本シリーズは、所有している「銀塩コンパクトカメラ」
(ハーフ判,35mm判,APS,110等)を順次紹介していく記事だ。
銀塩時代には多数(恐らく50台を優に超える)コンパクト
機を所有し、実際にその全てを使っていたが、デジタル時代
に入ってから、その大多数を処分してしまっていた。
今なお手元に残っている銀塩コンパクト機は僅か十数台に
過ぎないが、どれも個性的で歴史的価値の高いものばかりだ。
今回は1990年代の普及版AFコンパクト機を1機種紹介するが、
記事後半では変り種トイ・コンパクトも1機種取り上げよう。
まずは今回の1機種目、
NIKON AF600 (QD)(28mm/F3.5) (NIKON MINI)
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1993年に発売された広角単焦点レンズ搭載AFコンパクト
機だ。
通称は「NIKON MINI」と呼ばれていて、AF600(QD)
という機種名よりも「ニコン・ミニ」と言った方が、
ずっと通りが良い。
本シリーズ記事では、紹介銀塩機での撮影は行わず、
シミュレーターと呼んでいる紹介機と仕様の近いデジタル・
システムで撮影した写真を掲載し、当該機種の「雰囲気」を
伝える事としている。
掲載写真は、いずれも1~2年前に撮影したものである、
コロナ禍が早く収束し、また外に写真を撮りに行ける日が
来る事を待ち望む次第である。
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今回は、ニコン機の紹介という事で、フルサイズ・
デジタル一眼レフNIKON DfにNIKON AiAF28mm/F2.8S
レンズを装着し、プログラムAE専用である本機AF600の
特性に近くする為、絞り値をF5.6前後で撮影してみよう。
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28mm広角の(35mm判フィルム使用)銀塩AFコンパクト
機というと、誰もが最初に連想するのは、「RICOH GR1」
シリーズ(1996年~)だと思われるが、実はGR1は最初の
28mmAF機では無く、本機AF600の方が発売がやや古い。
GR1の他には、(35mm判フィルム使用機で)
NIKON 28Ti(1994)、FUJIFILM TIARA (1994)
MINOLTA TC-1(1996)、FUJIFILM TIARAⅡ(1997) 、
FUJIFILM KRASSE W(2006)あたりのAFコンパクト機が
28mm単焦点レンズ搭載機である。
これらは、いずれも本機AF600以降の製品だ。
ただし、MF時代においてはOLYMPUS XA-4 (1985)があった。
この機種数は意外に少ないが、一般的な28mm広角単焦点機は、
大体これくらいか? 詳しく調べるのが大変なので、今回は
記憶に頼って書いているので正確性には欠けるかも知れないが、
もし他にあったとしても特殊な機体(例:FUJIの二焦点機)や
海外製機など、あまり一般的では無いカメラであろう。
そもそも、ニコンの銀塩コンパクト機の発売は1983年から
と遅い。他の記事でも書いたが、これは、それ迄のニコンは
高級MF一眼レフのシェアが高かった為、付加価値の低い
低価格なコンパクト機の発売を躊躇ったのであろう。
ただ、1983年時点では、まだニコンの一眼レフはAF化して
いない。
同年、1983年にNIKON F3AFが発売されたが、これはAFの
試作機のような機種であり、ニコン初の実用的AF一眼レフは、
NIKON F-501(1986)が最初と言えよう。
まあこの時代は、各社がAF一眼レフの開発を進めていた
時代であり、ニコン初のAFコンンパクト、ピカイチ
(L35シリーズ)(1983)は、一眼レフにAF技術を転用する
為のパイロット的な製品だったかも知れない。
ちなみに最初(世界初)のAFコンパクト機は、KONICA
「ジャスピンコニカ」C35AF(1977)である。
これはAF一眼レフの登場よりだいぶ早い。
そして、初の実用的AF一眼レフは、MINOLTA α-7000
(1985)であると言え、これは「αショック」と呼ばれて
カメラ界に衝撃を与えた事は良く知られた歴史だ。
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さて、ニコンがコンパクト機の市場に参入してから丁度
10年後の1993年に発売されたのが本機であったのだが、
それまで10年間、どうもニコンは、パっとした(目を引く)
コンパクト機を発売していない。
まあでも、それは、あまりに優秀なコンパクト機を売って
しまうと、自社の高級一眼レフの販売機会を損失する訳
だから、わからない話でも無い。
事実、1990年代を通してニコンは低価格帯の銀塩一眼レフ
にあまり力を入れていなかった。これも同様に旗艦機等の
高級一眼レフを売る為の戦略の一環であろう。
この時代「ニコンは普及一眼レフを作るのが下手だ」と
市場やマニア層の間では良く言われていたのだが、それは
ある意味、確信犯的に高級機を買わせる為のマーケティング
戦略だったかも知れないのだ。(・・と言うか、間違いなく
その通りであろう)
少し余談だが、ニコンは1990年代にAPSフィルム(IX240)
の新規格の開発・推進に係わっていたが、1990年代末に
発売された、APSコンパクトの「Nuvis」(ニュービス)
シリーズも、APS一眼レフの「Pronea」(プロネア)
シリーズも、商業的には成功したと言えない。
今から考えると、これらもまた、あまり力を入れたい
製品では無かったかも知れない。(個人的にも、
魅力を全く感じなかった為、これらの製品は未所有だ)
で、ニコンの銀塩AF一眼レフの普及機・中級機の性能や
仕様が急に向上するのは2000年頃の機種(F80,u2等)
からであり、これは恐らく、続くデジタル一眼レフ時代
(2003年前後~)への布石であったと思われる。
つまり、初級中級層に高性能エントリー銀塩機を買って
もらって、そのままデジタル一眼レフへ移行してもらう
というシナリオだ。(銀塩用交換レンズ等は、そのまま
同社デジタル機でも使える)
なお、これはニコンだけの戦略ではなく、キヤノンも
ミノルタもペンタックスも、2000年前後の銀塩一眼レフ
の普及機・中級機は、たいてい極めて高性能であった。
(特にMINOLTA α-SweetⅡは初及機の中では、超名機
であろう。他に中級機EOS 7やα-7も凄かった。
→銀塩一眼レフ第27回、第26回、第29回記事)
それと、近年においては、ニコンのミラーレス市場への
参入が2011年末頃から、と他社に比べて遅かったのも、
ここまでの理由と同様に、自社一眼レフ市場が低価格な
ミラーレス機でコンフリクト(衝突)する事を嫌ったから
であろう。(注:キヤノンも同様だ、EOS Mシリーズでの
市場参入は、ニコンよりさらに遅かった。
ちなみに、ニコンの1シリーズ・ミラーレス機展開は、
現在では終焉して、「高付加価値型」のZシリーズに
移行している。キヤノンもまた、EOS Rシリーズで、
その戦略に追従したが、EOS Mシリーズは併売だ)
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さて、そういう事で、ニコンは1980年代を通じて、銀塩
コンパクト機にあまり力を入れて来なかったのであったが、
おしりも1990年代初頭には、バブル景気も崩壊し、
これまでの高付加価値(高級品)戦略を、市場の動向に
合わせて、多少見直す必要もあったのかも知れない。
この頃、世の中全般の傾向として、新たなビジネスモデル
が発生した。
それは、消費者層に、安価な製品を購入してもらったり、
無料の製品を使って貰って、そこから、より高価な製品を
買ってもらう「囲い込み」戦略、あるいは「お試し版」の
戦略である。
例えば、パソコンの世界では、フリーソフトが登場し、
あるいは数年後の写真DPE業界での「0円プリント」の
ビジネスモデルであったり・・
ペットビジネスの世界では、セキセイインコやカメ等を、
まず安価に販売し、その後、餌や周辺商品を沢山買って
もらうとか、さらに、もう少し後年では、携帯電話を
無料で配布し、通話料で稼ぐとか、インターネット回線の
設置でも同様なビジネスモデルがあった。
つまり、バブル期前までは「商品単体で決算が赤字になる」
ような商品の販売は、常識的に有り得なかったのが、
バブル崩壊後では、サービス、オプション、周辺消費等を
含む”トータルでの収支が黒字になれば良い”という
「損しても得取れ」的な考え方の回収型ビジネスモデルに
市場の意識が変わってきた訳だ。
で、ニコンにおいても、これまでのように「高い一眼レフ
を売ったら儲かるからそれで良い」と言う訳には行かなく
なってしまったのであろう。自社がそれをやらなくても、
他社が新しい戦略を取れば、多少なりとも影響は出る。
例えば本機AF600と同じ1993年には、キヤノンは一眼
レフの普及機EOS Kiss(初代)を発売し、それを女性や
ファミリー層という新しいカメラユーザーの市場において
大ヒットさせている。
キヤノンとて利益の観点から言えば、EOS-1/HS等の高級
カメラや、Lレンズ等の高付加価値商品を販売したいの
だろうが、別に、これまでのユーザー層がEOS Kissを
買って、EOS-1が売れなくなるという訳でも無いのだ。
新規ユーザー層が、最初はKissから一眼レフに興味を
持ってくれれば、いずれ高級機も高級レンズも買って
くれるかも知れない訳だ。
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そういう事で、ニコンにおいても新たな「囲い込み戦略」
において、これまでの時代よりも気合を入れて作った
コンパクト機が本機AF600だったと思う。
「ニコン・ミニ」の愛称は、コンパクト機をエントリー
機とし、「ニコン党」として囲い込む為、あるいは、
