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新・関西の楽しみ(94)男山こもれびルート

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京都府八幡市(やわたし)の石清水(いわしみず)八幡宮は、
年間参拝者数100万を超え、日本全国の初詣参拝者数
ランキングでも、10位台に入る著名な神社である。

「やわたの八幡さん」として親しまれているこの神社は
男山(標高143m)の山上にあり、古くは「男山八幡宮」と
呼ばれていたようだ。

一般的に石清水八幡宮に参拝するには、京阪電鉄八幡市駅から、
「男山ケーブル」に乗り換えるのであるが、健脚の、あるいは
信心深い参拝者は、徒歩で長い階段(表参道)を上る人も多い。

私はこの神社に行く際には、一般にはあまり知られていない
「男山散策路こもれびルート」を使って、歩いて行く事に
している。今回は、その「こもれびルート」についての
紹介記事だ。

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京阪八幡市駅を降り改札を出ると、通常の参拝客は、係員の
誘導に従って、右手方向にある「男山ケーブル」乗り場に
向かうのだが、年始の時期は非常に混雑する。

ケーブルカーの出発間隔は、通常30分間隔(毎時15分/45分)
なのだが、混雑する場合は適宜出発間隔を短くするなど
フレキシブルな運用の模様だ。

ケーブルに乗らない参拝客は、駅改札を出て左方面、
岩清水八幡宮の「下院(頓宮)」に向かう。
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土産物屋や飲食店が並ぶこのあたりから、鳥居を抜けると
頓宮、そしてその先に表参道(徒歩参拝ルート)がある。
表参道の長さは1km弱程であるが、延々階段が続く登りで
一般の人の脚力では50分前後はかかってしまう事であろう。、
以前この表参道で、家族で参拝に来ていたらしきシニアの
男性が途中でヘバって「もう二度と来ないぞ」と叫んでいた
事を思い出す。

で、その表参道を通らないのが「こもれびルート」である。
上写真の鳥居の前を通り過ぎ、右手方向に進む。

道がわからないと不安という場合は、八幡市駅の観光案内所
で「八幡観光マップ」を貰ってると良いであろう。ただし、この
「こもれびルート」については、一応書かれてはいるものの、
あまり細かい情報は載っていない。

さて、少し歩くと「神応寺」の山門が見えてくる。
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この山門をくぐるのだが、そこに寺の本殿は無く、階段を
上ったところとなる。
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この階段は少々きつい、でも、数分で登りきると思うので、
ちょっと頑張ってみよう。

「こもれびルート」は全長1.3km、徒歩で約40分と書かれて
いるが、実際にはアップダウンがあるので、もう少し時間も
かかるし、駅からの距離や神社境内の中の距離もあるので、
長さも、もう少し長いと考えておくのが良いであろう。

観光マップは実はあまり必要ではなく、こもれびルートには
数十mおきに、道しるべが整備されているのだ。
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道標に書かれている「鳩ヶ峰」とは、男山の別名。
ちなみに、山上の岩清水八幡宮には鳩が祀られていて、
「鳩みくじ」や、「御朱印」も鳩で、八幡宮の「八」の字が
鳩の形をしている。

それと「ルクセン」とは何ぞや?と思うかもしれないが
これは「レクリレーション・センター」の事であり、
男山山上にあり、テニスコート、フットサル、キャンプ場
などの設備を保有している。

で、この道標を辿っていけば、道を間違える事は無い、
というか、この「こもれびルート」の道以外の周辺の土地は
民有地との事で、ロープなどで入れないようになっている
場所が殆どであるから、道は間違いようが無いのだ。

っして、私がこの「こもれびルート」を推す最大の見せ場が
この先にある。 スタート地点からおよそ10分、もう少し
だけ階段を登ってみよう。
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そう、この場所だ。
このルートは、男山ケーブルのトンネルの上にあり、
高い場所を走る印象のある「ケーブルカー」を見下ろす事
が出来る珍しいスポットである。

おまけにここは、ケーブルカーのすれ違いポイントとなって
いるのでさらに楽しい。ただし、完全にぴったり同じタイミング
で、すれ違う事はなく、わずかにずれてしまうので、2台の
ケーブルカーが並んでいるように撮るのは難しいとは思う。

この正対ポジション以外にも、この周辺に、もう2アングル程
ケーブルカーが撮れるポジションがあるので、お好みで・・
また、この場所からは、遠く八幡の鉄橋を渡る京阪電車を
見る事もできる、つまり、15分ほど歩いただけで、すでに
かなりの標高に達しているという訳だ。

なお、半分山登りに近いので、あまり大げさなカメラ装備は
邪魔になるだけだ。コンパクトか小型ミラーレス機1~2台で
十分であろう、ただし、若干望遠が効く(200~300mm相当)
カメラの方が、ケーブルカーを撮る際には良いかも知れない。

また、このポイントに来る時間も問題だ、前述の通り
通常はケーブルカーは毎時15分および45分発であるので、
この場所に到達するまで約2分、すなわち毎時17分または
47分に、このポイントに居る必要がある。

けど、年始など繁忙期は、恐らくケーブルは15分間隔で出発
するだろうから、最長15分程度待つだけでケーブルを見る事が
できると思う。

さて、もう目的は済んだ、このまま降りても良いのだが(笑)
せっかくなので、岩清水八幡宮を参拝して戻るとしよう。
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ここからの「こもれびルート」は、完全な山の中だ・・
冬場でも少し汗ばむほどであるが、「もう二度と来ない」と
思うほどにはキツくはない、むしろ、最初の神応寺の階段を
登りきった後では、拍子抜けしまうほどゆるやかな登りだ。
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まあ、たまにちょっとキツい階段もあるが、せいぜい標高が
143mの低山なので、山登りというよりはハイキングに近く、
子供やシニアでも大丈夫であろう。

ケーブルカーのところでちょっと時間待ちをしたので、
およそ30分ほどかけて、「男山」の頂上に到達。
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見晴らしが開けている訳ではない、景色が良いのは先程の
ケーブルカーポイントの場所だけであり、あとはほぼ全て
山の中という景色ばかりだ。

この頂上には、ベンチなどもあり、ちょっと休憩する事も
出来る。ただしトイレは無いので、行きたくとも岩清水八幡宮に
着くまで我慢するしかない。そうならないように、八幡市駅で
済ませて置くのが良いであろう。

この場所が八幡市最高点、と記されているが、確かに八幡市
には、この「男山」だけ、ポコんと盛り上がっているイメージ
であり、他に山らしきものは無い。

ちなみに、男山の北側は、川となっていて、このあたりが
有名な「三川(さんせん)合流」地点、すなわち、大河である
桂川、宇治川、木津川が、ここで合流して「淀川」となって、
大阪湾まで流れそそぐ場所だ。

三川合流地点は、京阪電車の鉄橋も複雑にかかっているので
鉄道マニアであれば、それを見るのも楽しいだろうし、
また、三川のうち、宇治川と木津川が合流する堤防部分は、
「背割(せわり)」と呼ばれて、桜の名所である。
長さ1.5kmにおよぶ桜のトンネルは必見であるが、近年は
ここも一般に広く知られてしまい、混雑が酷くなり残念だ。
すいている状態で花見をするには、ちょっとしたコツが必要だが
まあ、一極集中しそうなので、詳しくは書かないでおこう。

三川合流をさらに北に、桂川の向こう岸が、有名な「天王山」
である、そう、「本能寺の変」の後、羽柴秀吉が明智光秀を
破った「山崎の戦い」の場所である。
(明智光秀に関しては、2015年に記事を書いている)

さて、この頂上からは下るばかりだ。
そして、最後にちょっときつい下りの階段がある。
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この長い階段を下りきったところが、前述の「ルクセン?」
つまり、「レクリエーション・センター」となっている、
そしてその先は一般車道だ。
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一般車道は、岩清水八幡宮に車で参拝する人が多数居るため
かなり車どおりが激しい、歩道も無いので注意が必要だ。

この場所はまだしも、混雑する秋の京都などでは、自家用車
の使用が庫通渋滞を引き起こして大問題となっている。
車社会とは言え、誰しもが同じ場所に同じ時期に行きたがる、
そして、せめて公共交通を使えば良いものの、車でないと移動
できないと言う。それが体が弱いからとか言うならまだしも
「道がわからないからタクシーを使う」「車で送ってもらう」
とか、そんなつまらない理由である事が殆どだ。
道なら事前に調べてくれば済む話であり、あるいは観光案内所で
聞くとか、スマホを持っているならば、それを活用すれば良いだけだ。
そして、いつも他人と同じように行動して、混雑する場所にばかり
行く事についても、何も疑問に思わないのであろうか・・・?

で、車での参拝はもとより、加えて、この場所の少し先には、
別のハイキングルートである「ひだまりルート」との合流地点が
ある。そのルートの先には「松花堂弁当」で有名な、松花堂
(しょうかどう)があるため、シニアを中心としたハイカーが
非常に多い。
ハイカーも単独で歩いているのであればどうという事は無いの
だが、シニアなどはグループで数十名単位で歩いている場合が
良くあり、今日もその一団にぶち当たってしまった(汗)

ビギナーハイカーグループは、統制がとれておらず、先頭の
人しか道を知らないという状況が殆どである、周りにも目が
行き届かず、おまけに車道などでも一般車を意識しないため、
ちょっと困った状況である。
ペチャクチャと話ながら、デタラメに歩いているので、彼等を
避けた一般車に、こっちが当てられたらそれこそ目も当てられ
ないので、しばらく待って一団をやりすごすとしよう。
そもそも「他人についていくだけ」という自主性の無いスタンス
そのものが大嫌いなのだ、一団の近くを一緒に歩く気などには
毛頭なれない・・
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さて、ここから先は岩清水八幡宮の境内だ、

数年前、初詣ポイントとしては比較的すいているか?と思って
三ケ日に参拝してみたが、酷い混雑であった。さすがに全国
十数位の初詣スポットである(後で調べてわかった)
中には「とりあえず有名神社で初詣」という自主性の無い輩も
非常に多い事であろう、大阪の住吉大社や京都の平安神宮等も
酷いもので、何百万人という初詣客が訪れるのだ。
そういう所には、混雑するという理由以外でも、心情的にも
まったく行く気がしない。私がいつも言う「一極集中」は、
それすなわち「良くないものである」という認識なのだ。
で、今回は三ケ日を大きく外しているので、人出も一段落して
いる、まあ、快適に参拝が出来る状況ではある。
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さて、参拝を済ませたら下山するだけだ。ケーブルカーで
降りる事も勿論できるが、登りならともかく、下りはちょっと
勿体無い。なので、表参道を降りていくとしよう。
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表参道は、三ケ日の間とかは、登りのみの一方通行となって
いる場合もある模様だが、松の内も明けてしまえば、特に
問題なく降りることができる。 
下りは15分ほどしかかからず速いのであるが、連続する
階段は、下りでも少々足に負担がかかる。登りはさすがに
ここはしんどいであろう、オジサンが「もう二度と来ない」
と叫んだ気持ちもわかる。そして、たいてい、途中でへばって
座り込んでいるシニア(あるいは若い人でも)を見る事がある、
混雑する三ケ日などで、その状態だと通行に迷惑であろうが
まあ、今日はほとんど人出も無い状態なので問題は無い。

もう10年ほど前だったか?ここで野生のサルを見かけた
事がある、当時は野生のサルと言えば、大阪・箕面などで
観光客の食べ物を狙って寄ってくるとかで問題になったが、
それでも箕面の滝は山の中である、都会からほど近い場所で
野生動物が出るのは珍しい、と思っていたのだが・・・

その後、近年になると、関西のニュータウンなどでも
サルはもとより、野生のイノシシなど、様々な野生動物が
出てきて話題になるケースが増えてきた、動物の生態系が
変化してきているのかも知れない。近年の自然環境の変化
(たとえば異常気象、大雨等)は、昔とは比べ物にならない
状況となっているが、なんだか色々な面で自然が大きく
変わってきているように思えてならない。
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下りはさすがに速い、もう八幡の町並みが見えてきた。
このあたりはちょっとした古い町並みであり、寺や神社も
点在していて散策するのも良いであろう。

「こもれびルート」を登り始めた時点から、まだ1時間半
程である、散歩というには少し物足りない時間(距離)だ。
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こちらは「飛行神社」、明治時代の「二宮忠八」を
祀っている。彼は航空機研究者であり、
「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」
として知られている。しかし、資金や周囲の不理解により
実際に飛行機を作ってそれに乗ることは出来なかった模様だ。

なお、「飛行機(器)」とは、二宮忠八が命名したとの
事である。

この神社には、F-104戦闘機のジェットエンジンや、上写真の
零戦(零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦)の墜落機のエンジン
などがあり、飛行機マニアが訪れたり、現役パイロットが参拝
したりもしている。
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こちらは、安居(あんご)橋。何度も来た事はあり、ずっと
「やすい」橋だと思っていたのだが、今回、欄干を見たら
「あんご」橋と書いてあったので、ちょっと驚いた。

観光用の橋ではなく、実用の橋であり、歩いて渡ることが
可能である(車は通れない)
大阪の「住吉大社」や滋賀の「多賀大社」の太鼓橋のように、
滑り止めの木材が橋の傾斜が急な部分についている。

この他にもちょっと足を伸ばせば、前述の松花堂や、
桜の季節には、背割(せわり)桜、さくら近隣公園、
さらには「流れ橋」(2016年現在では、流れたまま・・)
戦国大名「筒井順慶」が日和見をしたといわれる「洞ヶ峠」
など、八幡市に見所はいくつもある。

まあ、この「こもれびルート」を使って、岩清水八幡宮の
参拝だけであれば、1時間半~2時間もあれば余裕で廻れる
であろう、今回も色々寄り道をしながらであったが、それでも
2時間ちょうどくらいの時間であった。
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帰路は京阪電車が便利であろう、京阪といえば「無料特急」の
利用が一般的であるが、八幡市駅には特急は止まらないので、
準急などを使う必要がある。ちなみに京阪電車は正月ダイヤ
(三ケ日)の期間は、伏見稲荷、岩清水八幡宮という著名な
初詣スポットの参拝客を見込んで、普段はあまり走っていない
「急行」が頻繁に出ている、急行であれば八幡市や伏見稲荷駅
にも停車するので、大阪方面(あるいは京都方面)からの
アクセスも容易であろう。

ということで、今回記事は「男山こもれびルート」の紹介まで、
次回また、ちょっとマニアックな関西のスポットの紹介をする
こととしよう。

ミラーレス・マニアックス(14)

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安価な中古ミラーレス機とマニアックなレンズで遊んで
みようというコンセプトの記事、シリーズ14回目。

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カメラはDMC-G5、高性能であるが中古で1万円台と
安価なマイクロフォーサーズ機だ。

レンズは、フォクトレンダー・ノクトン 42.5mm/f0.95
超大口径レンズ、マイクロフォーサーズ専用マウントで
MFレンズである。

G5は、まれにアダプター遊びをする他は、ほぼこのレンズの
専用機となっている。

その理由は、G5はベース感度がISO160とやや高めである事。
つまり、この感度で晴天時に1/4000秒の最高シャッター速度と
なるのは、概算でf3.5程度となり、開放f値がそれ以上明るい
単焦点オールドレンズを使う際は、多くのケースで絞って
使わないとならないからである(開放が使えない)

では、f0.95のノクトンはもっと使いにくいではないか?と
思うかも知れないが、最初からこのカメラで使用する事を
想定し、暗所以外は常に減光フィルター(ND8)を装着している。

その結果、G5のISO160における日中晴天時の1/4000秒での
ND8装着時の使用可能絞り値は、計算上約f1.2程度となり、
まあ、モロに明るい被写体を撮らないかぎりは、f0.95の
大口径を十分に生かした撮影が可能となる。
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感度とシャッター速度の問題以外に、このレンズを装着する
理由は、その焦点距離だ。42.5mmという焦点距離は銀塩換算
85mmに相当する、そしてG5はデジタルテレコン(最大4倍)
およびデジテルズーム(最大2倍)を併用できるので、都合
8倍、すなわち最大680mm相当の超望遠域までこのレンズ
1本でカバーできる。勿論こうした機能を使うと、倍率を上げると
どんどん画質が劣化していくので、実用的にはデジタルズーム
の2倍程度迄であるが、G5の場合MF単焦点レンズを装着すると
(設定をそうしておけば)自動的にファンクションレバーが
デジタルズームにアサインされるので、実質的に銀塩換算
85~170mm/f0.95の超大口径望遠ズームレンズを装着して
いるのと同等になり、極めて実用的だ。
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ちなみに、私はもう1本のノクトン、25mm/f0.95を所有して
いるが、こちらはDMC-G1の1台を、ほぼそのレンズの専用機と
している。その理由は、G1のベース感度はISO100であり、
その関係で、減光フィルターND4を装着していることと、
こちらはほぼ標準画角(換算50mm)なので、デジタルズームの
無いG1においても単焦点標準の感覚で使用できる為である。

これらの例のように、私がミラーレス機とレンズを組み合わせる
場合は、必ずその組み合わせにするべき根拠を持っている。
マウントアダプターを用いる場合も同様に、ボディとレンズを
思いつくまま適当に組み合わせるのはNGであって、両者の
欠点を相殺するように、あるいは相乗効果が得られるように
組み合わせるのが基本だ。
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ノクトン42.5mm/f0.95は、後で紹介するLENS BABY等の
特殊なレンズを除き、オーソドックスなレンズとしては、
最も使いこなしの難しい部類のレンズである。

最短撮影距離は、異常にまで寄れる23cmであり、これはまあ
他のノクトンも同様に近接撮影に強い。f0.95というレンズ界
トップクラスの超大口径の、ただでさえ浅い被写界深度は、
近接撮影では、さらに紙のように薄くなる。

MFレンズである事からピント合わせは恐ろしくシビアであり、
優秀なEVFを用いて、しかも拡大表示をして厳密な操作をしない
とピントは合わない。このカメラの後継機G6では、EVFが一新
されているが、明るく見やすくなったものの、ピントの山は
逆につかみにくくなった為(注:このあたりはトレードオフ
なのかも知れない)あえてG5を買ってノクトン用にした。

また、Gシリーズは拡大操作系(いつも言っているが操作性
ではない)が優れているため、ファインダーを覗きながら
一連の、拡大→拡大位置移動→拡大解除(構図確認)の
操作を流れるように行う事ができる。

そして、浅い被写界深度の問題だけが、このレンズの難しさでは
無い、そもそも絵づくりが困難なのだ。
写真を撮る時、人間の見た目で被写体を探しながら、どんな風に
撮れるか(撮りたいか)を想像・予想して、ファインダーを覗き
構図を決めて撮影するというプロセスになると思うが、
(注:ビギナーの場合は、このプロセスが出来ず、ファインダー
を覗きながら被写体を探してしまう、これは勿論NG)
その際、超大口径のレンズからの映像というのは、なかなか予想
がつかない。特に被写体の形状が複雑で複数の撮影距離が入り
混じっている場合では、各々のポイントのボケ量が変わって
いるので予測が大変難しい訳だ。

ともかく難しいレンズだ、価格も高価で中古もまず出ないので、
あまり簡単にはオススメできるものでは無いが、他のレンズでは
絶対に得られない独特の描写が欲しいならば、これに替わる物は
存在しない。

マイクロフォーサーズ専用レンズであり、仮に他マウントに
変換できるアダプターがあったとしても、マイクロフォーサーズ
の小さいセンサー対応のイメージサークルなので、APS-C機や
フルサイズ機などでは画面がケラれて使用できない。

ちなみに、どうしても欲しいとなったら、このレンズはほぼ
新品しかなく、定価は税込で13万円近くもする。まあ量販店等
で新品値引きがあったとしても、9万円程度はするであろう。

私が定義する高コストパフォーマンスの「スーパーレンズ」では
価格は(新品中古関わらず)10万円までだ。その値段を超えると
どんなに性能が良いとしても、現実的な価値感覚ではコスパが
良いとは言えず、単なる「贅沢レンズ」になってしまう。
そういう意味では、このレンズは、ぎりぎりの立場である。

で、超大口径f0.95近辺での像の滲みはやや問題であり、
絞りを多少絞らないと回避できない。ただ、その甘さについても
被写体の選び方などで緩和することは出来る、前述のように
「多数の撮影距離を持つ複雑な被写体」を選ばない事や、
ピンポイントのシャープネスを期待するような被写体
(例:花弁にピントを合わせる花のマクロ撮影)にはそぐわない
訳であり、そのあたりのレンズの欠点を承知して、それらに気を
つけて撮影すれば、まあ問題は無いという事だ。

この最難関のレンズを、高いだけの「贅沢レンズ」にして
しまうか、あるいは高い付加価値のある「スーパーレンズ」に
するかは、使う人次第だ。買うならば覚悟して買う必要がある、
ということは強調しておきたいと思う。

さて次も、同じコシナ社製のレンズ。
c0032138_2104490.jpg

カメラはLUMIX DMC-GF1 、これはG1の小型軽量版のような
ポジションの機種であるが、EVFが無いこと、背面モニターの
解像度が低いこと等、随所にスペックダウンが見られる。

結果、MFが使いにくいボディであり、本来ならば小型のAF
レンズをつける等して使うのが良い。マウントアダプターの
使用も、このカメラの長所を生かせず欠点を助長してしまうので
基本的にはNGだ。また、MFの負担の少ないトイレンズ母艦と
するにしても、手ブレ補正機能が無く、最高ISOも低いので
これもダメだ。そこで、MF広角レンズの場合はどうだろうか?
ということで、今回はそうしたスペックのレンズを使ってみた。

レンズはコシナ製 20mm/f3.8 恐らく1980年代の発売で
1990年代後半までは新品で販売されていたと思う。

銀塩時代、超広角レンズがなかなか入手しずらかった時に
各MFマウント版が存在していて重宝していたレンズである。
こちらはCANON FDマウント版、まあ、つまりFDの超広角が
価格や入手性の面でなかなか買い辛かった時にラインナップ
の穴を埋める為に購入したものだ。
c0032138_2112170.jpg

このレンズの定価は4万円であったが、新品相場が1万円強と
かなりの値引きをして販売されていた。価格の安さや割引率の
大きさ、そして超広角かつ、最短撮影距離も20cmとそこそこ
短くマクロ風に使える事等から、魅力的な仕様であり、
それらに惹かれ、多くのカメラマニアが購入したポピュラーな
レンズである。しかしながら、評判はあまり良いとは言えず、
その最大の問題は、画面周辺部の描写の流れ及び周辺光量低下
であり、そして、超広角ゆえに画面内に太陽が直接入りやすく、
ゴーストやフレアが発生する事などが欠点として上げられる。

ただ、それらはいずれも銀塩時代での話だ。
画面周辺で問題がある事は、マニアの「常識」であったのだが、
現在、それを回避するのは単純だ、例えばマイクロフォーサーズの
小さいセンサーで使えば良い。まあ、その代わり、超広角という
特徴は失われ、40mm相当という準広角の画角となってしまう。
c0032138_2121393.jpg

しかし最短20cmの近接性能は維持されるので、準広角ながら、
比較的使いやすいスペックとなる。
また、画角が狭くなった事で、太陽の直接光が入りにくく、
ゴースト、フレアの問題も回避しやすくなる。

そもそも、欠点がわかっているのだったら、そういうのは
回避して使えば良いだけの話だ、オールドレンズの楽しさは
むしろそういう部分にあり、現代のレンズのようにオールマイティ
に使える事を期待してはならない。それに、そういう優等生の
レンズが面白くないから、こうしたジャジャ馬を乗りこなす事を
目的としてアダプター遊びをするのではなかろうか?
c0032138_2124563.jpg

したがって、銀塩時代での本来の超広角レンズの場合とは、
ずいぶんと異なる扱いを狙うレンズに変貌する、レンズスペック
が変わることで、それに応じた新しい撮影スタイルが出来てくる
訳だ。このあたり、様々な特徴や仕様を持つ複数のミラーレス機
との組み合わせの面白さだ。

一般的なレンズマニアは、α7などのフルサイズミラーレスを
母艦として、様々なオールドレンズによるアダプター遊びを
楽しんでいると思うが、私の感覚ではむしろ逆で、レンズの
特徴にあわせたボディを選ぶのが楽しみ方なのだ。

で、このGF1との組み合わせは残念ながら失敗。
やはりMFやアダプター使用時の性能に課題があるGF1を
このCOSINA 20mm/f3.8では完全に救済する事は難しい。

このレンズは、今の時代にどうしても必要なレンズでは無いとは
思う、新たに中古を探して購入するというよりは良く売れたレンズ
なので、もしかしたら昔購入していて、今は休眠している状態の
ユーザーも多数居ると思われるので、たまには使ってあげるのも
良いかも知れないな、という感覚だ。
10年ほど前であれば中古もたまに見かけたが、相場1万円強
程度では、新品だった頃の販売価格と変わらなかった。
もし現在中古があったとしても、1万円を超えてまで購入する
レンズでは無いと思う。

でも思うに、このレンズを製造販売していた時代のコシナは
OEMが中心でブランド力が無く、その点ではだいぶ苦戦して
いたのであろう。高い技術力を持っていてもネームバリューが
無ければ、高性能の製品を作ることすら出来ないのだ。
現代ではブランドの価値感覚はだいぶ変貌しているが、20世紀は
そうではなかった、有名メーカーの製品で無いと誰も見向きも
しなかった時代なのだ。

コシナは、1990年代後半にフォクトレンダーブランドを取得し
やっと高級なレンズやカメラを作れるようになった。その後も
ツァイス系の製品(「ツァイス・イコン」ブランドの取得や、
カール・ツァイス社のレンズの委託製造)で、現在においては、
バリバリの高級品メーカーとなったのは言うまでもない。
もし、コシナがコシナのままで、今でもOEM生産が主であったら、
冒頭に紹介したノクトンのようなレンズは、作りたくとも絶対に
作れない状況であっただろう。

(ちなみに、現代のデジカメ時代でも多種多様なメーカーに
カメラの様々な内部部品を設計供給している大手企業がある。
そのメーカー名は表には出てこないので、殆ど誰も知らない
状況であるが、そのシェアは凄まじく、結局、ほとんどの
カメラは皆そこで作られているのではなかろうか?とも思う。
さらに言えば、イヤホンも同様で、想像を絶する数のイヤホンを
世界各国の多数の有名オーディオメーカーに製造供給している
巨大企業が韓国に存在する)

そんな状況の中、私としてはブランド名なんてどうでも良いから、
値段が安くて性能の高いレンズ、すなわちコストパフォーマンス
が良いレンズがあれば満足なのだ、つまりブランドの名前で
レンズやカメラの性能は決まる訳ではない、という事だ。
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さて次は、以前も紹介したPENTAX Q7用の純正トイレンズ
07 Mount Shield Lensを、再度持ち出してみよう。

おさらいであるが、レンズのスペックは、11.5mm/f9
一応パンフォーカス仕様でピント合わせ機構は無いのだが、
その割には、すべての撮影距離でピントが合う訳ではなく、
中距離の被写体以外はピンボケになる。そして、画面中央部
のみシャープであり、画面周辺は、盛大に流れる。
c0032138_2144129.jpg

これはこれで、そういう性能だ、と認識して使えば、
逆に特徴として利用する事もできるわけだ。
元々実売4000円くらいのレンズだ、だから「安かろう悪かろう、
どうせ玩具だ」というのは、まあ普通の考えだが、そうでは無く、
トイレンズであれば、その、他のレンズでは絶対に無いクセ
(欠点)を逆に生かす、というのが1つの楽しみ方となってくる。
c0032138_215358.jpg

まあ、とは言え、中央に被写体おかなければ、その収差から
なる欠点を逆用する訳にはいかない、構図上の制約はなかなか
厳しいところではある。 
しかし、Q7(Qシリーズ)では、その大きな特徴である
エフェクト母艦としての優秀性がある、ストレートな絵だけ
ではなく、多彩なエフェクトと組み合わせることでさらなる
楽しみが出てくるではないか。

そして、超小型システムである長所を生かせば、このレンズは、
もはや持っていないに等しい小ささと軽さだ、好きなときに
ポケットから取り出して使えば良いし、飽きたらノーマルな
レンズに戻して使えば良いわけだ。
c0032138_2152890.jpg

これは飽きてしまって(汗)、標準ズームに変えての撮影。

さて、今回、何故この07 Mount Shield Lensを再び紹介して
いるかといえば、それは前記事の補足説明という訳ではなく、
こちらのレンズとの差を比較するためだ。
c0032138_2154814.jpg

こちらも以前紹介した、LENS BABY 3G
これは、非常に使いこなしの難しいレンズだ。
困難な点は大きく2つ。その操作性と、絵作りの創造性だ。
操作性は、ともかくやりにくい、まあ、以前の記事で裏技的に
レンズをロックせずフリーのまま手持ち撮影してしまう事で
かなりの速写性を得ることができる事は説明したのだが、
もう1つの「どんな絵になるか」という部分に関しては
画面を見るまでは殆ど予測する事ができず、とても難しい。

まあ、結果の画像だけ Mount Shield と比べるのであれば、
どちらもスイートスポット(画面の中で、はっきり写っている
ごく一部の部分)があって、その他の画面はグワーッツと
流れるので、一見似たような絵になると想像してしまうのだが、
そのあたりは実際には結構異なってくる。
c0032138_2162499.jpg

やはり、Mount Shieldに比べてLENS BAYの画像の流れ方は
尋常ではない。これは本当に難しく、予想がつきにくいという
以上に「どういう絵作りをしたら良いか」がわからないのだ。
結局、下手すれば、みな「ミニチュア・ジオラマもどき」の
撮り方ばかりになってしまうであろう、そうならないように、
この特徴をどう活かすべきか?というのを考えるのが難しいが
逆に言えば、これもノクトンやMount Shieldと同様に、他の
レンズでは得られない写りが特徴なわけだから、なんとか
そこを活かそうと努力するしか無いという事なのであろう。
c0032138_2165143.jpg

Mount Shield とLENS BABYの最も大きな差は、操作性で
あると思う。方や何も操作できないアンコントーラブルの
ボディキャップであり、方や(後継機が「コントロールフリーク」
と呼ばれたほどの)細かい操作を撮影時に要求されるレンズで
ある。この差は天と地ほどもある。だからどっちが良いとか悪い
とか言うのではなく、それらの差を理解し状況に合わせて
楽しむのも面白い。

----
まあ、今日取り上げているレンズは、いずれもキワモノであり
他には無い強い個性を持っているという事だ。

こうした個性は、ほとんどのユーザーにとっては使いにくさ
等の欠点としか捉えられないことであろう、けど、それを
欠点とは思わず、どうしたらその個性を長所に転換できるか?
そこが、やはりマウントアダプター遊びの面白さや興味の
根幹の部分ではなかろうか?と思う。

さて、キワモノばかりであるが、本記事のラストもまた
ちょっと変ったレンズだ。
c0032138_2173778.jpg

カメラはNEX-7、Eマウントの旧フラッグシップで、
Eマウント機の中では最も複雑かつ高度な操作系を誇る。
この複雑な操作系は、やりすぎ感がユーザーからは嫌われた
かも知れないが、私としては、それまでのNEXシリーズの
操作系は不満の塊であったので、この仕様は大歓迎だ。
Eマウント機の中での比較のみならず、他機種全般と比べても
NEX-7の操作系はかなり優秀であり、マウントアダプターの
使用時においても、完璧とは言わないまでも及第点だ。

このカメラが、たかがフルサイズでは無いという理由だけで
現在の中古相場が暴落している事が私には信じられない。
この価格(3万円台前半より)でこの性能であれば、あと
10年程度、2~3台使い潰して、買い換えていっても十分
その頃まで現役で使えるのではなかろうか。
(事実、私は、初代GRDや、コニミノα-7Dは、10年を超えて今
なお現役で使い続けている、優秀なデジカメはそういうものだ)
まあ、あまり褒めると、玉数が減って中古相場が上がって
しまうので、このあたりまでにしておこう(笑)

レンズは、МИР-24Н ロシアン(ウクライナ製)だ。
このままではロシア文字(キリル文字)なので、読めないと
思うので、対応アルファベットに変換すると、MIR-24Nとなる。

どう発音するのかはわからないが、まあ、アルファベットでの
読みで「ミール」とマニアの間では呼ばれている。

最後のN(キリル文字ではH)は、ニコンマウント互換で
あるという事は、過去何度かロシアンレンズの記事で
述べている通りであり、そして、ニコンマウント互換と
言っても、実はそれは、KIEV-19系マウントであって、
完全にどの(銀塩)ニコン機で上手く装着できる保証が
無い事も以前の記事で述べている。

確かに、このMIR-24は銀塩ニコン一眼ボディで使うには
怖いものがあった。以前の他のロシアンレンズ記事で述べた
状況と同様で、固くて装着しにくい。無理に嵌めると外れなく
なったりマウントを破壊してしまうリスクもあった。
ただ、ニコン用マウントアダプターでは、比較的スムースに
脱着できるケースがある事も、先日来、わかってきたので、
今回もアダプターに装着すると、カチリと気持ちよく嵌った。
c0032138_2183494.jpg

このMIR-24 レンズのスペックは、35mm/f2.0であり。
最短撮影距離は24cmとかなり寄れる方である。
APS-CサイズのNEX-7に使うと、ほぼ50mmの標準レンズとして
銀塩時代からの画角感覚をそのまま活かすことが出来る他、
f2と明るく、かつ近接撮影に強いのでマクロ的な使い方も
でき、汎用性が極めて高い。

これを私が購入したのは1990年代後半、中古価格は8000円程
であったが、新品でも2万円ほどで流通していたように思うので
当時の入手性はさほど悪くなく、結構多くのマニアが所有して
いたようにも思える。ニコン(互換)マウントであるという
のも流通量が多かった要因であろう。

ただ、多くのマニアは、これもまた「ロシアン」としての
良さと悪さ、すなわち「たまに良く写るときがあるが、
ほとんどの場合は、酷い性能である」という風な評価しか
下してなかったように思える。まあ、銀塩時代は撮ってから
現像しないと、どう写っていたかはわからないので、撮影時
の試行錯誤やそのフィードバックが出来ず、やむを得ない。

けど、私は、このレンズは銀塩時代から「なかなかの高性能
レンズだ」と高く評価していた。ただ、前述のニコン互換
(つまり、装着しにくい)という問題があって、機械トラブル
を避けるため、使う頻度はさほど多くは無かったと思う。

今、ミラーレス時代になってレンズ装着の問題は回避できた、
しかもAPS-C機では汎用性の高い標準マクロもどきとなる。
オールドレンズの例にもれず画面周辺の収差と言う課題も
APS-C機ではイメージサークルが小さい為に自動的に回避できる。
他の様々な欠点は撮影時に気づくことができる、必要ならば
それらの欠点を回避してもよし、あるいは逆用して個性にして
しまっても良い。
c0032138_2192199.jpg

そうした状況の中で、あらためてこのレンズを使ってみると、
やはり良いレンズだ。特に問題となる点は見当たらない。

このレンズの出自については良くわからないが、まあ、ロシア
レンズのマニアで色々調べている人のところとかには情報は
出ているであろう。
ただ、私が思うに、これ以前のロシアレンズは、たいていが
独国製の優秀なレンズの設計を大いに参考にして製造された
レンズが多い中、このレンズに関して言えば、そういうコピー
の元となったネタが、なかなか見当たらない。
あるいは、ニコンマウントをKIEVで採用していることなどから、
ニッコールの35mm/f2の設計を参考にしたのかな?と思いきや、
レンズ構成が異なる模様だ。

すると完全なオリジナルか? そのあたりの詳しい事情は
不明なのだが、ともかくロシア(ウクライナ製)レンズの
中では、やや異色な雰囲気だ。

あえて欠点を上げるとすれば、これまたオールドレンズの
宿命である逆光性能の悪さと、ボケ質の破綻であろう。
ただ、もうこのシリーズ記事では何度も述べているとおり、
そういう欠点はもはや「常識」であるから、それらを回避
して使えば良いだけの話だ、回避の手段も何度も述べて
いるので割愛しよう。

逆光はともかく、ボケ質の破綻は、このレンズにおいては
開放近くで出やすい。まあ、背景の絵柄によるが、たいてい
状況を確認しながら、少し絞れば回避はしやすいと思われる。
c0032138_2194573.jpg

それらのレンズ特有の欠点をカバーできる術を知っていて、かつ
実践できれば、このレンズは実用的で、かなりの高性能だと思う。

個人的には大いに気に入っている部類だ、
そう思うと、MIR-24という型番も、ロシア的な雰囲気がプンプン
としてきて、24という焦点距離もf値も関係ない通し番号が
(まさか最短撮影距離の24cmが由来ではあるまい)なんとも
ロシア的で、まるで戦闘機の型番のようで、面白い。

まあ、Jupiter-9 とかヘリオス44とかのように、焦点距離等
の仕様とは無関係な型番である事は、ロシアンレンズの常かも
知れないが、今の時代からしても、なかなか新鮮な感覚ではある。

----
さて、今回の記事も「キワモノ」なレンズばかりの紹介に
なってしまった、まあ、基本的に、私は「唯一の」とか
「個性的な」とかいったものが好きなのである。
そのあたりが「度」をちょと越してしまうだけで、キワモノに
なってしまうのであろうが。

次回シリーズ記事に続く・・・

ミラーレス・マニアックス(15)

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安価な中古ミラーレス機とマニアックなレンズでコスパの
良い「アダプター遊び」を楽しむシリーズの15回目。

さて、今回は、まず、このシステム。

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カメラは、いつものアダプター母艦、DMC-G1
レンズは、CANON New FD 135mm/f2.0である。



銀塩MF時代の135mm大口径はなかなか性能の高いものが多い、
このレンズは、CANON New F-1とほぼ同時期の1980年頃の
発売である。名機、新旧F-1との組み合わせは重量バランスも
良く、銀塩一眼最高峰のNew F-1のファインダーでのピント
合わせも容易であった。

大口径故に、やや大柄のレンズであり、重量は670gもある、
しかし、このレンズの良きライバルである NIKON Ai135/2
は、さらにこのレンズよりも200g近く重い。
c0032138_19513159.jpg

マイクロフォーサーズ機のG1に装着すると、このレンズは
270mm相当のかなりの望遠になる。
焦点距離が長かったとしても、最短撮影距離が短ければ
望遠マクロ的な使い方はできるのであろうが、あいにく
New FD 135/2は1.3mまでしか寄れず、一般的な望遠レンズ
として使うしか無い。
c0032138_195276.jpg

最短撮影距離の件は、ライバルの Ai135/2も、同様に1.3m
なので、まあ、そんなものであろう。
ただ、私が最強の135mmとしている、ミノルタSTF135/2.8
の最短撮影距離は87cmなので、それと比べてしまうと
見劣りはするが、まあ、時代も仕様も全く違うレンズなので
比較をする意味も無いかも知れないが・・

マウントアダプターを用いて小型軽量のミラーレス機に
装着するレンズとしては、重量バランス的に、このあたり
つまり、700g程度が限界であろう、ミラーレス機にしては
比較的大柄な DMC-G1は、こうした場合でもなんとかバランス
的に耐えられるので、そういう意味でもG1をアダプター母艦
の目的として利用している。

マイクロフォーサーズ機はセンサーサイズが小さく、焦点距離
(画角)が2倍相当になる、それを欠点と見てしまえばそれまで
であるが、長所と見なせばマイクロフォーサーズ機を主に望遠
レンズ用の母艦とする事が考えられる。この考えでいけばAPS-C
機やフルサイズ機は、広角系レンズの母艦により適している事に
はなる。ただし、オールドレンズの場合はレンズ周辺の画質が
収差や設計上の理由で劣化する場合があるため、それをカットする
目的であれば、センサーサイズが小さい事もメリットになる。
c0032138_19523554.jpg

レンズのボケ質は良好である。FDやNew FDの大口径レンズの
中では、撮影条件によるボケ質の破綻も起こりにくく、
なかなか優秀だ。

現代では、EOS用のEF135/2に、その優秀さは引き継がれて
いると思うが、そちらのレンズはやや高価である事と、MF版の
本レンズとスペックが被ってしまうので、購入していない。

レンズの使いこなしだが、望遠レンズであるから、基本的には
あまり絞って使う事は無い。開放f2からせいぜいf5.6程度迄の
間で使う事になるであろう。仮にそれ以上絞ってもパンフォーカス
となる事は(遠距離の平面被写体はさておき)立体的距離の被写体
であれば無いので、絞りの調整は純粋にボケ量の調整目的となる。

勿論、遠くの被写体をただ大きく写すものではなく距離の相互に
異なる被写体をどのように立体感を持たせるか?あるいは、望遠
レンズの圧縮効果を得ることが目的となる。
c0032138_19525458.jpg

「圧縮効果」というのは、望遠レンズを使うことで距離の異なる
複数の被写体の遠近感が見た目よりも無くなる事である。
逆に広角レンズでは「パースの強調」と呼ばれる、遠近感の誇張
が発生する、これらの遠近感が肉眼による見た目とほぼ同等の
レンズが、本来の意味の「標準レンズ」であるとも言えよう。

ズームレンズでは、この遠近感が連続的に変化する、ズームは
ただ単に、被写体の写る大きさを決める機能では無いという事だ。
ズームでパースペクティブ(遠近感)が変化する事は、構図上
大変難しい事であり、撮影距離と遠近感の両者を上手くバランス
する事。そして、それを撮影前に想定することが困難であるので
ズームは本来はビギナー向けの機材では無い。

単焦点レンズでは、その焦点距離を選んで持ち出せば、撮影中に
撮影距離以外の要素でパースが変わる事は無いため、被写体を
探す際に構図や立体感の予測がしやすく、結果的に撮り易くなる。

本レンズの入手性であるが、中古の玉数はかなり少ない。
FDレンズはデジタル全盛の今なお、使っている人が多いと聞く、
その理由の1つとしては、デジタル一眼レフのどの機種にも
アダプターを使ったとしても、FDレンズは装着しずらいからだ。
現在でもフィルムを使う事に抵抗がなければ、新旧F-1等の
優秀なボディが存在していて、依然中古の玉数も豊富なため、
FDレンズを使うには困らないであろう、そういう状況からすれば
これらを使っている人は、なかなか手放さないのかも知れない。

私は、このレンズを1990年代に4万円強で入手したが、
現在このレンズの相場は不明、つまり「時価」だと思う。
まあ、性能から考えると4万円前後というのが妥当であろう。

さて、次のシステム
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本格派のNFD135/2とはうって変わって、トイレンズだ。

カメラは、トイレンズ母艦として使用しているマイクロ
フォーサーズ機のOLYMPUS E-PL2である。

1万円以下で購入できるミラーレス機の中では、手ぶれ補正、
高感度、内蔵フラッシュ、解像度の高い背面モニター等の
強力なスペックを誇る。但し、MF時の操作系に、やや問題
があるため、f値が暗く(=すなわち高感度や手ブレ補正で
対応できる)ピント合わせの必要が少ないトイレンズとの
組み合わせが、お互いの欠点を補うような形で望ましい。

また、価格が安価なトイレンズに高価なボディはいかにも
アンバランスだ。デジタルカメラの価値の下落は著しく、
ほんの数年で、中古価格は発売時価格の数分の1まで急落する、
このため、高価な最新機種を買う必然性は殆ど無い。
その予算があればレンズの方にお金をかけるのが良いだろう。
なので、基本的に、ボディの価格がレンズを大きく上回って
はならないという原則が出てくる訳だ。

こうしたいくつかの理由で、E-PL2にはトイレンズ母艦の
役割を担わせているという事である。

レンズは、Lomography Experimental Lens Kitだ。
これはマイクロフォーサーズ用の、魚眼、広角、標準の、
トイレンズ3本セットで、新品価格は9000円ほどと安価だ。
1本あたり3000円、まあ、トイレンズの相場であろう。

今回使ったのは、魚眼風のレンズで 160°/f8という名だ。
c0032138_1954623.jpg

円周魚眼風の写り。デジタルカメラ用の円周魚眼レンズは
一般に高価であるが、このレンズは僅かに3000円相当だ。

ただ、写りは、画質という言葉ではまるで語れず、単に画像が
丸く写っているにすぎない。

マイクロフォーサーズ機の一般的なアスペクト(縦横)比の
4:3においては、円周魚眼は左右に大きく無駄な黒い空間が
出てしまうので、今回は正方形にトリミングして掲載している。

なお、このレンズの最短撮影距離は5cmと極めて近い。
ただ、ピント目盛りは、5cmとINF(無限遠)の2つしか
書かれておらず、極めてアバウトだ。そして、ちゃんとピントを
合わせようとしても、そもそもレンズの解像度が低すぎて、全て
ピンボケに近い写りになる。

しかし、トイレンズの画質をうんぬん言うのは方向性が間違って
いる、もし低予算で高画質のレンズが欲しければ、MF時代の
各社のf1.7級の小口径標準レンズを中古購入すれば、現代でも
通用する程の高画質であるし、価格は2000円~5000円程であり
トイレンズと同等の価格帯だ。

トイレンズに求めるべきは、1つは変わった、つまり個性的な
写りであり、もう1つは、ノーマルなレンズでは得られない
予想のつかない写り、つまり突然変異的な写りを求める事だ。

一般的レンズの写りを熟知していれば、撮影時には様々な事象
が自身のコントロール下におけて、楽かもしれないが、逆に、
ありきたりのルーティーンになってしまい、新しい発見や
創造がやりにくくなるという課題も出てくる。
そんな際に、自身では完全にはコントールできないトイレンズで、
突発的な写真を撮る事が、新たな方向性への刺激となるわけだ。
c0032138_19542820.jpg

たとえば上の写真は単純な風景だが、木の間から直接太陽光が
レンズに飛び込んでくる、ここでカメラの角度をほんのわずか
傾けるだけで、木漏れ日が強烈なゴーストやフレアとなって
なんだかわからない写真となる、かといって、そうした光の
効果がなければ、これはつまらない被写体だ。なので、光を
最適にしようと少しづつカメラを傾けるのだが、そうなると
魚眼の効果は、わずかなアングルで変化する、すなわち、何度
か本シリーズの魚眼の記事で書いたが画面の中心から放射状
に引くことができる対角線上の被写体しか直線にはならない、
という特徴が変化し、すなわち、ほんの少しだけ傾けるだけで、
魚眼の写真はまったくと言っていいほど別モノになる。
それと逆光の効果(フレア、ゴースト、光条など)の組み合わせ
は予想することは不可能であり、偶然性に頼るしか無いのだ。

そこがトイレンズの面白さであり、逆に言えば、自分が全く
コントロールできないため「カメラに使われている」気に
なってくるため、イラついて、極めて早く飽きが来る。
尤も、ビギナーの場合は、レンズをコントロールするという
概念は無いため、飽きは、なかなか来ないかも知れないが、まあ、
いずれにしてもレンズの偶然性に頼ってばかりでは意味が無い
であろう。
c0032138_19551126.jpg

最近の私の興味としては、魚眼レンズまたは魚眼風トイレンズ
を用い、イメージサークルが合わない事は無視あるいは逆用し
あまり魚眼っぽく無い(極端なデフォルメの無い)写りを狙う
事である。上の写真もそんな雰囲気を出そうとしている。

さて、このシリーズでは過去4本くらいの魚眼(風)レンズを
紹介しているが、まだ数本持っていたと思うので、機会があれば
また取り上げてみよう。

次のシステムは、
c0032138_1955393.jpg

カメラがSONY NEX-3である。NEX-5とならび最初のEマウント機
である。MF性能やMF操作系に課題を持ち、小型のAFレンズの
専用機にするのが望ましいが、MFでも広角レンズを用いれば
ある程度その欠点を緩和できるので、広角およびトイレンズ
母艦として利用している。

レンズは、SIGMAのMFレンズ、14mm/f3.5である。
恐らく1980年代のレンズであり、各マウント用のものが発売
されていたと思う、私は1990年代にニコンマウント版を
3万円台で購入している。

ただし、今から考えると購入価格は少々高すぎたように思う、
まあ、銀塩時代では、14mmという超広角レンズは珍しく、
存在そのものがレアであったので、見かけたらついつい欲しく
なってしまったのだ。
c0032138_1956617.jpg

けど、銀塩時代、ニコンF4やFE2などに装着した際は、その
超広角を持て余し気味であった、何を撮ったらこのレンズの
特徴が活かせるかが、さっぱりわからなかったのだ(汗)
ただただ広い画角は、何が撮りたいか中心となる被写体を定める
事ができない。今時のデジタル時代のように近接撮影をする
事などは、銀塩時代のフィルムコストや、ファインダーを
覗く必然性、などの面で、やりにくい撮り方であったので、
普通にカメラを構えて、広く撮るしかない。
けど、その方法では、撮りようが無いのだ。

そして、2000年代、デジタル時代になると、まずはニコンに
おいてもAPS-Cサイズのセンサーのボディしか存在していなかった。
加えて、ニコンのデジタル一眼では、高級機でないと、旧Ai
マウントのレンズは露出計が、わざと動作しないような差別化
仕様になっており、私は2004年ごろに高速機D2Hを入手するまで、
このレンズを使うことができなかった。おまけにAPS-Cセンサー
であるから、せっかくの超広角14mmは21mm相当と、特徴の無い
画角になってしまう。

そんなわけで、銀塩時代からデジタル時代を通じ、なかなかこの
レンズを使う機会は少なかった。
そして、たまたまこの個体は、何かしら問題を抱えていたのか、
防湿庫にしまっておいたにも関わらず、多少のカビを培養して
しまったようだ、レンズ外装も、なんだかベタベタとするし
どこからかオイルやグリスが染み出しているのかもしれない(汗)

カビに加えレンズの元々の性能的な問題も絡んでいるのであろう、
今やこのレンズは極端に逆光に弱いレンズに落ちぶれてしまった。
上写真のように、画面の上部とか光源のある方向に対して、
すぐにフレア(画面が白っぽくなる)が盛大に発生する。
カビ問題は承知していたので、フレアを回避するような撮り方
には注意しているのだが、それにしても完全に防げる訳ではない。
c0032138_19562481.jpg

だから、せっかくの超広角レンズ(まあ、NEX-3へに装着して
いるので、21mm相当ではあるが)であるのに、画面を広く
捉えるような撮り方は、ご法度だ、カビと性能劣化により
強烈なフレアが発生する。昔の私であれば、すぐ修理に出したの
かも知れないが、今はちょっと考え方も変わってきて、レンズに
何らかの性能上の問題があるのならば、それを回避したり、逆用
する事に興味がいっているので、変なレンズは基本的に歓迎だ。

だが、結局、広角レンズなのに広く撮るという事が出来ない
(フレアが発生する)という重大課題を回避するには、
近接撮影で、背景を限定して逃げるという方法しかなさそう
なのは撮影途中でわかってきた。
なので、今回は、全て近接撮影のスタイルとなっている。
c0032138_19564574.jpg

レンズの欠点、加えてメンテナンスの不備、さらにはカメラ
自体でも、MF操作系の欠点など、マイナス要因ばかり
あげていたら、一見メゲてきそうな状況であるが・・
NEX-3の弱点を緩和する超広角レンズの使用、そして、
レンズやメンテの欠点を緩和するフラット光近接撮影、との
組み合わせにより、なんとか課題の回避ができたように思う。

まあ、欠点ばかりグダグタ言わず、それをどうやって克服するか
が、アダプター遊びの面白さの根幹であるという事だ。

さて、次は今回のラスト。
c0032138_1957356.jpg

カメラはDMC-G1。毎回変わり映えしないが、まあ、
アダプター母艦であるのでいたしかたない。
そして、アダプター母艦であれば、最新のG7とかにする理由が
全く無いのだ、それは数値上のスペックはG7の圧勝であるが、
スペックの数字には現れない様々な長所がG1にはある、だから
単純に値段が安いという理由だけでG1を使っている訳では無い
という事だ。
いちおう新型機としてG5を使っているが、それとて中古で
1万円台後半で購入したものであり、G5の仕様上の理由から、
超大口径ノクトン42.5mm/f0.95および超望遠レンズの
専用機としている。 

それ以外の場合は、G1で何ら問題は無い。
ボディとレンズの組み合わせは意味があるものでなくては
ならない、と毎回言っているように両者の欠点を相殺する事だ。
ただデタラメに組み合わせるだけでは、アダプター遊びを
楽しんでいるとはいえず、そればかりか不適切に組み合わせた事で、
両者の欠点を相乗効果で増してしまうような状態においては、
利用者のカメラや写真についての理解度を露呈していまうようで、
極めて格好が悪い。

さて、レンズだが、KONICA AR HEXANON 57mm/f1.4である。

ARマウントレンズは何度か本シリーズや昔の記事で紹介して
いるが、銀塩MF時代のレンズであり、その後のAF一眼レフ時代
およびデジタル一眼レフ時代では使用できなかったレンズで、
現代のミラーレス時代になって、やっとアダプターで復活できた
レンズ群である。

HEXANONというレンズのブランド名は、昔は神格化されていた、
まあ、確かに1960年代~1970年代であれば、このARレンズ
程の描写力があれば、他社のレンズよりも優位性は高かった
事であろう。
ただ、私がこのARレンズを使っていた一眼レフはAcom-1や
オートレフレックスT3であったが、いずれも1980年代には
生産を止めてしまっていた、私が入手したのも生産中止後の
中古であった。そこから、およそ30年近くの時代の開きが
ある、ミラーレスでやっとARレンズが使えるようになった
からと言え、今になって「おお、HEXANONは凄いなあ」と
感動する筈も無い、古いレンズはあくまで古いレンズなりの
性能しか無い訳だ。
c0032138_19572851.jpg

しかし、古いレンズと言っても、やはりHEXANONは良く写る、
AR 57mm/f1.4は、ARヘキサノンの中では、イマイチだった
ように記憶していたが、思っていたほど悪くない。

マイクロフォーサーズ機のDMC-G1をオールドレンズ母艦と
しているので、この小さいセンサーサイズが、レンズ中心部の
最も美味しい性能の部分だけを切り出してくれている可能性
も高い、すなわち、レンズの設計上では、どうしてもレンズ
周辺部の画質や収差は、レンズ中央部より劣ってしまうという
事である。オールドレンズほどその差異は顕著となる。

レンズ中央部と周辺部の画質の差、という意味を簡単に体験
したければ、虫眼鏡で新聞などの文章を見たら一発でわかる、
レンズ中央だけは文字がはっきりしているが、周辺では文字が
流れて見える。
虫眼鏡は1枚のレンズであり、これが単玉の場合の性能限界だ、

このため、様々な光学機器においては、複数の異なるレンズを
組み合わせ、こうした問題(収差)を回避しようと努めている。
そうした光学機器の1例としての(天体・地上)望遠鏡ですらも、
また同様に周辺の画質が若干劣化する傾向がある。
写真用レンズは、そうした面に配慮して設計されてはいるが、
それでも完全に中央と周辺の画質を均一にする事は困難だ。
(不可能と言っても良いかも知れない)

