本シリーズでは、手持ちの古いデジタル一眼レフについて紹介、
その発売時の時代背景を含めた評価を行っている。
加えて、関連する銀塩の名機一眼レフも紹介している。
本シリーズの初回から第4回目までは、デジタル一眼第一世代
(注:個人的分類、第1回記事参照)である2003~2005年の
間に発売された機種について紹介している。
この時代は各社からデジタル一眼が発売されたが、価格は
かなり高価であり、完成度もまだまだであった。
シリーズ第3回目では2004年末に発売された、
KONICA MINOLTA α-7 Digital について紹介しよう。
![c0032138_18141201.jpg]()
レンズは、ミノルタ時代(1990年代)のAF50mm/f3.5Macro
を使用する。(ミラーレス・マニアックス第68回記事)
このシステムで撮影した写真を交えて記事を進めるが、
例によって写真と記事の内容の関連は無い。
![c0032138_18141207.jpg]()
KONICAとMINOLTAが合併したのは、このα-7 Digitalが発売
される前年の2003年である。
ミノルタは1985年にαシステムをリリースし、そこから18年間
銀塩一眼のαと対応レンズ群を発売し続けたが、MINOLTAブランド
からは試作的な製品(RD-175やRD3000)を除き、一般向け
デジタル一眼レフは発売されず、最初のデジタル一眼は
KONICA MINOLTA銘での発売となった。
α-7 Digitalでは、勿論ミノルタ時代のα用AFレンズが使用できる。
KONICA MINOLTA時代(~2005年)には、確かα用単焦点レンズは
新規には発売されておらず、そのブランドでは数機種のデジタル
一眼用のキットズーム(DT型番が主)だけと記憶している。
2006年初頭にKONICA MINOLTAはαシステムをSONYに譲渡して
カメラ事業から撤退してしまった為、本ブランドでのデジタル
カメラ販売は2年半程で短命に終わってしまった。
また、KONICAとMINOLTAが合併してから、α-7 Digitalが
発売される迄は、1年以上の歳月が流れている。
まあ当然、相応の開発期間があった事であろう。
結果、α-7 Digitalは2004年11月~2005年12月迄の、
実質的には約1年間しか発売されておらず、価格も約20万円と
高価であった為、販売数量がさほど多くなかった事とともに、
その後の中古市場でもあまり出回らず、レア品となってしまった。
現在(2017年)では、本カメラを中古市場で見つけるのは非常に
困難であり、仮にあったとしても程度の悪い個体となるであろう。
![c0032138_18141249.jpg]()
さて、α-7 Digitalの特徴だが、まずは、ダイヤルやスイッチ類
が非常に多いカメラである、という事だ。
何故そうなっているかは、理由(歴史)がある。
以下、少し長くなるが、その歴史について述べていく事にしよう。
ミノルタは1985年に歴史的に大きな価値のある初の実用的な
AF一眼レフ「α-7000」を発売する。これは「αショック」とも
呼ばれ他社や市場に大きなインパクトを与え社会現象にもなった。
なお「実用的」という意味だが、α以前でもAF一眼は数機種存在
したが、まるで試作機のように完成度が低くAFも殆ど合わなかったし、
AFレンズも専用のものが2~3本あった程度で、αシステムのように
広角から望遠まで、ちゃんとラインナップを揃えてはいなかった。
その後1990年頃までは、αはカメラ市場で大人気であり、
α3桁、α4桁機が多数発売されている。
実用的なAFの登場により一般カメラユーザー(概ねビギナー)にも
AF一眼レフは、この時代に大きく普及した。それまでの銀塩一眼レフ
はAEにより露出が自動化されていたとは言え、ピント合わせが手動
である事は、初級者にとってはやはり敷居が高かったのであろう。
1980年代後半には、他社もどんどんAF一眼を開発しリリースした為、
ミノルタは、他社との差別化の為もあってか、ピント合わせ以外の
他の多くのカメラ操作も自動化するというコンセプトを強く進めた。
例えば分割測光や、AFの測距点数の増大、自動でポップアップする
フラッシュ、カメラのグリップを握るとAF作動が開始される機能、
カード(ROM)により様々な特殊なカメラ機能を追加できるシステム、
そして極め付きは、自動でズームが適正と思われる焦点距離にまで
変化する機能(例:人物撮影を想定し、自動的にバストアップ構図
の距離にマッチするようにズーミングを行う等)まで追加された。
こうして開発されたのが、xiシリーズと呼ばれる1991年~1992年
に発売されたα各機種である。
だが、これらバブリーな新機能は、ユーザーには歓迎されなかった。
これはミラーレス・マニアックスのシリーズ記事でも良く書いた事
だが、こうした全自動システムではユーザーは、ただシャッターを
押すだけとなってしまい、写真を撮る上で創造的あるいは技術的な
要素が何も無くなってしまい、中上級者にとっては物足りないからだ。
私はxiシリーズはあえて購入を避けたが、オートズーム機能を持つ
銀塩コンパクト機MINOLTA APEX90を所有していた事がある。
だが、このオートズーム機能というのは自分が撮りたい構図にすら
ならず、相当イライラする超おせっかいな機能であった事が印象に
残っている。勿論、すぐにその機種を処分したのは言うまでも無い。
行き過ぎた自動化を打ち出したxi シリーズは商業的にも失敗し、
同時期1992年には、ハネウェル訴訟と呼ばれる特許侵害の訴訟で
ミノルタは敗訴、多額の賠償金を支払う事となった。
この時代はミノルタにとっては「暗黒時代」だったとも言えよう。
![c0032138_18141350.jpg]()
xiシリーズの反省と、バブル崩壊の時勢から、ミノルタは、続く
siシリーズ(1993~1997年)では過剰な自動化機能を廃し、写真を
撮る上で使いやすい機能のみを進化させた真面目な製品コンセプトに
なっていく。
この時代で注目するべき機種は α-507si(1995年)であろう、
中級機で目立たないスペックであるが、ダイヤル類の配置や形状と
