名作演劇漫画「ガラスの仮面」のセリフが
浮かんでくる、主人公”北島マヤ”のセリフだ。
北「大道芸人には大道芸人のやり方があるわ!」
これは漫画の中で、北島マヤの小劇団に対抗する大手劇団の団員が
金や設備にモノを言わせた集客活動をやろうとして、マヤ達を
揶揄した際、マヤ達が自分たちの方法論で客を集めようと奮起した
ときの名セリフである。
まあ「斜彼女」も同様であろう、劇団員わずか数名という小劇団で
あるが、だからといって、それが悪いわけではない、小劇団ならば
小劇団なりのやり方や、コンセプトがあれば、それで良いわけだ。
おのずと結果もついてくるだろう、現に、漫画「ガラスの仮面」の
中でも、小劇団が大劇団に圧勝するという痛快な展開となっていた。
匠「感想は沢山あるけど、またブログ記事でも書きますわ」
と言って、劇団員に挨拶をし、会場を辞することとした。
時刻はすでに3時前、あと30分ほどで開場だ、ぐずぐずしていると
本番公演を見に来るお客さん達が入ってきてしまう。

受付周辺では、多くのサポートスタッフにより、開場準備が
進められている、個別の人達と話もしたいところだが、この慌しさの
中ではそれも無理であろう。
劇団員の1人が声をかけてくる
劇「匠さん、今日、公演が終わった9時から打ち上げがあるのですが
来られます?」
匠「あはは、元気だねえ・・ 明日も公演あるんでしょう?
でもちょっと無理かな、こっちも明日は朝5時からドラゴンの
撮影に行かなければならないし、帰って写真編集しておきます」
劇「そうですか、では、また今度」
---
明「匠さん、お疲れ様~!」
なかなか帰れずにモタモタしている私の横を、団長の明日香嬢が
すり抜けていく。

明「ちょっと、開演前に、コンビニ行ってきま~す」
ほんと、元気だよね、私が、彼女くらいの年頃のころは、
果たしてそこまで元気だったのだろうか・・?
いやいや、元気かどうかはともかく、もっと、なんだか、フラフラと
自分の方向性が定まっていなかったようにも思えるよね。
そうか、やはり、彼女は「リア充」なのか。
まあ、だから、こういう劇が創れるわけなんだろうな。
妙に納得した「斜彼女」の公演であった。
次回の「斜彼女」の公演が楽しみだ、今日は少し面食らったところも
あったけど、もう、彼女達の思考パターンはだいたい読めてきた、
今度は劇の流れの予測がもっと正確になるだろう、被写体を知る事は
とても重要なことだよね。
でも、次回、彼女達は、私の予測の「斜め上を行く」かもしれない。
だって、それが「斜彼女」の本質だからね。
あはは、これは、なかなか難しいなあ、次回がとても楽しみだ・・・
ところで、劇のタイトルの「SODA」って、結局何なんだ?
最後までわからなかったぞ~! ううむ、斜め上で、やられた(汗)