ニコン高級一眼レフを所有している層に、「サブ機」と
してもコンパクト機を使ってもらって、さらにニコンに
対するブランド信奉を高める狙いがあった事であろう。
(=ファン層の囲い込み)
(参考:1980年前後のNIKON SERISE Eの交換レンズは
「NIKKOR」の名前を冠する事が出来ず、「NIKON LENS」と
”ブランドの差別化”があった。本機は「NIKON MINI」の
愛称を打ち出し、NIKON製である事を主張している)
本機AF600の描写力は定評がある。特に「ニコン党」からは
「コンパクト機でこの描写力は凄い!」と、神格化される
ような評価も多々あったと思う。
ただ、実際のところそれはどうか? 3群3枚の単純な
トリプレット型のレンズ構成は、仕様的には他社28mm機
に対して優位性があるとは思えないし、実際に使っていた
感覚でも、他社広角機より、特に優れているという印象は、
私は持てなかった。
でも、「ニコン党」と呼ばれる人達は、基本的にはニコン
製品しか使わない。そういった背景で、今までニコンでは、
まともな性能のコンパクト機が無かった中で、初めて、
まあ普通に良く写るコンパクトが登場したのだ、彼らが
これを絶賛しても不思議では無い。
そして、ブランド信奉(信者)においては、他社の例えば
XA-4やTIARA、あるいは後年のGR1等と比較する事で、
”正しい評価を行おう”という発想も、そうしたユーザー
層(ニコン党)では、あまり無かったかも知れない。
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・・という事で、絶対的な描写力については、本機AF600
においては、大きなアドバンテージとは言えない。
だが、弱点という訳でも無く、3群3枚という単純構成
レンズでも、ちゃんと低分散ガラスのレンズを使用して
いる贅沢な設計であり、プログラムAEで、少し絞り
込まれた状態では、そこそこちゃんと写ってしまうのだ。
まあ、広角レンズは、たいていそんなものであり、一眼
レフ用広角レンズではむしろ、ミラーボックスの制約から
レトロフォーカス型の設計にせざるを得ず、レンジ機や
コンパクト機の広角レンズの方が、設計自由度が高くて
小型で良く写る事は、銀塩時代での常識であった。
描写力よりも、希少な28mm広角単焦点機である事が
本機AF600の重要な特徴だと思う。
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マニアからは「28mm広角ならばGR1を使う方が安心だよ」
という意見もあるだろう。しかし、まず、本機AF600の発売
時点ではGR1は、まだ登場していない、それは後年の話だ。
(ちなみに、GR1もTIARAもまだ出て無かったから、本機の
広角の特徴が余計に際立った事であろう、よって、その分、
過剰な好評価になっていた事は否めない)
それと、実はGR1もTIARAも「柔(やわ)なカメラ」なのだ、
RICOH GR1(1996)においては、普及機R1(1994)の内部構造
をベースとしていて、モーター等の駆動系がパワー不足だ。
その為、使用中に負荷により故障してしまうリスクを抱えて
いる。事実、私のGR1も知人のGR1も、その問題に遭遇して
故障し、私は後年に小改良機のGR1sに買い換えている。
それに加えて、GR1はマグネシウム合金の外装素材だが、
マグネシウムは力が加わると脆く、ポキッっと折れて
しまう場合があり、細い部分(底面電池BOXの周囲等)は、
特に危ない。
私のGR1は、ビーチで数十cmの高さから砂に落として
しまっただけで底部が割れてしまった。
この「脆さ」もGR1(シリーズ)の弱点だ。
おまけに高価である、GR1シリーズは、いずれも10万円
前後の定価であり、高すぎる。
まあ、「高級コンパクト」という新ジャンルのカメラの
草分け的な存在であるから、GR1の値段が高いのはやむを
得ない。それはつまりユーザーから見れば「付加価値」
であり、メーカーから見れば「利益」そのものである。
ぶっちゃけ言えば、高いカメラを、皆が欲しがって
買ってくれれば、それでカメラ市場は潤うのだ。
だが、高価なカメラは、もし上記のGR1のような(注:
TIARAも同様)「壊れやすい」という弱点がある場合、
ラフな使用を躊躇ってしまう問題がある。
雨や潮風、埃、猛暑や酷寒、どこかにぶつけやすい環境、
盗難や犯罪リスクのある場所、等では使い難いのだ。
これは、同時代からのチタン製ボディの高級コンパクト
であっても同様だ。チタン外装であっても耐久性が格段に
向上する訳では無い。むしろGR1よりさらに高価(11万円
~17万円)であった、超高額チタン製コンパクト機は、
より神経質に、気をつけて扱う事になるから、必然的に
故障リスクも減るのだ。
チタン機の耐久性が高いのは、そのように「甘やかして」
使う、という心理的要素の方が、本体自体の剛性や耐久性
よりも遥かに大きい。(それに、現代となっては、もはや
四半世紀も前のチタン機は、内部電子部品の寿命が尽き
かけている。いくら外装だけ耐久性を高めても、中身から
壊れてしまったら、無意味であろう・・)
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で、本機AF600だが、定価37,000円と、高級コンパクト
機群のおよそ1/3の価格である。
プラスチッキーな外観で、プログラムAEモードしか無く、
高級感は欠片も無いカメラだが、そこそこ良く写り、
安価である事とあいまって、「厳しい環境でも平気で
使える」という心理的な安心感が大きい。
プログラムAEの件だが、もし「絞り優先AE」がついていた
としても、当時の銀塩コンパクト機では、それを有効に
活用できない、という大きな課題がある。
これはどういう事か?と言うと、レンズシャッター構成の
コンパクト機では、シャッター速度の上限が低すぎるのだ。
具体的には、本機AF600の最高シャッター速度は1/350秒
でしかなく、高級機GR1(/s/v)ですら1/500秒までだ。
コンパクト機(レンズシャッター機)のシャッター速度の
限界値は、後年(2001年)のCONTAX T3(後日紹介予定)
での1/1200秒が恐らく最速であった事であろう。
(注:デジタルコンパクト機+撮像素子シャッターでは、
2003年のMINOLTA DiMAGE A1が1/16000秒で最速)
で、最速1/500秒のGR1を、日中晴天時に使うとしよう。
GR1は絞り優先AE機なので、F2.8~F16を手動制御できる。
ここで、ISO感度100のフィルムを装填した場合、
最高1/500秒のシャッターでは、絞りF8迄で打ち止めだ。
それ以上絞りを開けるとシャッター速度オーバーで撮れない。
「晴天時ばかりで撮る事も無いから」とISO400のフィルムを
入れていた場合は、さらにシャッター速度オーバーになって、
F16の最大絞り値でしか、晴天時には撮れない事になる。
勿論、後年のGR Digitalのような、デジタルND(減光)
フィルター等の機能は銀塩機には入っていないし、
アナログのNDフィルターはGR1ならば装着できない訳では
無いが、別売アダプター必須とか特殊なフィルター径の
ものであるから、面倒で使えないであろう。
つまり、GR1では日中の屋外での使用で絞り優先モードでは、
常にシャッター速度オーバーとのにらめっこになり使い難い。
設定した絞り値で適正露出が得られない場合に、絞り値を
シフトするような露出安全機構が入っていれば良いのだが、
そういう機種は一眼レフではあったものの、コンパクト機
では珍しく、CONTAX Tvsシリーズとか、かなり限られて
いたと思う。
よってGR1では「日中、絞り優先が使えない」と言っても
過言では無く、上手な使い方としては、こういう状況では、
あえてPモードにセットしてプログラムAEで撮る。
広角での中遠距離撮影においては、絞りを開ける被写界
深度の効果は殆ど得られず、むしろGRレンズでのMTF特性
が向上するF5.6ないしF8程度で撮った方が好ましいのだ。
GR1で絞りの効果が影響するのは、絞りを開けられる
日陰や屋内において、かつ近接撮影の場合だが、GR1の
最短撮影距離は35cmと物足りなく、どのような状況でも、
絞り値による被写界深度変更の効果は十分では無い。
で、あれば、絞りをどういう風に使うのか?と言えば、
これはシャッター速度の調整が主目的となる。
すなわち、弱暗所でのスナップ撮影等で、ある瞬間を
切り取る際に、シャッター速度の調整で、止める、ブラす
等の動感効果をコントロールする、という意味である。
これは、ブレッソン等のマグナム派のような海外写真家等が
得意とする撮り方であるから、GR1を超本格的に使おうと
する人達の中には、憧れの海外写真家風のスナップ写真を
撮る事に志向した上級者も居たのだ。(小型軽量で地味な
外観のカメラの為、街中スナップ等でも目立たない)
しかし1990年代は肖像権等の配慮がうるさくなり始めた
時代でもあり、見知らぬ人を街中で撮影する事については
トラブル等のリスクも多々あって、1950~1960年代での
スナップ写真のように自由に(=ある意味、無配慮に)
写真を撮る事は、時代背景的には、既に出来なくなって
いたのだ。
(注:その後の時代では、肖像権問題はさらに厳しく
なっている。現代においても、シニア層等で、見知らぬ
他人や、京都の舞妓さん(変身舞妓含む)等に、平気で
カメラを向ける人達が依然多いが、現代では、それは
「盗撮」として、「犯罪扱い」となり、取締りの対象とも
なっている。なお若年層でも、芸能人等にスマホカメラを
向ける場合があるが、これも同様に肖像権違反となる。
いずれにしても、基本は、撮影者のモラル意識であるとか
コンプライアンスやマナーの意識の問題であるし、
あるいは、「そういう対象しか、被写体として見られない」
事もまた「超ビギナー的な写真の概念」そのものでもある。
他人を盗撮し、それが「写真」や「作品」になるのだろうか?
又、撮影者の手柄では無い「映え」画像を記録して、それを