いった「操作性」のみならず、ダイヤルやボタン類を撮影に必要な
操作に応じてどのように機能させるか、といった「操作系」について
初めて配慮されたカメラである。
「操作性」と「操作系」の差異については、ミラーレスニアックスの
シリーズ記事でも再三述べており、詳細は省略するが、簡単に言えば、
操作性=機器の操作子の物理的な動かしやすさ等
操作系=写真を撮る為に必要な操作が有機的に連携されている事
となり、すなわち操作系とは全般的なユーザー・インターフェース
設計の事を指す。
操作系の良否は、カメラの設計者が、どれだけ「写真を撮る」という
事について造詣が深いか否かに直結し、現代のデジタルカメラ全般に
おいても、それが優秀なものとNGなものに見事に二分される。
加えて「操作系」の良否は、あまり一般にも評価されにくい、
つまり、カメラを評価する人達もまた、それについて正しく評価を
行える術を持たないのであろう。大半はボタンの押しやすさとかの
表面的な操作性の話に終始しているし、それ以前にカタログの数値
スペックだけを見てカメラの性能を判断している。
カメラのTVCMなどがその最たるもので、AFが速いとか連写が速いとか
表面的な事しか言わない。
で、操作系が悪いカメラでも何故か市場にそのまま出てきてしまう。
メーカー内部による製品の仕様検討会議や品質会議等でも見逃されて
しまうのであろう、つまりメーカー側でも、ちゃんとした論点による
評価体制ができていないと思われる。
![c0032138_18141387.jpg]()
さて、α-507siの初歩的だが優れた「操作系」コンセプトは、
その後のαを大きく変える。
1998年には旗艦α-9とエントリー機のα-Sweetが発売される。
いずれも銀塩一眼の基本に忠実で非常に使いやすいカメラとなって
いて、操作系についても配慮が進んでいる。
かつ、多すぎた価格別ラインナップも整理された。
この時代(1998年~2002年)のαはどれもかなり良く出来ていて
個人的には好みであり、いくつかの機種を現在でも保有している。
優秀な開発陣あるいは外部スタッフが関与していたのだと想像できる。
そして「操作系」の究極として発売されたのが、α-7 (2000年)
である。
![c0032138_18141327.jpg]()
こちらが「銀塩AF一眼レフの最高傑作」と呼べる「α-7」である。
こちらは初期型のα-7ではなく「α-7Limited」(2001年)だ。
私は既に所有していたα-7の初期型を下取りし、2001台のみの
限定発売となったミレニアム機に買い換えた訳だ。
銀塩一眼「α-7Limited」の背面を見てみよう。
![c0032138_18141138.jpg]()
まるで「デジタル一眼レフか?」と見紛うように、ダイヤルや
ボタン類が多く、おまけに中央にはナビゲーション・ディスプレイ
が存在している、これは勿論銀塩カメラなので撮った画像が表示
される訳では無いのだが、カメラ設定などがここに表示される。
凄いのは、撮影した写真の絞り・シャッター速度などを
内部メモリーに記憶していて、このディスプレイにその一覧を表示
する事も出来るのだ。
α-7の究極とも言える優れた操作系については、過去記事でも
何度か紹介しているし、説明が非常に長くなるので今回はばっさり
と割愛しよう。ともかく最高に優れた銀塩一眼レフであった事は
確かだ。時代は、その後すぐにデジタル一眼の時代に突入するが、
α-7は、私は2000年代後半まで使い続けた真の銀塩名機である。
で、本記事のα-7 Digitalであるが、このラストエンペラーならぬ
「銀塩最後の王者」α-7を大いに参考にして設計されている。
背面の雰囲気を見比べてみよう。
![c0032138_18141161.jpg]()
こちらが、デジタル一眼「α-7 Digital」の背面だ。
α-7と共通の部品も多いし、その配置も「操作性」も似ている。
長々と歴史を説明してきたが、ここまでの話が「α-7 Digital」
にボタンやダイヤルが多い理由である。
さて、そうなれば、当然「α-7 Digital」にも「究極のデジタル
一眼の操作系」を期待してしまう。
本機を購入時の私もそうであった。
だが、使い始めてがっかりした。
そっくりなのは「操作性」だけであり、「操作系」については
α-7 Digitalは、さほど優秀ではなかったのだ。
いや、正確に言えば「α-7」の操作系は確かに踏襲はされている、
しかし、銀塩撮影に必要な操作系と、デジタル撮影に必要な操作系
は異なっていたのだ。
例えば、デジタルでは銀塩時代に比べて非常に多くの機能が追加
されている、単純な例を上げればISO感度調整やWB調整等だ、
だが「α-7」には当然そんな操作子は無かった、よって、
勿論「α-7 Digital」にはボタン類が増えたが、煩雑になりすぎた
事や、それら基本機能以外に追加された機能の多くは「メニューの
中に無理やり押し込んでしまった」状況である。
さらに別の例をあげれば「α-7」には、特徴的な1/2・1/3段
切り替え式の上部露出補正ダイヤルがある。
銀塩時代ならば、ネガフィルムを使う際には、この上部ダイヤルで
半固定的に露出補正をかける。その理由はネガでは、2/3段程度
オーバー気味にした方がフィルムのラティチュードを有効に活用
できたからである。対して、ポジフィルムを使う際には、半固定では
無理なので、後部ダイヤルでのテンポラリーな露出補正と、あるいは
撮影条件に応じた(例、暗所の撮影時にマイナス補正をかける等)
半固定上部ダイヤルを併用することができた。
だがデジタル時代、しかも初期だ、センサーのラティチュード
(注:ダイナミックレンジと呼ぶ)は、銀塩ポジよりも狭く、
しかも初期の画像処理エンジンである。撮影1枚1枚ごとに微妙な
露出補正操作が要求された、そうしないと、すぐに白トビや
黒ツブレが起きる他、良い発色が出なかったのだ。
よって「α-7 Digital」での露出補正操作は、必ずテンポラリー
(一時的、その時次第)な操作となり、常に後部ダイヤルでの
操作が必須となった、なので上部露出補正ダイヤルはまったくの
「飾り」となってしまった。
もし、この露出補正ダイヤルがISO感度ダイヤルとなっていたら、