ましてや様々な複雑な計算を要求するレンズ設計だ、
1960年代では、コンピューターも無く、優秀な技術者が
手書きでレンズを設計していたと聞く(勿論現代では
全てコンピューター半自動設計だ)なので、現代よりも
むしろメーカー間、いや、設計者の技術力の差が製品の性能の
差に反映されやすい時代であっただろうと思われる。

で、余談が長くなったが、マイクロフォーサーズ機が、
レンズ中央部の性能の良い部分だけを切り出して使えるので
あれば、これは、多くのオールドレンズに対して、収差を
低減させ、すべて性能を向上させる事ができる魔法のカメラ
ではなかろうか?まあ原理的には、まさにそういう事になる。
銀塩一眼やフルサイズデジタルで使ったら、欠点が目立つレンズも、
小さいセンサーのカメラではそうならないという事だ。
c0032138_1957508.jpg

逆光気味ではフレアが発生する場合があるが、まあぎりぎり
回避しながら使えるレベルであろう、前述のSIGMA 14mm/3.5
では、性能やカビ問題で、もうどうしようもなかったが、
それに比べれば極めて快適だ。

ちなみに、レンズフードの使用で、「ハレ切り」すなわち
正確な言葉で言えば「ハレーションの低減」の効果が得られる
可能性も高い、だが、私は最近はすっかりレンズフードは
使用しないようになってしまった。

銀塩時代は神経質なくらいに、レンズには、その純正フード
または汎用フードで仕様の合うものを装着していたのだが、
デジタル時代になり、まず(APS-C機などで)画角が合わなく
なって、フードの効果が疑問になってしまった。

そして、フード無しで撮ってみると、もちろんフレアや
ゴーストの発生確率は高くなるのであるが、逆に、それらを
積極的に取り入れて撮影するのも面白いと思うようになり、
あるいは、どんな状況で、ゴーストやフレザが発生するか、
というのもあえてフードを使わない事で、よりそのあたりの
限界点に対する感覚がシビアになってくる、というメリットも
出てきたのだ。そして、フードはますます使わなくなり、今では
大きなジュラルミンのカメラケースの中に、数百個のレンズ
フードがしまわれている状態だ、一応ジップロックで、mm径
あるいはメーカー別に分類はしているのだが、1本レンズを
使おうとするたびに、その「玉手箱」を開いて、純正フードを
探すのは極めて面倒臭い、という訳なのだ。

ちなみに、観光地などで、ビギナーが一眼レフに高倍率
標準ズームや、キット望遠レンズなどを使っているのを見る時、
その2割~3割もが、レンズフードを前後逆に(収納態勢のまま)
使っているのを見かける。これは銀塩一眼時代でもデジタル一眼
時代でもいずれも同様であった。
まあつまり、フードをつけたまま大柄なレンズのついた一眼を
収納するのが困難だからという事であろう。
カメラ好きであれば、それらも意識してバッグなどを考える
のであるが、ビギナーであれば、一眼レフは旅の1つの持ち物
にすぎないのだ。

ただ、フードを前後逆付けするのは、デメリットが3点もある。
1)本来の遮光効果が無い 
2)カメラを落としたりぶつけたりした際、
クッション代わりとなってレンズやボディを守る効果が無い
3)MF操作、ズーミング操作の邪魔になる
ということで、前後逆付けするくらいならば最初からフードを
持って来ない方がまだマシだと思う。

ましてや高倍率ズームなどでは、広角側でケラれないように
する(フードが写真に写らないようにする)と、望遠側での
フードの効果が少なく、結局、あまり効果の無いものとなって
しまう。つまり、ズームは、単焦点レンズほどにはフードの
効果が無い、と言っても良いであろう、なので、収納に困る
ような状況であれば使わないという選択肢もありだと思う。
c0032138_19581665.jpg

フードがあろうが無かろうが、写真というものに光の効果は
欠かせない、フレアやゴーストといったネガティブな要素
のみならず、光条や光芒といった、むしろ積極的に利用したい
要素もあるからだ。
 
ちなみに「光条」においては、レンズの絞り羽根の枚数
との重要な関連がある、偶数絞り羽根の場合は同数、
奇数絞り羽根は、その2倍の光条が出る、これにはフーリエ
級数という原理が関わるのだが、複雑なので説明は割愛する。

上写真の光条は6本なので、 AR57/1.4の絞り羽根枚数は、
6枚である事が容易にわかる。
c0032138_1958354.jpg

AR57/1.4 の最短撮影距離は、45cmである。
50mmの標準レンズの一般的な最短撮影距離は45cmであるが
このレンズは、57mmと少し長めの標準なので、マイクロ
フォーサーズの画角2倍とあいまって、近接撮影には強い
印象が出てくる。
まあ、とは言え、勿論マクロレンズまでは全然至らないし
マクロレンズと違って近接撮影で最も性能を高めるような
設計もされていない。

レンズの入手性であるが、まあ、現代において中古の玉数は
極めて少ないと思われる。15年ほど前に私が購入した時点での
価格は9000円程であったが、もし今中古が出たとすれば、もう
少し高くなるかも知れない。

以前の AR35/2.8の紹介記事でも書いたが、ARレンズは
オールドレンズの入門用には適しているかもしれない。
現在、どのミラーレス機でもアダプターで自由に使えるし、
性能もそこそこ悪くない、そして中古相場もあまり高くは
無いと思うので、見つけ次第購入しても後悔は無いと思う。

さて、文字数がそろそろ限界だ、次回シリーズに続く・・

ミラーレス・マニアックス(16)

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安価な中古ミラーレス機とマニアックなレンズを組み合わせ
「アダプター遊び」を楽しむシリーズ第16弾。

さて、今回は、このシステムから。

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カメラはSONY NEX-3 、Eマウント初号機であり、中古で1万円
以下で買える。基本性能は高いがMF時の操作系に弱点を持ち、
AFレンズを装着する以外の場合には、ピント合わせに負担の
少ないトイレンズや広角レンズと組み合わせるのが良い。

レンズは、フォクトレンダー スーパーワイドヘリアー15mm/f4.5
1999年に、コシナがベッサLと同時に発売したレンズだ。

ベッサLは、ライカLマウントのレンジファインダー機であるが、
距離計を組み込まず、目測ピントのカメラである、このため、
ベッサLの標準(?)レンズというべき本レンズは、レンジ機の
例の連動距離計の最短撮影距離=70cmの制約を受けず、
30cmまで寄ることが出来る超広角レンズだ。

発売当初から極めて評判が良く、当時流行していたCONTAX
Gシステムの16mm/f8 ホロゴンが極めて高価であった故に、
「プアマンズ・ホロゴン」と、このスーパーワイドヘリアー
(以下SWH)15mm/f4.5を呼ぶマニアも居た。
しかし、その呼び名からわかるように高価なGホロゴンや、
それ以前の本家ホロゴンに匹敵するだけの描写力を持つ
という賛辞でもあった訳だ。
c0032138_19402386.jpg

NEX-3はAPS-Cサイズのセンサーなので、SWH15mm/f4.5
の画角は、換算約22mm相当となる。
このマウントアダプターは設計の問題か?Lマウントレンズが
少し傾いて装着されてしまう、SWH15mmには固定の花形
フードがついているが、画角が狭くなっている為、傾いて装着
しても画面がケラれる事は無い。
c0032138_19413478.jpg

周辺減光が発生するが、銀塩時代(又はフルサイズデジタル)
ほどは出ない。ちなみに銀塩時代、私はBESSA-Tに装着して
使用していた。

SWH15mm/f4.5の使いこなしであるが、まず絞りをf8~f11に
設定する、これだけ絞り込むと天候およびISO感度によっては、
シャッター速度はかなり低速になるので、手ブレや被写体ブレに
注意する必要があるが、この日のような晴天ではf11にして
AUTO-ISO設定で十分だ。次いで、ピントリングを廻し∞マーク
を被写界深度目盛りのf11(または設定した絞り値)に合致
させる、すると、距離指標は0,7m前後を示し、反対側の被写界
深度目盛を見ると0,4mなので、これで0.4m~∞までピントが
合うパンフォーカスカメラとなる。

ちなみに、被写界深度は銀塩(35mm判フィルム)と、デジタルの
APS-Cセンサーでは異なり、センサーサイズが小さいデジタルの
方が深い、なので厳密に言えば、もう少し余分にピントリングを
廻して、ほぼ全域パンフォーカスとすることができる。

ただし、近接撮影時(概ね50cm以下)の場合は、ちゃんとピント
合わせをする必要がある、とは言え、ピントリングをぐいっと
最短に廻すだけで良い、絞りがある程度絞ってあれば、それで
ピントはだいたい合う。

NEX-3はMFでの操作系に弱点を持つカメラであるが、このような
ピント合わせがほぼ不要なレンズと組み合わせると、使えるカメラ
となる。いつも言っているが、レンズとボディのお互いの欠点を
打ち消す組み合わせが正しいマウントアダプター利用法である。

あとはもう少しNEXの電源ONからの起動速度が上がってくれれば
「速写カメラ」として最適なのであるが、残念ながら、そこまでは
期待しすぎだ。

そして、NEX-3には、スイングパノラマという機能が組み込まれて
いる、これはカメラを振って撮影し、自動的にパノラマ写真を合成
するものである。この機能は広角レンズで使った方が効果的なので
SWH15mmでやってみよう。
c0032138_19434486.jpg

このパノラマ画像、幅が異様に大きい、ブログに貼れる横幅まで
縮小すると、とても小さい画像になってしまう・・(汗)

まあでも面白い、ピント合わせが不要なSWH15mmなので、
スイングパノラマで、がんがん振り回しても(笑)不安は無い。
けど、露出は一定なので明暗差が大きい被写体には適さないが・・
(ちなみに、縦にパノラマする事も可能である)

---
さて、SWH15mm/f4.5であるが、実は後継機が今なお生産
されている、このレンズは初代であるが、Ⅱ型からライカMマウント
に変更された、ただし、その為、距離計と連動する必要性が
出た故に、最短撮影距離が初代の30cmから、Ⅱでは50cmと
ダウングレードしてしまったのは残念である。

さらに、現在はⅢ型となっている、光学系を少し変更している
模様であるが、レンズのサイズが大きくなって、同時に価格も
かなり高くなってしまった。

ちなみに、初期型の発売時の価格は、資料が残っていないが、
確か5~6万円程度だったと思う、私は2000年代初頭に中古で
35000円で購入した。 
c0032138_19445929.jpg

一般に、寄れないことが不満であるレンジファインダー機用広角
レンズであるが、まあ、このSWH15mm/4.5(初代)の30cm
というのは,そうした中ではまずまずの性能だ。
描写力は昔からの評判どおり良い、APS-C機やマイクロ4/3機
では周辺減光が少ないが、それを良いと見るか悪いと見るかは
微妙な判定。
私は、どうせならば盛大に周辺減光が出た方が超広角レンズらしい
と思うので、NEX-3との組み合わせでは、その点、やや不満だ。
(周辺減光を期待する向きには、フルサイズのα7につければ適正と
思うが、カメラの方がレンズ価格を大きく上回りアンバランスだ) 

良いレンズであるが、しかし、NEX-3にあえて組み合わせるべき
レンズであるかどうかはやや微妙。というのも、NEXにはE16/2.8
という純正AFパンケーキレンズが存在していて、こちらは現代風の
写りをするまずまずのレンズであり、価格も1万円強と安価である、
外観上も機能的にも、それをつけた方がNEXらしい、とは思う。

ただまあ、E16/2.8とSWH15/4.5では、スペックもレンズの
質感も描写の特徴も、全てが異なるので、そういう差に拘るので
あれば、まあ、このレンズも悪くないかと思う。
ただ、中古価格は結構値上がりしていると聞く、Ⅱ型やⅢ型の
定価が上がってしまったのも原因であろう、このレンズの性能
からすれば、3万円台までが適正価格と思うので、中古を
見かけた場合は価格チェックを忘れずに。
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次のシステムだが、カメラは毎度おなじみアダプター母艦の
LUMIX DMC-G1である。

レンズは、京セラ・コンタックスのマクロプラナー100mm/f2.8

1980年ごろのレンズである。銀塩時代のマニアの間では、
プラナー85mm/f1.4と並んで「神格化」されたレンズである。

ドイツ製版、日本製版があって「ドイツ製の方が写りが良い」と、
まことしかやにマニアの間で囁かれていたが、果たしてそれは
どうだろうか?高価なこのレンズを2本所有して厳密に同じ条件
で撮り比べた人など、まず居なかったであろうから、都市伝説の
類かも知れない。あるいは、中古相場は西独版の方がやや高価で
あったので、高い方を買った人が言い出した事かも知れない。
c0032138_1948528.jpg

最短撮影距離は、目盛りは45cmであるが、もう少し寄れる。
本レンズは等倍マクロである、マイクロフォーサーズ機で使うと、
200mmの2倍マクロとなるので、ちょっと持て余し気味だ。

重さも重くヘリコイドも重い上に、最短近くまでピント合わせを
する際には、その重たいヘリコイドをグルグルと何回転もさせ
なくてはならない、この回転数の多さは、後の時代のコシナ製
フォクトレンダー・マクロアポランター125mmF2.5SLと
匹敵するくらいであり、要は決して使いやすいものでは無い。

描写力は・・・まあ、マクロレンズは、銀塩時代後期のもので
あれば、どれを選んでもまずハズレは無い、どれも良く写るのだ。
例の「プラナーボケ」が出る場合がある、つまり、もう1つの
京セラ・コンタックスの神格化レンズ、プラナー85mm/f1.4で頻繁
に発生する「ボケ質の破綻」がこのマクロプラナーでも出るのだ。

銀塩時代、開放測光のファインダーでは、ボケ質の破綻は撮る
時にはわからなかった、プレビューボタンを押して絞り込んでも
暗くスリガラスに写る映像は、正確なボケ質を表してくれない。
なので、数日して現像があがってきて「ゲゲッ」とボケ質が破綻
している事に気づくのであるが、その時の撮影距離や絞り値など
覚えているはずもなく、マニアの間でも、「たまに出る」とか、
「出なかったら良いのだが」とか、まるで学校の幽霊のような
言われようであった(笑)

しかし、今、ミラーレス時代、アダプター使用時は、レンズの
絞りは直接絞られ、撮る前にボケ量やボケ質が見れる。
EVFや背面モニターであっても、やはり完璧にはボケ質再現は
できないが、目安にはなる。
そして撮った直後に画像を確認して、完全では無いが、良否を
判定することも出来る。デジタルの撮影コストは低いので、心配で
あれば、撮影距離、背景距離、絞り値、背景の絵柄(パターン)
のどれか、あるいは複数を組み合わせて変更して撮影しておけば、
ボケ質の破綻していないものも混じっているはずだ。
この回避方法を知っていれば、プラナーであっても怖くない(笑)
c0032138_19511425.jpg

このレンズは、銀塩時代は、ファインダーが優れた初代RTSに
主に装着して使っていた、1990年代の後期MF時代のコンタックス
機は、なかなかゴツくて良さげなカメラも多かったが、どれもしっくり
せず、結局のところ、1975年製の初代RTSに戻ることが多かった。

唯一、AXというカメラだけは、MFレンズを擬似AF化する事ができ
(なんとレンズが動かず、フィルムが動くという大仕掛け!)
加えてフィルム位置を後ろに下げるとエクステンションチューブを
使っているのと同じ原理で、全レンズをマクロ化する事ができた為、
AXと、マクロプラナーを組み合わせ「スーパー・マクロプラナー」
みたいな使い方をして遊んでいた事もあった。
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久しぶりに持ち出してみると、ともかく重いレンズである、
おまけにヘリコイドの操作性が悪いため、とても疲れる(汗)
描写力はまずまずだが「神格化」される程でもなかろう。
プラナーボケの回避にも気を使う。

値段が高価であったのが「神格化」された最大の理由だと思う、
確か、1990年代、このレンズの定価は20万円近くもしていた。

しかし、発売期間が長かったため中古の玉数は豊富であった。
程度によっては安価な中古もあり、私は、1990年代後半に
82000円で購入した。デジタル時代になってからは、Y/C(ヤシコン)
レンズをEOSにつけるアダプターが安価に普及していたので、それで
使っていた。ただ、個人的な好みでは、このマクロプラナー100/2.8
よりも プラナー100mm/f2の写りの方がはるかに好きであり、
そちらはむしろ、このレンズより高価な10万円強で購入していた。
(いずれP100/2も本シリーズで紹介予定である)
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さて、正統派のマクロプラナーの次は、うって変わって、
超怪(あやし)げなレンズである。

SICOR 24mm/f3.5 これは韓国の南大門の中古カメラ店で
1990年代後半に購入したものだ。韓国の中古カメラ屋は値段が
書いていないので、筆談で交渉の結果、4万ウォンで入手した。
当時の円相場からすると、日本円で4千円くらいである。

買ったは良いものの、マウントすらなんだかわからかなった、
ただ、当時は(まあ、今でもだが)、ほぼ全てのマウントの
銀塩カメラを所有していたので、帰ってから、どれかのカメラには
付くだろう、という気楽な気持ちであった。当時は中古カメラブーム
であったので、4000円で買えるレンズなんて日本にはなかなか
無かったのだ。
万が一、どのカメラにも付かなくても、韓国土産と思えば良いか、
という気持でもあった。

帰国後、カメラをとっかえひっかえしてみても、合わない、
「しまった、ハズレか・・」と一瞬思ったが、最後に、コニカの
一眼レフにつけてみるとぴったり。
「ふう、ARマウントだったのね(汗)、しかし、何故コニカ?」

そして、レンズの名前もメーカーもよくわからない、「SICOR」と
書いてあるので「シッコールかなあ?」とずっと思っていた。

読み方の疑問がとけたのは、ネット時代に入ってからである。
検索によると、どうやらこれは「サイコール」と読むらしい、
どうしてそれが正しいとわかるか?と言えば、このレンズには、
日本版が存在し、何と、そのレンズには「サイコール 」とロゴが
カタカナで明記されているのだ(!)

「日本製のレンズだったわけね」まあ、出自はわからないけど、
こういう怪しげなものは、たいていコシナ製とかであろう。
当時のコシナはOEMメーカーであり、有名どころから、殆ど
名前を聞いた事のないマイナーなメーカー(ブランド)まで、
およそどんなレンズでも(カメラですらも)作っていたからだ。
(まあ、あるいはシグマ製かもしれないが、まあそのあたりは
どうでも良い、問題は写りなのだ)

さて「サイコール」の写り。最高というからにはどんなものか?
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実は、このレンズを購入したとき、1つの大きな特徴を見つけて
いたのだ、それは最短撮影距離であり、24mmレンズなのに、
およそ16cmまで寄ることができる!私が知っている限り、
24mmレンズとしては、この最短撮影距離の性能はトップだ。
SIGMA AF24mm/f1.8も、旧型のSIGMA 24mm/f2.8も
かなり寄れるのだが、ここまでには及ばない、この点については
まさしく「サイコー(ル)」であろう。

ただ、写りはサイコーとは言いがたい(汗)、ボケ質は常時悪く
いくら近接撮影性能が高くても、このボケ質ではマクロレンズとして
使う気にはなれない、そしてコントラストが低く、フレアっぽい。
逆光性能も低い、フレアに加えてゴーストも出やすい。
以下その例。
c0032138_2032332.jpg

本格派レンズとして使うよりも「トイレンズ」と認識して使うのが
良いかも知れない。ただ、トイレンズと見れば「写りすぎる」ので、
期待する「ゆるさ」も無く、なんとも中途半端な位置づけだ。
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まあ、完全な「お遊び」レンズである、価格が安かったので幸い
したが・・ けど、値段の事を言えば、2010年ごろに地方各地の
DPE店が現像需要の低下で次々に閉店した際、それらの小規模
店舗に残っていた多数の銀塩一眼と付属レンズが中古市場に
流れたことがあった。うち、使えるレンズは再整備して1万円とかの
値段で売られたが、キズ、カビなどのB級品レンズは整備するのも
コストがかかるため、ジャンク扱いで1000円~3000円の価格で
いくつかの量販店で販売された時期がある。私は、そのあたりの
ジャンクレンズの中から、使えそうなものを数十本購入したのだが
外観はともかく写りはまともなものが多かった。特に小口径標準
(例、ミノルタMC50mm/f1.7)あたりは、その最たるもので、
1000円という捨て値ながら、時に、現代のレンズをも凌駕する
ような描写力を見せるので、ある意味痛快な気分であった。

まあ、それらに比べると、4000円は高いじゃあないか(笑)と
思うのだが、ジャンク品は、まあ言ってみれば「訳有り物件」で
あったので、値段で比較する方が間違っているのだが・・

まあ、「サイコール」もLUMIX DMC-G1の優れた操作系に
おいては写りはともかくとして、そこそこ快適に使うことはできる。

ちなみに「操作系」の話であるが、MF銀塩時代にはあまりなかった
概念ではある。MF銀塩時代は、絞り、シャッター速度、ピントの
基本的な3要素だけを使いやすくすれば、カメラはそれで良かった
訳だ、だから操作系の「系」と呼ばれるような複雑な関連は
それらには無く、せいぜい「操作性」すなわち、ボタンやダイヤル
の位置や形状が使いやすくなっているかどうか?が問われる
時代であったと思う。

で、AF時代となって、銀塩カメラの操作も若干複雑になってきた。
AF時代のさきがけとなったのは、1985年のミノルタα-7000で
あったが、他社もAF一眼で追従するようになると、ミノルタは
次のステップとして極端な自動化を進めることになった。

例えば、1990年代前半、ミノルタの一部のコンパクトカメラには
オートズームと呼ばれる機能があった。これは、人物など中距離の
被写体にAFでピントを合わせると、自動的にズームの画角を調整して
半身の写真とするものである。これは当然「いらぬおせっかい」
であり、不評であった。ミノルタ一眼においても、様々な自動化と
いう名のおせっかい機能が増えていき、α-7000で築いた
AF時代のパイオニアという名声が薄れつつあった。

ミノルタは1990年代半ば、それらのいきすぎた自動化の方針を
転換し、ユーザーインターフェース、すなわち「操作系」の改善を
はかり「使いやすいカメラ」を目指した開発が始まった。

その成果が実った最初の機種は、1995年のαー507siであろう、
これは中級機であったが、ある意味UI改善の実験機的な立場でも
あったかも知れない、地味であったが良く出来たカメラであった。

α-507siでつちかったと思われる「高度な操作系」のノウハウは
その後、1998年のフラッグシップα-9に引き継がれる、そして
最後に出たのが究極の銀塩一眼レフ「α-7」(2000年)である。
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α-7(AF35/1.4装着)これは2001年のLimited(限定版)である。
ミノルタは、1985年のα-7000以降、革新的なカメラを出す
たびに「7」の型番をつけていた。(これは現在のSONY α
にも引き継がれている伝統だ)
で、この「α-7」は、革新と言うよりは、まさに究極、言ってみれば
「操作系」のバケモノであった。

1例をあげると、一眼レフでは、AEロックボタンを押す事により、
露出を固定できる、たとえば露出を固定したまま構図を変更する
際などに有効な機能だ。だが、ほとんど全ての一眼レフでは、
AEロックボタンを押した際、露出計は「休眠」してしまう。
つまり、なにもしないでサボっているわけだ(笑)

αー7は違う、AEロックを押したら、露出計は自働的にスポット
測光に切り替わる、ロックした露出値が、露出メーターの真ん中に
グラフ表示され、「スポットメーター」化したαー7は、構図を
任意の場所に向けると、その位置の露出値と、先ほどロックした
露出値との差をグラフ上に2つの点で表してくれる、これは凄い!

何故この機能が凄いかといえば、ポジフィルムで写真を撮る際、
ポジには「ラティチュード」という明るさを表現できる幅があり、
それが5~6EVと狭いので、基本的に明暗差を押さえながら撮影
するか、あるいはトンでしまうのを覚悟の上(例:ハイキー表現)
で撮影する必要があるのだ、先のスポットメーターは画面の構図
上の各部位の露出が、ユーザーがAEロックで決定した基準露出から、
ポジのラティチュードに含まれるかどうか、が一目瞭然な訳だ。

ちなみに、デジタルでもDレンジと呼ばれるラティチュードに相当
する値はポジ同様に低い。そのため、すぐ白トビや黒つぶれを
起こすのであるが、デジタルでは、上記のα-7のような複雑な
手段で、それを確認しなくても、ともかく撮ってみて、白トビ警告
等をチェックした方が早い訳だ。

まあ、この例に限らず、ともかくα-7の操作系は凄かった。私は
最後の究極の銀塩一眼として、2000年代後半まで愛用していた
のだが、さすがにその後は、もうフィルムでは撮らなくなってしまった。
それに、ミノルタは、2003年にコニカミノルタとして合併し
銀塩カメラはもう作らなくなってしまっていたのだ。

だが、2004年に、コニカミノルタよりα-7のUIのコンセプトを
そっくりそのまま引き継いだ α-7 Digitalが発売された。

「ボディ内手ブレ補正」を初めて搭載し、どんなレンズであっても
手ブレ補正にしてしまう(注:焦点距離伝達接点が無いレンズでは、
確か85mmがデフォルトとなり、焦点距離を任意には選べない)
という衝撃的なスペックであったが、価格も高く、198,000円も
していた。私は1年だけ待って、2005年に約10万円で中古購入。

究極の銀塩一眼のαー7のデジタル版ということで大いに期待
したのだが・・・
c0032138_20152663.jpg

第一印象は「ボタンが多すぎる!」
まあ、デジタル化したことで、大幅に、操作しなくてはならない項目
が増えたので、これはやむを得ない、けど、肝心の「操作系」は、
銀塩時代のα-7とあまり変わらないものであったのだ。

「だったら優秀では?」・・いや、違う、前述の例のとおり、
AEロックスポットメーター機能などは、デジタル化した状態では
不要なのだ、白トビ警告を見た方が早い。

なので「操作系」は、デジタルになった瞬間、また異なるレベルを
要求されるものとなってしまっていたのだ。
しかし、コニカミノルタ発足から僅か1年で発売した機種だ、
極めて評価が高かった「優等生」αー7を、そっくりそのまま
コピーしたのも、やむを得なかったのかも知れない。

αー7 Digitalの操作系はデジタル用には適していない部分もある。
例えば銀塩αー7の特徴であった、カメラ上部の、1/2 ,1/3段
手動切り替え型露出補正ダイヤルだが、これはデジタルにおいて
銀塩時代より、より頻繁に露出補正操作を必要とする以上、
例えばネガフィルムで、上部ダイヤルで半固定的に露出補正を行う
場合とは異なる操作系が要求される。

具体的にはデジタルでは前後ダイヤルで絞りと露出補正操作を
行うのが適切なのだ、だから上部の露出補正ダイヤルはデジタル
では不要だ、その代わり、銀塩時代にはフィルムで決まってしまった
ISO感度が、デジタルでは調整が必須なので、もし、α-7Digitalの
上部ダイヤルがISO感度であったら、それだけでも、ものすごく
使いやすいカメラになっていたに違いない。
そして、多くのカメラパラメータ設定は、銀塩αー7から引き継いだ
背面液晶モニターを兼ねた「ナビゲーションデイスプレイ」に
表示される。ただし、表示されるのみであり、銀塩では、それでも
良かったのだが、デジタルでは、それをGUI(グライフィカル
ユーザーインターフェース)とし、そこで機能を変更できるように
したならばさらに適切であった。 
まあ、いまさら12年も前の機種に色々文句をつけても意味が
無いが、操作系というものの重要性について、少しはヒントに
なれば・・ という話の流れであった。

ちなみに、実は、このα-7Digital、齢10年を軽く超えて、いまだ
現役で使っている(!)私が使っているデジカメの中で最も長く
使っている機種だ、基本的な操作系にあまり不満は無いし
ドラゴンボートの雨の中での撮影も、何十回もこなしているが
10年以上一度も故障したことがなく、極めてタフなカメラだ。

晴天時には、さすがコニカと合併しただけある、と思わせてくれる
良い色味を出してくるカメラでもある(ただし雨天の絵は最悪だ・汗)

さらに余談だが、上記、α-7、α-7Digitalのカメラの写真は、
「サイコール」で撮影している。単なるテスト撮影のつもりで
あったのだが、せっかくなので記事にしてみた次第だ。

さて、もう1本レンズを紹介したかったのだが、残念ながら
もう記事の文字数制限が限界だ。操作系の話もまだまだ実例を
上げる必要があるだろうが、それらも、続きはいずれまた・・

そうそう、次回の記事は、やや特殊なレンズの紹介をする
予定である、また楽しみに。

新・関西の楽しみ(95)平野屋七福神スタンプラリー&真田丸

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さて、大阪市営地下鉄のスタンプラリーである。

昨年の記事で書いた大阪市営地下鉄の全駅(108駅)を
全て巡るスタンプラリーは「到底コンプリート不可」の
超高難易度のスタンプラリーとして、スタンプラリー好きな
私ですら2日間で65駅を巡った段階で断念してしまったの
だったが、今回は「七福神」という事で7駅を巡れば良いだけ
なので気軽にチャレンジしてみるとしよう。

c0032138_2013935.jpg

今回の「平野屋七福神スタンプラリー」のルールであるが、
まずは平野屋というのは、どうやら「谷町線」の平野管区の
エリアの13駅の事を表している模様だ。

駅は北から、谷町六丁目、谷町九丁目、四天王寺前夕陽ケ丘、
天王寺、阿倍野、文の里(ここが中間駅)、田辺、駒川中野、平野、
喜連瓜破(きれうりわり)、出戸、長原、八尾南、となっている。

で、この中の7駅の駅長室に、上写真のような七福神(?谷町線の
守り神という設定だ)の人形が置いてあり、その駅ではスタンプを
押す事ができる。

スタンプを全部揃えたら、管区の中間駅の「文の里」まで行けば
そこがゴールで、記念品を貰える、というルールである。

注意事項は2点、この13駅の中の、どの駅に「七福神」が
置いてあるかは公開されていないこと。そして、駅長室は
駅の改札内、改札外、いずれのパターンも存在する事だ。

この為、無駄打ち(駅長室に行ってもスタンプが無い)発生する、
したがって、一日乗車券である「エンジョイエコカード」を
購入するしか実質的に運賃のコストを下げる方法はない。

「エンジョイエコカード」は、平日用が800円、土日祝用が600円
なので、当然、安価な休日にそれを購入して巡る事となる。
幸いにして、他の寺社系のスタンプラリーのように、台紙代や
朱印代などがかかる事はない、費用はそれだけで済む。

ちなみに、京都の二条城は、メジャーなスタンプラリーですら
有料エリアの中にスタンプ押印場所がある。他の有料施設は
全て、そのような事はなく、必ず無料エリアにスタンプがある。
これは少々酷い状態だ、施設側がこういうスタンスだと悪印象を
持たれてしまう、といった事は気にしないのであろうか・・?

さて、本スタンプラリーでは、どの駅に行けば良いのかが不明
なので、ちょっとだけ難易度が高い。しかし、どうせ1日乗車券
を買うので、最悪、全駅を順番に巡ってしまえば良い訳である。

で、上写真では、駅名が見えてしまっているのだが、まあ、
本スタンプラリーの期間は2016年1月15日で終了している
ので、多少はバラしてしまっても問題ないであろう。
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さて、効率的にスタンプラリーを巡るのは、知的ゲームの要素が
ある。途中挫折したが、前回の大阪地下鉄全駅ラリーでは最大
効率を狙うために、様々な手法を駆使したのは記事で書いた通り。

それでも、1日あたり最大30駅強しか巡ることはできないのだ、
おまけに、そのペースで廻ると、1日中地下を行ったり来たりで、
息苦しく疲れてしまう。まあ、今回のケースは最大で13駅だ、
さっさと半日位で巡るようにしてしまおう。

まず最初に行ったのは、ゴール駅である「文の里」だ。
何故最初にゴール駅に行くかは理由がある、そこに七福神スタンプ
があるかどうかでずいぶんと状況が変わってくるからだ。

つまり、駅を巡っていて、たまたまスタンプの押せる駅ばかりを
廻れたとしよう、スタンプが6個溜まった、あと1個のスタンプを
他の駅で探してからゴールに向かうのか、あるいはゴール地点に
スタンプがある事がわかっていれば、そこで押せば良い訳だ。
その最終判断を容易にするために、まずはゴール駅に向かったと
いう次第である。で、そこにスタンプはあったので、では後残りの
6個を他の12駅中から探せば良い、確率は6/12でちょうど半々だ。

まず路線の南端の終点、八尾南駅に向かった「遠くから攻める」
のはスタンプラリーのセオリーの1つである。
その間、モバイル時刻表をチェック、電車の発車間隔を調べる。

時刻表によると区間の北側である谷町六丁目~文の里間が5分間隔、
南側の文の里~八尾南は10分間隔の発着である事がわかった。
これはすなわち、2本に1本、文の里始発の電車があるという事を
示している。

モバイル時刻表では、よほど細かく調べないかぎり、各駅での
上下線の発着時間差はつかめない、これはつまり、片方向の
電車を待ってもなかなか来なかったら逆方向の電車に乗り、
飛び飛びに行ったり来たりで全駅を潰していくというテクニック
が使えるかどうか?という意味である。
これは発車間隔が30分以上と長い、地方ローカル線等のスタンプ
ラリーでは有効な手段であるが、5分や10分間隔と短い都会の
路線では、むしろ、せせこましくて、頭も体も疲れてしまう。

で、電車を降りて駅長室に行ってスタンプを押して帰ってくる迄の
所要時間の目安であるが、だいたい6分あれば大丈夫だという事は、
前回の全駅ラリーの際に沢山体験してわかっていた。
ただ、それはちゃんと、各駅の出口がある車両番号を駅の案内板で
確認して、そこに乗り、速やかに駅長室にたどり着ける事が前提の
時間だ。モタモタしていると、もっと時間がかかってしまう。

そして今回の場合、八尾南から北上して戻ってくるルートを
使うと、10分間隔の発車時刻だから、各駅で10分以内に
スタンプを押せば良いという計算だ、ならばこれは余裕なので
ごちゃごちゃ考えずに八尾南から1駅づつ潰して行く事にした。

この場合、中間駅の文の里までは7駅分あるので、各駅で10分を
要したら、1時間10分かかって到着する事になる。
まあこれで良い、そこから北の区間の電車は5分間隔なので、
どうにでもなるだろう。

八尾南の駅でスタンプを押したとき、駅長さんがヒントをくれた
「もう2駅ほど飛び越して進むと良いかも・・?」と。

はは~ん、これは、長原、出戸(でと)の2駅にはスタンプが無い、
という事を示しているのかな?ならば難読地名である「喜連瓜破」
(きれうりわり)に次のスタンプがあると見た。駅長さんのこの
ヒントを信じる事にしよう。

2駅をパスし予定時間を20分短縮、昼食の時間を天王寺界隈と
する予定で動いていたので、ちょっと早くなりすぎだ。
次の「平野」駅で、駅の外に出て散策するとしようか・・
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ここは平野商店街だ。
「平野郷」という町は、大阪(市)よりも歴史が古く、独特の
文化を持つ町である。私はそれが好きで良く来るのだが、まあ
平野の文化の独自性については、このブログでも過去何度か
紹介していたと思う。長くなるので今回は割愛しよう。
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駄菓子屋さん博物館。まあ、博物館と言っても、平野の町中の
小さい施設を各々博物館と呼んでいるので、ここも2坪ほど
の狭い場所にしかすぎない。でもまあ、結構面白いので、
見かけたらちょっと入ることもある。ちなみに入場料は無料だ。
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ネコが飛び交う町(?笑)平野の町の見所を駆け足で巡る。
昨年来たときと、大きな変化が無いことに安心して(こういう
独特の土地は、観光側面から見ればあまり開発されて欲しく
無い訳だ)地下鉄の駅に戻り、スタンプラリーを再開しよう。
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平野見物に約50分を費やしたのだが、昼食時間帯の調整の
意味もあったので、これはこれで、ちょうどOK。
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さて、スタンプラリーを続けながらも、天王寺駅界隈で昼食を
取り、さらに続けてラリーを行う。快調に6個のスタンプを
揃えることができ、あとはゴール地点の文の里駅に戻り、
そこでスタンプを押せば完了の状態になった。

しかし、まだ昼過ぎの時刻だ、意外に手間取らなかったからだ。
今いる場所は今回のスタンプラリー対象エリアの最北端の
「谷町六丁目」駅だ、そうしたら、せっかくなので、近隣にある
「真田幸村(信繁)」ゆかりの場所をちょっと巡ってみる事にしようか。

そのまま徒歩か、または長堀鶴見緑地線で1駅行けば「玉造」駅
があるので、そこが「真田エリア」(?)最寄の駅となる。
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今年2016年のNHK大河ドラマは「真田丸」である。

まあ、そのことから、放送の回数が重なっていくと、大河の
主人公のゆかりの土地は観光客が増えて混雑し、近寄りがたく
なってくる事は良くわかっている。かつて、黒田官兵衛の姫路も、
坂本龍馬の伏見もそうであった。今(1月上旬)であれば
「真田丸」の放送直前の段階だ、今を逃すと、物見遊山の観光客
で混雑し、こちらが行きたいと思った時に面倒くさい状況になる。

つまり、いつも言う「情報の一極集中化の弊害」がこんな
ところでも出ている訳だ。
逆に言えば、一般大衆の皆が知らないうちであれば、混雑する
事もなく、快適に散策が出来るわけだ。

余談だが、3年ほど前に、長岡京市を散策した際、そこにある
細川家ゆかりの勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)の博物館で
「大河に申請したが、真田に負けてしまって悔しい」と職員から
話を聞いたのを思い出す。勝竜寺城は、細川藤孝・忠興親子や
明智光秀・玉子(細川ガラシャ)などの、著名な戦国武将ゆかり
の寺(城)であり、秀吉との山崎(天王山)の戦いの舞台でも
ある事から、ドラマとなる要素は十分にある訳だ。

私は、その職員さんに、
匠「そうですね、(次回主人公)黒田官兵衛や(その先の)
  真田幸村等、長い期間幽閉されていた武将は、その半生を
  ドラマ化する際には、盛り上がりなどの点で色々と問題が
  あるかも知れません。
  ですから、細川や明智など、生涯がドラマチックな武将の
  話の方が、確かに面白いと思います。大河化、応援しますよ」
と答えた。すると長岡京市の職員さんからは
職「その通りですよ、あなた、なかなか良くわかってくれてますね、
  ありがとうございます、応援よろしくお願いします」

まあ、大河を誘致できれば、観光収入が激増するので、地方自治体
も必死なのであろう。そして3年も前から大河の内容が決まっている
事にも少し驚いた。でも、戦国や幕末ばかりでは、そろそろ限界も
あると言う気もする、個人的には、古代の「壬申の乱」とかが、
とても興味深いのだが、さすがに、このあたりの時代考証は難しいし、
皇族にも関係する事等からも大河ドラマ化は難しいのだろうか・・
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こちらは地下鉄長堀鶴見緑地線の「玉造」駅で見かけた航空写真、
それを撮影し、後で私が、赤色の線で枠を書き込んでいる。

赤枠は、今から400年ちょっと前の、1614年の「大阪冬の陣」
(豊臣対徳川)での、「真田丸」の推定位置だ。

これは最新の研究(学説)によるものである。従来の説では、
「真田丸」は半円形の付け城(出丸)のようなものであるという
説や、それを示す絵図が大半であったのだが、近年の研究により、
レーザー測量などの最新技術や、新しく発見された詳細な絵図により、
この位置にあった、という説が新たに有力視されている状況だ。

この位置は大阪城からは離れて孤立している。何故そのような
補給や連携も効かない不利な状況を「真田幸村(信繁)」がわざわざ
作ったのか真意は不明だが、恐らく、これは「おとり」であろう。

川あるいは地形上の制約で、南側からしか攻められない大阪城
の前に、このような単独の要塞があれば、どうしてもそれを
潰したくなってくる。もし真田丸を残したままにすれば背後から
脅かされるし、そもそもわずかに200m四方程度の小規模陣地だ、
兵数も5000人といったところで、数万の大軍で押し寄せれば、
容易に落ちる、と徳川軍は考える事であろう。

しかし・・・
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まずこれが、真田丸の推定位置の北端部の地形だ、数mの高低差
があり、建物の2階~3階の位置に、左側の学校のグラウンド
すなわち、真田丸が存在していたと見なされる高さの土地がある。

ではこの道は何か?ということだが、ここに堀があった事が
近年見つかった絵図から判明しており、現在の道の形状と、
絵図の堀の形状は完全に一致している。

ここから右側(北側)は、ゆるやかに下っていき、そのあたりは
大阪夏の陣の当時は、崖あるいは湿地帯であったと推測される。
つまり、こちら側から大軍で攻めるのはまず無理だ。

そして、さらにその北側に大阪城の堀があるわけであり、つまり
大阪城とは完全に独立している状態であり、従来考えられていた
ような「半円形の出丸」という感じでは無いとの事だ。

この撮影位置から左側には、寺が3軒並んでいる、その寺の敷地
を利用し、外部に塀を建てて要塞化した模様である。その寺の
存在は、その近年発見の絵図にも明記されており、真田丸の
東側に3つ、南側に3つの寺を陣地の中に内包している。

東側の3つの寺は、現在も残っていて、南側の3つの寺は
今は学校の校舎となっている。
まあ、このあたり最新発見の絵図とまったく同じ地形である事が
現代においてもちゃんと確認できる。
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こちらが南側である、この道路を徳川軍は進撃したらしい、
つまり、左右を多数の寺に囲まれた狭い道路であり、こことあと
いくつかしか進撃ルートが無かった模様だ。従来の「真田丸」は
映画やドラマなどでは何も無い野原にあって、どこからでも攻める
事が可能というイメージが主流であったが、ずいぶんと様子が違う。

これは、市街地要塞という感じであろうか・・

寺だが、このあたりには昔から多数存在している。
つまりここは「寺町」であったわけだ。

この場所の1駅程度南側の地下鉄の駅にあった、周辺案内地図の
一部を撮影してみる。
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こんな感じである、あたり一面、寺、寺、寺・・・という地図であり、
寺の間に道がある。これら全てが昔から現在に続く寺だという訳では
あるまいが、400年前でも傾向は類似していたであろう。
寺町のそうした構造上、徳川軍は進撃ルートが著しく制限された
と思われる。
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大軍には自由が効かない狭い寺町の路地を進むと、突き当たりは
「真田丸」の南側である、この写真が現在の状況だが、道路の
部分は全て大きな深い堀であった模様だ。(ここは「冬の陣」の後に
講和条件として、徳川軍により破壊または埋め立てられた)

現在学校の校舎となっている部分が「真田丸」の砦の位置および
高さである。進軍してきた徳川軍は、まず堀にはばまれ、上から
火矢、鉄砲、場合により投石など、雨あられの攻撃を受ける。

退却しようにも、堀は深く、かつ後ろからは次々に味方の
大軍が押し寄せてきて、最前線の兵は身動きが取れなくなる。

記録によると、ここに通常の火縄銃の射程の2~3倍という、
強力な大狭間砲(大型鉄砲)という新兵器もさらに投入され、
徳川軍の被害は甚大、一説には15000もの犠牲を出したと言う。
これでは一方的に豊臣(真田)軍の勝利ではないか・・

結局、真田丸は最後まで落ちず、その間に冬の陣は、講和という
形で幕を閉じてしまったのだ、そしてその翌年の大激戦「夏の陣」
に続く事となる・・・

「夏の陣」で幸村(信繁)は敗北、戦死する事になるのだが、
この2つの激戦での活躍から、後世に至るまで「真田幸村」の名は
残る事になるのだが、まあでも実質的に幸村が前面に出て戦った
のはこの2戦だけであったと思うので意外に少ない。

ちなみに、関ヶ原後、石田側についた「真田幸村」(および昌幸)の
助命を嘆願したのは徳川方の猛将「本多忠勝」である。
(勿論、家康や秀忠にはだいぶ反対されたらしいが、最後には主張が
通って幸村・昌幸親子の処分は九度山への幽閉にとどまった)

「忠勝」は「戦国最強」と謳われ、生涯で57度戦場に赴き、かすり傷
ひとつ負わなかったという逸話を持っている。こちらは「幸村」と
極めて対照的であり、多数の戦場経験がある武将という事だ。

その強さから、近年の人気アニメ/ゲームの「戦国BASARA」では、
忠勝は、なんとガンダムのようなモビルスーツ(ロボット?人間?)
として描かれ、家康を乗せて空まで飛ぶ(!)
(正統な戦国ファンは眉をひそめそうだが、これはこれで、創造力
がとても楽しいので、個人的には好きなキャラである)

---
さて、真田と言えば「抜け穴」が有名だ。
関ヶ原以降、幸村が蟄居していた(幽閉されていた)和歌山の
高野山の麓の「九度山」には、「抜け穴」と呼ばれるものがあり、
ここから遥か大阪城(あるいは後述の三光神社)まで繋がって
いると言い伝えられているが、実際にはそれは抜け穴ではなく
「古墳の石室」であるという事だ。

まあ、実際に九度山から大阪城までは直線距離でも45km近くも
あり、さすがに個人でそこまで大規模な抜け穴は掘れないであろう。
でも、「関ヶ原」の後、14年間もここに幽閉されていたのだし、
その間に、長躯大阪城までこれを掘って、冬の陣の直前に
幽閉先の九度山から、この抜け穴を通って大阪城まで馳せ参じた、
と想像するのも、幸村ファンの人達の心情としては理解できる。

そして、大阪城の少し南側、玉造の「三光神社」に、九度山
あるいは大阪城まで続いていたとされる「真田の抜け穴」と
呼ばれる遺稿がある。
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こちらがそれだ、中を見ると、少し先で曲がっていて大阪城や
遠く九度山まで続いているという伝説があるが、実際には途中で
崩落していて進めない模様だ(あるいは最初からそこまでしか
掘れていなかったのか、または、そもそも抜け穴などではないのか)

鉄格子越しに抜け穴の中を見ても、当然そのあたりは何も
わからないのだが、きっと今後、ここに観光客が列をなして
中を覗くことになるのだろう・・・(汗)

「抜け穴」で思い出した、作家「万城目学」氏の小説で、
2009年に映画化されてヒットした「プリンセス・トヨトミ」は、
このあたりの場所が舞台であり、大阪城まで続く、抜け穴ならぬ
「秘密の通路」も劇中で出てきている。

ついてなので「プリンセス・トヨトミ」のゆかりの場所も
巡りながら、谷町六丁目の駅まで戻るとしようか・・

ちなみに、もちろん「プリンセス・トヨトミ」のトヨトミは
「豊臣家」のことであり、豊臣家の生き残り(末裔)の少女の話を
題材にしている極めて面白い作品だ。小説も映画も良く出来て
いるので必見であろう。
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こちらは谷町六丁目駅近くの「空堀商店街(はいからほり)」
の入り口である、「プリンセス・トヨトミ」の原作小説の
挿絵として描かれていたアングルと同じ場所からの撮影である。
先の真田丸跡からは10分強ほど歩くだけ到着する近距離だ。

さらにちなみにだが、空堀とは大阪城の「空堀」つまり
水が入っていない堀(南惣構堀)を由来とする地名であり、
このあたりは全て大阪城にゆかりがあるという事になる。

---
さて、スタンプラリーをやりながらも、平野や真田丸を巡れて
まあ満足だ、交通費として一日乗車券の600円以外は費用は
かかっていないので、1日遊べるわりには格安であろう。
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記念品の「冠バッジ」この他に、ポストカードや、地下鉄の
ペーパークラフトまで貰っている、大阪市交通局、なかなか
太っ腹である。

まあ、子供向け(親子向け)と謳ってはいるイベントではあるが、
周辺散策やショッピングなどと組み合わせる事で、大人でも
十分に楽しめる。

今回は訪れていないが、八尾空港では、まじかでヘリや小型機の
発着が見られるし、天王寺の日本一高い超高層ビル(300m)の
「あべのハルカス」や、天王寺動物園や、天王寺公園の中にある
茶臼山(大阪冬の陣で、徳川家康との本陣となり、夏の陣では
真田幸村(信繁)が本陣とした=第二の真田丸といわれている)や、
真田幸村の終焉の地である「安居(安井)神社」(最寄り駅は
四天王寺前夕陽丘)そしてその周辺の一心寺や景観の良い「七坂」
さらには、阿倍野駅から出ている阪堺線(大阪唯一の路面電車)
など、他にもこのエリアの見所は多数ある。

同一のルールによるスタンプラリーは、また同じものを実施
するとは限らないが、そうした事が「この地域を訪れてみよう」
と思うきっかけになるのは確かだと思し、それが本イベントの
企画意図でもあるのだろう。 

あまりマニアックな内容ではないので、一般観光客にも
おすすめのイベントである。

ミラーレス・マニアックス(17) 特集「APD VS STF」 

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安価な中古ミラーレス機とマニアックなレンズを組み合わせ
「アダプター遊び」を楽しむシリーズ記事の17回目。

今回注目するのは「アポダイゼーション・エレメント」の話だ。

「それは何か?」と言えば、簡単に言えば、グラデーションの
かかったフィルターであり、中心が明るく周囲が暗い、これが
レンズに内蔵されている。

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カメラは、FUJIFILM X-E1
Xシリーズとは、FUJIの主力高性能カメラのシリーズ名であり、
高級コンパクト、ロングズーム機、そしてレンズ交換式の
ミラーレス機が販売されている。

X-E1は2012年発売のミラーレス機だ、小型軽量でEVF搭載機
であり、ローパスレス、アナログライクな操作性(操作系ではない)等、
スペックだけ見れば高性能であり、以前から欲しかったカメラだが、
高価であったのと、純正交換レンズが少なかったので、しばらくは
我慢して手を出すことはなかった。しかし3年待って2015年末に購入
したのは2つの理由がある、1つは中古価格が安くなってきた事だ、
購入価格は25000円程度であり、例によってミラーレス機の相場の
下落は激しい。この高性能機がこの価格で?と驚いてしまう。

もう1つの購入の理由が、この装着レンズだ、これを使えるのは
Xマウント機しか無い。

XF56mm/f1.2R APD

そう、今回の記事の特集内容である「アポダイゼーション・
エレメント」を搭載した唯一のAFレンズである。

「唯一の」と言っているが、AFでなければ昔からそうしたレンズ
は存在していた(その話は後述する)

2014年末に発売されたこのレンズがどうしても欲しかったのだが、
定価が20万円近くもする高額の為、中古が出るのを待っていた。
約1年待ってやっと中古が出た、価格は11万円程と高価だったが、
ちょっと無理して購入した。

XF56mm/f1.2R APD (以下APD)に適したカメラは何か?と考え、
以前から欲しかったX-E1が候補に上がった。

本ブログでは昔から「カメラとレンズの予算配分は、2対8」と
持論を述べているが、今回もそれに準じ、レンズ価格の1/4程度の
2万円台で購入できるボディが適正なのだが、数ヶ月前まで3万円を
超えていたX-E1が、ここのところ少し相場が下がってきていたため、
合わせての購入となった次第だ。

さて、APDレンズの写りは・・
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ボケが恐ろしく綺麗である。でも、それは購入前からわかっていた。
私は20年近くも前から、STF(後述)というレンズを使っていたからだ。

そう「アポダイゼーション・エレメント」とは、レンズの
「ボケ質」を良くする目的で開発された機構である。

このような設計コンセプトを持つレンズは、このレンズを含め
4機種しか存在していない、うち2機種がアポダイゼーション機構
によるものである。(ごく最近、交換アポダイゼーション機能を
実現する米国製レンズの開発が発表された模様だが、
8万円以上出資しないと出来上がったレンズが買えないと聞く)
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何故ボケ質が良くなるか?、というのは、概念の説明が難しい。
ただ、感覚的に言えば、グラデーションのかかったフィルターを
レンズに内蔵させることで、点像からの光の拡散が、絞り形状の
影響を受けること無く、ゆるやかにボケが広がる、と解釈する事が
できると思う。

理屈はともかく、その効果は絶大で、いつもこのシリーズ記事で
書いている「ボケ質が悪い」とか「ボケ質の破綻」とかいう問題は
このAPDレンズに関して言えば一切無い。
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このレンズの開放絞り値はf1.2であるが、グラデーションの
かかったフィルターが入っているから、実際の明るさは減って
いる事は容易に想像できるだろう。なので、このレンズの場合は、
本来ならば絞りはf値ではなく、実効絞り値の「T値」を用いて
性能を表すべきだ。
したがって、このAPDレンズは、f1.2[T1.7]となる。

レンズの写り自体は何ら不満は無い、だが、最短撮影距離が70cm
と長いのがまず第一の問題だ、おまけに、ピントリングが無限回転式
(距離指標が無い)タイプである、この形式は実のところMF操作に
向かない。(まあ、AF+MFの機構を実現する為には、しかたが無い
のだが・・MFレンズとして割り切れなかったのが問題なのだろう)
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T1.7とは言え、被写界深度はf1.2相当であり、極めて浅い。
この浅さが近接撮影時のAF精度に影響があるから、最短撮影距離
を伸ばしたのであろうか?56mmレンズであれば50cm位まで寄れる
のが本来の性能な筈だ。もしそうならば本末転倒ではなかろうか?