SNSにアップした所で、イイネを貰えると思うのだろうか?
本当にイイネをするべきは、その撮影者自身の発想や努力や
技能や才能に対してであろう。他者・他の物体は無関係だ。
結局、そういった行為をしないようにする事が大原則だ)
これらから、本機AF600がPモードしか無いという状況は、
本機の仕様(広角28mm/F3.5、最高シャッター速度1/350秒)
では何ら問題無い。絞り優先を使う意味が殆ど無いからだ。
![_c0032138_14073254.jpg]()
ところで、前記事「オールド編」が1960年代のコンパクト
機であったのが、今回第2回記事では、いきなり1990年代
のカメラとなっている。
「その間、1970年代~1980年代のコンパクト機はどうした
のだ?」と言う声が聞こえてきそうである。この理由だが、
これらの時代のコンパクト機は、多数持っていたには
持っていたが、あまり魅力的な機種が無く、2000年代の
デジタル時代に入ってから、その殆どを譲渡あるいは
処分してしまっていたのだ。
この話は、「本機AF600が一部の層に高く評価された」
という歴史と微妙に関連がある。
つまり各社の1980年代のAFコンパクト機は性能や仕様的に、
マニアや中上級者層に満足の行く機体が、殆ど無かった、
という状況なのだ。
まあだから、描写性能の高い本機AF600や高級コンパクトが
1990年代にマニア層等に熱狂的に受け入れられた訳である。
ちなみに、1970年代~1980年代のMFコンパクト機において、
(既に処分・譲渡してしまったが)名機と呼べるような
ものは、私の所有機の中では、
OLYMPUS XAシリーズ(特にマニュアル機XAや広角機XA-4)
YASHICA エレクトロ35シリーズ(MC等)
RICOH FF-1シリーズ、MINOX (35mm判使用の35GT等)
など、あまり多くない。
まあ、逆に言えば、これらの機種位しか、その時代の
コンパクト機は、欲しいとは思えなかったのだ。
なのでまあ、コンパクト機がマニア受けするようになった
のは、1990年代がむしろ始まりだったとも言えよう。
(というか、この僅かな期間しか「黄金期」が無かった)
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さて、ここで本機の総合評価を9項目で示す。
NIKON (MINI) AF600 1993年
【基本・付加性能】★★
【描写力・表現力】★★★☆
【操作性・操作系】★★☆
【質感・高級感 】★★
【マニアック度 】★★★★
【エンジョイ度 】★★★☆
【購入時コスパ 】★★★★ (中古購入価格 7,000円)
【完成度(当時)】★★★☆
【歴史的価値 】★★★★
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】3.2点
購入価格が安価であり、コスパの項目が高く評価された。
ニコン初の普及版高性能コンパクトとして、歴史的価値も
高いであろう。広角単焦点の仕様は、マニアック度も高い。
ただ、他の特徴はほとんど無く、全体的にはやはり普及機の
枠を出ない、ごく普通のコンパクト機である。
なお、「ニコン党」においては、高級コンパクト機の
NIKON 28Ti(1994)との差異が気になるかも知れないが、
そちらはむしろ「高付加価値」型の投機層向け商品である。
私は、コスパが悪いと思って、興味を持つ事は無かった・・
---
さて、今回の2機種目は「補足編」としてトイカメラだ。
![_c0032138_14075332.jpg]()
正式名称は「IKIMONO(いきもの)110 (ハリネズミ)」
だと思うが、情報が少なく、良く分からない(汗)
まあ「ハリネズミ カメラ」と言えば、それで通じると思う。
本機は、2005年頃(?)に発売された、110(ワンテン)
フィルム使用のトイカメラだ。
時代的には今回紹介のNIKON AF600よりも、ずっと後の
カメラなのだが、本記事は、AF600をメインとしていたので、
本機「ハリネズミ」の紹介は、補足(おまけ)という感じ
である。
実は、本機は数回しか使用した事が無い。
時代はすでにデジタルであり、110フィルムの入手も難しく
なってきていて、この数年後には110フィルムは通常の
ルートでは生産が中止になってしまう。
まあ、生産中止になった後にも「トイカメラ」の特殊市場
では、110フィルムは若干の流通があったのだが、勿論
高価であり、現像も大変だし、描写力的にも魅力が少ない。
1990年代~2000年代初頭では、前述の高級コンパクト
や、高性能AF一眼レフと高性能レンズにより、写真における
描写力は、それまでの時代よりも格段に向上した。
そうした状況の中で、高忠実性(Hi-Fi)写真に反発する、
「Lo-Fi」(低描写力)の文化が育った事がトイカメラの
普及の理由である事は、他の記事でも何度か述べている。
だが、2000年代中期からは、デジタル(PC)でのレタッチ
編集により、トイカメラ風のLo-Fi写真を「創造」する事は
さほど難しく無くなった。そういう中で、(銀塩)トイ
カメラの用途が急速に無くなってきた時代であったと思う。
![_c0032138_14080050.jpg]()
さて、本機「ハリネズミ」のシミュレーターの選択であるが、
「ハリネズミ」は、レンズの開放F値がF11のパンフォーカス
である、という情報以外、焦点距離とかのスペックも何も
公開されていない状態であって、シミュレーター機を
決めようが無い。
本機は、確かにトイカメラの名に恥じない(?)、Lo-Fiな
写りであったと思うので、あえて酷い写りのトイシステムを
選んでみよう。
![_c0032138_14080040.jpg]()
PENTAX Q7 + HOLGA LENS 10mm/f8(HL-PQ)
このシステムは現代のトイカメラと呼べる程に写りが悪い。
まあ、同じ「Lo-Fi」と言っても、ハリネズミでの傾向とは
全く違うとは思うが、そのあたりはあくまで「雰囲気」だ。
なお、110フィルムのサイズは17mmx13mmであり、これは
現代のμ4/3のセンサーサイズとほぼ同じで、縦横比も
同様に4:3だ。そしてPENTAX Q7は1/1.7型センサーであり、
これは110フィルムの縦横を各々半分位にした位の大きさだ。
それからPENTAX Q7には、かつてPENTAX が販売していた
史上唯一の”レンズ交換式110フィルム一眼レフ”である
Auto 110 シリーズ(1979年~)をシミュレートした
「Auto 110モード」のエフェクトが搭載されている。
このモードを選ぶと、コントラストも解像感も低下し、
いわゆる「Lo-Fi」の写りが強調される。
![_c0032138_14081093.jpg]()
ただ、HOLGA LENS HL-PQの写りは「Auto 110モード」を
あえて使わなくとも、同様の「ボケボケ」の写りとなるので、
シミュレーションでは、被写体の状況に応じて、エフェクト
有り無しで適宜撮っていく事にしている。
さて、この「ハリネズミ」だが、知人のカメラ好きの若い
女性から貰ったプレゼント品であった。よって価格は不明
であるが、トイカメラ故に、さほど高価なものでは無いで
あろう。(おそらく2000円前後?)
電池は使用せず、110フィルムを装填したら、後は手動で
シャッターを切り、手動でフィルムを送る。
原始的な仕組みであるし、露出とかピントとか、そんな事は
完全に無視であるが、まあそれでも写真はなんとか撮れる。
![_c0032138_14081199.jpg]()
評価を行う必要すらないかもしれないが、一応やってみよう。
ハリネズミカメ 2005年頃?詳細不明
【基本・付加性能】★
【描写力・表現力】★★
【操作性・操作系】★☆
【質感・高級感 】★
【マニアック度 】★★★★★
【エンジョイ度 】★★
【購入時コスパ 】★★★★★(贈答品)
【完成度(当時)】★★
【歴史的価値 】★★★☆
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】2.5点
まあ、お遊び用のトイカメラなので、評価はこんなもので・・
なお、ハリネズミは現代でも在庫品が継続販売されている
模様だが、さすがにもう110フィルムの入手と現像が困難だ。
その後、2009年頃からは、「デジタルハリネズミ」という
「トイデジ」(トイ・デジタルカメラ)が発売されていた。
それは、トイ描写の各種モードを備えた、なかなか楽しそうな
カメラであったが、価格もヒトケタ高価になり、これも
恐らくは現在では生産中止となっていて、好事家等の間では
結構高額な相場で取引されている模様だ。
![_c0032138_14081146.jpg]()
まあ、本機「ハリネズミ」は、あくまでトイカメラである。
これを代替するには、
現代の高機能エフェクト搭載カメラ(各社ミラーレス機や、
特に今回使用のPENTAX Q7等)にトイレンズ(PENTAX Q
シリーズ純正、ロモ、ホルガ等)を装着し、本体エフェクト
やPC等によるレタッチを駆使する事で、銀塩トイカメラと
同等以上の事が出来てしまい、「Lo-Fi」のコンセプトを
実現する上でも、それで十分であろう。
----
さて、今回の記事はこのあたりまで。次回銀塩コンパクト
記事に続く。次回は1990年代の普及AFコンパクト機を
2機種紹介する予定だ。
(ハーフ判,35mm判,APS,110等)を順次紹介していく記事だ。
銀塩時代には多数(恐らく50台を優に超える)コンパクト
機を所有し、実際にその全てを使っていたが、デジタル時代
に入ってから、その大多数を処分してしまっていた。
今なお手元に残っている銀塩コンパクト機は僅か十数台に
過ぎないが、どれも個性的で歴史的価値の高いものばかりだ。
今回は1990年代の普及版AFコンパクト機を1機種紹介するが、
記事後半では変り種トイ・コンパクトも1機種取り上げよう。
まずは今回の1機種目、
NIKON AF600 (QD)(28mm/F3.5) (NIKON MINI)