この「α-7 Digital」の評価は、がらりと変わった事であろう、
相当に使いやすいデジタル一眼として後世に残る名機とも言えた
かも知れない。
まあでも、そのあたりはしかたがない、銀塩で最高の一眼を
作った設計チームと、本機の設計チームは同じとは限らないし、
仮に同じであっても、設計者がフィルム撮影にもデジタル撮影にも
両方に精通していたとは到底思えない、それは当時の状況を考える
と誰が設計しても無理であったと思う。
![c0032138_18142148.jpg]()
まあ、他にも「操作系」に対する不満は多いが、書き出すときりが
無いし、そもそも今さら10数年も前の機種に文句をつけたところで、
どうにもなるものでも無い、このあたりで留めておくとしよう。
・・とは言え、「α-7 Digital」の操作系全般は、さほど捨てた
ものではなく、たとえば、背面モニターはナビゲーション・
ディスプレイとなっている。
![c0032138_18141286.jpg]()
背面モニターに、このようにカメラ設定情報が一覧で表示されたり
するのは当時としては先進的だ。
この時代、他社のどのデジタル一眼も背面モニターには撮影画像と
メニュー以外は何も表示されない。せっかく大きなモニターを
搭載しているのに、殆ど何も使っていない訳だ。
また、モニターサイズも2.5型と、同時代の他社一眼よりも大きい。
なお、この数年後には一部のメーカーのデジタル一眼では、
背面モニター上に表示される設定情報をダイヤル等で選択し、
ダイレクトにその数値を変えれる操作系に進化していく。
ただ、その優れた操作系も、長らく一部のメーカーのカメラだけで
背面モニターは完全に遊んでしまっている機種も多々あった。
そう考えると「α-7」や「α-7 Digital」の操作系は
他社よりも5年から15年は先を歩んでいたようにも思える。
![c0032138_18142102.jpg]()
余談だが、そうした新しい操作系や新機能を新型のカメラに追加
すると、主にベテランユーザー層から「操作がわかりにくくなった」
というネガティブな意見が出てくる事があると聞く。
その為、特定のメーカーの特定のシリーズ機種などでは、先進的な
「操作系」を、なかなか搭載できないでいるらしい。
これは困った話である、ついていけない方が悪いと言うべきであろう。
まあ実のところ、私は、そういう古いままの操作系を持つカメラは、
まず購入しない。
今後、このシリーズ記事では、一般的に有名あるいは人気の機種が
出て来ない事が多々あると思う。それは主には、そういう理由で、
購入していないからだ。
対して各メーカーとも、一眼レフではなくミラーレス機の方には
先進的な操作系や新機能を積極的に搭載する場合も良くある。
これはミラーレス機のユーザー層が、まったく新しい層である為、
そうした新機能や新しい操作系に対する「アレルギー」が少ない
からであろう。
つまりはメーカー側が出来ないわけではないのだ、新機能を
使いこなせない保守的なユーザー側に問題があるのだろう。
![c0032138_18141290.jpg]()
さて、操作系の話に終始してしまっているので、普通にカメラと
しての機能や性能の話に変えていこう。
「α-7 Digital」の基本性能であるが、
APS-CサイズCCD、610万画素である。
これは、2004年当時のいくつかの他機種と同じものだ。
最高ISO感度は3200、この時代としては高い方だ。
最高シャッター速度は1/4000秒。
まあ、当時のデジタル一眼は殆ど1/4000秒であったとは言え、
銀塩時代の中高級機は殆ど1/8000秒以上であったので大いに不満だ。
α-7ですら1/8000秒、α-9は1/12000秒であったので、
α時代から何本かあったf1.4級大口径レンズをISO100フィルムで
なんとか絞り開放まで使用できた。
対してα-7Digitalの最低感度はISO100なので、f1.4級はおろか
f2級レンズでさえも、日中開放で使うのは少々無理がある。
記録メディアはCFであり、書き込みは速いのであるが
内部バッファメモリーの制約により、最大連写コマ数は9枚に
制限されている。
AF測距点数とか連写速度などはどうでも良い、ある程度の撮影技術
を持っていれば、それらの性能差は殆ど関係無くなってくる。
![c0032138_18142183.jpg]()
本機の最大の特徴は「初の手ブレ補正内蔵機」である事だ。
ただし、レンズ側から接点を介して焦点距離情報を貰えるα用の
レンズのみに効き、手動焦点距離設定機能は無い。
だが、ここはマニア間での通説があり「焦点距離情報の無い場合
85mmに設定される」との事、ただしこれが事実かどうかは
検証していない(調べるのが難しい)
でもこれを信じて、アダプター使用でロシア製Jupiter-9
(85mm/f2)を使ってみた事もあった。
しかし、手ブレ補正はαレンズでも基本的にはあまり効かない、
というか、光学ファインダー+ボディ内手ブレ補正は、原理上
その効果がファインダーではわからない。
効いているのかもしれないが、あくまで「ちょっとはマシです」
程度であろう。
なお、手ブレ補正機構を利用したセンサーゴミ取り機能は搭載
されていない(この時代であればやむを得ない)
初のボディ内手ブレ補正、そして他社の同時代のカメラには
あまり無い最大ISO3200の高感度、加えて他社のレンズ内手ブレ
補正では存在しなかった開放f1.4のレンズが、本機ならばα系の
f1.4レンズで手ブレ補正が効く事、という特徴により、本機の事を、
私は「夜間戦闘機」と呼んでいた。
他社のシステムでは絶対にできない暗所でのf1.4レンズでの
高感度撮影+手ブレ補正で、ほぼどんな条件でも手持ち撮影が
可能となったからだ。
当時から流行が始まっていた夜景ライトアップイベントとかを
見に行く時でも、本機を必ずと言っていい程持ち出していた。
(ただし、後の時代では、超高感度機が普通となったため、
本機の出番は無くなってしまった)
![c0032138_18142184.jpg]()
さて「α-7 Digital」の長所としては、操作性・操作系の若干の
優位点と、内蔵手ブレ補正くらいであろうか?
光学ファインダーは、まあ他機種より若干見やすく、ピントの山も