AF精度に問題が出るのならば、MFレンズにしてしまえば良かった
と思う、どうしても「世界初のAFアポダイゼーション」を謳いたかった
のだろうか?
その想像の根拠として、Xシリーズのマクロ機構の問題点が
上げられる。初期のXシステムでは、一般的なレンズであっても、
近接撮影では、わざわざ(いちいち)マクロボタンを押して
切り替えないとピントが合わないのだ。

それは、AFのステップ数の精度に問題を抱えているのでは
なかろうか?まあ、X-E1は、コントラストAF方式だ、一眼レフのような
AFセンサーを用いた高精度な位相差検出方式は採用できない。
何故ならばミラーレス機はその名の通りミラーが無く、AFセンサー
用に光路をミラーで分割できないからだ(注:X-E2以降は撮像素子
上に位相差センサーを配置している)

で、X-E1の場合、AFのステップ数が技術的理由、あるいはコスト的な
理由で少ないと思われる。
ここで、シンプルな例を上げて、その問題点を説明しよう。

まずレンズの最短撮影距離を仮に50cmとする、そこから無限遠∞
迄、何段階で距離を表現するか? ∞のままだと計算できないので
これを、仮に100m50cmとしよう。計算を簡単にする為にその間を
100分割する(実際には128とか256とかの2のN乗数であろう)

すると、1mごとにピントが合う位置が来るということになる、
ボデイとレンズの間は、合焦情報、距離情報等を相互にやりとりして
ピントが合うまでレンズを動かし、ピントが合えばレンズを止める。

しかしこの例だと、50cmの次は1.5m、その次が 2.5m・・・という
事になり距離が粗すぎる。逆に遠距離側では、98.5m,99.5m・・
のようになり、そんな遠距離で1mづつピントが変わっても意味は無い。

なので距離のステップは、近距離で細かく、遠距離で粗くするのが
基本である。けど、もしステップの総数が少ない場合、近距離でも
細かくする事ができない、だから、そういう場合は、同じ100段階
(注:仮の設定値)であっても、それを1m~∞の範囲で使うか、
50cm~1.5mの間を100段階にするか(これならば1cm刻みだ)
マクロボタンで切り替えて用いるという事になる。

このAPDレンズの場合、感覚的だが1.3m以下のあたりからAFが
合いにくくなる、その場合は、マクロスイッチをONにすると
近距離用のAFステップ幅に切り替わり、ピントがスムースに合う
ようになる。しかし、そのままだと遠距離のステップが無いので、
遠距離にはピントが合わない、その場合は、マクロをOFFに
しなければならない。

・・・正直、面倒な操作だ。システムとして上手く成立させる為の
仕様や技術がきちんと詰められていない感じがある。

まあ、無理やり最短撮影距離から無限遠まで切り替え無しで
ピントをあわせようとするのは、ミラーレス機では難しいのかも
知れない。事実、PENTAX K-01、GXR等では、そのあたりの理由
でAFピント精度が極めて悪く、近接撮影や大口径レンズなど、
被写界深度が浅い状況では、まず、いや、絶対と言っていいほど
ピントが合わないという致命的な課題を抱えている。

そういう意味では、マクロ切り替えもやむを得ないのかも知れない、
・・しかし、仮にそうであっても、だったら、マクロボタンを
押したら、いちいち選択メニューが出る必要は無い。
GRデジタルや、多くのコンパクト機のように、ボタン1つでONと
OFFを交互にトグル切替方式にすれば良いでは無いか!

FUJIのカメラは多数持っているが、ほぼ全てのカメラでマクロボタン
を押してから、マクロと通常モードを選択するという、うっとうしい
操作性である、まあ、中にはスーパーマクロという機能を持つカメラ
があり、それは、3種類の切り替えであるからメニューでなくては
ならない、けど、2種類の場合では同様にする必要は全く無い。

これは「操作性」の共通化を計ったあげく「操作系」を劣悪にして
しまった悪い例である。
(注:X-E2S以降は自動でマクロに切り替わる)
c0032138_1826298.jpg

Xシステムでは、絞りリング、シャッターダイヤルを備え、それぞれ
A(自働)位置があり、それらを組み合わせる事で、M,S,A,Pの露出
モードを切り替える操作系である。合理的な方式であるが、20年も
前の1995年のPENTAX MZ-5から既に使われている方式である。
(もっと以前にもあったかも知れない)で、この方式は露出モード
ダイヤルを省略するする事ができ、本機では、そのかわりに専用の
露出補正ダイヤルを備えている。(使いやすい位置ではないが)

まあレンズ側に絞りリングがあるのは良い事だ。レンズの絞り環が
無くなったのは、開放f値が変化するズームレンズが普及した際、
絞り環と実際の絞り値に矛盾が生じるのを嫌ってであったと思う。
だが、単焦点レンズや、f値固定ズームであれば、そんな矛盾は
起こらないので、そういうレンズであれば、絞り環がついていた
方が使いやすい。
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総合的に言えば、X-E1の操作系は決して褒められたものではない、
ミラーレス機は全般的に「操作系」に問題を抱える機種が多いが
それでも他機種に比べて、厳しく言えば「未完成」であると言って
も過言で無いであろう。そのあたりの詳細を本記事で述べていくと
長くなるので、追々このシリーズ中で、どこが欠点なのか?どこが
優れているのか?を他機種と比較しながら述べていくとしよう。

なお、何度も言うが「操作系」とは、写真を撮る上で必要な時に
必要な機能を速やかに呼び出すことができるか否か、という話であり、
ボタンやダイヤルの形状や配置といった単純な「操作性」とは異なる。
つまり、インターフェース全体のシステム設計という意味である。

ただまあ、カメラもレンズも完璧なものは無い。どの機材も何らか
の欠点を抱えている、その欠点ばかり気にするとストレスとなり、
写真を撮っていても楽しく無い。なんとか長所を見つけて、それを
活用するしか方法が無い。それは本シリーズ記事の1つのコンセプト
でもあり、マウントアダプターを用いる事で、カメラとレンズの各々
の欠点を相殺し、使いやすくする術を模索する事も重要だと思う。
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まあ、X-E1の最初の印象はがっかりであったし、APDも最短撮影距離
とボディ本体との連携の問題でのAFの精度の悪さに辟易してしまうが
(ちなみに、MF操作系も劣っていて使い物にならない)それでもまあ、
さすがに「アポダイゼーション」だ、ボケ質に全く不満は無い。

実は、このブログでは10年も前から、何度かSTFレンズの紹介を
していているのだが、それらの記事でも「50mmのSTFが欲しい」と
書いてあったと思う。STFはミノルタ製であり、αがSONYに移って
からも、一応STFは継続生産されたが、SONYのスタンスでは、
絶対に新しいSTFは作ってくれない、と10年間も諦めていたのであった、
まさかFUJIから、STF(APD)が出るとは予想だにしていなかったが・・

ということで、次のシステムは「アポダイゼーション」の元祖
STFレンズだ。
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レンズは、MINOLTA STF 135mm/f2.8 [T4.5]である。
(以下STF)

カメラはNEX-7 、Eマウントのミラーレス機であるので、
STFのオリジナルマウント(α Aマウント)では無い。

「オリジナルマウントボデイが現存している場合は、アダプター
ではなく本来のカメラを使った方が良い」と何度か書いているのが、
今回は特例である、まあ、ミラーレスマニアックスの記事だし、
という庫もあるが、実はこのレンズはαマウントの中では
ほぼ唯一のMFレンズであるし、かつ、ほぼ唯一の「絞りリング」を
持つレンズなのだ。

だから、STFをαのボディで使った場合でも、マウントアダプター
で使った場合でも、操作性(操作系では無い)の差異は殆ど無い。
なので、今回は、NEX-7にSTFを装着して使っている次第だ。
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元祖「アポダイゼーション」、ただし、その名前では何のことやら
わからないので、スムース・トランスファー・フォーカス、略して
STFというのがこのレンズの名前の由来だ。

まず、STFやAPDの基本的な使い方だが、
「絞りを絶対に絞ってはならない」という鉄則がある。
必ず絞り開放で使わなければならないのだ。
というのも、STFやAPDの効果は絞り開放が最も顕著だからだ。
けどまあ、作画表現上、少しだけ絞るのは勿論ありである。

STFの場合は、実効絞り値がT4.5と暗い為、ISO100のベース
感度を持つボディを使えば、日中でも1/4000秒のシャッター速度が
オーバーする心配は無い、なのでND(減光)フィルターを装着
せずとも、ほぼ全ての条件でSTFを絞り開放で用いることができる。

絞り開放での口径食(ボケが半月状になる)とかが心配かもしれない
が、そこらへんも大丈夫だ。STFはf2.8[T4.5]のレンズであるのに、
かなり大柄で、f2級の筐体設計として余裕を持たせているので
口径食はおろか、収差やゴーストの類もほとんど出ないという
奇跡的なまでに優秀なレンズである。
勿論フードを装着するのがフレア防止には望ましいが、ただでさえ
デカいレンズなので、私は、その高性能を信じて、多くの場合で
フードは装着していない。

同様にAPDレンズも、絞り開放で使う必要がある。しかし、APDは、
f1.2[T1.7」だ。これを開放で使うのは、昼間では光量が多すぎる。
よって、APDにはND8(減光1/8)のフィルターが最初から付属して
いるのだ。冒頭の写真もこれを装着している為、レンズが真っ黒
に見える。なお、NDフィルターは暗い場所では光量が不足するが、
いちいちフィルターを外すのは面倒だ。

1つの対策として、X-T1という同社最高級機では最高1/32000秒
の電子シャッターが使える模様だ。そうであれば、f1.2レンズを
いつでも絞り開放で使える。ただまあ、それは静止被写体の話で
あり、電子シャッターでは動きものは撮れない。
また、X-T1は高級機であるし、多数のダイヤルを備えているので
「操作性」には優れていそうだが、が、X-E1の「操作系」と同等な
部分が多いのであれば、ちょっと困ったものなので、買おうと
思った時には取扱説明書を先にダウンロードして「操作系」が
良くなっているかどうか、調べてから買う事にするか・・

もう1つの超大口径への対応だが、デジタルNDフォルターを持つ
機種が存在する。ただ、今のところ PENTAX Q7とか、ごく一部に
しか搭載されていない、Q7はともかく、大口径レンズを使う
可能性のある高性能ボディでは、是非搭載してもらいたい機能
だと思う。
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STFとAPDの描写力やボケ量は殆ど同等だ、STFの方が焦点距離が
長く良くボケそうだが、APDの方が開放f値がはるかに小さい。

だが、STFの最短撮影距離は87cmと、焦点距離135mmに比べて
かなり寄れる(=近接撮影ではボケ量が大きくなる)が、APDは、
70cmと、56mmの焦点距離では、お世辞にも良いとは言えない
近接性能だ、当然ボケ量も減る。これらを色々考慮しても、やはり
両者は同じくらいのボケ量だと思う。

つまり両レンズの使いこなしには焦点距離の差しか無いという事になる。
APS-C機においては、
APDの56mmは約85mm相当のポートレート画角であり、
135mmのSTFは、200mm相当の望遠画角だ。
だから85mmの方が使いやすいか?といえばそうでもなく、200mmは
寄れない人物撮影(結婚式や舞台など)では適していると言える。

結局両方必要だ、という事になるのだが、問題はその価格だ、
定価では、いずれも税込で20万円近くになる、勿論新品値引きが
あると思うが、それでも15万円近くにはなるであろう。
そして中古はまず出てこないし、出たとしても、両者11~13万円
程度はすると思われる。

STFは、SONY製ではなくミノルタのバージョンであれば、中身は
同じで、中古は10万円を切っていた時期もあったが、SONYに
変わって軒並み、全てのレンズの価格が2割アップしてしまったので、
連動して中古価格も、元々定価の安いミノルタ版でも
2割値上がりするという、理不尽な事になってしまった。

ちなみに私は、ミノルタ版のSTFが出た際、これは絶対に中古は
出ないと判断し、発売直後(1998年ごろ?)に新品を約12万円で
購入している、やや高価であったが満足度は非常に高かった。
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もし「APDとSTFと、どちらか良いか?」と聞かれれば、選ぶのは、
すっぱりとMFで割り切っていて、かつマクロ的な撮影もできる
STFの方であろうか・・?
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APDは、操作系に問題のあるXシリーズのミラーレス機でないと
使えないのが最大の難点だ、X-E1の例をあげれば、AFでもMFでも、
各々操作系に弱点があり、ピント合わせがストレスだ。

この点においても、STFであれば、豊富なαマウントのデジタル
一眼や、α用マウントアダプターを使用して、様々なボディで
利用可能だが、APDは、今のところ Xシリーズカメラで無いと使用
できない。結局、MFの操作性(操作系では無い)は、STFの圧勝だ。

まあ、その分、APDはAFが使える。
けど「AFでなくちゃ撮れない」といった泣き言を言うビギナー向け
のレンズでは決して無いのである。アポダイゼーションを購入する
ユーザー層は、上級者以上であるだろう、であれば、MFだけでも
十分だと思われる。何だかんだ考えると、やはりSTFかな?
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APDにしても、STFにしても主要被写体は人物であろう、
けど、実際、ポートレート撮影なんて、そんなに機会があるもの
だろうか?本ブログでは当初から比較的多くの人物写真を掲載
しているが、1つはモデルになってくれる友人知人が多かった事、
もう1つは、イベント撮影が多かったからである、けどイベントの
撮影では、APDやSTFといったややこしいレンズは使う事はできない、
じっくり構えて撮る暇は無く、安直なAFズームで撮る事となる。

成人式や七五三、着物撮影などでは、比較的じっくり撮ることが
可能であるが、それらはMFレンズは問題ありで、AFの高性能レンズ、
例えば、PENTAX FA77/1.8 、FA85/1.4 、NIKON DC105/2,
AiAF85/1.8 、MINOLTA AF85/1.4Limited、AF35/1.4 等、
使う(使える)レンズは限られてくる。ちなみにズームはNGだ、
f値が暗く、ボケ質が固く、MF操作性も問題ありだ。
そして、あえてMFレンズを使うとしてもノクトンのf0.95シリーズや、
アポランター90/3.5等、適切な高性能レンズは非常に限られる。

そういえば七五三撮影でSTFを使った事があった。2014年の記事
でも紹介していると思うが、未公開のSTFの例を上げてみよう。
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こちらの写真は、カメラは、NEX-7ではなく、α700だったと思う、
だいぶ色味や絵の雰囲気がNEX-7とは異なるが、それもまた、
それぞれの差異という事で興味深い。

総括であるが、APDもSTFもどちらも魅力的なレンズである。
ボケ質は、これらに勝てるレンズは世の中に存在せず、
まさしく東西両横綱という感じである。

ボケに拘るカメラマニアならば必携であると思う、、
ただ、STFの昔から周囲の様々なカメラ好きの人達にすすめては
いたが、購入したのはただ1人だけであった(それも若い女性だ)
「一生使えるレンズであれば、清水の舞台から飛び降りるつもり
で買う」と言って2002年頃に珍しく1本出た中古を購入したのだが、
確か8万円台だったと思うので「それで清水の舞台か?STFならば
十分安いじゃあないか!」と、ひやかしたのを覚えている。

両横綱は安泰であるが、実は、大関クラスとして、DCレンズと
いうものが存在している。
これは、ニコンのAFレンズで、DC105mm/f2,DC135mm/f2の2本が
販売されている、これが東西両大関であるが、私もずっと昔の記事
でSTFとDCを比較していたと思う。DC105/2は今でも保有しているので
今回、比較の為に紹介したかったのだが、記事の文字数限界を超えて
しまうので、残念ながらまたの機会にさせてもらおう。

東西両横綱は、一般のアマチュアカメラマンに必携のレンズか? 
と聞かれれば、それは無いと思う。
まず一般的には人物撮影などで使用する機会は少ないだろうし、
通常の被写体に使った場合は、どんな条件でもボケ質が極めて
良いので、むしろ逆に「つまらなさ」を感じてしまう事もある。

これは、レンズに限らずカメラでも同様だが、あまりに高性能な
ものを使って綺麗に撮れたりすると、自分の腕前が上がったように
錯覚するが、良く考えれば当然そういう事では無い(笑)なので、
「なんだ、レンズ(カメラ)が良いからかあ・・」と思って、
面白く無いのだ。

つまり、レンズにしてもカメラにしても長所や短所をよく理解して
上手く使いこなすのが面白いのであって、パーフェクトなボケ質を
誇るこれらの超高性能レンズが、必ずしも利用者に満足感を
もたらしてくれる保証は無い。

なので実は、最近はSTFはあまり持ち出さなくなっていたのだ、
やはり、写りが良すぎて面白味が無いというのが最大の理由だが
APS-C機では約200mm相当と画角が狭いのも持ち出しにくい
原因かも知れない。
望遠を使うシチュエーションでは、f2.8以下の大口径であれば、
ライブや舞台など、それなりの用途はあるのだが、
[T4.5]の暗さでは、なかなか使い道が無い。

まあ、その点、APDは[T1.7]と明るいし、STFに比べてはるかに
小型軽量であるから、今後はその手の暗所の撮影にも重宝するかも
知れない。これまでは、暗所の中距離撮影は、ノクトン25mmや
同42.5mmのf0.95レンズを使っていたのだ。ただ、動きものが入ると
MFのノクトンはピント合わせの技術が相当に必要になる。
けれども、APDがAFが使えるからと言って、XシリーズとAPDのAF性能
では実質的に動きものに対してはAFは使い物にならず、MF操作系も
良くない。なので、やっぱ結局APDの利用はしんどいかな・・

まあ、追々、STFもAPDも長所を生かせる撮影シチュエーションを
探していくとしよう、そうしないと、いつまでも控え投手のまま
になってしまう。そういう意味では、ボケ質の優れたものが必要な
シチュエーションで最も汎用性が高いのはPENTAX FA77/1.8
であろう、これまで、明所も暗所も近距離も遠距離も、あらゆる
状況で色々と役に立ってくれた。

APDとSTFは両横綱かも知れないが、休場続きで年棒(価格)だけ
高かったら意味が無い。ちゃんと活躍してもらわないと、つまり、
レンズは、減価償却をしていかないと、いくら性能が良くても、
コストパフォーマンスの良いものにはなりえないのだ。

さて、そろそろ記事文字数も限界なので、では最後にSTFの写真を
もう1枚だけ。
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今回はちょっと高価すぎるシステムの紹介になってしまった、
基本的に、いくら性能が良いものでも10万円を超えるのは
コスパが良いとは言いがたい。私自身、そういうレンズは
「スーパーレンズ」とは呼ばず、単なる「贅沢レンズ」と定義
しているのだ・・

次回記事はまたいつものように、安価で良いものの紹介を・・・

ミラーレス・マニアックス(18)

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安価な中古ミラーレス機とマニアックなレンズを組み合わせ
コスパの良い「アダプター遊び」を楽しむシリーズ記事。

さて、今回は、まず、このシステム。

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カメラは「孤高のKマウントミラーレス」 K-01だ。
ピント合わせに課題を抱えるこのカメラを何とか使えるものに
しようと、様々レンズとの組み合わせをトライしている最中だ。

今回はAFレンズを装着してみよう。
SIGMA AF20mm/f1.8 EX DG PENTAX Kafマウント版。
2000年代の前半に発売された大口径広角3兄弟の1本。

3兄弟とは、20mm/f1.8,24mm/1.8,28mm/f1.8である。
うち、28/1.8は1990年代発売の初期型があったと思うが、
他は新規発売である。フルサイズ対応だが来るべきデジタル
時代を見据え、広角が不足するAPS-Cサイズの撮像素子でも、
それぞれ30mm,36mm,42mmの画角となる事を見越して
いると思う。私はこれらのレンズを銀塩時代から使用している。

3兄弟はどれも大柄だ、特にこの20mm/f1.8は大きく、
フィルター径に至っては、82mmΦもある。
望遠レンズ以外で、これだけ大きいフィルター径を持つ
単焦点レンズは、これと以前紹介したCONTAX N Planar
85mm/f1.4位しか思い当たらない。

フィルターコストが高いので、例によってNDフィルター等は
装着していない。f1.8の大口径をISO100,1/4000秒シャッター
のK-01と組み合わせるのは、昼間では光線条件を偉び、キリギリ
の状態だ。これ以上の大口径(f1.4以下)や、ベース感度が
ISO200の機種を使う場合は、ND(減光)フィルターを常用する
のが、日中撮影でも絞り値を自在に活用できるので良いだろう。

K-01との組み合わせは、デザイン的なバランスは最悪だ、
お洒落なK-01のボディに無骨で大柄なAF20/1.8を装着すると、
アンバランスというよりは悪趣味に近い。
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まあ、このレンズの写りはさほど悪くない。

けど実は、銀塩時代は、あまり好きなレンズではなかった、
大口径広角で、かつ最短撮影距離20cmと、かなり寄れるので、
銀塩時代には他にあまり類を見なかった超広角マクロとしての
利用法が魅力的であったのだが、その際の画面周辺の画質劣化や
周辺減光、そして、ボケ質があまり好みでは無かったのだ。

しかし、デジタル時代、APS-Cセンサーで用いる事で画面周辺の
問題は解決したし、ボケ質の問題も、いつも述べているような
様々な手段で回避する事ができる。超広角なのでゴースト等が
出やすいが、これも画角が狭くなる事で若干緩和できる。

そして、K-01のAFピント問題は広角になる程回避しやすくなる。
そういう意味では、より被写界深度の深いDA15mm/f4あたりが
望ましいのだが、あいにくまだ購入に至っていない。
手持ちのレンズの中では、これがベストという事になる。

このレンズには純正のフードが付属しているが、ワーキング
ディスタンスが短い、すなわち最短距離での撮影ではレンズ先端
から被写体までの距離が極めて短く、フードに触れそうにまで
なるので、寄りすぎてゴツンと被写体にぶつける事が日常であり、
うっとうしいので最近はフードは装着しない事にしている。
(その分、ゴーストやフレアには要注意だ)
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デザイン的なアンバランスは目をつぶるとして、K-01との
相性は悪くない、通常K-01ではAFレンズではピントが合わず
MFレンズではピント確認の術がなく、極めてストレスの大きい
撮影を強いられるのだ。メインレンズとしているFA31/1.8でも
やはり相当厳しい、ただ、先日お遊びでF17-28の魚眼ズーム
をつけたところ、ピントに関しては、まあ問題が無かったので
このAF20mm/f1.8も、被写界深度を浅くしなければ、まあ、
他のレンズに比べて快適に使用する事ができる。

K-01は本シリーズではエフェクト母艦としての利用が多い。
エフェクトの操作系が他機種よりも悪くない、という利点は
確かにあるのだが、それよりも、ピント合わせの不満を
エフェクトという方向で解消しようとしていたのかも知れない。

ピントがスムースに合う状態では撮影に不満は無く、自然と
エフェクトも使わなくなってしまう。
c0032138_19541219.jpg

本レンズは銀塩時代であれば貴重な大口径超広角レンズで
あったが、APS-Cやマイクロフォーサーズ機では30~40mm
相当と、画角的な魅力に乏しいレンズとなる。かと言って、
フルサイズで使用すると周辺性能の甘さが気になるかも知れない。

定価は、2001年の発売当初は6万円台だったと思う、
私は発売後すぐに新品値引きで44000円程度で購入した。
約15年が経過して、現在の定価は税込み75600円だ。ただし、
もうすぐ後継機の Art20mm/f1.4にリプレイスされると思われる。
新型のf1.4は定価が2倍以上高くなってしまったが、全くの新設計
で画質面では色々改良されていると思う(ただし最短撮影距離は
だいぶ長くなっている)

新型に完全に切り替わる前に例によって在庫処分があると思う、
その際の新古品相場は3万円台後半と予測される。
必携のレンズという訳では無いと思うが、大口径超広角で、
かつ寄れるレンズが必要な人は、購入のチャンスとなるだろう。

さて、次のシステムは、同じ20mmでも、がらりと変わって
トイレンズだ。
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カメラが LUMIX DMC-GF1 、パナの最初期の小型タイプの
ミラーレス機だ。現在ではGMシリーズが、より小型軽量化
されているが、これでも発売当時はずいぶんと小さく感じた。

基本性能の問題でオールドレンズ使用には向かない。
すなわち、MF時のピント合わせに課題があるのだ。
操作系は良いのだがEVFが無く背面モニターの解像度も低い。
かと言って、古いミラーレス機なので感度等の基本性能も低く、
トイレンズ母艦にするわけにもいかない、広角系の小型AF単焦点
を組み合わせて使うのがベストという感じの手軽なカメラだ。
(発売時のキットレンズは、優秀なG20mm/f1.7であった)

現在のボディの中古相場は恐ろしく安価で、6000円程度であると
思う。また、GF1CというG20mm/f1.7とのセットでは、ほとんどが
G20/1.7の中古価格で、付属ボディの相場はゼロに近い。

レンズは、以前の記事でも紹介した「ニコンおもしろレンズ工房」
の「ぎょぎょっと20」である。当該レンズセットについての説明は
重複するので今回は割愛しよう。

「ぎょぎょっと20」は、対角線魚眼風レンズ。ただし、それは
銀塩またはフルサイズでの話であり、マイクロフォーサーズ機に
装着時は、少しだけ歪んだ40mm相当の f8の暗いレンズとなる。
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ご覧のように魚眼風の歪みは殆ど無い。

ただ、先般より本シリーズ記事では何本かの魚眼レンズの記事
を掲載しているが、本来の魚眼の大きなディストーション効果が
センサーサイズの都合で得られない場合でも、僅かな歪みを
アクセントとする広角として使う事もなかなか面白い、と最近は
思うようになっている。なので、歪みが少ないことは、もはや
問題にはなっていない。
魚眼において画面の中心から放射状に伸びる対角線上に
位置する直線被写体は歪まない、という法則を厳守し、
直線を持たない部分(典型的な例は、空の雲など)を、
歪が発生する位置に配置することで、魚眼風には見えない
撮影をする事ができるので、今回もそのように撮っている。
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本レンズにはピント合わせの機構が存在していない。
20mm/f8の深い被写界深度を利用し、1m~∞迄にピント
が合うパンフォーカスを実現している。その為、ピント合わせ
の苦手なGF1との組み合わせはベストだ、なにせピントを
合わせる必要が全く無いのだ。

ただ、さすがに最短1mは、「冗談でしょう・・」という
最短撮影距離のスペックだ、まあ、後方被写界深度で∞の
合焦を実現するには、計算上、ピント位置は約2m固定となり、
その際の前方被写界深度を最短撮影距離として計算すると、
そんな風に1m程度になったのであろう。

そして、ピントの苦手なGF1といえども、このレンズを装着
していまうと、何もクリエィテイブなカメラ操作が出来ない。
つまり、絞りは無いしピントも無い、あるのは露出補正だけ
である、これでは飽きてしまう可能性も高かったので、実は
それを見越して、秘密兵器を今回は準備している。
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こちらはケンコー製の「マクロテレプラス MC7」という、
リアコンバーターを装着した状態。
まあ、いわゆる「テレコン」である、現代のテレコン製品と
違うのは、まずMF専用であること、そして、ヘリコイドが
付いている事である。

近年になって、ようやくヘリコイド付きマウントアダプターが
発売されるようになった。主な目的は、レンジファインダー機
用のレンズの最短撮影距離の長さを緩和する為であるが、
レンジ用レンズではなく、一般の一眼レフ用レンズにヘリコイド
を用いると、エクステンションチューブを装着した場合と同様に
最短撮影距離を短くしてマクロレンズとして使用する事が
可能となるアイテムだ。

そう聞くと、かなり便利なアクセサリーのように思えるが、
銀塩時代の設計なので「マクロテレプラス」には様々な使用上の
注意点が存在する。まず、装着するレンズは基本的には50mm
の標準レンズ推奨だ。焦点距離(画角)は2倍相当となる。
開放f値は2段(絞り値で倍相当)暗くなる。
また、補正レンズが入っている(=画質が劣化する)

つまり、GF1+MC7 +「ぎょぎょっと20」という組み合わせでは、
20mm/f8 のレンズが、焦点距離で言えば2倍(MC7)の
2倍(μ4/3)で、f値も2倍で、80mm/f16のマクロレンズとなる。

ヘリコイドを伸ばす事による露出倍率(暗くなる)については、
良くわからない(汗) 元々ノーマルな使い方では無いのだ、
あまり深く考えると、ろくな計算結果が出ないだろう事は見えて
いるので、知らん振りしよう(笑)
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銀塩時代の常識では考えられなった使い方となっているので、
案の定、上手い事性能を発揮できていない。肝心の近接性能だが
最短1mであるので、さすがに、それを10cm近くになるまで縮める
事できない、せいぜい数十cmという感じか?MFでのピント合わせ
精度が不足するGF1なので、正確なピント位置はつかめない。

ヘリコイドの繰り出し量も、実際にはかなりあるものの
(銀塩で50mmレンズ装着時には、1;1.5マクロにまでなる)
ほんの少し廻しただけで頭打ちだ。それ以上廻しながら撮影距離
を色々変えてみても、ピントの合う位置が見つからない。

f値も16固定でかなり暗い、ちょっと日陰になっただけで
シャッター速度が厳しくなる。そして80mm相当の画角となるので
魚眼のデフォルメ効果は、もう何だかよくわからない(汗)
c0032138_2054837.jpg

ただ、このマクロテレプラス装着時でも、遠距離撮影は可能
である、ヘリコイドを∞位置に廻しておけば良いだけだ。

ヘリコイドはピントリングでは無いので、撮影距離を調節
するものだが、本来パンフォーカスのレンズであるという事と、
近接での撮影距離調整の為に(つまりピント合わせ)ヘリコイド
を繰り出す、という2つの操作概念が頭の中で混乱してくる。

ともかく、ややこしいシステムとなったのだが、まあでも、
なんとなく面白い。
しかし、およそ実用的とは言えないので、残念ながら今回の
この組み合わせは失敗であろう。 

今回はあまりに尋常でない使い方なので、光学系がどうなって
しまっているか、もはや良くわからない(汗)使うのであれば
銀塩またはフルサイズ・デジタルで、50mmの標準レンズで
オーソドックスに仕様通りに使うのが良いと思われる。

この「マクロテレプラス MC7」だが、私は銀塩時代より複数の
MFマウント版のものを所有している、今回使ったものはニコン
Aiマウント版で1990年代の中古価格は、やや高めの13000円
であった。ただ、他の不人気なマウント版の場合、中古も安価で、
それぞれ4000円~8000円くらいで購入している。
(ニコンのMF時代の関連製品群は熱心なファン層により
「神格化」されている部分があり、中古相場は高いのだ・・汗)

現在では中古玉数は少ないが、入手不可能という訳では無いと
思われる、その場合の相場は、性能、用途的な観点からしても、
5000円~6000円が適正と思われる。

注意点は、ミラーレス機で使う場合は、まずマスターレンズの
マウントとマクロテレプラスのマウントを合わせる必要がある
という事だ。加えて、それと同じマウントのアダプターが
必要となる、システム全体で3つの異なるマウント面が混在する
ので、間違って違うものを買わないようにしなければならない。
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さて、次のシステムは、カメラはおなじみのDMC-G1だ。
レンズは、CANON FDM 50mm/f3.5 MACROである。

最短撮影距離は、23.2cmの1/2倍マクロであり、1973年
頃の発売だ、銀塩名機の旧F-1との組み合わせを前提に
開発されていると思われる。

MF銀塩時代からAF銀塩時代、そしてデジタル一眼時代の
初期に至るまで、何故かキヤノンの標準マクロは優れた性能の
ものが存在していなかった。私は、銀塩MF時代は、新旧F-1に
おいて、FDM,New FDのマクロを一応使っていたが満足できず、
銀塩EOSシリーズでは、SIGMA のAF50mm/f2.8 Macroを使う
ようになった。だが、SIGMAの1990年代の銀塩EOS用レンズは
2000年代のデジタルEOSでは電子接点からの情報伝達が不十分
で動作不良を起こした。それ以降、EFマウントの標準マクロは
購入していない。標準マクロが使いたい場合は、α用AF50/2.8
等優れた他社製品が色々とあったのだ。

なお、SIGMA AF旧レンズがデジタルEOSで使えないのは2000年
代初頭では大きな問題であったが、これについてはどちらの
メーカーが悪いとは言えない。恐らく接点情報の仕様が変更されて
いるのであろう、昔のものが切り捨てられても、商業的側面では
やむを得ない点はある、けど、こういうスタンスはユーザーとしては
大いに不満だ。
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さて、40年以上も前のレンズである、当然、写りの良さは
期待できない。MF銀塩時代でも、1980年代以降のマクロは
各社とも、まあ性能的に使えるものが多いのだが、1970年代迄
のマクロは、当時の用途が文書などの複写であった為、自然物
等の一般的な撮影には向かない。どれもテッサー系の基本構成に
何枚かのレンズを追加して近接撮影用としたのだと思われるが、
概ねボケ質に課題を抱える場合が多い。
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しかし、1980年代になって、マクロレンズが一般ユーザーに
対して、花などの接写用の目的としての販売を意図した段階で
各社ともレンズ構成を変え、それまでとは異なり、ピント面の
解像度よりも、ボケ質を優先するようになってきたと思われる。
このあたりはトレードオフだ、どちらかを優先すれば、どちらか
が犠牲になる。が、キヤノンに関しては1980年代のNew FDの
時代になっても、標準マクロレンズの基本構成を変なかったと
思われる。その事が私にとっては、ちょっとこの系統の標準マクロ
に対し、性能的な印象を悪くした理由かも知れない。
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このFDマクロは、New FD50マクロ購入以降に追加購入したもの。
順番が逆になっているが、まあ、多分、購入時には「もしかして
古いバージョンの方が良く写るかも?」という期待もあったの
かも知れない(結局写りは同じであったが・・汗)
1990年代での中古購入価格は、ちょっと高めの15000円であった。

現代において必要なレンズか?と聞かれれば、それは微妙だ。
解像度に重点を置いた接写、という描写力を目的とすれば、
それはそれで個性なので、欲しい人は居るかも知れないが
その目的では、ニコンAi55/3.5と、オリンパスOM 50/3.5
の両雄が存在する、これらは、FDM50/3.5よりさらに過激で、
ピント面はカリカリ、ボケはパキパキである、そのような描写の
特徴を重んじるのであれば、そういう選択肢もありだ。
あえてFDM50/3,5を選ぶのであれば、まあ、性能的な価値から
すると、中古相場は7000円程度を目安とするのが良いと思う。

さて、今回記事は次でラストだ。
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カメラはEマウントアダプター母艦としているNEX-7だ,
基本性能と高度な操作系(UI設計)に優れ、アダプター母艦
として適している。APS-Cサイズなので画角的な不利はあるが、
オールドレンズの周辺収差をカットしてくれるという利点もある。

レンズは、ニコン Aiニッコール 135mm/f2 だ。
Aiレンズ群の中では最優秀と思われる程の性能を持ち、
マニア必携のレンズである。

初期のAi版が1977年発売、後期のAi-S版が1982年発売、
Ai-S版は、NIKON F3の発売に合わせ仕様を小改良したものと
思われ、基本的なレンズ構成などは同じであり、現代において
マウントアダプターで使用する上では、両者の違いは無いので
中古を見つけたらどちらのタイプであっても気にする必要は無い。
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AiマウントのMFニッコールレンズで優秀なものは、この135/2
そして、Ai(ED)180/2.8、このあたりはまず「鉄板」であろう。
他に、ちょっと個性的だが、まあまあ使えるレンズとして
Ai85/1.4やAi105/2.5などがある、いずれも中望遠から望遠系で
ある事が興味深い(逆にMFキヤノンは大口径広角が優秀であった)

すなわち、1960年代から1980年代くらいの銀塩MF一眼時代は、
各メーカーによって、得手不得手のレンズがあった模様である。
まあ、それはレンズ設計が、技術者のスキルや、メーカーに蓄積
されたノウハウに頼っていた時代であったから、そうしたメーカー
間の差異が存在しても当然であった。

勿論、現代においては、レンズはコンピューター設計であり、
技術者個人の能力の差異はあまり重要ではなく、むしろメーカー
の設計思想として、どのような味付けのレンズを作るか?という
企画コンセプトの方がより重要になってきている。
しかし、そのあたりも、ほとんど各社共通の方向性になってきて
おり、メーカー間の差異はほとんど存在しない。おまけに製造も
各社からの受注をするレンズ専業OEMメーカーとなっている事が
多い為、ますますメーカー間の差が無い。

結局のところ、どのメーカーの製品を買っても安心である一方、
個性が無くなってきてつまらなくなったとも言えよう。
だから、そういう個性に拘るマニアの人達は、オールドレンズを
アダプターでせっせと使っている訳だが・・
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この Ai135/2の最短撮影距離は、1.3mと、まあ標準的だ、
ライバルのレンズとして、CANON New FD135mm/f2が
存在する。
FD135/2は、本シリーズ記事の第15回で紹介しているが、
本レンズと甲乙つけがたい優秀なレンズだ。

両者はスペック的にはほぼ同等だが、1つだけ大きく異なる
点があり、それはレンズの重量だ。方やFD135/2は、670g
こちらの Ai135/2 は 860gと、200g近くも差がある。

しかし、FD135/2の時はLUMIX G1に装着していた、
このカメラの重量は385gと、ミラーレス機にしては大柄だ。
今回は、NEX-7に装着、この重量は 291gであるので、G1より
100gほど軽い、だから軽くて良いか?という話ではなく、
カメラとレンズの重量配分の問題がある。

G1に対しFD135/2は、約1.7倍の重量、ところが、NEX-7に対し
Ai135/2は、約3倍の重量となる。

実際の使用においては、NEXの場合は、ほぼレンズにカメラが
くっついている感じとなり、常にレンズの方を持って歩く事と
なる、ボディを持ってしまうと、アダプターやマウント部に
かかる重量負担が心配だ。
撮影時も同様、レンズ側に全体の重心が来るので、カメラを
左手で支えながら、同時に左手でのピント操作を強いられる、
これは正直言ってしんどい。

その点、G1+FD135/2は、普通のカメラシステムという感覚で
重量バランスは良い。G1の右手グリップはしっかりしているので
ピント合わせにおける左手負担もAi135/2よりも相当に少ない。
「だったら、Ai135/2もG1につけたら良かったのでは?」
と言えば、まあその通りである(汗)

けど、G1+FD135で感じたのは「長すぎる」(=換算270mm相当)
ということなので、今回は、NEXとの組み合わせで200mm相当
とした次第であった。
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Ai135/2は、ニコン Aiレンズの中では、ピカイチの性能と
思われるが、銀塩AF時代になって、このレンズは、そのまま
引き継がれる事はなく、DC135/2となってしまった。

シリーズ第17回記事の 「APD vs STF」編で紹介したように、
DCレンズは、大関クラスのボケ味重視の高性能レンズであるが、
既にDC105/2を所有していて、135mmは、このAi135/2が
あったので、DC135/2は高価な事もあり、購入していない。

今、このクラスの新しいレンズで興味があるのは、SONY 製の
ZA 135/1.8であるが、非常に高価なので購入に至ってない。
ライブ撮影には最適なレンズかも知れないと思っているので、
そのうち懐に余裕ができたら買ってしまうかも知れないが(汗)

実はこのAi135/2も、一度ライブ撮影で使った事がある。
ただし、極端に重いレンズで、ピント合わせのヘリコイドの
操作もまた重く、ライブステージが終わったころには、
撮影しているこちらの方がヘロヘロに疲れてしまった(汗)
左手を酷使するという点では、ギタリスト以上かも知れない(笑)
なので、それ以降いくら優秀でも、このレンズをライブや舞台の
撮影に使う事はしていない。

それから、ライバルのFD135/2の方にある、ボケ質の破綻が、
このAi135/2では起こりにくい。なので、購入するとすれば
こちらの方が良いと思うのだが、前述のように重量差が大きく、
かつ価格も異なる。FD135/2はレア品であり、現在入手が
困難であるが、もしあれば、まあ4万円前後というのが
性能からの妥当な相場だ。

対して Ai135/2だが、中古は良く見かける、しかし、相場は
かなり高価で 6万円以上はしてしまうであろう。

私が1990年代に本レンズを購入した際は、値切って47,000円
であった、性能からすれば、5万円程度は、まあ、やむを得ない
と思うが、6万円以上というのは、ちょっと高すぎる。

仮に、買ったとしても、重たい本レンズの使いこなしは、かなり
苦労する事であろう、技術も要求されるので、あまりお気楽な
感じで買うと、持て余してしまう恐れもある。
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しかし、ボケの綺麗なレンズだ。

まあ、でも135mmは、前回記事で紹介したミノルタ(SONY)
STF135mm/f2.8[T4.5]がボケ質の横綱として君臨する。
あるいは、私は未所有だが CANON EF135/2も優秀なレンズで
ある事は確かだ。また、前述の DC135/2 も ZA135/1.8も存在
する。いずれも大関クラス以上のレンズである事は間違い無いし、
STFが暗い場所に弱い点も、f2級以下であれば問題は解消できる。

なので現代において、あえてこのAi135/2に拘る必要は殆ど無い。
135mm大口径が必要ならば、いずれかの現代レンズを購入し、
オリジナルのボディでAF撮影をすれば良いだけであろう。
高級デジタル一眼であれば重量バランスも問題は無い、それに
AF撮影ではそもそも左手の負担は少なく、単にレンズを支えて
いるだけで良いのだ。

あえてAi135/2を買うのは、コスメリットという点はあると思う、
一応、現代版AF135mm大口径の半額程度で購入できる。
ただこれをミラーレス機で使うとなると、重量バランスは極めて
悪い。だったら、ニコンのデジタル一眼の高級機、すなわち
Aiレンズの使えるものを母艦として使用する方が正しいと思う。

まあ結局、Ai135mm/f2を買うかどうかは、あくまで自分で
悩んで決めなさい、という事だ。

次回シリーズ記事に続く。

ミラーレス・マニアックス(19)

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安価な中古ミラーレス機とマニアックなレンズを組み合わせ
コスパの良いアダプター遊びを楽しむシリーズ記事。

ちなみにコスパというのは、商人の街、関西人の基本だ、
無駄な物には1円もかけたくないし、同じ物を1円でも安く買う
事が、それ自体が能力と見なされる。
見栄を張り高価なものを買って周囲に自慢するという感覚は、
関西人には微塵も無い、むしろそれをやったら周囲から馬鹿に
されてしまうのだ。

今回は、まず、このシステム。

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カメラは毎度おなじみのDMC-G1

レンズは、OLYMPUS OMシステム ZUIKO 100mm/f2 だ。
30年以上も前のMFレンズである。

シリーズ第5回の記事で、OM ZUIKO 90mm/f2マクロを紹介し、
OMシステムのレンズ群の中では、トップクラスの性能の
「スーパーレンズ」だと紹介したが、この100/2も90/2に
勝るとも劣らない名玉である。
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OMシステムは、天才設計技師、米谷氏(故人)の思想を強く
受けている。米谷氏は銀塩時代、PENやOM、XA等の小型
軽量で高性能なカメラを設計した事は一般に広く知られている、
なにせPENやOMは、今なおミラーレス機に名前を残している位だ。
そして、彼の功績は勿論そうした外観上の工夫だけでは無い。
銀塩時代でありながらも、操作系とか標準化とか、その後の
カメラの設計思想に大きな影響を与えている事も重要な要素だ。

操作系で有名なのは「オリンパス左手思想」であろう。
(銀塩)カメラ操作の基本の3要素は「ピント」「絞り」
「シャッター(速度)」である、OMシステムでは、これらを
すべて左手だけで操作できるように、カメラのマウント部に
シャッターダイヤルを配し、レンズ先端部に絞りリングを配置
するという方法である、これにより、右手はカメラを支える
事と、シャッターボタンを押すことだけに集中できるという
コンセプトだ。

現代のデジタル時代では、撮影において色々と操作しなければ
ならない項目が増えているので、左手思想は有効では無い。
そこまで新しい事を言わないまでも、絞り優先での撮影が
一般的になった1980年代以降(OM-2NやOM-4の時代)には、
左手シャッターダイヤルの必然性は少なくなってきていた。

すなわち操作性や操作系については、その時代のハードウェアの
特性や、あるいは撮影技法などによっても変化していくという
事なのだが、まあ、とは言え、OM-1の時代におけるマニュアル
露出制御においては「左手思想」というのは優れたコンセプト
であったと思う。
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標準化については、例えばモータードライブは、OMシリーズの
ほぼ全てで共通で使用できる事など、ボディにおける標準化の他、
レンズにまでも標準化が進められていた。

例えば、OMズイコーは、各焦点距離でf2級の大口径レンズと
f3.5級の小口径が同時にラインナップされている事がある。
その際、小口径のフィルター径は、たいてい49mmΦであり、
大口径の方は、ほとんど55mmΦなのだ。これによりレンズを
複数所有した場合でも、特殊フィルター等の共有が容易だ。

1970年代、ニコンもできるだけ多くのレンズを52mmΦでそろえ
ようとしていた節があったが、少々無理があった様子だ。
当時のそれ以外のメーカーに至っては、そうした標準化の思想は
殆ど無く、フィルター径はバラバラだし、カメラボディの
アクセサリー等も、機種毎にほとんど共通性は無かった。

現代でもなお、このあたりの標準化は行き届いてはいない、
まあ、レンズなりボディなりの性能を最大限に発揮する、という
名目においては、標準化や共通化は無理だ、という風に言われれば
それはそうなのだろうが、じゃあ、OMシステムは標準化した事で
それぞれの性能を落としたか?と言えば、そんな事は無い、
カメラもレンズも高性能であるのはまず当然なのだ、その上で、
様々なユーザー利便性を意識したコンセプトを持っているのだ。
これらの事から、当時のオリンパスの先進性が見て取れると思う。
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OMズイコーは21mmから180mmまでのレンズで、
マクロも含め、すべてを開放f2で揃える事が可能である、
これもまた驚異的に凄い。

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さて、今から40年も前のオリンパスOMシステムの凄さが、
多少なりともわかって貰えたところで、今回のZUIKO 100/2
の話に戻ろう。ここまで OMシステムについて解説しながらも
何枚かの写真を載せているが、OM100/2の描写力については、
現代においても何ら不満は無い。
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100mm/f2級というレンズは、MF・AF問わず、他社にも多く
存在している、しかし、このクラスのレンズの性能差は機種毎で
大きく、極めて優秀なレンズもあれば、まあ普通、という性能の
物もある。
そもそも銀塩時代では、フィルムの種類を選んでしまえば
カメラはただの箱である、描写力は、あとは100%レンズの
性能に依存するしかなかった訳だ。銀塩時代末期においては
カメラ本体のAF精度とか露出(AE)精度とかをうんぬん言って
いた時代もあったが、それとて、MFやマニュアル露出で撮るので
あれば差は無く、極論してしまえば、銀塩カメラなんて皆一緒で
あるとも言える。

デジタル時代はさらに状況が変化している、レンズの性能が
重要とは言っても、実際には画像処理エンジンで、大きな差が
出てしまうし、ユーザーに解放されている設定も、シャープネス
彩度、コントラストといった、ごく基本的なものから、WBの
微調整やら、Dレンジ制御やら、はてはエフェクトまで、いくら
でも調整が可能となっている、したがって、銀塩時代のレンズ
評価項目である、解像度やコントラスト、色味等のほとんどは
無効であり、さらに言えば、マイクロフォーサーズ機のセンサー
サイズは35mm判銀塩の1/4の面積しか無い、このためレンズ
周辺の様々な収差は、すべてカットされてしまうのだ。

結局、どうにもならないのは、フレア、ゴーストやボケ質だけだ、
これらばかりは、カメラの画像処理エンジンやPCの画像編集
でも解決できない。

OM Zuiko100/2の話が殆ど無いのだが(汗)
文句のつけようが無いので、書く事もほとんど無い・・

中古の玉数は、現在極めて少なく「時価」であろう。
私は2000年代に入ってから、35000円と、性能からすれば
安価な価格で入手していたのだが、まあ、価値的な感覚で
言えば、5万円程度が妥当なレンズだと思う。
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さて次のシステムは、本格派のZUIKOとはがらりと変わって、
カメラはトイレンズ母艦のNEX-3
レンズは、KENKO MC 85mm/f2.5 ソフトレンズだ。

本シリーズ記事でのソフトレンズの紹介は「キヨハラ VK70R」
「ニコンおもしろレンズ工房ふわっとソフト」に続いて3本目で
あるが、ソフトレンズでいつも思うのは、ピント合わせが
困難であるという事だ。勿論、ほとんどのソフトレンズはMFだ、
皆、いったいどうやってピントを合わせているのだろうか・・?
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いったい、元々こういう写りなのか?ピンボケなのか?
そのあたりが良く判定できない(汗)

いつもその問題が気になっていたので、今回、NEX-3を
持ち出したのは、その優秀なピーキング機能を使えないか?
という実験の意味もあった。第11回記事の際に、ピント合わせが
困難なLENS BABY 3Gを使った時、NEX-3のピーキングが
効果的であった事も理由だ。

ピーキングと言う機能は、ミラーレス機特有の機能であり、
撮像素子で取得した画像に対し画像処理での輪郭抽出を行う。

輪郭抽出は、空間微分フィルターを用い、1次のグラディエント
オペレーター型のフィルターであれば、ロバーツとか、ソーベル、
キルシュ等という計算方法がある、2次であればラプラシアンが
代表的であろう。いずれも計算は掛け算と足し算だけで、単純で
あり、いちいちソフト的に計算せずとも、画像処理エンジンの
LSI上のコアとしてハードウェア化が容易だ。

だが、これらの微分輪郭抽出フィルターは、輪郭、すわなち
輝度差がある部分がはっきりしていないと、計算をしても
そこが輪郭だとは判定できない、なので、元々ピントをボヤかす
ソフトレンズでは、ピーキング機能はほとんど無効なのだ。

よく考えればそれは当然の話なのだが、実際にやってみて、
効くか効かないか実験するスタンスは非常に重要であろう、
カメラを作っている人達でも実際にソフトレンズをつけて、
ピーキング機能を試してみた人が果たして居るであろうか? 
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ピーキングも効かない、NEX-3の貧弱な背面モニターでは
ピントはわからない、そして、恐らくは、仮にNEX-7の強力な
EVFを持ち出したとしても、やはりピントはつかめないであろう、
元々236万ドットタイプのEVFは、画像は綺麗だがピントの山は
つかみにくいのだ。

ならば果たしてどうやってピントを合わせるのか?
そこがミラーレス機+ソフトレンズでの最大の課題である。

1つの解決手段は、まず以下を見て欲しい。
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この MC 85/2.5 SOFT には、開放f2.5から、f4までの
間に3つも絞り値がある、これは、f2.8,f3.2,f3.5に相当する
と思われるが、これは実は露出の厳密な制御の目的ではなく、
ソフト量の調整なのだ。

ソフトレンズのソフト量はレンズの球面収差を利用したもので
この収差は絞ると解消する、すなわち絞り値でソフト量が
減るのだ、だったら、絞ってしまえば、ソフト効果は無くなり、
目視でもピーキングでもピント合わせは容易になる。

けど、それだと何だか面白くない、撮影時にいちいち絞りを
開けたり閉じたりしてピント合わせをするのは辛気臭い。
まあ、ロシアンレンズによくあるプリセット絞りであれば、
その機構を逆用して、絞った状態と開放状態を瞬時に切り替
える事ができる、しかし、そのためにはレンズ自体にその機能
を持たなければならないので、このレンズでは無理だ。
だったら、絞り機構内蔵型マウントアダプターではどうか?
これは試してはいないが、恐らく無理であろう、レンズ本体の
収差でソフト化した光束を後玉以降の絞りで遮ってもソフト
効果はあまり低減しないかも知れない。

結局、ミラーレス機とソフトレンズの組み合わせでは、
ピント合わせの苦労は、なくならないという事だろうか・・
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そういえば、銀塩時代のミノルタ AF100/f2.8SOFTと、
キヤノン EF135mm/f2.8SOFTではAFを実現していた、
いったいどうやってそれが可能となったのだろう?
ミノルタ版は今でも所有しているので、いずれ色々と試して
みるとするか・・

KENKO MC 85mm/f2.5の相場だが、私は1990年代に
16000円で購入したが、これは高すぎた(汗)
現在では玉数は少ないが、発売期間が長いために、皆無という
訳ではない、あれば1万円以下というのが妥当な相場であろう。

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さて、次のシステム
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カメラは RICOH GXR
レンズ(ユニット)は、S10 24-72mm/f2.5-4.4 である。
(以下S10)

シリース第17回記事で、X-E1とFUJI XF56/1.2APDの紹介を
した際、AFの精度が悪くピントが合わない、と書いた。
そして、その際、もっと合わない機種として、K-01やGXRがあると
書いたのであるが、GXRでもA12シリーズより、S10は少しまし
だったようにも思うので、もう一度、AFのピント精度を中心に
テストをしてみよう。
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遠距離被写体、これは合う。
GXRユニットのS10のSというのは、1/1.7型撮像素子を示す。
1/1.7型は、A12のAPS-Cサイズ素子の約1/9の面積しか
無い。被写界深度の計算で許容錯乱円のサイズが3倍ほど
異なるので、要はA12よりもS10の方が、ピントも合いやすく
なる計算だ。

その後も色々試してみたが、S10だから全ての条件でGXRの
A12よりピントが合いやすいか?あるいは、GXR+S10は、
他のミラーレス機に対してどうか?という視点であったのだが、
実際の感覚からすれば、やっぱ、S10を使ったとしても、
GXRはピントが合わない。
前回紹介記事で、S10は直感的に「マクロが良さそうだ」と
近接撮影ばかりしていたので、ピントが良く合う印象だったのだが、
今回も近接撮影でマクロに切り替えると、第17回記事で説明した
ようなピントステップの近距離レンジへのシフトが起こるのであろう、
そこでのステップへの合致度は高く、すなわちS10は、マクロで
撮ればかなりの確率でピントが合うという事になる。

ただ、やはり中遠距離ではS10はピントがだめだ。合わない事
にイライラしていたら、せっかくのGXRのシステムが使いにくい、
使えない、という評価となり、最悪は休眠してしまう、そうは
したくないので、より多く撮って、S10の長所を見出していく
必要がある。
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結局のところ、ミラーレス機で遊ぶというのは、
撮っていて面白いかどうか、楽しいかどうか、という点が
一番重要なのだと思う、ピントが合いにくいのであれば、
それはそれとして、面白い部分を探していくことだと思う。
GXRは古いカメラなのでエフェクトなどはほとんど使える
ものは搭載されていない、ただ、露出補正やらAEロック
やらのカメラとしての基本機能の操作系は非常に充実して
いるので、そういう部分を使って撮れば良いわけだ。
エフェクトに頼らずとも個性的な写真は撮ることはできる。
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マクロ撮影はさすがに強い、A12の50/2,5マクロよりも
良くピントが合うくらいなので、S10をマクロ専用として
A12 50/2.5を中遠距離の標準レンズとして使い分ける
方がストレスが無くて良いかも知れない。

S10とGXRのセットは、現在の中古相場では2万円を
切ってくる。GXRの弱点ばかり見てしまうと使いにくい
システムかも知れないが、まあ描写力という点では、
どのユニットも十分使える性能なので、そのあたりを上手く
活かせれば、さほど高い買い物という訳でもないであろう。

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さて、次は今回のラストだ。
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カメラがX-E1、先般のAPDでAF精度の面でちょっと悪印象が
あったので、今回は、MFレンズを使ってMF操作系を実践して
みよう。

レンズは、ニコンAi45mm/f2.8Pである、Pという名称は
CPU内蔵レンズという事で、MFレンズでありながら、
ニコン銀塩AF時代の一眼レフ、デジタル一眼レフにおいても、
ボディ側ダイヤルで絞りを操作でき、露出計も当然動作する。

このレンズを見ると、不愉快な体験を思い出す、このレンズの
発売は2001年11月であったのだが、当時としては久しぶりに
MFの単焦点レンズがニコンから発売されるという事で、
発売前に予約、発売当日に大阪のカメラ店に買いにいった。

普段行かない(常連で無い)カメラ屋だったのだが、店員は
店「さて、どの番号にしますか?今だったら10本よりどり
  みどりですよ」
と聞いてくる。
匠「はあ?シリアルナンバーですか?どれでも良いですよ」
店「あれ?転売されるのではないですか?」
匠「いえ、使い倒します(怒)」

常連客として通っていた店であれば、こういう聞かれ方は
されなかった事であろう、私が、実際にカメラやレンズを
使うマニアであり、コレクターや投機目的では無い事は
知っているからだ。

この話には説明が必要だろう、1990年代後半、中古カメラの
第一次ブームが起こり、特にパンケーキと呼ばれる薄型の
レンズは極端に人気が高かった、ニコンではパンケーキは
1969年発売の「GNニッコール」(以下GN)しか存在していない。
(E50/1.8も準パンケーキだが、そちらは人気がなかった)

GNは操作性と描写力に課題があり、実用的には使えるレンズ
ではなかったが、レアである事からニコン党の間で大変高価で
取引され、中古価値的には数千円のものが、5万、7万、10万
と相場がつりあがっていった。

ただ、その後、パンケーキブームは去ったのだが、その1つの
引き金ともなったのが、パンケーキブームをあえて知って開発
を行ったと思われる、このAi45mm/f2.8P である。

私は、純粋に、この新型パンケーキが欲しかったのであり、
投機目的でもレア品集めでもなかったのだ。それにここで
新製品が出てくれば、GNの狂乱も収まると予想していたし、
だいいち2001年当時では、先端を走っているマニアの間では
すでにパンケーキブームは収束していた。その店員や、GNに
群がるニコン党は、レンズや中古市場の事がわかっていない、
と、当時の私は思った。
同じ情報に飛びつき、いつわりの流行に踊らされ、しかも流行
遅れだ、そういうのと一緒にされた、という不愉快なやりとりの
中で購入したこのAi45mm/f2.8Pは、まさしくいわく付きであった。
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レンズの基本性能は銀塩時代から知っている。
従来のテッサー型の45mm/f2.8は、最短撮影距離が60cm
であったのが普通の所、このレンズは、最短を変形ガウス型
標準レンズと同様の45cmまで縮めることに成功している。
テッサー型での焦点移動は存在するが、被写界深度内なので
気にしない。開放近くでボケ質の破綻が起こるが、それも回避の
術はある。

しかし、なんだか様子がおかしい・・
絞りを変えようとしても、ほとんどX-E1のEVFやモニターに写る
被写界深度は変わらないではないか、X-E1のMF操作系に何か
特別な事があるのかと思い、一瞬プレビュー操作が必要か?と
疑ったが、何の電子接点も持たない Ai→Xのアダプターを
使っているのでそんなはずは無い、ならば故障か?