機だ。
通称は「NIKON MINI」と呼ばれていて、AF600(QD)
という機種名よりも「ニコン・ミニ」と言った方が、
ずっと通りが良い。
本シリーズ記事では、紹介銀塩機での撮影は行わず、
シミュレーターと呼んでいる紹介機と仕様の近いデジタル・
システムで撮影した写真を掲載し、当該機種の「雰囲気」を
伝える事としている。
掲載写真は、いずれも1~2年前に撮影したものである、
コロナ禍が早く収束し、また外に写真を撮りに行ける日が
来る事を待ち望む次第である。

デジタル一眼レフNIKON DfにNIKON AiAF28mm/F2.8S
レンズを装着し、プログラムAE専用である本機AF600の
特性に近くする為、絞り値をF5.6前後で撮影してみよう。

機というと、誰もが最初に連想するのは、「RICOH GR1」
シリーズ(1996年~)だと思われるが、実はGR1は最初の
28mmAF機では無く、本機AF600の方が発売がやや古い。
GR1の他には、(35mm判フィルム使用機で)
NIKON 28Ti(1994)、FUJIFILM TIARA (1994)
MINOLTA TC-1(1996)、FUJIFILM TIARAⅡ(1997) 、
FUJIFILM KRASSE W(2006)あたりのAFコンパクト機が
28mm単焦点レンズ搭載機である。
これらは、いずれも本機AF600以降の製品だ。
ただし、MF時代においてはOLYMPUS XA-4 (1985)があった。
この機種数は意外に少ないが、一般的な28mm広角単焦点機は、
大体これくらいか? 詳しく調べるのが大変なので、今回は
記憶に頼って書いているので正確性には欠けるかも知れないが、
もし他にあったとしても特殊な機体(例:FUJIの二焦点機)や
海外製機など、あまり一般的では無いカメラであろう。
そもそも、ニコンの銀塩コンパクト機の発売は1983年から
と遅い。他の記事でも書いたが、これは、それ迄のニコンは
高級MF一眼レフのシェアが高かった為、付加価値の低い
低価格なコンパクト機の発売を躊躇ったのであろう。
ただ、1983年時点では、まだニコンの一眼レフはAF化して
いない。
同年、1983年にNIKON F3AFが発売されたが、これはAFの
試作機のような機種であり、ニコン初の実用的AF一眼レフは、
NIKON F-501(1986)が最初と言えよう。
まあこの時代は、各社がAF一眼レフの開発を進めていた
時代であり、ニコン初のAFコンンパクト、ピカイチ
(L35シリーズ)(1983)は、一眼レフにAF技術を転用する
為のパイロット的な製品だったかも知れない。
ちなみに最初(世界初)のAFコンパクト機は、KONICA
「ジャスピンコニカ」C35AF(1977)である。
これはAF一眼レフの登場よりだいぶ早い。
そして、初の実用的AF一眼レフは、MINOLTA α-7000
(1985)であると言え、これは「αショック」と呼ばれて
カメラ界に衝撃を与えた事は良く知られた歴史だ。