掴みやすいが、銀塩時代のα-9やα-7程では無い。
また、現代のSONY製カメラにも搭載されている「Dレンジ
オプティマイザー」の元祖とも言える「ゾーン切り替え」という
階調拡大機能が付いているが、使用できる感度が固定されていて、
あまり使えるシーンが無い。
また、DMF(ダイレクトマニュアルフォーカス)機能は、
銀塩αの後期(7や9)から引き継いで搭載されている。
DMFは、AFが合った瞬間にAFモーターのクラッチが切れて、
MFでピント位置を変える事ができる便利な機能だ。
しかし、AFが一度合うまでこの機能は使えず、AFが合い難い被写体
ではお手上げだ。また、モーター搭載レンズ等では、この機能は
効かない場合もある為、DMFは、その後しばらくSONY製のデジタル
一眼にも搭載されていたが、近年では搭載されなくなっている。
そして、他の長所はあまり見当たらない。
あえて言うならば、使用十数年、撮影枚数3万数千枚を超えてまで、
まだ現役で使用し続ける事ができるタフさ、という感じであろうか。
ちなみに、その多くはドラゴンボート撮影の非常に過酷な撮影環境
での使用だが、その間、一度も故障していない!
![c0032138_18142268.jpg]()
逆に短所であるが、まず、ボディが大きく重い事がある。
重量は760g(電池除く)もあり、同時代の他のデジタル一眼レフ
よりも重い、具体的には前回第2回記事で紹介のPENTAX *istDs
が505gである。
あとは発色が悪い事か、でも、これはこの時代のデジタル一眼の
中ではまだ良い方であって、かつ撮影条件にも影響される。
具体的には、コントラストの強い日中での強い逆光などの厳しい
条件になると、かなり発色が悪くなる(順光時はOK)
概ね、明暗差が大きいと辛いようで、逆に曇天等のフラット光で
コントラストが低いと、だいぶ発色傾向も良くなる。
これは、コンパクト・デジタル・クラッシックスの第1回記事で
紹介した同時期の「KONICA MINOLTA DiMAGE A2」と同様な傾向で
その機種が「雨天専用機」としての役目を長らく与えられていた
ように、本「α-7 Digital」も、よく雨天の撮影で使用していた。
![c0032138_18142210.jpg]()
その他の弱点だが、しばらく撮影しないで放置しておくと、
次に電源を入れて1枚目の撮影は必ずエラーになり、真っ黒な
画像しか記録されないという現象が発生する。
これは再現率100%であり、本機を使用している知人の個体も同じ
症状が起こる。
バックアップ電池が切れているのかもしれないが、日付の表示や
メニュー位置記憶は正常であり、その電池交換はサービスセンター
対応と面倒なので、もうこのまま使うしかない。
なお、その1枚目のエラーは電源を一度切ると復帰して問題は無い。
![c0032138_18142239.jpg]()
なお、バッテリーは良く持ち、800枚を超える撮影にも耐えられる。
本機は長期間使用しているが、DiMAGE A2,α-Sweet Digitalと
同じバッテリーを使用していて、それらの機種も所有しており、
予備を含め都合4個の同じバッテリーをローテーションして
使っている為、劣化も最小限に抑えられ、現状バッテリー性能の
低下は殆ど起こっていない。
で、同時期に設計された機種群が同じバッテリーを使用できる事は、
ユーザー側からすると機種間の使いまわし、ローテーションや
充電器の共用など、メリットが大きい。
機種毎にバッテリー消費量が違うので、持ちの差が出るという僅かな
デメリットよりも、得する部分の方が大きいので、バッテリーは
できるだけ多くの機種間で共通である事が望ましい。
![c0032138_18140062.jpg]()
参考:上写真は、同時代のα-Sweet Digital(故障して撮影不可)
エントリー機ではあるが、ボディは大柄だ。
他の一部のメーカーでは、バッテリー共通化が出来ず、新機種が
出る度に、又は同時期の製品でも、まちまちである事が良くある。
これは複数の開発チーム間で情報共有や設計の共通化が出来て
いなかったり、あるいは他社OENや外注にまかせきりで、その
あたりの使い勝手に配慮していなかったりする事が原因であろう。
バッテリーが機種毎にバラバラであったりする状況を見ると、
どうにも、そのメーカーの開発力の低さやコンセプチュアルな
設計力の無さが露呈してしまうように思える。
さらにちなみにだが、充電器から直接ACプラグが出ているタイプは、
一部のACコンセントでは複数の充電器による同時充電が
(充電器がぶつかって)やりにくい。多少かさばるがACケーブル
が出ているタイプの充電器がベターである(本機はそのタイプだ)
![c0032138_18142237.jpg]()
α-7 Digitalの購入価格だが2005年に中古で約9万円であった。
他の記事にも書いたが、これは知人から安価に譲渡して貰ったので
定価の約半額であった。
ちなみに、銀塩のα-7 Limitedは発売直後に新品で10万5000円と、
むしろ本機より高価であった。
![c0032138_18142106.jpg]()
さて、最後にα-7 Digitalの総合評価だ。
【基本・付加性能】★★★☆
【描写力・表現力】★★★
【操作性・操作系】★★★☆
【マニアック度 】★★★★
【エンジョイ度 】★★★★
【購入時コスパ 】★★
【完成度(当時)】★★★☆
【歴史的価値 】★★★★☆
★は1点、☆は0.5点 5点満点
----
【総合点(平均)】3.5点
まあ、名機と呼べるるかどうか、ぎりぎりという感じだろうか・・
次回シリーズ記事に続く。
その発売時の時代背景を含めた評価を行っている。
加えて、関連する銀塩の名機一眼レフも紹介している。
本シリーズの初回から第4回目までは、デジタル一眼第一世代
(注:個人的分類、第1回記事参照)である2003~2005年の
間に発売された機種について紹介している。
この時代は各社からデジタル一眼が発売されたが、価格は
かなり高価であり、完成度もまだまだであった。
シリーズ第3回目では2004年末に発売された、
KONICA MINOLTA α-7 Digital について紹介しよう。