アダプターを外して確認する。絞りが開放から2段階、f5.6まで
しか絞れない、これは故障(絞りネバリ)だ。
まあオールドレンズや長く放置したレンズでは良くある話だ、
応急措置としては、絞り操作や絞りレバーを数百回カチカチと
動かす事で、固くなっている部品が、ちゃんと動いて絞られる
ようになる事もある。
それでも直らなかったら修理か、諦めてそのまま使うか、元に
戻らない事を覚悟の上、自分で分解修理をするかのいずれかだ。

歩きながら、絞り環をカチカチとずっと動かしつづける、摩擦や
手の体温で、温度が上がると絞りの固化している油分が溶けて、
復活する事もよくあるのだ。
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まあ、本格的な対応は帰宅してから行うとしよう。

先日もアダプター使用時に、重量級のレンズを装着したため、
アダプター内部のネジが緩んでカタカタ言い出した事があった、
一応精密ドライバーはいつも持ち歩いているけど、この修理は、
アダプターマウント面の細かいネジをすべて外し、さらに、
いくつかの細かい部品を無くさないように注意しながら、
内部のネジを締める必要がある。
これは屋外でやるような応急修理ではない、絶対細かい部品を
無くしてしまう。
だから、カメラ類の調子が悪くなった時でも、慌てず、できる
だけ現状維持をしながら、家に帰ってからちゃんと落ち着いて
修理なり対応を考えるのが良い。

だいたい、沢山の古いカメラやレンズを使っていれば、常に
いくつかの機材は調子が悪い、といった状態になるのは当然だ、
そういう事に遭遇する経験を積めば積むほど、慌てずに冷静な
対応が出来るようになる。

まあ、しかし、購入時点から、ちょっと因縁のあったレンズだ、
私が気に入らない、と思っていることも、間接的に影響がある
のだろう、気に入らないから滅多に使わない、滅多に使わない
から故障もするのだ、使い続けている機材はあまり壊れることも
無い、機械というのは、たいてい皆そういうものだ。
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絞りがf5.6までしか絞れない事で、撮影時の当面の問題は、
このレンズの開放近くでの「ボケ質破綻」だ。
まあでも、撮影距離、背景距離、背景の絵柄等、の条件を
変更する事でぎりぎりの状態で回避はできそうだ、
けど、絞り値が自由にならない事で、ずいぶんと制限を
受けることは実感した、まあそれも経験であろう。

しかし、X-E1の絵作りはたいしたものだ、ローパスレスとか
そういう特徴以前に、カラーのバランスが良い。
いちおうFUJIのカメラであるので、ベルビアモードに設定
するのは基本であろう、銀塩時代の色感覚で撮る事ができる。

画像処理エンジンの内部パラメーターは、数百、いや優に
1000は超えるであろう、そういう多数の内部パラメーターを
メーカーの技術者は適正に、あるいは意図を持って調整して、
そのメーカー独自の絵作りを実現する。
製品の基本性能上は現代ではメーカー間の差異は無い、
けど絵作りや操作系においては、カメラの設計コンセプトや
ノウハウであったり、開発者が写真を撮るという事をどこまで
理解しているかで、大きな差が出てしまうポイントだ。

X-E1の絵作りは良いが、アダプター使用時の操作系は決して
褒められたものではない、例えばだがMFに切り替えないと
ピーキングが出てこない(アダプター利用時は、MFに切り替え
ればそれで良い)ピーキングのレベルと色は調整できない。
さらに背面モニターではより強くピーキングが判別できるが、
EVFではほとんど出ない。

まあ、背面モニターは46万ドット(480x320x3色)なので、
グレースケール化した約15万画素の画像に、1次空間微分の
計算をしたとして、1フレーム毎に15万x8回の積和計算が
必要だが、EVFは、236万ドット(1024x768x3色)なので、
計算量は一挙に5倍に増加する。なにかしらピーキングの計算
を簡略化しないと間に合わないかも知れない、例えば解像度を
落として、適当に間引いて計算する等だ。

ただそういうのは技術者の理屈だ、ユーザーの立場から言えば
EVFであってもモニターであっても、同等の性能でピーキングを
実現して欲しい、そうでないとMFでのピント合わせが出来ない。

ピーキングの精度がどうも怪しい、合っていると表示される
場合でも、なんだかピンボケしている場合がありそうだ、
おまけにシャッターボタンを半押しするとピーキング機能が
無くなる、これはシャッターを切るギリギリまで機能を動作
させておかなければならない、何故ならば、MF時は半押しで
AEロックして構図を変更するからだ、構図変更後のピーキング
が見えないとピントが不安になる。この仕様は不満である。

そして最悪なのは、拡大操作系だ、絞り調整用ダイヤルを
プッシュすると拡大操作が出来る、これはMF設定時のみの
操作であり、AFレンズでは、せっかくファームアップで
AF+MF機能(ヘリコイドを廻すと瞬時にMFになる)が搭載された
のに、この操作が出来ない、X-E1のボディ前面の操作しにくい
場所にあるレバーをいちいちMFに倒さないと拡大操作が出来ない。
これはNGだ。

まあ、MFで使ったとしよう、ダイヤルをプッシュして拡大
モードにした、次に拡大枠を移動するのが普通の操作だが、
何とこの時、カメラ背面の左下隅にあるAFモードボタンを
押さないかぎり、拡大枠の移動が出来ない。カメラを構えて
操作したらわかるが、左手がその位置にあるため、この操作
はカメラを構えたままでは困難だ、したがって一旦構えを
解いて、ボタンを操作しなければならない。
さらに言えば、ここから操作系を一旦キャンセルし、再度
プッシュ操作をしないと変更した位置が拡大に反映されない。
こんな操作をしていたら、構図決めもピント合わせもすべて
御破産(ごわさん)である。
写真を撮らない人が操作系を決めているとしか思えない。

まあ、X-E1にも長所もあり、短所もある。苦手な部分は
回避して使えば良いだけの話だ、それがアダプター遊びの
根幹だと思う。

さてもう文字数が限界だ、次回記事に続く。

新・関西の楽しみ(96)京都宇治・大吉山ミニ登山

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さて、少々マニアックな、関西の場所やイベントを紹介する
このシリーズ記事、今回は、京都府宇治市の大吉山(仏徳山)
を散策(ミニ登山)してみる事としよう。

京都の宇治と言えば、まず思いつくのは「宇治平等院」で
あろうか?10円玉のデザインとして日本人ならば知らない人は
居ないくらいである。近年、数年間改修中であったが、工事も
無事終わり、あいからわず多数の観光客が訪れる人気スポットだ。

平等院見学(参拝)の後は、参道の商店街で、宇治茶あるいは
抹茶スイーツ、というのが一般的な宇治の観光パターンだろう。
でもまあ、そういうパターンに一極集中せず、知られざる名所も
あるよ、というのが、このシリーズ記事のコンセプトである訳だ。

大吉山(仏徳山)は標高132mの低山であり、以前の第94回記事
で紹介した京都府八幡市の「男山」(143m)とほぼ同等の高さだ。

どうやって行くかは、京阪やJRの宇治駅で配られている宇治の
「観光地図」、あるいは様々な場所にある大きな看板での地図を
見れば容易にわかる。このあたりは「観光都市宇治」であるから、
そうした観光の為の環境はさすがに良く配慮・整備されている。
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地図を見ると京阪宇治駅から「源氏物語ミュージアム」を経由し
途中から、大吉山(仏徳山)散策路に入れば良いという事がわかる。
私はまあ、過去5~6回は登っているので、地図は特に不要だが、
念のため(迷った時など)の為に、地図を貰ってきている。
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まず「源氏物語ミュージアム」に到着だ。ご存知「紫式部」による
長編恋愛小説である「源氏物語」に関する資料や、その世界観を
あらわず展示物などがある。何故、宇治にこの博物館があるかと
言えば、源氏物語の後編(続編)の宇治十帖に由来するからだ。
(注:この博物館は有料施設だ)

源氏物語は「日本文学史上最高の傑作」「最古の長編小説」とも
称され、国内外でも人気が高い。原作やその校訂、解説本は多数
存在し、マンガ、ドラマ、映画なども勿論多い。

私のお気に入りは、まずはマンガ版の「あさきゆめみし」だ
(大和和紀著、1980年代頃)これには、宇治十帖まで書かれて
いて、昔読んだ事もあったが、最近文庫版を全巻入手し一気読み
しすると、なかなか世界観が良く書かれていて面白い。
映画版では、近年の「源氏物語 千年の謎」(2011年、生田斗真
主演)が、視点がユニークで面白かった。

源氏物語ミュージアムには、これらの関連資料も色々揃っていて、
実は、以前訪れた際「あさきゆめみし」をちょっと再読していて
なかなか面白いなあ、と思ったが、博物館では当然全巻読む時間は
無く、結局その後、古本屋で全巻入手した次第なのだ。

なお、余談だが、長編歴史マンガといえば「天上の虹」
(持統天皇の話、里中満智子著)もかなり面白い。1983年から
連載を開始し、ごく最近(2015年)に完結した(実に32年!)という
里中満智子のライフワーク的作品だ、最終巻以外は全巻持っているが、
文庫版の最終巻がそろそろ出ている頃だと思うので、完読したら、
どこかの記事で、また感想でも書いてみる事にしよう。
(前記事の真田丸関連で書いたように、これを大河ドラマに出来れば
面白いと思うのだが、やはり天皇家がらみは、ちょっと難しいか・・)

さらに長編マンガには、未完だが「ガラスの仮面」もある。これらは
いずれも「少女マンガ」という事で、男性諸氏には、少々敷居が高い
かも知れないが、一度読んでみると、男性でもその面白さにハマる
事は間違い無いと思う。

さて、余談が長くなったが、「源氏物語ミュージアム」は、
入館せずとも、知る人ぞ知る紅葉の名所となっている。

昨2015年は、異常気象の影響からか、全国的に紅葉はイマイチで
あったので、3年ほど前に源氏物語ミュージアムの前で撮った
写真より。
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まあ、他の紅葉写真も紹介しているときりが無いので割愛するが、
ミュージアム横の散策路が紅葉のトンネルとなっていて、見事である。

さて、源氏物語ミュージアムを出ると、ほんの100mほどで、分岐路
にさしかかる。
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ここを右に(真っ直ぐ)行くのが、一般的な宇治散策ルートだ、
この先には、宇治上神社、宇治神社があり、そこからさらに中の島
(塔の島)を経由し、宇治平等院(鳳凰堂)、商店街(参道)
そしてJR宇治駅(または京阪宇治駅)と戻るのが宇治観光の
定番ルートなわけだ。(ちなみにバスツアーで来る観光客は、
平等院と、商店街以外に足を伸ばすケースはほぼ無いと思う)

でも、それらのスポットは「大吉山ミニ登山」の後からでも行く
事が出来る。そこで、この道を左に折れるわけだ。
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散策路(登山道)はゆるやかな登りが続く、標高は132mと低山だし
道は九十九折(つづらおり)となっていて、傾斜もきつくはなく
大げさな登山用具や装備は無くとも大丈夫だ、またカメラについて
も、一般的な感覚においては途中に被写体は殆ど無いだろうから、
小型のミラーレス機やコンパクト、携帯(スマホ)でも十分だ。

パンフレットには、この散策路には紅葉や桜もあると書いてはあるが、
実際には1~2ヵ所とあまり無い。まあ、それ(紅葉)を期待する
ならば、前述の源氏物語ミュージアム周辺や、後述の「琴坂」が
あるので、あえて大吉山でそれらを探す必要は無いと思う。

途中、九十九折が面倒ならば階段でショートカットできるポイントも
あるが、そこを登ると、ペースがちょっと狂って余計しんどくなって
しまう危険性もあるので(下りはともかく)登りの場合は、普通に
登山道を通った方が良いかも知れない。

けどまあ、登山時間は、およそ15分、遅くとも20分もあれば
登りきるだろうから、ペースなど、あまり神経質になる必要も無い、
こういう場所は地元のシニアなどの中には、毎日登っているような
人も多数居ると思われる(例:京都の狸谷参拝)
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ほどなくして、大吉山(仏徳山)の頂上展望台に到着だ。
全行程を通じて、この場所のみ、眼下に宇治の町並みが
絶景として広がる。
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好天あるいは紅葉の季節などはなかなか見事なものである、
はるかかなた(と言っても、直線距離で600mほどだが)の先には
宇治平等院鳳凰堂を見下ろすこともできる。

今回持ってきているレンズは、85mmの中望遠単焦点であるが、
ここだけちょっと望遠が欲しくなる、まあ、いくつかのミラーレス機
には、デジタルズームという機能が(画質はだいぶ劣化するが)ある
ので、それを使ってみることとしよう。
85mm をマイクロフォーサーズで2倍、デジタルテレコンでさらに4倍、
そこからデジタルズームをさらに2倍まで拡大できる。
都合、換算1200mm相当くらいの超望遠となったのがこの状態。
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この手の撮影は、例によって画質劣化の他、恐ろしく大きく手ブレ
するので、ちょっと難しい。手ブレ補正機能は、今日のレンズや
カメラには入っていないが、これをさらに超えて2000~6000mm
相当ともなれば、もはや手ブレ補正があったとしても、それが効く
レベルも超えている事であろう。手持ちでも頑張って(笑)撮れば、
まあ、何枚かに1枚かは上手くいくと思う。

でもまあ、望遠が欲しいのはこの一瞬だけであり、他は広角から
標準で十分だ、わざわざ山の上から平等院を撮るだけの為に
超望遠を持ち出すのは全く無駄だと思う、それだったら、平等院
を参拝(見学)し、近くから撮った方が簡単だ。

ただ、他に望遠が欲しいケースもある。
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そう、野鳥だ。

この大吉山には多数の野鳥も居て、特にこの頂上展望台には、
餌箱が設置されている事もあり、野鳥がよく訪れてくるのだ。

これは望遠があった方が便利であろう、まあでも、野鳥の
撮影にどれだけ興味があるかどうかは個人の好みであるので
重たい機材を持ったまま(低山とは言え)山登りをする気が
あるかどうか?という話である。でもまあ、少なくとも三脚は
まったく不要であろう、重たいだけだし、今時の機材であれば
高感度、手ブレ補正などにより、むしろ野鳥を撮影するには
三脚よりも、すみやかに目的の場所にレンズを向けられ、かつ
速やかにピントが合うという仕組みが重要だ、これらは
望遠域になればなるほど、メカの仕組み的にも、撮影の技術的
にも難しくなる、大げさな一眼レフ+望遠でも、どうせ難しいので、
手動ズーム式高倍率(ロングズーム)コンパクト機をMF操作で
使う事が、小型軽量かつ、一番楽に撮れる方法かも知れない。

まあ、これら遠距離撮影や野鳥撮影を不要とするのであれば、
この大吉山散策には、望遠は不要という事になる。

参考情報だが、この大吉山(仏徳山)展望台には、多数のベンチ、
トイレ、ごみ箱が完備されている、この手の徒歩ハイキングコース
においては、こういう施設の充実ぶりは珍しく、さすがに観光都市
宇治であると、ここでも思うことになる。

ただ、さすがにジュースの自動販売機などは無いので、水分補給は
(冬場でも)要注意だ、今日は私は、駅近くのコンビニで、水分と
軽食(サンドイッチ)を購入してきているので、景観を楽しみ
ながら小休止ということにしよう、山頂で食べる食事は、なかなか
気分爽快だ。

さて、小休止の後は、早速だが大吉山(仏徳山)を下るとしよう。
(なお、毎回、大吉山、仏徳山と併記しているのが面倒であるが、
これらの2つの名称は、完全に両立していて、観光案内など公式
と思われるものでも、両者か、またはどちらかが書かれているので、
いずれかの表記を見たら「同じものである」と認識するのが良い)

下りは、10分ほどで、麓にまで到達する事ができると思うが、
1箇所注意するのは以下の分岐ポイント。
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ここでは、「興聖寺(こうしょうじ)」方面に向かう必要がある。
間違って「西笠取」方面に向かうと、延々11kmの山道だ(汗)

まあ、健脚ウォーカーや本格登山家ならば無理な距離では無いの
だろうが、一般客等が軽装備等のまま軽く入ってしまうと遭難の
恐れもあり危険だ。
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分岐ポイントを抜けると、砂防ダムが見えてくる、これはつまり
このあたりで、土砂崩れなどが発生しているという事だ、低山とは
言え、山は怖いので、くれぐれも無理をしない事を注意しておく。

無事、大吉山を降りると、そこは「興聖寺(こうしょうじ)」で
あるが、参拝客以外は「JR,京阪宇治駅方面」と書かれた、
墓地の横の道を通っていくのが、お寺に失礼が無く良いであろう。

その先が「琴坂」だ。
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観光案内等にも「紅葉の名所」として書かれている場合がある。
私はほぼ毎年紅葉時期に訪れていると思うが、年によって、紅葉が
綺麗では無い場合もある。昨年2015年は前述の通りイマイチで
あった、また宇治の紅葉はやや遅く、12月に入ってからが見頃の
時期となる。そして、琴坂は狭く、かつ僅か100mほどの短い道だ。
その割に、近年は紅葉名所として知られてきてしまっているので
観光客あるいは「不要不急の車の通過」等で結構混雑してしまう。
さらに悪化すると「一極集中」(同じ情報を元に、皆が同じ時期に
同じ場所に集まる)といった良くない傾向に陥る恐れがあるので、
綺麗なときの紅葉の写真はあえて掲載しないようにしておこう。
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琴坂下の、興聖寺山門を抜けると、そこで宇治川沿いの観光
ルートに復帰、ここで、大吉山(仏徳山)ミニ登山は終了である。

琴坂を下りて左に曲がれば、さらに2kmほど歩けば「天ヶ瀬ダム」
がある、ただし、そこまでは見学時間も含めると、往復2時間は
かかってしまうだろうし、車通りも多く、徒歩ではちょっと
危ないところもあっておすすめしない、まあ、ダムも何度か見学に
行ったことがあるので今回はパスしておこう。

琴坂を下りたところの宇治川には「亀石」がある。
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秀吉ゆかりだとか、垂仁天皇ゆかりとか、色々と故事が言い伝え
られているが、実際には、勿論自然の造型物であろう。

ここから右方面(宇治駅方面)に戻っていくとしよう。

宇治川、中の島(塔の島)は、現在(2016年1月~3月)川底の
工事中である。
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これは近年の異常気象(ゲリラ豪雨など)の対策の意味もあるの
かもしれない、このあたりでは、断続的に何度か、川底や護岸の
工事を行っている。

例えば、2013年9月の大雨の時、この宇治川は氾濫しかけた。
上流の天ヶ瀬ダムの最大放流量は、毎秒 840立方m(=トン)で
あるのだが、2013年9月16日の午前8時40分に、その最高値を
はるかに上回る、毎秒1156.95立方m(=トン)を記録している。

これは国土交通省のHPに掲載されている記録からの情報だが、
この日は、京都嵐山の渡月橋が冠水したり、八幡市の流れ橋が
流れてしまったり、大阪枚方あたりが床下浸水とか様々な被害
情報のニュースが流れていたので、この国土交通省のHPを見て
記録を保存しておいた次第だったのだ。

毎秒1150トンと言えば、例えば、小学校のプールが、25m x 12m
x1m弱 のサイズであれば、ざっと250トンの水量という事になり、
天ヶ瀬ダムからは、1秒間に小学校のプール5杯近くの水量が流れる
という事になる、これは驚くべき数値であり、下流に被害が出て
しまうのも当然であろう、水の威力というのは本当に恐ろしい。

その被害を緩和するためにも、天ヶ瀬ダムに近い宇治のあたりでは
洪水・浸水対策としての、川の改良工事が急ピッチで進められて
いるという事だ。この宇治川は最終的には淀川となって、大阪湾
まで流れ込んでいるので、上流の天ヶ瀬ダム、さらには、瀬田川を
経由して水源の琵琶湖あたりでの対策も必須となる。

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そして、実はこの場所は宇治で毎年行われている「ドラゴンボート」
大会の会場である、毎年開催時期は5月であるので、この工事は
3月までと聴いているため、まあ、ドラゴン大会の開催には影響が
無いであろう事を期待したい。

けど、実は、この宇治ドラゴンボート大会では、レーン(コース)
毎の、条件の差異が問題となっていた、2艘建てのレースであるが
片側のレーンの条件がかなり悪く、2~3秒遅くなってしまうのだ。

その条件を公平にするため、予選の間は、レーンは交互に使う
ようなルールとなっていたが、準決勝以降は、一発勝負であるため
どうしてもそのレーンコンディションの差が思わぬハンデとなる。

しかし、この工事の規模はどうだ? これだと、川底の形状も
これまでとは大きき変わり、レーンコンディションはまたずいぶんと
変化する事であろう。 昨年のドラゴンボートの記事で、
「まさか条件を揃えるために川底の工事をする訳にはいくまい」
と書いたのであるが、思わぬ形で、それが実現しまっているのだ。

レーン毎がイコール・コンディションとなれば、レースはやりやすく
なる事であろう、しかし、反対に、より大きな差がついてしまって
いる可能性もあり、そのあたりはわからない。

洪水対策という大きな公共事業であるから、まさかドラゴンボート
レースの為に配慮した工事をやっている訳でも無いので、実際には
どうなるのか見当もつかない。いずれ工事が終了したら、このあたり
を地元の練習拠点とするドラゴンチーム「すいすい丸」あたりが、
試しに漕いでみて、そのあたりの調査・調整をするとは思うので、
まあ、その情報を待つとしようか・・・
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中の島が工事中で「塔の島橋」などはしばらく渡れない状態だ、
でも、平等院方面の橋は使えるので、そちらを歩いて駅方面に
向かうとしよう。

中の島から見る大吉山(仏徳山)は、結構高くそびえて見える、
ほんの30分ほど前に、あの頂上に居たのかと思うと、ちょっと
不思議な感覚だ。

平等院の前からは、左方向に進めばJR宇治駅、右方向に
進むと、京阪宇治駅だ。
一般に、大阪方面からは、京阪電車で淀屋橋~中書島~京阪宇治
というルートがアクセスに便利であろう、奈良方面からは、JR
奈良線でJR奈良駅~JR宇治が直結、京都駅方面からも、
同じくJRで、京都駅~JR宇治が直結で便利である。

今回帰路は、JR宇治駅を利用するとしよう。
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細かく見ていけば、まだまだ宇治には見所がある。
個人的には結構良く訪れる土地なので今回はここまでとしておいた。

ここまでの所要時間は、京阪宇治駅を出てから2時間程だ、
ミニ登山で疲れてさえいなければ、まだ別の場所を観光に行く
時間はたっぷりある、つまりかけもちが可能である。

紅葉時期がおすすめではあるが、一極集中してしまうのも
好ましくない、なのでドラゴンボート大会開催時がおすすめ、
と書いておくことにしようか。

ちなみに、ドラゴンの選手の方に、このルートを以前紹介したら、
気に入ってもらったようで、予選で勝ちあがり、準決勝までに
時間が余った時に「チームの何人かで準備運動を兼ねて
登ってきた」との話を聞いた。「準決勝で疲れないの?」と
聴いたくらいであるが、まあ、登って下りるだけならば1時間
もかからないし、アスリートの人達の感覚では、軽い運動がてらで
ちょうど良い位なのであろう・・

勿論、アスリートならずとも、一般の方のハイキングコースと
してもおすすめである。

また次回、ちょっとマニアックなスポットを紹介するという事で
今回はこのあたりまでで・・

ミラーレス・マニアックス(20)

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安価な中古ミラーレス機とマニアックなレンズを組み合わせて
アダプター遊びを楽しむシリーズ記事、第20回目。

今回は、まず、このシステムから。

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カメラはEマウントでのアダプター母艦のNEX-7
レンズは復刻TOPCOR 58mm/f1.4である。

TOPCOR(トプコール)の歴史を語ると長くなるが、元々は
「東京光学」として、戦前に設立した光学機器メーカーだ、
戦時中は、他のニコン等の光学機器メーカーと同様に軍用の
光学機器を開発していた模様だ。勿論戦後は民生品に転換した。

東京都板橋区に本社があり、板橋出身の私の父が若い頃に
トプコンのレンズを磨くバイトをしていたとの事だ。
(この経緯もあり、このレンズには思い入れがある)

TOPCON(トプコン)ブランドとして、1960年代~1980年代
まで、一眼レフおよびその交換レンズ群を発売、このころは
高級品として有名であり、その後も、トプコンREスーパー等は
銀塩時代を通じて、マニアの間では高値で取引されていた。

REスーパーの時代(1960年代)のオートトプコール5.8cm/f1.4
は、名玉として名高かったが、エキザクタ・マウントという
やや特殊なマウントであり、銀塩時代は、マウントアダプターも
殆ど無く、このレンズを使いたい場合はトプコンのオリジナル
ボディかロシア製のボディ等を使うしかなかった。

そして、1990年代後半の第一次中古カメラブームを受け、
コシナ社が、東京光学(現トプコン)より商標・意匠権を譲り
受けて、2003年に限定販売されたのが、この復刻版オート・
トプコール58mm/f1.4である。

限定数は、Aiマウント版、M42版各800本と少なく、私はその
両マウント版を入手した。M42版はそれ以降、銀塩・デジタル
を問わず、ずっと愛用しているが、Aiマウント版は製造番号が
2番という数字だったので、ちょっと勿体無くて(笑)使えなく、
ずっと保管している状況だ。

先日のAi45/2.8Pの記事の時に、購入時に転売目的を
疑われたのを不快に思って「レンズは使わないと意味が無い」
と書いたにもかかわらず、このていたらく(汗)
まあ、保存したまま使っていないレンズは、この1本だけだし、
前述の通り、亡き父のゆかりの製品ということなので、唯一の
例外として勘弁してもらおう。
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レンズ外観は、往年のトプコールを模した感じであるが、
まあ現代でも通用するレトロでお洒落なデザインである。

2003年と言えば、すでにフォクトレンダーブランドを展開後の
コシナであるから、かつて自社ブランドのネームバリューが無く、
他社OEM製品や自社製の安価なレンズ販売に甘んじていた
頃とは異なり、贅沢な作りの高級レンズを自由に開発する事が
できるようになっていた時代である。
なので本レンズは高級仕様であり、質感は素晴らしく良い。
勿論MFレンズだが、ピントリングのトルク感や絞りのクリック感
なども申し分無い。

写りは「開放で甘く、絞ってシャープ」と、当時のコシナ社の
宣伝文句にはあったが、オールドレンズのようにそのあたりが
極端な特性という訳ではなく、現代的な所もあり、絞り開放でも、
まあ実用的である。
c0032138_19455757.jpg

最短撮影距離は、元祖トプコールと同じ45cmだ。
ただ、こういった、絞り値でシャープネスが変化するという
特性のレンズだと、マクロ撮影にも適しているように思える。
なので、今回はちょっと「秘密兵器」を使ってみよう。
c0032138_19465286.jpg

これは、M42ヘリコイドアダプターである。

写真のように、マウントアダプターにヘリコイド(螺旋状の
溝で長さを変える機構)がついていて、これを繰り出す事で
マクロ撮影が出来るようになる、というものだ。

ちなみに、ヘリコプター、ヘリコバクター(病原菌)等の
ヘリコは、いずれも螺旋(らせん)という意味のラテン語の
語源である。

このヘリコイドアダプターは、まだ通常のアダプターより
若干高価であるが、最近だいぶ価格が下がってきている事と、
レンジファインダー(M/Lマウント)用以外のマウントの
物が出始めてきたため、今回M42版を入手した次第だ。

ところが今回は、この秘密兵器は残念ながら不発であった。
このヘリコイドを大量に繰り出して、近接撮影すると、
復刻トプコールでは見るからに極端に解像度が甘くなるのだ、
ボケボケになったら、マクロ撮影としてはちょっと見劣りする
ので、あまり無理をさせないでおこう。
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ヘリコイドの繰り出し量にあわせ、絞り込むといった回避法は
多分あると思う、けど、ヘリコイドをあまり繰り出すと、
戻すのが面度なので(笑・・でもこれは事実だ)今回は
あまり色々と試す事は無く、最短撮影で寄り切れない場合のみ、
ちょっとヘリコイドを補助的に使ってみる事にしよう。
c0032138_19501866.jpg

まあ、ヘリコイド付きアダプターに関しては、銀塩時代の
マクロテレプラス(第18回記事で紹介)と同じような感覚で
使えるし、テレプラスのように焦点距離やf値が変化してしまう
事も無いので快適だ。今後もまた様々なレンズで試してみよう。

復刻トプコールだが、限定数発売時の価格はさほど高価ではなく
新品購入で43000円程度であった、ただ中古はまず出てこない。
このレンズの性能からすれば、4万円前後は妥当な金額であり、
仮にプレミアムがついている状況でまで購入するべきレンズでは
無いと思う。

そして、コシナ・フォクトレンダーブランドの現行製品の
NOKTON 58mm/f1.4SL(Ⅱ)は、中身はこのトプコールと
同じだと思われるので、欲しい人はこちらを購入すれば良い。
(勿論トプコール銘では無いが、実用的には一緒であろう、
ニコンAiマウントでCPU内蔵で、定価53000円と安価である)

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さて、次のシステム。
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カメラは毎度おなじみ、マイクロフォーサーズのアダプター
母艦 LUMIX G1である。

レンズは、TAMRON 24mm/f2.5 (01BB)である。
このレンズは初期型と後期型があり、こちらは後期型で
1989年の発売である。(初期型とは外観が若干異なる
程度で、性能上の差異は無い)

マウントは、ユーザー自身で各MFマウントに換装可能な
便利な「アダプトール2」である。

本レンズは、銀塩時代を通じて2000年頃まで販売されていた。
最短撮影距離は25cmと、焦点距離からすると標準的だ。
(一般にレンズの焦点距離の10倍が最短撮影距離の目安)
c0032138_19523170.jpg

ボケ質は固く、例の「ボケ質破綻回避」を行わないと
近接や開放撮影など、多くのケースで問題になる。
また、フレアっぽい写りをするので、太陽等の光線状況は
常に気をつけていなければならない。
まあ、性能的には、たいしたことが無いレンズである、

ただ、このレンズの価値は、銀塩時代において、焦点距離の
ラインナップ(=保有しているレンズ群が、広角から望遠
まで万遍なく揃う事)の穴を埋める事が重要な点であった。

すなわち、1970年代~1980年代のMF時代において、
ユーザーは、一眼レフを購入する際、50mmの標準レンズが
付属しているものを購入するのが普通であった、まあ現代で
言えば「標準ズームキット」を買うという感覚である。
付属標準レンズは、f1.4の大口径版、f1.7~f2.0の小口径版
が併売される事が普通で、数千円~1万円程度定価に差が
あった模様だ。

で、その後、一部のユーザーは交換レンズを追加購入する事
になるのだが、その際、広角レンズを買うならば、28mm。
望遠レンズであれば、まずは135mm、さらに余裕があれば
200mmという感じであっただろう。多種多様な交換レンズを
揃えるユーザー層は、価格の面からも、あるいは慣習的に、
と言うべきか・・いずれにせよ、少なかったように思う。

大多数のユーザーは50mm標準一本か、ちょっとカメラに凝って
いる人でも28mmと、135mmを揃える程度であった事だろう。
(まあ、だから、この時代の一眼オールドレンズの中古市場は、
28mm,50mm135mmあたりの流通量が圧倒的に多い)
c0032138_19534022.jpg

そして、TAMRON は、そうした一般的なMF一眼ユーザー層に
対し、入手しにくい焦点距離や仕様のレンズを中心に製品展開を
行っていた訳だ。具体例としては、17mm,24mm,90mmマクロ、
500mmミラーレンズ等がある。他にも様々な焦点距離の
レンズを発売していたが、銀塩時代の最後まで残ったMF単焦点
製品群は、これらだったと記憶している。

そして、この24mmもそうした中の1本だ、各社純正の広角は
28mmまでは入手しやすいが、24mmとなるといきなり高価に
なったりしていた、今でこそ、24mは、ちょっと広めの普通の
広角レンズであるが、MF銀塩時代では、28mmより広い画角は
超広角の部類であり、簡単には超えられない壁があったのだ。

そんな中で、比較的安価に入手可能であった本レンズは、
手軽に超広角の世界を体験できる、なかなか魅力的なレンズで
あったと思われる。
c0032138_19542493.jpg

現代においては、性能上、すなわちボケ質や逆光耐性等の面で
本レンズは、どうしても必要という類のものでは無いであろう。
長期間発売されていた割には、中古の玉数はさほど多くは無い。
あれば1万円前後だと思う、私は、本レンズは、1990年代に
14000円程で入手したが、若干高かったとも思う。

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さて、続いては以下のシステム。
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カメラは、FUJI X-E1 基本性能やデザイン、絵作りの面等で
長所を持つが、AF時はピント精度に、MF時は操作系に
課題を持つ。

どのようなレンズを使っても、ピント合わせに問題があるの
ならば、ピント合わせの負担の少ないレンズを使うしか無い
という事になる。

ということで、本レンズは、Xマウントフィルターレンズ
XM-FL 24mm/f8 である。
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ピント合わせの必要の無いパンフォーカスレンズである。
ただし、24mmという換算準広角の焦点距離と、f8という絞り値、
そしてX-E1のAPS-C撮像素子では、完全なパンフォーカスという
訳には行かず、仕様では、1m~∞(無限遠)の撮影範囲となる。

ちなみに被写界深度の計算だが、式はかなりややこしい

被写界深度=(許容錯乱円半径x絞り値x撮影距離x撮影距離)÷
(焦点距離x焦点距離+許容錯乱円半径x絞り値x撮影距離)+
(許容錯乱円半径x絞り値x撮影距離x撮影距離)÷
(焦点距離x焦点距離-許容錯乱円半径x絞り値x撮影距離)

である、ここで許容錯乱円とは、銀塩時代では、フィルムの
対角線長の1/1300とされる場合が多かった、このケースでは
35mm判フィルム(135)の場合、√(36x36+24x24)/1300で、
約0.033mmだ。

これがデジタルだと定義がかなり曖昧になる、許容錯乱円とは、
アナログ的な、プリントを鑑賞する際の人間の見た目の解像度
という要素が入っていたからだ。(このあたりはデジタルの概念
とは異なってきていて、結果、定義が曖昧になってしまう)

が、まあ、とりあえずはフィルム同様に、センサーサイズの対角
線長の1/1300とすると、この時、APS-Cだと約0.025mmとなる。

ただし、大伸ばし等、計算の用途によっては、許容錯乱円を
より小さく計算する場合もある、その場合に良く使われる数値は
APS-Cだと0.019mmとなる。
もっと厳しく計算される場合もある、けど、それは、画素数との
関連や画素ピッチから計算するケースもあって、かなりややこしい。

実際の計算値が必要な場合、この計算はかなり面倒なので、
エクセル等に式を入力しておくか、あるいは、ネット上の
オンライン計算サイトを用いるのが簡便であろう。

で、X-E1の許容錯乱円を0.025mmとした場合に、本レンズの
被写界深度は、撮影距離を2.5mとすると、約1.3m~約19mと
なる、許容錯乱円の数値を変えて、かつ撮影距離も変えれば、
スペック同様の1m~∞となるが、そうなる為には不自然な値を
入力しないとならない、これは、以前のPENTAX Q7の記事で 
03 Fisheye や、07 Mount sheld を使った場合に
「どうも無限遠にピントが合って無さそうだ」と書いたのと
同様のケースと思われる、本レンズもトイレンズ等と同様に
パンフォーカスと言っても、実際には中距離の撮影の場合しか
ピントはカバーできていないのだろう。

まあでも、この手のレンズで、そうした厳密な話をしても
あまり意味が無い、まあ、楽しく撮れるかどうか、それが
ポイントとなる。

で、このレンズの場合、ピント合わせの負担が無いとは言え、
絞りも無く、撮影の為のクリエィティブな操作が、他には
露出補正くらいしか出来ないので、そのまま使うと、はっきり
言って面白味がない。

そこで、まず、X-E1の本体機能である、パノラマモードを
使ってみよう。
c0032138_20028.jpg

X-E1の場合、パノラマ画角(回転角)は2種類より選べる、
FUJI製の、より新しい機種、例えばコンパクト機のXQ1等では、
「ぐるっとパノラマ360°」という機能となり、最大で全周
までの、いくつかの回転角を選択できるようになっている。

X-E1の「遊べる機能」としてはこれくらいであり、エフェクト
も何も入っていないというストイックな仕様である。

ミラーレス機の位置づけから言えば、ノーマルな絵作りばかりで
なく、エフェクトは欲しいところ、せめて擬似HDRくらいは入って
いて欲しいと思う。
まあ、でも、そういう場合は、PCのレタッチ等で画像編集を
すればなんとでもなる。(以下は擬似HDR効果を施した)
c0032138_2005137.jpg

そして、このフィルターレンズは、その名が示すとおり、
ノーマルなレンズに加えてソフトフィルターとクロスフィルター
を内蔵している、ターレット(円盤回転)式であり、以前の
第8回記事で「珍しい」と紹介した TAMRON 17mm/f3.5と
同様な機構となっている。

まあ、TAMRON 17/3.5の場合は銀塩時代らしく、色温度変換
(現代で言うホワイトバランス)や、モノクロ撮影用の
コントラスト増強フィルターが内蔵されていたのだが、
さすがにデジタル時代では、それらの機能はカメラ本体側に
存在するので不要だ、したがって、FUJI のフィルターレンズ
では、実用的な、ソフト、クロスの2つの効果となっている。
c0032138_2013374.jpg

こちらはクロスフィルターを使用した状態。
ここでは行っていないが、夜景やイルミネーション撮影等には
有効であろう。

X-E1は見た目は、質感があって重そうだが実際には軽量な
カメラであり、冒頭の小型のSONY NEX-7とまったく同じ重量だ
(バッテリー込み350g) で、フィルターレンズは僅かに23gで
あるので、本システムの総重量は見た目よりはるかに軽量であり
持ち運びの負担はほとんど無い。

そして、ピント合わせに弱点を持つX-E1であるから、本レンズ
との組み合わせは弱点を消して、極めて快適に撮影ができる、
ただまあ、何も操作する事が無いので、飽きは来るのだが・・・

本レンズは2015年の発売、2016年現在の実売価格は
8000円前後、私は中古で5000円台で入手している。

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さて、次は今回のラストのシステム
c0032138_2024915.jpg

カメラは、LUMIX DMC-G5 である。
通常はNOKTON 42.5mm/f0.95の専用ボディとしているが、
このカメラと組み合わせる事で特別のメリットがあるレンズを
装着する際にアダプター母艦として使用する事がある。

毎回言っている事だが、アダプター遊びでは、ボディと
レンズを組み合わせることで、お互いの欠点を解消したり、
あるいは、特別な長所が得られるような組み合わせをするのが
正しい。デタラメな組み合わせは、使いにくくなる等の実害や
カメラや写真に対する理解度の無さを露呈して格好悪い。

レンズは、レアな、ミノルタRF ROKKOR 250mm/f5.6 である。
いわゆるミラーレンズである。本シリーズの第9回でも、
KENKO の400mmミラーを紹介しているが、こちらは250mm
のミラーと、私が知っている限りでは、最も焦点距離の短い
ミラーレンズである。

ミラーレス機(デジタル全般もだが)においては、センサー
サイズが小さい方が、見た目の焦点距離が長くなるのは、
一般にも良く知られた事実である。これを概念的に理解するのは
簡単で、まずフルサイズのセンサーを想像してもらえれば、
APS-Cでは、その半分くらいの面積のセンサーであり、
マイクロフォーサーズでは、さらにその半分くらいの面積と
なるので、フルサイズセンサー全体に被写体が写っていたら、
小さいセンサーでは、トリミングされて、さらに大きく見える
という概念である。

で、マイクロフォーサーズ機は、センサーサイズが小さく
標準の50mmレンズを装着しても望遠100mmの画角となって
しまう。
これを弱点と見なさず長所と見れば、望遠に強いシステムになる、
という事になる。だから、基本的には、望遠レンズはマイクロ
フォーサーズに装着し、広角レンズは、APS-Cやフルサイズ機に
装着した方が、レンズの特徴を活かせるという事になる。

G5では、加えてデジタルテレコン(最大4倍)、およびデジタル
ズーム(最大2倍)を搭載している。SONY NEXのように連続的に
デジタル拡大倍率を調整できるわけではなく、断続的な倍率の
操作系にはなるが、まあ、それでも、ただでさえ望遠に強い
マイクロフォーサーズであるから、それらの機能を使えれば
より面白い撮影が可能となる。

さて、まずは、このミノルタの250mmミラーを、通常の画角で
使ってみよう(それでも500mm相当となる)
c0032138_2054855.jpg

ずっと以前の記事で、このレンズを紹介した際、名レンズならぬ
「迷レンズ」と書いたのだが、まさしく今でもそう思っている。

まず、ミラーレンズ、すなわちまるで天体望遠鏡のような反射
光学系は、写真レンズのようにボケ質へ配慮している訳では無い、
ニュートンやカセグレンといった、反射望遠鏡を考え出した
偉人の発明家でさえも、まさか今になってボケ質に文句を
言われるとは想像もしていなかった事であろう(笑)

ミラーレンズは、背景に光源がある場合は、ドーナツ状の
いわゆる「リングボケ」が出る事は良く知れれている。

そして、背景に光源が無かったり、中途半端に光っている
場合では、まるで太い絵筆やパレットナイフで塗りたくった
ような絵画的な、別の言い方をすれば汚いボケが出るのだ。

でもまあ、これはこれで面白い。
ミラーレンズを使い始めたころは、リングボケばかりを求めて
そういうシチュエーションで良く撮っていたのだが、冷静に
考えてみると、リングボケが出るというのは逆光条件である、
そして、ミラーレンズは、普通の屈折光学系のガラスレンズ
よりも、ボケ質はもとより、画質、逆光耐性など、あらゆる
点で劣るので、リングボケを狙って逆光で撮るのは、レンズの
弱点を助長する撮り方になる。

じゃあ、リングボケで無ければ、何がミラーレンズのメリット
なんだ?と聞かれれば、それはズバリ、小型軽量の超望遠
レンズである、と言う事であろう。

RF250/5.6の重量はわずかに250gである、これでどこまで
望遠にできるか、以前の400mmミラーと似た状況で試して
みよう。
まず、前述のG1+TAMRON24mmで撮った写真
c0032138_2064726.jpg

銀塩換算48mm、ほぼ標準レンズの画角だ。
赤い枠で囲ったところが、ターゲットとなる伏見桃山城、
豆粒のようにしか写っておらず、このままだと極めて遠い。

RF250mm x2倍(μ4/3)x4倍(デジタルテレコン)で、合計
2000mm相当の焦点距離で撮ってみる。
c0032138_2071574.jpg

今回の2000mm相当での、対角線画角は約1.2度である。

第9回記事、第11回記事で、それぞれ同じ被写体を写しているが、
第9回では、6400mm相当、対角線画角 0.38度、
第11回では、1500mm相当、対角線画角は1.6度であった。

デジタルズームやデジタルテレコンでは、画質劣化が激しく、
それと、ミラーレンズそのものの写りがあまり良くない、

だから、今回は限界値というよりは、実用的性能のぎりぎり
のところまでで留めている、今回のシステムでは、さらに2倍
あげて4000mm相当までは可能だが、例によっって手持ち撮影
ではフレームの中を被写体が大きく動き回り、シャッターを
切ることすら難しいし、画質劣化も見るに耐えない状態になる。

まあ、でも、本RF250/5.6は他のミラーレンズに比べて画質は
良い方なので、マイクロフォーサーズ機で1000mm相当
(2倍デジタルズーム)位までならば十分耐えられるであろう。
ちなみに本システムには、手ぶれ補正は入っていないので、
2000mmであれば、1/2000秒のシャッター速度をキープできる
までISO感度をあげて撮る。f5.6の場合、日中だとISO800程度
でいけるであろう。

で、本RF250/5.6は、レンズ後部に専用のNDフィルターを装着
できる機構がついているが、いちいち付け替えるのも面倒なので、
どこかへ仕舞い込んでしまって使用していない。
まあ、デジタルではISO感度の調整が自由なので銀塩時代のように、
シャッター速度や露出範囲オーバーなどで不便する事は無い。
c0032138_2083486.jpg

実用的には、このような背景図柄の場合、ND(減光)で明るさ
を調整するというよりは、むしろ絞り値を変更することで、
背景ボケの汚さ(破綻)を回避したいのだが、ミラーレンズは
基本的に絞り機構を持たない(持てない)ので、やむを得ない。

このレンズには、あと1つ問題点がある、最短撮影距離が
2.5mとなっているのだが、これは元々長いものの、感覚的には、
どうも、被写体から3m以上離れないとピントが合わない模様だ。

デジタルにおいても、レンズの最短撮影距離はフィルムの場合と
通常は同じである、まさかミラーレンズ光学系の場合は、最短が
伸びるのか?と一瞬疑ったが、まあ、それは理屈的にはあまり
考えられない、だとすると、故障か性能詐称疑惑か?(笑)

ちなみに、ピントリングはちゃんと目盛り通りに動いている。
最短が伸びるのは、レンズをマウント面から引っ込まして装着
した場合である、つまり冒頭のヘリコイドと逆のケースだ。
何処かアダプターの精度が不足しているのかもしれないが、
そのあたりの原因は謎である。
ともかく最短撮影距離が極めて長いので、中距離の被写体を
見つけても、バックして撮らなけらばならないケースが多々
あって、その点は若干ストレスになる。
c0032138_2093256.jpg

このレンズは、諸々の欠点を持つが、国産としては唯一の
250mm級ミラーレンズなので、「唯一」が欲しい私としては
購入意欲が止められなかった(汗)

現在、中古の玉数は極めて少なく、ごくまれに忘れた頃に
出てくる程度であろう、したがって相場は「時価」となる。

私は2000年代に入ってから35000円で入手した、性能から
すると少々高額であったと反省している。
性能面からの価値を考えると、2万円前後というのが妥当な
相場であろう。

さて、今回はこのあたりまで、次回シリーズ記事に続く。

ミラーレス・マニアックス(21)

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安価な中古ミラーレス機とマニアックなレンズを組み合わせ
アダプター遊びを楽しむシリーズ記事、第21弾。

今回は、まず、このシステムから。

c0032138_2062718.jpg

カメラはマイクロフォーサーズ・アダプター母艦のDMC-G1
レンズはKONICA HEXANON AR200mm/f3.5である。

HEXANON(ヘキサノン)は、何度か本シリーズ記事で紹介
している。様々な時代の製品群があるが、こちらのARレンズは
KONICA製の35mm判MF一眼レフの時代(1960年代~
1980年代)に発売されていたものだ。

ARレンズには写りの良いものが多いが、銀塩の終焉期から
しばらくはデジタル一眼レフではマウントが合わず使用不可で
あった。ミラーレス時代に入ってアダプター製造の制約が
ほぼ無くなり、ARレンズ用のアダプターも普及してきた次第だ。
c0032138_2073636.jpg

銀塩時代、このレンズは大柄であり、オートレフレックスT3
等の大柄な機体に装着する事でようやくバランスが取れていた。

現代の感覚でも200mmレンズとしては極めて大きい、この時代の
200mm単焦点は、一般的に小型化されたf4仕様のものと、大口径
のf2.8のどちらかが多いが、こちらはその中間のf3.5仕様である。
しかし、大きさはf2.8級に匹敵し、重量は概算だが900g前後も
あり、かなり重く感じる。
長さもかなりあり、ショルダータイプのカメラバッグなどには
大きすぎて入れる事ができない、持ち運びは工夫する必要が
あるだろう。

DMC-G1との組み合わせでは、換算400mm相当の超望遠レンズ
となる、換算300mmを超えると、撮る物に迷ってしまうというのが
正直なところである。
c0032138_2081782.jpg

おまけに最短撮影距離も2.5mとかなり長い、前記事の250mm
ミラーレンズRF250mm/f5.6の時も同様に2.5mであり、その
長さともなると、感覚的には、ずいぶんと遠くからでないとピント
が合わず、ますます被写体探しに苦労する事になる。

このレンズの場合も、最短2.5mが、実際には3m以上あるのでは
なかろうか?と疑ってしまうくらい寄れず、困ったものだ。

それでもできるだけ近接して撮ろうとすると、今度は例の
「ボケ質破綻」が発生する確率が高くなる。元々極めて重たい
レンズなので、実際にはあまり左手で頻繁な絞り操作はやりたく
無い(カメラホールドに負担がかかる)おまけに暗いレンズだし、
換算焦点距離も長いので、できれば常に開放で撮りたいのだが、
まあ、ボケが汚くなる場合は絞るのも、しかたが無い。
c0032138_209135.jpg

銀塩時代は、その性能が神格化されたヘキサノンではあるが、
まあ写りは標準的なレベルであろう、この重さと大きさを我慢
してまで使うべきレンズか?と言えば、それは疑問だ。

このレンズは1990年代に中古購入、価格は1万円であった、
銀塩時代に何度か使って「まあまあ良く写るレンズだ」と思って
はいたが、やはり重さや使い勝手に辟易してしまい、あまり
持ち出す事は多くなかったように思う。
現代ではレア品となっていて入手は困難だと思うが、あれば
1万円以下の相場だと思う。

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余談だが、カメラマニアの「トリプルスリー」を上げるとすれば、
カメラ・レンズの所有台数30台以上、年間撮影枚数3万枚以上、
そして30年以上前の機材を保有・使用している事、であろうか?

トリプルスリーとは説明するまでも無いが、元々、プロ野球で
打率3割、本塁打30本、盗塁30個以上、という成果を達成する
という意味だ。マルチな能力を必要とされるこの記録はなかなか
成立させるのが難しいが、昨2015年には、いっきに2人の選手が
達成した事で話題となった。

カメラマニアにおいても、同様にこうしたやや困難な指標を
作り、それを目標にするのも良いであろう。
まず30台(種類)以上の機材保有というのは、1つのメーカーだけ
に拘らず、多くの機材を併用する事で、各々の機材の長所・短所が
ちゃんと見えて来るという意味である。
まあ、1メーカーしか使っていないで「○○というメーカーの
製品は良い」などとは決して言ってはいけない事という訳だ。

年間撮影枚数3万枚以上も、デジタル時代であれば必須の
条件となってくるであろう。
銀塩時代は、年間1万枚、というのは1つの目標値であったが、
デジタルではそれは容易すぎる。
デジタル時代になってすぐは「フィルムの10倍撮れ」と
そうした合言葉はあったが、さすがに10万枚はしんどいだろう。
なのでまあ、3万枚というのが1つの目安にはなると思う。
ただ単に機材を収集するコレクターでは、カメラやレンズの良さが
わかって来ない。まあ、他分野でのコレクターというのであれば
否定するものでは無いが、なにせカメラやレンズは写真を撮る
道具なのである、使わない道具には意味が無いとは思うが・・

30年以上前の機材、というのはちょっと変わった条件であるが、
現代の機材がどれだけ進化したかを理解するには、古い機材を
知る事が重要だ、という意味である、古い機材に興味が出てくれば
その時代の事なども当然知りたくなって来るだろうし、その時代の
背景が見えてくれば、何故、今なお伝説的に語られる製品がある
のか?あるいは、具体例としては、何故オリンパスがミラーレス機に
PENやOMの名前を使っているか、等にも納得がいく事であろう。

さて、カメラマニアのトリプルスリー、達成はできるであろうか?