10年後の1993年に発売されたのが本機であったのだが、
それまで10年間、どうもニコンは、パっとした(目を引く)
コンパクト機を発売していない。
まあでも、それは、あまりに優秀なコンパクト機を売って
しまうと、自社の高級一眼レフの販売機会を損失する訳
だから、わからない話でも無い。
事実、1990年代を通してニコンは低価格帯の銀塩一眼レフ
にあまり力を入れていなかった。これも同様に旗艦機等の
高級一眼レフを売る為の戦略の一環であろう。
この時代「ニコンは普及一眼レフを作るのが下手だ」と
市場やマニア層の間では良く言われていたのだが、それは
ある意味、確信犯的に高級機を買わせる為のマーケティング
戦略だったかも知れないのだ。(・・と言うか、間違いなく
その通りであろう)
少し余談だが、ニコンは1990年代にAPSフィルム(IX240)
の新規格の開発・推進に係わっていたが、1990年代末に
発売された、APSコンパクトの「Nuvis」(ニュービス)
シリーズも、APS一眼レフの「Pronea」(プロネア)
シリーズも、商業的には成功したと言えない。
今から考えると、これらもまた、あまり力を入れたい
製品では無かったかも知れない。(個人的にも、
魅力を全く感じなかった為、これらの製品は未所有だ)
で、ニコンの銀塩AF一眼レフの普及機・中級機の性能や
仕様が急に向上するのは2000年頃の機種(F80,u2等)
からであり、これは恐らく、続くデジタル一眼レフ時代
(2003年前後~)への布石であったと思われる。
つまり、初級中級層に高性能エントリー銀塩機を買って
もらって、そのままデジタル一眼レフへ移行してもらう
というシナリオだ。(銀塩用交換レンズ等は、そのまま
同社デジタル機でも使える)
なお、これはニコンだけの戦略ではなく、キヤノンも
ミノルタもペンタックスも、2000年前後の銀塩一眼レフ
の普及機・中級機は、たいてい極めて高性能であった。
(特にMINOLTA α-SweetⅡは初及機の中では、超名機
であろう。他に中級機EOS 7やα-7も凄かった。
→銀塩一眼レフ第27回、第26回、第29回記事)
それと、近年においては、ニコンのミラーレス市場への
参入が2011年末頃から、と他社に比べて遅かったのも、
ここまでの理由と同様に、自社一眼レフ市場が低価格な
ミラーレス機でコンフリクト(衝突)する事を嫌ったから
であろう。(注:キヤノンも同様だ、EOS Mシリーズでの
市場参入は、ニコンよりさらに遅かった。
ちなみに、ニコンの1シリーズ・ミラーレス機展開は、
現在では終焉して、「高付加価値型」のZシリーズに
移行している。キヤノンもまた、EOS Rシリーズで、
その戦略に追従したが、EOS Mシリーズは併売だ)