を使用する。(ミラーレス・マニアックス第68回記事)
このシステムで撮影した写真を交えて記事を進めるが、
例によって写真と記事の内容の関連は無い。

される前年の2003年である。
ミノルタは1985年にαシステムをリリースし、そこから18年間
銀塩一眼のαと対応レンズ群を発売し続けたが、MINOLTAブランド
からは試作的な製品(RD-175やRD3000)を除き、一般向け
デジタル一眼レフは発売されず、最初のデジタル一眼は
KONICA MINOLTA銘での発売となった。
α-7 Digitalでは、勿論ミノルタ時代のα用AFレンズが使用できる。
KONICA MINOLTA時代(~2005年)には、確かα用単焦点レンズは
新規には発売されておらず、そのブランドでは数機種のデジタル
一眼用のキットズーム(DT型番が主)だけと記憶している。
2006年初頭にKONICA MINOLTAはαシステムをSONYに譲渡して
カメラ事業から撤退してしまった為、本ブランドでのデジタル
カメラ販売は2年半程で短命に終わってしまった。
また、KONICAとMINOLTAが合併してから、α-7 Digitalが
発売される迄は、1年以上の歳月が流れている。
まあ当然、相応の開発期間があった事であろう。
結果、α-7 Digitalは2004年11月~2005年12月迄の、
実質的には約1年間しか発売されておらず、価格も約20万円と
高価であった為、販売数量がさほど多くなかった事とともに、
その後の中古市場でもあまり出回らず、レア品となってしまった。
現在(2017年)では、本カメラを中古市場で見つけるのは非常に
困難であり、仮にあったとしても程度の悪い個体となるであろう。

が非常に多いカメラである、という事だ。
何故そうなっているかは、理由(歴史)がある。
以下、少し長くなるが、その歴史について述べていく事にしよう。
ミノルタは1985年に歴史的に大きな価値のある初の実用的な
AF一眼レフ「α-7000」を発売する。これは「αショック」とも
呼ばれ他社や市場に大きなインパクトを与え社会現象にもなった。
なお「実用的」という意味だが、α以前でもAF一眼は数機種存在
したが、まるで試作機のように完成度が低くAFも殆ど合わなかったし、
AFレンズも専用のものが2~3本あった程度で、αシステムのように
広角から望遠まで、ちゃんとラインナップを揃えてはいなかった。
その後1990年頃までは、αはカメラ市場で大人気であり、
α3桁、α4桁機が多数発売されている。
実用的なAFの登場により一般カメラユーザー(概ねビギナー)にも
AF一眼レフは、この時代に大きく普及した。それまでの銀塩一眼レフ
はAEにより露出が自動化されていたとは言え、ピント合わせが手動
である事は、初級者にとってはやはり敷居が高かったのであろう。
1980年代後半には、他社もどんどんAF一眼を開発しリリースした為、
ミノルタは、他社との差別化の為もあってか、ピント合わせ以外の
他の多くのカメラ操作も自動化するというコンセプトを強く進めた。
例えば分割測光や、AFの測距点数の増大、自動でポップアップする
フラッシュ、カメラのグリップを握るとAF作動が開始される機能、
カード(ROM)により様々な特殊なカメラ機能を追加できるシステム、
そして極め付きは、自動でズームが適正と思われる焦点距離にまで
変化する機能(例:人物撮影を想定し、自動的にバストアップ構図
の距離にマッチするようにズーミングを行う等)まで追加された。
こうして開発されたのが、xiシリーズと呼ばれる1991年~1992年
に発売されたα各機種である。
だが、これらバブリーな新機能は、ユーザーには歓迎されなかった。
これはミラーレス・マニアックスのシリーズ記事でも良く書いた事
だが、こうした全自動システムではユーザーは、ただシャッターを
押すだけとなってしまい、写真を撮る上で創造的あるいは技術的な
要素が何も無くなってしまい、中上級者にとっては物足りないからだ。
私はxiシリーズはあえて購入を避けたが、オートズーム機能を持つ
銀塩コンパクト機MINOLTA APEX90を所有していた事がある。
だが、このオートズーム機能というのは自分が撮りたい構図にすら
ならず、相当イライラする超おせっかいな機能であった事が印象に
残っている。勿論、すぐにその機種を処分したのは言うまでも無い。
行き過ぎた自動化を打ち出したxi シリーズは商業的にも失敗し、
同時期1992年には、ハネウェル訴訟と呼ばれる特許侵害の訴訟で
ミノルタは敗訴、多額の賠償金を支払う事となった。
この時代はミノルタにとっては「暗黒時代」だったとも言えよう。