余談が長くなった、さて、次のシステムは、
c0032138_20105810.jpg

カメラはエフェクト母艦として使用しているPENTAX Q7
レンズは以前の記事でも紹介したが、TAMRON の工業計測用
Cマウント レンズ 16mm/f1.4である
このレンズは、1/1.8型イメージサークル対応である、
現代のミラーレス機では、このQシリーズしか、この条件を
満たすカメラは無く、他の大きなセンサーのカメラでは、いずれも
工業用や監視カメラ用レンズを使うと画面が大きくケラれてしまう。
(=画面周囲が暗くなる)
c0032138_20115113.jpg

こちらの写真は、PENTAX Qシリーズ特有の「自作フィルター」
機能を用いて作った USERエフェクトであるので、周辺減光は
レンズの問題ではなく、エフェクトによるものである。

まあ仮にケラれたとしても、周辺減光はトイカメラ風の描写
としては、ヴィネット(ビネッティング)として定番効果なので
特に気にする必要は無い。

なお、一般にトイレンズの周辺減光を「トンネル効果」と呼ぶ事も
あると思うが、それは本来は物理学者の江崎氏が「エサキダイオード」
の「トンネル効果」で1970年代にノーベル物理学賞を取った時より、
すでに物理学や電子工学の世界では一般的になった学術用語だ。

ノーベル賞の栄誉からすれば、トイカメラのヴィネッティングに
同じ呼び名をつけるはどうかと思う。エンジニア等であれば
技術(学術)用語が関係のある世界に生きていると思うので、
ややこしい。なので、トイカメラの周辺減光は「ヴィネッティング」
という事にして置こう。
c0032138_20132066.jpg

さて、このCマウントレンズ、正式名称 M118FM16 16mm/f1.4
は、設計に若干の余裕があるのか、1/1.8仕様であっても、
1/1.7型のQ7でもケラれる事はなく、快適に使用できる。
最短撮影距離は30cmであり、Q7で使用した場合の換算焦点
距離(画角)は、約4.6倍で、約73mm/f1.4相当となる。

f1,4の大口径レンズであるが、Q7は、高速電子シャッター
(1/8000秒)を備えているので、日中でもシャッター速度が
足りなくなるケースは少ない。

しかし、問題点はいくつかある。
まず、レンズシャッターは、それを備えている純正レンズで
無いと使えないので、アダプター使用時は全て電子シャッター
となる、したがって、動きものや、電子機器のディスプレイの
撮影などには電子シャッターは(歪んだり縞が入って)使えない。

そして電源を入れるたびに焦点距離入力が毎回出る、手ブレ
補正機能をOFFにしても出るので、うっとうしい。どこかボタンを
押せば解除できるが、テキトーに押して、数字が変わってしまい
9016.0mmになっていた事も(汗)手ブレ補正機能を使って
いないので多分問題ないが、はたして9000mmのレンズにも
対応しているのだろうか?

MF時自動拡大(アシスト)機能も使えない、これは、純正レンズ
でAF時にピントリング操作をする際にだけ使える機能で、
アダプター使用時には、画面拡大操作をするボタンが存在しない。
また、ピーキング機能(MFアシスト)で輪郭強調する事は
可能であるが、これの精度が足りない、またレンズに合わせて
機能の効きを調整することもできない。

つまりは、アダプター使用時には、MF操作系に課題があるのだ、
結果として、使いにくかったり、ピントが合わない写真を量産する
羽目になる。
c0032138_2015933.jpg

まあ、こういう無限遠の被写体であればピン合わせの問題は
ほぼ関係無いのだが、近接するほど厳しくなるので、結局
のところ、Q7をアダプター母艦とする事は難しいという事に
なるだろうか・・焦点距離の4.6倍換算は、ある意味、多くの
レンズが超望遠レンズとなるので面白いのだが、ピント合わせ
に問題があるのならば、そういう使い方をあえてする必要も
無いとは思う。

Q7は純正レンズを中心に、その優れたエフェクト機能を用いて
エフェクト母艦として利用するのが正しい使い方であろう。

さて、次のシステム。
c0032138_20161594.jpg

カメラはEマウントのアダプター母艦、NEX-7である。
レンズは、ニコン Ai-S 50mm/f1.8だ。

Ai-S 50mm/f1.8は、1980年代の準パンケーキ型の薄型
レンズだ、海外仕様のシリーズEの50mm/f1.8と同等の
レンズ構成である。旧型の Ai50/1,8は、これより少し
大きい模様だが、やはり中身のレンズ構成は同じである。

その後AF化されたが、レンズの基本構成に変更は無い。
近年では、NIKON Dfの発売とともに付属レンズとして
50mm/f1.8G の限定版が発売されたが、まあ、中身は同じ
かも知れない。そう考えると実に息の長いレンズであると同時に、
発売当初(1970年代)から、すでに設計的には完成の域に
達していたという事になるのだろう。

まあ確かにこの50/1.8は、銀塩時代より、数あるニコン標準
レンズの中でも、ボケ質の破綻が少なく安心して使える類の
レンズではあった。
ただ、あまりにオーソドックスなレンズであり、この長期に
わたって発売されている各種50/1.8を持っていない人は
ニコン党の中では少ないだろうから、マニアックさは欠片も無い。
c0032138_20174389.jpg

という事で、普通に撮っても面白みに欠けるレンズであるので、
今回は、アダプター母艦としてのNEX-7とのコンビネーションで
エフェクト機能を活かしながら撮ってみよう。

35年ほど前のレンズなので、古いレンズ風にフィルターを設定
してみたが、ちょっとイメージが違う、オールドレンズとは言え
このレンズは現代でも通用する性能を持っているのだ。

このシリーズでは良く、50mmの標準レンズはf1.7~f2級の
小口径版は各社とも銀塩時代から性能が良い、と書いているが、
まあこのレンズもその類である。30年以上前の機材を使って
みたら良いと、前述のトリプルスリーの話でも書いたが、特に
小口径標準レンズを使ってみると新鮮な驚きがあるかも知れない。
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これもエフェクトである。
「うたつ」の場所を中心にジオラマ効果をかけている。

画面周辺が流れ、注目点を強調する効果があるが、
効果が控え目となるようにすると、大口径望遠レンズで
撮ったようなイメージになる。

ちなみに「うだつ」とは「うだつが上がらない」の言い回しで
有名だが、古い日本家屋・商家などに備えられた防火壁の
事だ、本来は隣家の火災の延焼を防ぐ目的だが、
後に財力を示すための装飾的用途に用いられた事から、
転じて「うだつが上がらない=偉くならない」という慣用句と
なったと言われている。
「うだつ」は、関西では、奈良や和歌山等の古い町並みに
おいては、たまに見かけることがある。
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こちらはエフェクトは無しだが、クリエィティブスタイルを
VIVIDに設定している。

NEX-7は、複雑かつ高度な操作系と、そのカスタマイズ性の
高さが長所のカメラだ、オールドレンズ母艦として使う際
3つのダイヤルを通常の、絞り、露出補正、ISOの「3つの
デジカメ基本操作」に割り振るのは、絞り制御がレンズ側なので
意味が無い。そこで、オールドレンズ使用時にはボタン1発で、
エフェクト、クリエィティブスタイル、露出補正の3要素に
3ダイヤルを変更できる設定としている。

その際、さらに余ったボタン類に、WB,ISO,,HDR,フラッシュ
調光補正、デジタルズームをアサインする。
ドライブモードやフラッシュモード、AEロック/拡大は専用の
ボタン類があるので問題ない。

なお、アサイナブルな機能においては、本当に必要な機能
以外は割り振らない事がコツだ、色々アサインできるから
と言って何でもかんでも入れていくと、その選択の為の操作で、
操作系を悪化させる原因となる。「何でも出来る」という事は
「使いやすい」という意味とイコールでは無い。

そして自分の撮影スタイルにとって、あるいは使用するレンズ
に応じて、何が必要な機能で何が不要なのかを良く考える事も、
操作系という概念を理解する上で極めて重要な事だ、

ちなみに、拡大モードはNEX-7の場合、優秀な高精度ピーキング
機能があるので、その強度を使用するレンズの種類に合わせて
調整しておく、これで、ピントの山がつかみにくい新型の
236万ドットEVFであっても、拡大操作はほぼ不要となる。

背面モニターは解像度が低いため、MF撮影時には使用せず、
また、勿論AF関連の操作系アサインも不要となる。

これで、ほぼオールドレンズ母艦としては完璧な設定だ、
AFレンズを使った場合には、この設定では若干無理があるが
そういう場合は通常、下位機種のNEX-3を使う事にしている。

カメラを複数台使うというのはそういう意味だ、カメラ設定
だけの問題ではなく、カメラ自身の得手不得手を良く理解
して、レンズとの組み合わせを適正にしなければならない。

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余談が長くなったが、本レンズ Ai-S 50mm/f1.8だが、
私は20年以上前に、14000円程で中古購入している。
現在の中古相場もあまり変動は無いであろう、買うならば
薄型になったAi-S以降の物が良いと思う。シリーズE銘の
輸出タイプもあるが、中身は同じなので、好みで。

なお、ニコンのデジタル一眼を持っているならば、あえて
MF版ではなく、AF版を買って一眼に装着する方が簡便であろう、
レンズ構成は一緒だと思うし、AF版の初期のタイプであれば、
むしろMF版よりも安価に入手できる(ちなみに、私はAF版は
5000円で入手している)

さて、次は今回ラストのシステム
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カメラはアダプター母艦 DMC-G1、こちらは予備機の青の方で
普段はノクトン25/0.95の専用機だが、2本のオールド
レンズを同時に持ち出す場合等で赤のG1と同時使用している。

レンズは、SMCタクマー120mm/f2.8

SMCタクマーとは、PENTAXのスクリューマウント(M42マウント、
または、プラクティカ・スクリュー=PSマウントとも呼ぶ)の
最後期のレンズ群だ。SMCTは自動絞り(開放測光、絞り優先)
に対応したレンズであり、1970年前後の当時のユニバーサル
(=標準的な)マウントであるM42の規格や仕様とは少々外れて
しまってきている(つまりPENTAX ES等の一部のM42一眼でしか、
これらの自動化機能は使用できなかった)ただまあ、それは
40年以上も前の「大阪万博」の頃の話であり、現代においてSMCT
レンズを使う上では、M42アダプターの利用でまったく問題は無い。

ちなみに、SMCはスーパーマルチコーテッドの意味、まあ、その後
もPENTAX製のレンズでは、SMCの銘が入る場合が多いが、今時
マルチコートでは無いレンズは、まず無いので、そこに拘る
必要は無いであろう。(注:近年、コシナから、あえてオールド
レンズ風シングルコート仕上げのレンズが発売された事があった)

さらにちなみに、タクマーとは、切磋琢磨(せっさたくま)から
名づけられたレンズ群の名称だ、さすがに時代的なズレを感じて
しまうネーミングセンスであり、PENTAX自身も1970年代前半の、
Kマウント機発売以降は、この名称を用いていない。

現代では、中古業界・マニア界においては、「SMCT」という風に
こららのレンズ群を呼んでいる。

さて、SMCTの中でも、120mm/f2.8はかなりレアなレンズである。
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その写りはかなり優秀、レンズ構成はさほど凝ったものでは
無いと思われるが、小型の望遠の割に、ずっしりと重く、
レンズが詰まっているなあ、という印象を与える名品である。

120mmという焦点距離も、ちょっと変わっている。
実は、PETNAXは昔から変わった焦点距離のレンズを作るの
を得意としていた、いや、今から考えると「反発していた」のかも
知れない。
何に反発しているかといえば、ライカ社が決めた 50mm=標準
というコンセプトだ。元々標準レンズといえば、フィルムの
対角線長=43mmを人間の目の画角に相当させる、という
意味で、43mmの焦点距離が標準だったのだ、しかし、この値は
中途半端だという事で、50mmを標準にしよう、という暗黙の
了解が存在していた、それを決めたのがライカだと言われている。

けど、PENTAXは、後に1990年代になって、そのものズバリの
FA43mm/f1.9Limited 標準レンズを発売したし、それ以前も
1970年代前後から、30mm,120mm,150mm等の他社に無い
焦点距離のレンズ群を発売している、その後も特殊焦点距離は、
AF一眼時代のFA Limitedシリーズで、31mmや77mmの
レンズを発売している。

120mmというのは当時の設計コンセプト上、「標準レンズの
2.5倍の焦点距離までならば手ブレが起こり難いであろう」という
考え方があった模様だ、まあ、あくまで「コンセプト」であるから
実際にはユーザーの技術によってもそのあたりは変化する。

現代、マイクロフォーサーズ機で使用する場合の画角は、
240mm相当となり、結構な望遠画角となる。それこそ
手ブレには、当時よりも、よほど注意しなくてはならない。
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最短撮影距離は、1.2mと、まさしく焦点距離の10倍という
標準的な性能だ。 
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ボケ質も悪くなく、例の「破綻」も起こり難い。1970年代の
当時としては、かなり優秀なレンズであったのではなかろうか?

ただ、極めて流通量が少なかった模様だ、詳しくは調べては
いないが、価格が一般的な望遠焦点距離である135mmの同社製
レンズより高かったのではなかろうか?ちなみにタクマー系では、
135mmは、コンパクトで優秀な135mm/f3.5や、大口径だが、
少々写りは甘い135mm/f2.5が販売されていた。

真の理由は良くわからないが、ともかくレアなレンズである。
Kマウントに変わってからも、本レンズの仕様は引き継がれては
いる、けど、その後継機種も、やはりレアである。

中古相場は「時価」になると思う、私は2000年代に入ってから
大阪の中古屋でたまたま見つけた、その中古屋(今は営業して
いないかな?)は、ちょっと変わっていて、店に並べている
沢山のレンズの全てに値札をつけていない、店主は全ての
レンズの価格(や仕入れ値)を記憶している模様であり、客は、
必ず店主と交渉して値段を決めてからレンズを購入するのだ。

本レンズがレア品である事から、交渉は難航を極めた、
どんなレンズの価格も知っている店主は、売る方のプロであろう
こちらも実は、あらゆるレンズの相場を知っている中古買いの
ベテランだ、店主は当然1円でも高く売りたいし、買う方は
他でこのレンズが買える見込みがあるか無いか、を判断し、
また、どうしてもこのレンズが欲しいか否かも、判断しなければ
ならない、しばらくすったもんだした結果、2万円という価格で
交渉は妥結した。

今から考えると、このレンズの希少度を加味したとしても、
17000円というあたりまでが妥当な相場だったとは思うが、
仮に「2万円じゃあいらない」と蹴ったら、次に出てくる
保証は無かったのでその場ではやむを得なかった。
常連の店であれば、「いつも買ってくれているから」という
理由で15000円くらいまでは値切れていたであろうが、滅多に
行かない店にフリー客として入るのであれば、この対応でも
やむを得ない。

ちなみに、現代では大手チェーン中古店などでは、値切り交渉
が不可能になってきている、それはまあ、若い、カメラの事を
何も知らないようなアルバイト店員が対応しているので、そうした
交渉が出来ないことは当然なのだろうが、それは店側の責任だ。
ユーザー側としては、1円でも安く購入する事が当然だし、
適正な価格であるかどうかは客が判断することだ、そして、
それらは商人の町である関西人の文化なのでもある。

つい1年程前にも大阪の大手の店舗で、あまりにレンズの事を
何も知らないアルバイト店員と値切り交渉中に喧嘩になって、
(レンズに問題があるので、これより値段を下げろという要望、
それを、意味がわからないので、値引きは出来ないと言う)
らちがあかぬと店長を呼んだが、まわり持ち(ローテーション)を
しているチェーン店なので、新任の店長は、あいにく知った顔では
なく、レンズの事もわかっておらず、話も通じずに、結局何も
買わずに帰ってきた。

その店には二度と行っていないが、過去何度も中古を購入した
店なので、店側としても逆に、客を失って痛かったであろう。

値切りが可能な別の店に行って、カメラの事に非常に詳しい
店主と楽しく話をしながら、さりげなく値切って、同じものを
適切な価格で購入したのだが、そうしたやりとりは関西の
文化では、店と客の間での、あうんの呼吸だ。
しかし、無知というのは恐ろしい事だ、量販店のあんな店員の
対応では、中古マニアが次々と去っていってしまう事であろう。

そのチェーン店の本社は関西ではなく、全国レベルで考えると
関西の店だけに「値切り」という特別な対応をさせる訳には
行かないのだろうが、その合理化は、あくまで店舗側の都合で
あって、ユーザー満足度の向上には繋がらない。
優秀な関西人スタッフを配置さえすれば、気持ちよく買い物が
出来るのではなかろうか?ちなみに優秀な店長も何人も知って
はいるが、例のローテーション人事で、いつまでも同じ店には
居られない模様だ、それもまた古臭い人事システムなので
今時、そういう社員いじめのような人事異動をする事自体、
企業の体質に好感を持つことができない。

中古買いは、1つのエンターティンメントであり、文化なのだ、
ネットオークションなどで知らない人から、中身のよくわからない
物を買うことなど、私には到底できない、それは楽しくないし、
売ることに責任を持てない人から買う事はリスクも高すぎる。

さて、最後に余談が長くなったが、今回はこのあたりまでで
次回シリーズ記事に続く。

ミラーレス・マニアックス(22)

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シリーズ第22回目、安価な中古ミラーレス機をベースに、
様々な「アダプター遊び」を楽しむというシリーズ記事だが、
今回は比較的オーソドックなシステムを紹介しよう。

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カメラはEマウントのアダプター母艦のNEX-7
レンズは、キヤノン New FD 24mm/f2である。



キヤノンのMF時代のf2級広角レンズは、いずれもなかなか
良い、と私は昔から思っている。すでにNew FD35mm/f2を
シリーズ第4回の記事で紹介しているが、その評価は間違いでは
無いように思う。
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今回は、24mm広角なので、特性を活かせるように APS-Cの
NEX-7に装着している。(注:周辺光量落ちはエフェクトによる)

ちなみに、銀塩AF一眼や、デジタル一眼時代では、FD系の
レンズは、マウントアダプターを作るのはその仕様上困難で
あったので、ミラーレス時代に入ってからの完全復活という
感じだ。

ところで、マウントアダプターを各MFマウントのレンズに
対応させようとすると、具体的にいくつくらいのアダプター
が必要か? ちょっとあげてみよう。

ニコンAi、キヤノンFD、ペンタックスK、ミノルタMD、
オリンパスOM、コンタックスY/C(RTS)、コンタックスN、
コニカAR。ライカM、ライカL、ニコンS、M42、Cマウント、
そして私は使用していないが、オリンパスPEN、コンタックスG
エキザクタ、デッケル、アルパ、各種中判マウント・・
さらには、デジタル一眼があれば不要だが、α、EOSの
アダプターも存在している。

そして、ヘリコイド付アダプター、シフト、ティルト、
レデューサー、電子アダプターなどの特殊アダプターを
加えると、おおむね母艦となるミラーレス機の1マウント
あたり10個以上最大20個くらいのアダプターが必要になる
それ掛ける、各ミラーレスマウントだ(汗)

私が所有しているアダプターをちょっと数えてみたが、
一眼レフ用が10種、アダプトールが13種、Tマウント用が7種、
レンジ用が3種、ミラーレス機用が26種、合計で59種となっている。
中には複数個のものもあり実数はもっと多い。そして、これで
終わりという訳ではなく、どんどん増殖している状況だ・・

で、際限なく増えるアダプター地獄(笑)を少しでも軽減する
為に、上のNEX-7には、マイクロフォーサーズ→E マウント
という、ちょっと裏ワザ的なアダプターを使用している。

これを用いると、マイクロフォーサーズ用のアダプターが
あれば、アダプター二重づけで、Eマウントで使える。
ただし、これはマイクロフォーサーズ用のレンズには使えない、
何故ならば、イメージサークルの大きさが異なるからだ。
たとえばマイクロフォーサーズ専用のノクトンシリーズは、
当該アダプターを用いてEマウントで使うと、画面周辺が
ケラれてしまうであろう。あくまでオールドレンズ専用の
アダプターだ。

さて、FD 24mm/f2の話であった。
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24mmと言えば銀塩時代では超広角レンズの部類であり、
絞り込んでパンフォーカスとして中遠距離撮影、すなわち
スナップや風景等を撮るのが、ほぼ100%の用途であった
と思われる、しかしデジタル時代は、広角と言ってもそういう
古い時代の撮り方に捉われる必要は無く、あくまで好きなように
撮れば良い訳だ。フォーサーズ型やAPS-C型のミラーレス機
であれば、見かけ上の撮影倍率が上がる事と、f2の大口径を
活かして、広角マクロ的な使い方もむしろメインとなる。

まず、その時のボケ質が重要なのだが、キヤノンFD系f2級の
広角は、どれもボケ質は問題が無い。 
また、最短撮影距離も重要になってくる、この FD24/2は、
目盛りは30cmまでだが、もう少し廻り、28cm程度である。
24mmレンズなので、できれば(焦点距離の10倍の)24cm
あたりまで寄りたいところだが、まあ、30数年前のレンズなので、
多くは言うまい。
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銀塩換算36mm、いわゆる何にでも使える準広角画角である、
まあ、でも、逆に言えばオーソドックスすぎるきらいもある。

銀塩時代であれば、様々な単焦点コンパクトは、35mmレンズを
搭載している事が多かった、銀塩の終末期においても、CONTAX
T3やオリンパスμⅡといった、高い描写力を誇るコンパクト機で、
さんざん35mmを使ったのだが、なんだかデジタル時代になって
からは、私の標準レンズは75mm、すなわち50mm標準を
APS-C機につけた時の画角の方が、しっくり来るようになって
しまったようにも思える。

まあでも本レンズは悪くは無い、特にマイクロフォーサーズ
やAPS-C機で使った場合は広角レンズ特有の周辺の収差や
画質劣化は全てカットされるので、快適に使うことが出来る。
ただ、このクラスのレンズであれば、フルサイズ・ミラーレス
で使っても耐えうる性能であろう、銀塩時代から特に不満を
感じた事はなかった訳だし・・

問題点を言えば、現代では入手が難しく、玉数の少ないレンズ
となっている事である。私は1990年代に、やや高め3万円で
購入しているが、今あったとしても「時価」となるであろう。

さて、次のシステム
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カメラがEマウント・トイレンズ母艦のNEX-3
今日はトイレンズではなくAFレンズとして、
SIGMA 19mm/f2.8DNを装着している。

つまり、トイレンズ母艦というのは、アダプターを用いた
MFの操作系に問題があるという事であり、AFレンズであれば、
NEX-3であっても、まあ快適に使う事ができる。

レンズは、高級デジタルコンパクトSIGMA DP1の装着レンズ
を単品発売したものである、そのDNシリーズには、μ4/3版と
Eマウント版がある、Eマウント版の19mmは銀塩換算焦点距離
が28mmとなり、慣れ親しんだ画角で利用する事ができる。
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慣れ親しんだ、というのは、たとえば銀塩時代から、28mmは
広角の代表的レンズであったし、一眼レフやレンジ機に限らず
銀塩コンパクトであっても、リコーGR1シリーズ、ミノルタTC-1
など、私も28mmレンズを搭載した高級コンパクトを使い続け、
デジタル時代になっても、GR Digitalや、GXRでは28mm画角が
標準である、といわんばかりであり、勿論SIGMA DP1も、その
28mm画角を活かせるように設計されたデジタルコンパクトである。

上の写真は、HDR効果をかけて撮影したもの、
HDRとは、ハイダイナミックレンジ合成の略である。明暗差が
大きい被写体の場合、明るい写真、普通の明るさの写真、暗い
写真の3枚をカメラがシャッター速度を変えながら連続で撮影し、
明るい写真の暗い部分と、暗い写真の明るい部分を取り出して
合成する、その結果、明暗差が少ない写真の出来上がり、という
簡単な理屈である。

この機能は自分でもC言語でプログラムを作って実験した事が
あるが、だいたい16bit幅でDレンジのバッファを設定し、そこに
撮影した画像の輝度をオフセットして格納、その後で、JPEGの
8bit幅に収まるようにDレンジを圧縮するように計算すれば良い。

逆光や明暗差の大きい被写体では有効だが、その結果として
コントラストの低い、いわゆる「眠たい」画像になるので、
本格的、すなわち、本来の意味のHDR合成の使えるNEXシリーズ
等では、恐らくこの機能は人気が無い事であろう。
この機能から派生的に生まれたのは、Dレンジを下げた画像を
RGBからLAB空間に変換・演算する事で得られる「絵画的HDR効果」
が、多くのコンパクトやミラーレス機に搭載されており、それが
むしろ人気の機能だ。

この絵画風擬似HDRでは露出を変えて連写する必要もなく、
動体にも対応できるし、合成計算に長時間を要する事も無い。

ただまあ、ものは使いようだ、理屈が全てわかっていれば、
その機能の長所も欠点も良くわかる、あとは必要な場合にのみ
使えばそれで良い。
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28mm画角は、銀塩時代から写真を撮っている人であれば最も
体感的に身についている画角であろう。ただ、画角の好き
嫌いには個人差が大きい模様で、銀塩の頃は、広角は、28mm
派、35mm派、まれに24mm派という風に分かれて興味深かった。

デジタル時代初期では、画角が(APS-C機などで)シフトして
しまったので、そのあたりは混沌としてしまった、
ズームしか使わないユーザーも非常に多くなってきているし
今時、好きな単焦点の画角は?と聞いても、答えられる
ビギナーユーザーは、10人に1人も居ない事であろう。

余談だが、ビギナーは単焦点という用語自体も知らない模様で
あり、短焦点と誤記する人が後を立たない。
まあ、写真用語の誤記は他にもいくらでもあって、それらを指摘
していたらきりが無いし、間違った用語を使っていて困るのは
自分であるので、別にほっておけば良い。
c0032138_1811371.jpg

この19mm/2.8レンズは、現代的なレンズなので、まあ普通に
良く写る、そして最大の特徴は安価な事である。

DNシリーズは、デザインが無骨であったので、1年程で新型に
チェンジした。
ちょうどSIGMA自体が「アート、コンテンポラリー、スポーツ」
という3分野に特化するというコンセプトを打ち出した時期で
あったので、本レンズは「アート」ラインに属するレンズという
事で、外観をリファインし、A(Art)19mm/f2.8DN となった。
そのマイナーチェンジの直前に、旧型の在庫処分があって、
何と8000円台でこのレンズの新品を購入した次第だ。

しかし、この19mmをはじめ、30mm、60mmというDNシリーズ
レンズを使っていつも感じることは「これで十分な写りでは
ないか」という事である、新品でも2万円弱、中古ならば
1万円台前半で購入できるこれらのレンズは、描写力的には、
数十万円の高級レンズとあまり変わりが無い、だとすると
高いレンズはいったい何故高いの?という疑問が湧いてくる
事であろう、その答えは簡単である、つまり「高くても売れる
レンズだから高い」のである、それが何を意味するかは、
わかる人だけがわかれば良い、つまり大人の事情なのだ・・

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話は変わるが、NEX-3は、JPEG圧縮率の設定値を間違って
いるという仕様バグがある、「バグ」と言えば許されそうな
風潮がソフトウェアの業界にはあるが、はっきり言えば欠陥
である。 

具体例を上げよう、これらの画像は、NEX-3では最小の
2288x1520ピクセルの約350万画素で撮影している、で、その
350万画素は、3色に8bitを掛け算して、結果的に非圧縮24bit
BITMAP形式でのデータ量はちょうど10Mbyte位となる。

これを、最低画質、すなわち高圧縮JPEGで保存しようとする、
その際に目安となる圧縮比はJPEGの場合、BITMAPの1/10と
いうのが標準的、というのが画像処理界での常識である。

圧縮率は、画像の空間周波数により異なる、これはFFT等を
かけて計算すれば求まるが、そんな邪魔臭いことをしなくても
風景では1/8程度、一般写真で1/10程度、背景ぼかしポートレート
で1/12程度、マクロ撮影で1/16程度、背景大ぼかしの写真で
1/20程度と、だいたいそのあたりに圧縮比(率)は決まっている。
写真を撮る人であれば、その事は経験的にわかるだろう。

ところが、NEX-3の場合、空間周波数の高い被写体で、圧縮比は
約1/3,5~1/4程度、上写真のような空間周波数の低い写真で
やっと1/10程度となる、平均的には1/5程度の圧縮比であり、
これはすなわち「本来の適正値の2倍以上メモリーを余分に浪費
している」わけだ、これを欠陥と誰も指摘しないのは何故だろう?

画像の事がわかっていない人が仕様を決めたのか、あるいは
新入社員のプログラマーが誤ったテーブル(初期値)を
プログラムに埋め込んだか、まあそのあたりであろう。
まあ、そんなこともあって、NEX-3では大画素や高画質モード
では画像容量をバカ喰いするので、あまり撮りたく無い訳だ。

他社製品でも同様で、低圧縮(高画質)は1/4の圧縮率などと
設定しているメーカーもある。
実際に実験したらわかると思うが、非圧縮BITMAPの画像と、
JPEG1/10圧縮率の画像は、一般の人の目ではまず見分ける
事ができない、だから1/4の圧縮比(率)はオーバースペックだ。
高画質という意味すらない、誰も見分けることができないのに、
「高」も「低」も無いであろう。

別の何処かのメーカーでは、1/8,1/12,1/16の3段階の圧縮比
となっている、これが最も適切な設定あろう。まあ、とはいえ
これも完全では無い、そもそもそんなに細かく圧縮比を設定する
意味があるかどうかが疑問なのだ。

例を上げれば、画像の空間周波数で圧縮率が変化するのが、
JPEGの特性であり設定した圧縮比には絶対にならない。

試しに、4000x3000の1200万画素を、完全に真っ黒な画像で
作って、それをJPEG形式で保存したとする、ヘッダーなどが
含まれるので、あまり小さくはならないが、それでも画像容量
は恐らく134KB前後になると思う、この時の圧縮比は、約1/270
である、勿論ここでは、1画素も欠けてはない完全に真っ黒
な画像に戻すことが可能である。まあこれは極端な例だが、
JPEGとは本来そうした特性や性能を持つ圧縮形式なのだ、
1/10くらいに圧縮しても殆どの画像で、全く問題は無いし、
あまり高画質とか低画質とか設定に明記するのもどうかと思う。
c0032138_1815498.jpg

さて次は、カメラはトイレンズ母艦であるE-PL2だ、
レンズは、オリンパスボディキャップレンズの魚眼タイプ
BCL-0980 9mm/f8 である。

魚眼レンズはこのシリーズでは何度か紹介してきているが、
いずれもフルサイズ用のを、μ4/3やAPS-C機で撮ると
魚眼っぽく写らないという話から、逆に、魚眼風にあえて
撮らない撮りかたを研究している、という話に繋がっていた。

今回はμ4/3専用の対角線魚眼もどきのトイレンズであるので
魚眼効果は十分に出る、でも、まずは、いつものごとく、
魚眼っぽくない撮りかたをしてみよう。
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広めの広角レンズという感じで撮れる、まあ、トイレンズ
と言っても普通の画質で、普通に使えるレンズである。

このレンズは「ボディキャップレンズ」という名の通り、
マイクロフォーサーズ機に常時装着しておく事が出来る。

一般的なレンズと異なるのは、レンズバリアー(シールド)
が内蔵されていて、必要に応じてそれを閉じておけば
完全にボディキャップとなる、使う際には、上写真の
レンズ下部のレバーを廻すとバリアーが開いて、レンズとして
使える。レバーはフォーカス機能を兼用していて、MFでピント
合わせが出来る、まあ、とは言え、9mmレンズの被写界深度は
深く、∞位置、クリックストップ(常用パンフォーカス)位置、
最短撮影位置(0.2m)の3つしか実際には使用しない。

なのでピント合わせの苦手な E-PL2でも十分に使える。
逆に言えばこのレンズを使うためにEVF搭載機を使用するのは
オーバースペックだ。

同様な機構を持つ他のレンズとしては、同オリンパス製の
15mm/f8(広角レンズ)、およびFUJIFILM のXマウント用の
フィルターレンズ XM-FL 24mm/f8(第20回記事で紹介)の
2機種が存在する。

後者には、ソフトフィルター、クロスフィルターが内蔵されて
いて便利だが、ピント合わせ機構が無く、完全なパンフォーカス
でも無いので、やや使い難い要素がある。

さて、本魚眼レンズだが、勿論魚眼風に使おうとすれば、構図内
の直線の配置を意識せずに撮ると、魚眼風のディストーションの
発生する写真となる。
c0032138_18172992.jpg

つまり、魚眼とは、計算づくで撮るか、あえて計算せずに
面白い写りを狙うか、そのあたりを自由にコントロールできる
レンズであるという事だ、しかし、そのコントロールは
実に難しく、まあ、魚眼で撮る機会が多く無いと、なかなか
簡単には身につく技術では無いであろう。
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ちなみに、f8というのは暗いレンズであるので、こういう
夜景撮影はなかなか難しい、オートのままでISO6400まで
上がり、かつ手ブレ補正も入っている E-PL2であるから
こういうトイレンズでも夜景撮影がかろうじて可能なのだ。

このレンズは最近新品購入したもので、価格は8000円台と
まあ、性能的にはそんなものであろう、中古はまず出ないと
思われるが、必ず必要なレンズか?と聞かれれば、それは
無いと思うので、趣味性の高いレンズという事である。

さて、次は今回ラストのシステム
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カメラが、マイクロフォーサズ機アダプター母艦のDMC-G1
レンズは、京セラ・コンタックス Planar 50mm/f1.4である。

1975年に国産コンタックス初号機として衝撃的なデビューを
果たした「RTS」と同じタイミングで発売された標準レンズだ。

このRTSは、京セラ、ヤシカ、カール・ツァイス、ポルシェ
(デザイン)の共同チームによる、ビッグプロジェクトであり
当時は相当なインパクトがあっただろうと想像される。

P50/1.4は、初期のタイプは、AE版と言われ、絞り優先に対応。
10年後にMM版として シャッター優先、プログラム露出に対応
したが、現代でアダプターで使う上ではどちらでも同じである。

その後、2001年頃にAF版のNプラナー50/1.4が発売されたが
恐らくはこれらの20数年間を通して、6群7枚の変形ダブルガウス
型のレンズ構成に変化は無かったと思う。

その後、京セラ・コンタックスはカメラ事業から撤退してしまい
さらにその後、2006年ごろに、コシナ社よりカールツァイスの
ブランドで、ニコンマウント等のP50/1.4が発売されている、
これも恐らくは中身のレンズは同じだ。さらに、ニコンマウント
版はCPUが内蔵されたZF2に進化し、現在(2016年)に至るまで
40年以上も、同じレンズの系譜が脈々と続いているという、
超ロングセラー製品である。
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このレンズは、コンタックス党であれば必携のレンズであるので
いまさら私が、写りがどうのこうのという必要も無いであろう。

しかし、例の「プラナーボケ」という、ボケ質の破綻を回避する
為には、絞り値、撮影距離、背景距離、背景の絵柄、などを
微妙にコントロールする必要があり、ビギナーには使いこなしが
難しいレンズである。それらが上手く決まれば、かなりの描写力
を持つが、銀塩時代は、そうしたボケ質のプレビューが
光学ファインダーでは難しく、撮ってから現像してみるまでは
わからず、36枚撮りのフィルム中に1枚か2枚、ばっちりのものが
あれば十分、という調子であった。

だからP50/1.4よりもプラナーボケが出難い P50/1.7の方を
愛用しているマニアも居るくらいであった。
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レンズの最短撮影距離は、50mm標準レンズとしては一般的な
45cmである、これはもうお約束であろう。 

Y/Cマウントの標準レンズとして併売されていた、テッサー
45/2.8や、P50/1.7の最短撮影距離が60cmであるので、
その点については、f1.4版が有利だ。

まあ、もしかすると製品ラインナップ「差別化」の為に、あえて、
他の標準レンズは、スペックを落としているのかも知れないが。

ちなみに京セラはコンタックスブランド取得時に、ヤシカを
吸収しているので、ヤシカ製の同マウントレンズも1980年代位
まで併売されていた、標準レンズでは、その種類は多く、例えば
ML50mm/f1.4,50/1.7,50/1.9,50/2,55/1.2、さらには
モノコート仕様のDSB版など、品種が多すぎてややこしい。

マニアの間では、これらのレンズを初期に設計製造した
「富岡光学」(ヤシカの前身)の名前は神格化されており、
「ヤシカML版の方が、京セラ・コンタックス版より良く写る」と
これらを必死に収集するマニアも多数居たくらいである。

その真偽のほどは良くわからないが、いくつかのML,DSBレンズ
は私も所有しているので、いずれ比較してみることにしよう。

面白いのは、これらのヤシカML標準レンズ群の最短撮影距離は、
いずれも50cmと判で押したように決まっている。これも、前記
のようにP50/1.4と差別化するための仕様だったかも知れない。
(安いラインナップが、高い製品より高性能であったら困る)
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P50/1.4だが、銀塩時代は、アンダー露出で使う事がマニアの
間では推奨されていた、「シャドー部分の階調再現性が高い」
という「常識」があったのだ。

しかしながら、それはポジフィルムでの話であり、ネガの場合
はラティチュードの関係から、P50/1.4といえども、+0.7程度
のオーバー露出で撮った方がプリント時の色味が良いという
のは、今度は写真現像店側での「常識」でもあった。

まあ、いずれも銀塩時代の話だ、デジタルにおいては、カメラ側
の設定でいかようにも変化する訳であり、最適な状態は、これだ、
というのも決めれず、ましてや、ネガフィルムのように露出補正
を固定値で使うという撮り方もデジタルでは有り得ない。

また、開放では少し描写が甘いため、f2程度に絞って使うとい
のも、マニアの常識であったが、これもまた、現代のデジタル
時代においては、絞りをMTFの向上の為に使うという方法論は
重要では無いので、そのあたりも気にする必要は無いであろう。

絞りは、本来の目的通り、被写界深度をコントロールする事を
主眼に、時に、絞り優先モードでのシャッター速度の調整、
さらには、高度な利用方法としてボケ質の破綻の回避の目的に
使えば良い訳だ。
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最後に、このレンズの相場だが、私が1990年代に購入した際は、
外観キズ多数(ただしレンズはOK)のB級品を19000円で
取得している、現代においては、このレンズを置いていない
中古屋を探す方が難しいくらい玉数は多い。

京セラのカメラ事業撤退後しばらくの2000年代後半を通じては、
24000円前後の相場で推移していたのだが、2010年代の
ミラーレス時代においてはアダプターで使用したいというユーザー
が増えたからか、現在は3万円程度まで相場は高騰している。
(同様に、CONTAX Gレンズ群も、一時期の2倍以上に高騰して
いるので、買い時では無い)

なので、買うタイミングとしては良くない。
伝説的なカールツァイスがどんな写りをするか知りたいビギナー
のアダプターユーザーは多いと思うが、あまり簡単なレンズでは
無いと思う。ただ「こういう風に難しいのか」という事を知る意味
では、プラナーの、あるいはオールドレンズ全般の入門用としては
適しているレンズだと思う。

写りを期待するのであれば、最新の各社単焦点レンズの方が
良く写ると思う。なにせP501/4の発売は40年以上前で、原型の
プラナーの基本設計は、なんと120年近く前の1897年迄遡り、
これはライト兄弟が空を飛ぶ以前の話なのだ。

歴史的な銘レンズではあるが、最高のレンズでは無い、という
風に認識して購入する必要があると思う。
特に相場が上がってしまった現在であるから、なおさらだ。

さて、そろそろ文字数が限界だ、次回記事に続く。

ミラーレス・マニアックス(23)

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安価な中古ミラーレス機とマニアックなレンズで遊んで
みようというコンセプトの記事、シリーズ23回目。

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カメラは毎度おなじみ LUMIX DMC-G1
レンズは、フォクトレンダー・マクロアポランター
(MACRO APO-LANTHAR) 125mm/f2.5 SLである。

このレンズはフォクトレンダーブランドを取得したコシナが
一眼レフ用に開発したSLシリーズレンズの1本である、
2000年代前半の発売、SLシリーズのマウントは最初期には
各MFマウント用が発売されていたが、その後ニコンFと
M42のみになり、近年ではCPU内蔵型のニコンFおよび
キヤノンEFマウント、PENTAX K マウント (つまり、これらは
AFマウントである)となっている。

このマクロアポランターは、MFマウント期からAFマウント期
への切り替わり時期の製品であり、EOS(EF)、αの両AFマウント
が発売された最初(唯一)のSLシリーズのレンズだったと思う。
AFマウントとは言え、勿論MFレンズだ(SLシリーズは全てMF)

EFマウントのレンズであるので、本来はミラーレス機ではなく
EOSで使うのがオーソドックスなのであるが、本レンズはMF
レンズである事から、ミラーレス機で使うのも悪く無い。勿論
ミラーレスでは、露出補正や被写界深度、ボケ質などの確認が
EVFで行えるので、光学ファインダーに比べメリットがある。
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最短撮影距離38cmの等倍マクロである、マイクロフォーサーズ
機で使っているので実質的な撮影倍率は最大2倍相当となる。

しかし重たいレンズである、物理的な重量は700g弱で、さほど
重くは無いのだが、MFマクロであり、ヘリコイドの回転角が
非常に大きい。よって撮影の殆どの時間を、ヘリコイドを廻す
操作に費やしてしまい、左手にレンズを支える事と、ピント合わせ
の両者の負担がかかる為、重たく感じてしまうのだ。

ずっと昔の記事で、このレンズを一度紹介した事があったが、
確かその時、無限遠から最短撮影距離までヘリコイドを
廻すのに、左手を十数回持ち替える、と書いたと思う。
このレンズにそうした弱点があるのは承知していたので
今回は、ミラーレス機の中では大柄でグリップも大きいG1に
装着し、重量バランスと右手グリップによる補助を考慮している。
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EFマウント故に、マウントアダプターでは絞りの制御が
難しい、それを実現する方法(製品)は3つある、
1)電子接点を設けた電子アダプター
2)機械的な絞り機構をアダプターに組み込む
3)絞り開放でしか使用できないアダプター

1)から順に価格も高いのだが、今回使用しているのは、
2)の機械絞り付きのタイプである。
このタイプは、あまり絞り込めない(機構的にも画質的にも)
という弱点はあるが、どうせこのレンズの場合は、f2.5から
f4程度でしか使わないので、機械絞り方式で十分である。

ボケ質は、任意の距離で、絞り開放近くであっても殆ど破綻
する事は無い。極めて優秀なレンズである。
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本レンズの弱点は、前述のヘリコイドの回転角である、
マクロレンズを近接撮影だけに使うのは今時の撮影技法では
無いので、遠距離から近距離まで全ての被写体を撮る為には
このMF操作の負担はかなり大きい。前述のように「撮影時間の
殆どを、ヘリコイドを廻している」と言っても過言では無い。

余談だが、リュートというギターの元祖のようなバロック時代
の楽器があるが、この楽器はチューニングが難しいそうで
「人生の半分を調弦に費やす」という、たとえ話がある。
まあ、著名なクラッシック・ギタリストでも似たような
ジョークを名言として残している模様だが、これと同様に
「マクロアポランターは、撮影時間の半分を合焦に費やす」
という感じである。
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G1に装着した場合、換算250mmでかなりの望遠マクロとなるが、
いつも書いているように、マクロレンズを使う場合は、被写体を
見る視点を、通常レンズのように平面的画角感覚を優先するの
ではなく、距離優先の考えにシフトする事により、このレンズが
「望遠すぎる」と言う事は無くなると思う。

画質的には十分であり特に不満は無い。問題点は前述のピント
合わせの劣悪な操作性を気にするか、気にしないか、である。

私は若干気にする。フォクトレンダーSL系レンズは、どれも
高画質なので、個人的に好きなシリーズではあるが、このレンズ
は例外的にあまり好きになれず、よほど気が向いた時にしか
持ち出さないようになってしまった。

このレンズの中古は極めて少ない、幻のレンズに近い状況に
かも知れない、もしあれば「時価」になる事であろう。
私は2000年代前半の発売直後に「どうせ中古は出ないであろう」
と、定価10万円弱を値切って79000円で新品購入、数年して、
生産終了前の2000年代後半には、定価の半額の5万円程で
在庫処分となっていた。安いのでもう1本買っておこうか?と
一瞬思ったが、このレンズの操作性を考えると、その気には
なれず、カメラ好きの友人知人にも勧める事なかった。
その後、市場からこのレンズは静かに姿を消していった・・・

さて、次のシステム
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カメラは「孤高のKマウントミラーレス」K-01である。
レンズは、PENTAX FA50mm/f1.4

ピント合わせに致命的な欠点を持つ K-01であるが、
基本的には好きなカメラである。ピントさえ合えば問題は
無いので色々なAFレンズとの組み合わせを試している。
(MFレンズでのピント合わせは絶望的という認識だ)

しかし、今度は、AFレンズのデザインの問題が出てくる。
このカメラは個性的で好き嫌いの分かれるデザインではあるが、
私はとても気に入っている、けど、PENTAX のAF一眼時代の
FAレンズは、どれもデザインが無骨で、このお洒落なK-01とは
デザインがマッチしないのだ。
近年のDA Limitedシリーズならば、デザインバランス上の
不満は無いのであるが、私は、PENTAX Kマウントは銀塩時代
に、レンズのラインナップを揃えているので、今更、高価な
DA Limitedを現有のFA Limitedシリーズに重ねて
購入する気にもなれず、購入を保留したままだ。
いずれ、広角系を1本、このカメラの為に買おうとは思っているが、
優先度は低いままである。
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K-01のピント精度が怪しいのは、その構造上(設計仕様上)の
問題であり、その点については、後継機も無く、何も改善の
しようが無い。そこを憂いても意味が無いので、あとは何とか
ピントが合ってくれるのを、まぐれ当たり的に望むだけだ。

まあ、止まっている被写体ならばまだしも、動き物には弱い
という事は確かであろう。
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本レンズ FA50/1.4は、1990年代のAFレンズである。
私は銀塩時代では、Z-1PやMZ-3につけて使用していた、

描写力は、この50mm/1.4という標準レンズは、各社の各時代
の、どの標準レンズをとっても、あまり代わり映えがしない。
いずれのレンズ構成も酷似しているし、MF時代にすでに完成の
域に達していたのであろう、まあ、すなわちどれも良く写る。

特に、PENTAX の50mmといえば、MF一眼時代においても、
各メーカーが50mmレンズを開発する際に、PENTAXの50mm
を標準レンズ中の標準、という風に捉えて、それと新規開発
のレンズを比較するような慣習がある、という話を聞いた事も
あるくらいだ、真偽の程はわからないが、まあ、つまり
本レンズの系譜は、リファレンス(比較参照)用として使われる
位の、オーソドックスで高性能なレンズであるということだ。

じゃあ、他社の標準も性能に差異が無ければ、そんなに何本も
標準レンズを購入する必要は無いではないか? と言えば、
それはまさしくその通り(汗)

けどまあ、MF/AF銀塩一眼~デジタル一眼時代においては、
各社のマウント間の互換性はあまり高くなかったので、
各マウントでラインナップを揃えざるを得なかったのだ。

現代、ミラーレス時代においては、マウント間の障壁は、ほぼ
撤廃された状態なので、このレンズは、どのミラーレス機でも
使うことが出来る。ただし、わざわざ操作性を落としてまで
AFレンズをミラーレス機で使う必要は無く、PENTAXであれば
K-5とかの高性能機の中古が3万円を切る中古価格で出て
いるので、それらで使った方が何かと便利なわけだ。

あえてピント合わせが苦手なK-01で使う必要も無いのだが、
まあ、このシリーズ記事は、ミラーレスマニアックスだ、
K-01がどこまで使えるカメラか?という点を探る上でも、
こうした被写界深度が浅く、ピント合わせの精度が必要な
大口径レンズを装着して試してみるのも興味深いであろう。
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まあ結果から言えば「かなりピントが厳しい」という事は
間違いない、ただ、無骨なデザインのFAレンズではあるが
このFA50/1.4は、大口径の割りに小型コンパクトであり、
例えば CONTAX N Planar 50/1.4(第9回記事で紹介)と
比べると雲泥の差なのだが、それはともかく、K-01との
組み合わせにおいても、レンズがあまりでしゃばらずに
さほどデザインバランスを崩す事も無いと思う。

このレンズは1990年代に14000円で中古購入、現代でも
比較的玉数は多く、中古相場は1万円台と思われる。

まあ、50mm/f1.4のAFレンズ(MFも)で6群7枚の変形ダブル
ガウスタイプの標準レンズは、どのメーカーのものでも性能的
には同じようなものなので、中古における価値も1万円台半ば位
までだと思っておくのが良いであろう、同じ仕様で、それより
高価な標準レンズは、コストパフォーマンスが悪いと言う事だ。

さて、次のシステム
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カメラは、FUJIFILM X-E1 である。
こちらもK-01同様、ピント合わせに弱点を持つカメラである。

アナログ風な「操作性」は悪くなさそうに見えるが、実際の
「操作系」は、決して褒められたものでは無く、不満だ。
ただ、絵作りに長所を持ち、カメラ本体が吐き出す色味は
なかなかのもので、さすがフィルムメーカー製と思われる。

後継機が色々出ているが、操作系に問題を抱えている点に
ついては後継機でも同様であろう、最初期の本機については
3万円を切る中古相場で、様々な欠点を鑑みても、コスト・
パフォーマンスは、さほど悪くは無い。

さて、レンズはちょっと変わったものをつけている。
NIKKOR S Auto 35mm/f2.8 である。

1960年代発売の、50年以上前の古いレンズであり、ニコンF と
同時期のFマウントレンズだ。
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この時代のレンズはマルチコートではなく、モノクロフィルム
用として認識しておくのが良いであろう。

ちなみに、同じニッコールでも、C型は、カラーフィルム対応の
マルチコート型であり、そちらは、1970年代のニコンF2の時代
より順次発売されている。

銀塩時代、シングルコート仕様のモノクロ用レンズをカラー
フィルムで使うと、黄色味がかかる発色となってしまっていた。
カラー調整フィルターなどで補正しようとしても、レンズの機種
1つ1つで色味が変わるので、多数のレンズを保有している
状態では、実際には無理だ。

デジタル時代、ホワイトバランス調整で、ある程度その問題は
回避できそうだが、でも、基本的にコーティング性能が悪いので、
様々な撮影条件において、安定した色味で撮れる保証は無い。
また、前記と同様に、各レンズの色味のクセを知って、WBを
レンズ毎に手動で調整する事は困難であろう。

という事から、今回の撮影は、モノクロモードで行っている。
前述のように、X-E1はカラー撮影の発色が良いという長所を
持っている、おまけに、カラーのモードは、ベルビアや
アスティアといった、銀塩フィルムのシミュレーションの
モードを持ち、銀塩時代からのカメラユーザーならば、その点
すっかりお馴染みであり、好感が持てる仕様だ。

そういえば、ドラゴンボートの横浜のチームの選手で、
かなりのカメラマニアの人が居る。昨年10月の静岡のツナカップ
大会で、そのマニアの選手が、珍しいコダックのμ4/3機を
持ってきていた。そのコダックのカメラにも、コダクロームや
エクタクローム、コダカラーといった、コダックの名フィルムの
シミュレーションモードが搭載されていて、そのあたりの話で
盛り上がっていたのだが、モノクロには「トライXモードが無く
そこが不満だ」という話が出ていた。

さて、FUJI のカメラのモノクロモードの場合はどうなのだろう
ネオパンSSモードとかがあれば面白いのだが、X-E1には
残念ながらそのモードは無い。しかし、通常のモノクロモード
に加え、Ye(黄色),R(赤色),G(緑色)のモノクロ撮影用の
物理フィルターを装着した効果を出せるような機能が搭載されて
いる、これらの多くはコントラスト増強用のフィルターであり、
銀塩モノクロ撮影の場合には、そうした物理フィルターは
重宝したものである。

で、今回、ただ、デジタルでシミュレーションするのでは、
ちょっと面白味に欠ける部分もあり、今回は、本物の Y2(黄色)
フィルターをレンズに装着して撮影をしてみる事にした。
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これは、シミュレーション機能と本物のフィルターを比較する
という意味では無かった(まあ、その実験もやりたいという
気持ちはあるが) 
このNIKKOR S 35/2.8は元々モノクロ撮影にしか向いていない。
・・であれば、もう物理フィルターを装着したままにして、被写体を
見る視点も、モノクロ視点に変えてやろう、という考えである。

銀塩時代、モノクロ撮影には、概ね2つの志向性が存在していた、
1つは純粋にモノクロ写真の魅力に惹かれ、モノクロを中心に
撮るユーザー層、そしてもう1つは、カラー撮影に行き詰った
時に、突然変異な写真を狙ってのモノクロ撮影である。

前者は正統派で説明は不要だが、後者の心理はやや複雑だ。
よく、トイカメラ、トイレンズの記事でも説明しているが、
簡単に言えば、個性的な写真を撮ろうとして、技術や経験上の
限界を感じた場合に、トイカメラやモノクロという秘密兵器を
投入し、自分が想像できなかった写真を撮る事を目的とする
要素があったのだ。 

つまり、銀塩時代は、光学ファインダーから見える映像は、
普通のカラー映像であり、それがトイカメラやモノクロフィルム
を使うことで、自分が見えていない映像が写真に写るという
事である。

先の例によれば、前者の正統派モノクロ使いは、光学ファインダー
から見るカラー映像から、出来上がりのモノクロ映像を想像
できるようになる、ただ、それは熟練や経験が必要であり
なかなか容易では無い。

ところが、ミラーレス時代、EVFやモニターに写る映像は
モノクロモードであればモノクロの画像に写る、なので、
銀塩のベテランのモノクロ使いのように、頭の中で「この暗い
緑と、明るい赤のどちらが暗く写るか?」等と、輝度変換して
考える必要が無い。
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ところで、Y2(黄色)フィルターの露出倍数は、1段である、

露出で言う1段というのは、光量が半分になるという事だ。
ISO感度が低く、かつ使用するフィルムで固定されていた
銀塩時代であれば、光量が減ってしまうのは問題であり、
モノクロ写真のコントラストをさらに上げる Y3A(橙色)や、
R1(赤色)のフィルターでは、それぞれ2段(1/4)や
3段(1/8)暗くなってしまうので、さらに大問題であった。

(ちなみに、モノクロ銀塩時代、フィルターの名称等は
業界でまだ標準化・統一化がされていなかったので、各社の
各製品でバラバラだし、ネーミングの規則も無いに等しいので、
それぞれの名称や意味は個別に覚えるしかなかった)

露出倍率だが、デジタル時代ではISO感度は自在に高める事が
可能であるし、むしろ大口径レンズではシャッター速度オーバーに
なりそうな明るいケースで、濃い色のモノクロ用フィルターを
使うというのもありかな、という風にも思った。
ちなみに、前述のカメラ内蔵のシミュレーションモードであれば
濃いフィルターのモードを使っても撮影時の露出に影響は無い、
それは撮った後の画像処理で行われるからだ。

さて、NIKKOR S 35mm/f2.8の描写力だが、50年以上前の
レンズであるし、今回はモノクロ撮影なので、正直、何とも言えない、
いずれもう少し使い込んでみて評価してみよう。

レンズの相場だが、1990年代に中古購入した時は、5000円で
あった、ヘリコイドもスカスカになっていて、実用レベルでは
無く、完全に「趣味」の世界のものである。