コンパクト機にあまり力を入れて来なかったのであったが、
おしりも1990年代初頭には、バブル景気も崩壊し、
これまでの高付加価値(高級品)戦略を、市場の動向に
合わせて、多少見直す必要もあったのかも知れない。
この頃、世の中全般の傾向として、新たなビジネスモデル
が発生した。
それは、消費者層に、安価な製品を購入してもらったり、
無料の製品を使って貰って、そこから、より高価な製品を
買ってもらう「囲い込み」戦略、あるいは「お試し版」の
戦略である。
例えば、パソコンの世界では、フリーソフトが登場し、
あるいは数年後の写真DPE業界での「0円プリント」の
ビジネスモデルであったり・・
ペットビジネスの世界では、セキセイインコやカメ等を、
まず安価に販売し、その後、餌や周辺商品を沢山買って
もらうとか、さらに、もう少し後年では、携帯電話を
無料で配布し、通話料で稼ぐとか、インターネット回線の
設置でも同様なビジネスモデルがあった。
つまり、バブル期前までは「商品単体で決算が赤字になる」
ような商品の販売は、常識的に有り得なかったのが、
バブル崩壊後では、サービス、オプション、周辺消費等を
含む”トータルでの収支が黒字になれば良い”という
「損しても得取れ」的な考え方の回収型ビジネスモデルに
市場の意識が変わってきた訳だ。
で、ニコンにおいても、これまでのように「高い一眼レフ
を売ったら儲かるからそれで良い」と言う訳には行かなく
なってしまったのであろう。自社がそれをやらなくても、
他社が新しい戦略を取れば、多少なりとも影響は出る。
例えば本機AF600と同じ1993年には、キヤノンは一眼
レフの普及機EOS Kiss(初代)を発売し、それを女性や
ファミリー層という新しいカメラユーザーの市場において
大ヒットさせている。
キヤノンとて利益の観点から言えば、EOS-1/HS等の高級
カメラや、Lレンズ等の高付加価値商品を販売したいの
だろうが、別に、これまでのユーザー層がEOS Kissを
買って、EOS-1が売れなくなるという訳でも無いのだ。
新規ユーザー層が、最初はKissから一眼レフに興味を
持ってくれれば、いずれ高級機も高級レンズも買って
くれるかも知れない訳だ。

において、これまでの時代よりも気合を入れて作った
コンパクト機が本機AF600だったと思う。
「ニコン・ミニ」の愛称は、コンパクト機をエントリー
機とし、「ニコン党」として囲い込む為、あるいは、
ニコン高級一眼レフを所有している層に、「サブ機」と
してもコンパクト機を使ってもらって、さらにニコンに
対するブランド信奉を高める狙いがあった事であろう。
(=ファン層の囲い込み)
(参考:1980年前後のNIKON SERISE Eの交換レンズは
「NIKKOR」の名前を冠する事が出来ず、「NIKON LENS」と
”ブランドの差別化”があった。本機は「NIKON MINI」の
愛称を打ち出し、NIKON製である事を主張している)
本機AF600の描写力は定評がある。特に「ニコン党」からは
「コンパクト機でこの描写力は凄い!」と、神格化される
ような評価も多々あったと思う。
ただ、実際のところそれはどうか? 3群3枚の単純な
トリプレット型のレンズ構成は、仕様的には他社28mm機
に対して優位性があるとは思えないし、実際に使っていた
感覚でも、他社広角機より、特に優れているという印象は、
私は持てなかった。
でも、「ニコン党」と呼ばれる人達は、基本的にはニコン
製品しか使わない。そういった背景で、今までニコンでは、
まともな性能のコンパクト機が無かった中で、初めて、
まあ普通に良く写るコンパクトが登場したのだ、彼らが
これを絶賛しても不思議では無い。
そして、ブランド信奉(信者)においては、他社の例えば
XA-4やTIARA、あるいは後年のGR1等と比較する事で、
”正しい評価を行おう”という発想も、そうしたユーザー
層(ニコン党)では、あまり無かったかも知れない。

においては、大きなアドバンテージとは言えない。
だが、弱点という訳でも無く、3群3枚という単純構成
レンズでも、ちゃんと低分散ガラスのレンズを使用して
いる贅沢な設計であり、プログラムAEで、少し絞り
込まれた状態では、そこそこちゃんと写ってしまうのだ。
まあ、広角レンズは、たいていそんなものであり、一眼
レフ用広角レンズではむしろ、ミラーボックスの制約から
レトロフォーカス型の設計にせざるを得ず、レンジ機や
コンパクト機の広角レンズの方が、設計自由度が高くて
小型で良く写る事は、銀塩時代での常識であった。
描写力よりも、希少な28mm広角単焦点機である事が
本機AF600の重要な特徴だと思う。

という意見もあるだろう。しかし、まず、本機AF600の発売
時点ではGR1は、まだ登場していない、それは後年の話だ。
(ちなみに、GR1もTIARAもまだ出て無かったから、本機の
広角の特徴が余計に際立った事であろう、よって、その分、
過剰な好評価になっていた事は否めない)
それと、実はGR1もTIARAも「柔(やわ)なカメラ」なのだ、
RICOH GR1(1996)においては、普及機R1(1994)の内部構造
をベースとしていて、モーター等の駆動系がパワー不足だ。
その為、使用中に負荷により故障してしまうリスクを抱えて
いる。事実、私のGR1も知人のGR1も、その問題に遭遇して
故障し、私は後年に小改良機のGR1sに買い換えている。
それに加えて、GR1はマグネシウム合金の外装素材だが、
マグネシウムは力が加わると脆く、ポキッっと折れて
しまう場合があり、細い部分(底面電池BOXの周囲等)は、
特に危ない。
私のGR1は、ビーチで数十cmの高さから砂に落として
しまっただけで底部が割れてしまった。
この「脆さ」もGR1(シリーズ)の弱点だ。
おまけに高価である、GR1シリーズは、いずれも10万円
前後の定価であり、高すぎる。
まあ、「高級コンパクト」という新ジャンルのカメラの
草分け的な存在であるから、GR1の値段が高いのはやむを
得ない。それはつまりユーザーから見れば「付加価値」
であり、メーカーから見れば「利益」そのものである。
ぶっちゃけ言えば、高いカメラを、皆が欲しがって
買ってくれれば、それでカメラ市場は潤うのだ。
だが、高価なカメラは、もし上記のGR1のような(注:
TIARAも同様)「壊れやすい」という弱点がある場合、
ラフな使用を躊躇ってしまう問題がある。
雨や潮風、埃、猛暑や酷寒、どこかにぶつけやすい環境、
盗難や犯罪リスクのある場所、等では使い難いのだ。
これは、同時代からのチタン製ボディの高級コンパクト
であっても同様だ。チタン外装であっても耐久性が格段に
向上する訳では無い。むしろGR1よりさらに高価(11万円
~17万円)であった、超高額チタン製コンパクト機は、
より神経質に、気をつけて扱う事になるから、必然的に
故障リスクも減るのだ。
チタン機の耐久性が高いのは、そのように「甘やかして」
使う、という心理的要素の方が、本体自体の剛性や耐久性
よりも遥かに大きい。(それに、現代となっては、もはや
四半世紀も前のチタン機は、内部電子部品の寿命が尽き
かけている。いくら外装だけ耐久性を高めても、中身から
壊れてしまったら、無意味であろう・・)