siシリーズ(1993~1997年)では過剰な自動化機能を廃し、写真を
撮る上で使いやすい機能のみを進化させた真面目な製品コンセプトに
なっていく。
この時代で注目するべき機種は α-507si(1995年)であろう、
中級機で目立たないスペックであるが、ダイヤル類の配置や形状と
いった「操作性」のみならず、ダイヤルやボタン類を撮影に必要な
操作に応じてどのように機能させるか、といった「操作系」について
初めて配慮されたカメラである。
「操作性」と「操作系」の差異については、ミラーレスニアックスの
シリーズ記事でも再三述べており、詳細は省略するが、簡単に言えば、
操作性=機器の操作子の物理的な動かしやすさ等
操作系=写真を撮る為に必要な操作が有機的に連携されている事
となり、すなわち操作系とは全般的なユーザー・インターフェース
設計の事を指す。
操作系の良否は、カメラの設計者が、どれだけ「写真を撮る」という
事について造詣が深いか否かに直結し、現代のデジタルカメラ全般に
おいても、それが優秀なものとNGなものに見事に二分される。
加えて「操作系」の良否は、あまり一般にも評価されにくい、
つまり、カメラを評価する人達もまた、それについて正しく評価を
行える術を持たないのであろう。大半はボタンの押しやすさとかの
表面的な操作性の話に終始しているし、それ以前にカタログの数値
スペックだけを見てカメラの性能を判断している。
カメラのTVCMなどがその最たるもので、AFが速いとか連写が速いとか
表面的な事しか言わない。
で、操作系が悪いカメラでも何故か市場にそのまま出てきてしまう。
メーカー内部による製品の仕様検討会議や品質会議等でも見逃されて
しまうのであろう、つまりメーカー側でも、ちゃんとした論点による
評価体制ができていないと思われる。

その後のαを大きく変える。
1998年には旗艦α-9とエントリー機のα-Sweetが発売される。
いずれも銀塩一眼の基本に忠実で非常に使いやすいカメラとなって
いて、操作系についても配慮が進んでいる。
かつ、多すぎた価格別ラインナップも整理された。
この時代(1998年~2002年)のαはどれもかなり良く出来ていて
個人的には好みであり、いくつかの機種を現在でも保有している。
優秀な開発陣あるいは外部スタッフが関与していたのだと想像できる。
そして「操作系」の究極として発売されたのが、α-7 (2000年)
である。

こちらは初期型のα-7ではなく「α-7Limited」(2001年)だ。
私は既に所有していたα-7の初期型を下取りし、2001台のみの
限定発売となったミレニアム機に買い換えた訳だ。
銀塩一眼「α-7Limited」の背面を見てみよう。

ボタン類が多く、おまけに中央にはナビゲーション・ディスプレイ
が存在している、これは勿論銀塩カメラなので撮った画像が表示
される訳では無いのだが、カメラ設定などがここに表示される。
凄いのは、撮影した写真の絞り・シャッター速度などを
内部メモリーに記憶していて、このディスプレイにその一覧を表示
する事も出来るのだ。
α-7の究極とも言える優れた操作系については、過去記事でも
何度か紹介しているし、説明が非常に長くなるので今回はばっさり
と割愛しよう。ともかく最高に優れた銀塩一眼レフであった事は
確かだ。時代は、その後すぐにデジタル一眼の時代に突入するが、
α-7は、私は2000年代後半まで使い続けた真の銀塩名機である。
で、本記事のα-7 Digitalであるが、このラストエンペラーならぬ
「銀塩最後の王者」α-7を大いに参考にして設計されている。
背面の雰囲気を見比べてみよう。