さて、次ぎは今回のラストのシステム
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カメラは、アダプター母艦の NEX-7
レンズは、OLYMPUS G-ZUIKO AUTO-W 28mm/f3.5である。

OMシステム用のレンズであり、1970年代に発売された物。、
ZUIKOとは「瑞光」あるいは、前身の瑞穂光学研究所の意味である。

Gについては、Aを1としてGは7番目の文字であるから、このレンズは
7枚構成という意味である(ただし、この呼び方は全てのOM ZUIKO
レンズに使われている訳ではない)

AUTOは自動絞りと言う意味、これは銀塩MF一眼の時代に
絞り開放のままでピント合わせや測光が出来、シャッターを
押した瞬間に設定した絞り値にまで絞り込まれる機構を指す。

これが無かった時代では、プリセット絞りや絞り込み測光等
撮影時にユーザーに不便を強いていたのだが、まあ、1970年代
以降のレンズはほぼ全てが自動絞り化しているので、現代では
あえてAUTOなどの名称を冠する事は無い。
AUTO-WのWは、ワイド(広角)という意味である。

OM ZUIKO レンズは、小口径のf3.5版と、大口径のf2版が
ほぼ全ての常用焦点距離でラインナップされており、f3.5版の
多くはフィルター径が49mmΦで統一されている(f2版も同様に
ほぼ55mmΦである)このあたりは、OMシステムの設計者で
天才と言われた米谷氏の標準化の思想が強く出ていて、
当時のコンセプトの先進性を今でも感じることができる。

このOM 28/3.5は、OM ZUIKOの中でも銘レンズと謳われた
ものであり、小型軽量で高画質という事で、多くのOMユーザー
に愛用されたレンズでもある(それ故に現代でも中古の玉数は
豊富だ)OM ZUIKOの必携レンズと言っても過言で無いかも
知れない。
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最短撮影距離は30cmと、この時代の28mm広角としては
標準的な性能だ。まあ、銀塩時代の一般的な広角撮影技法は
やや絞って中遠距離のパンフォーカス的撮影であったので、
最短をあまり気にする必要はなかったであろう。
しかしデジタル時代、広角レンズを自由なアングル、自由な
撮影距離で使うという発想においては、逆に本レンズの仕様は
やや物足りなく感じる事もある。

まあ、そういう訳でも、銀塩時代のように、f5.6~f8位に
絞って、中遠距離撮影をするのが良いかも知れない。
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広角で広く撮るだけでは、クリエイティビティ(創造性)の
不足を感じてしまう事がある、けど、そこはデジタル時代だ、
必要ならば、撮影時にも様々なデジタル的加工を施せば良い。

ここでは、NEX-7の豊富なデジタルフィルター機能から
絵画調HDR(効果:中)を選択している。
ちなみにNEX-7のHDRは、単写の擬似的なHDRではなく、
露出差合成による本格的なものなので、撮影後の処理時間が、
かなり(10秒弱)かかってしまうのが難点ではある。
(PENTAX K-01なども同様である)
擬似HDRも同時に搭載してくれると嬉しいのだが、まあ、なかなか
両者を当時に搭載しているカメラは無いと思う。
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こちらも同様にエフェクトだ、ミニチュアモード(横中央)
を選択、このタイプのエフェクトを選ぶとEVFに枠が出て
その範囲の被写体は正常に写り、それ以外は、ティルトレンズ
のようなグラーデーションのボケが生じる。中央から円周状に
変化する効果が欲しいのだが、残念ながら搭載されていない。
まあ、そういうのが欲しい場合は、LENS BABYのような実際の
ティルトレンズを使えば似たような効果は出せるし、あるいは
PCでのレタッチでも同様の効果を作りこむのは難しくは無い。

けど、基本的には、前述のように撮影時の創造性の問題なので、
PCでの後付け効果は、その場の状況と感覚的な関連性が薄れて
しまうので、レタッチとは結果が同じでも思考のプロセスが全く
違うという事になる。

PC等による後付効果を狙う場合は、元となる写真はできるだけ
フラットでオーソドックスな物が必要とされる、パンフォーカス
であればいかようにもフォーカス系エフェクトは後付け可能だが、
大口径レンズでボカしまくったような写真では、ボケた位置の
フォーカスを復元させる事はできない。

近年、4K動画撮影機能のエンジンを活用し、例えば複数のピント
位置の異なる画像を連写し、それを後で合成(深度合成)したり
必要なピント位置のものを選択できる(フォーカス・セレクト)
機能が搭載された新鋭ミラーレス機が出てきている、このあたり
は今後さらなる発展を期待したい技術分野である。

ちなみに、2000年代前半のCONTAX Nシステムの旗艦「N1」で
既に、フォーカス・ブラケットとして搭載されたいた機能の現代版の
リファインであるとも言える。機能だけ見れば、AFのピントを
ずらしながら撮影するので、似たような物なのだが、実は、その
目的は大きく異なる。

CONTAX N1においては、その主力レンズのNプラナー
50mm/f1.4、同85mm/f1.4の被写界深度が極めて浅く、
AF精度が確保しづらかった事と、加えて、絞り値によりピント位置が
変動する「焦点移動」の問題を抱えていた事への対策の意味も
あった。

焦点移動とは、前述の自動絞り、開放測光の機構が出来てきた
頃から問題になった事で、撮影直前に絞りが絞り込まれると、
レンズ設計上の問題で、ピント位置が微妙にずれる事を指す。

通常の中小口径レンズでは、絞り込むと同時に被写界深度も
深くなるので、焦点移動はさほど問題にはならないが、プラナー
85mm(RTS版、N版)のような大口径レンズの場合はピンボケが
発生してしまう。これを防ぐ為のN1のAFブラケットであった。
ただ、銀塩時代は、その為にフィルムの撮影枚数が3倍に増加
してしまうのはコスト的に厳しかったので、私はN1もNプラナー
も所有していたが、この機能を使う事は殆ど無かった。

ちなみに、ミラーレス時代、アダプター使用時の測光方式は
全て絞り込み測光であり、または、冒頭のEOSマウントのような
絞り機構を持つアダプターを使うことで、これらの焦点移動の
問題は発生しない。これもまた、ミラーレスを使う上での
大きなメリットであるとは思う。
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これもエフェクト、縦位置でのミニチュアモードだ。
28mm広角レンズと言っても、APS-Cでは、42mm相当の
標準レンズ画角になる、本来の広角として使うには、銀塩または
フルサイズ機の方が良いかも知れないが、まあ、その場合には、
撮影の狙い目も「被写体の方が偉い」という、クラッシックな技法に
なってしまう恐れもある。(創造性が少ないという事と同義だ)

本レンズの購入時の価格は、1990年代に中古で9000円ほど、
現代においても、1万円強ほどで購入可能だと思う。
OM ZUIKOの歴史を知る意味でも必携レンズだと思う。

今回はこのあたりまでで、次回シリーズ記事に続く。

「天上の虹」を巡る(前編)

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女流漫画家「里中満智子」による長編漫画作品「天上の虹」が
ついに完結した。
ついに、と言うのは、この作品は1983年から連載が開始され
2015年の完結まで、実に32年の年月がかかっていたからである。

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「天上の虹」には副題として「持統天皇物語」と付けられていて
西暦690年から697年までの期間即位した女帝の「持統天皇」の
生涯について描かれている。

当初は少女漫画としてスタートした模様であるが、回が進むと
本格的歴史漫画としての様相を見せ、同時に男性の読者層もかなり
増えてきた模様で、連載も長期化、最新の時代考証なども随時
取り入れながら、里中満智子のライフワーク的な大作となった。

連載中、掲載誌は、いくつか変わった模様であったが、現在
2016年では、講談社より文庫版で全11巻が販売されている。
(ちなみに、11巻ボックスセットもある)
私は、文庫版で10巻まで所有していて、最終巻の発行待ちの
状態であったが、2015年冬に、無事11巻が発売され、これで
コンプリート。
完結したその内容は実に面白く、むしろ感動的でさえあった。

せっかくなので、この「天上の虹」の舞台となった様々な土地を
本記事で紹介しよう、このあたり、関西に住むメリットであり、
こうした古代ロマンの世界に身近に触れることができる。
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まずは、「天上の虹」の直前の時代、6世紀の飛鳥だ。
この時代の人物いえば、推古天皇、聖徳太子、そして上写真
の「飛鳥・石舞台古墳」の被葬者といわれている「蘇我馬子」が
著名であろう。

蘇我馬子の全盛期であるが、詳しい記録はあまり残っていないか、
残っていたとしても、まるで極悪非道のように書かれている。
これは恐らく、後述の「乙巳の変」で蘇我氏(主家)を滅ぼした
事により、藤原氏などがあえて、蘇我氏を悪役に仕立てた
可能性もあるからだ。
一説によると、蘇我馬子が行った善政については、これを馬子の
ものとせず、聖徳太子という架空の(!?)人物を創造して、
馬子の功績をすべて聖徳太子のものとしたという説もある。

そして、上の「石舞台古墳」は、石室がむき出しになっているが
これもまた、蘇我馬子の痕跡を無くすために、後年、古墳を破壊
した(盛土をすべて撤去した)という説が一般的だ。

ちなみに、この石舞台古墳の南側に「都塚古墳」というものが
あるが、近年、この古墳は、巨大な階段ピラミッド状の方墳で
あった事がわかり、大王クラス、例えば馬子の父の蘇我稲目の墓
では無いかと言われている。

626年、馬子の死後も蘇我一族は、蝦夷(毛人)、入鹿らの一族
により繁栄していた、ただ、これらの名前も、若干差別的な意味
が含まれているため、後世、蘇我氏の功績を抹消するために
意図的に変えられたのではなかろうか?という説もある模様だ。

このころ(7世紀半ば)の天皇は、女帝「皇極天皇」である、
皇極天皇は飛鳥板蓋宮で643年に即位した。
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こちらが伝・板蓋宮だ、これは、毎年飛鳥で8月または9月に
行われる「飛鳥 光の回廊」のライトアップイベントにて。

皇極天皇(後に重祚して斉明天皇)は「石の女帝」として知られ
多数の石の建造物を作った。そのいくつかは現代も飛鳥に残り
「奇石」として観光的にも知られているが、これらの建造物は
この当時の外国(大陸)との政治的交渉の際に、日本を先進国と
して対等の立場をアピールする意味もあった模様である。

皇極天皇体制の元、大臣として政権を握った蘇我入鹿は、飛鳥の
甘樫丘に邸宅を築き、蘇我一族を住ませ、皇室行事を支配したと
いわれている。
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こちらが甘樫丘、現代においては、隠れた桜の名所であるが、
その事は、地元の人以外にはあまり知られていない様子だ。

順風満帆に思えた蘇我氏であるが、当然蘇我氏を良く思わない
勢力も居たであろう、影でクーデターの準備が進行していた。

645年、中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣(藤原)鎌足に
よる「乙巳の変」が勃発、蘇我入鹿は、皇極天皇の目前で殺害
されてしまった・・
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こちらが飛鳥寺の西にある「蘇我入鹿の首塚」
伝説によると、ここまで首が飛んできたらしいが、板蓋宮からは
相当距離がある・・

乙巳の変が起こった理由は良くわからない、定説では蘇我氏の
実権が強力になりすぎ、朝廷すらコントロールするようになった
からだとの事と、それから、入鹿が政敵である聖徳太子の一族
「上宮王家」(山背大兄王を筆頭とする)を滅ぼした事を
大義名分としている、等とされているのだが、前述のように、
後の記録は勝者を正当化する目的で書かれているので、
蘇我氏を悪く書くのは当然なのであろうが・・
(それに、そもそも、聖徳太子の一族が、綺麗さっぱり居なく
なってしまったのも少々不自然だ)

一説によれば、蘇我入鹿の首塚のある場所は、飛鳥寺の当時の
西門にあたり、入鹿は、板蓋宮ではなく、この場所で暗殺された
という考え方もある模様だ。それは例えば、乙巳の変が外国から
の使者や皇極天皇の目前で起こったという日本書紀の記述の
内容が不自然であるからという事もある(例えば、入鹿殺害に直接
手を下したのは中大兄皇子であり、中臣鎌足は、ただそれを見て
いるだけという点。中大兄皇子は皇太子であり、中臣鎌足は無冠
だ、まあ後述のように、中臣鎌足が百済の王子と同一人物で
あったから、という解釈もある模様だが、まあ、いずれにしても
何か不自然さが残るように思う)

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そして、この年(645年)中大兄皇子(後の天智天皇)の娘として、
漫画「天上の虹」の主人公である「讚良」(ささら/さらら、後の
持統天皇)が誕生している。

なお「乙巳の変」はいわゆる「大化の改新」と混同されやすいが
本来、中大兄皇子によるクーデター事件が「乙巳の変」であり、
この翌年に発令された「改新の詔」に基づく政治的改革の全般が
「大化の改新」なのだが、「乙巳の変」を含んで「大化の改新」
とするケースもある模様だ。

クーデターのショックからか、皇極天皇は、乙巳の変の後で
天皇を譲位してしまう(天皇位を譲ったのは日本初と言われる)、
後を受けた弟の軽皇子(孝徳天皇)は、大阪の難波宮で政務を
行った(これは政情不安を避けてか?)「改新の詔」など精力的
な活動をしていたものの、飛鳥に残りたいとする臣下が大半であり、
ほとんど誰も従わず、失意の中で孝徳天皇は在位9年で没する。

孝徳天皇亡き後、天皇を次いだのは、なんと、また皇極天皇
であった、これは「重祚(ちょうそ)」と言い、史上初とのこと
である。
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665年、皇極天皇は「斉明天皇」として板蓋宮で重祚した。

中大兄皇子が何故自ら即位せず、母である斉明天皇に皇位を
譲ったのかは謎であるのだが、まあ、クーデター政権であるから
民意を重んじたり、政敵を警戒したのかも知れない。

しかし、斉明天皇は既に高齢でもあり、政治の実権は中大兄皇子
が握っていた模様である。
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661年に斉明天皇は崩御、「斉明天皇陵」という陵墓(古墳)は
存在するが、近年の研究により、上写真の「牽牛子塚古墳」
(けんごしづかこふん)が、斉明天皇の真陵であると言われる
ようになった。

牽牛子塚古墳は近鉄飛鳥駅の西側約700mにある八角墳、
陵墓参考地であるので、近寄ってその石室内部を見ることも
出来る。
(天皇陵とされている場合は墳丘に近寄ることも出来ない)

石室は二重構造であり、日本書紀などの記述と一致する模様だ、
なお、一説によると、兵庫の「石の宝殿」 飛鳥の「益田の岩船」
といった巨大石造物は、これまでその用途や目的が不明だったのが
最近の研究によると「斉明天皇陵の石室を作る為の石材だった
のが、切り出し途中に割れたりして放棄された失敗作であった」
という説が有力視されている模様である。

なお、この時代、飛鳥京は生者の都であり、今で言う近鉄吉野線
の西側あたりのエリア一帯が、死者の地、すなわち皇族の墓等が
主に作られた地域として、そうした宗教観から明確に分離されて
いたという説もある、さらにちなみに、近鉄線のやや東側にある
奇石群の「猿石」は、その死者のエリアの方を向いていて、
これは「結界」の一種ではなかったかという説もある模様だ。
(注:天武・持統陵が飛鳥京の直近(生者の地)にあるのは、
陵墓が作られた時点では、すでに都は藤原京に移っていたから)
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で、こちらが兵庫県高砂市の生石神社にある「石の宝殿」だ。
(ちなみに、石の宝殿と呼ばれる場所は、関西に数箇所あるので
説明する際には、どこの石の宝殿なのかを指定する必要がある)

切り出した後があり、斉明天皇陵の石室という説も納得が行く、
しかし、各辺が5~7mもある巨石だ、重さは500トン以上あると
言う。もし無事に切り出せたとしても、どうやって飛鳥まで
運ぶつもりであったのだろうか?
(作業途中で「やっぱ、無理だ・・」と諦めたのかも知れない)

さて、斉明天皇の崩御後も、中大兄皇子は即位せず、
皇太子のままで、政務をとりしきった、これを「称制」と呼び、
歴史上は天智天皇と持統天皇の2例がある模様である。

しかし、歴の上では、天皇不在だからといって空白の歴の期間と
する訳にもいかず、斉明天皇崩御の翌年を便宜上「天智元年」
としていると聞く。
で、もしかすると、政敵などとの政治バランス上や乙巳の変の
経緯の関係で、即位したくとも、なかなか難しい面があったのかも
知れないが・・(例えば、中大兄皇子は、将来の政敵となる可能性
のあった有間皇子を謀反の疑いで処刑する等を行っている、
有間皇子は、それ以前に、しばらく狂人のふりをして政治抗争に
巻き込まれるのを防ごうとしていたが、それも及ばなかった模様だ)

で、このころ(660年ごろ)、朝鮮半島においては、日本と友好国で
あった百済が唐により攻め滅ぼされる。

当時の日本は朝鮮半島や大陸との密接な関係があった模様で、
海外政策は、聖徳太子の時代からも重要であったのだろう。
朝鮮半島では、新羅や高句麗、伽耶といった諸国がバランスを
取っていた時代であったので、百済が滅びると、そのあたりの
緊張関係が崩れるばかりか、唐が余勢を駆って、日本にまで
攻め込んでくる危険性も出てくるという事になる。

まあ、当時の日本は技術的な発展においても、渡来人の知識を
必要としていた。人的交流も勿論多かったのだが、例えば百済
との同盟関係において、百済の王子、豊璋(ほうしょう)を人質
として来日させていた。一説によると、「乙巳の変」の中心人物
の中臣(藤原)鎌足こそ、豊璋と同一人物という見解もある、
真偽の程は不明であるが、非常に興味深い説である。

歴史における同一人物説、というのはなかなか興味深く、
たとえば、卑弥呼と天照大神、神武天皇と崇神天皇、
ジンギスカンと源義経、明智光秀と南光坊天海など、
どの説も真偽の程はさだかではないが、”もしそうであったら”
と考えると、なんとも楽しくなってくる。

で、生前の斉明天皇も、大陸との結びつきを重視して、様々な
石の建造物を作ったのは前述の通りであり、そして、百済滅亡の
ニュースが入ってきたのは、ぎりぎり斉明天皇の在位中であった。
斉明天皇は百済復興を支援するという方針を立て、九州に軍を
まとめたが、その志半ばで崩御してしまった訳だ。
(ちなみに、百済救済の軍事行動への反対勢力による、
斉明天皇暗殺、という説もある模様だ)

母である斉明天皇の意思を次いだ、時の最高権力者である
中大兄皇子は、663年、百済復興の為に軍を朝鮮半島に送る。
まあ、もし、異説のように、中臣鎌足と豊璋が同一人物であったと
すれば、両者は盟友であるからそういう流れになるだろうし、
それはさて置いても、大陸から脅威への「防波堤」となるべき
百済の存在は当時の日本にとって欠かせない、そして、未だ乱れて
いる国内の複雑な政治事情も、海外に目を向ける事で一本化され
統一されるかも知れない・・

しかし、この戦いが、歴史的な大敗となってしまうのだ。
これが有名な「白村江の戦い」である。

中大兄皇子政権にとって、これは致命的とも言える失敗で
あったのだが・・・
その後、667年になって中大兄皇子は現在の滋賀県大津市の
近江宮(大津京)に遷都し(逃げたのか?)その地で即位して
「天智天皇」となる。

さて、こちらも、大津に向かってみよう・・
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京阪大津線(京津線)を浜大津で乗り換え、近江神宮駅に
向かう、まあ、この方法の他、JRでも大津京駅(旧西大津駅)
から乗り換える事も可能だ。

大津京への遷都は、飛鳥での反対勢力を避ける意味も大きかった
のかも知れない、また、白村江の戦いでの敗北という失地回復
の為にも、即位は必要だったのかも知れない、そのあたり、
この頃の複雑な政治事情がうかがえるので興味深い。

しかし、大津京(近江宮)は5年という短期間で廃棄された為、
このころの遷都は、旧京を埋め戻すなどして完全に廃棄して
しまうからか? 現代において遺跡や遺構は殆ど残っていない。

まあ、近年の大津市による大津京の観光資産としての整備により
様々な地点に説明板などが立てられてきてはいるが、ともかく
遺跡等の見るべき場所は殆ど無い状態ではある。
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まあ、それでも近年の発掘調査により、様々な遺構が発見されて
はいる。
ここ近江宮で、このころの日本の課題であった律令制を整える
為の様々な試みが行われていたのであろう、まあ、このような
政情不安定な状態では、大陸からいつ攻められて滅ぼされる
かも知れない、まずは国内をまとめることが先決だったであろう、
だが、飛鳥を拠点とする反対勢力から遠い筈の近江宮においても
民衆の不満は絶えなかった模様ではあるが・・・

近江宮の遺構の多くは、このあたりの錦織(にしこおり)という
地区でよく見つかっているが、ここは現在の近江神宮に近い
場所である、当時の建物は当然残っては居ないので、まあこんな
イメージということで、平城宮の写真を転用してみよう。
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実は、近江宮まで、ただ単に遺構を見に行った訳でも無い、
近江宮は過去2~3度訪れてはいるが、何もなかったので
それだけ(天上の虹のゆかりの場所を巡る)で行くのはちょっと・・
と思っていたのだ。

なので、今回もまた、「スタンプラリー」と組みあわせている。
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このスタンプラリーは京阪電車が主催するもので、京阪本線
ではなく支線である大阪の交野線(枚方~私市)と、滋賀の
京津線・石山坂本線において、各々指定3駅のスタンプだけを
GETすれば良いので、以前の記事で紹介した、大阪地下鉄全駅
108駅制覇とか、大阪松原市での長距離を歩くラリー等に比べて、
極めて容易なスタンプラリーである。

容易なだけに、子供向けイベントとなっており、実は、大人が
これをコンプリートしても、賞品がもらえないのだ(汗)
(賞品の缶バッジは、小学生以下限定となっている)
まあ、賞品はあきらめて、ともかくスタンプだけ全部押して
「コンプリートした」という事にしておこう・・
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近年、平安遷都1200年(794年平安京→1994年)や、
平城京1300年(710年平城京→2010年)ということで、
京都や奈良では、古都に関する多くのイベントが行われた。

平城京イベントでの「せんとくん」は、ゆるキャラとしても
人気(有名)となったのは記憶に新しいところである。

ちょっと可哀想であったのは、持統天皇が開いた藤原京である、
遷宮は、諸説あるが694年と定義する説が有力であるのだが、
これは、有名な「鳴くよ桓武」の平安京の794年のちょうど
100年前であり、京都と同時期に遷都イベントを行う事が
難しかった模様だ。以下は藤原京資料館の職員から直接聞いた
話なのだが「あっち(京都)に比べると、マイナーなので・・」
という事であった。

まあでも、後編で述べる予定だが、持統天皇の藤原京は
日本初の条坊制による本格的かつ巨大な都である、

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で、大津京(近江宮)は、これらの古都イベントとは
タイミングが合わない667年である、1967年はとっくに過ぎて
いるし、2067年まで待つわけにもいかない、なので、上写真
のように「ほぼ1400年、大津はちょっと大人です」という
ポスターが飾られて観光誘致を図っている訳だ。

ちなみに、このポスターが貼られていたのは「近江神宮」だ、
近江神宮は、近年は「かるたの聖地」として観光施策が色々と
行われている、著名なのは、漫画・アニメ・映画(3月公開)
の「ちはやふる」とのコラボ企画である。
「ちはやふる」も面白い漫画なので紹介したいのであるが、
そこまで書き出すときりが無いので別の機会に譲ろう。

あと、近江神宮には「漏刻」のレプリカが存在している。
これは671年に天智天皇が作らせた「水時計」であり、
水の流れ方が一定である事を利用して時を刻む装置だ。

ただし、これは日本初ではなく、日本初は、建築マニア?の
女帝の斉明天皇が660年に作ったものが最初と言われている、
(まあ建築マニアと言うより、斉明天皇は前述のように、
大陸との外交施策として、日本が高度な文明国である事を
プレゼンする必要に迫られていたからだと思われるが・・)

でもまあ、天智天皇が作らせたこの「漏刻」を記念して、
これが作られた日である6月10日(新歴)が、「時の記念日」
として、その後の日本に定着したとのことである。

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さて、ちっとも「天上の虹」の主人公である「讚良」(持統天皇)
が出てこないのだが、彼女はこのころどうしていたのであろうか?

讚良は、657年すなわち、百済が滅亡する3年前に、13才にして
大海人皇子(後の天武天皇)に嫁いだ、讚良は天智天皇の娘で
あるから、その弟である大海人皇子は叔父となる。

まあ、でも、天智天皇と天武天皇は実の兄弟ではなかったという
説も存在する、このころの(まあ、後の時代でも)歴史的な
記述は、あくまで勝者の側によるものであるから、事実に反しても
都合の悪い事は、隠すか、改ざんされてしまっている可能性もある
という事だ。
そして、天智天皇との兄弟関係であること等においての日本書紀
での記述が不明瞭である事から(年齢が合わず、弟の方が年上?)
現代では天武天皇(大海人皇子)の生年は「不明」となっている
模様だ。

で、祖母である斉明天皇が、朝鮮出兵の準備で九州に向かった
661年に、讚良も大海人皇子に同行して九州に行ったとの事だ。

天智天皇と大海人皇子の関係は実に微妙である、
どちらも実力者であり、兄弟と言う以上に、むしろ政敵としての
関係性が強かった事であろう。

ちなみに、天智天皇は大海人皇子を相当警戒していた模様であり、
讚良の他にも自分の娘を大海人皇子に嫁がせて、血縁での結束を
固めようとしていた節が見られる、
漫画「天上の虹」においては、讚良が、父と夫との間で揺れ動く
心理なども上手く描写しているので、そのあたりも面白い。

その両天皇の関係を端的に表す良い例が額田王(ぬかたのおおきみ)
であろう。皇族であり百人一種などでの歌人としても著名であるが
もっとも有名なのは、天智、天武の両天皇との三角関係だ。
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天智、天武が、絶世の美女である額田王を取り合ったという事が
一般に通説として知られており、額田王の作品である歌などからも
それをうかがえるという事だ。

また、万葉集でも「大和三山」を3人の関係にたとえ、
「香久山は 畝傍を愛しと 耳成と相争ひき神代より・・」と
謳われている、これもまた有名な歌であり、ますます三角関係説が
一般に定着していった理由にもなっている。

「天上の虹」をはじめ、様々な映像作品や小説などにおいても
当然、額田王のエピソードは欠かせず、必ず美女として描かれる。

しかし、この話もまた、後年に作り出されたものであるという
説もあり、あげくには「美女でもなかった」という説もあるのだが、
さすがに、その説は額田王のイメージを壊すという事から、あまり
一般的には受けが良く無い模様である。

まあ、美女であり、天智、天武が取り合ったという事にしておく
のが無難だと思うし、ちゃんと「天上の虹」でも、そのように
描かれているので”安心してください”(笑)

さて、政情が不安定なこの時代、ある意味、なかなか魅力的な
時代ではある、戦国時代や幕末と並んで、もっと人気が出ても
良さそうであるし、できれば大河ドラマなどでもやって貰いたい
と思っているのだが、皇室の直系の話でもある訳であり、
なかなかドラマなどで扱うのは難しいテーマかも知れない。

そういう意味では「天上の虹」は貴重な作品であるのだが、
まだ主人公の「持統天皇」の話が殆ど出てこないままだ(汗)
1つの記事では書き切れそうにないので、続きは後編で、
ということにしておこう・・

ミラーレス・マニアックス(24)

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安価な中古ミラーレス機とマニアックなレンズでコスパの
良い「アダプター遊び」を楽しむシリーズ、第24回目。

まず、このシステムから、

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カメラは、毎度お馴染みアダプター母艦、DMC-G1
中古で1万円以下と書き続けてきたが、玉数の減少にともない
相場も若干上がってきている模様。

ただ、私としては、比較的新しいカメラやレンズでの「プレミアム
価格」という状況は、あまり好きでは無い。
何故プレミアムが付くかと言えば、高くても欲しい人が居るから、
価格が上がるわけである。
では何故、安価に入手できるうちに購入していなかったのか?
まあ、そのあたりの売手と買手のやりとりの仕掛けが、個人的
にはどうも納得行かず、面白く無い訳だ。

さて、レンズだが、YASHICA DSB 50mm/f1.9である。

Y/Cマウント、これはヤシカ・コンタックス・マウントの
事だが、通称ヤシコン、あるいは、このマウントの初号機の
CONTAX RTSにちなんでRTSマウントと呼ばれる時もある。

ヤシカのDSBというシリーズに関しては、あまり情報が無い。
ヤシカのMF一眼用のレンズといえば、M42時代のDSあるいは
DXシリーズ、そして、Y/Cマウント時代のMLシリーズが著名
なのだが、DSBというレンズはあまり出回っていない。
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DSB という名称は、恐らくは1960~70年代のヤシノンDSの
Bタイプという意味ではなかろうか?
モノコートであったDSシリーズはM42マウントだが、これを
1980年代に、同じレンズ構成のまま、そして、モノコートのまま
Y/Cマウント版に変更したものがDSBではなかろうか?

そういえば確か、M42版のDS50/1.9も持っていたと思う、
今度ちょっと比べてみるとしようか。
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モノコート(シングルコーティング、単層コーティングとも言う)
である事の弱点だが、この後の時代のマルチコート(多層
コーティング)に比べて、逆光時のコントラストが低下したり
する場合があると言う事だ、この傾向は、レンズ枚数が増えると
内部反射が増えて、顕著になると言われている。

このレンズは同時代の同じY/Cマウントのプラナーや、ヤシカ
ML50/1.4に比べてレンズ枚数は少ない、ヤシカの標準レンズは、
f1.4,f1.7,f1.9,f2.0の4種類の開放f値があったと思うが、
小口径になるほど、レンズ構成の枚数が減っていた。

すなわち、DSB50mm/f1.9という構成枚数が少ないレンズに
おいては、モノコートであってもさほど不利にはならない。
そして、その原理的な弱点を知っていれば、コントラストが
低下するような状況では撮らなければ良い訳だ。

余談だが、今から10年以上前の2004年に発売された
コニカミノルタのDimage A2というロングズーム機があった、
このカメラは2/3型CCDと、比較的大型のセンサーを搭載して
いたが、高コントラストの被写体に弱いという弱点があった。
つまり晴天の昼間などではなかなか厳しい訳だ。
けど、このカメラを曇天や雨天などのフラット光の状況で
使うと実に良い発色をしてくれる。このため、Dimage A2は、
「雨天専用機」として、長らく雨の日の撮影に持ち出す事を
続けていた(ちなみに、今でも、現役で雨天専用機として
使っている)

まあ、この話と同様に、DSB50/1.9も逆光や高コントラスト
被写体に弱いのであれば、雨天とまでは言わないまでも、
曇天、夕方、日陰などの状況で使えば良いという訳だ。
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「ヤシカ」の準広角、標準レンズに「ハズレ」は殆ど無いが
ボケも比較的綺麗であるから、撮影時の光線条件を選んで
かつ明暗差が出難い近接撮影等を中心とするのが良さそうで
ある。
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本レンズは比較的最近、2010年代に購入。Bランクで中古価格
は破格の2000円であったが、レンズの性能からの価値を
考えると、5000~7000円程度迄であれば妥当な相場であろう。

しかし、思うに、このレンズの安さや、発色や描写の傾向を
考えると、本レンズは「雨天専用レンズ」として使えるかも
知れない。安価なG1やNEX-3といったボディに装着し、
(その他の安価なミラーレス機だとMFのピント合わせが
厳しい)壊れても良い、あるいは雨天の方が良く写る、
というシステムにするという事だ。

ただ、前述した「雨天専用機」のDimage A2はAFロング
ズーム機であり、手ブレ補正も(当時には珍しく)搭載されて
いたから、傘をさしながら「片手撮り」が出来る、というメリット
もあるが故の「雨天専用機」であった。

MFレンズの場合は、たとえ小型なミラーレス機であっても
両手での操作が必須となるので、傘をさしながらの撮影は
厳しいため、やはり、この手のレンズは「雨天専用」には
使えないかな・・ なので、まあ、たとえばミラーレス機の
キットズームをその目的に使う方が、壊しても惜しくないと
いう意味では正解であろう・・

---
さて、次のシステム。
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カメラが RICOH GXR
レンズ(ユニット)は、A12 28mm/f2.5である
過去既に紹介しているシステムだが、広角レンズには
色々な側面があるので、再登場という感じだ。
c0032138_2013251.jpg

GXRについては、今更説明する必要も無いが、ボディ側に
撮像素子(センサー)を持たず、レンズ(ユニットと言う)側に
それを持たせ、交換する事が出来る唯一のシステムだ。

これをミラーレス機というカテゴリーに当てはめて良いもの
かどうかは微妙であるが、ミラーが無いという点では、
まさしくミラーレスである。しかし、(デジタル)レンジ機
も、(デジタル)コンパクトも、ミラーが無いので、これらを
まとめて「ノンレフレックス・カメラ」という風に分類する事も
ある模様だが、一般的にはこの呼び名は浸透しておらず、
通常は、ミラーが無くて、レンズ交換が出来るタイプの
カメラを「ミラーレス機」とカテゴライズする状況である。

GXRシステムの長所は、2009年の発売当初においては、
APS-C型のデジタル一眼並みの大型センサーを持つシステム
が小型軽量で実現できる事であったが、その後の、例えば
SONY NEX システム等でも同等の小型化が実現されているので
現代においては、この点はもはや長所とは言えない。

私が思うGXRの長所は、その操作系である。
例えばデジタルカメラの基本操作である、絞り、露出補正
ISO感度が、それぞれ同時に独立した操作子(ボタンやダイヤル、
レバー)にアサインできる機種は限られており、こうした小型の
カメラシステムとしてはGXRとNEX-7しか、この操作系は実現
できていない。

その他の操作系も、極めてオーソドックスながらかなり練れて
いて、なかなか使いやすいシステムに仕上がっている。

最も大きな弱点は、AFのピントが合わない事。これは初期の
コントラスト検出AF方式ではしかたが無いとも言えるが
それにしてもGXRのピント精度は厳しく、実用的とは言い難い。
(また、構造上、MFでピントを合わせるのも厳しい)
もう1つの弱点は、オーソドックスすぎて、エフェクト
あるいは、HDRや連写合成などの特殊機能が何もついていない
事である、ただまあ、これは発売時期を考えるとしかたが無い。

そして、このユニット(A12 28/2.5)の弱点は最短撮影距離だ。

銀塩時代、広角レンズと言うのは、広い風景を平面的に
かつパンフォーマスで撮影するレンズとして使うというのが
一般的であった、例えば、上のダムの写真のような撮り方だ。

デジタル時代になって、広角レンズは、パース(遠近感)の
強調や、撮影アングルの自由度からなる撮影技法が必須に
なってきたように思う、後者は、銀塩(フィルム)時代に比べ
撮影コストが限りなくゼロに近くなったデジタルであるが故、
試行錯誤的な撮り方が可能になったという事であろう。
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例えばこのような撮り方は、フィルムコストのかからない
デジタルだからこそ出来るとも言える、つまりこのような
撮り方では、ファインダーを見る事が出来ないから、フィルム
時代では、無駄打ちになるリスクが高くて難しかった訳だ。

で、こうした撮り方の場合に、気になるのは最短撮影距離の
スペックな訳だ。

広角レンズにおいては、最短撮影距離は近ければ近い程良い、
すなわち、被写体に近づけば近づくほど、そこでカメラを
向けるアングルの自由度の高さから、背景の取り込み方を
いくらでも変える事が可能になるからだ。

これは、たとえば望遠レンズはアングルの自由度が効かない
という点と比較して考えると容易に理解できるであろう。

A12 28mm/f2.5は、(35mm判)銀塩換算の焦点距離であり、
実際の焦点距離は、18.3mmである。
一眼用の広角レンズの場合、標準的な最短撮影距離のスペック
はレンズの焦点距離の10倍、すなわち、本レンズ(ユニット)
であれば、18.3cmが標準的であり、これより寄れれば使い易い
広角となり、これより寄れないと、使い難い広角となる。

本レンズの場合、最短撮影距離は20cmだ。実は、これはちょっと
不満である。まあ、焦点距離10倍の法則から言えば標準的な
性能なのだが、RICOHの過去のGRシリーズを思い起こすと
初代GR~GR4 までの1/1.7級センサーのシリーズでは、
マクロモードで驚異の1cmであった。

そして、GXR A12と同じAPS-Cセンサーの、GR,GRⅡでも
10cmと、かなり寄れることを特徴としており、本A12 28/2.5
と比較すると、本レンズの「寄れなさ」が目だってしまう。

さらに、GXRでは、最短あたりでのピントが非常に合い難い事も
問題点を増強している事になる。

まあ、このあたりの話は以前にも書いた事はあったのだが、
要は、こうした事は単なる「事実」であり、だからこの
システムが良いとか悪いとか言う評価には直結しない。

そもそも、このミラーレス・マニアックスのシリーズ記事では
カメラ本体も、レンズも、基本的には、何らかの弱点を持つ
ものばかりである。

最高の性能のシステムが欲しければ、ボディもレンズもかなり
高価なものを買うしかない、けど、それでは、コスパが悪すぎる
のだ。しかも、それでもなおかつ万能なシステムは存在しない。
もし存在しているのであれば、カメラやレンズはそれだけしか
皆買わない事になるであろう。万能で最高なものが無いから、
様々なシステムが林立している訳だ。

このシリーズ記事の1つのコンセプトは「コスパ」である、
つまり、いかに安価なボディやレンズで、高価なシステムに
匹敵する高性能を得ることができるか否かという事だ。

そして、もう1つのコンセプトが「組み合わせ」である、
すなわち、ボディとレンズの組み合わせにおいて、両者の
欠点を相殺する事ができるか否か、という点である。
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ただ、残念ながら、GXRシステムの場合は「組み合わせ」の
工夫はしようが無い、例えば、GXRのAF精度が悪いからと
言って、このA12 28mmレンズ(ユニット)を、他のカメラに
装着して使う事は出来ないからだ。 

本システムの中古価格だが、GXR本体が約1万円前後、
A12 28mmが25000円前後で、合計35000円位となる。

比較の対象としては、GRであろう、この中古が4万円台後半
なので、その差1万円強。GXRに対してのメリットは、最短
撮影距離(20cm対10cm)と、高感度(3200対25600)である、
で、GXRの場合の最大のメリットはレンズ交換が可能で
ある事だ(マクロ機や、標準ズーム機、高倍率ズーム機に
することができる)
結局、この性能差と価格差をどう見るか、という事になると
思うが、なかなか難しいチョイスという感じだ。

さて、次のシステム。
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カメラが FUJIFILM X-E1
ピント合わせ(性能、機能、操作系)に弱点を抱えるカメラで
あるが、まあ、そこを言っていても始まらない。
発色が良いという長所を活かせるよう、最適なレンズとの
組み合わせを模索中だ。

レンズが、ニコンレンズ・シリーズE100mm/f2.8である。

1980年頃の、ニコンEMと同時発売の中望遠レンズだ。
シリーズEの単焦点レンズは、28mm,35mm,50mmそしてこの
100mmが存在するが、内、28mmは輸出向けで国内未発売と
なっていた。まあ、でも、1990年頃には、これらのレンズは
中古市場には逆輸入品なども存在していたので、28mmも
入手不能という訳ではなかった。

私は、1990年代に最初に35mm/f2.5を入手したが、チープな
外観とは裏腹に写りは良かったので(第9回記事参照)
残る50mm/f1.8(第21回記事)や、本100mm/f2.8も
続けて入手した次第であった。
(28mmは若干高価だったので購入しなかった)
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他のシリーズEレンズと同様、小型軽量で、ややチープな
外観、レンズ構成も4群4枚とシンプルである。
そして、このレンズはモノコートとの事である。

コーティングの話は、本記事のDSBのところで述べた通りで
あるが、モノコートだからと言って、マルチコートに比べて
写りが劣るという訳ではない。

100mmという焦点距離はどうであろうか?
ニコンAiレンズには、類似のスペックとして、105mm/f2.5が
存在する、この105mmは名玉として名高く、多くの銀塩ニコン
ファンが所有しているレンズだと思う。そして、ニコンは
伝統的に105mmという焦点距離のレンズを何本もラインナップ
していて、100mmという焦点距離のレンズは、Fマウント
レンズの中では、MF時代・AF時代を通じて、このシリーズE
の1本しか存在していなかったと記憶している。
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で、銀塩MF一眼時代、50mm標準レンズの次に望遠レンズを購入
する場合、135mm、そして200mmという風に揃えるのが一般的
であった。現代の感覚からは望遠ズーム1本でカバーできる
焦点距離ではあるが、MF一眼時代の初期のズームは画質が悪く、
実質的に単焦点しか使えなかった訳だ。

で、銀塩時代の後期(MF~AF時代)では中望遠レンズが人気と
なり、特に85mmは、各社ともポートレート用レンズとして、
気合の入った高性能なものが目白押しであり、中望遠の代表的
な焦点距離のレンズとなった。
そんな中、100mmまたは105mmというレンズは一般的な135mm
望遠や、人気の85mmの間の焦点距離となり、あまり多くの
ユーザーが保有する焦点距離ではなかったのではなかろうか?
さらには、TAMRON 90mmマクロの人気もあり、ますます100mm
レンズは買いにくい焦点距離となってしまったようにも思える。

ただ、ニコン以外に目を向けると、CONTAX のプラナーおよび
マクロプラナーの100mm、オリンパス OMズイコーの100mm/f2
CANON FDあるいはEF100mm/f2など名玉がズラリと並ぶ焦点距離
であり、ポートレートレンズとしての用途でも、100mmクラスを
選ぶユーザーもニコンユーザー以外であれば珍しくは無かった。

銀塩時代によく言われていたのは「85mmレンズは人物との
距離感がちょうど良いレンズだ、50mmでは近すぎるし135mm
では遠すぎる」という話であった。そして、こういう人も
居たのだが「私は85mmで人物に近づけるほど積極的な性格
では無いので、100mm位でちょうど良い間合いになるんだ」
という話もあった。

しかし、こららの「間合い」の話は、デジタル時代初期の
APS-Cの時代になって、その「適切な」(?)距離感というのは
画角が変わることで失われ、言われる事も無くなってしまった。

そして、そもそも、その距離感の話は、もしかすると、あくまで
85mmをメーカーが売る為の、あるいは85mmを買うための
(欲しいが故に理由をつける)一種の伝説的な話ではないかと
思えてしまう。
まあ確かにパーソナルスペース(他人を警戒せずに近寄れる
ことができる限界距離~動物の縄張りのようなもの)はあると
思うが、心理的な要素は、その被写体の人物との信頼関係に
よるものが大きいし、85mmと100mmの画角の差異など、
ほんの数歩踏み込んだり離れたりするだけで同じようになる
のではなかったであろうか・・?
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さて、余談が長くなったが、本レンズの中古購入価格は、
1990年代で16000円程であった。現代では玉数が少なく、
入手が困難と思われるが、先般の記事で E35mm/f2.5も
入手困難と書いたところ、その後、大阪の中古店でたまたま
1本出ているのを見かけた(確か15000円前後であった)

このレンズも丹念に探せば見つかるかも知れないが、
まあでも、前述の通りニコンFマウントでは、85mmや105mmに
名玉が多い為、あえてこのE100mm/f2.8の必要性は少ない
かも知れない。

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さて、次は今回ラストのシステム。
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カメラはアダプター母艦のLUMIX G1、こちらは予備機の方で
特定のレンズを使用する場合や、2台を同時に持ち出す場合に
使用している、区別の為、ポディ色を赤と青で色分けしてある。

近年ではボディカラーが色々あるミラーレス機やデジタル一眼も
ずいぶんと一般的になってきたが、このG1が登場した2008年末
には、こうした色のついているボディはまだ珍しかった。

当初は「目立ちすぎる」とか「色が被写体に写り込む」とか
言ってカラーボディを嫌うユーザー層も居たが、近年では
それが当たり前になってきて、そういう意見も殆ど聞かない状況だ。

レンズは、一見望遠レンズに見えるが、なんとこれが広角
レンズである。 
ミノルタMC Wロッコール28mm/f2というもので、1970年代の
発売だ。Wはワイドの意味なので気にしなくても良い。

MF銀塩時代の28mm/f2というレンズには、他社にもこうした
長焦点仕様のものが存在する、PENTAX ,CONTAXが代表的で
あろう(他にもNIKON、オリンパス、CANONにも28/2があるが
長焦点型ではなかったように記憶している)

銀塩時代での噂によると、MINOLTA,PENTAX,CONTAXの
MF長焦点型は、皆、同一の設計者によるものという話もあった。

ただ、良く調べてみると、レンズ構成はこの3本は全て異なる
模様で、単なる噂であったのかも知れない。
(PENTAX M28/2は所有しているので、いずれまた紹介しよう)

ここで長焦点とは、レンズの焦点距離に対して鏡筒の方が
長いという意味である(その逆が短焦点)この用語は、カメラ
用レンズの世界では一般的ではなく、あまり使わない方が良い
かも知れない。使い難い理由の1つは、広角単焦点レンズを
短焦点と勘違いして覚えるビギナー層があまりに多い事からである。

天体望遠鏡の世界では、長焦点、短焦点は一般的な用語だが
これもまたここでの鏡筒うんぬんの話とは意味が若干違う。
このように定義があいまいなので、カメラの世界では、
あくまで、望遠、標準、広角のようにレンズ焦点距離を
分類するのが一般的なのであろう。
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見かけは望遠レンズだが中身はあくまで広角、このギャップが
なかなか面白いのだが、一般的なf2.8級の28mmレンズに
対し、開放f値が1段明るくなっただけで、何故こんなに
大きく(長く)重くなってしまうのであろうか?とも
思ってしまう、まあつまり設計上は無理をしているという
ことである。

「レトロフォーカス」という用語がある(これは正しい
カメラ用語だ)一眼レフでは、ミラーボックスが存在する
事から、マウント面からフィルム(または撮像素子)までの
距離(フランジバック)は、各マウントで40数mm程度ある。
このため、このフランジバックより短い焦点距離の広角
レンズは、レンズ後群に凸レンズを配して焦点位置を伸ばす
(遅らせる=レトロ)という意味である(「逆望遠型」とも
言われている)
一般的なレトロフォーカス型の一眼用広角レンズだとレンズ
枚数は5枚前後が多いのだが、このMC28mm/f2は
その約2倍の9群10枚構成である。

複雑なレンズとは言え、最短撮影距離は、一般的な28mm
レンズ並みの30cmだ。
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f2の大口径だから、背景ボケを活かした広角マクロ的な
使い方が良さそうではあるが、最短30cmでは、もう一歩
寄れないという不満がある。

レンズ構成が複雑(すぎる)なので、大きく重くなる他、
レンズ張り合わせ面が増えて、内面反射等によるコントラスト
低下などの性能面でも不安なレンズだ。
銀塩時代から持っていたレンズであるが、写りがイマイチで
あったので、あまり使用していなかった。

それに銀塩時代は、28mmといえば典型的なパンフォーカス
レンズであるから、前述のGXR A12 28/2.5の話では無いが、
絞りを開けて使う必要性などあまり無かった訳である。

まあしかし、今やミラーレス時代である、撮影の技法に
制約は無く、どんな撮りでもありな時代である。
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けど、マイクロフォーサーズ機で使った場合の、画角56mm
相当にf2レンズであれば、まあ、銀塩時代の標準画角では
あるものの、ボケ量の自由度は、やはり銀塩50mm/f1.4標準
などに比べて圧倒的に少ない。
これが、後年のSIGMA 28mm/f1.8のように寄れる大口径広角
であれば、ボケ量をはじめ構図上の自由度も格段に高まり、
使いやすくなるのだが、まあ、なにせその両者には四半世紀
もの時代の差がある、1970年代のレンズとしてみれば、
これでもずいぶんと頑張った方なのであろう。
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写りは全体的に特筆するべき点は無い。むしろ一般的な
f2.8~f3.5級の28mm広角レンズに比べたら物足りない点も
あると思う。

しかも中古価格も高い、28mm/f2級のMFレンズの中古は
いずれも高価であり、特にCONTAX製のものはとんでもなく
高価であった事を記憶している。

開放f値が明るいレンズであると、一般的には高性能レンズ
という事となり、定価も中古相場も高いのが常識ではあるが
写りの点からすると、必ずしも開放f値が明るいものが
良い訳では無いのは、何度もこのシリーズ記事で書いている
通りである。

開放f値が小口径の方が優秀なレンズであるのは、銀塩MF時代
であれば、特に標準50mmのf1.7~f1.8級にその傾向が顕著で
あったが、同様に中望遠85mmも当初はその傾向があり、
さらに、広角28mmも、特別な例外を除いては、やはりf2.8級の
方がよく写るレンズであるようにも思える。

まあ、なので、1980年前後の銀塩MF一眼用レンズを購入する
際には、あまり大口径である事に拘る必然性は無いという
事も言えるかも知れない、高価なだけなレンズはコスパが
悪いという事にも繋がってしまう。

本レンズの購入価格だが、1990年代に24000円ほどで入手
している。現在冷静に判断すれば、仕様や描写力の点から
すれば、ちょっと高すぎたように思える、つまりコスパが
悪いという事だ。

したがって、本レンズを入手する必然性は高くは無い、
より高性能な大口径広角が欲しければ、できるだけこれより
後の時代のものが良いであろう事は間違いない。

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さて、今回の記事では「びっくりするほど良く写る」という
レンズは登場していない。まあ、でも、これくらいのレベルが
オールドレンズの世界では「普通」という事であろう。

オールドだから良い訳でも無いし、オールドだから味がある
という事でも無い、オールドレンズはあくまで古いものである
から基本的には数十年も後の現代の新しいレンズには勝てる
筈も無いのだ。まあ、あえてオールドに存在意義があるとすれば、
極めて安価でかつ極めて高性能、すなわちコストパフォーマンス
がとても良いレンズ(やシステム)であれば、十分に意味がある
という事になる、

まあ、なかなかそういうレンズやシステムは多くないが、
中には極めてコスパの良いものもある。
本シリーズ記事では、そうした安価で性能が高いシステムを
見出して、載せて行きたく思っている。

次回記事に続く・・

ミラーレス・マニアックス(25)

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安価な中古ミラーレス機とマニアックなレンズで遊んで
みようというコンセプトの記事、シリーズ25回目。

今回はまずこちらのシステムから。

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カメラは、SONY NEX-7 高度な操作系を持つ高性能機であるが、
フルサイズのα7シリーズの人気に押され、中古価格は3万円台と、
極めてコスパが良い。

レンズは、ヤシカML 50/1.4 、1970年代後半の、京セラ
コンタックスRTSシリーズの登場以降に、ヤシコンマウント
として発売されていたMFレンズだ。

銀塩時代、ML系レンズは、CONTAXのRTSなどのカメラに装着
するよりは、マニアックなヤシカFRや、ヤシカFX-3スーパー
2000などに装着して使用していた。
やはり、CONTAXのカメラにはCONTAXのレンズを使いたいし、
ヤシカはヤシカで揃えたいのが人情ではある。

とは言え、このML50/1.4に関しては、購入は2010年前後と
比較的最近だ、というのも、このレンズは銀塩時代は比較的
高価であったから、値段が十分下がるのを待って購入した
次第である。
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ヤシカMLの50mm標準レンズには、f1.4,f1.7,f1.9,f2が
存在するが、いずれのレンズも最短撮影距離が50cm、
そしてフィルター径も全て52mmΦとなっている。

CONTAXの(RTS)プラナー50/1.4の最短撮影距離が45cm
であることを考えると、CONTAX とヤシカという上下の2つの
ラインナップで性能を差別化しているのかもしれないし、
あるいは、M42のヤシノンDS/DX時代のレンズ仕様を引き継いで
いる結果なのかもしれない。

大口径標準であるf1.4版と、小口径の、例えば50/2との
使い分けであるが、MTFなどの性能面を気にしなければ
絞りを開けられるf1.4級は、背景ボケなどの自由度が高い為、
近距離から中距離までの範囲で使い、f2級は、背景ボケ量の
コントロール性を重視するならば、f1.4級より、むしろ1歩
踏み込んで最短撮影距離近辺で使う場合が自然と多くなる。

そして、MTFや解像度などを意識するのであれば、MFの
同時代の大口径標準と、小口径標準では、f2~f4あたりの
開けた絞り値では、小口径レンズの方が解像力に優れ、
大口径はf5.6より絞り込まないと小口径と同様の解像力を
得られないという場合が多々ある。

これは実際に解像度チャートなどを撮ってみれば、そうした
傾向が出るのは理解できると思う。
まあすなわち「大口径レンズの絞り開放近くは甘い」と
銀塩時代によく言われていた事は事実であるということだ。

けど、解像度やMTFだけが写真の全てでは無いし、
レンズの性能指標の全てでは無いのは言うまでも無い。
ボケ質、あるいは、よりややこしい話をすれば、ピント面
からアウトフォーカスする際のボケ量・ボケ質の遷移なども
写りの印象を大きく変える。

他にも色味やコントラスト、階調等の差異もあるが、デジタル
時代においては、画像処理エンジンやPCの後処理で差異が
出てしまうこれらの要素は、レンズ単独の性能だけでは
語れなくなってきている。いつも言うように、デジタル時代に
オールドレンズを使う上で、最も重視するべき点は、ボケ質
および逆光耐性であると思っている。
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そして、f1.4の大口径レンズは、最低感度ISO100のデジタル
カメラにおいては、昼間ではシャッター速度が足りなくなる
場合が多々ある。1/4000秒シャッターでは、だいたい2段位
足りないので、その対策としては、以下の4通りがある。

1)f2.8~f4まで絞って使う
 →せっかくのf1.4を自由に使えないというジレンマが。

2)ND4フィルターを装着する
 →面倒である。大口径レンズを1本しか持っていないなら
  いざしらず、沢山保有しているf1.4級以上のレンズに
  いちいち異なる径のNDフィルターは装着していられないし、
  室内など、ちょっと暗い場所に入っただけでNDを外したり
  するのも手間だ。

3)1/8000秒以上の高速電子シャッターを使う
 →これが使えるミラーレス機の機種は極めて少ないし、
  現状、その機種を私は所有していない。
  そして、電子シャッターでは、動体被写体や電子機器の
  ディスプレイを撮影できないという問題もある。

4)暗い被写体を狙う
 →これが単純かつ最も効果的だ。
  すなわち、昼間の明所でシャッター速度オーバーに
  なるのは、中~遠距離被写体の場合が多い、そこでf1.4
  で撮る必要は無いから、そんな場合は少し絞って撮り、
  暗い場所では、作画の必要上に応じて絞りを開ければ良い。