機群のおよそ1/3の価格である。
プラスチッキーな外観で、プログラムAEモードしか無く、
高級感は欠片も無いカメラだが、そこそこ良く写り、
安価である事とあいまって、「厳しい環境でも平気で
使える」という心理的な安心感が大きい。
プログラムAEの件だが、もし「絞り優先AE」がついていた
としても、当時の銀塩コンパクト機では、それを有効に
活用できない、という大きな課題がある。
これはどういう事か?と言うと、レンズシャッター構成の
コンパクト機では、シャッター速度の上限が低すぎるのだ。
具体的には、本機AF600の最高シャッター速度は1/350秒
でしかなく、高級機GR1(/s/v)ですら1/500秒までだ。
コンパクト機(レンズシャッター機)のシャッター速度の
限界値は、後年(2001年)のCONTAX T3(後日紹介予定)
での1/1200秒が恐らく最速であった事であろう。
(注:デジタルコンパクト機+撮像素子シャッターでは、
2003年のMINOLTA DiMAGE A1が1/16000秒で最速)
で、最速1/500秒のGR1を、日中晴天時に使うとしよう。
GR1は絞り優先AE機なので、F2.8~F16を手動制御できる。
ここで、ISO感度100のフィルムを装填した場合、
最高1/500秒のシャッターでは、絞りF8迄で打ち止めだ。
それ以上絞りを開けるとシャッター速度オーバーで撮れない。
「晴天時ばかりで撮る事も無いから」とISO400のフィルムを
入れていた場合は、さらにシャッター速度オーバーになって、
F16の最大絞り値でしか、晴天時には撮れない事になる。
勿論、後年のGR Digitalのような、デジタルND(減光)
フィルター等の機能は銀塩機には入っていないし、
アナログのNDフィルターはGR1ならば装着できない訳では
無いが、別売アダプター必須とか特殊なフィルター径の
ものであるから、面倒で使えないであろう。
つまり、GR1では日中の屋外での使用で絞り優先モードでは、
常にシャッター速度オーバーとのにらめっこになり使い難い。
設定した絞り値で適正露出が得られない場合に、絞り値を
シフトするような露出安全機構が入っていれば良いのだが、
そういう機種は一眼レフではあったものの、コンパクト機
では珍しく、CONTAX Tvsシリーズとか、かなり限られて
いたと思う。
よってGR1では「日中、絞り優先が使えない」と言っても
過言では無く、上手な使い方としては、こういう状況では、
あえてPモードにセットしてプログラムAEで撮る。
広角での中遠距離撮影においては、絞りを開ける被写界
深度の効果は殆ど得られず、むしろGRレンズでのMTF特性
が向上するF5.6ないしF8程度で撮った方が好ましいのだ。
GR1で絞りの効果が影響するのは、絞りを開けられる
日陰や屋内において、かつ近接撮影の場合だが、GR1の
最短撮影距離は35cmと物足りなく、どのような状況でも、
絞り値による被写界深度変更の効果は十分では無い。
で、あれば、絞りをどういう風に使うのか?と言えば、
これはシャッター速度の調整が主目的となる。
すなわち、弱暗所でのスナップ撮影等で、ある瞬間を
切り取る際に、シャッター速度の調整で、止める、ブラす
等の動感効果をコントロールする、という意味である。
これは、ブレッソン等のマグナム派のような海外写真家等が
得意とする撮り方であるから、GR1を超本格的に使おうと
する人達の中には、憧れの海外写真家風のスナップ写真を
撮る事に志向した上級者も居たのだ。(小型軽量で地味な
外観のカメラの為、街中スナップ等でも目立たない)
しかし1990年代は肖像権等の配慮がうるさくなり始めた
時代でもあり、見知らぬ人を街中で撮影する事については
トラブル等のリスクも多々あって、1950~1960年代での
スナップ写真のように自由に(=ある意味、無配慮に)
写真を撮る事は、時代背景的には、既に出来なくなって
いたのだ。
(注:その後の時代では、肖像権問題はさらに厳しく
なっている。現代においても、シニア層等で、見知らぬ
他人や、京都の舞妓さん(変身舞妓含む)等に、平気で
カメラを向ける人達が依然多いが、現代では、それは
「盗撮」として、「犯罪扱い」となり、取締りの対象とも
なっている。なお若年層でも、芸能人等にスマホカメラを
向ける場合があるが、これも同様に肖像権違反となる。
いずれにしても、基本は、撮影者のモラル意識であるとか
コンプライアンスやマナーの意識の問題であるし、
あるいは、「そういう対象しか、被写体として見られない」
事もまた「超ビギナー的な写真の概念」そのものでもある。
他人を盗撮し、それが「写真」や「作品」になるのだろうか?
又、撮影者の手柄では無い「映え」画像を記録して、それを
SNSにアップした所で、イイネを貰えると思うのだろうか?
本当にイイネをするべきは、その撮影者自身の発想や努力や
技能や才能に対してであろう。他者・他の物体は無関係だ。
結局、そういった行為をしないようにする事が大原則だ)
これらから、本機AF600がPモードしか無いという状況は、
本機の仕様(広角28mm/F3.5、最高シャッター速度1/350秒)
では何ら問題無い。絞り優先を使う意味が殆ど無いからだ。