α-7と共通の部品も多いし、その配置も「操作性」も似ている。
長々と歴史を説明してきたが、ここまでの話が「α-7 Digital」
にボタンやダイヤルが多い理由である。
さて、そうなれば、当然「α-7 Digital」にも「究極のデジタル
一眼の操作系」を期待してしまう。
本機を購入時の私もそうであった。
だが、使い始めてがっかりした。
そっくりなのは「操作性」だけであり、「操作系」については
α-7 Digitalは、さほど優秀ではなかったのだ。
いや、正確に言えば「α-7」の操作系は確かに踏襲はされている、
しかし、銀塩撮影に必要な操作系と、デジタル撮影に必要な操作系
は異なっていたのだ。
例えば、デジタルでは銀塩時代に比べて非常に多くの機能が追加
されている、単純な例を上げればISO感度調整やWB調整等だ、
だが「α-7」には当然そんな操作子は無かった、よって、
勿論「α-7 Digital」にはボタン類が増えたが、煩雑になりすぎた
事や、それら基本機能以外に追加された機能の多くは「メニューの
中に無理やり押し込んでしまった」状況である。
さらに別の例をあげれば「α-7」には、特徴的な1/2・1/3段
切り替え式の上部露出補正ダイヤルがある。
銀塩時代ならば、ネガフィルムを使う際には、この上部ダイヤルで
半固定的に露出補正をかける。その理由はネガでは、2/3段程度
オーバー気味にした方がフィルムのラティチュードを有効に活用
できたからである。対して、ポジフィルムを使う際には、半固定では
無理なので、後部ダイヤルでのテンポラリーな露出補正と、あるいは
撮影条件に応じた(例、暗所の撮影時にマイナス補正をかける等)
半固定上部ダイヤルを併用することができた。
だがデジタル時代、しかも初期だ、センサーのラティチュード
(注:ダイナミックレンジと呼ぶ)は、銀塩ポジよりも狭く、
しかも初期の画像処理エンジンである。撮影1枚1枚ごとに微妙な
露出補正操作が要求された、そうしないと、すぐに白トビや
黒ツブレが起きる他、良い発色が出なかったのだ。
よって「α-7 Digital」での露出補正操作は、必ずテンポラリー
(一時的、その時次第)な操作となり、常に後部ダイヤルでの
操作が必須となった、なので上部露出補正ダイヤルはまったくの
「飾り」となってしまった。
もし、この露出補正ダイヤルがISO感度ダイヤルとなっていたら、
この「α-7 Digital」の評価は、がらりと変わった事であろう、
相当に使いやすいデジタル一眼として後世に残る名機とも言えた
かも知れない。
まあでも、そのあたりはしかたがない、銀塩で最高の一眼を
作った設計チームと、本機の設計チームは同じとは限らないし、
仮に同じであっても、設計者がフィルム撮影にもデジタル撮影にも
両方に精通していたとは到底思えない、それは当時の状況を考える
と誰が設計しても無理であったと思う。

無いし、そもそも今さら10数年も前の機種に文句をつけたところで、
どうにもなるものでも無い、このあたりで留めておくとしよう。
・・とは言え、「α-7 Digital」の操作系全般は、さほど捨てた
ものではなく、たとえば、背面モニターはナビゲーション・
ディスプレイとなっている。

するのは当時としては先進的だ。
この時代、他社のどのデジタル一眼も背面モニターには撮影画像と
メニュー以外は何も表示されない。せっかく大きなモニターを
搭載しているのに、殆ど何も使っていない訳だ。
また、モニターサイズも2.5型と、同時代の他社一眼よりも大きい。
なお、この数年後には一部のメーカーのデジタル一眼では、
背面モニター上に表示される設定情報をダイヤル等で選択し、
ダイレクトにその数値を変えれる操作系に進化していく。
ただ、その優れた操作系も、長らく一部のメーカーのカメラだけで
背面モニターは完全に遊んでしまっている機種も多々あった。
そう考えると「α-7」や「α-7 Digital」の操作系は
他社よりも5年から15年は先を歩んでいたようにも思える。

すると、主にベテランユーザー層から「操作がわかりにくくなった」
というネガティブな意見が出てくる事があると聞く。
その為、特定のメーカーの特定のシリーズ機種などでは、先進的な
「操作系」を、なかなか搭載できないでいるらしい。
これは困った話である、ついていけない方が悪いと言うべきであろう。
まあ実のところ、私は、そういう古いままの操作系を持つカメラは、
まず購入しない。
今後、このシリーズ記事では、一般的に有名あるいは人気の機種が
出て来ない事が多々あると思う。それは主には、そういう理由で、
購入していないからだ。
対して各メーカーとも、一眼レフではなくミラーレス機の方には
先進的な操作系や新機能を積極的に搭載する場合も良くある。
これはミラーレス機のユーザー層が、まったく新しい層である為、
そうした新機能や新しい操作系に対する「アレルギー」が少ない
からであろう。
つまりはメーカー側が出来ないわけではないのだ、新機能を
使いこなせない保守的なユーザー側に問題があるのだろう。

しての機能や性能の話に変えていこう。
「α-7 Digital」の基本性能であるが、
APS-CサイズCCD、610万画素である。
これは、2004年当時のいくつかの他機種と同じものだ。
最高ISO感度は3200、この時代としては高い方だ。
最高シャッター速度は1/4000秒。
まあ、当時のデジタル一眼は殆ど1/4000秒であったとは言え、
銀塩時代の中高級機は殆ど1/8000秒以上であったので大いに不満だ。
α-7ですら1/8000秒、α-9は1/12000秒であったので、
α時代から何本かあったf1.4級大口径レンズをISO100フィルムで
なんとか絞り開放まで使用できた。
対してα-7Digitalの最低感度はISO100なので、f1.4級はおろか
f2級レンズでさえも、日中開放で使うのは少々無理がある。
記録メディアはCFであり、書き込みは速いのであるが
内部バッファメモリーの制約により、最大連写コマ数は9枚に
制限されている。
AF測距点数とか連写速度などはどうでも良い、ある程度の撮影技術
を持っていれば、それらの性能差は殆ど関係無くなってくる。

ただし、レンズ側から接点を介して焦点距離情報を貰えるα用の
レンズのみに効き、手動焦点距離設定機能は無い。
だが、ここはマニア間での通説があり「焦点距離情報の無い場合
85mmに設定される」との事、ただしこれが事実かどうかは
検証していない(調べるのが難しい)
でもこれを信じて、アダプター使用でロシア製Jupiter-9
(85mm/f2)を使ってみた事もあった。
しかし、手ブレ補正はαレンズでも基本的にはあまり効かない、
というか、光学ファインダー+ボディ内手ブレ補正は、原理上
その効果がファインダーではわからない。
効いているのかもしれないが、あくまで「ちょっとはマシです」
程度であろう。
なお、手ブレ補正機構を利用したセンサーゴミ取り機能は搭載
されていない(この時代であればやむを得ない)
初のボディ内手ブレ補正、そして他社の同時代のカメラには
あまり無い最大ISO3200の高感度、加えて他社のレンズ内手ブレ
補正では存在しなかった開放f1.4のレンズが、本機ならばα系の
f1.4レンズで手ブレ補正が効く事、という特徴により、本機の事を、
私は「夜間戦闘機」と呼んでいた。
他社のシステムでは絶対にできない暗所でのf1.4レンズでの
高感度撮影+手ブレ補正で、ほぼどんな条件でも手持ち撮影が
可能となったからだ。
当時から流行が始まっていた夜景ライトアップイベントとかを
見に行く時でも、本機を必ずと言っていい程持ち出していた。
(ただし、後の時代では、超高感度機が普通となったため、
本機の出番は無くなってしまった)