まあでも、50mm/f1.4は、全ての写真レンズの中の基本中の
基本であろう、銀塩時代は、こうした50mmレンズ1本だけで
撮るというのは、ある意味、常識であったようにも思う。

ただ、デジタル時代になって、APS-C機では画角が変わって
しまうため50mmの万能性は、だいぶ薄れてしまったのだが、
それでも私は、APS-Cデジタルの50mm、すなわち75mm~
80mm相当の画角にずいぶんと慣れてしまったので、やはり
50mmのレンズを使うと、むしろほっとする。
多分、今となっては銀塩一眼を使うと、50mmの画角が
広すぎるように感じてしまう事であろう。
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ヤシカML 50/1.4 の写りは特に問題は無い、各撮影条件での
ボケ質の破綻が少ない点を重視するならば、RTSプラナー
50/1.4より、むしろ使いやすいレンズと言えるであろう。

購入価格は、2010年前後の時点で 8000円であった。
このレンズの性能からすれば、1万円台後半でも正しい相場
であるように思える。そう考えると、RTSプラナー50/1.4は
(2万円台以上と)コスパが悪いレンズである。
CONTAXのブランド力で、中古相場が不自然な高値で推移
しているのであれば、高値をつける中古市場が問題なのか?
あるいは高くても欲しがるユーザー側に問題があるのか?
という点が気になる。
ブランド名や他人の評価に捉われず、自身の中で評価基準を
持つ事が重要だと思う。

さて、次のシステム。
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カメラは、ピント合わせの性能や操作系に課題を持つX-E1
大口径標準や望遠レンズではピント合わせが苦しいので、
今回は広角の極みとして魚眼レンズを装着してみよう。

この魚眼レンズ、PENTAX Fish-eye Takumar 17mm/f4
というレンズであるが、この個体は本来のM42マウントではなく、
ニコン Aiマウントへの改造品だ。

元々は、1960年代後半に発売された180度対角線魚眼レンズ
であるが、Ai改造品が中古市場に良く出回っていた。
噂によると、1970年代のニコンF2用として新聞社等で報道用
に改造品が作られた模様である。 

その詳細はよくわからないが、推測では、NIKON F2の
発売時には、Aiマウントの対角線魚眼レンズが無かった事が
第一の原因ではなかろうか?1973年頃になって対角線魚眼が
発売されるまでの間に、沢山のAi改造品が作られたのかも
しれない。

さて、魚眼レンズであるが、何度かこのシリーズ記事でも
紹介しているように、銀塩35mm判フルサイズ用の対角線魚眼は
デジタルのAPS-Cあるいはフォーサーズサイズの撮像素子では、
本来の魚眼のデフォルメ効果が得られなくなってしまう。

当初、それが気に入らなかったので、デジタル時代になって
からは銀塩用魚眼を使う頻度はかなり減ったのであるが、
最近になって「魚眼効果が少しだけ出る広角レンズ」としての
使用方法が、逆に面白いと思えるようになり、このシリーズ
記事では様々な魚眼レンズを紹介している次第である。
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このように僅かに歪む。
ただし、この歪みも、魚眼の記事でいつも書いているように
構図上、画面の中点を通る対角線上に直線を配置する事で
歪みの効果をさらに目立たなくさせる事ができる。

あるいは、構図内の歪む部分を人工物や水平線を避けて
空の雲などの不規則パターンにしてしまう事で、魚眼効果を
目立たなくさせることも可能である。

そうした「魚眼らしくない描写」を色々と試してみるのが
面白く、あえて小さい撮像素子のミラーレス機で、魚眼を
使っている訳だ。
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このレンズであるが、最短撮影距離は20cmだ。
できれば、もう少しだけ寄れたら楽しいのであるが、さすがに
古い時代のレンズなのでしかたがない。

というか、1960年代前半の魚眼レンズは、そのほとんどが
ピント合わせの為のヘリコイド機能を持たないパンフォーカス
タイプのものであった。下手をすればヘリコイド無しどころか、
レンズ後玉が大きく飛び出していて、ミラーアップしないと
一眼レフに装着できないという魚眼レンズも多かった模様だ。
(これでは露出を合わせることも難しいし、大変だ・・)

そうした中で、このFish-eye Takumar 17mm/f4は、恐らく、
ピント合わせを可能とした最初の魚眼レンズであった模様だ。

そう考えると、2つ上の写真のように近接撮影で背景ボケを
狙った魚眼撮影などは、それ以前の魚眼では不可能な撮影技法
であっただろうから、このレンズの登場の衝撃は想像できる。

発売時の価格もさほど高くなかった模様だし、まあ、そういう
性能面からも、ニコン用改造品が多数作られたのであろう。

また、以前のシリーズ第8回記事で紹介したTAMRON 17/3.5
と同様に、レンズ内にフィルターを内蔵しているという珍しい
仕様である。
c0032138_20495390.jpg

内蔵フィルターは、L39UV,Y48,O56の3種だ、L39は普通の
紫外線カットだが、後ろの2つは、モノクロフィルム用の
コントラスト強調用の、黄色、橙色フィルターである。

デジタルにおいては、特にこのミラーレス機 X-E1においては
モノクロモードの一部で、黄色や赤のフィルターを装着した
状態をシミュレートできる仕様だ。この機能が無い機種でも、
コントラストのパラメーターを上げたり、PC上でレタッチ
する事で、アナログ(物理)フィルターを用いたのと似た
ような絵作りに仕上げる事も容易だ。

なので、デジタルは基本的に、こうしたモノクロ用フィルターは
不要なのだが、TAMRON 17/3.5の記事では、あえてカラー
撮影で黄色フィルターを使ってみたりした事もある。
だけど今回はこの内蔵フィルターは使わず、普通に撮影して
みることにしよう。
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近接魚眼撮影は面白い。歪み効果もよくわからなくなるような
被写体であれば、より楽しいのだが、このレンズはボケ質の
破綻も起こりやすい様子であり、絞り値、撮影距離、背景の
絵柄などを選ぶ必要があるだろう。

このレンズの購入価格は、1990年代に3万円であった。
レアもの、ということで若干相場が高かったように思う。
現在もレアである事はかわりなく、Ai改造品ではなく
純正のM42マウントのものも、中古市場での玉数は少ない。
もしあれば時価となり、プレミアム価格になっているケースも
あると思うが、レンズの性能からの価値を言えば、2万円程度
までが妥当な相場であると思われる。
(例えば、シリーズ第6回記事の、ウクライナ製 ZENITAR
16mm/f2.8魚眼が、新品価格で2万円ほどであった)

また、魚眼レンズは特殊な撮影用途のものであるし、撮影技法
も極めて難しいので、現代のデジタル時代における必要性は
あまり無いかも知れない、センサーサイズの小さいデジタル機
では魚眼効果も大きくないので、さらに必要性は減るであろう。

魚眼風の写りを得たい場合は、広角で撮ってPC上で加工すれば
基本的にはそれでも足りる。ただまあ、その方法では、現地で
被写体を前にしながら、あれやこれや考えながら試して撮って
楽しむという事はできなくなるし、撮った後で魚眼風にしたい、
という発想力を引き出すことも極めて難しいと思うので、
現物の魚眼レンズを持つことも、まあ面白いのではあるが・・

さらに別な言い方をすれば、魚眼レンズは、構図、アングル
そのあたりが極めてシビアなレンズなので、魚眼レンズを
使って「特訓」をすれば構図感覚が非常に高くなるかも知れない
と最近は思っている、なにせ、ちょっとでもカメラを曲げて
しまったり、ラフな構図で構えると、すぐに、グワーっと魚眼
の歪みが出るのだ。それを「予想ができない」という理由で
楽しめるのはビギナーの話であり、ベテランクラスであれば、
魚眼の歪みを上手くコントロールする事が面白いと思えるように
なれば良いのではなかろうかと思う。

さて、次のシステム
c0032138_20545614.jpg

カメラは前述のX-E1以上に、ピント合わせが苦手なK-01だ。

カメラの基本要素の1つであるフォーカシング機能に弱点を
持つというと、かなり致命的な問題であるように思えるが、
まあ、それでも私はこのカメラの超個性的なデザインや
優秀なエフェクト機能などが気に入っていて、なんとか、その
ピントの弱点を緩和するためのレンズとの組み合わせを色々と
試しているところである。

レンズは、PENTAX SMCタクマー 28mm/f3.5だ。

1970年代のM42マウントレンズであり、SMCとはスーパー
マルチ・コーテッド(多層コーティング)という意味だ。

K-01と28mmMF広角単焦点との組み合わせは、すでに
シリーズ第13回記事で、ARGUS CINTAR 28/2.8を試していて、
「28mmMFはK-01では厳しい」という結論になったと思うが、
ちょっと今回は視点を変えての実験だ。

このレンズは、銀塩MF時代の代表的な広角レンズである。
PENTAX M42マウントのSP/ESシリーズのヒットとともに
非常に多くの本レンズが販売されていて、現在でも中古
市場での玉数は豊富である。

で、1970年代当時のこのレンズの撮影技法は、基本的には
パンフォーカスであったと思う。
c0032138_20561244.jpg

このレンズがパンフォーカス撮影に適している理由は3つ
考えられる、まずは、絞り込んだときの描写力が高いこと。

そして、それを前提に、このレンズは絞りf8のところと
撮影距離3mのところの指標が赤色で表示されている、
その赤色マークをあわせておけば、1.5m~無限遠までの
パンフォーカス撮影になるという意味だ。つまりそうした
撮りかたが推奨されているという庫である。

さらには3つ目は、最短撮影距離は40cmと、28mm広角と
しては不十分な性能であること、また、開放f値もf3.5と小口径
であるが故に、基本「寄ったり、ボカしたりせずに撮りなさい」
という事である。すなわち機材の欠点を嘆いてもしかたない
ので、得意な所を活かすのが本筋であるという事だ。

なので、今回は、1970年代当時のように、絞りf8での
パンフォーカス撮影を中心としてみよう、この方法であれば
K-01のピント合わせの弱点は、まったく問題にならない事になる。
c0032138_2059291.jpg

まあとは言え、全て広角パンフォーカス撮影では当然飽きが
来てしまう、ただ被写体にカメラを向けてシャッターを押す
だけであり、何もクリエィテブな要素が無い。
そこでK-01の長所の1つであるエフェクト機能を色々と使い
ながらの撮影という事になる、これでまあ若干は創造性を
楽しめる要素は出てくるし、K-01の長所を活かすことで、
短所はさらに気にならくなってくる。

SMCレンズは、多層コーティング化されたことで、色味や
解像力、対逆光性能などが、それまで時代のレンズより大幅に
向上したとの事で、1970年代当時では衝撃的であったのでは
なかろうか? これ以降、レンズ界でのコーティング技術は
大きく発展し、マルチコートも当たり前になった。

確かに良く写るレンズではあるが、まあ、逆に言えば
オールドレンズとしての面白みには欠ける。

何枚も撮っていると飽きてくるので、近接撮影はK-01のピント
問題やレンズの性能上厳しいとわかっていながらも、そうした
撮りかたもしたくなってくる。
c0032138_2101999.jpg

実際には、もう少し寄らないとボケの質はわからないのだが、
まあ、ピントの苦手なK-01にそこまで無理をさせてもしかたが
無いので、このあたりまでにしておこう。
c0032138_2111360.jpg

レンズの購入価格であるが、1990年代に12000円と、若干
高目であった。ただ、これはまだSMC-Tシリーズ全般の人気が
高かった時代の話であり、程度も若干良いものを購入している。

現代での SMC-T 28/3.5の相場は、5000円~7000円程度と、
まあ性能からしても妥当な価格に落ち着いている。

どうしても必要なレンズでは無いとは思うが、1970年代の
スタンダートとしての性能を知る、リファレンス(比較用)の
目的にはとても良いかも知れない。

つまり、他のオールド広角レンズと比較することで、使用者
自身の中で、価値観のスケール(物差し)を作るのには
役立つという事だ。

自分の中に評価基準を作ることはとても大事だ、コスパの
悪いレンズに大枚をはたいて後悔をする事などの問題も
あるのだが、そもそも、他人の評価に流されないようにする
事が、むしろ重要だ。

それはレンズの話に限らず、カメラや他の電化製品全てや、
グルメからレジャーに至るまで、どれも同じことで、基本的
には、すべて自分の判断基準で決めなさい、という事である。

ネットや雑誌などでの、他人の評価や意見に頼りすぎるから、
情報が極端に一極集中するのだと思う。そしてそれらの情報が
正しいものである保証は一切無い。
「売り込みたい事柄」を重点的に情報操作するのネット戦略の
常套手段であり基本戦略だ。ネットを使うという事は、そういう
裏が潜んでいる事を誰もが良く認識する必要があると思う。

スマホの普及で、ネットから真実の情報を引き出すスキルが
少ないユーザーが急増している事が、ここのところ良く言って
いる悪い傾向、すなわち「極端な情報一極集中化」の原因の
1つだと思っている。

あくまで自分がしたい事は自分で決める、その為に、自分の中
での様々な事柄への評価基準を持つ、という事が重要だと思う。
その結果、勿論、ハズレもあるだろうが、それは自分で決めた事
なので納得もいくであろう、そして自分の判断が正しかったら、
それはそれで気分が良いし、そういう事を繰り返し、情報収集力
や判断能力、そして価値感覚を高めていくことが本筋だと思う。

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さて、次いで今回のラストのシステム。
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カメラは、アダプター母艦のLUMIX DMC-G1
レンズは、SIGMA AF MACRO 50mm/f2.8である。

このレンズは、SIGMA のその後のEXや EX DGシリーズの
50mm/f2.8マクロ に続く系譜を持つロングセラー商品の
最初期型のレンズである。 詳しい情報はあまり無いのだが
恐らくは、この初期型は1990年くらいの発売であろう。

EF(EOS)マウントであるので、デジタルのEOSに装着して
使うのがAFや絞り制御などの性能を犠牲にせず本筋なので
あるが、この時代(1990年代)のSIGMA製AF EFマウントレンズ
は残念ながら、2000年代以降のAF・デジタルのEOSには装着
する事ができない。情報伝達に問題があるのか、エラーに
なってしまうのである。場合により、サードパーティ製の
レンズを使われるのを嫌ったCANONにより、レンズ接点による
情報伝達プロトコルが変更された可能性も否定できないが、
実際のところは良くわからない。
ともかく、使えないのは確かである。

レンズと同時代、すなわち、1990年代の銀塩AF時代初期の
EOS、たとえばEOS-1やEOS-RTに装着すれば使える事は
使えるのであるが、さすがに今更フィルムで撮る気にはならない。
(EOS-1のシャッター音は非常に格好良い音がするので、
懐かしく思い出すが、現在は防湿庫に眠ったままである・・)

というわけで、デジタル時代に入った2000年代前半より
およそ10年以上も休眠していたレンズであるが、ミラーレス
時代となって、EOS EFマウントのアダプターも発売されて
いる為、他のマイナーマウントと同様、復活となった次第だ。
c0032138_2182825.jpg

このレンズの描写力はかなり高い。銀塩AF時代「マクロが
欲しい」という友人が居た場合、その人がミノルタαユーザー
であれば、α用AF50/2.8Macroを、その他のマウントの場合は
このSIGMA MACRO AF50/2.8(初期型/EX)を、推奨していた。
すなわち、ミノルタに続くNo2の性能という認識であったのだ。

1990年代、SIGMAのマクロには、MACRO AF90/2.8という
レンズも存在したが、このレンズは、同時代のTAMRON 90マクロ
(色々バージョンがある)に比較して、明らかに見劣りする性能で
あったので、私としては珍しく友人に譲渡してしまったレンズだった。
けれども、この50Macro は90Macroとは明らかに性格が異なり、
前述のように、銀塩AF時代においてはトップクラスの描写力を持つ
標準マクロであったように思う。

余談だが、SIGMA 90Macroは、TAMRON 90Macroとの
直接対決を避けたのか、その後、EXのシリーズになって
105mmの焦点距離に変更されてしまった、
こちらのAF Macro 105/2.8は、なかなか良く写るので、
またいずれ本シリーズ記事で紹介するとしよう。
c0032138_21131210.jpg

SIGMA MACRO AF50/2.8は近年まで発売が継続されて
いたが、最近、SIGMA はレンズラインナップの大きな見直しを
図り、同時に、このレンズは「ARTライン」のラインナップから
外れて生産中止となってしまったのは惜しい所である。 

思うに、近年はTAMRON 90Macroも銀塩時代ほどの人気は
無い模様であるし、標準~中望遠マクロに対するニーズが
減っているのかも知れない、そうだとしても、その理由は
不明である、Macroは必携レンズだと思うのであるが、
何故だろうか・・? 

また余談だが、SIGMA のミラーレス機用レンズ、DNシリーズ
には、現状 19mm,30mm,60mmが存在しているが、前2つは、
SIGMAの高級コンパクトDP1,DP2シリーズの搭載レンズと
ほぼ同じスペックのレンズの単体発売である。

そして、最後の60mmが出る前、同DP3シリーズのレンズが
50mmのハーフマクロ(最短22cm)であったので、そのまま
50mmマクロとしてDNシリーズで発売される事を、かなり期待して
いたのだが、いざ発売されると、なぜか60mmのノーマルなレンズ
(最短50cm)であったので、当初、少しがっかりした。

ただまあ、この A60/2.8DNは、購入してみたら、極めて良く
写る、とてつもなくコスパが高いレンズであったので、使った
後では「マクロでなくちゃ」と欲張りは言わなくなっている。
c0032138_21141482.jpg

SIGMA MACRO AF50/2.8の最短撮影距離は、19cmと
なっているが、表示目盛りを超えてさらに少し廻る。

いわゆる等倍マクロというスペックであるが、DMC-G1などの
マイクロフォーサーズ機に装着すると、画角換算100mm、
換算倍率2倍相当のマクロレンズとなり、中望遠マクロレンズ
としての使い勝手は悪くない。

このSIGMA MACRO AF50/2.8であるが、初期型から
後期型を通じて「知られざる名レンズ」ではなかろうか?と思う。
地味なスペックだし、価格もさほど高くないので、あまり
注目される事はなかったのかも知れないが、この描写力は
あなどりがたい。
現代においては、中古市場では、さほど玉数は多くは無いが、
あれば1万円台で購入可能である、性能からすればコスパは
非常に高いレンズと言えるであろう。

私の場合、初期型ではあるが、1990年代に14000円ほどで
購入している。

もし、中古で初期型を購入するのであれば、EFマウントは
デジタルのEOSに装着できないし、絞り環も無いので、
アダプターで使う場合でも色々制約がある(私の場合は、
機械的絞り内蔵型アダプターを使っている)
なので初期型(あるいは続くEX型でも)を購入するならば
ニコンAiAFマウント型が良いであろう、そちらであれば、
ニコンのデジタル一眼でも普通に使用できるし、おまけに
絞り環も存在するので、他のミラーレス機などでアダプター
で使用する際にも何ら問題は無い。

さて、今回はこのあたりまでで、次回シリーズ記事に続く。

ミラーレス・マニアックス(26)

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安価な中古ミラーレス機とマニアックなレンズでコスパの
良いアダプター遊びを楽しむシリーズ記事、第26回目。

まず、このシステムから。

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カメラは SONY NEX-3、NEXシリーズの初号機であり、
現在では1万円以下で中古が入手できる。
アダプター使用時のMF操作系等に多少の課題を持つ為、
MFレンズ使用時は、Eマウントのトイレンズ母艦として
用いる事が多い。

レンズは、SIGMA SUPER WIDE Ⅱ AF24mm/f2.8 である。
出自の詳細は不明であるが、銀塩AF時代の初期のものだ、
恐らくは、前記事第25回で紹介したSIGMA Macro 50/2.8
と同時代の1990年頃の製品であろう。
ⅡがあるならⅠもあるのか?と言うと、どうも見た事が無い、
推測だが、Ⅰ型は、MF時代の同スペックのレンズを指すの
ではなかろうか?

なお、MF時代のSIGMAは、TAMRONのアダプトールとは
異なり、マウントは固定式だ(当時は有償交換が効いた模様だ)
AF時代のものも、マウントは固定式、本レンズはNIKON F
マウント仕様となっている。
c0032138_195231.jpg

ニコンAFマウントだったら、ニコンのデジタル一眼で使えば
良いではないか?というのは、それはその通りである。
わざわざ AFが効かないミラーレス機+アダプターで使う
必然性は少ない。

ただ、このミラーレス・マニアックスのシリーズ記事の
コンセプトの1つには「コスパ」という概念があり、
安価なシステムで無いと意味が無いという事がある。
(さらに言えば、カメラの価格はレンズを大きく上回っては
ならないというルールを、このシリーズ記事では設けている)

まあ、ニコンのデジタル一眼でも、D70クラスであれば
1万円前後で中古購入できるのだが、NEX-3の方がやや
安価な相場であろう。そして、このレンズには絞り環があるので
アダプターで使用した場合でも、AFが使えない事以外には
操作性の上では何も問題が無い。

で、値段以外にも、MFシステムとしてこのレンズを使うには
理由がある。
c0032138_19525380.jpg

このレンズの最短撮影距離の短さである。
18cmという最短撮影距離は、24mmの焦点距離のレンズとしては
かなり短い方である。このレンズの後継機である、AF24mm/f1.8
も18cmであったのだが、両者の撮影倍率は何故か異なる模様だ。

なお、これより寄れる24mmとしては、第16回記事で紹介した
SIKKOR(サイコール) 24/3.5が 16cmと文字通り最高だ。
(ただ、このレンズは描写力に問題有りで、実用的では無い)

で、広角レンズで「寄れる」という事は、極めて重要な性能だ、
すなわち広角で寄って撮影することで、アングルや構図、
作画表現等の自由度が格段に高くなるからだ。

そうした使用方法の場合は、AFは実質的には使えず、MFが
殆どの撮影になる。なので、今回は、AFレンズであっても
MFで使う事を前提で、あえてアダプターで使用している。
c0032138_19535521.jpg

SIGMA AF24/2.8の描写力であるが、まあ並み、という感じで
あろうか。ボケ質はさほど悪くはなくボケ質の破綻も少ないが
逆光に弱く、すぐにフレアっぽくなる。
この点、同時代のSIGMAでは、28mm/f1.8(EX DGになる前の
型)の方が描写力に優れ、銀塩AF時代においては、F4などの
AF機には、もっぱら28mmの方を使っていた、またニコンマウント
で言えば、MFの Ai 24mm/f2がなかなか優秀だったので
このSIGMA AF24/2.8の出番はあまり無かった。

ちなみに、NIKON F4だが、MFレンズ,AFレンズの共通母艦と
して銀塩時代はかなり重宝したカメラであった。
大きく重く、しかも高価であったが、値段だけ見れば、デジタル
時代の今は、中古がとてつもなく安価になっている、
まあ、今更フィルムで撮る事はまず無いと思うが、もし銀塩機を使って
みようとしたらF4や、PENTAX LX,CANON New F-1あたりの各社
フラッグシップを狙うべきであろう、これらは、ノスタルジーのみならず、
基本性能や感触性能の高さが非常に魅力的だからだ。

で、SIGAM AF24/2.8の逆光問題だが、後継機のAF24/1.8も
やはり逆光には弱い。けど、後者は、フレアよりもゴーストが
発生しやすい、そしてゴーストはまだ作画表現に使う事が出来る
ので、フレアが出るよりましだと思う。
まあでも、AF24/1.8はこのレンズに比べてかなり大きくなって
しまったので、本レンズのコンパクトさは1つの長所とも言える。
(いずれAF24/1.8も本シリーズで紹介するとしよう)

本レンズの購入価格は、1990年代に12000円程であった、
これはまだ発売後間もない事もあってだったが、性能から考えると
ちょっと高すぎたと思う。まあ、価値的には6000円位が妥当な
感じであろうか?そして、現代においては、どうしても必要な
レンズと言う訳では無いであろう。これを買うのであれば、
AF24mm/f1.8が後継機のA24mm/f1.4に切り替わるために、
在庫処分状態になっているので、f1.8版を購入するのがベスト
だと思う。新型f1.4版は恐ろしく高価になっているし、f1.8版は
それなりに優秀なレンズだ。市場に無くなってから大騒ぎして、
高く買うと言った無駄な事をやらない為にも、まだ入手可能な
うちに、ちゃんとモノの価値を見極めて買うのが良いと思う。

さて、次のシステム
c0032138_19571870.jpg

カメラはお馴染み、アダプター母艦のDMC-G1である。
レンズは、オリンパス OM-SYSYTEM ZUIKO 50mm/f1.8だ。

準パンケーキ型のこの標準レンズは、OMシステムのレンズ群
の中では、最もコスパが高いレンズと言えるのではなかろうか?

このレンズは銀塩時代から使っていたのだが、f1.4とf1.2の
標準レンズを買い足した為、一度、f1.8版は友人に譲渡して
しまった、けど、どうもこちらのf1.8版の方が大口径版より
優秀なような気がして、近年、ジャンクレンズとして出て
いたものを再度購入した次第である。
c0032138_1958280.jpg

あ~、しかし問題発生。

逆光状態で、通常では考えられないほどフレアが出る。
これは、すなわちレンズにカビが発生しているのだ。

明るいところへレンズをすかして見るが、良くわからない。
なので、今度はレンズをボディにつけて、上から反射で見る
すると、ありましたね・・レンズ内部の中央部にカビが繁殖
している(汗)

まあしかたない、このレンズはジャンクレンズであり、
購入価格は、わずかに1050円であった。
最初からカビが出ていたと思う。、まあ、買う時に気が
つかない訳でもなかったが、銘レンズであるOM50/1.8が
僅か1000円+税である、どんなに程度が悪くても買うべき
である事は間違いない。

カビレンズの撮影技法での対応は、本シリーズ第15回記事
でSIGMA 14/3.5 カビレンズの撮影でも述べている。
まあ、あまり酷くない場合は、ひたすら順光あるいは陽の
当たらない所で撮るわけである、これがさらに酷くなると、
逆光は勿論、順光でも、コントラストがやや怪しくなり、
陽の当たらない場所でしか撮れない日陰者(笑)のレンズ
になってしまう。
c0032138_2001042.jpg

本レンズの場合、まだ順光はセーフな模様だ。つまりさほど
カビの程度は酷く無いという事であろう。

まあ、沢山のレンズを使用していたら、いくら保管方法に
留意していても、全てが完全に良好な状況で使えるという
訳でも無い。カビているレンズも何本かあるし、絞りが
粘っていて動かないレンズもある、あるいは中古品で
前オーナーが落としたか、ぶつけたかして、光軸が曲がって
いるのではなかろうか?と疑われるレンズも何本かある。

まあそんなものだ、レンズを1本しか持ってなければちゃんと
修理して使うのが良いだろうが、多数ともなると、いちいち
気にして全部修理していたらキリが無い、故障レンズは、
それはそれで、使い道を考えて使えば良い訳だ。 

そしてそもそも、このシリーズ記事のコンセプトは、最高の
システムを求めるものではなく、レンズやカメラの欠点を
良く理解し、それを回避して使る事に面白さを感じ、また、
レンズとカメラの適正な組み合わせにより両者の欠点を相殺
して使うという考えもある。

お金にモノを言わせて、より良いシステムを求め続けるのは
不毛な努力だ、努力と言うよりは、浪費と言っても良いと思う。
いかに、安価でコストパフォーマンスの良いシステムを探す方
がずっと面白いのではなかろうか?
c0032138_2015790.jpg

しかし、ちょっとハイライト(光が当たっている部分)での
滲み(ハロ)が多い模様だ、これもカビが原因かも知れない。

本レンズの描写力については、このカビ状態なので、なんとも
言えない状況。まあ、本来であれば、とても良く写るレンズで
ある事は間違いない。
中古の玉数は比較的多く、相場は8000円程度だろうか。
性能からの価値的には、そのあたりの金額が妥当と思われる。

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さて、次のシステム。
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カメラは LUMIX DMC-GF1 上のGiと同時期のカメラで、
EVFが無いバージョンだが、EVFが無いという事だけで、
アダプター母艦としての役割を与えることは、ほぼ不可能だ。
すなわちMFによるピント合わせに弱点を持つカメラという事だ。

しかし、現在の中古相場は恐ろしく安価で、6000円位から
入手できる。また、名レンズ G20/1.7とセットのGF1Cの
場合は、ほぼレンズの価格で購入する事ができ、つまり、
カメラの値段はゼロに近い、という状況だ。

仮にもミラーレス機が、数千円で買えるというのは、
ある意味驚きだ、銀塩時代の一眼レフはどんなに安価な
中古カメラであっても、2~3万円はしていたのを考えると、
何故こんなに安いの?と思ってしまうし、中古販売店も
(相場が極端に下落する為)在庫を持つのも大変であろう・・

で、使えないカメラだから安い、というのもあまりに単純
すぎる結論であろう。欠点があるのであれば、それを欠点と
しない使い方をすれば良い。
最も簡単な解決方法は、AFの小型レンズをつけることだ、
だが、それだと当たり前なのであまり面白くない、そこで、
このGF1は、マイクロフォーサーズマウントのトイレンズ母艦
としている次第だ。

という事で、レンズは、LOMO 24mm/f8 である。
トイレンズ3本セットの1本であり、他のレンズ、すなわち
魚眼と12mmは、各々第15回、第7回記事で紹介している。
詳細は重複するので割愛するが、3本で新品定価9000円
程度と、安価なトイレンズセットとなっている。

写りだが、そもそもトイレンズであるから、描写力は期待
できない、というか、トイレンズは「酷い写り」を目的として
使うものであるから、あまりちゃんと写ってもらっても
困るわけである(笑)

そして、トイレンズは,、通常は、ちょっと広角気味の方が
楽しい、何故ならば、周辺光量落ち(ヴィネッティング)の
効果が良く出るからだ。

しかし、本レンズは、24mmであり、マイクロフォーサーズ機に
装着すると、48mm相当と標準画角である。こうなると画角的に
あるいはトイレンズ的効果の少なさなど、一般的な撮影スタイル
に近くなってくるので、トイレンズ的な用途と一般レンズの
中間くらいで考えておけば良いかもしれない。
c0032138_2054491.jpg

わずかに周辺光量落ちがあるが、あまり目立たない。
そして、写りもトイレンズっぽくなく、なんとなくフツーに
写ってしまう。
やはりトイレンズもどきという感じか、これは困ったものだ、
もっと酷い写りを期待しているのに、普通に写るとは・・(笑)
c0032138_206371.jpg

周辺光量落ちの他、トイレンズの要素(特色)としては、
ピント(解像力)の甘さ、色味の不自然さ(トーンブレイク)
シェーディング(明るさの変化)、収差(画像の歪み等)が
あるのだが、いずれもこのレンズに関しては控えめである。

まあ、この日は曇りで、したがって、あまり極端な逆光条件では
使っていないので、フレアやゴーストに関してはあまり出てない。
逆光で使えば、もっと酷い写りになっただろうから、ちょっと
残念である(笑)

こういうレンズが一番困ると言えば困る、とても良く写ったり
とても酷く写るのであれば、まあ、それなりに考えて使いようが
あるのだが、この状況だと、極めて中途半端だ。
c0032138_206369.jpg

そして、本レンズの最短撮影距離は60cm、これは24mmレンズ
としては酷い性能である。本記事冒頭の SIGMA AF24/2.8が
18cmの最短撮影距離。と言っているのと比較して貰えれば
この酷さがわかると思う。 
あまりにも低い性能だからか、本レンズの製品紹介のHPにも
本レンズの最短撮影距離については、どこにも書かれていない、
セットになっている他のレンズについては書かれているのにも
かかわらず・・である。

しががって、近接撮影はまったく出来ないし、開放f値の暗さ
ともからんで、マクロ的、あるいは背景ボカし的な撮影は
一切する事ができないので、中遠距離でパチリとやるだけで
しかもトイレンズっぽく無い写りなので、すぐ飽きが来そうだ。

なお、バルブ撮影による多重露光、固定速度シャッター、
交換式カラーフィルターなど、いくつかの面白そうな機能は
あるのだが、いずれも使い勝手が面倒なので、今回は試して
いない。(というか、あまりそれらに興味を持てない・・)

そして、開放f8はさすがに暗い(ちなみに、本レンズは
絞り値を変えることはできない)
f8という数値であるが、たとえば一般的な大口径レンズで
ある開放f1.4級レンズと比較してみよう。

ある明るさの被写体を、同じISO感度で撮ったとする、
その時にf1.4レンズでのシャッター速度が1/125秒だったと
すると、f8レンズでは、1/4秒となってしまい、手ブレまたは
被写体ブレ必至だ。

ちなみに、こういう計算はどうやってやるかといえば、
「段数」で考えるのが簡便だ。

まず絞りの段数の差を考える、f8,f5.6,f4,f2.8,f2,f1.4
という数列だから、f8に対しf1.4は、5段明るい。

次はシャッター速度だ、同じく5段シフトすると、125,60,
30,15,8,4 となって、1/4秒である事がわかる。

これらの数値は、銀塩時代であれば、レンズに絞り値が書いて
あるし、カメラ本体にもシャッター速度のダイヤルが書いて
あったので、いつもそれを見ていれば、誰でも嫌がおうでも
覚えてしまったものだ。 

だが、現代のレンズに絞り値は書いていない(絞り環が無い)
そしてカメラ本体も、ごく一部の機種にしかシャッター速度
変更用ダイヤルはついていない。
カメラ内のファインダーやEVF,背面モニターなどでは
絞りやシャッター速度が表示され、勿論それを変更できるが、
ほとんどの初級カメラユーザーは、P(プログラム)オート露出
でしか撮影しないし、仮にそれを絞り優先などで調整する事が
出来るユーザーであっても、現代のカメラでは絞りの値は、
1段づつではなく、1/2段や1/3段刻みと細かいし、絞りに追従
して変化するシャッター速度も、1/2段や1/3段刻み、あるいは、
段数が定められていないで細かく設定されるカメラも多い。

そうなれば、こうした、カメラのごくごく基本である、絞りや
シャッター速度の数列を自然に覚えたり、露出の仕組みを
自然に理解したりする事は、現代のビギナーユーザーでは、
ほぼ絶望的ではなかろうか? 

これは、ちょっと、いや、「大問題」かも知れない。
「そんな事知らないでも写真は撮れる」と言う人も居るかと
思うが、それは大きな間違いだ、基本中の基本をわからずして
どんな良い写真が撮れたとしても意味が無い、これは写真に
限らず、スポーツでも料理でも楽器でも何でも、あらゆる分野
においも、基本をおろそかにする事は、絶対にご法度だ。

だいたい、露出、すなわち、絞りとシャッター速度とISO感度
の関係なんて、さほど難しい概念ではない、理科系の人ならば
ほんの数分、非理科系でも30分もあれば理解できる事であろう。
それを、なんやかんやと理由をつけて、理解しようとしない
(学ぶのを拒否する)事は、かなり困った状態ではある。

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さて本レンズLOMO 24/8 についても、色々文句を書いているが、
まあ、3本セットでの販売なので、このレンズが気に入らない
からと言って、他のレンズだけを単品で買う訳にも行かなかった
訳だ。
まあ、この「使えない」レンズを、なんとか、使う目的(用途)
を見つけていくのも、また楽しいと思うので、いずれ何か思い
ついたら試してみるとするか・・

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次は本記事ラストのシステム。
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カメラは、Eマウント最強の高度な操作系を誇る SONY NEX-7
レンズは、ロシアン・レンズの代名詞、Jupiter 9 である。

おまけにM42ヘリコイドアダプターを用いているので、
近接撮影、つまり「マクロジュピター」として利用できる。

写真はヘリコイドを伸ばした状態で、全体は200~300mm級の
MF単焦点望遠レンズ並みの長さとなるが、まあ、重量はさほど
でも無いので、持ち運びに苦労する事は無い。
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Jupiter 9とは、第二次大戦後、旧東独ツアイスの技術を
ベースに、ロシアにて改良(コピー?)されて開発された
レンズである。ベースとなったレンズは、カール・ツァイス
ゾナー85mm/f2であり、Jupiter 9も同様に85mm/f2の
スペックとなっている。

最初の製品の発売が恐らく1950年代、そこから様々なマウント
のバージョンが発売され、1970年代には、M42マウント化され
その後、長期にわたって販売されていた模様だ。

ちなみに、ジュピターというのは英語読みで、
ロシア語読みだと「ユピテル9」となる模様だ。

まあ歴史とか出自はどうでも良く、問題はその写りだ。
1990年代の銀塩時代、このレンズは、東京のロシアレンズ
専門店が輸入販売を行っていて、その定価は僅かに5000円
という破格値で新品販売されていた、当時は第一次中古カメラ
ブームであったので、多くのマニアがこの安価なレンズに
飛びついた。

そして、マニアの間では、様々な都市伝説のような、
奇妙な評価が、まことしやかに飛び交ったのであった。
A「もの凄く良く写る! ロシアレンズ、ハラショー(万歳)」
B「あたりハズレが酷い、ボクのレンズはダメだったよ」
C「逆光でゴーストが壮大に出る、舞台の照明でも出たよ・汗」
D「ゾナーと同じ写りだよ、これは凄い!」

まあ賛否両論あったが、共通しているのは「条件がハマると
凄い写りをする、しかもとても安い」という意見であった。

あまりに評価が高かったからか、このレンズの新品価格は
数年して、いっきに15000円まで値上げしてしまった。
中古相場も不規則に変動し、5~6000円の時もあれば、
12000円になった時もあり、場合により15000円を軽く
超えていた時すらあった(新品より高いではないか・怒!)

けど、今にして思う、本当にこのレンズは良く写るのだろうか?
様々な都市伝説が、このレンズを神格化してしまったのでは
なかろうか?と・・
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僅かに逆光気味になっただけで、フレアが発生しコントラストが
極端に低下する、まあ「逆光に弱い」というのは、このレンズの
正しい評価であろう。

ただ、ロシアンレンズの場合、全ての個体で同じ性能は保証
されない、工作精度がそこまで出ていないのだ。1本1本写りが
違うと言っても過言では無いし、もっと酷いことに、レンズと
カメラボディとの相性で、装着可であったり不可であったりする
場合すらあるのだ(汗)

前述の東京の専門店には数回行った事があったのだが、
その時、その店では、「手持ちのカメラボディを持ち込んで、
レンズを装着して、ちゃんと付くのを確認して購入する」
というルールがあったくらいである。

で、写りであるが、逆光のフレアよりも深刻な問題点がある。
それは背景ボケ質の破綻である。

上の写真を撮影する際、NEX-7の、EVFにしてはボケ質が
見分けやすい236万ドットファインダーで見ていて気になった
ので、絞りを何段階か変えて撮っている。

そして、Jupiter 9 の絞りは「プリセット方式」である、
もっとも、ミラーレス機で使う場合には、プリセット絞りは
銀塩時代での使い方はしない。
プリセット絞りは、本来は、絞り環を必要な絞り値まで絞り、
もう1つのリングで絞りを開放にし、そこでピント合わせをし、
その後、そのリングを絞り環でプリセットした絞り値まで
廻して測光(露出を合わせ)撮影するのだ。

これは、銀塩一眼(デジタル一眼でも)の光学ファインダーは、
絞り込むと、暗くなってピント合わせが困難になるからだ。

でも、ミラーレス機では、絞りを絞ってもEVFやモニターの
画像は暗くならない、これは撮像素子や画像処理エンジンが、
いつでも適正な露出値になるように、すなわち、映像を一定の
明るさになるように調整しているからだ。

ミラーレスでの適正なプリセット絞りレンズの操作は、絞り環を
最大絞り値まであらかじめ絞り込んでおき、もう1つのリングを
微調整して絞りの替わりにするのだ。この方法により、あたかも
そのリングが絞り環と同じ感覚で操作する事ができる。
ただし、そのリング(OPEN/CLOSEリング)は、クリックストップ
が無いため、連続的に絞り血は変化する、そして、その時の
絞り値の具体的数値は知るよしが無い。

この機構の為、一般にプリセット絞り型のレンズの絞り羽根の
枚数は非常に多く、数え切れない程である。
このJupiter 9も例外ではなく、沢山の絞り羽根がほぼ円形に
絞り込まれていく様子は見ていて綺麗でもある。

だが、絞り羽根が多いという事と、ボケ質が良好であると
言うことはイコールでは無い。
Jupiter 9で特に気になるのは、木漏れ日などを背景にした
際に、ボケ質破綻が目立つことだ、絞り羽根が多いので、
ボケの円形形状は確保されるのだが、そもそもボケの線が汚い。

で、もう1つ問題が出た、それはレンズ自身の問題ではないが、
ヘリコイドアダプターの精度か?、Jupiter 9との相性か?で、
無限遠が完全に出ていない気がする。

NEX-7のピーキング機能はそこまで厳密な精度は無い、
ただ、感覚的には、20mくらいのところで遠景ピントが頭打ちだ、
恐らくヘリコイドがほんのコンマ何mmか長い(繰り出している)
のであろう。まあいい、無限遠撮影はあまり無いし、その時は、
わずかに絞りを絞れば被写界深度が深くなり大丈夫そうだ。
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ボケ質の破綻と逆光の問題、私は、このレンズは1990年代に、
それこそ新品5000円の時代に購入し、もう20年以上も使って
いるレンズなので、弱点も良くわかっている、まあ、欠点が
出てヤバそうな被写体は撮らない事がベストの対応だ。

つまり、レンズのコスパは極めて良いが、巷で言われている
ほど神格化されるようなスーパーレンズではなく、使い方を
かなり限定するレンズであるという事だ、その結果、撮れる
被写体条件にも制限が出て、やもするとストレスとなる。

なのでまあ、こういった場合は、複数の異なるカメラシステム
を持ち出しているので、被写体の条件にあった方のシステムを
使うという事になる、このため、2台ないし3台のシステムは
各々のカメラ・レンズの性能や特徴を熟知して使うことになり、
レンズの焦点距離など結局どうでも良く、たとえば全て同じ
焦点距離(画角)のレンズをつけていても良いくらいなのだ、
カメラやレンズの性格(特徴・性能)により、同じ焦点距離
のレンズでも、どちらを被写体に向けるかが決まるという事だ。
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さて、もう少しJupiter 9については言いたい事があるが、
もう記事文字数が限界だ、いずれまた本レンズを持ち出して
続編を書いてみるとしようか・・

「天上の虹」を巡る(後編)

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女流漫画家「里中満智子」が32年!という長い歳月をかけて
完結したライフワーク作品「天上の虹」は「持統天皇物語」
として、7世紀の激動と混迷の時代を描いている。

前編では、この時代の「蘇我氏」「皇極(斉明)天皇」、
「中大兄皇子(天智天皇)」のゆかりの土地を巡って紹介を
してきたが、引き続き後編でも、「天上の虹」の登場人物の
ゆかりの土地を巡ってみよう。

冒頭の写真は、持統天皇が開いた「藤原京(跡)」であるが、
こちらについては詳細は後述しよう。
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まず、「天上の虹」であるが前述の通り32年という年月を
かけて完成した長編漫画である、漫画文庫で全11巻、
最終巻は昨年2015年冬に発売されている。

「持統天皇物語」と副題があるが、私が思うに、この漫画は、
持統天皇が主人公と言うよりは、「歴史そのもの」が主人公
であるように思えてならない、ともかく、この時代は、日本史上
でも他に類を見ない激動の時代なのだ。

しかし、漫画として読んでいても、日本史上起こった事実を
捻じ曲げることはできない。例えば672年に天智天皇が崩御する
事実は変えられないので、漫画の中でもその年に必ず死んでしまう。
(昔の漫画やドラマでは、死んだはずの登場人物が、生きていた、
という設定も良くあったが・・)

歴史を知っていると、ちょっとそのあたり「ああ、この人はもうすぐ
亡くなってしまうな。もうすぐ○○の事件が起こるな・・」
といった事が事前にわかってしまうので、場合により興味をそいで
しまうかもしれない。そういう点では、歴史を全く知らない状態で
読んでいる方が、想像を絶する驚きの展開が、いくつもあって、
はるかに面白いと感じる事ができる漫画かも知れない。
(まあ、それほど、もの凄い波乱万丈の時代であった訳だ)

---
で、この記事では、この漫画の舞台に沿って、私も様々な関西の
土地を巡って写真で紹介している訳だ。(まあ、その舞台の中には
簡単には行けない土地もあるが・・)

前編では、西暦667年に、天智天皇が即位し、飛鳥から近江宮
(大津京)に遷都したところまで紹介した。

天智天皇即位後、本来は弟の大海人皇子が次期天皇(皇太子)と
なる予定であったのが、複雑な政治事情や人間関係がそこにある。

天智天皇は、だんだん弟の大海人皇子よりも、息子の大友皇子に
天皇の位を譲りたいと思うようになってきた。
これは、この時期、天智天皇は病の床にあり、余命の短さを
感じていた要因も強かったかも知れない。

大海人皇子は、野望をあまりむき出しにすると自らの命も
危ない」と思ったのか、天智天皇の前で皇太子をきっぱりと辞退。
そして、讚良(ささら/さらら;天智の娘;後の持統天皇)や
息子の草壁皇子とともに奈良県の吉野に隠棲(避難)してしまう。
(一応は「出家する」という名目であった)

さあ、こちらも吉野に向かってみよう(ふう、忙しい・・汗)
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この場所は、大海人皇子と讚良が隠棲したとされる「宮滝遺跡」
(吉野離宮)からは直線距離で4kmほど離れた場所だ、
(宮滝遺跡は、電車ではアクセスしずらい位置にある、
私は以前行ったことがあるのだが、フィルムの時代だったので、
写真は探せていない)

そして、吉野離宮は、飛鳥宮からは、直線距離で13kmほどである、
大津京からは同73kmほど、これはちょっと微妙な距離だ、
つまり、大津京からは飛鳥であっても吉野であっても同様に遠いし、
飛鳥と吉野は、あまり変わり映えしない距離なのかも知れない。
しかし、天智天皇から見れば、旧京で、天智への反対勢力も
沢山居るだろう飛鳥を、(最も危険な)大海人皇子が離れて
くれているのは、多少なりとも気休めにはなったかも知れない。

だが、人々はこれを「虎に翼をつけて野に放した」と称した
とされる、大海人皇子がこのままでは終わらない事は、朝廷や
民衆の誰しもがわかっていたのであろう・・

さて、吉野宮へは、今回は行くのは諦め、観光地である吉野山の
方に向かってみる事にしよう。
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吉野の冬は寒い、訪れた日も雪が積もっていた。

近年は暖冬傾向であり、大阪、京都、神戸などの都市部では
雪が積もることはかなり稀であり、1冬に1~2度あるか
どうかという感じだ。なので(寒いのだが)雪はちょっと嬉しい。

けど、私が吉野を訪れるのは、真冬とか真夏とかが殆どだ、
と言うのも、桜や紅葉の時期、特に桜の時期は、吉野は関西でも
トップクラスの桜の名所であり、極めて混雑するからだ。

この一極集中は、情報収集手段(スマホやPCなど)が増えたが
情報選択技能がそれに追いついていない、という現代の世情から
来る悪い傾向としての一極化、というよりも、昔からずっとこの
場所は混雑しているのだ(誰でも知る有名な場所だという事だ)

真冬はもとより、真夏に来ても結構大変だ、10数年前だったか
ここを訪れたとき、高地でもあるので、避暑のつもりで気軽に
来て、観光ルートを外れて、ちょっとした山道を散策していた・・、

で、水分の補給をおろそかにして、あやうく脱水症状を起こし
そうなった事がある。近年では私は、真夏はずっとドラゴンボートの
観戦撮影で長時間炎天下の屋外に居る事が多いのだが、その際
数リットルの水分を補給することで、元気良く1日動くことができる。
しかし、当時は、まだあまり真夏に長時間屋外に居る経験は多くは
なく、水分補給などの限界点を知っていなかった状態だった、
まあつまり、ナメてかかって酷い目にあったという事だ(汗)
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さて、漫画「天上の虹」では、吉野宮は山中のイメージで描かれて
いる事もあったが、実際の「宮滝遺跡」は吉野川の川沿いである。

大海人皇子は、複数いる妻のうち、讚良(持統天皇)しか
吉野宮に同行させなかった模様であり、漫画の作中では、讚良の
気持ちは、吉野に逃げてきているというよりは、むしろ、夫を独占
できるという、妻(女性)としての心理描写がうまく描かれている。

そして、吉野へ隠棲の翌年672年、病床にあった天智天皇は
崩御する。
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こちらは、京都府山科区の「天智天皇陵」だ。
最寄り駅は御陵(みささぎ)と、そのものズバリの名称。

で、通常、天皇陵と言うものは、明治時代くらいの近代になって
「ここが何々天皇陵」と便宜的に比定されたものが多く、すなわち
現在ついている(古墳の)天皇名は信憑性の低いものが多い。

そのため、近年では「○○天皇陵」という呼び方をせず、例えば
国内最大の「仁徳天皇陵」は現代では「大仙陵古墳」といった風に、
地名あるいは、固有の名称で呼ばれる事が通例となっている。

しかし、この「天智天皇陵」については、被葬者が天智天皇で
ある事が、ほぼ間違いないという事がわかっている。
こうした「確実な天皇陵」は極めて少なく、他には、それこそ、
この記事での主人公である、「天武・持統合葬陵」くらいしか
無い模様である。しかし、何故これらの天皇陵のみが被葬者と
の関係が確実か、というのが少々不思議だ。もしかすると、やはり、
この激動の時代であるから、人々に与えるインパクトは大きく、
日本書紀はもとより、数多くの記録が残されていたり、後世にも
ずっと語り継がれてきたから、という理由かも知れない。

---
さあ、キーマンの天智天皇が亡くなってしまった、しかし、
不幸中の幸いで、病死である、もし、ここも暗殺とか戦死とか
であったりすれば、それこそ血で血を洗う、悲惨すぎる歴史に
なってしまっていた事であろう・・

天智天皇の後継者は、息子の「大友皇子」である、
この時(672年)、まだ24歳であった。

しかし、天智天皇の死後半年、672年7月、
ついに「野に放たれた虎」すなわち大海人皇子が、大友皇子を
倒すために決起する。

古代史最大の事件と言われる「壬申の乱」がついに始まった。

大海人皇子は、まず一旦伊勢に向かい、さらに北へ向かって、
伊勢、美濃や伊賀の豪族を従えて近江宮(大津京)に翻す。
まあ、恐らくは、吉野に隠棲した時点で、各地の豪族と連絡をとり、
こうしたクーデターの準備を着々と進めていたのであろう。

大海人皇子の長男の高市皇子(漫画では実力者として描かれる)
の軍とも合流し、万全の体制となった。

そのころ、近江朝廷の大友皇子は、東国および西国の吉備などに
連絡し兵力を整えようとするが、東国への使者は大海人皇子に
阻まれ、西国の豪族の協力は、得ることができなかった。

この点においては、若い大友皇子ゆえの問題であったのか、
あるいは、大海人皇子の人望が勝っていたのか、はたまた
何らかの策略か、真実の所は不明であるが、まあともかく、
反乱軍が有利な状況となった。

大友の軍は、大津から押し出して美濃方面にも向かったが
大海人の軍に連敗し、押し戻されて、結局最後の大きな戦場と
なったのが、大津京にほど近い「瀬田橋」の戦いである。
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こちらが、瀬田の唐橋、琵琶湖の南端、瀬田川にかかる
橋であり、地図を見たらわかると思うが、交通の要所である。

この672年の「壬申の乱」が、文献上での最初の登場で
あるらしいが、後年も歴史上に何度となく出てくる有名な橋だ。

その中でも特に有名なのは、戦国武将、武田信玄の遺言があり、
「瀬田の唐橋に風林火山の旗を立てよ」というものである。

現代においては、「日本の名橋100選」「日本三古橋」と
しての観光名所である他、「塗り替えのたびに住民投票をする」
というニュースも世間を賑わせ、さらには、ボート競技のメッカ
でもあり、毎年11月には、ここで多種多様のボートが行きかう
レース「Head of the SETA」が行われている(その模様は、
何度か本ブログの記事で紹介している)

672年8月20日の「瀬田橋の戦い」に敗れた大友皇子は、
その翌日に自決、ここに「壬申の乱」は反乱側である大海人皇子
の勝利、という歴史上でも珍しい結果となって収束した。

大友皇子は、天智天皇死後のドタバタの中、正式に天皇として
即位したかどうか定かではない。どちらかと言えば、即位して
いなかった可能性の方が高かったであろう。

で、近代、明治時代となって、天皇家の系譜を整理した際、
大友皇子にも、「弘文天皇」と諡号が贈られている。

「弘文天皇陵」すなわち大友皇子の陵墓は、滋賀県大津市、
大津市役所の裏山にひっそりと存在している。
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大海人皇子は、大友皇子の死後も少しの期間美濃に留まって
戦後処理にあたったが、翌673年、再び飛鳥の地に戻り、
「飛鳥浄御原宮」を起こして、そこで即位し天武天皇となった。
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この時点で、複数居た天武天皇の妻のうち、(死別などの
理由により)最高位となったのは、後の持統天皇となる
讚良であり、讚良は、すなわち「皇后」の地位となった。

しかし、讚良は単なる「お飾り」としての皇后ではなく、
天武天皇とともに、直接政務を担当する事になる。

天武天皇は、度重なる波乱の時代であるので、もう誰も信じなく
なっていたのかも知れない、1人の大臣も置かず、信頼できる
讚良と親族のみによる「皇親政治」を行った。

漫画「天上の虹」においても、この時代の讚良は、賢く強い
女性として描かれている。

それから13年の間、天武天皇と讚良は国内の安定に努める為
律令制度を整える事に尽力する、前編で述べた海外からの
脅威の問題はまだ完全に解決していたわけでは無い、ともかく
国内を一枚岩にまとめる事が最重要課題であったのであろう。

讚良は、天武天皇の後継として「草壁皇子」を推していた
模様であるが、漫画の中で彼は、色々と問題を起こしている。
たとえば、讚良の姉の天智天皇の娘の大田皇女(I讚良と同じく
大海人皇子に嫁いでいたが、天武即位前の667年に死去)の
息子である「大津皇子」との対立関係などである。

681年には、結局、草壁皇子が立太子している。
だが、683年には大津皇子も朝廷政治に参画し、草壁皇子との
対立も深まっていく(幼年期は異母兄弟として仲がよかった)
漫画「天上の虹」では、大津は優秀であり、草壁は頼りなく
描かれている。

讚良も、一度は自分の1人息子の草壁を皇太子としたものの、
亡き姉の息子の大津を皇太子にするべきか非常に悩んでしまう。

正妃だった姉の大田皇女と讚良との関係は悪くなかった模様だが、、
姉が先に亡くなっていて、本来ならば大津が次期天皇になる筈で
あった筈が、後ろ盾を失った大津皇子は不運であったのであろう。

---
686年9月、天武天皇は崩御した。
讚良は当然深い悲しみに落ちるが、とり急ぎの政治上の問題と
しては、次期天皇を誰にするか?という件だ。

草壁皇子か、大津皇子か・・・?