機であったのが、今回第2回記事では、いきなり1990年代
のカメラとなっている。
「その間、1970年代~1980年代のコンパクト機はどうした
のだ?」と言う声が聞こえてきそうである。この理由だが、
これらの時代のコンパクト機は、多数持っていたには
持っていたが、あまり魅力的な機種が無く、2000年代の
デジタル時代に入ってから、その殆どを譲渡あるいは
処分してしまっていたのだ。
この話は、「本機AF600が一部の層に高く評価された」
という歴史と微妙に関連がある。
つまり各社の1980年代のAFコンパクト機は性能や仕様的に、
マニアや中上級者層に満足の行く機体が、殆ど無かった、
という状況なのだ。
まあだから、描写性能の高い本機AF600や高級コンパクトが
1990年代にマニア層等に熱狂的に受け入れられた訳である。
ちなみに、1970年代~1980年代のMFコンパクト機において、
(既に処分・譲渡してしまったが)名機と呼べるような
ものは、私の所有機の中では、
OLYMPUS XAシリーズ(特にマニュアル機XAや広角機XA-4)
YASHICA エレクトロ35シリーズ(MC等)
RICOH FF-1シリーズ、MINOX (35mm判使用の35GT等)
など、あまり多くない。
まあ、逆に言えば、これらの機種位しか、その時代の
コンパクト機は、欲しいとは思えなかったのだ。
なのでまあ、コンパクト機がマニア受けするようになった
のは、1990年代がむしろ始まりだったとも言えよう。
(というか、この僅かな期間しか「黄金期」が無かった)

NIKON (MINI) AF600 1993年
【基本・付加性能】★★
【描写力・表現力】★★★☆
【操作性・操作系】★★☆
【質感・高級感 】★★
【マニアック度 】★★★★
【エンジョイ度 】★★★☆
【購入時コスパ 】★★★★ (中古購入価格 7,000円)
【完成度(当時)】★★★☆
【歴史的価値 】★★★★
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】3.2点
購入価格が安価であり、コスパの項目が高く評価された。
ニコン初の普及版高性能コンパクトとして、歴史的価値も
高いであろう。広角単焦点の仕様は、マニアック度も高い。
ただ、他の特徴はほとんど無く、全体的にはやはり普及機の
枠を出ない、ごく普通のコンパクト機である。
なお、「ニコン党」においては、高級コンパクト機の
NIKON 28Ti(1994)との差異が気になるかも知れないが、
そちらはむしろ「高付加価値」型の投機層向け商品である。
私は、コスパが悪いと思って、興味を持つ事は無かった・・
---
さて、今回の2機種目は「補足編」としてトイカメラだ。

だと思うが、情報が少なく、良く分からない(汗)
まあ「ハリネズミ カメラ」と言えば、それで通じると思う。
本機は、2005年頃(?)に発売された、110(ワンテン)
フィルム使用のトイカメラだ。
時代的には今回紹介のNIKON AF600よりも、ずっと後の
カメラなのだが、本記事は、AF600をメインとしていたので、
本機「ハリネズミ」の紹介は、補足(おまけ)という感じ
である。
実は、本機は数回しか使用した事が無い。
時代はすでにデジタルであり、110フィルムの入手も難しく
なってきていて、この数年後には110フィルムは通常の
ルートでは生産が中止になってしまう。
まあ、生産中止になった後にも「トイカメラ」の特殊市場
では、110フィルムは若干の流通があったのだが、勿論
高価であり、現像も大変だし、描写力的にも魅力が少ない。
1990年代~2000年代初頭では、前述の高級コンパクト
や、高性能AF一眼レフと高性能レンズにより、写真における
描写力は、それまでの時代よりも格段に向上した。
そうした状況の中で、高忠実性(Hi-Fi)写真に反発する、
「Lo-Fi」(低描写力)の文化が育った事がトイカメラの
普及の理由である事は、他の記事でも何度か述べている。
だが、2000年代中期からは、デジタル(PC)でのレタッチ
編集により、トイカメラ風のLo-Fi写真を「創造」する事は
さほど難しく無くなった。そういう中で、(銀塩)トイ
カメラの用途が急速に無くなってきた時代であったと思う。

「ハリネズミ」は、レンズの開放F値がF11のパンフォーカス
である、という情報以外、焦点距離とかのスペックも何も
公開されていない状態であって、シミュレーター機を
決めようが無い。
本機は、確かにトイカメラの名に恥じない(?)、Lo-Fiな
写りであったと思うので、あえて酷い写りのトイシステムを
選んでみよう。

このシステムは現代のトイカメラと呼べる程に写りが悪い。
まあ、同じ「Lo-Fi」と言っても、ハリネズミでの傾向とは
全く違うとは思うが、そのあたりはあくまで「雰囲気」だ。
なお、110フィルムのサイズは17mmx13mmであり、これは
現代のμ4/3のセンサーサイズとほぼ同じで、縦横比も
同様に4:3だ。そしてPENTAX Q7は1/1.7型センサーであり、
これは110フィルムの縦横を各々半分位にした位の大きさだ。
それからPENTAX Q7には、かつてPENTAX が販売していた
史上唯一の”レンズ交換式110フィルム一眼レフ”である
Auto 110 シリーズ(1979年~)をシミュレートした
「Auto 110モード」のエフェクトが搭載されている。
このモードを選ぶと、コントラストも解像感も低下し、
いわゆる「Lo-Fi」の写りが強調される。

あえて使わなくとも、同様の「ボケボケ」の写りとなるので、
シミュレーションでは、被写体の状況に応じて、エフェクト
有り無しで適宜撮っていく事にしている。
さて、この「ハリネズミ」だが、知人のカメラ好きの若い
女性から貰ったプレゼント品であった。よって価格は不明
であるが、トイカメラ故に、さほど高価なものでは無いで
あろう。(おそらく2000円前後?)
電池は使用せず、110フィルムを装填したら、後は手動で
シャッターを切り、手動でフィルムを送る。
原始的な仕組みであるし、露出とかピントとか、そんな事は
完全に無視であるが、まあそれでも写真はなんとか撮れる。

ハリネズミカメ 2005年頃?詳細不明
【基本・付加性能】★
【描写力・表現力】★★
【操作性・操作系】★☆
【質感・高級感 】★
【マニアック度 】★★★★★
【エンジョイ度 】★★
【購入時コスパ 】★★★★★(贈答品)
【完成度(当時)】★★
【歴史的価値 】★★★☆
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】2.5点
まあ、お遊び用のトイカメラなので、評価はこんなもので・・
なお、ハリネズミは現代でも在庫品が継続販売されている
模様だが、さすがにもう110フィルムの入手と現像が困難だ。
その後、2009年頃からは、「デジタルハリネズミ」という
「トイデジ」(トイ・デジタルカメラ)が発売されていた。
それは、トイ描写の各種モードを備えた、なかなか楽しそうな
カメラであったが、価格もヒトケタ高価になり、これも
恐らくは現在では生産中止となっていて、好事家等の間では
結構高額な相場で取引されている模様だ。

これを代替するには、
現代の高機能エフェクト搭載カメラ(各社ミラーレス機や、
特に今回使用のPENTAX Q7等)にトイレンズ(PENTAX Q
シリーズ純正、ロモ、ホルガ等)を装着し、本体エフェクト
やPC等によるレタッチを駆使する事で、銀塩トイカメラと
同等以上の事が出来てしまい、「Lo-Fi」のコンセプトを
実現する上でも、それで十分であろう。
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さて、今回の記事はこのあたりまで。次回銀塩コンパクト
記事に続く。次回は1990年代の普及AFコンパクト機を
2機種紹介する予定だ。