優位点と、内蔵手ブレ補正くらいであろうか?
光学ファインダーは、まあ他機種より若干見やすく、ピントの山も
掴みやすいが、銀塩時代のα-9やα-7程では無い。
また、現代のSONY製カメラにも搭載されている「Dレンジ
オプティマイザー」の元祖とも言える「ゾーン切り替え」という
階調拡大機能が付いているが、使用できる感度が固定されていて、
あまり使えるシーンが無い。
また、DMF(ダイレクトマニュアルフォーカス)機能は、
銀塩αの後期(7や9)から引き継いで搭載されている。
DMFは、AFが合った瞬間にAFモーターのクラッチが切れて、
MFでピント位置を変える事ができる便利な機能だ。
しかし、AFが一度合うまでこの機能は使えず、AFが合い難い被写体
ではお手上げだ。また、モーター搭載レンズ等では、この機能は
効かない場合もある為、DMFは、その後しばらくSONY製のデジタル
一眼にも搭載されていたが、近年では搭載されなくなっている。
そして、他の長所はあまり見当たらない。
あえて言うならば、使用十数年、撮影枚数3万数千枚を超えてまで、
まだ現役で使用し続ける事ができるタフさ、という感じであろうか。
ちなみに、その多くはドラゴンボート撮影の非常に過酷な撮影環境
での使用だが、その間、一度も故障していない!

重量は760g(電池除く)もあり、同時代の他のデジタル一眼レフ
よりも重い、具体的には前回第2回記事で紹介のPENTAX *istDs
が505gである。
あとは発色が悪い事か、でも、これはこの時代のデジタル一眼の
中ではまだ良い方であって、かつ撮影条件にも影響される。
具体的には、コントラストの強い日中での強い逆光などの厳しい
条件になると、かなり発色が悪くなる(順光時はOK)
概ね、明暗差が大きいと辛いようで、逆に曇天等のフラット光で
コントラストが低いと、だいぶ発色傾向も良くなる。
これは、コンパクト・デジタル・クラッシックスの第1回記事で
紹介した同時期の「KONICA MINOLTA DiMAGE A2」と同様な傾向で
その機種が「雨天専用機」としての役目を長らく与えられていた
ように、本「α-7 Digital」も、よく雨天の撮影で使用していた。

次に電源を入れて1枚目の撮影は必ずエラーになり、真っ黒な
画像しか記録されないという現象が発生する。
これは再現率100%であり、本機を使用している知人の個体も同じ
症状が起こる。
バックアップ電池が切れているのかもしれないが、日付の表示や
メニュー位置記憶は正常であり、その電池交換はサービスセンター
対応と面倒なので、もうこのまま使うしかない。
なお、その1枚目のエラーは電源を一度切ると復帰して問題は無い。

本機は長期間使用しているが、DiMAGE A2,α-Sweet Digitalと
同じバッテリーを使用していて、それらの機種も所有しており、
予備を含め都合4個の同じバッテリーをローテーションして
使っている為、劣化も最小限に抑えられ、現状バッテリー性能の
低下は殆ど起こっていない。
で、同時期に設計された機種群が同じバッテリーを使用できる事は、
ユーザー側からすると機種間の使いまわし、ローテーションや
充電器の共用など、メリットが大きい。
機種毎にバッテリー消費量が違うので、持ちの差が出るという僅かな
デメリットよりも、得する部分の方が大きいので、バッテリーは
できるだけ多くの機種間で共通である事が望ましい。

エントリー機ではあるが、ボディは大柄だ。
他の一部のメーカーでは、バッテリー共通化が出来ず、新機種が
出る度に、又は同時期の製品でも、まちまちである事が良くある。
これは複数の開発チーム間で情報共有や設計の共通化が出来て
いなかったり、あるいは他社OENや外注にまかせきりで、その
あたりの使い勝手に配慮していなかったりする事が原因であろう。
バッテリーが機種毎にバラバラであったりする状況を見ると、
どうにも、そのメーカーの開発力の低さやコンセプチュアルな
設計力の無さが露呈してしまうように思える。
さらにちなみにだが、充電器から直接ACプラグが出ているタイプは、
一部のACコンセントでは複数の充電器による同時充電が
(充電器がぶつかって)やりにくい。多少かさばるがACケーブル
が出ているタイプの充電器がベターである(本機はそのタイプだ)

他の記事にも書いたが、これは知人から安価に譲渡して貰ったので
定価の約半額であった。
ちなみに、銀塩のα-7 Limitedは発売直後に新品で10万5000円と、
むしろ本機より高価であった。

【基本・付加性能】★★★☆
【描写力・表現力】★★★
【操作性・操作系】★★★☆
【マニアック度 】★★★★
【エンジョイ度 】★★★★
【購入時コスパ 】★★
【完成度(当時)】★★★☆
【歴史的価値 】★★★★☆
★は1点、☆は0.5点 5点満点
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【総合点(平均)】3.5点
まあ、名機と呼べるるかどうか、ぎりぎりという感じだろうか・・
次回シリーズ記事に続く。