天武天皇が亡くなった直後の686年10月、川島皇子が
「大津に謀反の意あり」と朝廷に密告する、川島皇子は先代の
天智天皇の第二子であり、大津皇子の親友でもある。

だが、この密告は何か不自然である、親友を密告して川島皇子に
何の得があるのだろうか?どうしても草壁皇子に次期天皇になって
もらいたい理由があるのか?もしかすると誰かの策略に乗せられた
のかも知れない、讚良が何か策略した可能性も捨てきれないが、
漫画においては、微妙な流れで、曖昧にこのあたりは書かれている。
(まあ、さすがに、主人公がそんな策略をしたと、はっきり書く訳には
いかないであろう・・)

密告されて僅か1日で、大津皇子は自害、享年24歳。
そして、妻の山辺皇女も殉死してしまった・・
このあたりも、なにか不自然であるが、それはともかく、事実だけ
見れば、大津皇子は悲運である。

漫画においても、読者の大津への同情を意識してか、
大津が、山の民「アナメ」との間に儲けた子が登場してくる。
その子は、出自を隠したまま、歴史書の編纂の事業に加わり、
後年「太 安万侶」と名乗り、「古事記の編纂者」として歴史に
名前を残す事となる。(注:それが事実かどうかは不明である)

---
ここでは、讚良の1人息子であり皇太子でもある草壁皇子が
しっかりしていて、次期天皇として即位すれば良かったのだが、
大津の死に多大なショックを受けて精神を病んでしまう。

草壁と大津は、異母兄弟であり幼年期は仲がよかった、
青年期には、恋愛において三角関係となり、それがもとで
大津との間には確執もあったのだが、それらの修復もできぬ
まま大津が謀反の疑いで自決してしまったのでは、心の優しい
(ただし頼りない)草壁がそうなってしまうのもやむを得ない。

まあ、漫画ではこういう裏の事情が描かれていたが、あくまで
それはストーリー展開上の想像の産物かも知れない。
で、結局草壁の即位は見送られ、引きこもりのまま、半ば自殺
同然で死に至る。 689年、享年27歳であった。

讚良は一連の事件にショックを受ける。
まあ、しかし、波乱万丈の生涯であり、激動の時代でもある・・
漫画の読者としても、次々と起こる様々な重大事件に、目が離せ
なくなると同時に、もう多少の事では驚かなくもなり、さらに
讚良の「強さ」にも惹かれるようになってくるのだ。

そして、ここからが主人公の女帝の強いところだ、讚良は自ら
即位する事を決意し、690年、「持統天皇」として即位する。

なお、即位するまでの期間も、実際に政治を見ていたのは讚良
であり、ここもまた前編での中大兄皇子(天智天皇)と同じく称制
である。(よって、690年は持統元年ではなく、持統4年となる)
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こちらが、持統天皇が精力的に進めた事業の1つである
「藤原京」(模型)である。

持統天皇は、即位とともに藤原京を着工、694年に遷都する
(平安京遷都の、ちょうど100年前)

藤原京は従来、後の平城京や平安京よりも小さい、こぶりな都と
解釈されていたが、近年、発掘調査により様々な遺構が広範囲
において発見され、古代史最大の都であったことがわかった。
(現代の地図と重ね合わせると、異常にまで広い事がわかる)

藤原京は日本史上初の条坊制による本格的な都でもあったので
このことからも、持統天皇の実力(そして政治への執念)も伺える。
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藤原京遷都のみならず、律令制度の推進や歴史書編纂など、
様々な事業を精力的に行った持統天皇であるが、
草壁皇子の息子、すなわち孫である珂瑠皇子の正妃の紀皇女の
不倫、心中事件(注:俗説としてそうなっているが、公式記録では
この事件は抹消されている模様だ)をきっかけに病に伏せる。
そして、同時に、珂瑠皇子への譲位を決意する。

697年、珂瑠皇子は即位し「文武天皇」となったのだが、
漫画の中では、文武天皇は天皇としての器量に欠ける人物として
描かれている、同時に若さもある、即位した時点では15歳であった。

持統天皇は、文武天皇の稚拙な発言から、天皇として適任では
無いと判断し、自らは、新たな「太上天皇」の位を設け、
そこに付くこととなった。いわゆる「上皇」としての日本最初の
ケースである(後年、この制度は色々と波紋を呼ぶが・・)

そして、持統上皇の言うがままとなっていた文武天皇は
次第に上皇と対立するようになってくる(漫画の中では、特に
遣唐使派遣や律令制度推進においては、激しく対立していた)

702年、持統上皇は、30年前の「壬申の乱」の際に天武天皇
(大海人皇子)に協力してくれた地域(中部・東海)に行幸する
事となった、夫との思い出を辿る意味もあったかも知れない。
しかし、そこで賊に襲撃され、まだまだ朝廷への反乱分子が多い
事を知りショックを受け、受けた傷も悪化した事から、急速に
体調を崩してしまう。

持統天皇は病床の中、残りの人生で何が出来るかを色々考え、
悩み、最後に「大津皇子の為に寺を建てよう」と思いつき、
寝所から立ち上がろうとして、転倒してしまい、そのまま
波乱万丈の生涯を終える、享年57歳。
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持統天皇は夫である天武天皇とともに、飛鳥の地に眠っている。

写真の「天武・持統合葬陵」は、真陵である。すなわち、
天武・持統の墓で間違い無いという意味だ。陵墓においては、
名称と被葬者が異なる場合が殆どであるというのは前述の通り
であり、ここは数少ない「被葬者が確定している」古墳である。
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こちらは、飛鳥、甘樫丘からの眺望である。

聖徳太子、推古天皇、蘇我一族、皇極・斉明天皇、乙巳の変、
板蓋宮、中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)
讚良(持統天皇)・・・ 様々な偉大な人物や、様々な大きな事件が
ここ飛鳥にあったのだが、それらを一望に見下ろせる甘樫丘に来る
たびに、なんだか悠久の歴史とか、一般に「歴史ロマン」と言われて
いる感覚とかが、少しだけ分かったような気になってくる。
私も、以前、そうした歴史上の事実を何も知らなかった時にここに
来たのでは、そういう複雑な感覚を味わうことはできなかったのだ。

持統天皇(上皇)が702年に亡くなっても、(漫画「天上の虹」が
2015年に完結しても・・)、歴史は止まる事はない。

文武天皇は、707年に若くして崩御、そして「天上の虹」の漫画の
中でも、脇役として良く登場していた阿閇皇女(天智天皇の娘、
草壁皇子の妻、文武天皇の母)が女帝として707年に即位、
「元明天皇」となる、彼女は在位中の710年(頃)に「平城京」に
遷都した事でも知られている。
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さらに時代が下ると、715年には、草壁皇子と元明天皇の娘であり
文武天皇の姉でもある「氷高皇女」が元正天皇として即位する。

彼女の逸話も「天上の虹」の中ではちょくちょく出てきており、
若き頃は恋に悩む美女として描かれ、成長するとともに恋を捨て、
独身主義のしっかり者となっていく。
(事実、結婚せずに独身のまま即位した日本初の女性天皇である)

ちなみに、日本史上、女性の天皇は8人(うち2人が重祚して
延べ10人)居るが、その半数がこの「天上の虹」の登場人物
として出てくる訳だ。この激動と混迷の時代は、やはり女性が
強かった、という事なのであろうか・・

ちなみに、第117代の後桜町天皇(在位1762年~1770年)
の後は、250年近くも、女性天皇は誕生していない・・

記事は、このあたりまでで「天上の虹」の話を終える事にしよう、
多少ネタバレの部分もあったかも知れないが、ストーリーは基本的
には、歴史的な事実であるので、ネタとは言えない事であろう。

ともかく面白い漫画である、まあ時代そのものが激動であるので、
より興味が出てくるのであろう。

大河ドラマでもやって欲しいが、まあちょっと皇室関係にも関連
するので微妙に実現しずらいかも知れない・・
是非「天上の虹」をいっき読みして、楽しんでもらいたいと思う、
久々に出てきた、文句なしに薦められる漫画である。

ミラーレス・マニアックス(27)

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さて、毎度おなじみ、安価なミラーレス中古機に様々な
マニアックなレンズを装着して楽しむというシリーズ。

今回27回目は、まずこのシステムから。

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カメラは、いつものアダプター母艦、DMC-G1
その大柄なG1が小さく見えるくらいの巨大なレンズは、
SIGMA APO Macro 180mm/f2.8である。

1990年代の銀塩AF一眼用レンズであり、これはEOS(EF)マウント
のものである。シリーズ第25回記事で説明しているが、この時代の
EFマウントのレンズは、2000年代以降のEOS(銀塩、デジタル)に
装着すると、エラーになって使用する事ができない。
それゆえに、EF→μ4/3アダプターを利用してのミラーレス時代
での復活だ。(注:機械絞り内蔵アダプターを使用)

レンズのスペックは、最短撮影距離は64cm、1/2倍マクロであるが
マイクロフォーサーズ機で使用することで、360mm相当の等倍
マクロ(相当)となる。
フィルター径は82mmΦと大きく、そのサイズのフィルターは高価で
あるため保護フィルターは使用していない。また、レンズフードも
内蔵されていないので取り扱いには注意が必要だ。おまけに、大き
すぎてショルダータイプのカメラバッグに入らない。

最大の問題は、その大きさに加え、重量である。
重量はなんと1600g近くもあり、銀塩時代の、他のあらゆる
f2.8級180mmレンズより重いことは勿論の事、たとえば近代の、
TAMRON 200-500mm超望遠ズーム(1200g台)よりも重く、
SIGMA 150-500mm超望遠ズーム(1700g台)に迫る重量と
なっている。

このため、ミラーレス機への装着は、アダプターの強度等もあり、
ほぼ限界に近い、これ以上重いレンズは、まあ使えないと思っても
良いであろう。サイズも大きく、ミラーレス機の中では大柄な
G1に装着しても、バランス的にも限界を超えているように思える。
c0032138_20192891.jpg

描写力であるが、フレアっぽくコントラストが低い。
まあ、この時代(1990年代)のSIGMA製レンズに共通の弱点では
あるのだが、カメラ側の設定などでコントラストを高めるのも対策
としては良いであろう。 

ただ、コントラストの問題を除いては、ボケ質の破綻も起こり難く、
さほど悪く無い。絞りについては、このレンズはEF(EOS)マウント
であるから、普通のアダプターではその制御が出来ず、今回使用の
機械絞り内蔵アタプターにおいては、このレンズの場合、あまり
絞り込むと、光束がケラrれ、画面周囲が暗くなってしまう。
まあしかし、微妙に絞ることで周辺減光(ヴィネッティング)の
効果を出すことも可能なので、その点については私は問題にはして
いない、むしろ問題となるのは、ボケ質の破綻が出そうな場合に
絞りを微調整する事が(ケラれの制約で)難しい事だろうか。
c0032138_20205050.jpg

フラット光の低コントラスト被写体においては、特に問題なく写る。
望遠とは言え、マクロレンズであるから、遠距離よりも近距離の
被写体でレンズ性能が出るように設計されているとも思われ、
さらには、こうしたネコのような、近寄り難い(=逃げるから)
被写体の中距離からの撮影に、こうした望遠マクロは適している。

しかし問題はやはり重量だ、ネコを発見してから”よいしょっ”
という感じで重たいレンズのついたカメラを向けないとならない、
この重さは致命的だと思われ、銀塩時代にこのレンズを、
思うように振り回せる人は殆ど居なかったのではなかろうか?
とも思ってしまう。

で、さすがにメーカー側も問題ありと思ったのか?後継機である
SIGMA 180mm/f3.5 は、口径を少し小さくし、重さを1kgを切る
までに押さえている(しかも等倍マクロとなっている)

さらに近年の最新型では、SIGMA 180mm/f2.8と再び f2.8
まで明るくなり、勿論等倍でもあり、手ブレ補正まで内蔵されて
いるのだが、再び重量も1600g台にまで重たくなってしまった。
(この初期型と同等か、少し重いくらいである)

ちなみに同社HPには、最新型のこのレンズの紹介のところで、
「等倍撮影が可能な180mmの望遠マクロレンズとしては初の
大口径F2.8を実現」と書かれている。
等倍でなければ、同社は20年以上も前に、本レンズ180mm/f2.8
(1/2倍マクロ)で実現していた訳だが、時代が異なっているのに、
重さが初期型のままというのはどうなのだろうか?この仕様で
1kgを切ってくれれば何も問題は無いのだが・・
まあ、もし今後180mm望遠マクロが必要な状況になったとすれば、
旧型のf3.5版を購入するとしようか。なにせ、本レンズの1600g
というのは、とても重く、撮っていて非常に疲れる(汗)
勿論三脚を使うというのは考慮の対象外だ、歩くネコを三脚を使って
撮れるはずが無いし、そもそも、ただでさえ重いレンズに、さらに三脚を
持って行くというのは、散歩や観光がてらでの撮影では有り得ない話だ。
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このレンズの購入価格は、1990年代に37000円と、中古としては
比較的高価であった。まあ、発売されてまだ日が浅い段階で
あったし、やむをえない。銀塩時代は、EOS-1などの大型機で
使用していたが、やはりその時も重さに辟易、その後、銀塩末期
以降のEOSでは利用できず、最後に使ったのは、2000年代前半、
最初期のEOSデジタルD30(注:30Dでは無い)であっただろうか?
1枚撮ってはエラーとなり、電源を入れなおしてまた1枚撮って
エラーとなるというのを繰り返す状態で、その後は2度と使って
いなかった(使いようがなかった)

現代においても、まったくおすすめできるレンズでは無い。
どうしても180マクロが必要であれば、前述のようにSIGMAの
後継機180/3.5でもTAMRON の180/3.5でも好きな方を買えば
良いと思う。もし間違って本レンズを買ってしまったら、きっと
利用方法に困ってしまう事であろうから・・

さて、次のシステム
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カメラは X-E1 だ、FUJIFILM最初期のミラーレス機であり
発色は良いが、ピント合わせの精度と操作系が、AF/MFいずれの
場合でもNGである。全体的な操作系にも色々と弱点を抱えており、
使い勝手が難しいカメラではあるが、相場が安価になるのを待って
せっかく買ったカメラであるから、なんとかその欠点を解消できる
レンズとの組み合わせ方や撮影技法を模索しているところだ。

レンズはNIKKOR H Auto 50mm/f2 1960年代のレンズだ。
ここで、Hとは、ヘキサ(=6)の意味であり、レンズが6枚
構成であることを示している(他に、7枚はS,8枚はO等)

この時代(1960年代~1970年代)には、他社でも、オリンパスOM
システムの、Gズイコー(Aから始まって7番目がGなので7枚構成)や、
ミノルタ ロッコールPF(P=ペンタで5群、F=6番目で6枚構成)
といった風に、レンズ構成を型番につけることが流行していた模様で
あるが、その後、10枚を超える複雑なレンズ構成のズームなどが
出てきたりしたら、もうややこしくて、この手の命名はできなくなって
しまったのか、1980年代以降はこのような分類名称を持つレンズは
出ていない。
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50年以上前の古いレンズであり、ニコンFやニコマートの時代の
ものである。そして、モノコート(単層コーティング)のレンズである。
1970年代(ニコンF2の時代)になると、ニッコールも順次
多層コーティング化され「Cタイプ」と呼ばれている。
(例えば、このレンズの後継機は、ニッコールHCとなっている)

現代の中古市場においては、モノコートのニッコールに「Cナシ」
という分類名が付けられ、「Cアリ」よりも若干安価な相場だ。

じゃあ、CアリとCナシ、つまり、マルチコートとモノコートの何が
違うか、という点については、シリーズ第23/24回記事でも述べて
いるが、すなわち、一般的に想像するほど写りに大きな差は無く、
特に、それらの原理や長所短所を良く理解して使えば、殆ど差異は
出ないと言っても良いと思う。

モノコートでもあまり心配は要らないという事は良くわかったので、
今回は、あえてカメラをモノクロモードにしたりもせず、気にしない
で、ガンガン撮っていくことにしよう。
c0032138_2028135.jpg

で、実は、ニッコールの50mm/f2 (初期のものは、5cm f2と
表記されている場合も)は、Hタイプの他、Sタイプが存在する。

Sタイプとは、前述のラテン語区分方法では、セプタ=7なので、
5群7枚を意味していると思われ、一見、4群6枚のHタイプよりも
高性能な印象があるが、実際には、そちらのSタイプの方が早く
(ニコンFと同時期の1950年代末期)に発売されていて、やや特殊な
構成だったからか?写りに関しては、その後のHタイプの方が評判が
良く、Sタイプも後期には、S名称のままで、Hタイプと同様の4群6枚
に変更されたと聞く。

この事は、銀塩時代のマニアの間においても、難しいレンズ構成
などの理屈はともかく、写りの感覚的には良く知られており
「ニッコールの50mm/f2は、Sは買うな、Hを買え!」と良く
言われていた。私も1990年代に、中古カメラ屋で店長に同じ
セリフを言われ、手にしかけていたSタイプをやめて、こちらの
Hタイプを購入した次第であった。(しかし、値段は不明である、
というのも、ニコマートに装着されている状態のものを購入した
為であり、カメラ込みで2万円強だったように記憶している)
c0032138_20285560.jpg

そして、このレンズは Ai非対応である。ニコンAiとは何か?
という話をすると少々ややこしい。簡単に言えば、Ai非対応の
ニコンレンズでは、外爪(カニ爪)により、カメラに「開放f値」
を伝えるわけだ、カメラの露出計を正しく動作させるためには
外爪をカメラに装着する結構手間な作業があったのだ。
しかし、Ai対応レンズの場合、レンズのマウント面近くに
小さい爪(Ai爪)がついていて、これでAi対応のニコンのカメラに
開放f値を簡単に正しく伝える事ができる。

最もややこしかった時代は、1970年代のニコンF2の時代だった、
最初のF2、通称アイレベルは、露出計が非搭載であったので、
Aiかどうかは関係なく(自動絞りの)ニッコールレンズを問題
なく使用できた。そして、F2フォトミックとして露出計が搭載
されると、それを動作させるには、Aiではなく外爪が必須だった。
後期のF2フォトミックAは、Ai対応であり、この段階では外爪は
関係なく、Ai爪がついている事が必須であった。

このややこしい時代においては、あるいは、ニコンF2などを後の
時代に購入したマニアにとっては、ニコンのレンズには外爪と
Ai爪の両方がついていることが理想であった。勿論純正でそうした
レンズもあったが、市場には「Ai改造」と呼ばれる改造品が多く
出回り、これはすなわちAi以前のユーザー層が、F2フォトミックA
や1980年頃のF3以降のカメラに買い換えた時、過去のレンズを
使うために、これらの改造を行ったと思われる。

で、実は、現代、ミラーレス時代において、アダプターでニコン
のMFレンズを使う際、Aiかどうか、そして外爪があるかどうかは
一切関係ない。ニコンマウントと総称する「Fマウント」であって
絞り環がついてさえいれば、どんなMFレンズでも使える訳である、
むしろ注意するのは、AF時代の新しいGタイプ、すなわち「絞り環
の無い」レンズである、これは特殊なアダプターを使わない限り、
絞り値を変えられないので困るわけだ、そしてGタイプのレンズを
特殊なアダプターで使用するくらいなら、ニコンの安いデジタル
一眼レフを買ってしまった方が簡便なようにも思う。

どんなレンズでも使えるというのは、ミラーレス+アダプター
が絞込み測光方式だからだ(一眼レフは開放測光)このために、
アダプターの場合は、ボケ量やボケ質すらも、おおよそだが
EVFで確認できる、これは一眼レフとミラーレスの最も大きな
相違点であり、ミラーレスを使う最大のメリットも、ここに
あると思っても良いであろう。

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余談が長くなったが、最後に、このレンズの価値である。
NIKKOR H Auto 50mm/f2 は昔から定評のあるレンズであり
それは銀塩時代のみならず、現代においても言える事だと思う。

ニコンの標準(50mm)レンズは昔から、残念ながら、さほど良いと
思われるレンズは多くなかったのだが(=ボケ質が固いものが多い)
本シリーズ第21回記事で紹介した、Ai50/1.8と並んで、本レンズは
まあ、比較的良い方ではなかろうか?
1つだけ弱点をあげれば、最短撮影距離が60cmと長い事であり、
通常の50mm標準レンズは45cmである事が大半なので、これは大きな
不満である、まあでも、これは古いレンズなのでしかたが無い。

中古の玉数は多く、7000円前後で購入できる。この価格であれば
コスパはかなり良いと見なせるであろう。古いレンズであるという
理由だけで安価なので、うまく使いこなせばオールドレンズの入門
用としても適している、購入の際は「Hタイプ」である事が条件で、
「Cナシ」すなわち単層コーティング型であっても、その弱点を
理解していれば特に問題は無い。

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さて、次のシステム
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カメラは、LUMIX DMC-G5である。
普段はノクトン42.5mm/f0.95という特殊なレンズの専用機と
しているカメラだが、望遠レンズでデジタルズームを使いたい場合で
かつ開放f値が2.8より暗いレンズを使う場合のアダプター母艦とする
場合もある。(開放が暗いレンズ用というのは、この機種のベース
ISO感度が160と、やや高めの為)

レンズは(京セラ)CONTAX SONNAR 85mm/f2.8である。
1980年前後の発売、いわゆるY/CまたはRTSマウントというもので、
CONTAX やヤシカの銀塩MF一眼レフに装着できるレンズだ。

しかし、このレンズは京セラ・CONTAX のレンズ群の中では、あまり
人気が無い。というのも、同じ焦点距離に、CONTAXファン誰もが
憧れる(欲しがる/買う)PLANAR 85mm/f1.4が存在するからだ。

プラナーのその影に隠れて目立たない、それどころか、CONTAX党
すら、当時このレンズの存在を知らなかったかも知れない。
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ゾナーとプラナーの違いは何であろうか?レンズ構成が違うのは
当然であるが、使い勝手に若干の差異があると私は思っている。

まず、プラナーは基本的に「絞りを開けなくてはならない」と思う、
けど、いわゆるプラナーボケが出る、つまりボケ質の破綻である。

銀塩時代は、これを回避できる術を持ち合わせている人は殆ど
いなかったのではあるまいか?しかし、ミラーレス時代、前述の
ようにボケ量とボケ質、あるいはそれと撮影条件の関係が、高精細
なEVFにより分かるようになってきた事で、この問題を回避できる
方法論が固まってきたように思われる。まあ、簡単に言えば、
「ボケ質が破綻しないように良く見て撮影条件を変えて撮りなさい」
という事である、簡単には絞り値の変更だ、あるいは撮影ポジション
やアングルを変更してボケが汚くならない角度を選ぶという事だ。

こうすることで「決まった時には最高」であるプラナーの素晴らしい
ボケ質と、たとえば人物写真であれば「まるで人物を切り抜いて
貼り付けたみたいな」被写体部分の高いシャープネスやコントラスト
を得ることができる。

そいてゾナーの場合には、少し(f4~f8)絞って、そのキリキリと
した高解像力を生かすのが良い。撮影距離も、中~遠距離が良いと
思う、人工物、すなわち建物やらを撮るには適していると思う。

まあでも、これらは銀塩時代の常識、という感じの話である。
今時、デジタル時代(ミラーレス時代)であれば、プラナーも
ゾナーもほとんど関係が無い、レンズの性能要素よりも、デジタル
化におけるカメラ側の絵作り、およびカメラ設定、さらにはPCに
おけるレタッチの方法論、などがずっと大きい要素だからだ。
c0032138_2031192.jpg

そういう意味では、ゾナー85mm/f2.8は不遇のレンズである、
同じゾナーであっても、85mm/f2であれば、銀塩MF一眼レフ
以前のレンジファインダー時代においても、各マウントで高い
評価であったし、あるいは、銀塩時代を通じて高評価を受けた
180mmの焦点距離のソナーもある。

そんな中、85/2.8や100/3.5,135/2.8のゾナーは、
他の焦点距離のゾナーに比べ、地味で非常に影が薄い。

なお、MF一眼時代のゾナーは、主に85mm以上の望遠レンズに
おけるレンズ構成を示すものであったが、レンジ機では、標準
レンズのゾナーも存在し、近年のミラーレス時代においては、
標準はおろか広角のゾナーすら存在する。それらはなんとなく
良く写りそうなイメージはあるものの、「ゾナーと言えば望遠でしょう、
そして、ボケ質よりもシャープネスを追求するもの」という銀塩時代
からの常識(固定概念)があるのと、値段が高価な事もあり、私は
未だ購入にいたっていない。おまけに、今どきのカールツァイスは
ゾナーとかプラナーといった古典的な名称以外に、デジタル一眼や
ミラーレス機用として、Otus,Milvus,Touit,Batis,Loxia 等
新しい名称の新レンズが次々と発売されているので、興味は
どうしてもそれら最新ツアイスに目が向いてしまう訳だ。

で、往年のゾナー85mm/f2.8の写りであるが、さほど悪くは無い、
ゾナーを使う場合の自分なりのセオリーに則り、絞りを開放で
使うよりも、f4~f8の範囲で、都度可変しながら使っているし、
ボケ質についても、破綻が起こり難いように意識しながら使って
いるので、なおさら良いと感じたのかも知れない。
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ただ、どうだろう・・? さしたる特徴もなく平均的に良く写る
というレンズであれば、面白味が無い事も事実である。例えば
焦点距離は僅かに違うが、近年のSIGMA A60mm/f2.8DNで
あれば、中古で1万円強というはるかに安価な価格で、このゾナーと
同等かあるいはそれ以上の描写力を持つのではあるまいか?
だとすると現代における、このレンズの存在価値はどこにあるのか?

多分、このレンズは、学校のクラスで言えば、勉強は出来るが
トップというわけでもなく、やや目立たない生徒なのであろう。
どちらかといえば、トップの優等生か、あるいは、落ちこぼれの
劣等性の方が目立つし、または、テストの成績はイマイチであっても
スポーツが出来るとか、楽器の演奏が上手いとか、皆を笑わす
人気者であるとか、そういう特別な才能があった方が(先生としては)
魅力的な生徒となるという事なのであろう。

まあ、そういう訳であり、正直、今の時代において、絶対に
必要なレンズかどうか?という点では疑問がある。
本レンズの購入価格だが、2000年代に、25000円程であった、
近年は、少しCONTAX(Y/Cマウント) レンズの相場が上がって
きている模様なので、この価格では買えないかも知れないが、
性能から厳しく評価すれば、適正な価格は、2万円までだと思う
ので、もし購入する場合は参考まで。

さて、次は今回のラストのシステム。
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カメラは、Eマウント最強の操作系を持つNEX-7だ。
レンズは、SMCペンタックス50mm/f1.2 である。

1970年代のKマウントレンズであり、SMCというのは、M42マウント
時代と同様にスーパー・マルチ・コートの略である。
PENTAXの一眼レフがKマウントに変更されたため、多くのM42レンズ
が同一のレンズ構成のままKマウントに変更された時代のものである。
ただし、この50/1.2は、それまでのタクマーには存在してない仕様で、
新規開発のものである。M42からマウント径が大きくなったので
後玉を大きく設計できるようになったのだと想像できる。

で、この時代のレンズには、それを分類する特定のレンズ群名称は
なく、K(あるいはP)シリーズと便宜上分類される場合もある。
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f1.2と大口径な上、最短撮影距離は他の標準50mmレンズと
同等の45cm、したがって、近接撮影での多大なボケ量を活かした
撮影スタイルにこそ真価を発揮するレンズであるが、しかしながら
ボケ質は最良という訳ではなく、ボケ質の破綻回避の為に、絞り値
を微妙に調整する必要もあり、f1.2の利点を活かし難いのが
ジレンマである。
c0032138_20363379.jpg

本レンズは、以後の1980年代に小型軽量化された「Mシリーズ」
のPENTAX製レンズに比較すると、かなり大きく重い。
まあ、f1.2の大口径であるので、大きく重いのはしかたが無い
のであるが、それにしてもPENTAXらしく無いレンズである。

K50mm/f1.2の性能であるが、正直どうだろうか・・? 
写りは比較的平凡であり、絞り開放近くは、甘さやボケ質破綻が
気になるケースがある。
感覚的ではあるが、これだと、前時代のM42版のSMCT55/1.8
あたりの方が良く写って使いやすく、はるかに安価でコスパが
良いようにも思えてしまう。

1970年代という時代には、各社f1.2級の大口径標準
(50mm~58mm)レンズを発売し、それまでの小口径(f1.8前後)、
大口径(f1.4)の、さらに上位のラインナップを完成させる事を
目指した時代である。

レンズの値段差も、勿論開放f値が小さくなるほど高価であり、
小口径は初心者向け、大口径はベテラン向けなどのように
ユーザー層が区分されていた。
しかし、そのマーケティング発想には、当時の技術の方が追いついて
おらず、小口径レンズの方が写りが良いという逆転現象がおきていた。

よって、当時の標準レンズでは大口径や超大口径のレンズが必ずしも
描写力の良いレンズであるとは限らない。優位点は、その開放f値が
明るい(暗い場所でも手ブレしにくい、大きなボケ量を得られる)
という点だけだったようにも思える。

では現代ではどうか?近年のデジタルカメラではISO感度が
どんどん高感度化していき、ミラーレス機では最大ISO40万、
最新の一眼レフでは、なんとISO328万(エンジニアにはお馴染みの、
32768という数字)となっている。ここまでいかずとも実用的には、
ISO12800~25600あれば十分であり、かつ、f1.2や、それ以下の
開放f値を活用するには、明るすぎて、低ISO感度または、
超高速(電子)シャッター、デジタルND等がカメラ側の機能として
必要なのであるが、それらが出来る機種はごく限られている。

なので現代では開放f値が極めて小さい事が、暗所での撮影を容易に
するいう利点にはならず、むしろ明所ではシャッター速度が足りず
あるいは、被写界深度が浅すぎる事から、MFでのピント合わせが
困難になるというデメリットの方が目立つようになってくる。

すると、やはりボケ質が優れているか否か?という点が最大注目と
なるのだが、その点ではオールド大口径レンズは、やはり不利
である事は否めない。
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このレンズは、1990年代に購入したものだ、当時の中古価格は
3万円と、やや高価であったが、各社のMF標準レンズでのf1.2版は
いずれも3万~4万円くらいが当時の相場であった。勿論買う時には、
それまで使っているf1.4よりだいぶ(倍以上)高価なレンズなので、
もっと良く写る事を期待しての購入なのだが、残念ながら、どの
メーカーのf1.2版標準を購入しても描写力については裏切られる
事が殆どであった。 
「高価なもが必ずしも良いレンズでは無い」という事を実感したの
は、その頃であったわけだ。

現在において、このレンズはレア品であり、あまり中古市場に出て
来ない。出たとしたら「時価」であろう、ジャンク品で安価な
可能性もあり、レアものとして高価かも知れない。
性能からの価値であるが、f1.4の標準レンズよりも使い難い点を
考えると、1万円台がまあ妥当な相場だと思う。

さて、もう文字数が限界なので次回記事に続く・・

ミラーレス・マニアックス(28)

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安価な中古ミラーレス機とマニアックなレンズによる
コスパの良いアダプター遊びを楽しむシリーズ第28回目。

今回は、まず、このシステムから。

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カメラは、お馴染みアダプター母艦LUMIX DMC-G1
発売から7年余を経過したマイクロフォーサーズ初号機で
あるが、後継機よりも優れている点も多々あり、未だ現役で
問題なく使用できる。

レンズはYASHICA AUTO YASHINON DS 50mm/f1.9

このレンズは、第24回記事で紹介したDSB 50/1.9の原型と
なったレンズであるが、こちらはDSBのヤシコン・マウント
とは異なり、M42マウントである。
発売は1960年代と思われる。当時のヤシカには、Jシリーズや
TLシリーズ等のM42マウントの銀塩MF一眼レフが存在した。
c0032138_20402295.jpg

モノコート(単層コーティング)のレンズであるが、まあ、
あまり極端な逆光で撮らない等注意すれば、他には特に使用上に
おいて気を使う点はなさそうだ。

ただ今回は、カメラ側G1の機能のフィルム・モードを多用している。
カラーの場合は、ダイナミックやバイブラントを基調に微調整し、
モノクロ撮影では、ダイナミックB&Wモードを微調整して使っている。

まあ、このレンズだから、という訳でも無いが、さすがに50年
程前の古いレンズであるから、若干色味やコントラストを調整
してあげるのも良いであろう。さらに言えば、レンズ本体の性能
も、そうやってカメラ等でいじくってしまえば、もうあまり
関係なくなってしまう訳だ。

そして、フィルムモードの設定に加え、露出補正、絞り設定等の
基本的な撮影要素の設定も勿論必要である。
c0032138_20405219.jpg

本レンズの後継機であるヤシカDSB50/1.9の時にも感じたが、
フラット光やコントラストの低い被写体状況で、まあいい感じの
写りになる。その反面、高コントラスト被写体では、一工夫加えて
いく必要があるという事になる。

で、上写真では、まずダイナミックB&Wモードでモノクロとし、
かつ、絞りを思い切り(f11~最大のf16まで)絞り込み、
さらに露出補正を若干マイナスにする等で、キリキリとした
感じの描写を得ることができる。
けどまあ、それは、どんな被写体でもそうすれば良いという
訳でもなく、被写体の種類によって、どんな設定をするのかを
考える必要はある。

・・というか、絞りを開けたり絞ったり、被写体に応じて様々な
撮影技法を選べることが、銀塩MF一眼時代、50mm標準レンズ
の最も基本的かつオーソドックスな使い方だった筈だ。
けど、その後のズームレンズの時代、あるいは銀塩AF一眼や
デジタルの時代になって、P(プログラム)露出モードで撮る
ユーザー層が殆どになってからは、そうした、ごくごく基本的な
技法は、失われてしまったように思える。

まあ、しかしながら銀塩MF時代では、カメラのシャッター速度と
フィルムの感度との関連の制限により、現実的には50mmの
大口径レンズであっても、絞りを少し開ければシャッター速度
オーバーとなり、逆に絞りをちょっと絞れば、今度はスローシャッター
になりすぎて手ぶれを誘発する、といった大問題があった。だから
結局、f5.6前後の「安全な」絞り値で露出を決定する事を重要視
するようになり、せっかくの標準レンズであっても、f1.4~f16
を駆使して様々なパターンの撮影をする等は実質は出来なかった。

結局のところ、よほど条件が合わないかぎり、あるいは光線条件
などを人為的に選ぶ技術や経験を身に付けないかぎり、絞りの
効果はあまり実現できなかったわけだ。
すなわち、実はズームレンズが普及したから、という訳でもなく、
本質的に「基本中の基本」であっても標準レンズの使いこなしは、
それ相応に難しかったから、そういう重要な技法が伝承して
いかなかったのではなかろうか・・とも思ってしまう。
c0032138_20443851.jpg

まあでも、現代であればデジタル一眼あるいはミラーレス機の
最高シャッター速度は、銀塩MF一眼時代の最高1/1000秒とかでは
無く、1/4000~1/8000秒となっているし、ISO感度も自在に変更
する事ができる。だから今こそ50mm標準レンズの幅広い絞り効果
を最大限に発揮できる時代となっていると思われる。
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YASHINON DS50mm/f1.9の最短撮影距離は50cmだ、
ちなみに、偶然が必然かは不明だがヤシノンの50mm標準レンズは
ほとんど全てが最短50cmとなっている。

本レンズ使用上の注意点であるが、M42レンズではあるが、
絞り制御のAuto/Manual切り替えスイッチが無い。よって
レンズ背面の絞り連動ピンを押し込まないと、絞りが絞られない。

ミラーレスでマウントアダプターで使用する場合は、ほぼ全ての
アダプターで絞り連動ピンを押し込む事が出来る構造になって
いるので問題ないが、PENTAX のKマウント一眼やK-01などで
純正の「マウントアダプターK」を用いて装着した場合は、
常に絞り開放となってしまうので注意が必要だ。

本レンズの購入価格は、1990年代に8000円ほどであった、
今にして思うと少々高かったようにも思う、まあ5000~6000円
程度が現代における妥当な相場ではなかろうか。

で、特にこのレンズを購入する必然性は無いと思うが、何かしら
の標準レンズ(50mm単焦点)は、前述の絞り効果を実践(勉強)
する上でも必携レンズであると思う。

余談だが、標準レンズは、絞り開放から最大絞り(通常f16)の
全てを自由に使える事が望ましい。ただし、晴天の屋外で
開放絞りを使うのは、デジタル一眼の最低感度(ISO100程度)
にしても無理であろう(シャッター速度オーバーとなる)
で、ちょっと暗めの光源状況(曇天、日陰、夕方、室内等)に
おいては、絞りを開放にした時にカメラ側がシャッター速度
オーバーならず、かつ、絞り込んだ時に手ぶれしないような
シャッター速度となるようにISO感度を選ぶ(手動設定する)
事がポイントである。

これは言葉で書くとちょっとわかりにくいのだが、ISO感度手動
設定の目安(根拠)としては非常に重要な要素である。
例としては、f1.4=1/4000秒、f2=1/2000,f2.8=1000・・・
f11=1/60,f16=1/30の数列となるようにISO感度を決めれば良い。
これで、絞り値を全部自由に使うことができる。ただし、これは
晴天下ではまず無理で、ISO25(またはデジタルND4フィルター)
が必要となるが、それを搭載しているカメラは、ほとんど無い。

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さて、次のシステム
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カメラは、Eマウント初号機のSONY NEX-3である。
DMC-G1ほど古くは無いが、本カメラも発売後6年近くとなり
かなりクラッシックとなってきている。
最初から完成度が高かったG1と比較すると、NEX-3の操作系は
あまり優れたものでは無い。2年後のNEX-7では、操作系が大幅に
改善されている(ただし初級者では使えないほど高度かつ複雑に
なっている)

よって、現在、Eマウントアダプター母艦としては、操作系に優れ、
かつ、性能からすると圧倒的にコスパが高い(コスパを重要視
するのは本シリーズ記事での基本コンセプトである)NEX-7を用い、
本NEX-3は、Eマウントでのトイレンズ(特殊レンズ)母艦とし、
たまにAFレンズ、そして、まれにMF広角レンズ(かつ最短撮影
距離が長めのもの)の母艦として使用している。

今回のレンズは OYMPUS OMシステム ズイコー 21mm/f3.5だ。
1970~80年代のMFレンズである。OMシステムのレンズでは
(50mm標準以外では)同一焦点距離でも、大口径f2級版と、
小口径f3.5版が併売されていた。なお、その際の、大口径版の
フィルター径は55mmΦ、小口径版では49mmΦと、統一されて
いて、極めてシステマティックである。
c0032138_20465663.jpg

銀塩時代の21mmは超広角レンズであるが、APS-Cサイズの
NEX-3に装着時には、換算約30mmと普通の広角レンズと
なってしまう。
最短撮影距離は20cmとまずまず優秀なのだが、MF操作系に
課題を持つNEX-3であるから、無理な近接撮影はしない方が無難だ。

描写力はかなり優秀、まあこれは、OMズイコーのf3.5版の
小口径レンズのほぼ全てに共通する特徴であるが、シャープネス
を重視して設計されているように思える。
対してf2版は、ボケ質や階調表現などを重視し、性格が異なる。
このため、同一焦点距離の大小口径を両方集めることも
意味の無い事では無い。まあでも、大口径f2版は現代においても
結構高価な中古相場で流通している事が多いので、多くを集める
事は、なかなか難しいかと思うが・・
c0032138_20473747.jpg

無理に近接撮影を行った場合でも、ボケ質はさほど悪く無い。
このレンズのちょっと上の焦点距離の 28mm/f3.5は、本シリーズ
第23回で紹介しているが、まあ、それも小口径版として似たよう
な性格を持っている。

小口径f3.5版の中でも50/3.5Macroは、極端にシャープネスが
高く反面ボケ質が非常に固いという、かなりエキセントリックな特徴を
持つレンズである。そのレンズは銀塩時代に使っていたのだが、
知人に譲渡してしまい、現在は保有していない。まあ、いずれ買い
なおすつもりであったのが、再購入を長らく保留したままにして
いるのは、その極端な性格の為かも知れない。
c0032138_204845.jpg

本レンズの購入価格は、2000年代に3万円ほどであった。
銀塩時代は21mmの超広角レンズは憧れの対象であり、すなわち
それは一般的には、広角といえば28mmまでであり、それを超える
超広角は、非常に高価であり贅沢品でもあったわけだ。
その為、メーカー純正ではなくレンズメーカー製の、24mm,20mm,
17mm等を、超広角の穴を埋めるために購入するのであるが、
それらは、あまり優れた性能を持つレンズは多くなかったので、
ますますメーカー純正は高値の花となっていた。

このレンズをなかなか購入できなかったのも、その価格ゆえの
問題である、つまりデジタル時代に入ってからOMズイコーは
安価になったという訳であった。

現代で必要なレンズか?というと、それはかなり疑問だ。
現代では、APS-C機であってもちゃんと広角効果が得られるような
10mm台のレンズが単焦点もズームでも存在している。あえて銀塩
時代の超広角を高価な相場で入手しなくとも、現代レンズが同等
か、それ以下の価格で購入できるわけだ。
ミラーレス機専用で良いのであれば、例えばSIGMA 19/2.8DN
などは、中古で1万円台前半という極めて安価な相場でありながら
下手すると本レンズより描写力は上であろう。

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さて、次のシステム
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カメラ本体は、RICOH GXR
冒頭のDMC-G1よりも1年ほど新しいカメラではあるが、
こちらの方がG1より、スペック的老朽化が激しい。

(すなわち、周囲の新型カメラがどんどん高性能になっていき、
故障もしていなくて問題なく使えるカメラなのにもかからわず、
仕様的に見劣りして、使えなくなっていくという事だ。
これがあるのでデジカメは基本的には高価な新品を買っては
ならない、今どんなに良いものでも、数年後には陳腐化する)

ユニットは、A12 50/2.5 Macroだ。
ちなみに、GXRシステムの場合は、レンズ側に撮像センサーを
含むため、レンズではなくユニットと呼ばれている。

本ユニットの描写力は発売当初からかなり評判が良かったが
高価であったので購入していなかった。近年は中古相場がかなり
安価になってきた事が購入の理由だが、前述のスペック老朽化が
気になったものの、現在使うのであれば仕様的な弱点(古さ)は
ぎりぎりセーフであろう。この数年後ではもう(古く見えてしまい)
使えないであろう、という判断からであって、すなわち、
今ガンガン使わないと、この先使えないシステムになってしまう。
ということから、本システムも過去1~2度、重複して本シリーズ
記事で紹介している次第だ。
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スペック的老朽化で最も大きな課題はピント精度である。

GXRのシステムでは、絞りを開けたり、遠距離あるいは近接撮影
ではAFでは殆どピントが合わない。かと言ってMF操作も絶望的だ、
したがって、ピント合わせ全般が致命的に近い弱点となっている。

まあ、とは言え、2009年の段階では、技術的にもこのあたりまでが
限界であったのであろう、そう考えると、近年のカメラも一見
なかなか性能が良くなってないように思えて、意外に一部の
基礎技術などは進化している模様だ(例:ISO感度の高感度化)

ただ、万が一(?笑)ピントが合った場合の描写力はさすがに
捨てたものではない。
本シリーズ第10回記事で本システムを紹介したときに書いた事は
「マクロと考えずに標準レンズと考えれば良い」であったが
これはまあ、近接撮影はやめておくのが良いという意味と同じだ。

ピント以外の、スペック的老朽化は、GXRシステムには高感度も
なければ、エフェクトも無く、シンプルすぎる。

それこそ、前述のように、50mm(相当)の標準レンズとして、絞り
や露出補正の効果をオーソドックスに使うしか無いかも知れない。

けど、そうした基本操作においては、GXRの操作系は悪くない、
なにせ、絞り・露出補正・ISO感度の、3大デジタル基本要素を
いずれもダイヤル等で常時直接変更可能なデジタルカメラは、
このGXRを含め数えるほどしか無い。

それから、GXRを使っていて気になるのは背面モニターの色味の
再現性が悪い事だ。実は、AWB自体もあまり確実性が無く、同一
条件で撮っても1枚1枚色味がバラつく場合があり、それに加えて
モニターの色味が悪いので、どうにもどんな色で撮れているのか
心配な状態になる。

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さて、今回は先ほどより、絞り値の変化という事を良く説明して
いるのだが、現代の撮影技法においては、ほぼ99%までが
「絞り優先」露出モードとするのが間違いの無い設定だ。

残りの1%は、Pモード=他人に記念写真を撮ってもらう時。
Sモード=スポーツなどの特殊な撮影、Mモード=花火などの
特殊な撮影。という感じだと思って良い。

銀塩MF一眼レフ時代、AE(自動露出)が初めて出始めた頃、
世の中では「絞り優先とシャッター優先、どちらが良いか?」
という議論があったと聞く、その後両者を搭載した「両優先」
のカメラが登場し、その議論は収まったらしい。

で、実際のところどっちなの?という話になるのだが、これは
撮影表現技法的に言えば「絞り優先」を主体にするのが正しい。

けど、技術的な背景はどうか? たとえばキヤノンAE-1が発売
された1970年代、そのカメラはシャッター優先であった。

カメラの仕様を考察すると、AE-1の最高シャッター速度は、
1/1000秒であった、これにFD50mm/f1.4を装着したとする、
その際、一般カメラマンの手ブレ限界シャッター速度は1/30秒だ。
つまり、1/30は当時の初級カメラマンだと手ブレしてしまうので、
1/60秒が実質的に使える最低シャッター速度だ。
すると、シャッター速度で実用的に使えるのは、1000,500,250,
125,60の僅か5種類(=5段と言う)だ。
対して、絞りは、f1.4,2,2.8,4,5.6,8,11,16の8段だ。

使えるシャッター速度より使える絞りの数が多い、つまり、
シャッター優先にした方が、様々な光線状況あるいはフィルム
感度の関係での自由度が高いことになる。

すなわち、写真表現的には絞り優先が正しいが、当時のカメラの
性能的な面を考えると、シャッター優先の方が無理が無いという
事になる。
そして、その後の銀塩AF一眼レフの時代となると、シャッター
速度の最高は、1/8000秒である機種が多くなり、シャッターの
自由度は、3つ増えて8段となり、絞りの段数とイコールになった。

しかし、レンズ側はズームレンズが増えて、これらの開放f値は
f3.5ないしf4であったので、使える絞りの数はむしろ減って6段
程度となった、この状態では、絞り優先の方がカメラ仕様上の
自由度が高い事となる。

その後のデジタル時代、一般的なデジタル一眼やミラーレス機の
最高シャッター速度は、1/4000秒とむしろ銀塩時代より退化
そしてf1.4の単焦点レンズすら一般的ではなくなり、近年発売
される新型f1.4級レンズは皆、超高価な高級品ばかりとなって
しまった。したがって、ここでも、シャッターの段数と絞りの
段数はほぼイーブンとなり、A,S(Tv)どちらのモードでも
カメラ仕様上の使い勝手に大差は無い。

デジタル時代、絞りとシャッター速度に加え、もう一つの露出
要素となったのがISO感度だ。もし、これの自由度が高いので
あれば、シャッター速度と絞りを自由に決めて、ISOがそれに
追従して変化すれば良いので、写真表現上の自由度は銀塩時代
では考えられないくらい極めて高くなる。
これを実現しようと頑張っていたのは、ペンタックスとニコンで
あるが、最初にこのTAv露出を実現した頃のデジタル一眼は、
ISO感度の最大値が1600程度であり、変更可能なISO感度の段数は
僅かに4段ないし5段程度となる、これでは、シャッターと絞りの
組み合わせの数の方がはるかに多いので、実用的では無い。

長らくその機能は発展せず、世の中のカメラユーザーもこれに
着目する事はなかったのだが、近年の超々高感度時代になって、
ISOの変化幅は、例えば100~40万であれば13段、さらにニコン
D5のように50~328万であれば、実に17段となった。

ここまでISOの可変幅が大きければ、どのような光線状態で、
どのような任意のシャッター速度と、任意の絞り値をユーザーが
選んでも、ISO感度は、まず殆どの場合追従するであろう。
被写界深度と動体効果を同時に決定できる、これは写真表現的には
革命的であって凄い事なのだが、D5に、この機能は搭載されていた
だろうか?

なお「殆どの場合に追従する」と書いたのは、実はこの感度自動
調整機能は、f1.4以下の超大口径レンズでは無理である事が計算
上明らかだからだ。前述したが、晴天下ではf1.4のレンズを使おう
とすれば、ISO50以下が必須であり、それより大きな口径(f0.95等)
の場合は、ISO25よりもさらに低感度が必要になるのだ。

まあでも、ほぼ問題なく実用範囲だと思うので、将来、10年程度
先に、ISO数百万が、どのデジタルカメラにも搭載されるほど
普及すれば、その時の撮影技法は「絞りもシャッター速度も
自由に決めて撮る、あとは勝手にISO感度で調節してくれる」
というものに変わっているであろう。それはもう今までの写真
常識とは、完全にかけ離れた世界だが、まあ、早くそんな時代が
来てもらいたいとも思う。
c0032138_2053559.jpg

ISO感度自動追従の時代となれば、このような、被写界深度と
動体を両立した写真も撮るのが容易になるであろう。
尤も、この状況では、その両者および感度の関係は勿論意識して
撮っており、最大の問題は露出制御ではなく、GXRのピントが
合うか合わないかという点であったのだ(汗)
(このため、実際にはAFロックをかけて撮っている)

さて、GXRシステムの中古相場だが、2016年になって、私が購入
した2015年時点よりも、またさらに相場が安価になった模様だ。
このA12 50/2.5Macroであれば2万円台の前半くらいで入手可能と
なっている、GXR本体も1万円程度であるので、コスパは非常に良いと
言えば良い状況なのだが、なにせスペック的老朽化(陳腐化)が
最大の問題であり、悩みどころでもあろう・・

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さて、今回ラストのシステム。
c0032138_20541231.jpg

カメラは、Eマウント最強の高度な操作系を誇るNEX-7
レンズは、RICOH XR135/2.8である。
これはPKマウントのレンズであり、一般的なKマウントアダプター
で問題なく使える。

リコーのXRというと、50mm/f2が優秀なレンズとして知られて
いるが、まあ、小口径標準はどれも良く写るので、別にその
レンズだけが特別という訳でも無い。でも、やはりリケノン50/2は
良く写ったので、他のXRシリーズも何本か買ってみた次第であった。
c0032138_2056826.jpg

NEX-7装着時、このレンズは、換算200mm相当の望遠
画角となる。 で、望遠レンズで遠くのものを撮るとなると、
アングルの自由度が無く、面白味に欠けるのは確かだと思う。

ちなみに、上写真では、デジタルズームを2倍程度かけている。
NEX-7では、最大10倍までのデジタルズーム機能を、MFレンズ
をアダプターで使った場合でも自由にかけることができる。
まあ、あまりその倍率を上げてしまうと画質が極端に劣化するが、
3~4倍程度までであれば、ほとんど問題は無いであろう。

結局、200~800mm/f2.8相当の望遠レンズとして使える事になる
数字だけ聴くと凄いが、単純に拡大しているだけなので、画像を
トリミングしているのと大差無く、他の望遠効果(遠近感の圧縮や
ボケ量の変化)は起こらない。

遠距離に対して、本レンズの最短撮影距離は1.5mと、一般的な
135mmレンズの標準的性能(最短135cm)よりは少し劣る。
多少なりとも近接撮影が出来る方が、撮影アングルの自由度が
少しでも高くなるので望ましいが・・
c0032138_20571680.jpg

近接撮影時に問題になるのは、ボケ質の破綻である。

大口径135mmとなると、第15回記事のFD135/2や,第18回記事
のAi135/2 があるが、このうち Ai135/2の方はボケ質の破綻が
起こり難い優秀なレンズである。本XR135/2.8は、f2級ほど
大口径では無いが、ボケ質の破綻はFD135/2と同等レベルで
発生しやすい。まあ、このあたりが普通の135mmレンズの
一般的なボケ性能であろう(もっと悪い135mmもいくらでもある)
ちなみにボケ質に関しては、第17回記事のSTF135/2.8は例外的な
「横綱クラス」であるので、他の135mmと比較するのもはばかれる。

ボケ質の破綻を、絞り調整、撮影距離と背景距離、背景の絵柄等
の条件を整えて回避した場合には、本XR135/2.8も、まずまずの
背景ボケ質となる。

200mm相当という焦点距離は、散歩撮影での上限の焦点距離で
あろうか。これより長い望遠となると、特殊な用途、例えば
動物園での動物の撮影、野鳥の撮影といった遠距離の動物全般、
スポーツ競技、運動会、ライブや舞台イベントといった、遠距離
での人物撮影などに限られてしまう。まあ、これらについては、
撮影アングルの自由度云々は、一般的撮影に比べてあまり問題に
ならないかも知れない(動物や人物がちゃんと写れば良い)ので、
適切な焦点距離で開放f値が明るいレンズがあればそれで良い。

一般的なズームレンズで大口径と言えばf2.8だが、舞台や暗所等
での撮影ともなると開放f値はそれより少しでも明るい方が良い。

そこで、近年ミラーレス機やコンパクトに良く搭載されている
デジタルズーム・デジタルテレコン系の画質がもう少し上がって
もらえれば嬉しい。もしそうなれば、例えばノクトン42.5/0.95
を、デジタルテレコン等で200~300mm相当程度の画角で、
f0.95という明るさで使用することが出来るのだが・・
(ちなみに、厳密にはトリミングとデジタルズームは画像処理的に
内容が異なる)
c0032138_20575166.jpg

本レンズの購入価格だが、2000年代に8000円程であった。
まあMF単焦点135mmで小口径(f2.8以下)のものは、現在では
中古相場が極めて安価であり、4000~5000円というのも良くある
話なので、8000円でも若干高かったようにも思える。

XR135/2.8は、現代において必須のレンズでは無いと思う。
135mmの用途であれば、やはりf2級の大口径か、STF135/2.8
のようなボケ質が極めて優れたレンズしか選択肢は無いようにも思う。

まあでも、銀塩時代では135mmは望遠として必要だったので、
f2.8~f3.5級の135mmは様々なマウントで沢山持て余している、
この機に(ミラーレス・マニアックスシリーズを書いている間に)
色々と使って良さげなのをピックアップしておくとしようか・・・

次回シリーズ記事に続く。
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